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2022年4月

京都の剣鉾差し―平成の剣鉾調査とその後―

『都のまつり文化研究会 まつり通信』
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  • 福持昌之

4号
開始ページ
8p
終了ページ
出版者・発行元
都のまつり文化研究会

京都市文化財保護課は、昭和59~60 年度の有形の剣鉾調査で35か所180基、平成22~25年度の剣鉾行事の調査(有形も)で54か所302基の調査をおこなった。平成の調査の報告書は下記Web サイト「京都の文化遺産」で公開している。私は事務局兼調査員として主に鉾差しの芸態に注目して報告した。また、事業終了後には剣の意匠の論文を書いた(『民族藝術』31号)。
剣鉾の語は昭和47年の出雲路敬直「剣鉾考」以降に定着したが、17~18世紀半ばまで剣鉾は「祭鉾」「錺鉾」、神宝の鉾は「幸鉾」だったが、19世紀半ば以降、神宝の鉾が「祭鉾」となっていく。祭と幸がどちらも「サイ」と読むための混同だろう。やがて剣鉾は「指鉾(さしほこ)」と呼ばれる。剣鉾の特徴は、先が菱形に尖った薄い剣であり、剣鉾の初見は15世紀の「祭礼草紙」とされる。しかし、南北朝以降に見られる三鍬形の兜の前立の意匠が剣鉾とそっくりであり、職人がその意匠を剣鉾に取り入れたと考えられる。
剣鉾の差し方は、梅ケ畑が最も原初的といえる。それが省力化、効率化の方向に展開したのが東山系、回転によって直立を助ける嵯峨、石段の上り下りに対応して添柱をつけた鞍馬の4 系統が今も併存している。
[参照]https://kyoto-bunkaisan.com/report/tyousa02.html(「京都の文化遺産 剣鉾」で検索)

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