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2004年

滋賀県湖西地域の里山における今日の地域資源の連関

日本林学会大会発表データベース
  • 深町 加津枝
  • ,
  • 奥 敬一

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開始ページ
B02
終了ページ
B02
記述言語
日本語
掲載種別
DOI
10.11519/jfs.115.0.B02.0
出版者・発行元
日本森林学会

1.はじめに 地域の自然や歴史と深い関わりをもった里山の地域資源には,それぞれの里山特有の分布や利用形態があり,人々の暮らしの中で不可欠な要素として機能してきた。しかし,燃料革命や農業の機械化,都市化などによって地域資源と地域住民による生活や生業との連関が途切れ,日本の里山における伝統的なシステムは失われていった。 里山が成り立っていたシステムを再構築するためには,過去にみられた地域資源の連関をふまえ,新たな機能と意味を付加した今日的な連関を創出する必要がある。 本研究では,地域資源の連関の創出に向けた萌芽的形態としての里山利用と管理をめぐる新たな動向を明らかにし,今日の地域資源の連関の中でどのような機能と意味をもっているのか考察することを目的とする。2.対象地 調査対象は,近畿地方における都市近郊の里山である滋賀県志賀町の守山地区である。守山は琵琶湖の西岸に位置し,西側を標高1,000m前後の比良山系の山々に囲まれ,東側は琵琶湖に面した扇状地で,面積約360haである。2004年現在の戸数は約230戸である。そのうち3分の2は,主に1960年代以降,外部より移住した住民である。そして,大部分の農地や森林は,3分の1を占める旧来からの住民およびその組織により所有,管理されている。 守山の主な産業は,稲作と薪生産であり,明治後期からは石材の生産も行われてきた。1960年代になると,薪炭利用はほとんど行われなくなり,琵琶湖総合開発などを契機に耕作地や里山林の宅地化,蓬莱山の観光開発,有料道路の建設が行われ,近代化,都市化が急速に進行した。また,高標高域の共有林を中心に大規模なスギ・ヒノキの植林が行われるなど,植生分布が大きく変化した。3.研究方法 本研究では,まず主に地形図(1996年発行)と空中写真(1995年撮影)により作成された植生分布図を基本に,今日の植生および地域資源の分布の特徴を把握した。 次に,現地踏査と地域住民に対する聞き取り調査を行い,地域資源としての里山の利用状況を明らかにした。また,関連する集落組織や市民組織などに対して聞き取り調査を行い,里山の管理形態や今後の見通しなどについて把握し,今日の地域資源の連関図としてまとめた。4.結果 守山においては,地域資源の空間分布や所有形態,そして過去の利用形態などによって,今日の連関のあり方に大きな相違がみられた。 例えば,社寺林や高標高域の共有林(守山財産区)にあるミズナラ林などは,地元の氏子組織や財産区組織により管理されてきており,今日も低い頻度ではあるが間伐や年中行事に合わせた下刈りなどの管理が行われていた。 また,宅地周辺から標高400m付近までのクヌギ・アベマキなどの里山林(かつて薪などとして利用)では,移住者や外部からのメンバーを中心とする市民組織による薪や落葉の採取や,琵琶湖湖岸の消波工のための粗朶採取などの地域資源の利用がみられた。一方,アカマツ林(かつて用材や薪などとして利用)は松枯れによる壊滅的な被害を受けており,枯死したアカマツの除去に苦慮していた。 農地においては,高齢者中心に稲作が行われ,「湯掛かり」という共同組織が水田に利用する山麓からの水を管理していた。増加する放棄田では,市民組織による畑利用や,藍染用の藍の栽培などの新たな利用もみられるようになった。 里山における今日の地域資源の連関は,全体の地域資源の中ではごくわずかなものであったが,具体的な動きとして,新たな視点からの日常の地域住民の生活との連関,そして異なる地域資源間の連関がみられた。また,旧来からの集落組織の役割は一部形骸化した部分もあるものの,今日的な意義は大きく,その役割が移住者や外部の人々に広がることで,地域資源の連関がより強固になる可能性があると考えられた。

リンク情報
DOI
https://doi.org/10.11519/jfs.115.0.B02.0
CiNii Articles
http://ci.nii.ac.jp/naid/130007020171
ID情報
  • DOI : 10.11519/jfs.115.0.B02.0
  • CiNii Articles ID : 130007020171

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