講演・口頭発表等

2018年12月19日

武蔵野の影—大岡昇平『野火』という問題

日本観光研究学会研究分科会 「観光文学研究会」
  • 野田研一

記述言語
英語
会議種別
口頭発表(招待・特別)
主催者
日本観光研究学会研究分科会
開催地
立教大学新座キャンパス7号館2階会議室

一兵士による戦争・戦場体験を描いた『野火』(1952年)とは、国木田独歩『武蔵野』(1898年、明治31年)の影を背負った作品だったのではないかという仮説を検討する。明治近代以降、日本文学は武蔵野の道を歩き始めた。近代文学もしくは文学の近代化にとって不可欠の新しい道であっただけでなく、文学的自然という主題にとっても重要な道筋であった。それは何よりも自然と風景をめぐる近代文学的思考の方向性を定めたものと言ってよい。
一方、大岡昇平『野火』はいわばさまざまなる意匠を以て語られる。戦場小説、カニバリズム、絶望(と信仰)の主題化、戦争のリアリズム、等々。しかし、作家日野啓三は、その卓抜な評論「大岡昇平『野火』論─孤独の密度」、1957年初出)において、『野火』におけるさまざまなる意匠を二義的なものと斥け、『野火』の〈戦後〉性、新しさとは何かを探り、それはじつのところ古さだったのではないかという逆説的な結論を下した。日野の言う古さは文体でもあり、風景認識の型にもかかわっていた。それを大岡自身が「歩哨の眼」という言葉で語っている。『武蔵野』における「遊民」の風景から、『野火』における「歩哨」の風景への転位の一面を考えてみたい。