基本情報

学位
医学博士(福島県立医科大学)
理学修士(新潟大学)

J-GLOBAL ID
200901093949578093
researchmap会員ID
1000039057

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 若い頃(1973-1981)郡山市に3年、福島市に6年、計9年福島に住む。1982年徳島大学に転勤。以後、徳島に35年。徳島大学を停年退職後5年目、2017年から再び福島で生活。その際、本籍を新潟から福島に移す。

 幼少年期は新潟県中蒲原郡村松町(平成大合併の愚策で現在は五泉市)で唱歌「故郷」の歌詞そのものだった。小学生時代は勉学と無縁で近所の友達(とにかく子供が多かった)と野山を駆け回り、満足なグローブもバットもなかった草野球に熱中、毎日が生き生きしていた。あの頃、夢中になって遊んだ仲間との体験が人生の大きな支えになっていると実感。遊んだのは男子とばかりだった。「誰のあこがれにさまよった」、まさに『少年時代』の「夢はつまり 想い出のあとさき」。中学、高校時代になると一転して将来に対する不安と劣等感に苛まれる。モリエールのアルセストほどではないが、人間嫌いになっていた。悩みの軽減には数少ない友人の存在が大きかった。昭和41年に地元の新潟県立村松高校を卒業。

 村松町は堀藩3万国の城下町ということで陸軍の駐屯地があり、明治44年(1912年)に旧制村松中学が設置された。戦後の昭和23年(1948年)に(新制)新潟県立村松高等学校と改称。旧制中学時代を含めると110年の歴史がある。旧制中学時代には優れた人物を輩出。その一人に精神科医でゴッホの研究者としても知られ、また放浪画家山下清の才能を発掘した式場隆三郎氏がいる。

 新制高校になってから第102回芥川賞(『ネコババのいる町で』)を受賞した瀧澤(旧姓岡村)美恵子氏(昭和32年卆)がいる。2年後輩(昭和43年卆)に高畑勲や宮崎駿らスタジオジブリのアニメの作画を支えた近藤喜文氏が異才を放つ。47歳の若さで早逝。氏の画文集『ふとふり返ると』(徳間書店、1998年初版)は誰にでもあるふとした日常がスケッチされていて気持をほっこりさせられる。

 現在進学校ではない村松高校は周りの新設校からもおいてきぼりをくっているいるようだ。しかし、有名進学校から有名大学に行き今だけ自分だけの国民に苦難をもたらす政治家やそれとつるんだ官僚、いわゆる世俗的な出世しか考えられない人物(俗物)よりも市井の民として困った人のために尽力を惜しまない人や文化の発展を目指す人を育成することの方がずっと価値があると思う。そういう意味で田舎の県立高校も十分にその存在価値があるし、先生も生徒もその歴史に基づいた自信と誇りを持つべきであろう。人間の能力にはいろいろなものがある。それを偏差値で単純に差別化すること自体が愚劣としか言いようがない。

 

 徳島の山仲間7人と2018年7月中旬に尾瀬の至仏岳と燧ヶ岳、2019年7月末に月山と大朝日岳に登った。2回とも無事の下山を祝してわが家で楽しい打ち上げをやる。また昨年(2022年)は秋田駒ケ岳を同メンバーに同伴して登り、田沢湖近くの山小屋で旧交を暖めた。

 今夏(2023年)、友人と二人で飯豊山に登ることができた。最近は飯豊山を眺めるばかりで登山は半ば諦めていたが、思いがけず声がかかり50数年振りにチャレンジした。20代の学生の頃に最初に登った時と同じ山都の川入コースから入った。若い頃は初日に切り合わせ小屋まで行けたが、今回は三国小屋で一泊となった。次の日は本山まで行き切り合わせ小屋で一泊。3日目に同じコースを下山。今年の山登りはもうこれで十分という程の充足感だった。

 徳島科学史研究会会員、BioMed Research InternationalのEditorは継続中。中国人研究者の投稿論文が多いのに驚かされている。それはともかく、長年やってきたカプサイシンの仕事を本にしたいと思っているのだが、筆が進まない日々が続いている。そんな中、「私のカプサイシン研究(1)」というテーマの論文を『徳島科学史雑誌』に掲載することになった。年1回の3回に渡るシリーズで掲載。

 その他、最近はアメーバに投稿するよりFBに投稿する機会が多い。山行の記事、辛辣な政論、散歩中の花の写真などを投稿している。


委員歴

  2

論文

  59

MISC

  44

書籍等出版物

  7

講演・口頭発表等

  24

共同研究・競争的資金等の研究課題

  7