論文

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1986年11月1日

18世紀南ウクライナの植民とザポロージエ・カザーク

史林
  • 中村 仁志

69巻6号90-126頁

18世紀の南ウクライナは、社会的性格の異なる二つの地域からなっていた。一つは北部入植地で、そこではロシア政府の主導下に大規模な植民がすすめられていた。他方は、ヴォーリノスチと呼ばれる南部で、新セーチを拠点とするザポロージエ・カザークの領土であった。 ロシア政府は、18世紀をとおしてザポロージエ・カザークのヴォーリノスチを蚕食しつつ、北部入植地を拡大していった。こうした領土侵害は必然的にザポロージエ・カザークとロシア政府のあいだに紛争を引き起こすこととなる。 その際、ザポロージエ・カザークは、北部入植地の植民者たちを自分たちのもとへ呼び寄せ、それによって自陣営を強化しようとした。この人的資源のヴォーリノスチへの流入はロシア政府にとって看過できるものではなく、ついにはロシア政府をしてザポロージエ・カザークの拠点たる新セーチの廃絶に踏み切らせたのである。

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