論文

2017年9月

ギリシア系移民のセンターとしてのオークレイ - ギリシア系コミュニティの役割に着目して -

日本地理学会発表要旨集
  • 堤, 純

2017
開始ページ
100102
終了ページ
100102
記述言語
日本語
掲載種別
研究論文(研究会,シンポジウム資料等)
DOI
10.14866/ajg.2017a.0_100102
出版者・発行元
公益社団法人 日本地理学会

本発表は,大都市圏単位でみればギリシア国外で最大のギリシア系移民が暮らすといわれるオーストラリア・メルボルン大都市圏において,ギリシア系移民がとくに多いオークレイ(Oakleigh)地区に着目して,エスニックグループの心の拠り所ともいうべき地区が形成されたプロセスを検討したものである。使用したデータは,オーストラリア統計局が提供する有料のデータ加工サービス「テーブル・ビルダー」である。<br>移民が移住先において作り出すエスニックコミュニティについての既往研究の多くは,特定の集住地区の時間的変化や機能的変化の説明に大きな関心が置かれており,特定のエスニック集団による集住地区の分布や変化を,大都市圏全体の構造変容のコンテクストから解明しようと試みた研究は,管見の限り多いとは言えない状況である。そもそも,Burnleyが指摘するように,特定のエスニック集団による集住地区は大都市圏内でも就業機会の多い産業地区や,家賃水準が比較的安価なことに誘引される低所得者の多い地区に形成されることが一般的である。しかし,こうした低所得者の多い地区は,とくに欧米先進諸国においてはモータリゼーションによる大都市圏の外延的拡大が始まる以前に,いわば当時の大都市圏の外縁部に相当していた地区に形成された例が多い。こうした地区は,今日では大都市の都心部に比較的近いという利点に目を付けた投資家や開発業者の手により,建物の改築によって資産価値を高めるジェントリフィケーションも起きやすい地区でもある(藤塚など)。 本研究の対象地区であるオークレイは,メルボルンのCBDから南東に約20km郊外に位置する。オークレイ以外にも,メルボルン大都市圏内にはCBDの北部に隣接するカールトン地区,比較的高所得者が多く居住するCBDの約20km東部のドンカスター地区にもギリシア系住民の割合が高い集住地区が存在する。しかし,それらの中でも,オークレイは群を抜いて「ギリシア系移民のセンター」なイメージが高い地区であるといわれている。<br>ギリシア系移民の移住時期メルボルンにおけるギリシア系移民は,第二次世界大戦後の1945年以降に増加を始め,1970年代までに多くの移民がオーストラリアに渡った。とくに1960年代は,他の時期に比べて,ギリシア系移民の数が突出して数が多い。オーストラリアの大都市圏の中でも,メルボルン大都市圏が最も多くのギリシア系移民が暮らす場所となっている。メルボルン大都市圏に暮らすギリシア出身の移民の数は,2011年の時点で48,313人を数え,2位のシドニー(28,786人),3位のアデレード(8,991人)を大きく引き離している。<br>考察なぜ,オークレイはギリシア系移民にとってセンターになりえたのだろうか。もともとは移民が多く暮らす「貧しい郊外」だったオークレイであるが,現在では拡大するメルボルン大都市圏の市街地に周辺を取り囲まれ,いまや住宅価格をはじめとする生活コストは決して安くはない地区である。一般的には,多くのエスニックグループの集住地区は家賃価格の上昇に呼応して,低所得者はより低家賃の地区へ,一方,所得の向上したグループはエスニックの集住地区を離れて,ホスト社会の住民たちと変わらない居住地選好を示すといわれている。家賃価格が過去50年で大きく上昇したオークレイでは,一般的な例に照らせば,ジェントリフィケーションの進行によりDinksや若年の高所得層が流入することに違和感がない地区であるが,実際には依然としてギリシア系移民のセンターとして君臨しつづけている。本発表は,こうしたセンターとしての性格がどのように形成されたかについて,ギリシア正教会の役割,オークレイグラマースクール,ギリシア系日用雑貨店,ギリシア・地中海風食材店,ギリシア・地中海風カフェやレストランなどへの聞き取り調査結果をもとに報告する。

リンク情報
DOI
https://doi.org/10.14866/ajg.2017a.0_100102
CiNii Articles
http://ci.nii.ac.jp/naid/130006182699
ID情報
  • DOI : 10.14866/ajg.2017a.0_100102
  • CiNii Articles ID : 130006182699

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