ジュリー・ブロック


ジュリー・ブロック

J-GLOBALへ         更新日: 18/03/30 17:24
 
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研究者氏名
ジュリー・ブロック
 
ブロック ジュリー
通称等の別名
PEVERELLY
所属
京都工芸繊維大学
部署
工芸科学研究科/デザイン学部門
職名
教授
学位
芸術哲学博士(パリ第一大学(フランス)), 文学博士(京都大学)

プロフィール

京都工芸繊維大学教授ジュリー・ブロック、専門は芸術哲学・日本文学・比較文学・翻訳学。フランス国立科学研究機構CNRSのワークショップ「レゾ・アジ」において「東洋およびインドの詩歌をフランス語に翻訳する」(2005−2012年)という研究プロジェクトの代表を務め、その議事録を『粟の茎、鷺の脚――東洋の詩を読み訳す(上・下)』(CNRS出版、2013年)として刊行。また、京都国際高等研究所において「受容から創造性へ――日本近現代文学におけるスタンダールの場合」(2009−2011年)というプロジェクトの代表を務めた。議事録は同じ題で日仏両国で出版された。フランス語版はPeter Lang社から2011年に第一巻、2013年に第二巻、日本語版は京都国際高等研究所から2013年に出版。現在はフランス翻訳学学会(SoFT)において、「日仏翻訳学研究」というプロジェクトの代表を務めている。

研究分野

 
 

経歴

 
2010年4月
 - 
現在
京都工芸繊維大学デザイン学部門 教授
 
2007年4月
 - 
2010年3月
京都工芸繊維大学工芸学部 教授
 
1997年4月
 - 
2007年3月
京都工芸繊維大学工芸学部 助教授
 

学歴

 
2005年9月
   
 
パリ第7大学 日本語日本文明論 DEA  
 
2003年3月
   
 
パリ第7大学  日本語日本文明論 卒業 
 
1994年4月
   
 
京都大学 文学部 博士号
 
1993年4月
   
 
パリ第一大学 哲学 芸術哲学 博士号
 
1976年6月
   
 
エクサンプロバンス大学 文学部 卒業 
 

委員歴

 
2014年10月
 - 
現在
フランス翻訳学会 (SoFT)  企画委員
 
2008年9月
 - 
現在
翻訳実践・理論研究会 (SEPTET)  企画委員
 
2007年4月
 - 
2010年3月
京都国際高等研究所 企画委員
 

受賞

 
2005年9月
フランス教育功労章
 

論文

 
ジュリー・ブロック
フランス比較文学会 第39回大会報告書「交差する戦争体験と文学」   2 1-21   2018年3月   [査読有り]
戦中、フィリピンの前線にいた際、大岡昇平は『パルムの僧院』についての『スタンダールについて』の献本を受け取った。戦後、日本軍の撤退について『俘虜記』、『野火』を著したが、この二作品は「記憶喪失」という点から構成されている。『俘虜記』の中で、語り手(作者)は戦場で目の前に現れた米兵になぜ引き金を引かなかったのか、その理由を思い出すことができない。ここで、戦場において兵士が自身の力で決断を下すことのできる可能性について問いが投げかけられている。本論では、このような状況にある兵士が小説の読者、特...
翻訳、批評と創造~社会批評の手段としての日本におけるスタンダール受容(1900-1922)
ジュリー・ブロック
批評の手段としての比較文学研究   5 483-498   2017年10月   [査読有り]
日本におけるスタンダールの受容は1900年にまで遡り、現在に至るまで途切れることなく受け入れられ続けている。翻訳だけでなく数多くの評論、研究、解説、他作品における言及などでスタンダールの作品、思想への入り口が形作られている。本論では、1900年代からの日本文学において、もしくは当時の日本の社会、歴史、政治を背景に描き出されたスタンダールを紹介し、20世紀はじめに作り出された新たなスタンダール像がどのようなものだったのか明らかにする。
ジュリー・ブロック
芸術・芸術学国際誌   (1) 21-27   2017年12月   [査読有り]
安部公房の小説『他人の顔』(1964)は仮面劇であると同時に、仮面劇についての考察である。本論では、「他人の顔」としての仮面の主題がフィクションとして捉えうることは勿論のこと、同時に小説それ自体の比喩としての意味を持つと考えられることを示す。論者は、自身の読書に基づき、一般読者がいかにして批評家となるのか、またどのように創造活動への意識をもつようになるのかについて考察する。
恋の祈り―『万葉集』の和歌一首における「こふ」の二つの意味を翻訳する
ジュリー・ブロック
Des mots aux Actes, n°6, Traduire le sacré   (6) 339-351   2017年4月   [査読有り]
本論文では、枕詞「ゆうたたみ」について論じる。もともと、「ゆうたたみ」とはたたまれた木綿のことを指すが、神道においては神への捧げものとして使われている。歌に「ゆうたたみ」が用いられている場合、逢坂の山の古名「手向山」と共に使われることが多い。まず、「手向山」が都の世界、つまり洗練された世界とその外にある世界、つまり野蛮な世界との境を象徴することを示す。その上で、神道における「ゆうたたみ」が聖なる空間と俗な空間、つまり神の世界と人間の世界の境を象徴していることを明らかにする。「手向山」と「ゆ...
着物の帯を結び、解く−−恋の表現から見た萬葉歌三首の解釈と翻訳−−
ジュリー・ブロック
万葉古代学研究年報   (15) 175-183   2017年3月   [査読有り][招待有り]
 『萬葉集』より三首の和歌(①11巻第2919番歌、②10巻1921番歌、③11巻2406番歌)を採り上げ、翻訳学の観点から論じる。まず①における着物の帯紐が②における枕詞「菅の根の」同様に、恋人たちの間の絆を象徴することを示す。次いで③について、着物の下紐が解けるのは恋人に逢える前兆という俗信を裏返し、女性歌人が自ら紐を解くとする一般的解釈を取り上げる。女性の性的願望を生々しく表すこの解釈は、『萬葉集』の恋歌の慎み深さとは異質なものに感じられるため、敢えて③を①の歌い手が詠んだものである...
春の日を愛でる言葉「菅の根」 万葉集における動詞「こひわたる」と助詞−「を」の働きに関する一考察
ジュリー・ブロック
京都工芸繊維大学学術報告書   (8) 1-14   2016年3月   [査読有り]
『万葉集』においては「こひわたる(一日、春などを恋して過ごす)」、「こひくらす(恋して暮らす)」、「こひつづける」という複合動詞が頻繁に見られるが、これらは「を」に続くことが多い。しかしこの「を」が恋の対象を示すのか、それともその状況を示すのかという問いは日本語では生じえないため、フランス語に訳す場合には、こうした構造を分析する必要がある。本論ではこの種の構造を備えた歌を四つ例にとり、そのそれぞれについて、原文を三種類の現代語訳(中西進訳、小学館版の訳、、折口信夫訳)を参照しつつ吟味した。
秋風と露の涙ー『万葉集』の一首に関する風土的な考察
ジュリー・ブロック
メゾロジック   1-5   2015年11月   [査読有り][招待有り]
万葉集の歌における序詞の働きを明らかにするため、万葉集第8巻1617番歌を例に挙げる。この歌において、上の句は秋の朝を描いており、下の句は別れの悲しさを歌っている。そして間の句、つまり繋ぎことばは風が吹いているという意味を伝えている。ここで、下の句の「涙」と上の句の「秋」という言葉の繋がりが二つあることを示す。一つは、文法上の繋がりであり、「涙」と「露」両方にかかる動詞「落つる」によって形成されるものである。もう一つは比喩的な繋がりであり、「秋」のもつ意味の二重性から生じるものである。すな...
和歌における枕詞の働き―『万葉集』の三つの和歌について
ジュリー・ブロック
芸術のかたちと受容の質—「生の作用」について   171-189   2015年10月   [査読有り][招待有り]
 本論は枕詞「あしひき」「うちひさす」「しきたへ」を含む詩を翻訳する際、これらのニュアンスをどのようにフランス語で伝えることができるかということについての分析と考察である。また、実際に可能なかぎり忠実な翻訳を試みるために、賀茂真淵の『冠辞考』を参照した。しかしながら、意味の再構成だけが、枕詞の意味合いを見定める目的ではない。この作業で浮彫りになるのは、枕詞を介して、修飾-被修飾の語句と詩の主体との間にはどのような結びつきが築かれているのかという問題である。本論は次の三点を明らかにする。まず...
大岡昇平による 「内なる子ども」としてのジュリアンとファブリス
ジュリー・ブロック
2014年度国際シンポジウム「私たちはフランスの文明から何を学んだか」実施報告書   18-26   2015年3月   [査読有り]
スタンダールと大岡昇平を近づけたひとつは、彼等の「政治参加主義」のみならず、登場人物が独自に歩むべき道を選択するのに際して優位に立つ「内なる子ども」(ユングの言葉)の働き、そして、その「内なる子ども」が人生において発揮する、活発さ、自発性、簡素さや自然さといった性質について、両者の間にあった深い了解ではないか。この点について本稿で論じた。
ジュリー・ブロック
翻訳を通して何を伝えるべきか   250-256   2014年   [査読有り]
本論は『万葉集』から一首(中西進訳)、『記紀歌謡』から一首(次田真幸訳)をとりあげてそれぞれの現代語訳を言語の美的はたらきという視点から吟味する。誠実な翻訳者は原文が詠おうとしているものをまず見定め、翻訳を通してそれを追体験するよう努めるべきだということである。しかしながら、その原文のねらいは、実際には個別の読書においてしか現れない。その際、詩の読者である翻訳者は自身の内部に起こった現象を意識化する必要があり、そのための内省的な分析の方法を確立するべきである。本論文はその試みである。
『武蔵野夫人』にかんする日本での批評についてー大岡昇平の小説創造における混淆的な恋愛観(仏語)
ジュリー・ブロック
複数の日本:フランスにおける日本研究会 第9回学会報告   167-174   2014年   [査読有り]
大岡昇平の『武蔵野夫人』は雑誌『群像』において1950年1月から9月までの九回にわたって連載された。同誌は早くもその9月号において福田恆存による論評を、11月には中村光夫、本田秋五、三島由紀夫による「創作合評」を掲載していた。本論は『武蔵野夫人』のもつ価値を抽出すべく、後者の議論から主要な論点を整理することとした。その成果をもとに同作についての近年の動向に目を向けつつ、『武蔵野夫人』がいかなる点において今日傑作とみなされているかを明らかにした。
「朧」の修辞 ―『万葉集』三首における「おほほしく」の例(仏語)
ジュリー・ブロック
Des mots aux Actes n°5、La rhétorique à l'épreuve de la traduction、Revue SEPTET   192-206   2013年9月   [査読有り]
本論文は、『万葉集』から三首をとりあげて「おほほしく」のはたらきを吟味し、「おぼろ」なヴィジョンを生みだす一種の「とばり」の象徴性を抽出することを目指す。逢瀬を思わせるのと同じ言語の生地に織り込まれたこの「とばり」は、これら三首において、情事を奔放に喚起しつつも、比喩という間接照明のもとで、慎み深さをまもるための担保として機能している。恋愛の普遍的真実が「おほほしく」という語の響きを貫いているが、しかしまさにこの響きが同時に、意味論的観点からは、ぼんやりとした現実、もやのかかった感覚をあら...
『万葉集』における『孤悲』の表現――そのフランス語訳についての一考察」(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す(第二巻)   2 41-54   2013年6月   [査読有り]
本発表では「孤悲」の語を含む和歌二首を取り上げ、「孤独」と「悲しみ」を意味する漢字二字からなるこの古語をどのように解釈すべきか、またそれをどのようにフランス語に訳すべきかについて論じる。日本の現代語訳のなかには、この語を「苦しみ」に置き換える例が見られるが、音声の上で「恋(こひ)」と同じ響きをもつ「孤悲」は苦しみに限られるどころか、反対に「喜び」を伴うものであることを実例に即して明らかにする。主な分析対象として「踏み平す」の表現に着目し、「平す」は「鳴らす」に通じることから、悲しみのなかに...
万葉集における恋愛の比喩表現ー『相見る』を例に(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す(第二巻)   2 119-134   2013年6月   [査読有り]
本研究においては、「こひ」と「相見る」とを合わせて万葉集の一つの歌を見通す。当時「見る」には、「契りを結ぶ」という意味もあったため、「相見る」という表現には、そのように強い官能的色彩が添えられており、翻訳においてはそれを表現するべきである。つまり、「こひ」(孤独と悲しみ)という言葉の意味を、「相見る」という言葉によってもたらされたこうした色彩と関連づけつつ、明確にした。「こひ」を翻訳する際には恋の「苦しみ」の逆説的な意味も表現すべきであることを示した。
和歌の『巧みな表現』ー万葉集のある和歌における同音異義語のはたらきを例に(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す(第二巻)   2 269-278   2013年6月   [査読有り]
本発表で検証される和歌は、同音異義語のはたらきの例を含んでいる。「二重化した光」というディドロ的イメージを運用し、2つの異なる意味を含む言葉によって描き出される現実の2つの側面を明るみに出した。これら2つの光が1つの図を規定すると仮定し、本来の意味で詩的な世界の次元が、2つの意味が出会う焦点において生みだされることを示す。そこでは、和歌の全体像は、その住処であり焦点でもある影のなかにうずくまっている、ある愛される対象の存在において明らかにされる。
着物の紐を結ぶことと解くこと―万葉集の2つの和歌の分析と翻訳、およびある恋の歌をめぐる『比喩的夢想』(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す(第二巻)   2 357-370   2013年6月   [査読有り]
本発表において、恋に関する語彙の表現を含む2つの和歌の分析と翻訳を提唱した。一つ目の和歌においては、「ただにあう」という表現が見出され、恋人たちが結び合わされるときには、着物の紐が当然解かれるものである。2つ目の和歌においては、「ひもときあけて」という表現が見出される。ここでは、その紐は、この和歌の前半においては、やはり素早く解かれるのだが、それは終わりなき恋の領域を開くような仕種によってである。上記二つの歌を吟味した上でフランス語への翻訳を試みた。
安部公房の詩の文体についての分析、その翻訳についての考察(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す   1 99-110   2013年6月   [査読有り]
安部公房の詩作品を訳し終えた筆者は、筆者による訳と、想像上の翻訳者によるものとをを原文に照らして比較分析する。そのことで、この想像上の翻訳者による訳は修辞的な紋切り型と、「詩らしいもの」というありふれたイメージによりかかっていることを示す。こうして明らかになるのは、この種の翻訳、とくに「詩らしく」することをめざす翻訳が、原文が生むのと同じ作用を読者にもたらすかという点でまったくあてにならないということである。
東沼周曮(1391-1462)の漢詩一首をめぐって――中国的形式に「接ぎ木された」日本的美学――(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す   1 141-176   2013年6月   [査読有り]
本論は鎌倉末期から室町時代にかけて禅宗の僧たちによって詠まれた漢文の詩作品、いわゆる五山の詩を対象とし、中国語による文学創造が日本的美学のなかに適用されていくさまを辿ることを目的とする。とくに東沼周嚴の詩作品の分析を通じてこの過程に眼を向けるとともに、バシュラールの「接ぎ木」概念を援用することによって、中国語の詩の形式が、日本の伝統的美学という土壌を見出すことによって独自の様相のもとに繁茂してゆくさまを描き出す。
春の日を愛でる言葉『菅の根』万葉集における動詞『こひわたる』と助詞『を』の働きに関する一考察(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す(第二巻)   2 407-424   2013年6月   [査読有り]
『万葉集』においては「こひわたる(一日、春などを恋して過ごす)」、「こひくらす(恋して暮らす)」、「こひつづける」という複合動詞が頻繁に見られるが、これらは「を」に続くことが多い。しかしこの「を」が恋の対象を示すのか、それともその状況を示すのかという問いは日本語では生じえないため、フランス語に訳す場合には、こうした構造を分析する必要がある。本論ではこの種の構造を備えた歌を四つ例にとり、そのそれぞれについて、原文を三種類の現代語訳(中西進訳、小学館版の訳、、折口信夫訳)を参照しつつ吟味した。
私の心の小さな部屋:『万葉集』の2つの歌における修辞のはたらき(仏語)
ジュリー・ブロック
心の底の比喩、現用語の国際議会   (55) 19-34   2013年5月   [査読有り]
本論は、『万葉集』の、鏡王女の作になる第93番及び藤原鎌足の第94番の恋歌を分析した上で、中西進、小学館版、折口信夫による現代語訳を吟味する。折口の場合、鎌足の返歌を解釈するために、鏡王女の歌に色をつけているのがみられる。本論は、この20世紀の翻訳者が、8世紀の歌人の作品に加えた「色」とは、儒教的な道徳観であることを明らかにした。

Misc

 
概要(第2巻 第4部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 2   2(4) 317-326   2013年7月
第四部は「倣う/置き換える」、「訳す/移し換える」と題する二章からなる。第一章では、「ブラカタ」(十一世紀以来、テルグ語で書かれた物語)をめぐり、古典詩がいかに現代詩を豊かにしうるか、また現代詩はいかに古典的な規範を遵守しつつ、それを刷新しうるかという問いに答えようとする。第二章では、王妃とサツマイモ売りの恋物語をうたった六世紀の新羅の詩を扱う。この恋物語における身分差の超越によって、革命がもたらされることになるが、翻訳が単に「訳す」のではなく「移し換える」行為となるためには、訳者は詩の疑...
総括(第2巻 第3部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 2   2(3) 307-309   2013年7月
ここでは、自然科学と人文科学を区別する客観性と主観性の問題を扱う。マルク=マチュー・ミュンシュは、作者、作品、読者という「芸術における三項の相互作用」について述べた後、文学現象を総合的に捉えるために有用な六つの不変項を指摘している。彼によれば、言語、ジャンル、審美観、文体、主題、形式、機能などがいかに多様なものであれ、それらの不変項は世界中の文学に見出される。
概要(第2巻 第3部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 2   2(3) 243-255   2013年7月
第三部は「意味論的形体の理論」と「生の作用理論」の二章からなり、言語学者ピエール・カディオと比較文学者マルク・マチュー=ミュンシュが各々の理論を紹介した後、別の論者がそれらを応用する。日本文学の専門家ジュリー・ブロックは、ディドロが『盲人書簡』のなかで用いた「巧みな表現」を借りて、『万葉集』の歌一首における枕詞と掛詞について論じ、ペルシア文学の専門家シャルル=アンリ・ド・フシェクールはハーフェズの詩を紹介した後、翻訳論を展開する。一連の議論から、詩の魅力を伝えるためには知識や教養だけでなく...
総括(第2巻 第2部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 2   2(2) 203-234   2013年7月
この第二部では、アジアとインドの詩にどのような共通点があるかを示すことを目的とする。そのために、マルク=マチュー・ミュンシュの文学理論「生の作用」が示す五つの項目、つまり「一貫性」「意味の多義性」「開かれ」「戯れ」「材料とその形」といった観点から考察する。
概要(第2巻 第2部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 2   2(2) 99-107   2013年7月
本書第二部は三章構成である。第一章では、中国における詩の二つの形式、歌われた詩と定型詩双方における翻訳作法を問題とする。第二章では、対象となる言語はカンナダ語、サンスクリット語、アワディー語、ウルドゥー語であるが、言語の相違に関わらず、インド文学が人間の愛と神の愛が混合した一つの文化を起源としていることを示す。第三章は、翻訳作業を「光」と「陰」の比喩を用いて考察する。
総括(第2巻 第1部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 2   2(1) 75-90   2013年7月
「翻訳」の根本とは、相互理解のために、自分の考える事と表現する事を一致させることである。ここ数年アカデミックな主題としてしばし論じられた「翻訳の不可能性」が意味をなさない。また翻訳の理論化は専ら意味の探求に限定されるものではない。詩作の目指しているものは、言葉によって「いま・ここ」に誰かがいることを表すことであろう。それならば、翻訳として主観的内容を抽象化することは、相応しいことではない。翻訳家は原文の意味よりむしろ詩に現れた存在、つまり「いま・ここ」に詠われる主体を伝えるべきである。
概要(第2巻 第1部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 2   2(1) 33-37   2013年7月
どのような方法で翻訳家は「詩」を再構成することができるか? 詩を翻訳する時に翻訳という作業はいかなる前提に基づいているか? 詩人や読者、翻訳者の感じることと詩の意味との間に関連性は存在するのか?もしこのような関連性が存在するのであれば、それはどの程度まで分析の対象として考えることができるか?こういった問題が本書第一部の主題である。一方で客観的分析を行いながら、他方で詩が読者に与える主観性を念頭に置くといった、詩の翻訳者が直面する矛盾が問われることになる。
序文(第2巻)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 2   19-24   2013年7月
本研究の目的は、研究対象とした諸言語の多様性を「詩」という一つのジャンルに結びつけるための要点を見出すことである。第一巻の研究成果から、この要点は、詩人の体験と読者の共感の接点に見出される。それはまたとりわけ読者が自身の内奥で、詩に表現されていない部分を自ら「翻訳」したいと感じるその欲求に見出される。そこでは、翻訳者は、詩を翻訳する、つまり翻訳を通して詩の魅力を読者に伝えるためには、まず原詩が翻訳者自身にどのような作用を及ぼすかを知らなければならない。本書ではこの問題を扱う。
駒木敏の研究論文「『万葉集』相聞歌の一位相――相手を「人」と呼ぶ歌の分布を通して」の翻訳と脚注(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 2   2 425-432   2013年7月
駒木敏氏は、『万葉集』において相手を「人」と呼ぶ歌の最初の例が奈良時代に見られることを踏まえ、相聞歌において相手を「人」と呼ぶことの意味について論じる。『万葉集』では「汝」のほかに、親密な間柄を示す「妹」と「背」、相手の社会的地位を踏まえて用いられる「君」「子」、さらに相手をより抽象的、客観的に呼ぶ「人」の用法がある。さらに「人」という呼称にはどのような修飾語がついているかという点に着目し、⑴思う相手を一般的に指す場合、⑵恋愛の初期の相手を指す場合、⑶片思の相手を指す場合の三つの型にまとめ...
概要(第2巻 第2部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す   1 131-132   2013年6月
アジア文化の根幹を見出す事が第二部の目的である。第一に歴史的観点から、ヴェトナム、韓国及び日本の文化は中国の漢字を自国語の文章表現に充てた点で共通している事を示す。第二に、比較文学的観点から、上述のそれぞれの文化がいかに他文化と異なるか、また中国文化と一線を画す独自な文化を築いたかを示す。
総括(第1巻 第3部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 1   1 295-302   2013年6月
総括では、カンナダ語、マラヤラム語、タムール語で書かれた詩についての発表をまとめる。カンナダ語とマラヤラム語の詩において、発表の折、歌と舞踏のパフォーマンスが披露され、詩を朗読する読み手は、詩に書かれていない部分を「翻訳する」ために自らの身体を用いるということが示された。第三のタムール語の詩は三世紀の作であり、「場所の混同」(詩に詠まれる場所を特定せず、その場所と結びつく感情を示す)という修辞技法が用いられている。詩人はこの手法によって、粟の茎という比喩の「ぼかし」を見せた次の瞬間、鷺の脚...
概要(第1巻 第3部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 1   1 193-194   2013年6月
第二部では、これまでに検討したアジア各国における言語的かつ文化的な影響関係という問題をインドにおいて考察することにより視野を広げる。この第二部は次のように構成されている。第一章では古代インド文学についての紹介、第二章ではインド・アーリア語族の諸言語で書かれた詩の研究、第三章ではドラヴィダ語族の諸言語で書かれた詩の研究を展開する。各章は人文科学の専門家による総括を伴う。研究対象とする詩は十八世紀以前のものであり、共通主題は恋である。
序文(第1巻)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 1   1 17-20   2013年6月
本論は『東洋の詩を読む、訳す(上・下)』(CNRS出版、2013)の第一巻序文であり、Réseau Asieにおける同名のプロジェクト(2005-2007)の内容をまとめたものである。第一部は東洋言語に、第二部はインド諸語に焦点を当て、各言語における詩の構成や翻訳に関する問題系を探り、さらに隣接する言語間に共通の問題系の有無を検討する。これらを通して、東洋言語やインド諸語の解釈や翻訳に特有の問題系が在るのかを明らかにする。
総括(第1巻 第1部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 1   1 125-127   2013年6月
第一部では、翻訳不可能なものという問題を提起しつつ、「詩歌を詩歌として」翻訳するために必要な条件、またアジア各国語の翻訳に関わる困難を明らかにする。要点は以下の二点である。第一に、翻訳者は詩人の声に自らの声を合わせ、原詩のなかの翻訳不可能なものを補わなければならない。第二に、翻訳の困難は、たいていの場合、アジア各国の言語であれ西欧諸言語であれ、変わりがない。従って、アジア各国の言語および詩歌の体系を西欧の言語および思考の体系に照らして考察するという比較研究の方法論を用いるのが相応しい。
概要(第1巻 第1部)(仏語)
ジュリー・ブロック
アワの茎、鷺の脚―東洋の詩を読み、訳す 1   1 29-33   2013年6月
本論は『東洋の詩を読む、訳す』の第一巻第一部の導入であり、これはRéseau Asieにおける同名のプロジェクト(2005-2007)の第一回研究会「詩における翻訳不可能なもの」に基づいたものである。ここでは韓国、中国、日本、ベトナム各国の詩的芸術の相違点を明らかにした上で、いかに詩を翻訳するかが中心的な課題となる。この問いに対して具体例を踏まえつつ、詩を詩として翻訳するためにはどのような工夫が可能であるかが考察される。
プロジェクト概要
ジュリー・ブロック
受容から創造性へー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   2(1202) 9-14   2013年3月   [依頼有り]
本論は2009年から2011年の三年にわたって、国際高等研究所の研究プロジェクト「受容から創造性へ−近現代日本文学におけるスタンダールの場合」の概要紹介である。この共同研究は、19世紀末から今日までの日本文学を対象に、外国文学の影響の足跡をたどることを目指したものである。とはいえ、研究の目的は、単に外国文学の影響の目録を作ることではなく、翻訳者、批評家、作家、さらに文学編集者が、日本の読者として、外国作家の思想を"翻訳"したり、その言葉を脚色したりする際に用いる道具立てとはどのようなものか...
第六章 総括
ジュリー・ブロック
受容から創造性へー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   2 377-382   2013年3月   [依頼有り]
本テキストは、国際高等研究所における研究プロジェクト「受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合」(ジュリー・ブロック主宰)の第六回の総括である。「芸術学としての文学研究のために」を主題として、2010年12月2-4日に行われた。ピーター・ラング社から出版された報告書にその諸発表が収録されている本研究会は、三つの部分から成り、それぞれ「批評家と編集者の視点」、「読書家、音楽と絵画の愛好者スタンダール」、「小林と三島 ”主観的”批評」をそれぞれ主題としている。15名ほどの人文...
第六章 序文
ジュリー・ブロック
受容から創造性へー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   2 243-265   2013年3月   [依頼有り]
本テキストは、国際高等研究所における研究プロジェクト「受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合」(ジュリー・ブロック主宰)の第六回研究会(2010年12月2-4日、於国際高等研究所)の内容の序文である。本章は、三部から成る。第一部は「批評家と編集者の視点」、第二部は「読書家、音楽と絵画の愛好者スタンダール」、第三部は「小林と三島 “主観的”批評」をそれぞれ主題としている。本序文は、これらそれぞれに含まれる発表を紹介する。
第五章 コメントと総括 二重の光
ジュリー・ブロック
受容から創造性へー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   2 217-236   2013年3月   [依頼有り]
本テキストは、国際高等研究所研究プロジェクト「受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合」(ジュリー・ブロック主宰)の第五回(2010年11月12-13日)の総括である。今期の研究会は、ディドロの『盲人書簡』に見出される二重の光のもとにおくことができる。「[うまい表現では]あるひとつの感覚、例えば触覚に固有の表現であり、同時にまた別の感覚、例えば視覚にとっては比喩的な表現なのである。そしてそこから、話しかける相手のための二重の光が結果として生じる。つまりその光とは、真実かつ...
第五章 序文
ジュリー・ブロック
受容から創造性へー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   2 145-151   2013年3月   [依頼有り]
本テキストは、国際高等研究所研究プロジェクト「受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合」(ジュリー・ブロック主宰)の第五回(2010年11月12-13日)の序文である。本書は二部から成る。第一部は、マイケル・ジャコブ「スタンダールからスタンダールへ:『赤と黒』のドイツ語翻訳にあたっての問題点」、杉本圭子「翻訳の際の校訂版の活用について:『赤と黒』を例に」、小野潮「シャトーブリアンを日本語に翻訳する」を収録する。第二部は、ティエリ・マレ「二十年を経て『武蔵野夫人』の翻訳を再...
第四章 コメント―文学批評の根本にある人間的つながり―
ジュリー・ブロック
受容から創造性へー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   2 113-134   2013年3月   [依頼有り]
本テキストは、国際高等研究所研究プロジェクト「受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合」(ジュリー・ブロック主宰)の第四回(2010年7月2-3日)にて発表したコメントである。「近代的」小説構成を西洋に負った日本の作家たちが示す傾向について論じた。上田敏はスタンダールによって小説の受動的な主人公をみずからの人生を切り開いていく人間へと変容させることができた。大岡昇平の場合、主人公に基本的性格を与える際にヴェルレーヌが決定的な役割を果した。両者とも、行動的な人物を作りだす際...
第四章 総括
ジュリー・ブロック
受容から創造性へー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   2 109-112   2013年3月   [依頼有り]
本テキストは、国際高等研究における研究プロジェクト「受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合」(ジュリー・ブロック主宰)の第四回研究会の総括である。「翻訳作品における生の作用」をテーマとして、2010年7月2-3日に行われた。20名程度の多分野にわたる日仏の専門家―日本文学、フランス文学、比較文学、哲学、神学、翻訳者、編集者、映像作家―が参加した。初日は大岡昇平と上田敏の作品を、二日目はドストイエフスキー、スタンダール、バルザックの作品を検討した。討論を通じて、文学の翻訳...
第四章 序文
ジュリー・ブロック
受容から創造性へー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   2 27-36   2013年3月   [依頼有り]
本テキストは、『受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合』第四巻の序文である。「翻訳作品における生の作用」と題された本書は、二部から成る。第一部はマルク=マチュー・ミュンシュ「大岡昇平『野火』における生の作用」、ジュリー・ブロック「『野火』の創作におけるヴェルレーヌの作用」、小川紘子「上田敏の小説『うづまき』におけるスタンダールの作用」の三つの論考を収録する。第二部は清水孝純「ドストイエフスキーの作品の翻訳における「生の作用」の働き」、松村博史「生の交差点としての『ベール...
作家安部公房への交差する眼差し 安部ねり『安部公房伝』書評
ジュリー・ブロック
   2012年11月   [依頼有り]
本論は安部公房の娘である安部ねり氏が2011年に刊行した父の伝記『安部公房伝』(新潮社)を論評する。まず前半が本来の意味の伝記にあてられ、後半がさまざまな人へのインタビューからなるという本書の構成に目を向ける。伝記の部分は父が娘に残した思い出というプリズムを通して作家の生涯を語るという独創性を持ちながら、そこに作家安部公房を知る人々の証言が重ねられるというポリフォニックな響きを持つ。さらに作家の妻が果たした役割、初期の詩集から小説家の誕生へ、そして人間科学をめぐる父と娘の見解の違いなどに焦...
序論
ジュリー・ブロック
加藤周一における「時間と空間」   13-36   2012年6月   [依頼有り]
この文章はレゾ・アジ(フランス国立科学研究機構 CNRS/IMASIE)の主催で2009年12月12日にパリ日本文化会館で開かれた国際シンポジウム『加藤周一、あるいは多様性の考察』の議事録につけられた序文である。石田英敬、大貫恵美子、ピエール・ケー、モーリス・ゴドリエ、桜井均、オーギュスタン・ベルク、エドガール・モラン、渡邊守章といった著名人が名を連ね、加藤周一の作品と思想について語った。ジュリー・ブロックとセシル坂井が二つのセッションの司会をそれぞれ務めた。この序文では、参加者たちを紹介...
作家、芸術家、芸術思想家としての安部公房 『安部公房全集』第三十巻(最終巻)刊行に際して
ジュリー・ブロック
京都工芸繊維大学学術報告書 第5巻   (5) 1-5   2012年6月   [依頼有り]
本論は2009年に出版が完了した『安部公房全集』(新潮社)のもつ意義を提示するものである。この全集には近年発見されたばかりの作家の書簡や、初公開となる対談録や創作ノートが新たに収録されているほか、 全ての作品・資料が目録化されており、様々な方向からの参照に耐えうるよう綿密に編集されている。さらに制作者たちは安部公房ならではの実験性・遊び心を取り込むことも忘れていない。例えば近藤一弥氏による装丁は視覚的なものに対する作家の愛を見事に表現しているし、実子の安部ねり氏による伝記は作家の実生活での...
スタンダアル(1783−1842)
ジュリー・ブロック
日本より   174-184   2012年3月   [依頼有り]
本論考では、1936年雑誌『世界文学』に掲載された大岡昇平のスタンダール研究を翻訳紹介する。その学識と総合的知性を証する大岡のスタンダール論は当時27歳の著者が採用した視点によって素晴らしいものになっている。それは「政治的好奇心」という視点であり、『エゴチスムの回想』の冒頭でスタンダールはそれこそ彼に自殺を思いとどまらせたものだと述べている。大岡昇平はこれを端緒として考えはじめ、初期論考にすでに窺われるその考察は1988年で亡くなるまで続くことになる。
序文
ジュリー・ブロック
加藤周一、或いは文化多様性についての考察   11-26   2012年1月   [依頼有り]
この文章はレゾ・アジ(フランス国立科学研究機構 CNRS/IMASIE)の主催で2009年12月12日にパリ日本文化会館で開かれた国際シンポジウム『加藤周一、あるいは多様性の考察』の議事録につけられた序文である。石田英敬、大貫恵美子、ピエール・ケー、モーリス・ゴドリエ、桜井均、オーギュスタン・ベルク、エドガール・モラン、渡邊守章といった著名人が名を連ね、加藤周一の作品と思想について語った。ジュリー・ブロックとセシル坂井が二つのセッションの司会をそれぞれ務めた。この序文では、参加者たちを紹介...
第3部 総括
ジュリー・ブロック
受容と創造性ー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   1 311-332   2011年9月   [依頼有り]
本テキストは、国際高等研究所の研究会「受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合」(ジュリー・ブロック主宰)の第三回(2010年3月)の総括である。第一部「戦争と恋愛の作家大岡昇平」では、まず星野紘一郎(岩波書店『大岡昇平集』の編集者)が、歴史的真実にも人間的真実にも取り憑かれた大岡昇平の二面性について論じた。中川久定は、『レイテ戦記』は戦死者の言葉を再構築する、生き残った兵士の試みだとし、さらにここには物語とドキュメンタリーの技術が共存し、人間的観点と歴史的観点がつながっ...
第3部 序文
ジュリー・ブロック
受容と創造性ー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   1 229-235   2011年9月   [依頼有り]
本テキストは、『受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合』第三巻の序文である。「大岡昇平とスタンダール」と題された本書は次の二部から成る。第一部では、まず岩波書店の編集者星野紘一郎が大岡作品の編集にまつわる刺激的な思い出を語った。次に花崎育代が、大岡が『武蔵野夫人』執筆以前に読み、編集し、または翻訳した様々な文章の関係を明らかにした。ジュリー・ブロックは、1951年の発表から今日までの日本における『野火』の受容について概観した。NHKドキュメンタリー「死者たちの声」の作者...
第2部 コメント
ジュリー・ブロック
受容と創造性ー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   1 167-173   2011年9月   [依頼有り]
本テキストは、国際高等研究所の研究会「受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合」(ジュリー・ブロック主宰)の第二回(2009年11月)の初日に発表したコメントである。まず西川長夫の発表に関して、〈小説の読者〉に、いかなる地位を与えるかを問うた。大岡昇平はこれに二段構えの応答をしている。彼には創作の度合いが強い作品がある一方、厳密な批評文もあるのだ。また織田作之助は1946年に雑誌『世界文学』に発表した「ジュリアン・ソレル」という論文で、『赤と黒』の「新たな衝撃」について語...
第2部 序文
ジュリー・ブロック
受容と創造性ー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   1 127-130   2011年9月   [依頼有り]
本テキストは、『受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合』第二巻の序文である。「〈私〉はいかにスタンダールを読んできたか」と題された本書は次の二部から成る。第一部は、個人レベルと集団レベルという二つの水準におけるスタンダール受容を主題としている。始めに、西川長夫は「〈私〉はいかにスタンダールを読んできたか」と題して、読者としての〈私〉の地位について問いを投げかけた。続いてジュリー・ブロックと中川久定が、それぞれ大岡昇平と織田作之助について発表した。第二部は、スタンダール研...
第1部 総括
ジュリー・ブロック
受容と創造性ー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   1 99-109   2011年9月   [依頼有り]
本テキストは、国際高等研究所における研究会「受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合」(ジュリー・ブロック主宰)の第一回研究会(2009年5月、於国際高等研究所)の総括である。日本文学、仏文学、比較文学、文学理論などの研究者だけでなく、哲学者、神学者、翻訳家、編集者など多岐にわたる専門家約20名が参加した。初日には、それぞれフィリップ・ベルティエが世界におけるスタンダール受容について、ジュリー・ブロックが大岡昇平に沿って近現代日本に関して、さらに野崎歓が今日の日本社会での...
第1部 序文
ジュリー・ブロック
受容と創造性ー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   1 21-22   2011年9月   [依頼有り]
本テキストは、『受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合』第一巻の序文である。「日本におけるスタンダール効果」と題された本書は、二部から成り立っている。第一部は、「日本と世界におけるスタンダール効果」と題されており、フィリップ・ベルティエ「越境するスタンダール」、ジュリー・ブロック「大岡昇平『日本のスタンダール』にみるスタンダール受容史の主題系」、野崎歓「スタンダール翻訳の現在」という三つの報告を収録している。これらの報告をつなぐ意図を明らかにするために、各発表の要約をし...
研究概要
ジュリー・ブロック
受容と創造性ー日本近現代文学におけるスタンダールの場合   1 11-13   2011年9月   [依頼有り]
本テキストは、2009年から2011年の三年にわたって、ジュリー・ブロックが主宰した国際高等研究所における研究プロジェクト「受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合」の概要紹介である。タイトルに示されているように、この共同研究は、19世紀末から今日までの日本文学全体を対象に、外国文学の影響の足跡をたどることを目指したものである。とはいえ、研究の目的は、単に外国文学の影響の目録を作ることではなく、翻訳者、批評家、作家、さらに文学編集者が、日本の読者として、外国作家の思想を"...
作家、芸術家、芸術思想家としての安部公房 『安部公房全集』第三十巻(最終巻)刊行に際しての総括と展望
ジュリー・ブロック
(43) 181-186   2010年8月   [依頼有り]
本論は2009年に出版が完了した『安部公房全集』(新潮社)のもつ意義を提示するものである。この全集には近年発見されたばかりの作家の書簡や、初公開となる対談録や創作ノートが新たに収録されているほか、 全ての作品・資料が目録化されており、様々な方向からの参照に耐えうるよう綿密に編集されている。さらに制作者たちは安部公房ならではの実験性・遊び心を取り込むことも忘れていない。例えば近藤一弥による装丁は視覚的なものに対する作家の愛を見事に表現しているし、実子の阿部ねり氏による伝記は作家の実生活での様...
加藤周一 知的歩みを振り返って
ジュリー・ブロック
冥誕 加藤周一 追悼   137-149   2009年12月   [依頼有り]
2009年6月に収録されたドキュメンタリー『加藤周一を語る』(瀬戸桃子監督、レゾ・アジ制作)に収録された講演をもとにした論文。このドキュメンタリーはパリの国際シンポジウム『加藤周一、あるいは多様性の思考』において上映され、文章に起こされて議事録に収められた。この論文は加藤周一の業績のうちの主要な四つを現代的視点から捉えなおしたものである。すなわち、①平凡社の『世界大百科事典』(1971〜1988)編纂者としての業績、②朝日新聞「夕陽妄語」を執筆(1983〜2008)したジャーナリスト的業績...
Monsieur Katôに敬意と感謝
ジュリー・ブロック
私にとっての加藤周一   19-21   2009年12月   [依頼有り]
ある日加藤氏が「加藤先生」よりも「ムッシュー加藤」と呼ばれるほうがよいと述べたことを想起し、その理由は何かを問う。ミシェル・フーコーは「全体と特殊:政治的理性批判に向けて」(デバ誌、1980年)において、統治者や政治家や哲学者などが最大多数の幸福を目指すのに対し、医者や教師などは各自の幸福を重視すると述べている。医学の素養ある加藤は後者にあたる。現実の事象を分析し、それを既知の体系と照し合せ、その結果なされる判断に基づいて行動する。日本語の「先生」が教師に対する学生の敬意を表すのに対し、フ...
知的歩みを振り返って
ジュリー・ブロック
加藤周一を語る - 瀬戸桃子監督3つのビデオ映画      2009年9月   [依頼有り]
2009年6月に収録されたドキュメンタリー『加藤周一を語る』(瀬戸桃子監督、レゾ・アジ制作)に収録された講演をもとにした論文。このドキュメンタリーはパリの国際シンポジウム『加藤周一、あるいは多様性の思考』において上映され、文章に起こされて議事録に収められた。この論文は加藤周一の業績のうちの主要な四つを現代的視点から捉えなおしたものである。すなわち、①平凡社の『世界大百科事典』(1971〜1988)編纂者としての業績、②朝日新聞「夕陽妄語」を執筆(1983〜2008)したジャーナリスト的業績...
安部公房の最後の変貌
ジュリー・ブロック
Mimi   (29) 1-1   2009年6月   [依頼有り]
2009年に第30巻が出されて完結した『安部公房全集』(新潮社)について論じる。近藤一弥氏の手になよる装幀は、作品を概念的なイメージに基づいて構成する安部公房にふさわしく、とりわけ『箱男』や『他人の顔』などの作品とのつながりを感じさせる。またこの全集の第1巻にはこれまで容易に読めなかった初期の詩作品が収録されているのが注目に値する。それらは作家安部公房の誕生と彼の小説作品に光を当てるものである。また最終巻の第30巻は今後の研究に必要不可欠な資料を収録するとともに、作家の娘である安部ねり氏に...
序文(仏語)
ジュリー・ブロック
RESEAU ASIE-詩の翻訳の比較研究   5-8   2007年9月   [依頼有り]
本論文は、「詩の翻訳できない部分」を主題としたレゾ・アジ(フランス国立科学研究機構CNRS)の大会議(2005.9)で新たに浮上した議題「詩の翻訳の比較研究」を主題とした研究会(2006.6)の報告書である。第一部では、アジアの言語間で翻訳された詩の原文と翻訳とを、中国語と韓国語、中国語と日本語、中国語とベトナム語の場合について比較研究し、さらに題材とした各アジア語の詩を、各研究担当者が仏語訳することにより、第三の視点からアジア語の原文とそのアジア語による翻訳とを見比べる試みをした。第二部...
アトリエ37 詩の翻訳不可能な部分 − まとめと解説 −(仏語)
ジュリー・ブロック
第2回アジアネットワーク大会議報告   169-173   2006年8月   [依頼有り]
このワークショップはアジアの詩の翻訳者である8人の発表者と、西洋の言語で書かれた詩の翻訳者である司会者からなる。日本、中国、ベトナムの古典詩、インドの民族詩、また中国、韓国、日本の現代詩において、文化と文化の間にある問題が、研究の主題となる。それは、アジアの言語が互いに反映しあい、同時に西洋言語を鏡として反映されもするという意味で、二重に意義深い。司会者の比較文学研究者の視点のお陰で、アジアの詩人も、言語が何であるかにかかわらず、あらゆる詩人たちの中に位置付けられ、詩の翻訳可能性の問題はこ...
加藤周一との対談(仏語)
ジュリー・ブロック
ダルマ   (12/13) 305-380   2003年12月   [依頼有り]
このテクストは加藤周一との二度にわたる対談の記録をもとにした論文である。第一部で加藤周一に尋ねたのは、研究者がメディアで発言する必然性についてである。加藤は、友人であるサルトルにならい、彼自身も知的社会参加の姿勢を表明しているのだと答えた。さらに、戦争を生き残った者として、彼はみずからを戦死した同胞の代弁者と自認しているという。政治的な日和見主義におちいるのではなく、戦後はぐくんできた価値を積極的に守るために、彼は日本の民主主義において自分が果たすべき役割を引き受ける。彼にとって、それは人...
安部公房『牧草』翻訳 序文(仏語)
ジュリー・ブロック
ダルマ   (10/11) 317-343   2002年7月   [依頼有り]
この文章は、安部公房の短編「牧草」(1948年、『総合文化』初出)のフランス語訳と解説である。「牧草」では、語り手が、妻を殺した男の告白を語る。しかし語られるのは、この殺人は文字通りの殺人ではなくて、ごくありふれた事件にすぎず、単なる不注意、もしくはせいぜい無関心の罪だということである。本解説では、この主題をもとに、この作品と後の作品を比較する。たとえば『他人の顔』(1962年)でも、偽の殺人が第三者によって告白されるという構造がみられる。また、劇「お前にも罪がある」(1965年)や短編「...
安部公房氏と語る
ジュリー・ブロック
安部公房全集   28 473-486   2000年10月   [依頼有り]
この文章は、1989年に行った安部公房のインタヴューの報告である。安部公房は、小説についての考え方、創作の方法、日本および西洋の批評に対する見方など、さまざまな主題について質問に答える。
安部公房国際シンポジウム報告
ジュリー・ブロック
人文   (46) 98-101   1998年3月   [依頼有り]
この論文は、1996年4月18日から21日までニューヨークのドナルド・キーン日本文化センターにおいて開催された国際シンポジウム「安部公房追悼」の報告書である。世界中の国々から50人余りが集まったこのシンポジウムでは、主に次の二つの点が強調された。ひとつめは、日本ではしばしば難解と言われる安部公房の作品が、24カ国語に翻訳され世界中で読者を獲得しているということである。もうひとつは、彼の活動は文学だけではなく、演劇、シナリオ、写真、音楽などの分野にわたっていたということである。シンポジウムが...
安部公房国際シンポジウム報告(仏語)
ジュリー・ブロック
ジパング   5 279-283   1996年11月   [依頼有り]
この論文は、1996年4月18日から21日までニューヨークのドナルド・キーン日本文化センターにおいて開催された国際シンポジウム「安部公房追悼」の報告書である。世界中の国々から50人余りが集まったこのシンポジウムでは、主に次の二つの点が強調された。ひとつめは、日本ではしばしば難解と言われる安部公房の作品が、24カ国語に翻訳され世界中で読者を獲得しているということである。もうひとつは、彼の活動は文学だけではなく、演劇、シナリオ、写真、音楽などの分野にわたっていたということである。シンポジウムが...
『裏切りの町』への一考察(仏語)
ジュリー・ブロック
演劇/観衆   (121) 46-48   1995年1月   [依頼有り]
本論文は、アリアンヌ・ムヌーシュキンにより太陽劇団で上演された演劇『裏切りの街』(1994年、原作:エレーヌ・シクスー)の要約と批評である。この演劇の主役は2人の血友病の子供を輸血によるエイズ感染で亡くした母親である。被差別民の住む墓場に、三人のエリニュエスが時を超えてやってきて、夜の帳の中で、裁判に登場する役者すべてを「母」の前に呼び集める。母親が望んだことは、ただ子どもたちの死の責任者が謝罪することだけであった。本論はこの作品がフェミニズム的視点のもとに成立していることを強調し、社会全...
象が死んだ
ジュリー・ブロック
へるめす   (43) 89-90   1993年5月   [依頼有り]
このテキストは、安部公房の訃報に接して書かれた、1989年の作家とのインタヴューの回想である。インタヴューの後のほんの短い間、筆者は安部公房と通訳を介さずに直接言葉を交わす機会を得る。筆者が、自分が作家について書いた論文の日本語訳ができたら読んでもらえるかと尋ねると、彼は快諾し、「あなたが書くのはあなた自身」だからと言う。筆者はその直後、自分はもう二度と彼に会うことはないだろうと直感するが、事実その数年後に安部は死去した。彼の死を前に、その短い言葉を繰り返すよりほかに彼について語る言葉はみ...
永遠なる出会い
ジュリー・ブロック
すばる   15(4) 146-148   1993年4月   [依頼有り]
本テキストは、安部公房の小説『他人の顔』にみられるような仮面のイメージをとりあげて、それが科学、戦争、人種差別、大都市といった普遍的な主題に通じるものであり、この小説が現代の日本及び世界の問題を描いたものであることを指摘する。彼は日本的なところのない作家だとよく言われるが、たとえば最後まで読み通さなければ全体の意味が理解できないという印象は、動詞が文の終わりに置かれる日本語の文構造を思わせる。また、勅使河原宏氏による小説の映画化作品では、仮面は現代人一般の本質をあらわすと同時に、戦後の日本...
安部公房氏と語る その2
ジュリー・ブロック
あすあすあす   (223) 38-48   1993年4月   [依頼有り]
この文章は、1989年に行った安部公房のインタヴューの報告である。安部公房は、小説についての考え方、創作の方法、日本および西洋の批評に対する見方など、さまざまな主題について質問に答える。
安部公房氏と語る その1
ジュリー・ブロック
あすあすあす   (222) 7-14   1993年3月   [依頼有り]
この文章は、1989年に行った安部公房のインタヴューの報告である。安部公房は、小説についての考え方、創作の方法、日本および西洋の批評に対する見方など、さまざまな主題について質問に答える。
18世紀の鏡(仏語)
ジュリー・ブロック
ラーヌ (L'Ane)   (53) 28-29   1993年1月   [依頼有り]
本論文は、中川久定著『啓蒙の時代と比較の視点』(パリ、プレス・ユニヴェルシテール社、1992年)の書評である。この著作は大きく二部構成になっている。第一部「啓蒙の時代」はディドロ、ルソー、パスカル、マリヴォー、ショサールに考察を加え、第二部「比較の視点」はフランス18世紀と日本におけるその受容を論じている。最後の二章は、それぞれ中江兆民によるルソー『社会契約論』と『人間不平等起源論』の翻訳を含む。中川は仏語原典と照らし合わせることでこれらの翻訳の特質を明らかにする。本論は、中川のうちたてる...

書籍等出版物

 
受容から創造性へー日本近現代文学におけるスタンダールの場合
ジュリー・ブロック
ピーター・ラング出版   2013年3月   ISBN:978-3-0343-1041-3
本書は、2009年から2011年の三年にわたって、ジュリー・ブロックが主宰した国際高等研究所における研究プロジェクト「受容から創造性へ-近現代日本文学におけるスタンダールの場合」の第二巻である。文部科学省の補助金を得て刊行される本書は、それぞれ次のように題された三回の研究会の成果を収録している。2009年7月2-3日に開催された第四回研究会「翻訳作品における生の作用」、2009年11月12-13日に開催された第五回研究会「翻訳者の観点からみた生の作用」、2010年12月2-4日に開催された...
高等研報告書 1202 受容から創造性へー日本近現代文学におけるスタンダールの場合
ジュリー・ブロック
京都国際高等研究所   2013年3月   ISBN:978-4-906671-92-2
この著作は、京都国際高等研究所による同名プロジェクト(代表ジュリー・ブロック、2009年〜2011年)の報告書である。本書は以下のような六部構成になっている。①「日本におけるスタンダール「効果」」(2009年5月29、30日)②「〈私〉はいかにスタンダールを読んできたか」(2009年11月13、14日)③「大岡昇平とスタンダール」(2010年3月5、6日)④「翻訳作品における生の作用」(2009年7月12、13日)⑤「翻訳者の観点からみた生の作用」(2009年11月12、13日)⑥「芸術学...
加藤周一における「時間と空間」
ジュリー・ブロック
かもがわ出版   2012年6月   ISBN:978-4-7803-0551-7
2009年12月にパリ日本文化会館にて開催された国際シンポジウム『加藤周一、或は多様性の思考』ほか、加藤周一に関する複数の講演をもとにした、ジュリー・ブロックの編集による書籍。オーギュスタン・ベルク、エドガール・モラン、モーリス・ゴドリエ、渡邊守章、石田英敬ら日仏の著名な研究者約十名が参加した同シンポジウムの内容は、第一部「加藤周一とその時代」と第二部「加藤周一の作品における時間と空間」に全文収録されている。第三部「加藤周一が遺したもの」は、かもがわ出版の主催で2009年12月5日に開かれ...
フランス語中級〜基礎編 ゼロから学べる国語のようなフランス語(改版)
ジュリー・ブロック
アルク   2012年5月   
本書はフランス語初学者向けの教材の第3巻であり、年間45時間の授業に相当する。フランス語は語の繰返しを好まない言語であるため代名詞が多く、そのなかには動詞の前に置かれるものがある。全7章のうち、はじめの3章でこの動詞に前置される代名詞を学び、残る4章で第1郡・第2群規則動詞の活用を学ぶ。前記の二冊と同様、例文はすべて発音記号を付し、文法事項は日本語で説明されている。
フランス語初級〜演習 ゼロから学べる国語のようなフランス語
ジュリー・ブロック
アルク   2012年3月   ISBN:978-4-7574-1404-4
本書はフランス語初学者向けの教材の第2巻であり、年間45時間の授業に相当する。本書では、第1巻で学習した文法事項をさらに深め、フランス語の文の作り方を学び、文法表現を身につけ、語彙を習得し、フランス文化についての知識を養うことを目的とする。例文はすべて発音記号を付し、文法事項は日本語で説明されている。各章には遊び歌や漫画などを添え、巻末に全10章の練習問題を載せる。

講演・口頭発表等

 
詩作の原動力として働く通態性—「見ゆ」を含む柿本人麻呂の和歌二首を例に
ジュリー・ブロック
日仏翻訳学会 第三回研究会 (於京都)   2018年3月16日   ジュリー・ブロック
翻訳学における通態性−柿本人麿の和歌一首を例に
ジュリー・ブロック
日仏翻訳学会 第三回研究会(於パリ)   2018年1月11日   ジュリー・ブロック
日本語・日本文学の歴史と生成からみる日中両言語併用
ジュリー・ブロック
マルゼルブ財団(ル・モンド紙、ラ・ヴィ紙)   2017年11月11日   
明治時代の日本における翻訳〜出版物、目的、方法〜ドイツ語、英語、イタリア語、フランス語の詩の翻訳者上田敏を例に
ジュリー・ブロック
第一回国際翻訳学大会 第一部 翻訳学の状況(韓国、日本)   2017年4月14日   
万葉集の歌における「永遠」を翻訳する〜加藤周一の「間」の思想をもとに
ジュリー・ブロック
第一回国際翻訳学大会 第4部 東西言語における方法論的対話   2017年4月13日   
大岡昇平『野火』を批評する加藤周一 文芸批評の核としての「間」
ジュリー・ブロック
加藤周一研究(加藤周一現代思想研究センター)   2017年3月24日   
『万葉集』の和歌における「今」と「ここ」−−一瞬に凝縮された動きを翻訳する
ジュリー・ブロック
フランス翻訳学会(SoFT)「日仏翻訳学研究」第2回研究会   2017年3月3日   
詩の詩性をいかに翻訳するか ―メショニックの「リズム」を通して見た『万葉集』の和歌 [招待有り]
ジュリー・ブロック
日仏翻訳学夏季セミナー (SoFT)   2016年8月30日   
詩を詩として翻訳する―万葉集の一首の和歌をめぐって [招待有り]
ジュリー・ブロック
関西の、フランス語を使用する研究者の学会   2016年4月23日   
和歌の表現の巧みさをどのように翻訳するか―『万葉集』の一首の和歌における同音異義語のはたらきを例に
ジュリー・ブロック
全国大学国語国文学会 第111回大会   2015年6月6日   

担当経験のある科目

 

Works

 
ラジオ・フランス文化放送:安部公房の詩作品の翻訳についての考察
ジュリー・ブロック   その他   2013年6月 - 2013年6月
加藤周一を語る(DVD)にて「知的歩みを振り返って」と題して論じた
ジュリー・ブロック   2009年
安部公房の変貌 (『勅使河原シリーズ』DVD2、20分)
ジュリー・ブロック   芸術活動   2007年12月
仔像は死んだ(安部公房の映画紹介)
ジュリー・ブロック   芸術活動   1998年
安部公房の映画作品「仔象は死んだ」の字幕作成活動
ジュリー・ブロック   芸術活動   1998年

競争的資金等の研究課題

 
『万葉集』の特殊性と普遍性 翻訳の実践および理論を通して
日本学術振興会: 科学研究費助成事業(基盤C)
研究期間: 2014年4月 - 2016年3月    代表者: ジュリー・ブロック
日仏翻訳学研究会
フランス翻訳学学会 (SoFT): 
研究期間: 2016年3月       代表者: ジュリー・ブロック
受容から創造性へー近現代日本文学におけるスタンダールの場合
研究期間: 2008年 - 2012年
本研究は、大岡昇平をはじめとする、とりわけフランス文学を自ら進んで受容した近現代日本文学の作家達の諸作品に焦点を当て、各々がどのようにスタンダールを受容し、影響されたか、また、それを如何にして独自の創造性へと発展させ、普遍性を持つ文学作品へと昇華させたかを明らかにすることが目的である。最後に、そこに「日本的創造性」と呼べる要素が存在するかどうかについて考察を加える。
日本と中国の詩における恋の表現
補助金
研究期間: 2010年 - 2011年
日本の芸術作品には、外国の影響を濃厚に受けながら尚も消えない日本的独創性があると言える。本研究では、詩における日本的特徴としての、恋の表現について掘り下げるため古典文芸、主に万葉集を例に挙げて論究する。共同研究者である、和歌翻訳論を専門とする孫久富氏と共に日中古典文芸における恋の表現に焦点をあて、両国の人間観の違い・共通点について研究する。研究成果はフランス国立科学研究所(CNRS)内の組織、アジアネットワーク(Réseau Asie)にて報告する。アジアネットワークにて代表研究者は「アジ...
日本と中国の詩における恋の表現
補助金
研究期間: 2010年 - 2011年
日本の芸術作品には、外国の影響を濃厚に受けながら尚も消えない日本的独創性があると言える。本研究では、詩における日本的特徴としての、恋の表現について掘り下げるため古典文芸、主に万葉集を例に挙げて論究する。共同研究者である、和歌翻訳論を専門とする孫久富氏と共に日中古典文芸における恋の表現に焦点をあて、両国の人間観の違い・共通点について研究する。研究成果はフランス国立科学研究所(CNRS)内の組織、アジアネットワーク(Réseau Asie)にて報告する。アジアネットワークにて代表研究者は「アジ...
影響と創造性-大岡昇平におけるスタンダールの場合
科学研究費補助金
研究期間: 2008年 - 2011年
本研究は、大岡昇平の著作品を対象に、彼が西洋文学から受けた影響を、単なる影響に留まらず、如何にして独自の創造性へと発展させ、普遍性を持つ文学作品へと昇華させたかを明らかにする。
詩の翻訳不可能な部分
研究期間: 2005年   
安部公房の思想の解明と詩作の再評価
研究期間: 2005年   
東西恋愛文学
研究期間: 2001年 - 2004年
現代芸術・文学を通して見た現代の社会・文化・思想
研究期間: 1997年