2009年9月
La réception de Hiroshima mon amour au Japon
デュラス協会国際シンポジウム
- 記述言語
- フランス語
- 会議種別
- 口頭発表(一般)
- 主催者
- デュラス協会
- 開催地
- 東北大学
これまで研究されてこなかった『ヒロシマ・モナムール』日本公開当時の資料を詳しく調べ分析し、日本での公開直後の反応を明らかにすることを試みた。撮影が広島で敢行された1958年当時の広島は、爆撃でなくなった広島城が外観復元され、復興を祝った万博が催されるなど復興の喜びに街が湧いていた。一方のフランスは45年に原子力庁が設置され、58年当時はアルジェリア戦争の緊張のただなか原子力実験が推し進められた。日本側の批評は、肯定的なものと否定的なものがおおよそ二分しており、実験映画としてレネの作品を分析することよりも、広島の描かれ方に対して主に意見を分かっている。広島をいち早く題材とした本作品が、その普遍性ゆえに広島の特殊性をある意味薄めてしまったために日本での受容が芳しくなかったことを指摘するとともに、この普遍性こそ今日なお『ヒロシマ・モナムール』を有効なテーマとしている点を浮き彫りにしている。