論文

1998年4月

Essay als ein alternativer Diskurs [2]- Zu “Literat und Literatur” Robert Musils

学習院大学大学院人文科学研究科 『学習院人文科学論集』
  • Keiko Hamazaki

7
7
開始ページ
119-137
終了ページ
137
記述言語
ドイツ語
掲載種別
研究論文(大学,研究機関等紀要)
出版者・発行元
学習院大学

「エッセイ」という自由な形式に,思考の試みの可能性を見ていたのは哲学者だけではない。20世紀始め,社会の変革や科学の発展にともなって経験される世界は急激に変化したが,当然のことながら文学もこの変化と無縁ではなかった。ローベルト・ムージルは,その未完の小説『特性のない男」(1930-)において,この時代にこそ可能な新たな認識を文学によって提示しようとした。思考の描写に重点が置かれているこの小説は,しばしば,あまりに「エッセイ的」であると評される。既存の「文学」のイメージを基準とすると「知的」にすぎたムージルは,エッセイという形で自分の文学論を模索していた。 『文士と文学』(1931)では,豊かな情感に欠けると過小評価されてきた「文士」の名誉回復を試みながら,文学が本来もつ役割が考察されている。「感情で知性を遊び,知性で感情を遊ぶ」と肯定的に評価される文士のあり方は,「科学と芸術の中間領域」に属するエッセイを連想させる。ムージルが想定する文学は,直観的なものと,思考されたものとが融合したものであり,そこでは「知の働き」は不可欠な要素である。しかし科学の言葉による一義的で明確な認識とは違い,文学の「言葉」は緊密に構成された形式のうちに配されたアナUジーによって,多様な意味を提示する。体系化された科学的な思考では把握不可能な,多様な現実を描写しうるのは,「別」の思考を可能にする,文学の「言葉」なのである。全ての思考には,それを描写する「形式」が切り離されることなく備わっている。ムージルが試みた「別」の思考を描写するためには,思考の「過程」を描写しうる自由な散文が必要であった。「エッセイ」というジャンルは抽象的にしか存在しないと考えたムージルは,「小説」という形式を選んだ。しかし,まさにムージルが行った思考の「試み」は,既存の形式を解体さえする「エッセイ的」な描写を必要としたのである。

リンク情報
CiNii Articles
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000545928
CiNii Books
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URL
http://hdl.handle.net/10959/807
ID情報
  • ISSN : 0919-0791
  • CiNii Articles ID : 110000545928
  • CiNii Books ID : AN10398283

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