研究ブログ

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その後の学会事務局について

2020年12月1日より、日本応用数理学会(JSIAM)の事務局業務全般は、株式会社国際文献社に委託された。その経緯は、拙稿「新しい学会事務局について」(応用数理、第31巻、第3号、10.11540/bjsiam.31.3_38)で詳しく説明した。

この文章はその続きを記録するものである。

2020年12月より、会員データの管理業務は旧委託先から国際文献社に変わった。また、12月末に発行の学会誌「応用数理」30巻4号の発送作業も国際文献社が行った。その他諸々の業務も順次移行し、1ヶ月程度でほぼ違和感なく、国際文献社はJSIAMの事務局として機能するに至った。移行は、とても手慣れていたと感じた。

一方で、文京区弥生町の学会センタービルにある旧事務局の整理が残っていた。この段階で、定款上の事務局は旧事務局であり、翌2021年の6月の定時社員総会で、定款における事務局住所の変更を予定していた(定款の変更は総会の決議を経る必要あり)。そのため、旧事務局の解約は、7月以降になるため、整理する時間は十分にあると思われた。

私は、これを機に、書類を全面的に電子化することを考えていた。そのための、旧事務局の整理を次の手順で行うこと計画を立てた:

  • 12月〜1月に書類の分別を行い、保存するべきものと破棄するものを決める。
  • 保存するべきものは、さらに原本を保存するものと、電子データとして保存するものにわけ、書類のスキャンを業者に委託する。原本の保存が必要な書類に関しては、国際文献社(が契約している)貸し倉庫を使う。
  • 破棄する書類も、資源ごみとして処理できるものと、溶解処理するものにわけ、各々処理する。
  • 旧事務局員に頼む仕事が無くなった時点(1〜2月を想定)で、電話やインターネット、複合機などを解約する。
  • 4〜7月の適当な時期に、机や棚などの備品を処分する。
  • 7月末日をもって、旧事務局を解約。

旧事務局員の4人と相談して、12月中に週2回程度、旧事務局を開室し、書類の整理を行い、保存するべきものと破棄するものを区別してもらい、1月中に、スキャンや溶解処理の業者を選定し、具体的な作業準備に入る予定であった。そして、1月に3、4回程度、旧事務局を開室し、設備(電話、複合機など)の解約等の作業をしてもらうことにした。PCはラップトップだけであったので、齊藤が回収し保管することにした。しかし、12月にある業者に見積もりを依頼するため、旧事務局に来てもらったが、なにしろ「ホッチキスやクリップが多く、さらに、クリアケース・クリアポケットに入った書類が多いので、このままだと高額になる」と言われ、スキャンの前の前処理に相当は時間がかかることに気がついた。

そう思っているうちに、年が明け、諸々の目論見が崩れることになった。

年明けの2021年1月8日に、東京に新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が発出された。当初、緊急事態宣言は2月7日までということであったので、スケジュールを1ヶ月程度遅らせればよい、と思っていた。しかし、この宣言は2度の延長を経て、3月18日まで続くことになった。宣言中に旧事務局を開室することはできなかった(旧事務局を知る方にはわかっていただけると思うが、とても狭く、数人で作業するのは難しかった)。結局、この3月18日に、旧事務局を開室し、旧事務局員に、電話や複合機などの解約と機器の搬出などを行なってもらった。(複合機の解約には、20数万円かかった!また、リース会社の都合で、解約を1ヶ月延長され、その1ヶ月分のリース料も払うことになった!)また、書類の分別は、この段階では、スキャンに出せるほどには完了していなかった。それで、3月24日にも、旧事務局を開室し、旧事務局員の皆さんには、保存するべき書類と判断に迷った書類を、片端から、齊藤の研究室(駒場キャンパス)に、送付してもらった。それでも判断できなかったものは、そのまま残してもらった。旧事務局を開室したのは、これが最後となった。旧事務局員と直接会ったのも、そのときが最後である。

旧事務局には、机、椅子、棚と破棄すべき書類と、結局判断がつかなかった書類が残されていた。4月から5月にかけて、数回、私が、旧事務局に出向き、判断がつかなかった書類の分別を行い、保存が必要そうなものは駒場の研究室に避難させた。4月の末に、学会センタービルの管理会社には、7月いっぱいで部屋を解約することを申し入れた。また、学会センタービルの1階に入っている業者に、机などの備品の破棄を依頼することにした。2021年7月5日に、旧事務局からの設備の撤去作業(20万円かかった)を行い、部屋には何もない状態になった。7月26日に部屋の鍵も返却した。敷金の70万円は全額返還された。

 

旧事務局

 

駒場の研究室に届いた書類は段ボール箱で30個程度になった。私が管理している計算機スペースに、これらを一時的に保管することにした。世の中が通常の状態ならば、学会の関係者数名で、二三日で書類を分別できるであろう。しかし、その後も、再度、緊急事態宣言が発出され、さらに、延長に延長を重ねることになった。そのため、複数人で作業することは、夏頃には諦めていた。やむなく、私が一人で、一つ一つ確認し、分別することにした。この作業を8月頃から開始して、全体の目処がついたのは、翌2022年の4月頃であった。もちろん、毎日作業していたわけでなく、気がついた時に少しずつ作業を進めた。原本を保管する必要のある書類は、学会誌や論文誌等の出版物や契約書等の重要書類、理事会・総会議事録などがこれにあたる。しかし、倉庫に入れてしまうとすぐに参照できなくなる。そこで、入れるものはすべて写真を撮り、書類に関しては、さらにスキャンをして電子版としても保管し、引き継ぐことにした。国際文献社に預けた箱は5個となった。情報自体は、写真かスキャンした書類を見ればわかるので、今後、原本が必要になることは、ほとんどないであろう。10年くらい経ったら、処分も含めて、対処を考えた方が良いと思う。

保存書類の写真

 保存書類の写真

 

次に、原本を保存する必要はないが、データとしては保管しておいた方が良い書類については、機密性の高いものは、自分自身でスキャンした。業者に委託する分については(経費節約のため)ホッチキスやクリップを外し、クリアケース・クリアポケットから出す、という作業を延々続けた。クリアケース・クリアポケットに入った書類が多すぎることが、作業遅延の主な原因であった。また、付箋も大量についているが、その付箋にメモされたことが解決済みなのか、今後対応が必要なのかが判断できずに、分別に時間がかかった。5月の連休前に、ポスドクと院生にも、ホッチキスやクリップ外し、クリアケース・クリアポケットから出す、という作業を手伝ってもらい、なんとか、業者にスキャンを委託する準備ができた。枚数は約30,000枚であった。2社に見積もりをとったところ、おおよそ同じ金額(50万円弱)であったので、レスポンスの早い方に委託することにして、6月9日に書類(段ボール箱5個)を送付した。一方で、不要と思われる書類については、普通の資源ごみとして破棄できるものは、そのまま破棄した。溶解処理が必要と思われるものは、段ボール7個になった。これもスキャンを依頼した業者に、溶解処理のみを依頼し、6月14日に段ボール箱を送付した。これで、約1年、計算機スペースを占拠していた荷物がなくなり、晴れやかな気持ちになった。

 

正直なところ、以上は、うんざりする、大変な作業であった。しかし、役得もあった。そのうちの一つは、「JSIAM設立準備委員会 1989.1.9〜1990.4.6 東大工物工 森正武」というファイルを見つけたことである。

 

言うまでもなく、これは、日本応用数理学会の設立までの経緯が、詳細に記録されたファイルである。その中には、1989年4月3日の日付の入った準備委員会の議事メモがある。そのメモによると、はじめに森正武先生が次のように発言された。

 今日は「発足させる」ということを正式に決定したい。発足の目標期日の決定、小委員会を決めて実務を行う。別のワーキンググループで規則等を決める。名称は今日決定したい。

拍手で「発足」決定。

期日:来年3月(1990年)

(誰の筆跡かは、おおよそ見当がつくが、それは詮索しない)

これが、応用数理学会の誕生の瞬間である。これ以外にも寄附金を集める様子などが、詳細に記録されている。企業からは、現在(2022年)では、考えられないような額の寄付金が集まっている。「応用数理」に対する期待感があったのは確かであろう。しかし、ちょうど当時が、いわゆる「バブル時代」であったことを忘れてはならない。もし、設立が3年遅れていたら、これほどの金額が集まったのかは、疑問である。半分集まれば奇跡的、おそらくは、1割以下になったであろう。このJSIAM設立準備委員会のファイルの中身をスキャンしたものは、何らかの形で共有し、今後の学会運営に活かしていければと思うが、具体的なアイデアはない(なお、原本も保管している)。

 

繰り返すが、以上は、うんざりする、大変な作業であった。途中で止めてしまおうと(あるいは辞めてしまおうと)何度も思ったが、しばしば、「森正武先生の足跡」に遭遇し、その度に考えを改めた。例を紹介する。森先生は、学会誌や論文誌の編集作業等を円滑に行うために、Access (というデータベースソフト)で「日本応用数理学会刊行管理システム」を構築された。そして、そのマニュアル(34ページ)を自身で執筆された。森先生らしい、丁寧で、簡潔で、過不足のないマニュアルである。

これを作成された時(1999年9月22日)、森先生は数理解析研究所の所長であった(私は当時、岡本久先生の下でポスドクをしていた。助手に、降簱大介さん、長山雅晴さん、ポスドクに大浦拓哉さんがいた)。数理研所長の森先生が、ここまでご尽力されているのに、自分が文句を言っていては恥ずかしい、と思い至ったしだいである。ちなみにこの「日本応用数理学会刊行管理システム」は、学会誌では2015年くらいまで使っていた。その後、山中脩也さんがWord Pressで構築した編集システムに移行し、2021年の秋からは編集事務作業を国際文献社に委託することになった。論文誌でも、おそらく2015年くらいまで使っていたはずである。

この作業通じて、改めて気がついたことは、応用数理学会の事務業務は、森先生のスキームに従って行われてきた、ということである。上述の「JSIAM設立準備委員会 」のファイルには、「会員情報管理、会費徴収、会誌の発送の業務は学会事務センターに委託し、学会誌・論文誌の編集作業などを事務局で行う」という森先生の構想が述べられている。実際、応用数理学会事務局は、はじめは、森正武研究室内に設置された(その後、弥生町の学会センタービルの一室を借りることになる)。当時の工学部長の名前の入った、電話回線の開設許可の書類が残されている。

以上まとまりのない文章であるが、このような記録は、後々役に立つと思われる

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2021年度の数値解析セミナー

2021年度の後期(東大ではAセメスター)は、学内の業務や学会(応用数理学会、数学会)の仕事に追われているうちに、結局、数値解析セミナーを開くことができませんでした。深く反省するとともに、実はショックを受けています。自分がサボって開かなかっただけだから、ショックを受けたという言い方は、本当はオカシイことですが、率直な気持ちです。

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オンラインツールのマニュアル

今年の夏から秋にかけて,マニュアル的なものを(たくさん,苦労して) 作りました.今後も役に立つかもしれないので,一部のみ公開を継続します:

もうこんな作業は二度としたくありません.[2020.11.16]

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論文を書く前に:その2

Manual for Authors of Mathematical Papers (Bull. Amer. Math. Soc. 68 (1962), 429-444)という文書があります.組版が安く済むような原稿の書き方など,現在の私たちには,ほとんど役に立たない内容も多いですが,それでも,(英語で)論文を書く際には,一読しておいた方が良いものです. この文章の第2節 (p. 431) に,次のような文章がでてきます.


Since your published paper will forever speak for you, without benefit of the cleansing sponge, careful attention to sentence structure is worthwhile.

次のような文章もあります.

Each author must develop a style that suits him; a few general suggestions are nevertheless appropriate.
The reader is looking at your paper to inform himself, and not with a desire for mental calisthenics.

[2017.06.30]

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三冊の拙著について

同じようなタイトルの著作が三冊出版されておりますので,おのおのの違いについてまとめてみました.

「数値解析入門」(東大出版,2012年)
東大数学科・統合自然科学科3年の講義の教科書として執筆しました.「はじめに」に書いたように,講義では,この本に書かれていることのすべて扱うわけではありません.自習用の内容もかなり含んでいます.「数学科で数値解析を勉強すること」の意義や目的をできるだけ具体的に学生に伝えることを試みたつもりです.また,現代風の関数解析的な数値解析への接続を強く意識しました.自分自身が数値解析の本を読んで勉強した際に,結局何が言いたいのだろう?と疑問を持ち自分なりに納得したことも随所に記しました.用語の選択にも細心の注意を払い,(日本語の専門用語として)必ずしも一般的とは言えない用語であっても,他分野との関わりや英語との対応の観点から,より適切と考えられるものを使いました(ただし,私が勝手に考えたものは使っていません.過去に使用例があるもののみを採用しました).数十年前と現在では,(ハードウエア,ソフトウエアなどのあらゆる面で)前提となってる技術に大きな差異があります.残念ながら,そのことに留意した数値解析の本があまりないような気がします.その点を少しは解消できたかと自負しています.

「数値解析の原理ー現象の解明をめざしてー」(菊地文雄先生と共著,岩波書店,2016年)
この本は,菊地先生が,東大数学科・基礎科学科で講義されたことを基調にして,全体の構成をお考えになり,原稿のご執筆はいうまでもなく,数値計算例の作成もご自身でなさいました.私は,検算や数値計算の追試,最後の仕上げを行っただけです.したがって,例えば,「11.6 各種の有限要素」,「11.7 数学的誤差解析」,「11.8 各種の話題」などの節は,私にとっても大変勉強になります.また,しばしば現れる歴史的な事項に関するコメントは,いまや,この本以外では得るのが難しい有益なものであると思います.

「数値解析」(共立出版,2017年)
「はじめに」に書いたように, 現在,多くの大学のいろいろな学部・学科で数値解析の入門講義が行われていますが,どういうわけだか数学科でさえも,その多くはプログラミング演習の形式をとっています. プログラミングが重要なのは言うまでもありません.一方で,大学教育の限られた時間を,プログラムを正しく動かすことに費やすとしたら,それには明確な理念と目標があるべきす.したがって,学科や専攻によっては,それは全く正しいことです.しかし,例えば数学科においては,自明なことではないと思います.実際,最近は,数学的表現をほぼそのまま処理して答えを出してくれるソフトウエアが気軽に利用できるようになりました.そのような道具を利用することで,従来,プログラミングにかけていた時間を節約し,数値解析の背後にある数理を理解することに時間をかけることができるはずです.本書では,計算方法や公式を,天下り的に述べるのではなく,動機を明確にした上で,導出を丁寧に述べ,計算の具体例を詳細に検討することで,数値解析の背後にある数理を理解してもらうことを目標にしています. 基礎を大切に学習することで,応用を志向しています.また,計算例はScilabというフリーの数値計算ソフトウエアを使って作成し,その際に利用したプログラムはすべて,サポートページで公開していますので,読者の皆さんが計算を実体験できるようになっています.これらのプログラムを少し修正して自分の問題を計算することは,本格的なプログラミングへの意味ある第一歩となるはずです. なお,本書で述べられなかった証明などは,「数値解析入門」(東大出版,2012年)に述べられています.

一言では,次のように言えます.

  • 「数値解析入門」(東大出版,2012年)は,やや専門志向の学生・院生にお勧めします.
  • 「数値解析の原理ー現象の解明をめざしてー」(菊地文雄先生と共著,岩波書店,2016年)は,専門志向の院生や本職の研究者にお勧めします.
  • 「数値解析」(共立出版,2017年)は大学生にお勧めします.

[2017.03.23]

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おすすめの記事

これから応用解析を志す人(あるいは志している積もりの人)に,以下の記事の一読をお勧めします.最後のものを除けば,学術的な内容ではありません.したがって,記録を残しておかないと忘れられてしまう恐れがあるので,ここに記しておきます. 

[2015.06.23]

追加です:

  • 外野から見た物理学,日本物理学会誌,第34巻,1号,1979年,22-36
  • 藤田宏:大学における研究教育は如何にあるべきか:理工学部の視点から,明治大学理工学部50周年記念号,1994年,3-8
  • 藤田宏:私の辿った道,明治大学理工学部研究報告 (特別寄稿),2000年3月

[2015.07.03]

さらに追加です(今読むと改めていろいろと思うところがあります):

[2015.07.31]

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コピペについて

昨年(2014年)は、コピペ論文が話題になりました。 それはともかく、折に触れて、次のことを院生に伝えます。

「既存の論文」に書いてあることを「新しい論文」に書くときには注意を要します。必要な(かつ必要最小限度内の)引用や再掲に該当しない、Copy & Pasteは unfairな行為である、ということは多くの人が理解しています(しているはずです)。ただし、この「新しい論文」、「既存の論文」を、「 自分の新しい論文」、「他人の既存の論文」と理解するに留まっている人は多いようです。自分が過去に書いたものであっても、「既存のもの」に変わりはないので、例外には成りえません。実際、対象とする方程式だけ少し変えて(一応、一般化と理解できる)、後の議論は全く同じ、文章も全く同じという論文を査読したことがあります(その他にも、掲載不適当と判断できる理由があったので、rejectを勧めました)。 そこまでひどくなくても、(少なくとも応用数学では)Introductionにおける動機や問題の説明が全く同じという論文は、たまに見かけます。これは、文章の主張が同じという意味でなく、単語も含めた文章が全く同じということです。しかも数年、数本にわたって伝統を守っている人もいます。自分が査読者のときには、レポートに「このparagraphとこのparagraphは著者達による[3]のparagraphと全く同じであるから、rewriteすべし」と書きますが、数行の加筆があるだけで、修正が全くなされていないrevised manuscriptが返ってくることも、しばしばです。要するに、自分の行いの何を指摘されたかを理解していないのでしょう。

確かに、一人の人間の興味の中で 「動機の説明」は毎回同じようなものになるでしょうが、しかし、何らかの新しい成果があったから論文を書くわけです。全く同じことしか書けないのならば、まだ、論文を書く段階にない、ということだと私は思います。

(このようなことを言うと、「定理・命題・定義の記述は、一貫していた方が良い」とか言われますが、それはその通りですし、私の話の趣旨とはあきらかに異なります。)

また、別の見方をすると、このような問題は、研究倫理の問題である一方で、技術の発達にも原因があると思います。すなわち、コンピュータで論文を書いているということです。これについては、本研究ブログの「数学通信」編集後記(第15巻2号)を、参照して下さい。

と偉そうなことを書きましたが、実は、私自身が、自分の過去の論文のあるparagraphを自分の新しい論文にコピペして、それを査読者に注意された経験があります。ひどく反省して、revised manuscriptを作りました。そのときの査読者のレポートは、そういう形式的なことだけでなく、数学的な内容についても本質を鋭くつく指摘がたくさんなされており、論文の質を高めるのに、とても役立ちました。その経験から、自分が査読をする際には、このように「役立つレポート」を返したいといつも奮闘しています。

いずれにせよ、判断に迷ったら、その行為はfairかunfairを考えるのは大事だと思います。良くないのは、「みんながやっているから良いだろう」と考えることです。これは実は、何も考えていないことと同じです。[2015.03.12]

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論文のIntroductionについて

折に触れて、次のことを院生に伝えます。論文のIntroductionには、考える問題、動機(背景)、結果(の概要)、その新規性、解析方法(の概要)が明快に述べられていなければならない。良い論文はIntroductionが読みやすい論文である。だから、Introductionを書くのが一番難しい。 普通は、一番最後に書く(あるいは、仕上げる)。研究背景の説明は、自分自身の動機の説明や新規性の説明のために述べる。教育・啓蒙が目的ではない。基礎的なこと、専門家にとっては当たり前のことをクドクド述べる場ではない。 例えば、有限要素法の論文の冒頭に

The finite element method plays an important role in computational mechanics.


等と書くのは、感心しない。この文章を読んで、「そうなのか!」と思う人は、そもそも、論文を読まない。その論文に関係するimportant roleが何なのかを具体的に書かなければ意味がない。[2015.03.08]

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ウェブページリニューアル

数年ぶり(多分5〜6年)に、個人のウェッブページをリニューアルしました。

2006年からXOOPSを使っていましたが、ここ数年、公開する情報を上書きするだけで、システムのアップデートやメンテナンスを全くしていませんでした。いまから最新バージョンに合わせるとなると、ページを全面リニューアルするのと同じか、それ以上の手間になってしまいます。WordPressにでも乗り換えようかとも思いましたが、結局、いつかはまた乗り換えるという作業が必要になります。それならば、初心にかえって、HTMLを自分で書くのが良かろうという結論に至りました。

XOOPSを使っていた理由の一つは、二ヶ国語(日本語・英語)のサイトを簡単に構築できるモジュールが利用できたからです。しかし、最近は、英語版を自分で作るよりも、Google Scholarや ResearchGateに任せた方が良いように思われます。

院生のころに、就職活動の一環として、自分のウェッブページを作り、現在に至っています。自分自身の情報の整理に役立っています。私の指導している院生にも勧めていますが、現状は、こんな感じです。[2015.03.03]

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ノートについて

昨年は、「実験ノート」が話題になりました。それはともかく、折に触れて、次のことを院生に伝えます。勉強・研究・ちょっとした計算に関わらず、保存する事を前提とした、ノートを作る事が大切である。 ノートの形式(冊子、ルーズリーフ、レポート用紙)は何でも良いが、最終的には、綴じるべきである。ノートには、年月日を必ず入れる。日付順にならんだノートは財産である。 タイトルもつけると整理しやすい(一冊のノートにタイトルをつけるという意味でなく、ノート一回分に対してという意味)。参考にしたもの、引用したもの(論文、本、他人からのアドバイス)を、必ず詳細にメモすること。本の名前だけでなく、ページや定理の番号なども重要である。(これをやらないと、必ず二度手間になる。) 私は、最近は、ある程度ノートがたまったら、スキャンしている。また、数年前に、院生の頃からその時点までに作ったノートをすべてスキャンして、通し番号(単に日付ですが)を振り、持ち歩くようにした。これが、想像以上に便利である。

数値計算の際にも、プログラムの説明や、計算結果の整理のためにノートを作るべきである。(プログラムの中に詳細なコメントを入れておくことは、当然であるが、それに加えてということ。) 基本的には、自分にわかるように書けば良いが、人に読ませることを想定して書いた方が良い(実際には見せなくても)。 往々にして、一年前に自分の書いたプログラムは、意味不明である。一年後の自分が読んで分かるように、ノートを書いておくべきである。 [2015.03.01]

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論文を書く前に

院生が(本当は院生に限りませんが)論文を書く前には、次のような本を読んでおくべきでしょう。当たり前のことですが、これを読むと、論文が書けるようになる、ということはありません。ただ、人が「論文を書くということ」をどう理解しているかを知ることは大切だと思います。(ハウツー本なんて、、、という人もいるでしょうが)

  • N. J. Higham, Handbook of Writing for the Mathematical Sciences, 1998, SIAM. [奥村,長谷川(訳),数理科学論文ハンドブック・英語で書くために,1994年,日本評論社]
  • 野水克己,数学のための英語案内,1993年,サイエンス社
  • 一松信,数学論文の書き方,数学,第39巻,3号,1987年.
  • 小林昭七,数学論文の書き方(英語編),数学,第39巻,4号,1987年.

他にもいろいろあります。 [2015.03.01]

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「数学通信」編集後記(第15巻4号)

編集後記を書くのもこれが四回目,そして最後です.最初の編集後記(第15巻,1号)には,「編集長の平田先生や数学会事務局の皆様に,全面的に依存してしまう様子が今から目に浮かびます」と書きましたが,図らずも予言は的中してしまいました.面目ありません.平田先生と数学会事務局の皆様に,あらためて御礼申し上げます. 数学会で委員を務めていて,いつも印象に残るのは,私の知っている範囲で他の学会と比べると,委員長の任にある先生が最も忙しいということです.やはり,偉い人ほど義務が多い,というのが(少なくとも日本における)数学者の見識なのでしょう.もちろん,他の学会にそのような見識がないということが言いたい訳ではありません.ただ,分野が異なれば,異なった文化があり,見識も異なるということを,このようなところからも,あらためて感じるということです. さて,ここ数年,委員会等で定期的に秋葉原の数学会事務局を訪ねておりましたが,この数学通信の常任編集委員の任を終えると,しばらく秋葉原に行く用事も無くなりそうです.そう言えば,2号の編集会議(土曜日でした)で数学会を訪れた際には,中央通りを末広町方面から秋葉原方面へ向かって全力疾走するメイドさんを発見し,心の中で応援しました.これも良い思い出です.[2011.01.17]

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「数学通信」編集後記(第15巻3号)

以前勤めていた大学の同僚に教育工学の専門家がいます。先日、その先生のホームページを久しぶりに覗いてみると、学部3年生向けの演習のテキストとして、「卒業研究はじめの一歩」という資料がありました。第1章「卒論とは何か」ではじまり、第8章「発表する」で終わっています。はじめは「単なる」ハウツーモノかと思いましたが、中身を読んでみると、これがなかなか興味深いものだったのです。例えば、第2章「テーマを決める」では、テーマを「キーワードで示される大雑把な研究の領域」と定義したうえで、興味のある(身近な)事からキーワードを10個挙げ、それを二三個ずつ組み合わせて「トピック」を作り、それを疑問形にすることで、「研究上の問い」すなわち「問題」をつくる、というプロセスが例を交えて説明されています。興味を持ったことを研究しなさい、と言われて研究ができるのはごく少数の人だけでしょうが、このように、一つ一つの段階を丁寧に説明してもらえば、研究するということは特別なことではないという勇気が湧いてきます。このような趣旨で「数学における修士論文はじめの一歩」という本(あるいは文書)があれば、現役院生の役に立つのはもちろん、多くの学部生が安心して大学院に進学できるでしょう。また、著者の先生(達)にとっても、研究のプロセスをマニュアル調で記述することは、自分の研究活動を客観的に反省する良い機会になり、労力をかける意味はあると思います。研究をマニュアル化することはできないという意見も当然あるでしょうし、私も半分賛成します。その一方で、マニュアル化が絶対にできないと考えるよりは、マニュアル化すらできる、と考えた方が、より自由な立場に立てる気がするのです。 ところで、分野や(学生、教員などの)立場に関係なく、第8章の「発表する」は有益な情報源です。特に最近は(少なくとも私の周りでは)PCとプロジェクターを使って発表することがほとんどですから、スライドの作り方や話す速さについての説明は、ためになります。なお、「発表時間内に終える」という見出しの下には「決められた時間内に終わらないのはルール違反です。ルールを守れない人は、発表する資格はありません」とあり、私は思わず「すみません」と謝ってしまいました。[2010.0.04]

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「数学通信」編集後記(第15巻2号)

学生がLaTeXで清書したレポートを提出してくれるのは嬉しいのですが、中には、清書というよりはLaTeXをノート代わりにして計算しているのでは、というレポートがあります。そういう私も、LaTeXをノート代わりに使うことは日常茶飯事ですし、ワープロで下書き・推敲をした文章を、手書きが義務付けられている書類に書き写すという、逆清書をすることもよくあります。LaTeXとは何か?をGoogle先生にお尋ねすると、「ウィキペディアに『テキストベースの組版処理システムである』と書いてある」と教えてくれました。しかし、LaTeX(ここでは処理全体を意味しています)そして一般のワープロは、組版処理や文書清書を超えて、すでに筆記具の一つになっているというのが、より正確な現状のようです。確かに、LaTeXで論文や数学のノートを作るのはとても楽です。しかし、このような書き手(そして出版社)に対するやさしさは、読者に対するやさしさには直接に繋がっていないように思います。すなわち、簡単に文章を挿入できるために、最適とはいえない場所に冗長な説明を何度も繰り返したり、数ページ後の数式を引用してしまったり、節割りや命題の構成に関する吟味が不十分なまま、完成品として世に出てしまったり、という論文を見る機会が年々増えているような気がするのです(自戒の気持ちも込めて)。それに比べると、タイプライターで清書をしていた時代(私にとっては世界史の出来事に属する時代です)の論文は、内容はともかくも、良く整理されていて読みやすいものが多いような気がします。古い本ですが、Silicon Snake Oil (邦訳題「インターネットはからっぽの洞窟」、倉骨彰訳、草思社)の著者のC. Stollは、この本を書くにあたって、実験として、ワープロ、タイプライター、手書きの三つの方法を三日置き替えて執筆したそうです。結果は、ワープロは、とにかく文字数が稼げる、タイプライターは、ワープロよりもコンパクトで抑制の利いた文体になる、そして、手書きの場合は、人との関わりや自分の生い立ちについて書くことが多い、ということです(これは本文ではなく、訳者あとがきの項で紹介されていた話です)。最初に読んだ時には、あまり気になりませんでしたが、手書きの結果はさておき、ワープロとタイプライターの比較は、今となっては、なるほどと思います。とはいえ、いまからタイプライターに逆戻りするわけにはいきませんから、少なくとも私にできることは、書き手の便利さと、読者の便利さは違うということを、常に心掛けることかなと思っています。[2010.07.19]

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「数学通信」編集後記(第15巻1号)

「数学」編集委員の二年の任期があとわずかとなり、何もできなかったと反省していたところに、思いもかけず、「数学通信」の編集委員を拝命することとなりました。編集長の平田先生や数学会事務局の皆様に、全面的に依存してしまう様子が今から目に浮かびますが、今度は、少しばかりでも寄与できるように努力する所存です。どうぞよろしくお願い申し上げます。 先日、文科省委託業務「数学・数理科学と他分野の連携・協力の推進に関する調査検討」の一環として「拡がっていく数学-社会からの期待」と題されたシンポジウムが、東大数理で開かれました。私は、パネルディスカッションのみを拝聴しましたが、数学と産業界等との連携・協力の促進、あるいは数学と社会との間の溝を埋めるための仕組みや制度の構築について活発な議論が聞けて、大いに触発されました。質疑応答では、立派な発言をする学部生がいて頼もしく感じましたが、一方で、ある年配の方の「このような試みは前にもあって、それは数理解析研究所という形で実現した」との発言(語句は不正確です。あくまで大意のみ理解して下さい)が印象に残りました。実際、数理科学研究所ができるまでの経緯の一部は、1959年から1962年までに計13冊刊行された「数理科学ニュース」で詳しく知ることができます。私は、以前これを読み、内容が極めて現在的であることに、妙に感心した覚えがあります。すなわち、数学を生業にする人たちの理念や思い(方程式)には大差はなく、時代(初期条件)や社会(境界条件)、そして数学あるいは自然科学自身の成熟・衰退度(非斉次項、非線形項?)の下で、ある解が構成されるか、解が見つからないまま終わるか、ということなのだろうと思ったわけです。数理解析研究所は、一つの(そしておそらく最適の)解でした。私たちは、また新しい解を探そうとしていますし、今後も探すことになるでしょう。その際に、先人の歩んだ道程を振り返る労力を惜しむのは損だと思います。 歴史に学ぶといえば、今年の大河ドラマの主人公は坂本龍馬です。先週は、龍馬と勝海舟との出会いが、ちょうど描かれていました。それで思い出しましたが、勝海舟は次のようなことを言っています。「漢学といふものは決してわるい学問ではない。やりやうによつてはずいぶん役に立つのだ。それが今日のやうに一向振はないといふのは、つまり漢学がわるいのではなくつて、漢学をやる人がわるいからだ。」漢文を数学に取り換えてみることは、もちろん、単なる言葉遊びですが、なぜか身に沁みてしまいます。[2010.04.19]

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「数学」編集後記

(何巻何号に掲載されたか、わからなくなりました)

リーダーシップ溢れる編集長と有能な秘書がそろえば、ほとんどのことは順調に進むということを実感した二年でした。そして私は特にこれといった寄与ができずに任期を終えてしまいますが、身近にありながら、あまり意識していなかった「数学」について、今更ながらに知ったことが多く、大変勉強になりました。このような反省で締めくくる積りでいたところ、思いもかけず、今度は「数学通信」の編集委員を仰せつかりました。したがって、この編集後記は、「数学通信」の新任の挨拶へと続きます。[2010.04.14]

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数理送別会での菊地先生を送る言葉(2009年3月12日)

菊地先生の退職にあたって、私が言葉を贈るというのは、大変僭越で、躊躇する気持ちが強いのですが、専門分野の近いからという理由での指名でもありますし、二度目の機会のないことでもありますので、ひとこと申し上げたいと思います。

菊地先生は、1964年に理I入学、1966~73年工学部原子力工学科に進学、1973年に宇宙航空研究所に着任され、その後、1981年に教養学部、1993年に数理科学研究科に異動されて、36年間を駒場キャンパスで過ごされました。

今年の2月の初めに印刷された教養学部報に、宇宙研から教養学部、数理科学研究科へ移った経緯を先生自身が思い起こしておられました。読まれた方も多いと思います。その記事も、なんとなく読めば、なんとなく読めてしまいますが、細かいところの真意を考えてみると、いろいろと伝わってくるとことがあり、事情をほとんど知らない私が読んでも、とても興味深いものでした。それ読んで、とても先生らしいと思いました。というのも、こちらがうまく質問すると、とても面白い話をして下さります。面白いというのは、まさにいろいろな意味でおもしろい、という意味です。

東京大学での教育・運営面でも、いろいろご活躍はあったと思いますが、残念ながら、私はそれを知る機会がなかったので、ここでは、菊地先生の研究の側面について申し上げます。菊地先生は、学部4年の卒業研究において「低温低サイクル疲労の実験」をなさったということですが、その後は、構造力学における問題の有限要素法による数値解析を皮切りに、有限要素法の理論的それから応用の研究に打ち込まれて、常に世界をリードする結果を残されています。とくに、菊地先生は常に、重要な問題に、いち早く着目して、本質的な寄与をなしてこられました。どれくらい本質的なのかを、ここで細かく正確に説明はしません。その代りに、乱暴な例えをすると、菊地先生が苦労して、切り開いた道を、あとから大きなブルドーザが何台も通っていき、はじめに誰が歩いていたのかがわからなくなる、というのが私の印象です。

菊地先生の直接のお弟子さんは、残念ながらというか、不思議なことにというか、あまりいらっしゃいません。先生は、有限要素法や、微分方程式の数値解析についての本を何冊か書かれていますが、その本に啓発を受けたという人の数は、おそらく先生が考えているよりもずっと多いと思います。もちろん、私もその一人です。狭い意味での数値解析の研究者・院生・学生だけでなく、コンピュータシミュレーションを偏微分方程式の研究に活用している人たち、それも数学の内部・外部を問いません、また、アカデミックでない企業等の技術者達などなど、影響を受けた人たちのrange(レンジ)は、強い弱いはあるにせよ、相当にひろいと思います。とくに、先生の本は、我々がなぜ、数値解析を研究するのか、あるいはなぜ数学を研究するのか、という動機づけに一章が費やされており、それ以外の数学的なところは、ちゃんと読んでいないけれども、動機づけの章だけは、しっかり読んだという方まで、含めると、rangeはさらに広がります。ということで、菊地先生の遺伝子は、広く、先生から見れば浅くかもしれませんが、受け継がれているように思います。それで、というか、しかしというか、菊地文雄という名前は知っていても、実物は知らず、教科書を書いた先生という認識の人たちは、すくなくとも私と同世代、さらにその下、ではほとんどで、それは私も例外でなく、私にとっても、あやうく、菊地先生は歴史上の人物という認識で終わってしまうところでした。幸い、一年半前に、東大数理に異動しまして(その前に一度集中講義で呼んでいただいたりしておりましたが)、短い間でしたが、同じ職場で過ごせたということは、私にとっては、大変幸運でした。

教員として、36年間、東京大学で勤めあげられたことは、本当にお疲れ様でしたと、お礼を言いたいと思います。その一方で、4月以降は、先生は、基礎的なことからいろいろと勉強がしたいとおっしゃっていましたが、研究の面では、まだまだ、あてに、頼りにしておりますし、ご指導していただかなくてはなりませんので、今後ともよろしくお願いいたします。[2009.03.12]

 

補足:この文書は2009年3月12日に行なわれた数理科学研究科送別会で、退職を控えた菊地文雄先生について、何かスピーチをして欲しいと言われて、そのための原稿として用意したものです。実際のスピーチでは、省略したこともありますし、アドリブで入れたエピソードもあります。スピーチ自体は、結構、受けたので、安心したのを良く覚えています。[2015.03.13]

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菊地文雄先生をおくる言葉【東京大学教養学部報・第518号】

菊地文雄先生が駒場キャンパスを去る日が近づいてきました。同僚として過ごしたのは僅か一年余りであり、菊地先生から見れば相当の若輩者の私にとって、このような文章を書くことは僭越で躊躇する気持ちが強いのですが、またとない機会でもありますので、一言述べさせて頂きたいと思います。菊地先生ご本人の記事で述べられているように、先生は、有限要素法が新しい解析手法であった時代から、常にその応用そして数学理論研究の第一人者であり続けました。有限要素法とは、微分方程式の数値解法の一つであり、汎用性が高く、かつその原理は端正な数学理論で保証が可能であり、その意味で最も強力と言えます。様々な物理現象が微分方程式を用いて記述できますから、先生が著書で述べられているように、「有限要素法の出現により、我々は計算によって未だ存在しない物の性質も、かなりの確かさで知ることができるようになった」のです。先生は重要で基盤的な問題にいち早く注目し、本質的な寄与を成してこられました。昨今、数学とその応用に関しては様々な議論がありますが、先生のように工学部出身であり、(三十年以上前から)応用の立場から数学的基礎理論の重要性を認識し、本質的な寄与をなしてきた研究者の声に耳を傾けるのが最も有効のように思えます。

残念ながら、先生から直接薫陶を受けた研究者は、そう多くありません。しかし、先生に私淑している者の数は、おそらく先生の想像以上に多いと思います。実際、先生の著書の内の二つ「有限要素法概説」と「有限要素法の数理」は、応用解析を志す者にとって必須の本です。前者は有限要素法の基礎からプログラミング、そして応用までを、簡潔かつ具体的に述べた入門書、一方、後者は有限要素法の数学理論を、問題への動機、定式化の方法、定理と証明までを、明瞭でありながら深く解説した本であり、理論の発展をリードしてきた先生だからこその説得力そして哲学にあふれています。この二冊は、今後も必須の本であり続けるでしょう。三冊目がないのは、後進の怠惰かも知れませんが、それほど先生の本にはすべてが書かれていると言えます。その意味で、今後も先生から影響を受ける研究者の数が減ることはないでしょう。 また、これも先生自身の記事に触れられていますが、先生は多くの組織の改組等を経験されており、したがって先生の経験談は現役の大学教員には教訓的であります。もっとも、その類の話を深刻に訴えるのではなく、事実のみを淡々と、しかも飄々とした表情でお話しされるところに、先生のお人柄の温厚誠実さを感じずにはいられません。

さいごになりましたが、菊地先生の新たな門出をお祝いすると共に、今後のご活躍とご健康を心よりお祈りいたします。[2008.12.08]

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