2011年4月 - 2013年3月
明治中期「理科」・「科学」教育の実相・意義・源流の解明と今日的価値の新展開
日本学術振興会 科学研究費助成事業 挑戦的萌芽研究
- 配分額
-
- (総額)
- 200,000円
- (直接経費)
- 200,000円
- (間接経費)
- 0円
- 資金種別
- 競争的資金
新潟、静岡、茨城等で「明治20年代の高等小学校生徒の授業筆記」を発掘・分析し、当時はどのような科学教育の授業が行われ、どのような教科書をどのように活用したか、どのような授業内容だったか、等を解き明かした。その結果、「明治19(1986)年の小学校令後の約10年前後まで、当時の世界の最先端に位置する物理学・化学・・等の高いレベルの科学教育を目指した授業が、授業筆記が書かれた各高等小学校で実施されていた」ことを検証する特筆すべき研究成果を得た。即ち、「明治中期の小学校令の時代には、日本人による日本に根ざした科学教育の新展開と発展に寄与する教育が日本の各地に育ち始めた」ことを解明することが出来た。新潟の中川謙二郎の訓蒙化学の方向や、群馬の後藤牧太達の小学校生徒用物理書等の方向等、「日本人による、日本に根差した科学分野の授業」が工夫されたもので、日本の風土や実情に合うように解り易く噛み砕いて、当時の世界最先端の教