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2021年12月

近世後期天草郡高浜村における疱瘡流行と迫・家への影響

京都府立大学学術報告. 人文
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掲載種別
研究論文(大学,研究機関等紀要)

肥後国天草郡高浜村の文化四・五年の疱瘡流行が村社会・地域に与えた影響と実態、特に迫や家・人に注目し分析を行った。1では疱瘡流行期に作成された文書を精査し、迫全戸の状況や難儀者などを明らかにし、2では切込・遠慮・他国養生の対象となった家、支援物資提供者の実態、3では文化期の宗門改帳から疱瘡死による家族の構成の変化・影響、特に家頭の死亡と女性に焦点をあてて分析した。
判明した論点、①疱瘡罹患者の世代と社会への影響である。近世各地でほぼ子供病と化した疱瘡は、社会への影響は人口減少などであった。高浜村では、一〇歳以下は病人全体の二五%、二〇代を含めても四九%と全体の半分程度である。半数を占める三〇代以上の特徴は、発端となった人物の年齢と世代交流の影響がみられた。この世代に多い家頭の死去は家の継承や難渋者の増加につながる。また、奉公先での感染、酒盛や宿泊など接触機会の多様化・広範囲化、治療を受けた六部の排除や高齢者死亡の疱瘡感染疑惑の発生、養子が養父母を感染死させ、その後に起こした内済一件など精神的影響等、数多くの問題が発生した。これらの問題は、様々な形で村社会へ影響を与えており、全国的に普及した子供病段階ではみられない現象ともいえる。
②家族の構成の変化への対応、柔軟な家認識の存在である。疱瘡流行による家頭死亡は一四軒存在するが、その内絶家となったのは一軒のみである。ほぼ家族内の男子が替門で継承し、その他は別家入で他家へ吸収されていた。この柔軟な家認識は、家の統合・分離・吸収を行い絶家を回避し、全体的に各家の存続と村の人口増加に寄与したといえる。

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http://id.nii.ac.jp/1122/00006241/ 本文へのリンクあり

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