資料公開

資料公開

タイトル 同志社大学講演「日本学問編成史という視角」20191116
カテゴリ 講演資料
概要 同志社大学国文学専攻院生部会での講演「日本学問編成史という視角―前近代から近現代へ―」の資料。当日配布した資料に若干の誤りがあったため、修正してあります。
タイトル 近畿大学講義「古典と現代1」2020
カテゴリ 講義資料
概要 日本文学専攻の選択科目「古典と現代1」の2020年度の講義資料。
「古典」とは、文字どおり過去に記された書物のことであるが、「価値のあるもの」「規範とすべきもの」といったニュアンスが含意される。では、誰がそれらの価値判断をするのか? それは後世の人間である。つまり、現代において「古典」と呼ばれているものは、すべて現代人の判断によっている。例えば教科書に『源氏物語』が載っている理由は、『源氏物語』それ自体の価値ではなく、現代人の判断に依拠する。「古典」とは、きわめて「現代的」な存在であるといえよう。
この授業では、我々現代人が特定の書物を「古典」として扱う際に生ずる種々の問題について、特に「教育」「政治」「宗教」という観点から考えてみたい。
タイトル 近畿大学講義「日本文学史1」2020
カテゴリ 講義資料
概要 日本文学専攻2年生対象の必修科目「日本文学史1」の2020年度の講義資料。
「文学史」というと、作家や作品の名前という“事実”を時代順に並べた、客観的で退屈なものというイメージを抱くかもしれない。しかし、歴史叙述とは無色透明なものではない。どんなに客観的に見えても、事項の取捨選択がおこなわれているため、叙述者の主観を排除することはできない。『万葉集』や『源氏物語』等々の作品名を並べてゆく作業は、これらが“重要”で“有名”な作品であるという、後世の少数者の認識に基づくものであり、同時代の誰もが同じ評価をしていたわけではない。また、そもそも「文学」という概念は近代に成立したものであるのに、近代以前の『万葉集』や『源氏物語』等を「文学」と認識し、文学でないものと区別すること自体、非常に不合理なことである。本講義は、こういった視点から「古典文学史」を検討し、「古典」や「日本」に限らず、広く「文学」とはいかなる営為であるのかということについて考察するものである。