基本情報

所属
独立行政法人 国立高等専門学校機構 秋田工業高等専門学校 (名誉教授)
学位
工学博士(東北大学)
工学修士(東北大学)
学士(東北大学)

J-GLOBAL ID
200901035505883906
researchmap会員ID
1000143899

「未来を拓く次世代エネルギー開発」 ナノテクは21世紀をリードするキーテクノロジー!   秋田に、日本に、世界に エネルギーを!  「地域と経済」を自然エネルギーで再生!  ILCを東北へ! 学校教育のDXとGX化! さらなる未知の世界・未来に向かって、原理を応用して人や社会に将来にわたって役に立つ研究技術開発を目指しています!  「爾今生涯」「常に俯瞰する視座にて」「明鏡止水」「学如不及、猶恐失之」「学而不思則罔、思而不学則殆」「知之為知之、不知為不知、是知也」

1.色素増感フレキシブル太陽電池の開発 (創エネ!)
有機導電性フィルム上に酸化チタン系ナノ薄膜とその上に可視光に対する光吸収を高めるために色素(無機)をスパッタして高変換効率のフレキシブル太陽電池を開発。太陽エネルギーが拓く未来。宇宙太陽光発電とマイクロ波電力伝送を! 次世代エネルギーとスマートグリッド! スマートエネルギーネットワーク! Energiewende  !  自然エネルギー王国 秋田!
2.次世代パワー半導体SiCの電気的特性に関する研究 (省エネ!)
MOS電界効果トランジスタ等の次世代半導体SiCパワーデバイスに対するオーミック電極薄膜のため、低接触抵抗率の金属ナノ薄膜を半導体表面上に作製して、接触界面の電気的特性に対するショットキー障壁形成機構を研究。省エネルギー社会に向けたデバイス開発!パワーデバイスの更なる省エネ化! 山崎賞受賞
3.水素エネルギーに関する研究―電気自動車用高圧水素容器の開発 (畜エネ!)
円筒内部への同軸型スパッタリング技術。銅空洞内面への超伝導薄膜スパッタリング技術の応用(ドイツDESY研究所で開発研究とCERN滞在)。光触媒利用水素発生技術。HDPEへの水素透過性の低い弾力性薄膜作成技術(学内共同研究)。水素エネルギー社会に向けて!
4.RFマグネトロンスパッタ法による抗血液凝固性医療器具の開発 (医工連携!)
セリウム薄膜を耐熱温度の低い医療器具にコーティング。秋田大学医学部との共同研究(血液バッグ、人工透析器、人工心臓、人工血管等)へ高密着性のコーティング技術の開発。可視光応答型光触媒酸化チタン系薄膜による抗菌性の非耐熱性医療器具の開発。光触媒の製造技術特許。企業との共同研究。秋田県委託研究2件。国立高等専門学校協会日本の高等専門学校産学連携の推進に掲載される。健康寿命日本一へ! 抗菌殺菌清浄化技術研究会代表。プラズマでものづくりに革新技術を!
5.リニアコライダー用加速管の高電界化に関する研究     超伝導高周波国際会議プロシーディングス編集委員長  (高エネ!) (国際協力!) (共同研究)(賢エネ!) ILCを東北へ!
KEK等との協力。国際リニアコライダー計画の実現。高電界加速管の開発。超高真空システム技術。二オブ空洞内面の電解研磨と洗浄方法。超伝導高周波特性と表面処理技術。高温超伝導体薄膜の高周波表面抵抗。総合研究大学院大学数物科学研究科併任。極低温技術と高圧ガス安全管理。DESY客員研究員(HERA完成式典出席、ドイツ東西統一遭遇、ドイツでは「アザーノ」と呼ばれていた、銅空洞内面への超伝導薄膜の作製技術の開発)。CERN、TJNAF、INFN、Saclay、HEPL、CIAE、CESR(コーネル大学)等世界の加速器原子核研究所で発表。世界13カ国と国際交流協力。「無酸素銅拡散接合加速管の高電界化」でKEKと共同研究。KEKB用超伝導加速空洞縦型性能測定装置D10放射線発生装置管理責任者。高圧ガス製造保安係員、液体ヘリウム等製造施設、KEKBヘリウムガス精製液化設備、KEKB液化窒素製造施設。宇宙・物質の起源と進化のなぞに迫る! 高エネルギー加速器の挑戦は続く! 最先端技術の結集! ILCを東北へ!
6.JST「秋田県地域結集型共同研究事業」として「次世代磁気記録技術と脳医療応用技術開発」日本素材物性学会 山崎賞受賞 他(地域再生!) (地域連携!) (共同研究!)
あきた創生シーズ展開事業提案書、あきた産学官連携未来創造研究事業、真空製膜研究会副会長、抗菌殺菌清浄化技術研究会代表、新事業創出育成事業(ICR)代表、産学官連携支援事業、秋田県委託研究複数、国立高専教育改善プロジェクト産学連携分野代表、学科横断型プロジェクト研究代表「ナノテクノロジーを用いた次世代生産技術の創生」、「オゾンを応用した新技術開発」で大学や企業との共同研究で特許、秋田高専での共同研究第一号、大学医学部等との共同研究「高効率光触媒酸化チタン系薄膜の殺菌効果を医療器具へ応用」。マイクロバブル技術で大学機械工学科との共同研究、オゾン水技術。新成長産業可能性調査事業! 国立高等専門学校協会日本の高等専門学校産学連携の推進に掲載される、日本素材物性学会 山崎賞受賞及び校長賞2回 他。 ふるさと秋田元気創造プラン!、秋田の成長を牽引する企業の育成と成長分野への新たな事業展開! 地域新生コンソーシアム研究開発事業! 地域社会に密着した産学官連携事業! 「地域と経済」を自然エネルギーで再生!
7.未来を力強く切り開く「本当の学力」を育てる教育。力強く「生き抜く力」を支える心の育成。メタ認知力、大学改革支援・学位授与機構特例適用専攻科における教育の実施状況等の教員審査合格、e-ラーニング日英合体版情報モラル教材受講修了、教職員のための情報倫理とセキュリティ修了、運動部活動指導員研修会研修修了。科学技術立国日本における半導体IC関連産業の人材育成の重要性、メタ思考力  (人材育成!) (教育理念!)(人間力育成!)
国立高等専門学校機構クラス経営生活指導研修会修了証書機構理事長より授与、国立高等専門学校機構―地域社会に密着した高等専門学校の産学連携に掲載、秋田高専―視野広い人材育成(河北新報に掲載)、国際的に通用する技術者の教育、「今、学生は何をなすべきか?」自ら学習する習慣、確かな学力、学びの風土構築方法等に関する教育研修修了、総合的な人間力、社会人基礎力、学ぶ意欲を育てる、国際化情報化社会における心の教育、情報セキュリティeラーニング最終テスト合格証、電気工学科を電気情報工学科へ改組(文部省より認可、3年かけて申請書160㌻・強電系の科目削減と情報教育大幅導入・電気電子情報系教育)、ICT情報教育、学校教育のDX・GX化(デジタル・トランスフォーメイションとグリーン・トランスフォーメイション)、科学技術に学ぶ心の教育。インフォームドコンセント、アカウンタビリティ、コンプライアンス、教育機関におけるリスク、危機管理意識と風通しの良い職場づくり、生活指導上の危機管理、学校教育と法、学校の法的責任、生徒指導と法、秋田県教育委員会研修会修了、全日本卓球指導者合宿研修秋田県代表として2回修了、運動部活動指導員研修会研修修了、「秋田卓球会館スポーツ少年団の更なる飛躍を願って」 秋田卓球会館スポーツ少年団代表として秋田卓球会館創設30周年記念誌、教育のためのICT活用実践、さらなる未知の世界に向かって、原理を応用して人や社会に役に立つ技術開発を目指しています。かけがえのないこの「地球」を次の世代に残すために「科学技術」は、今、何をなすべきか? 公正研究推進協会RCR理工系コースカリキュラム修了証、 巨大加速器への挑戦!  宇宙誕生の謎に迫る!  宇宙創生の一瞬をつくる!
8.父浅野清東北大学教授(地質学古生物学、名古屋市出身、日本学術会議2期、現代愛知の百人、何事にも基礎が大切、1950年に525種を収録する「日本産第三紀小形有孔虫図録」を出版、古環境論/微古生物学上中下巻/古生物学Ⅰ/古生物学入門/地史学上下巻等(朝倉書店)地学概論(コロナ社)、微古生物学の進歩(1971)、矢部先生の思い出(浅野清 化石37.1985,p.21-24. 1953年地質学界で唯一人第12回文化勲章受章者矢部長克東北大学名誉教授)、浅野清先生を偲んで(化石46.1989,p.32-33.高柳洋吉)、「浅野清先生を悼む」『地質學雑誌』第95巻第6号、日本地質学会、1989年6月15日、505-506頁(斎藤常正)、東北大学理学部地質学古生物学教室小史(浅野清 地学雑誌93-6.1984.p.59-62他)、地学者列伝 浅野 清 -微古生物学の隆盛を日本にもたらした小形有孔虫の研究-(地球科学2005 年 59 巻 4 号 p. 279-283、高柳洋吉)、南鳥島北方の浅野海山(IHO/IOC 海底地形名集に掲載)、東北大学理学部自然史標本館浅野有孔虫コレクション(2万点を超える有孔虫標本)、日本で報告された新生代の小形有孔虫の新種約1000種の1/3が浅野による、パラオ(南洋庁熱帯産業研究所)・メキシコ・ニューブリテン島・ニューギニア・スマトラ・松川浦総合研究・フィリピン・台湾・ヨーロッパ・オマーン等のアラビア半島諸国・中東各国の石油資源開発と地質調査), PROGRESS IN MICROPALEONTOLOGY, SELECTED PAPERS IN HONOR OF PROF.KIYOSHI ASANO,The American Museum of Natural History,New York1976. 東北大学理学部地質古生物学教室同窓会ニュースNo.36,25-34.2005.小伝:浅野清(高柳洋吉著)、東北大学;研究第一・門戸開放・実学尊重・社会とともに、母薫(愛知県出身)の三男、3代にわたって東北大学卒業、妻 東北大学教授(腐食・防食の材料科学、原子力発電所の応力腐食割れ対策、金属のさびはどうして起こるか・長野県出身、異路同帰(淮南子)、鑑定人兼証人・銃弾等の科学捜査研究、発射された黄銅製弾丸の応力腐食割れ)の長女、1983-1986ミスター半導体・西澤潤一教授併任研究室所属(所長・3大学総長学長・文化功労者・文化勲章 受章者 電子工学1989・仲人)、東北大学創立100周年記念事業推進実行委員、東北大学電気通信研究所出身研究室からの論文で浅野清光の論文が被引用件数最多、モットー;いつも新しいことへの興味関心挑戦を続け、根底にある広い学術を通じて(多様な視点と本質を見極めて)人と社会と関わること(研究の種となる情報収集と研究成果の発信・メタ思考力)、至誠通天、「過去から未来へ今日を生きる」、趣味 ; 卓球(公認審判員証・日本卓球協会全国卓球指導者合宿研修修了済み秋田県代表として2回)、読書(本は知層なり・常に新しいことを学び続けること)、花の散歩道、芸術鑑賞、仏教美術、教育と心理学、温泉、専門分野に関係なく幅広く放送大学を学習する事、ドイツ運転免許永久ライセンス、ベルリンの壁崩壊東西ドイツ統一遭遇、NHKガイロクや空港ピアノ ・駅ピアノ・街角ピアノ・コズミックフロントの視聴、国際免許、ヨーロッパの教会建築・宮殿・城・彫刻や庭園・ポーセリン、図書館、Eテレこころの時代と日曜美術館、ウォーキング


研究分野

  13

受賞

  10

委員歴

  27

論文

  127

担当経験のある科目(授業)

  27

MISC

  292

書籍等出版物

  43

講演・口頭発表等

  88

Works(作品等)

  101

共同研究・競争的資金等の研究課題

  36

学術貢献活動

  99

社会貢献活動

  128

メディア報道

  9

その他

  276
  • 2025年5月
    引きこもりは、「様々な要因の結果として社会的参加(義務教育を含む就学、非常勤職を含む就労、家庭外での交遊など)を回避し、原則的には6ヶ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態(他者と交わらない形での外出をしてもよい)」と定義されている。併用を想定されている、新たに策定された厚生労働省の自治体向けの指針では、引きこもりの期間は問わず、当事者本人が自身を肯定して主体的に意思決定できることを「自律」と位置付け、目指す姿として「何らかの生きづらさを抱え、困難を感じている状態」や「他者との交流が限定的な状態」にある人と、その家族を支援の対象としている(秋田魁新報2025.5.8)。近年は、①生活困難やいじめ、リストラのような社会問題②人間関係の希薄化③世帯構成の変化などが複雑に絡んだケースが多いという(厚労省ひきこもり支援の新指針・対象拡大、寄り添い強化・当事者の決定を自治体が後押し)。引きこもりの特徴は①男性に多い(男性への就労への期待の強さが、男性の引きこもりに対する否定的評価を強め、男性の引きこもりが顕在化しやすくなっている)②思春期から就労安定期に至るまでに生じる(中学校から始まる引きこもりは、中学校から急増する「不登校」と関連が強い。20代後半から始まる引きこもりは、「就労への不適応」と関連が強い)③高年齢化が進んでいる(30歳を越えて引きこもり続ける人が存在。引きこもり状態にある人の親は、年齢が60歳を越え、その多くが年金で生活する中で引きこもり状態にある子どもを養っている状況にある)横手市の調査では、50代が22.0%と最も多く、40代が21.5%、30代が19.4%だった(秋田魁新報社説2025.4.30)。④遷延化しやすい(引きこもり期間の平均は10年を超えている。長期化は引きこもり状態から「社会参加への展開を妨げる高い壁」を形成する。横手市の調査でも、引きこもりの期間が10年以上が29.8%、5~10年未満が17.6%で、5年以上が全体の半数近い(秋田魁新報社説2025.4.30)。引きこもりが15年以上において、身体障害(栄養障害・発声障害・骨折)が認められている。引きこもり状態の遷延化が心身へ与える影響が大きいとされる)。長期の引きこもりへの対応や対策が大きな課題となっている。⑤人に関わらない程度の外出はできる(「人との交流」を避けている。避けているのは人ではない)⑥自ら支援を求めることが少ない(相談機関の利用を促進するには、相談機関の利用という新規場面への抵抗感を緩和すること)⑦家族関係の悪化(引きこもり状態での家族間でかわされるコミュニケーションが正常に機能しなくなっている。親が子どもの望ましくない行動を叱っても、その行動が減るという結果に繋がらない。本人が家族に対して支配的であったり、拒否的であったりすると家族機能が低下し、「家族の精神的健康度」が低くなる。家族間でかわされる「コミュニケーション」が正常に機能しなくなっている)(「ひきこもり」と学習・境・「ひきこもり」考・創元社)。ニート・引きこもりの三要因としては、①フリーター生活志向性(職場や仕事で我慢できないことがあれば、無理をせずに辞めたほうがいいと思う。働くことの意味がなかなか見出せないと感じる。)②自己効能感低さ(自分は知識や技能が低いと思う。コミュニケーションをとるのがどうしようもなく難しいと思う。)③将来の目標の不明確さ(将来何をしたいのかよくわからない)。最近、特にニート・引きこもり傾向の高い人で「努力主義」が低くなっている。相対的にニート・引きこもりのリスクの低い日本人学生は、「失敗した際に向上と改善を目指して努力」しようとする動機付けをもっている。失敗したときこそが努力すべきときであり、やる気をもって物事に対処するときとなる。この「失敗に対するチャレンジ」は、他者や集団の「期待に合わせて行動すること」が求められるような日本社会の中で重要とされてきた。しかし、ニート・引きこもりリスクの高い傾向にある人々は、失敗の後に努力することを辞め、諦めてしまう。その背景には、「努力しても無駄だ」というような、「順応性、適応力に対する自信のなさ、可塑的な人間観・人生観の欠如」が見られる(ひきこもりと日本社会のこころ・内田・「ひきこもり」考・創元社)。引きこもりは特別な人に特別な形で起こるのではなく、「現代の日本社会の中のありふれた状態」で起こっているという認識のもとに、「受容と支援への耐性」が必要であるとされる。「場の喪失や相互協調性の否定」が「日本のグローバル化」と関連するとすれば、今後の社会変化によってさらに引きこもりが増加するのか、それとも全く別の行動があらわれてくるのか、それぞれについて何か予防的アプローチは可能なのか考えていくことが必要。そのためにも学問領域を超えて、現場で実際に引きこもりの問題に対峙している人たちと共同して議論を深めて、「支援システム」を構築していくことが不可欠であるとされる。アメリカでは、「怒り」や「欲求不満の爆発」という「行動化」としてその不満を表現することが多いとされる。日本でも、非行化は存在しているが、引きこもりは、自分たちの不満と怒り、不安や焦りを外的に「行動化」することよりも、自己の内側に「引き込む」ことで表現しようとしているように見える。「引きこもりは日本社会に多く見られる」と指摘されている。「日本社会の中にある要素」ー「社会システム、家族のあり方、さらには自分という存在そのものに対する捉え方」が「こもる」という行動と何らかの関係を持っているとされる。社会・文化・環境的要因は、異なる文化との相対比や比較によって明らかになる。私たちにとっての「当たり前」は、他の国から見ると必ずしも当たり前ではなく、そうしたことの中に引きこもりに繋がる原因が潜んでいるのかもしれない(「ひきこもり」考・河合・内田編・京都大学こころの未来研究センター・創元社・こころの未来選書ーなぜ、日本の多くの若者たちは社会との関係を断ち、自らの殻にとじこもるようになってしまったのか?)。アメリカの文化においては、「自己の意志を示すこと」により外的状況をコントロールして「自尊心を防衛する」のに対して、日本文化においては、「自己の思考を変化させること」によって「外的状態に合わせようとする」。「こんなに不幸な自分を生み出した社会や学校、親に対する恨みや不満」があったとしても、変更を迫ることよりは、まず「自分の中に原因を見つけて問いかけ、怒りを内包」してしまう(最近のニュースではアメリカ型ともいえる事件も見られるようになってきている)。グローバリゼイションの影響で文化が変化したならば、それに対応して企業や学校の仕組みや「暗黙の価値観」を変えていく必要がある。ニート・引きこもりは社会に完全には参加しておらず、それゆえ「日本社会の文化的習慣や日常に適合できていない」。彼らは、「日本における中心的な心理的傾向からより逸脱」している可能性がある。したがって、彼らは「相互協調的自己感も低い」と予想される。相互協調性が低い結果、彼らは「自己の可塑性」も低い。「日本では、この強い自己コントロール」があるために、危害のベクトルが他人には向かわず自分に向かい、世界に冠たる自殺者の数を誇ることになる(目くじら社会の人間関係・佐藤直樹・講談社)。法のルールを「世間のルール」が袋叩きにしたともいえる事件も取り上げられている。学校という世間・いじめる世間と一体化しないと自分がいじめられる・人権無視のブラック校則・出る杭は打たれるを学ぶ子どもたち・「世間教」を強化する学校の祭り・ないがしろにされる子どもの権利等(「世間教」と日本人の深層意識ーみんな一緒でラクがいい・佐藤直樹・さくら舎)。「世間」のルールにとらわれない、多様性と人権が尊重され、一人ひとりが大切にされる「寛容な社会づくり」が喫緊の課題である。引きこもりという現代の問題を解決するための処方箋として、「何を正しいとして、何が望ましいとして、何をもって価値観として考えるのかを社会全体として見直すこと」。社会全体を覆っている明示的な価値観を見直し、人間関係に新たな意味を見出していくことが肝要。従来の封建的とも言える人間関係は、「個」を紡ぎ出そうとする際の足かせになることが多かった。「日本社会は、会社、地域社会、家といった社会組織の利益を第一」に考え、「個はそれに従属するもの」だとする価値観に基づいて成り立ってきている。これを少しでも変えて、人間関係こそが「個を実現」するための糧である、あるいはそのためのサポートシステムであるといった価値観を作り出していく必要があるとされる。ニート・引きこもりになるリスクの高い傾向にある日本人は、失敗の後にあきらめる傾向にある。努力によって自己を高める事ができるという感覚(適応力や順応性)や、「可塑性のある自己概念」をもっていない。さらに、協調性志向も低く、「肯定的自己概念をもつ事ができない状態」にある。より「適応能力が低いという自己認識」をもっており、自分の性格は変わりにくいという視点をもっている。「一度失敗を経験すると、課題の継続を放棄」したくなるという感覚がある。「学校や職場での失敗の経験」がニート・引きこもり行動の大きなきっかけとなっている。「一度失敗した課題の継続に対する動機付けが低い」という感覚を頑なにもっていることに加えて、彼らの自尊心が低い。このような「自尊心の低下」は両親から認められていないという感覚、そして学校でよい成績をとる等、「両親の目標を満足させられていない」という感覚と繋がっている。勉強しなければいけない等の「価値の固執」、「将来への囚われ」から、それができていない自身に叱咤激励ばかりをしている。「今を生きる感覚や価値の多様性」に気づいた上で「こころ」を客観的に観察すること。引きこもりの家族関係には、①叱咤激励タイプ(父性中心)②過保護タイプ(母性中心)がある。①は焦りや不安から親の意見を一方的に押し付け、一刻も早く外に出て自立することを求める。そのような強引なやり方(追い詰めること)に子どもから激しく反発されることで、叱咤激励という家族の行動は減少することになる。②には、登校や外出、社会参加への刺激を与えてはいけないという誤った考えから待つタイプと、引きこもりは成長の一過程でそのうち自分で解決するだろうと任せるタイプが含まれている。いずれにしても、自力で抜け出す力やきっかけがない場合には何も変化が起こらないため、「待つや任せる」という家族の行動は減少することになる。慢性期に至る家族関係に見られる①と②は一概に悪いものではないが、慢性化した引きこもり状態に至る人は、結果としてこうした方法が奏功しなかった事例となっている。慢性期に至る家族においては、①と②という関わり方が入れ替わりながら出現する。しかし、結果としてどちらの方法も上手くいかず、慢性化に至っている。慢性期の家族関係は、あきらめ、放任という行動を家族が行わないという状態に落ち着いていく。「そっとしておくという意思決定」が何も起こらないという結果によって強化され、「そっとしておく」という意思決定が増加していく。「何もしないから何も起こらないという学習」を長期にわたって行っていて、この「誤った学習を修正すること」が家族支援における重要な課題となっている。引きこもり状態にある子どもに対する「恐怖心や子どもにどう接したらよいかわからないという自信喪失」が、「あきらめ、放任という家族行動」の背景に存在しているとされる。「何もしないという意思決定が、何も起こらないことによって強化される」というオペラント条件付けによって維持されている。引きこもり状態の人は、体験の回避傾向(不快な思考、感情、行動を避けようとする傾向のことで、様々な精神疾患の生起・維持要因になっている嫌悪刺激を避ける心性)が強いことが示されている。引きこもり状態に人を追い詰めても、さらなる回避を引き起こすだけであるとされる(境)。「将来の目標」に対する非現実的な期待と動機付けの低さが、ニート・引きこもりを生み出すリスクの要因として重要なポイントとなっている。「相互協調的自己感や懸命に働こうという動機」に影響する要因(自己の可塑性に対する信念)を拒否している(ニート・引きこもりについての社会心理学的考察ー原因と対処方略について・ビナイ・ノラサクンキット)。引きこもり状態の支援の難しさは、回避し続けることによって誤った学習が強化され続け、適切な学習への書き換え可能性が極めて低くなることにある(境)。問題が深刻化する前に引きこもり地域支援センター等への相談が重要となる。「多様なオペラント行動が出現するように支援する」のが、引きこもり支援において何より重要となる。「散歩をする、散髪に行く、服を買いに行く、部屋の掃除をする、家族に話しかけるといった些細な変化」こそが「回復の兆候」として認められる行動である。こうした「回復に向かおうとする些細なオペラント行動を確実に強化すること」が引きこもりからの回復に繋がる(境)。引きこもり状態からの回復は、ポジティブ体験とネガティブ体験が混在する「価値ある生活」に到達すること。引きこもり状態は、ネガティブ体験を回避した結果、何も起こらないという無感情に陥っている状態であると言える(境)。引きこもり状態からの回復は、短期的にも長期的にも強化される行動を誘発すること。ポジティブ感情を伴う「できることを重ねていく」という観点を重視すること。引きこもり支援で行き詰まってしまう大きな要因は、「ネガティブ感情を伴う体験に耐えた結果、価値ある生活に至るという「頑張って乗り越えるという方法論に固執してしまう」ところにある (境)。「受容・共感」と「叱咤激励」は、引きこもり支援における家族システムをを理解する上でも有効。父親と母親間での「父性と母性の役割分担」を調整することが重要とされる(境)。日本人に最も典型的な神経症は、他者の存在や視線を恐れる「対人恐怖」である。視線が気になるとか、噂されているとかを主な症状としつつ、あまりひどくなると外出ができなくなるまでになって、非常に日本人に典型的な神経症である(河合)。赤面恐怖、対人恐怖的なものから書痙、手が震えて文字が書けなくなったり、話そうとするとどもってしまったり、いろいろな形での症状が見られる。上司や管理職等から大声で怒鳴られる等の強いパワハラ・理不尽な扱い等を受けたりすると、その後、対人恐怖の症状が現れる場合がある。公益通報者がパワハラを受け自殺に至る場合や、管理職から強引に辞職を執拗に強要されたりすると、対人恐怖症・うつ病や心身症が現れる場合もある。公益通報者保護法を知らない人権意識の欠落した特権意識と自己正当化意識の強い管理職等も多く存在し、自分の立場を守るために他人に対して強い敵意や悪意を抱く人もいる。自分の思い通りにならないと他人を否定して悪とみなして攻撃の対象とする(梅谷・片田・中野)。学校管理職が「思い込み」から一方的に高圧的威圧的に相手を攻撃する場合の心理にも当てはまり、「組織として誤った判断や決定」にも陥ってしまう(学校の組織文化の改革こそ先決)。自己防衛や自己正当化・自己愛のため、相手を否認し無価値化して、自分の都合の良い方向にねじ曲げ、隠しておきたい出来事や行為に対する後ろめたさがある場合や、恐怖や恥も感じずに嘘をつくタイプもいる(片田)。相手の価値を低下させれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができるので、自分自身の価値を保とうとする。自分の能力に不安を抱いていて、自信の無い人ほど、他人を無価値化して、自分の価値を保つのである(片田)。「自分の信念や判断が最良で絶対正しい」と主張して(多面的思考力・メタ思考力の欠如)、他人の価値観を侵害する。攻撃欲の強い人は、価値があるのは自分の意見だけで、相手は抵抗せずに賛同すべきだと言う信念に突き動かされていることが多い(片田)。もし他人の考え方を尊重しようとすれば、自分自身の決断を変更しなければならなくなる。場合によっては、自分の落ち度、誤り、過失等を認めざるをえないかもしれない。そういう事態を避けるために、他人の考え方を一切考慮せずに防衛するのである。一方、家族等親しい人には怖さを感じず、非常に親しい人には怖さを感じない。逆に、全然知らない人に対しても恐怖は抱かない。問題になるのは、普段あまり会話しない上司や管理職、近所の人とか、通勤、講義、食堂等でいつも出会う人など、少しだけ知っている人、すなわち中間の人で、これが対人恐怖の非常に特徴的なところになっている(河合)。「見られている、噂されている」による恐怖という、否定的な形での主体が問題になっている。共同体的な関わりが、自立しよう、主体的に生きようと思っている人には、まとわりつくように思え、温かいはずの眼差しが「怖い」と感じられてしまうのが対人恐怖症。場依存的なところから脱却しようと、共同体から出て行こうという動きが生まれてくると、共同体との間でアンビバレンス(両面的価値)や葛藤を体験することになる(河合)。日本人には「俺ってダメなんだ」という否定的な形で表現されるものが多い。統合失調症の妄想においてさえ、自分は迫害されているという迫害妄想や、誰かに後をつけられているという追跡妄想が多く、自分への関心の向け方は否定的になる。主体の確立のためには、反抗期(拒否という否定的な形で自分が現れてくること)は非常に大切ある。「無気力と激しい行動」は意外と近いところがあって、例えばうつ病の人に強い攻撃性が認められる場合がある。表面で目立つ暴力よりも、「背景にある無気力」の方が問題である。「引きこもりと極端な行動」とは正反対のように思えて意外と近いとされている。完全な引きこもりと暴発は正反対ではない、同じ事の両面と考えられる。事件にまで至る場合も、心理学的に見れば、その人が事件を起こすことで、関わりや接点を求めて、最後にあがいている(接点を求めての最後のあがき)と理解することができるとされる。接点を求める気持ちをいかにキャッチするかがポイントとなる(日本における若者の病理の変化・河合俊雄・「ひきこもり」考・創元社)。東京メトロ南北線東大前駅で男性が切り付けられた事件で、殺人未遂の現行犯逮捕された容疑者(43歳)が「親に教育虐待を受け、不登校になり、教育熱心な世間の親たちに、度が過ぎると子どもが犯罪を起こすと示したかった」「たまたま近くにいた男性を狙った。世間に自分の考えを示すことができれば、相手が死んでも死ななくてもどちらでもよかった」「生活がたちゆかなくなった」と話しているという(秋田魁新報2025.5.10)。高齢になってからうつになる人は意外と多い(和田)。あれをしなくちゃいけない、これをしちゃいけない、あの人はこんなところがよくない、自分にも悪いところがあるなどとネガティブなことを考えていると、だんだん暗くなって、うつ状態に陥る(60歳からの手抜きの極意・和田秀樹・河出書房新社)。引きこもり状態を主な対象に含めている社会資源として①ひきこもり地域支援センター②地域若者サポートステーション③子ども若者支援地域協議会④医療機関・教育機関・NPO法人等(秋田では、ひきこもり親の会「かだれ会」・かつてのひきこもりさん、時々のひきこもりさん「あなたの居場所」、KHJ秋田ばっけの会・本人の会「居場所」等・秋田県2020年11月で引きこもり状態987人)との連携が重要。引きこもり状態にある人とその家族を傷つけることなく、どんな状況からでも「尊厳を守られた生き方」を実現することが喫緊の課題。引きこもりの特徴・ニートや引きこもりの三要素・ニート・引きこもりリスクの高い傾向にある人々・失敗に対するチャレンジ・場の喪失や相互協調性の否定が日本のグローバル化と関連・引きこもりに対するアメリカと日本文化の影響の違い・企業や学校の仕組みや「暗黙の価値観」を変えていく必要性・日本社会の文化的習慣や日常に適合できていない・相互協調的自己感の低さ・適応力や順応性・可塑性のある自己概念・協調性志向の低さと肯定的自己概念・失敗の経験がニート引きこもり行動の大きなきっかけ・自尊心の低下・ニート引きこもりを生み出すリスクの要因・自己の可塑性に対する信念・些細なオペラント行動・ポジティブ感情を伴う「できることを重ねていく」という観点・対人恐怖の特徴・日本人に最も典型的な神経症・統合失調症の妄想・無気力と激しい行動・引きこもりと極端な行動・接点を求めての最後のあがき・引きこもり状態を主な対象に含めている社会資源・尊厳を守られた生き方等に関する文化社会心理学的学術調査研究の一環として
  • 「引きこもりと不登校」ー新たなる学校の在り方を考え実現しなければならない、そういう時代になっている。子どもを学校に合わせさせる時代は終わった(和久田)。引きこもりの7割は自立できる(二神・久世)。引きこもりは日本に多く見られる。将来的に社会で自立できるシステムの重要性。寛容な社会作り。教員が疲弊し、病んでいる現状を放置する事は、学校教育の質の低下を見過ごすこと。「私が教職を去るのではない。「教師」という仕事が私を去って行ったのだ」(鈴木)。他の国には存在しない日本独特の「世間」には、個人が存在しないため、他人と違う生き方をすると「出る杭は打たれる」で、強い同調圧力がかかる。日本では、この強い自己コントロールがあるために、危害のベクトルが他人には向かわず自分に向かう(佐藤)。私たちにとっての「当たり前」は、他の国から見ると必ずしも当たり前ではなく、そうしたことの中に引きこもりに繋がる原因が潜んでいる(内田)。何を正しいとして、何が望ましいとして、何をもって価値観として考えるのかを社会全体として見直すこと(北山)。 
    2025年4月
    引きこもりは日本に多く見られると指摘されている。日本社会の中にある要素ー「社会システム、家族のあり方、さらには自分という存在」そのものに対する捉え方が「こもる」という行動と何らかの関係を持っていると思われる。社会・文化・環境的要因は、異なる文化との相対比や比較によって明らかになる。私たちにとっての「当たり前」は、他の国から見ると必ずしも当たり前ではなく、そうしたことの中に引きこもりに繋がる原因が潜んでいるのかもしれない(「ひきこもり」考・河合・内田編・京都大学こころの未来研究センター・創元社・こころの未来選書ーなぜ、日本の多くの若者たちは社会との関係を断ち、自らの殻にとじこもるようになってしまったのか?)。社会的引きこもりは、6ヶ月以上にわたり、就労・学業等社会参加せずにおおむね自宅に居続けている現象で、15~39歳の年齢層で引きこもり状況にある者は54万人(2016年発表内閣府調査)、2019年に報じられた40~64歳の調査では61万人と推定され、合わせて115万人もの引きこもり者が日本に存在していることが示唆されている。2023年の発表では、引きこもり者は146万人と30万人以上増加した。不登校は、児童生徒において年間30日以上、病気や家庭の経済的な理由以外で学校を休んでいる状態のことで、2013年以降10年連続で増加傾向にある。2022年度の調査では全国29万人を超えている。不登校の状態にある小中学生は2023年度、34万6482人にのぼり、11年連続で増加して過去最多となったことが文部科学省の調査で明らかになった。高校の不登校も6万8770人で最多を更新している。不登校の増加が止まらない。新型コロナ感染を機に、不登校・引きこもりの子どもがますます増えている。休校・分散登校・オンライン授業に加えて家庭のコロナ対策もあって学校に行かないことが自然となり、ずるずると不登校になってしまうケースが増加した。不登校・引きこもりが「見えなくなっている」(不登校・ひきこもり急増・杉浦・光文社新書)。小学生 10年前の5倍、中学生は2.2倍に増加している。不登校の状況としては「学校生活に対してやる気が出ない」が32.2%と最も多く、次いで「不安・抑うつ」が23.1%、「生活リズムの不調」が23%などとなっている。意欲はあっても「学校の空気」になじめない子どもは多いとみられている。「みんなと同じを求められるのが苦しい」「頑張っても行けない理由がある。特別扱いしてほしいのではなく、少しでも個性や気持ちを分かろうとしてほしかった」とある不登校になった児童の背景が掲載された(秋田魁新報2024.11.10 頑張っても行けない、空気なじめない子も-全国小中学校不登校34万人)。「イジメ被害」「先生と合わなかった」「授業が分からない」「宿題ができない」「学校の決まり事(制服・給食・行事等)」「学校の居心地が悪い・学校が嫌だ」「音や声がうるさい」「いやなにおい」「体の不調」「気持ちの落ち込み・いらいら」「無気力・不安」「朝起きられない・夜眠れない」「家出の生活が変わった」「親のこと」「些細なきっかけで休み始め、そのままとなる子ども」等が挙げられている。引きこもりの重症度の分類①ステージ1-不登校状態で60日以下・親子間のコミュニケーションは取れていて生活リズムもなんとか維持して、3食取れている状態②ステージ2-不登校状態で61日から180日、生活リズムが不規則になり、3食の食事が取れているか怪しくなる。③ステージ3-不登校状態で181日以上になり、親子間コミュニケーションが取れなくなり、生活リズムは不規則となる。④ステージ4-ステージ3が1ヶ月以上続き、自室にこもっていて、親子間コミュニケーションは全く取れない。生活リズムも不規則で食事も取れていない。親も疲弊している。⑤ステージ5-子どもが20歳を越え、引きこもり状態が年単位で常態化している。普通の社会生活を取り戻すのは極めて困難(杉浦)。令和型不登校の要因を以下の五つに整理することが可能とされる(令和型不登校の正体・和久田学・日本評論社・令和型不登校をあきらめない)。①人間関係(いじめを含む)②学習③学校風土(学校の決まり、枠組み、教師の言動、授業)④心身の不調や生活リズム⑤背景要因(特別支援教育ニーズ、家庭の問題等)である。不登校から立ち直れず、そのまま引きこもりになってしまう事例等、多数報告されている(親も子も楽になる引きこもり心の距離を縮めるコミュニケーションの方法・山根・中央法規)。①まずは親子の対話から②信じて待つ③本人の意思を尊重のどれをとっても、何も変わらない。引きこもりの7割は自立できる。信じて待つは3年まで。信じて待つから、自立できると信じて背中を押すへ。引きこもり支援のゴールは自立(引きこもりの7割は自立できる・二神・久世・新潮新書)。引きこもりの学校に、子どもの感覚、特性、価値観(これらは今と未来の社会を映し出している)を取り入れなければならない。「新たなる学校の在り方」を考え実現しなければならない、そういう時代になっているのである。子どもを学校に合わせさせる時代は終わった(令和型不登校の正体・和久田学)。不登校が最多を更新している中、家庭や学校に居場所がない子どもの第3の居場所づくりが進んでいるという。NPO法人カタリバが運営するユースセンター「ビーラボ」に通う女子高生が、「両親や教師から ”こうあるべきだ” と求められることが苦しかった」と話しているという(秋田魁新報2025.4.3子どもの不登校・家庭、学校以外の居場所をー求められる継続的支援)。年齢や境遇が違う人と接すると、こんな生き方もあるんだと自然体でいられるという。引きこもりの子どもが立ち直るには①規則正しい生活をする②自立して自信をつける③社会貢献をする(杉浦)。不登校の保護者の4人に一人が退職・休職、4割が早退・遅刻・欠勤が増え、8割が仕事に何らかの影響、4割が収入減、という結果がでている。秋田県においては、小学6年生と中学3年生を対象に毎年行われている全国学力テスト(全国学力・学習状況調査等)で、2007年の開始当初から連続してトップクラスの結果を出している。しかし、2023年度実施の全国学力テストでは、中学の英語で全国平均を下まわるなど、「トップ水準陥落」(2023年7月31日付Web版産経新聞)ともいわれたが、2024年度実施では小6・中3とも国語、算数・数学のすべてで(おおむね3年ごとに理科や英語が加わる)平均点を上まわり、「学力テスト全国トップクラスを維持」(2024年8月5日FNNプライムオンライン)と報じられた。このような秋田県では、文部科学省の調査結果で、秋田県内の国公立小中学校の2023年度の不登校者数が、前年度比381人(24%)増の1947人と過去最多になった。 不登校の児童生徒数が増えるのは8年連続。小学校は前年度から164人(34%)増の644人、中学校が217人(20%)増の1303人。千人当たりの不登校児童生徒数は小学校が4.9人増の17.5人、中学校では11.9人増の62.4人だった(秋田県内不登校過去最多ー多様な学びの場が必要ー秋田魁新報社説2024.11.15)。 一方、秋田市においても、2023年度の市立小中学校の不登校者数は783人(小学校294人、中学校489人)に上り、2019年度と比べて約2倍に増え、過去最高になったと明らかにした。全国の不登校児童生徒について小・中学校においては、「学校生活に対してやる気が出ない等の相談があった。」(32.2%)、「不安・抑うつの相談があった。」(23.1%)、 「生活リズムの不調に関する相談があった。」(23.0%)、「学業の不振や頻繁な宿題の未提出が見られた。」(15.2%)、「いじめ被害を除く友人関係をめぐる問題の情報や相談があった。」(13.3%)。さらに、公益財団法人「あすのば」の調査では、困窮世帯の小中学生のうち、「学校が楽しくない」と感じる子どもが28%に上ることが分かった。小学生の20.3%、中学生の37.8%が「授業が分からない」と回答している。「消えてしまいたい。学校に行きたくない」「塾に行けず学校でしか勉強できないが、授業が理解できないまま進んでしまう」という(秋田魁新報2024.11.15.困窮世帯小中学生「学校楽しくない」28%ー民間調査 経済支援の拡充必要)。一方、引きこもり者の7割程度がさまざまな精神疾患を併存しており、精神疾患を併存しない引きこもり者も、2割ほどいるとされている。診断閾値未満のグレーゾーンを含むと7~8割ほどの引きこもり者がうつ病、回避性パーソナリティ障害、社交不安障害、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、統合失調症といったさまざまな精神疾患を併存し、精神医学的な支援を要すると考えられている(加藤ら)。病的引きこもりの新定義では①物理的撤退(物理的に外に出ないこと)②6ヶ月以上③苦悩の存在・機能障害の3つを必須項目となっている。精神疾患を併存しているか、あるいは社会参加を回避しているかどうかの判断は難しいため、必須項目から切り離され、精神疾患をもっていようがいまいが、社会参加を回避していようがいまいが、「病的引きこもり」と定義されている。引きこもり者の多くは深夜に外出している。コンビニは通える引きこもりたち。引きこもり状態を病的と定義するためには、社会的孤立に関連した、臨床的に意味のある苦痛、社会的職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしているという三つ目の苦悩の存在・機能障害の項目である。この項目を満たさなければ、物理的に引きこもっていても、病的引きこもりではなく、非病的引きこもり、つまり、幸せな引きこもりという(加藤隆弘・ひきこもりと令和型不登校・日本評論社)。文部科学省の調査で、2023年度に精神疾患で90日を越えて休み休職した公立の小中高と特別支援学校の教員は、全国で過去最多の7119人(前年度比580人増)に上り、増加は3年連続で過去最多となったことが分かった(2024.12.20)。 全教員に占める割合は0.77%(130人に1人)。精神疾患による休職者は20年度まで5千人前後が続いていたが、その後の3年間で2千人近く増えた。1カ月以上の「病気休暇」取得者を含めると1万3045人(1.42%)に上った。若手の割合が高く、ベテランの大量退職期で増えた若手教員への支援が課題となっている。20代が最高の2.11%(同0.08ポイント増の3226人)で、30代1.66%(同0.14ポイント増の3691人)、40代1.53%(同0.13ポイント増)、50代以上1.10%(同0.05ポイント増)だった。採用後1年未満で退職した教諭も過去最多の788人で、うち269人は精神疾患が理由。教育委員会が把握した要因は「児童生徒への指導に関すること」が26.5%で最も多く、「職場の対人関係」23.6%、「事務的な業務に関すること」13.2%と続いた。休職発令時点における所属校での勤務年数を見ると、3年未満が全体の62.6%を占めた。異動後に新しい環境に慣れないまま一定の責任ある立場に就くことが影響しているとみられる。休職者の性別は男性が2866人、女性が4253人だった。5年前の18年度と比較すると男性の1.2倍に対し、女性は1.5倍と増加幅が大きかった。精神疾患が理由の休職者のうち、年度が変わった今年4月1日時点で復職したのは2786人。2903人は休職が続き、1430人は退職した。教員が疲弊し、病み、授業準備がおろそかになっている現状を放置する事は、学校教育の質の低下を見過ごすこと (朝日新聞取材班)。私が教職を去るのではない。「教師」という仕事が私を去って行ったのだ(崩壊する日本の公教育・鈴木・集英社新書)。日本ではどんなところでも、「世間」が支配している。ここでいう「世間」は、法が支配しているタテマエとしての「社会」とは異なり、①贈与互酬の関係②身分制③共通の時間意識④呪術性という四つのルールがあり、同調圧力として作動するホンネとしての「世間」である。「世間」のルールは、法律のように明文化されているわけではないし、その輪郭がはっきりしない。「法のルール」より「世間のルール」が優先される(佐藤)。日本では、年間約2万2千人の自殺者がいる。この数は殺人事件で死ぬ人間の数年間約300人よりも、交通事故で死ぬ人間の数年間約4000人よりもはるかに多い。日本の自殺率は先進国で最悪である。イギリスの約3倍、アメリカやドイツの約2倍、フランスの約1.2倍となっている。日本の自殺者数には、変死者が含まれていないので、これを加えると10万人くらいになるという説もあるという。児童生徒の自殺者数も、コロナ禍の影響を受け、令和2年は過去最高となった。小中高校生のいずれも増加しているが、女子高校生は前年の1.75倍に増加している(令和3年3月26日コロナ禍」における児童生徒の自殺等対策について・文部科学省資料)。一方、殺人の発生率は日本はアメリカの約五分の一、フランスやドイツの約三分の一、イギリスの約二分の一で、先進国中最も低い。つまり、日本では、他人を殺す代わりに自分を殺す割合が高い。アメリカに多いスクールシューティング(学校内での銃乱射)も引きこもりも、社会からの締め出しが1つの大きな引き金になって起こっているのではないだろうか。アメリカでは、社会から孤立あるいは締め出されたり、村八分にされるという経験をすると、そのうちの一部の被害者は、社会全体に対して「お前らが悪い」というような形で、むしろ攻撃的に反応する。しかし日本では社会に対して攻撃的に出るのではなく、「社会から引いてしまう」のではないだろうか。アメリカのスクールシューティングは、ほとんどすべての加害者が社会的に疎外される経験をしていた (ひきこもり考ージーレンジガー・北山・河合の議論へのコメント・嘉志摩佳久・Leary,M.R.,Kowalski,R.M., Smith,L.,& Phillips,S. 2003)。他の国には存在しない日本独特の「世間」には、共通の時間意識があり、個人が存在しないため、他人と違う生き方をすると「出る杭は打たれる」で、強い同調圧力がかかる。日本では、この強い自己コントロールがあるために、危害のベクトルが他人には向かわず自分に向かい、世界に冠たる自殺者の数を誇ることになる(目くじら社会の人間関係・佐藤直樹・講談社)。法のルールを世間のルールが袋叩きにしたともいえる事件も取り上げられている。学校という世間・いじめる世間と一体化しないと自分がいじめられる・人権無視のブラック校則・出る杭は打たれるを学ぶ子どもたち・「世間教」を強化する学校の祭り・ないがしろにされる子どもの権利等(「世間教」と日本人の深層意識ーみんな一緒でラクがいい・佐藤直樹・さくら舎)。「世間」のルールにとらわれない、多様性と人権が尊重され、一人ひとりが大切にされる「寛容な社会づくり」が喫緊の課題である。引きこもりという現代の問題を解決するための処方箋として、「何を正しいとして、何が望ましいとして、何をもって価値観として考えるのかを社会全体として見直すこと」。社会全体を覆っている明示的な価値観を見直し、人間関係に新たな意味を見出していくことが肝要。従来の封建的とも言える人間関係は、「個」を紡ぎ出そうとする際の足かせになることが多かった。「日本社会は、会社、地域社会、家といった社会組織の利益を第一」に考え、「個」はそれに従属するものだとする価値観に基づいて成り立ってきている。これを少しでも変えて、人間関係こそが「個を実現するための糧」である、あるいはそのためのサポートシステムであるといった価値観を作り出していく必要がある。それは日本的個人主義を生成することになるかもしれない。それがひいては引きこもりであるとか、個人的な問題の解決にも繋がっていく(北山忍・自己矛盾のメンタリティー・ひきこもりの文化心理学・ひきこもり考・創元社)。本当の自分で生きたい、そう思って、ちょっとダメな自分を決して否定せずに、自分を好きになることが大切(本当の人生・和田秀樹・PHP新書)。引きこもりを考える・引きこもりと不登校・令和型不登校の要因・引きこもりの7割は自立できる・信じて待つは3年まで・信じて待つから背中を押す・秋田県内不登校過去最多・多様な学びの場・教員の疲弊・同調圧力・世間のルール・日本の自殺率・目くじら社会の人間関係・寛容な社会づくり・引きこもりという現代の問題を解決するための処方箋・日本社会の価値観等に関する文化社会心理学的な学術的調査研究の一環として
  • 人生のすべての出来事には意味がある。すべての出来事は、気づきと学び、自己成長のチャンス。様々な悩みや苦しみも、自分が教師として、人間として成長していくためのプロセスであり、必要だから起こっていた意味のある出来事であると思うこと(苦しみは成長のためのプロセス)(諸富)。思い込みの強すぎる人は「結論はこれしかない!」「自分は正しい」「私は間違っていない」と考えてしまう。聞く耳を持たない人や、決め付けの激しい人に、認知的な成熟が感じられない。神経質だったり生真面目な性格の人が陥るが、問題は相手を黒と決め付けるところにある(和田)。特権意識を抱いている人は、自己愛が強く、自分自身を過大評価しており、激しい怒りを爆発させることが多い(片田)。怒らないで理性を働かせる。心のゆとりが理性を生む。怒らないで理解しよう。どんな問題であれ理解すれば解決の道も拓ける。それこそが人間の知恵というもので、それが「成熟した人間の在り方」だ(葉)。 
    2025年4月
    「成熟した人間の在り方に関する考察」ー教師や学校に身勝手とも思える要求をつきつけてくる保護者には、親世代の特徴と社会的背景がある(諸富)。欲求不満耐性が低下した「ストレスフルな格差社会」にあって、容易にキレやすくなり、学校や教師を「ストレスのはけ口」にしていることが多い。保護者が日頃抱えている不平不満を誰かに転嫁して不満を解消し、心の安定を保つ。「怒り」はもともとその人の中にあって爆発する機会を求めている。怒る人は常にその「はけ口」を求めている。怒る人は怒りの原因を誰かのせいにするけれど、それは単なるきっかけに過ぎない。「人や物事、社会や世界をすべて敵」とみなし、怒ることで「自分が優位」に立とうとする。大阪市で小学生7人が車で故意にはねられ重軽傷を負った事件(2025.5.1)で、容疑者(28歳)が「苦労せずに生きている人が嫌だった」と自身の境遇や社会に不満を抱き自暴自棄になった可能性が指摘されている。「忍耐力と冷静さ」を兼ね備えていれば、怒る必要がない。問題をどう解決するか。それだけのことに過ぎない。怒らないで「理性」を働かせる。「心のゆとり」が理性を生む。「怒らないで理解」しよう。どんな問題であれ理解すれば解決の道も拓ける。それこそが「人間の知恵」というものだ。それが「成熟した人間の在り方」だ(怒らないー幸せな人生のために・葉祥明・日本標準)。安定した収入を得ている「一番身近な公務員」である教師は、「ストレス発散のはけ口」にされやすい。社会的な背景としては「学校教育はサービス業」という考え方の広まりがある。人々は教師を尊敬しておらず、人々に教育サービスを提供する公僕と見下しているのに、一方では、教師なのだからどんな教育サービスにも応えられる能力を持っているべきだと思っている。だから人々は教師に対してあらゆる「教育サービス」を要求してくる(都立高校元副校長喜入克・教師の仕事がブラック化する本当の理由・草思社ー追いつめられる教師たち・これじゃ教育が成り立たない。現役高校教師からの悲痛な訴え)。「もう抑えきれない」「言いたい事は言わないと損」とばかりに「制御不能な状態」で大爆発を起こしている。3~4時間のクレームを経験されている教師は少なくないという。存在感をアピールするために「キレる父親」も増えている。金銭を要求したり、なんでも教師まかせの保護者(依存的な親の増加)、集団で徹底的に一人の教師を追い込んできて、教師を辞めさせるまで手段を選ばない、目に余る困った親もいる。困った親集団に追いつめられ、「心の病」になってしまったうえで「辞職」された先生方が何人もいる(教師の悩みとメンタルヘルス・諸富・図書文化)(モンスターペアレント!親バカとバカ親は紙一重・アスベクト・子どもより親が怖い・カウンセラーが聞いた教師の本音・青春出版社)。かつては教師に無条件に敬意を払っていた親たち。社会全体が「個人主義化、私事化、自己中心的」に流れる中、多くの親たちは「自分と自分の子どものこと」しか考えず、無理難題を吹っかけてくるようになった。親からの「見当外れな苦情」への対応に辟易している教師は少なくない。問題を起こしている子供の親に事実を指摘しただけで「うちの子だけが悪いんですか!」等と逆切れされる。多くの管理職は、悩める教師に冷淡で「あなたは教師として適正がないんじゃないですか」「君の力量不足」と突き放される。「こんな辛い思いをするくらいなら、いっそ教師を辞めてしまいたい」「教師として失格なのでしょうか」と悩み続ける教師は多いという。「前例踏襲・事なかれ主義」が蔓延し、「社会の変化」に対応できなくなっている学校の実態をベテラン教師が自身の経験でつづられている(学校に蔓延る奇妙なしきたり・公立小学校教諭齋藤浩・草思社)。「教育の社会化」が切に求められる。校則より多い不文律・前例踏襲主義の呪縛・変化することへの恐怖・思考停止のためのシステム・変わらない教員の意識・頑固な「ムラ社会」・序列化したがる学校等。学校における朝の挨拶運動や早寝早起き習慣の奨励、ゲームの時間の制限指導等は、それぞれの家庭で解決すべき生活指導まで、教員の仕事の一環として求められている(親による社会化の重要性)。「社会が変化」していることを知らない教員。学校という「ムラ社会」の中だけで通用する文化や価値観は、これからの社会では全く通用しない(多様な社会化へ)。「ムラ社会」と化した学校の構成員は、狭い範囲での当事者になりすぎて、「俯瞰的」に見ることができずにいる(齋藤浩)。本来、学校は社会に出るための準備機関であるべきなのに、そうなっていない。「社会状況や時代背景」などが変わったら、それに合わせて学校も変わっていかなければならない。旧態依然とした「しきたり」を守って、「本来の役割を果たせなくなっている学校」の窮状(学校教育の社会化へ)。事なかれ主義の「ムラの価値観」では、決して未来の人材は育たない(齋藤公立小学校教諭)。学校が変わらなければ、発達障害は増え続ける。「子どもを座らせなくちゃ、静かに話を聞かせなくちゃと先生が思えば思うほど、発達生涯は増えますよ」(大阪市立大空小学校初代校長木村泰子)。言う事を聞かない子に困った先生が、子どもを「特別」な存在にしてしまう。学校が変われば発達障害は生まれないと。学校の「ふつう」が苦しい、適応できないという意味において、「発達障害の子の増加と過去最多を更新している不登校の子の増加」の根は、繋がっている。学校で、職場で、「ふつう」であることをめぐって葛藤を抱えている人たち、それを支えている人たち。「なんとかみんなと同じように」「どこに行っても苦しかった」人が自分らしく生きることを阻む、生き辛い令和時代の日本(ルポ「ふつう」という檻・発達障害から見える日本の実像・信濃毎日新聞社編集局・岩波書店)。教育基本法第9条「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、 その職責の遂行に努めなければならない」 及び、教育公務員特例法第 21 条「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」とある。さらに「学校の教職員組織は、同じような背景、経験、知識・技能をもった均一な集団ではなく、より多様な知識・経験を持つ人材との関わりを常に持ち続ける組織や、当該人材を取り入れた組織であることが、絶えず変化していく学校や社会のニーズに対応していく上で望ましい」(中教審)。教師は知的好奇心を忘れている。教師が自分の専門教科はもちろん、専門でない教科のことも、常に学びたい、もっと知りたいと思うこと、興味のある分野の本や論文を読んだり、面白い取り組みをしている他校の事例を見学しに行ったり、セミナーやワークショップ等にも参加すること、社会の動向にもアンテナを立てて要ること、時事問題や科学の発見などの話題にも、好奇心を持って触れる機会が必要。教師には教科書の知識だけではなく、教科書を超えた知識や教養が必要で、その知識をどのように活用していくのかを考えていく中で、「正解の無い問いを出せる力」が必要不可欠(2020年からの教師問題・石川一郎・KKベストセラーズ)。固定化されたルーティンのなかに閉じこもっているばかりでは、脳の若返りのチャンスは得にくくなってしまう。賢さの一つとして、柔軟性を持つことが大切。こだわりや決めつけが強く、物事を型通りに進めようとする人に比べ、思考が柔軟で、臨機応変に対応できる人は、一般的にボケにくくなる(和田秀樹)。知的であるという事は、柔軟であること。多くのことに関心が持てる人は、人生で味わえる喜びや楽しみが増え、それだけ「人生に深み」が増していく。つながり、意味が生まれるところには喜びがある。知性とは、様々な物事を繋げて考えられること「物事をつなげる力」。語彙力と共に、「文脈力の大切さ」を意識して生活すること、連なる意味を的確につかまえる力が文脈力。文脈を的確につかまえる力、文脈をつなぐ力が文脈力。頭がいいとは文脈力、この「文脈力こそが知性」である(齋藤孝・文脈力こそが知性である・角川新書)。人生のすべての出来事には意味がある(フランクル心理学入門・どんな時も人生には意味がある・角川ソフィア文庫・諸富)。すべての出来事は、「気づきと学び、自己成長」のチャンス。様々な悩みや苦しみも、自分が教師として、人間として成長していくためのプロセスであり、必要だから起こっていた意味のある出来事であると思うこと(苦しみは成長のためのプロセス)(諸富)。「指導して苦情がくるより、手も気も抜いていた方がいい」というのが学校の姿になりつつある(諸富)。「やる気」を出すと職員の中でも「浮いた存在」になりかねない。わがままな保護者に手をやいて教師は「やる気」を失っている(教師がつらくなった時に読む本・諸富・教師を支える会編著・学陽書房)。子どもが悪いことをして教師に叱られたとき、逆切れして親が学校に文句を言う。学校に対して常軌を逸した注文をつける。教師を頭から馬鹿にして「威圧的態度」をとる。このような勘違いした親が現在の中学校で日常茶飯事に増えているという。もしかして自分の子どもが悪いのではないか、という謙虚な自己反省意識は働かない。うちの子にかぎってそんなことはしない、うちの子はそんなことは言っていないなどと、教師の言うことより子どもの言うことを信用する。子どもを注意するより、「子どもと一体化する親」。親が大人になりきれずに、「子どもと同じ目線」でしか学校を見られなくなっている。子どもと一緒に不満を持ち、一緒に反発し、一緒に文句を言い、クレーマーやモンスターペアレントと化す親たち(藤原公立中学校長・川端・バカ親、バカ教師にもほどがあるー子供化する大人たち・PHO新書)。「大人としての役割」を担いきれていない人が親になっている。そのような親の下で育てられた子どもは、教師に対して敬意を持たない。叱られたり注意されたとき、なぜそれがいけなかったのかを考えるのではなく、どうして私だけが叱られるのか、他の子どももやっているじゃないか、と考える。問題の論点がずらされてしまう。このような子どもは、社会の厳しさに向き合う「心のタフネス」を持たないまま成長することになる。職場で現実に直面したとき、自分を守るために、「この仕事は自分に合っていない」と言い訳して辞めていくようになる。人間関係の中で、プレッシャーの受け止め方といった「心の技を鍛える機会」が減っている。「友人のような親子関係」に加えて、兄弟も少ないなどの家庭環境で、「心の教育」がおろそかになってしまった(なぜ日本人は学ばなくなったのか・齋藤・講談社現代新書)。わが子かわいさのあまり無理難題をつきつけるモンスターペアレント。「いじめなんてない」と逆切れする教師。親と学校の「壁」ますます高くなるばかり。「親と先生のコミュニケーション」が難しくなっている背景には、成長社会から成熟社会に転じた「社会構造の変化」の影響もある(藤原)。親の方が教師より学歴が優っていたり、社会的な経験経歴が豊富な例の方が多いだろう。知識量の差も、昔ほどではなくなった。「みんないっしょ」のままの学校文化と「それぞれ」バラバラの家庭の文化が相容れなくなった。「集団主義」と「個性主義」がぶつかりあい、「共通のコミュニケーション」ができる土壌を探しあぐねている。「不断のコミュニケーション」によって、自分と相手の双方が納得できる「納得解」を探し当てるための技術の向上に努めなければならない。バカ親、バカ教師にもほどがあるー子ども化する大人たち(藤原和博公立中学校校長・川端裕人・PHP新書)。「子どものわがままに同調して、文句を言うだけのバカ親にはご遠慮願います」と保護者会などで校長が話しているという。親と先生の間に立ちはだかる「壁」も、双方から取り壊す努力が必要。教員が夜でも学校にいるのが当然とばかりに夜の9時頃に電話をかけてきて、誰も出なかったら「なんでいないんだ」と逆上する。子どもをちょっとでも注意すると「俺の子を虐待している」と怒鳴り込んでくる。「下校途中で友達とケンカして怪我をしたのは学校の責任だから、慰謝料を払ってほしい」「クラスを騒がしくするあの子を転校させるか、出席停止にしてほしい」「うちの子には家でも掃除なんてさせていないので、学校でもさせないでほしい」「先生がうちの子を起こして!」「運動会が雨で延期になったので、代替日は俺が出席できる日にしろ」「保護者会に参加するために会社を休んだのだから、休業補償を出せ」「学芸会の日程を変更しろ(塾の模試を優先して学校行事の日程を変更しろと言う親)」「校則は撤廃するか、少なくとも強制するのはやめろ」「あの子を登校停止にしろ」「自分の子の写真が少ない卒業アルバム代金を返せ」「うちの子の英語ができないのは先生の教え方が悪いからだ」「ちょっと、あの先生はダメよね!(あの先生は不適格教師と学校や子どもに触れ回る親)」「あの親と同じ学級にするな」「キモイから担任を替えろ(子どもの言葉に同調して担任交替を要求する親)」「子どもの言うことを信じないのか!(自分の子どもの話しを鵜呑みにして教師を責める親)」「今日のうちの子、どうでしたか?(毎晩9時過ぎに子どもの様子を報告させる親)」「不登校は先生のせいです」「放課後も学校で子どもを預かってほしい」「家の周りに変な中学生がいるんです。先生、ちょっと見にきてくれませんか」(追いつめられる教師たち・齋藤浩公立小学校教諭・草思社)「給食なんて頼んだ覚えは無いので、給食費は払わない」。学校教育はサービス業では無い(藤原公立中学校長)。教師に対する尊敬の念は消え去り(中島)、「先生が悪い」「うちの子だけクラス替えをしてほしい」「うちの子だけは叱らないでほしい」「担任の対応が許せない」「あの先生はうちの子には合わない」「みんなやっているのに、何でうちの子だけ注意されるのか」「うちの子にもっと目をかけてほしい」「相手の子を転校させるか登校させないでほしい」「(授業中でゲームをしていたので取り上げたら)先生が勝手に取り上げるな、所有権は親にある」「(授業中メールしていたので携帯を取り上げたら)先生が取り上げた間に携帯が壊れた、新しいのを買え」「近頃の先生はだから・・・」「担任を代えてほしい」「(部活動で)監督の選手起用が悪い、うちの子を選手にしろ」「通知表はうちの子を正当に評価していない、評価をし直せ」「訴えてやる」「担任に叱られ非常に傷ついた、慰謝料を払え」「マスコミに言うぞ」「問題教師だ」「学校が決めたと言っても」「(先生に)土下座して謝れ」「うちの子が成績が悪いのは先生の教え方が悪いからだ」「学校の宿題が多くて塾の勉強ができない、宿題を出すな」「放課後残されて塾に遅れた、どうしてくれるのか」「あの先生は借金を抱えている」等の事実無根の誹謗中傷(一部は山脇・モンスターペアレントの正体・中央法規)。大人としての品格が疑われることすら考えていない。複数の保護者が学校に来て数時間一方的に校長に苦情を言いっぱなし。先生の生徒指導上の当然の教育的指導を「先生からのクレームだ。先生が生徒を批判した」。先生が保護者に「お子さんが最近少し元気がないようですが」と言うと「余計なお節介だ。他人のあなたに心配してもらわなくても結構だ」(石川)。「(大会の試合で)何でうちの子の試合のベンチコーチに入ってくれなかったのか」「(団体戦で)うちの子を何で出してくれなかったのか」「自分の子(孫)」中心の保護者も目立つようになってきている。生徒の評価点に執拗に抗議する保護者等、生徒指導や教科指導・部活動指導等が評価されない等、「関係性を重視する経験主義的な手法」が通用しない人々が増加している(坂田仰日本女子大学教職教育開発センター教授)。「教師のちょっとした意見や善意のアドバイス、教育上の指導」さえも「批判や攻撃」と不信感をもって受け止められる傾向がある。人間関係の耐性がなく「短絡的」で「敵」とみなす。「感情の許容範囲が極めて狭くなっており、自分を受け入れない人間を叩き潰す」という発想の根底には強烈な自己愛(「自己中心的感情」)がある(石川結貴・モンスターマザー・光文社・豊富な取材例から具体的に解説されている)。「自分の子至上主義」「自分の気持ち至上主義」の親が、大人になれないまま、私情で学校に相対してくる(藤原校長)。校長が認めた教育的観点(学校教育の一環としての部活動とスポーツ少年団の違い)を一部の保護者(強い子主義ー恣意的なクレーム)が反対し対立。通院した監督は何も言えず異動になっている。管理職のあり方とスクールロイヤーの必要性ー秋田大学教育実践セミナー(保護者と向き合う気持ちに関する教育研修及び小中高教員とのワークショップ、ロールプレイ )。運動部活動で、部活動指導員がごく当たり前の(中総体で進行席から審判部がマイクで注意するような)最低限の競技ルール・マナー(安全教育等を含む・放送大学「学校リスク論」等を基に)を事前に指導すると、保護者から執拗な苦情が出る。競技経験のない監督教員が、「ルールはどうでもよい!」と選手の円陣で公然と大声で怒鳴る始末(少なくと安全配慮義務違反に相当可能性と競技経験のない監督が競技ルールを知らないことを選手に知られたくない等の心理的背景)。純粋に教育的観点から学校の責任において公平公正に判断決定実施すべき事柄への一部の「保護者からの個人的恣意的な要望要求(クレーム)」による部活動運営の困難さ・指導者や管理者のストレスーモンスターペアレントによる部活動顧問や部活動指導員・コーチの苦悩ー 教育的客観的判断と保護者との円滑な学校・部活動運営。「私のクラスにいじめがあると言うのか(親に逆切れするベテラン教師)」「アイツは校長にたてつくおかしな役員(反対者を受け入れず、自分に従わせようとする校長)」(藤原)等々。自分の感情を内面に保持できずに、すぐにキレてしまったり、いつも怒鳴ったり、「わめき散らしたりする中高年」の方が、若者よりはるかに多いという。日本の中高年の「心の未熟さ」を示す徴候として、自分の感情をコントロールできない、キレやすくなっている人、クレーマーが増えている(諸富)。「外的な活動性」ばかりに価値が置かれて、「中高年期における人格的成長・成熟」を重視する価値観が育まれてこなかった。他人に何かを求めなくとも十分に自立して生きている。他人に承認してもらわなくとも、「自己肯定感」を持って、「自立した大人=成熟した人格の大人」として生きていくことができる。「未熟な人」ほど他者からの承認や評価、他人に分かってもらいたい、「他人に尊重されること」を当然のように求める。これが「日本の中高年の未熟さ」の大きな特徴である。もう少し自分のことを理解してほしいとか、大切にしてほしいと言えないと、今度は相手を責めて、クレームに出る。クレーマーは、他人に求める行動の端的な例(本当の大人になるための心理学・諸富・集英社新書)。科学技術振興機構が運営管理し、国立情報学研究所に著作権があるこのresearchmapすら、個人のブログやツイッター等と同一と誤認した、研究しない、教育基本法第9条(教員は絶えず研究と修養に励むこと、及び教員の養成と研修を充実させなければならない)にも反した新しい技術や知識を学び続けようともしない、決め付けの激しい自己中心的固定観念で凝り固まった校長らも、なかにはみられる。このresearchmapは、日本人研究者や日本の研究機関に在籍する外国人研究者の経歴や論文リストなどの研究者情報を収集したインターネット上のデータベースサービスであり、国の外郭団体が設計・開発や運営を担うており、研究者間の情報交換を主な目的として、研究者やその関係者等が自由記載した内容を公開する形態をとっている。このようなサイトであることを学校管理職等が全く知らない「憲法や法令順守」というコンプライアンスよりも、学校内だけあるいは攻撃欲の強い一部の校長の「狭い世間のルール・ムラ社会」に凝り固まったメタ思考力の欠落した状況もある。攻撃欲の強い人は自分自身を「過大評価」しがちであり、「自分は絶対正しい」と信じていて、相手の罪悪感をかき立てて「責任を押し付ける」ようなことを平気でする。「自分の目的」を達成するまでは決して変わらず、目的は破壊である。ターゲットを壊し、ターゲットがやっていることをむちゃくちゃにして「ターゲットを排除」しようとする(片田)。新たに採用になった会計年度任用職員に対して、学校事務と名乗る人が電話で「通帳の中をコピーして至急提出せよ」と、休みの日に、いつどこの誰にどの部分を提出せよとは全く言わずに、突然連絡があり、このことを校長から事情を聞かれたので、説明すると、逆切れして一方的に攻撃してくる始末。「新聞では、電話で通帳のことを聞かれたら警察に相談すること」と書かれていたと言うと、益々、冷静さを失い自分は絶対正しい、正しい立場から言っているという高圧的に怒鳴り散らしてくる。「私の以前の職場では、提出先責任者氏名と相手氏名、使用目的等を記載して、文書で依頼している」と言うと、校長は突然、話を変えて、自分の立場を守るため、後ろめたさから、「すべては俺(校長)に任されている」と、辞職を一方的に強要してくるという管理職として、一人の人間としてもあってはならない「大人の品格」が疑われる態度に出てくる。一方、中学校の部活動で初めて中学生が卓球をして、相手がミスをすると「ワッハッハ! エイエイ! ワーイワイワイ! ヤーイ!イエーイ!」と相手を嘲笑するような大きな笑い声。これと同じように、高齢者の卓球サークルにおいても、ミスをすると、相手を明らかに嘲笑する人が、どこでも見られる。笑われた人の気持ち、心の痛みを全く考えもしない。一般のある卓球大会においても、試合中、空振りミスして、相手が大声で「ワッハッハ!」と笑うと、笑われた選手が「笑うな!」と大声で試合中に怒鳴った人もいた。審判が「嘲笑はバッドマナーに該当する」と注意すると、「笑っていない!」と認めようともしない。ルール・マナー上でも、いけないことになっている(バッドマナーはイエローカードやレッドカードに相当、スポーツマンシップに欠ける行為)ことすら知らない。卓球が上手い下手だけでなく、両方が卓球台のフォア側に立って、フォアクロスの続ける練習なのに、意図的にわざと相手のあいているバック側に突然強打して、ボールが抜けると「エーイ! エイエイ! ワーイ!」「ヤッター!」等と得意げになる高齢者には、大人としての人格的な成熟度・品格が感じられない。相手のフォア側に忠実に返球しようと努力している側にとっては、突然の意図的コース変更は全くの驚きであり、かつ、ボールを拾いに行かなくてはならない。単なるサークルにおける練習とはいっても、傷つく人もいる事を知らない、考えようとも思わない。ダブルスにおける続ける練習においても、全く違うコースに意図的に打ってボールが抜けると「ワーイ!」と嘲笑するので、「本来、こちらに打つことになっている」と少しでも指摘されると、明らかにムカついている人も見られる。ダブルスで続けて打つラリーの練習なのに、高齢者に対して明らかに動けないところに打って、「フットワークの練習」と言うので、「高齢者のサークルでは怪我やぶつかるリスクがあるので、次に打つ人がいるところに打って、できるだけ続ける方が良い」と言うと「そんなことはない」と不機嫌になり、相手を思いやる気持ちが感じられない人、練習が終了して卓球台等の片付けや清掃をして時間内に退出しないといけないのにも拘らず、一人だけ残ってストレッチをしだす人、相手に多くボールを拾いに行かせて、楽しんでいるのだろうか? と思われる人、指導者資格のない人が卓球指導者ぶって特定の人にだけに個人的に指導しだす人(台を個人指導練習用に勝手に専用してしまう人)、サーブの出し方を間違ったルールで知ったかぶりで指導しだす人(サーブに関する卓球ルールを全く無視・違反サーブの指導)、ダブルスの交替で打つ順番をそのサークルだけでの決まりごとで強引に思い込みで言い張り、公認審判員の指導を聞こうとしない高齢者(公式の卓球ルールより狭いサークルだけの間違ったルールを優先して、ここでは長年こうして来たんだと威張る高齢者)、自分勝手な流儀を他人に押し付ける人、やたら強打をして自己満足する少しだけ上手な人、ラケットを台にぶつけて損傷具合を見ていると、自分のミスをラケットのせいにしていると勝手な思い込みをする人、白いボールには白いウエアは禁止されているにも拘らず、毎回白いシャツで練習する人、オーバーしてきたボールを床で相手のいる側に打って、いつも相手にボールを拾わせる人、何でもないことをいちいち細かに他人を注意する人、練習開始時間にいつも遅れてきて台だし等しない人、楽しくやれればルールはどうでもよいという高齢者、何ヶ月ぶりかで参加したサークルの練習内容が変わっていて、「以前はレクレーションでやっていて、対戦相手や順番、時間計測、休憩時間等、何も決まりがなくそれぞれが自由にやっていたのに」と不満を不機嫌になって言う高齢者、ネットインやエッジで入ると「イエーイ、ヤッター」と大声で喜びを爆発させる高齢者(卓球のマナーでは、ネットインやエッジの場合では、「済みません」と相手にお辞儀をするか、手を挙げて「申し訳ない」という態度を示すのがスポーツマンシップであることを知らない)等々。大人としての人格の成熟度、人間としての品格、スポーツマンシップ、大人としての在り方、精神年齢、多面的思考力、自己中心性個人主義、決め付け、自分が絶対正しいという思い込み、相手への共感性想像力等が疑われる。自分だけ楽しければ相手はどうでもよいという大人。相手のミスを見て、大声で喜ぶ大人の心理状態・精神状態が危惧される。クレーマーやモンスターペアレントにより、やる気を喪失し、何もしないほうがよいと諦める教員。教員が土下座して謝るまで許さない保護者も多い。親が自分の子に教員の悪口を言いたい放題だから、子どもも教員を学校で軽んじることになる。信頼や尊敬等、程遠い存在でしかない(前屋毅・ブラック化する学校・青春出版社)。感情的になる人は自分の「思い込み」にこだわる人(和田)。「思い込み」の強すぎる人は「結論はこれしかない!」「自分は正しい」「私は間違っていない」と考えてしまう。「心の狭い状態」なので、相手のちょっとした皮肉や悪意(あるいは注意や指摘)に出会うとたちまち感情的に反応してしまう。「これしかない」でなく、「いろいろある」と考えてみること。感情的になりやすい人は、日頃の考え方や受け止め方の中に、嫌な感情につかまりやすい原因が隠されている可能性がある。聞く耳を持たない人や、「決め付けの激しい人」に、「認知的な成熟」が感じられない。「なにをカリカリしているんだろう」と思わせる人は幼稚(和田)。「高齢者の妄想性障害」が疑われる場合も見られる。心理学の「曖昧さ耐性」こそが「認知的成熟度」の大きな指標になる。「未成熟な人」ほど白か黒かはっきりさせたがる。感情を悪化させる「should 思考」。感情的になっているときはしばしば「決め付ける考え方」に陥っていることがある。このような思考法は、神経質だったり生真面目な性格の人が陥るが、問題は相手を黒と「決め付ける」ところにある(和田・感情的にならない本・不機嫌な人は幼稚に見える・新講社)。攻撃欲の強い人に限って、相手の罪悪感をかき立てて「責任を押し付ける」ようなことを平気でする。攻撃欲の強い人は変わらない。「自分の過ちや間違い」を認めようとしない。「自分の目的」を達成するまでは、決して変わらない。目的は破壊である。ターゲットを壊し、ターゲットがやっていることをむちゃくちゃにしようとする。「ターゲットを排除」しようとする。関係の悪化や仕返しを恐れて、ターゲットにされた人が抵抗も反撃もしないと、弱くて恐怖を抱いているからだと受け止める。「相手の平和主義や立場の弱さ、無抵抗」の上にあぐらをかいて、平気で傷つけたり、痛めつけたりする。攻撃欲の強い人は、罪悪感をかき立てる達人であり、ターゲットを支配するためにしばしばこの罪悪感を利用・悪用する。失敗の責任をすべて立場の弱い部下等に擦り付ける上司や管理職などが典型例である。責任は100%他人にあり、自分の責任はゼロといように「責任転嫁」する。攻撃欲の強い人が他人を責めて罪悪感をかきたてようとするのは、自分自身が抱いている「後ろめたさ」に耐えられず、投げ捨てようとするから。他人には完璧を要求してちょっとした失敗も間違いも決して許さないのに、自分には甘い。自分に「自信が無く」、他人の幸福が羨ましい、妬ましいからこそ、他人を傷つけたり痛めつけたりせずにはいられない(片田珠美・他人を攻撃せずにはいられない人・PHP新書)。クレーマーの心理(諸富・本当の大人になるための心理学・集英社新書)。「自己価値観」が確立できていない「未熟な人」がなりやすいのが、クレーマー。怒っている人の対処法(片田)。攻撃欲の強い人に限って、相手の罪悪感をかき立てて責任を押し付けるようなことを平気でする。攻撃欲の強い人は、自分の過ちや間違いを絶対に認めようとしない。自分の目的を達成するまでは、決して変わらない。関係の悪化や仕返しを恐れて、ターゲットにされた人が抵抗も反撃もしないと、弱くて恐怖を抱いているからだと受け止める。管理職となれば、自らに与えられた役職ゆえに自分自身を「過大評価」しがちであり、「自分は絶対正しい」と信じていることも少なくない。逆に、こちらがやられるままではすまさない、場合によってはやり返すぞという断固たる姿勢を示すと、引く事が多いという。「特権意識」を抱いている人は、自己愛が強く、「自分自身を過大評価」しており、「激しい怒り」を爆発させることが多い・自己愛的憤り (片田)。仏教の世界においても、心の「三毒の煩悩」として、「貪瞋痴」を浄化し、心の健康と調和の重要性が説かれている。貪は、物質的なものから感情、人間関係に至るまで、無尽蔵の欲望、名誉、地位、承認等に執着することを指す。瞋(しん)は、怒り、憎しみ等を意味し、対人関係だけでなく自分自身の「心の平穏」をも乱す。痴は、「正確な理解や洞察」に欠ける状態を示す。論語にも「子曰、由、誨女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也。」(孔先生がおっしゃった、由に物事を知ることを教えようか。自分が知っていること知っているとして、知らないことはまだ知らないと率直になることが、知るということだ。)即ち、「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という。「無知であることを自覚することで、新たな学びを行うことを促進し、その結果、無知を克服し成長する」こと。無知の無知(自分は何でも知っている)の人は、「他責と思考停止」に陥ることになるという。瞋恚は「怒りの心(憎しみの心・妬みの心)」を意味し、「怒る」という感情だけでなく、自分の思い通りにならない事への「憤り」、周りの人間への「憎しみ」の心、自分の好ましくない人間に対しての「妬み」の心なども含まれるという。「怒る」ことによって「自分の本来の思考力」が発揮できなくなり、「判断を間違えて」あらぬ方向へと物事や自分の印象を進めてしまう。「怒りという感情」によって大脳の機能に影響を及ぼし、「脳の老化」を進めるという研究結果もある。「弱い立場」にある人を「意図的に傷つける人々」がいる。彼らは「行き過ぎた独りよがりの正義」を振りかざして暴走し、後悔も反省もしない。本音をむき出しにしたり、「正義を振りかざして誰かを攻撃する」ことは、現在の日本社会ではしばしば行われている。自分は正義、相手は悪、自分は最強という「妄想スイッチ」が入る。妄想は、いくら周囲が客観的事実を伝えても、納得できない状態。「高齢者の妄想性障害」の可能性もある。妄想することで、怒りは役割を全うする(イライラ・怒りをとる技術・下園・朝日新書)。なぜ、人を傷つけて当然なのか? 至る所に「怒り」が渦巻いていて、いつ爆発してもおかしくない状態にある。些細なきっかけで自分より弱い相手に怒りの矛先を向ける「弱者叩き」も日常茶飯事である(片田・正義がゆがめられる時代・NHK出版新書)。「心に触れる言葉」に巡り合った時、「深い思索」が始まる。文章を書くこと、読むことは、思索の階段を降りていくこと(深き思索、静かな気づき)、「深く考える力」とは、心の奥深くの自分と対話する力、自分の心の中の焦りや苛立ち、不安や恐れ、怒りや憤りの感情を、静かに見つめること、すると心の中に静寂心がやってくる(深く考える力・田坂・PHP新書)。浅野のresearchmap全体で記載されている事例は、長年の複数の部活動やサークル活動・スポーツ少年団の指導上および全日本卓球指導者合宿研修・秋田県教育委員会運動部活動指導者研修等を基に、実際にあったケースを例に、個人が特定されないように多数の文献を根拠として参考にし再構成しており、いつどこで誰が誰にどの場面で等、特定のケースとは全く無関係である。いつどこで、何年度のどの場所でいつの時点で等、誰が誰に、個人名は一切記入せず複数の所属立場も特定せず、誰が誰に言ったのか等も不明、どの場面で、どのような状況でどのような場合でどのように等、特定のケースとは全く無関係である。ここで提示された事例は公認審判員としてや様々な教員研修等を受けた上での指導者としての教育的指導上のフィクションではありませんが、現実に特定される個人ではない。登録された年月も、事例が生じた事象を後から再構成して、後でまとめて記載し、本人が任意で登録した年月であって、事象が生じた年月とは全く無関係である。さらに、このresearchmapの全体は、浅野個人のブログや浅野個人が開設したホームページ等ではなく、国立研究開発法人科学技術振興機構と国立情報学研究所が開発管理運営する研究者間の情報交流促進等を目的とし約30万人以上の研究者が登録しているものである。秋田県教育委員会運動部活動指導員研修や 日本卓球協会公認審判員・ 全日本卓球指導者全国合宿研修秋田県代表コーチ2回修了者等の立場として、大会競技委員長・長年にわたる複数の監督コーチ等の経験から「部活動指導論・スポーツマンシップ」や「成熟した人間の在り方に関する考察」等として、憲法で保障された研究発表の自由・学問研究の自由・教育教授の自由等のもとに純粋に教育的観点から学術的調査研究報告として掲載している)。身勝手な要求をする保護者の社会的背景と特徴・ストレス発散のはけ口にされる教師・怒ることで自分が優位に立とうとする人・怒らないで理解しあうことが人間の知恵であり成熟した人間のあり方・困った親に追いつめられ心の病になり辞職する教師・個人主義化や私事化する社会と子どもと一体化する親・子供化する大人たち・やる気を失う教師・友人のような親子関係と失われた心の教育・前例踏襲事なかれ主義学校・社会の変化に対応できなくなった学校・学校に蔓延るしきたりに縛られた「ムラ社会」化した学校・俯瞰的にみることができずこれからの社会では通用しない社会を知らない教員・親と学校の間の「壁」の背景・自分に従わせようとする校長ら・思い込みが強すぎる人の心理・聞く耳を持たない人や決め付けの激しい人・攻撃欲の強い人やクレーマーの心理・大人の品格・三毒の煩悩・弱者叩きの心理・行き過ぎた独りよがりのゆがめられた正義・べき思考・管理職の特権意識・自己の過大評価と自分は絶対正しいと思い込む人・中高年の心の未熟さ・高齢者妄想性障害・曖昧さ耐性と認知的成熟度・静かな気づきと学び・深い思索や深く考える力・大人としての成熟した人間の在り方等に関する教育心理学的調査分析学術研究の一環として(国立高等専門学校機構教員研修クラス経営及び生活指導研修会国立高専機構理事長修了証第11号(法令順守・説明責任・危機管理・合意形成・発達障害等に関する研修・浅野清光受領済み)
  • 正当な理由なく欠勤したとして、市立中の30代男性教諭を停職3カ月とした懲戒処分について、市人事委員会が取り消す裁決。教諭は、当時の学校管理職らからハラスメント行為を受け、うつ病になったと説明した。教諭は精神的不調により出勤できる状況ではなく、正当な理由のない欠勤だったとは言えないと判断(産業医は「就労禁止」とする意見)。さらに、病気休暇の申請を勧めるなど安全に配慮した対応をとらずに処分をしたのは不当だと指摘された。精神疾患の教員を「不適格」として辞めさせる流れがあり、配慮に欠ける対応をした学校現場や教育委員会に警鐘を鳴らす裁決(山岡)。「教師の健康」を守らなければならないのは管理職の責任。管理職が自分の管理監督責任を果たさず、「立場の弱い相手にのみ責任を要求」するという一方的構図が患者の心理となる(岡田)。学校組織の中で、ストレス要因を生みださないように環境整備するストレスマネージメントの主導者は、学校管理職(中島)。 
    2025年3月
    北九州市教育委員会は2025.3.14日、正当な理由なく欠勤したとして、令和5年3月に市立中の30代男性教諭を停職3カ月とした懲戒処分について、市人事委員会が取り消す裁決を出したと発表した(2025.3.13日付)。人事委は「精神的不調により出勤できる状態でなかったと推認される」と判断した。市教委は「再審査を請求するかどうかも含め対応を検討する」としている。市教委は、男性が令和4年12月16日~5年1月23日に不当に欠勤したとして処分。一方、裁決書は男性が12月上旬までにうつ病と判断され、産業医は「就労禁止」とする意見を出しており「精神科医への受診や病気休暇の申請を勧める対応をするべきだった」と結論付けた。学校側が就労禁止の措置を取らず、休職届を不受理としたと主張。人事委は教諭側の主張を認め、教諭は精神的不調により出勤できる状況ではなく、正当な理由のない欠勤だったとは言えないと判断。さらに、病気休暇の申請を勧めるなど安全に配慮した対応をとらずに処分をしたのは不当だと指摘した。 教諭は、当時の学校管理職らからハラスメント行為を受け、うつ病になったと説明した。「精神疾患の教員を不適格として辞めさせる流れがある。配慮に欠ける対応をした学校現場や教育委員会に警鐘を鳴らす裁決だ」(審査で教諭の代理人を務めた山岡直明氏)。学校現場では、狭い非社会的閉鎖的な集団において正しいとされている「画一的・慣習的な価値観・判断基準・固定化したルーティーン」は絶対であり、それ以外は決して受容されず、時にはコンプライアンスよりも優先される(人はなぜ他人を許せないのか?中野信子・アソコム)。学校という「世間」ー学校では「法のルール」より「世間のルール」が優先される。学校という集団が作っている「世間のルール」は人権侵害である場合がある。こうなると「学校は無法地帯」となってしまい、教師や管理職の大人がそのことに気づいていないところが問題である。学校運営や教育実践には、「法規」という超えてはならない壁が存在するという共通認識(教育委員会や学校管理職・教員間で)を早急に確立することが求められている(坂田)。「世間」には人権も権利も存在せず、学校は「法のルール」で動いているのではなく「世間のルール」で動いている(佐藤直樹・九州工業大学名誉教授・エジンバラ大学法学部客員研究員等・さくら舎)。管理職との関係がストレスとなる場合について具体例(校長の指導で、不満と怒り・恐怖感・動悸・校長の話が頭に入らない・不安・心身症・意欲の低下・判断能力と思考能力の低下・身体が震えるになった・企図振戦・生きる気力の低下等)が多数報告されている。管理職が自分の管理監督責任を果たさず、「立場の弱い相手にのみ責任を要求」するという一方的構図が患者の心理となる(岡田謙・事例でわかる教師のストレス対処法・金子書房)。学校組織の中で、ストレス要因を生みださないように環境整備するストレスマネージメントの主導者は、学校管理職である。「同僚への排他的態度や攻撃的批判のない」、相手を思いやり共感を大切にするカウンセリングマインドを維持しつつ、「緩やかな連帯感」を保つ程度の「職場人間関係」が望ましいとされる(先生が壊れていくー精神科医のみた教育の危機ー中島・弘文堂ー壊れていく教師の実像ー具体例が多数詳細に記載されている)。「教師の健康」を守らなければならないのは管理職の責任。多元化する社会状況において、広く異質な集団で交流する能力を普段から身につける努力(多様な価値観があることを「生涯にわたって常に学ぶ」努力)が管理職や教師に必須である。管理職向け研修の内容として①メンタルヘルス支援の基本的内容②教員とのコミュニケーションの重要性③教員の援助希求行動 (教員たちが助けを求めやすい職場になっているかどうか・職場を折に触れて点検すること)④組織公平性マネジメント(職員の組織公平性がメンタルヘルス不調と勤労意欲に影響を与えている・組織公平性を高める取組)。人権が尊重され誠実で各人の特性に合ったコミュニケーションが取れているか。校長が「俺にすべて任されている!」という独善的独断的で排他的な高圧的思い込みによる一方的判断ではなく、コンプライアンスに基づく人権と公平性が尊重され、管理職等の監督責任を自ら謙虚に認め、立場の弱い者だけに責任を押し付けるのではなく、相手を思いやる共感性のある公平性がとれた態度(その場しのぎの感情的で独裁的な一方的な判断は、遅かれ早かれ裁判や第三者委員会・審査会・世論等で客観的に検証され、やがては公になることを管理職は心に深く刻んでおくこと)が望まれる。特権意識の強い管理職等は、特に自己防衛や自己正当化・自己愛のため、相手を否認し無価値化して、自分の都合の良い方向にねじ曲げ、嘘をつく原因になった隠しておきたい出来事や行為に対する後ろめたさがある場合や、恐怖や恥も感じずに嘘をつくタイプもいる(片田)。相手の価値を低下させれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができるので、自分自身の価値を保とうとする。自分の能力に不安を抱いていて、自信の無い人ほど、他人を無価値化して、自分の価値を保つのである(片田)。「自分の信念や判断が最良で絶対正しい」と主張して(多面的思考力とメタ思考力の欠如)、他人の価値観を侵害する。攻撃欲の強い人は、自己の過大評価があり、価値があるのは自分の意見だけで、相手は抵抗せずに賛同すべきだという信念に突き動かされていることが多い(片田)。もし他人の考え方を尊重しようとすれば、自分自身の決断を変更しなければならなくなる。場合によっては、自分の落ち度、誤り、過失等を認めざるをえないかもしれない。そういう事態を避けるために、他人の考え方を一切考慮せずに防衛する。「精神の狭量が頑固を生む」(La Rochefoucauld ラ・ロシェフコー1613-1680 フランスのモラリスト文学者)。相手が従わないと脅しをかける、罪悪感を押し付ける、話し合いを拒否して諦めさせる、正義を振りかざす、すべてを支配したがる、けなして自信を失わせる等、他人を攻撃せずにはいられない人が世の中には随分いる (片田・他人を攻撃せずにはいられない人・PHP新書)。組織公平性マネジメント・独断的で排他的な高圧的思い込みによる一方的な恣意的判断ではなく、コンプライアンスに基づく人権と公平性が尊重される学校組織・校長判断が切に望まれる。懲戒処分の取り消し決裁・学校管理職からのハラスメントによる精神疾患・産業医からの就労禁止を正当な理由なき欠勤と判断し停職3ヶ月の懲戒処分した市教委・安全配慮義務違反した市教委や管理職・精神疾患になった教員は不適格として懲戒処分の対象なのか?・法のルールと学校という世間のルール・世間のルールで動く学校・狭い非社会的閉鎖的な集団において正しいとされている「画一的・慣習的な価値観・判断基準・固定化したルーティーン」・無法地帯となった学校・校長の指導による過度のストレスによる教員の精神疾患の責任の所在・「世間」には人権も権利も存在しない・教師の健康を守るのは管理職の責任・管理職の監督責任の範囲・管理職向け研修の重要性・管理職のコンプライアンスに基づく人権と公平性客観性意識の欠落等に関する学術的調査研究の一環として
  • 過度の画一主義、瑣末主義(trivialism)、閉鎖性等を打破して、教育の実際の場での創意工夫による教育の活性化と個性重視の教育が実現できるよう、許認可、基準、助成、指導・助言の在り方の見直しなど、大胆かつ細心な規制緩和を進めること(臨教審答申)。教育の荒廃は、画一主義と硬直化がもたらした病理現象であることを認識し、これまでの画一性、閉鎖性、非国際性を打破し、多様性、開放性、国際性を実現する抜本的改革を進めなければならないとしている(臨教審答申・筑波大学小島弘道名誉教授)。「画ーよりも多様性を、硬直よりも柔軟を、集権よりは分権を、統制よりも自由・自律を重んじる」ことが基本的考え方となっている。①個性重視、②生涯学習への移行、③国際化、情報化など時代の変化への対応の 3 つの改革を基本理念とされている。「我々は他の人たちと同じになろうとして自分自身のほとんどを喪失してしまう」(Arthur Schopenhauer,1788-1860ドイツ哲学者)。 
    2025年3月
    小中学校連携の共通スローガンは「自分から、目を見て、はっきりと、気持ちの良い挨拶」となっていて、「挨拶」の徹底した画一的方法論のみの展開となっている。学校生活全体が「管理と同質化」が強化されていて、ストレスを発生させている学校文化を、教師たちが相変わらず誠実に実践し体現し続けている。子どもたちは、学ぶ意欲は萎え、自立力をなくしている(尾木直樹)。来校者が学校内ではきちんと挨拶するよう、校長が学校便りで保護者らに要望する(保護者らにも挨拶を強要する管理職・ほとんどの保護者は校長の顔すら覚えていない)。学校の校門の前で朝、登校してくる生徒みんなに管理職らが挨拶する(生徒が朝、元気良く挨拶することを求めている)ことが盛んであるが、「疲れている子どもや体調が悪い子どももいて、ますます心を閉ざしてしまうので、やめてほしい」と精神科医から指摘されている(児童精神科医古荘純一医学博士・日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか・光文社、不安に潰される子どもたち・祥伝社新書等参照ー学校現場や診療調査結果の豊富な具体的事例に基づく現状報告)。最近においても、中学校からの学校便りにも、生徒指導の具体的実践事項として「気持ちの良い挨拶をすること、気持ちの良い返事をすること、丁寧な言葉使いをすること、時間を守って行動すること、身だしなみを整えること、姿勢を正して話を聞く事、大きな声で校歌を歌うこと、決心した事は必ずやりぬくこと」等々、子どもたち全員に共通化した強制的で画一的指導の下、子どもたちは、不安や押し付けに押し潰されていく(古荘)。さらにこれらのモットーは、中学校の学区の4校連絡協議会で小学校と連携した共通の指導事項として徹底されている。疲れていて体調が悪く、大きな声を出せない子はどうするのであろうか。これらの指導がストレスと感じられる子どもたちも多くなってきている。全校生徒が体育館に集合して、校長が壇上に上がって中央で挨拶の前に、司会者の教員が「礼」と大声で軍隊式に号令をかけて、全生徒が頭を下げて礼をしているかどうかを校長が壇上からチェックする。一人、頭を下げなかった生徒の氏名や所属部活動等を校長が教員に調べさせる。このことを校長室で、校長が外部の人に不機嫌に話す等、過度の画一主義・管理主義が強化され、教育の硬直化が生徒の心に対するストレスはどれほど大きなことであろうか。教師から注意され、クラスの中では「あいつ、挨拶しないから先生に注意されている、校歌を歌っていない、等々」の陰口を言われかねない。「仲間はずれ・無視・陰口など暴力を伴わないいじめ」を「された経験」「した経験」がある、ともに9割という調査結果もある。「一人ひとりに寄り添った他者の気持ちを思いやる共感性の教育」が、これらのモットーには全く見られない。このような画一的な手段や方法のみが教育の目的化した「本質的な教育理念のない表面的画一的指導」がいまだに行われている現状にある。教育理念ではなく、単なる「手段」や「方法」が絶対的価値があるかのような深い中身の無い皮相的教育観。本質を考えていない画一的管理主義教育観。外見だけではない、社会に出て本当に役立つ教育には何が大切なのかが問われている。挨拶や言葉使いや態度だけでは、到底社会で通用するはずがない。全くの見ず知らずの人にも挨拶することを教員が他人(外部指導者や会計年度任用職員等)に強要することもあり、社会人としての常識を疑わざるを得ない。学校内で教員が、生徒に誰とは分からずとも誰にでも挨拶するように教育している。「挨拶すること」だけを絶対視して、「手段や方法が教育の目的化」した典型例である。学校は外界と遮断されている場所となっていて、教師は他業界から隔絶された場所で働いており、世界が急速に変化していることを必ずしも実感しているとは限らない。生徒たちを社会人と交流させることの重要性が高まっている(Michael B. Horn)。「管理が教育の目的」と化し、自分の力を誇示することや相手を支配することだけに終始してしまい、教育欲がなくなっていることを自覚していない(齋藤孝)。「純粋に教育的指導を生徒批判」と言う教育感が欠如した思い込みが激しい管理職のなかにみられる。管理が目的の教育となっている(尾木直樹・齋藤孝)。学校現場では、狭い非社会的閉鎖的な集団において正しいとされている「画一的・慣習的な価値観・判断基準・固定化したルーティーン」は絶対であり、それ以外は決して受容されず、時にはコンプライアンスよりも優先される(人はなぜ他人を許せないのか?中野信子・アソコム)。放送大学「教育社会学概論」岩永雅也放送大学長-学校教育と問題行動・規範意識の希薄化・学級崩壊・いじめ・不登校・非行等の中で、「教育の社会化・親による社会化・多様な社会化」が講義されている。元気の良い挨拶や返事・服装等だけでは実社会ではとても通用しない。「学校は、人が社会の中でよりよく生きていけるようにする」という本来の目的(本質)を見失っている(工藤勇一中学校長)。挨拶や服装等だけで、果たして社会でよりよく生きていけるのであろうか。本質を瑣末化・矮小化されていて、「深い学び」が管理職・教員にこそ求められている。校長が変わり、学校が変わり、子どもたちが変われば、社会が変わる。校長に変わる気が無いと学校は変化しない。校長が人々に害を及ぼすような人物であれば、その責任は大きく、今すぐ職を辞するべきである(校長の力 学校が変わらない理由 変わる秘訣・工藤勇一中学校長・中公新書ラクレ)。「深く考えない、読解力の乏しさ」が思考停止や間違った判断決定を招く(深い学びの喪失)(教育現場は困っている・榎本博明・平凡社)。行き過ぎた指導マニュアル・授業のマニュアル化・受験競争の早期化・無気力や不安の元凶とされる学校生活での息苦しさ(増田修治)。それぞれの小中学校では 、スタンダードと呼ばれる独自ルールをこと細かに設けている。中には、学校へ持参していい鉛筆は5本と指定していたり、自主勉ノートをやってこなかったら罰を受けると誓約書を書かせたりと、意味不明なルールも見られる。秋田県の学習規律では、1) 最後まで椅子に座ってよい姿勢で話を聞く 2)机の上に置くものの位置 3) 鉛筆の数(鉛筆の種類まで指定する教員もいる)4) 鉛筆の持ち方 5) タブレットの置き方 6) 板書の通りにノートをとる 7) ノートの色の使い方(問題を赤で囲む。まとめは青で囲むなど)。これだけ聞いても、秋田県の子どもたちが「がんじがらめ」にされていることがわかる。Aさんは「これでは、学校に行きたがらない子どもたちが増えても不思議ではないだろう。学力主義で「がんじがらめ」の学校が、不登校や長期欠席という副作用をもたらしている」と。不登校問題への取り組みが「遅れている」と県内の教育関係者に受け取られている。無神経な言動が目立つ教員。教員には、相手がどう思うかの配慮が足りない人がかなり多い(朝比奈)。子どもや保護者へのトラブルは、「相手がどう受け止めるかを考えた言動を教員が取れば減少する」。秋田市教育委員会は、2024.10.24、市立小学校の女性教諭が10.18の昼休みに、体育館で上履きを飛ばして遊んでいた児童5人に対して「情けないですよ」「ばかですね」「あほですね」などの言葉を使って不適切指導を行っていたと明らかにした。その後、担任する学級の他の児童に対して5人の行為をどう思うか尋ねた上で「情けない」「恥ずかしい」などと言うよう求めた。女性教諭の指導について複数の保護者から苦情が寄せられたため、学校は10.23. に保護者会を開催。出席した保護者27人に対し、校長と女性教諭が不適切指導を認めて謝罪した。学校は再発防止策として、①女性教諭以外の教諭も授業中に学級に入ること②管理職が女性教諭と毎日面談し、その日の指導内容を聞き取ること③保護者がいつでも授業参観できるようすることの3点を10.24. から講じているという。従来の教育行財政全般にともすると見られがちであった過度の画一主義、瑣末主義(trivialism)、閉鎖性等を打破して、教育の実際の場での創意工夫による「教育の活性化と個性重視の教育」が実現できるよう、許認可、基準、助成、指導・助言の在り方の見直しなど、大胆かつ細心な規制緩和を進めること(臨教審答申)。教育の荒廃は、「画一主義と硬直化がもたらした病理現象」であることを認識し、これまでの「画一性、閉鎖性、非国際性」を打破し、「多様性、開放性、国際性」を実現する抜本的改革を進めなければならないとしている(臨教審答申・筑波大学小島弘道名誉教授)。「画ーよりも多様性を、硬直よりも柔軟を、集権よりは分権を、統制よりも自由・自律を重んじる」ことが基本的考え方となっている。①個性重視、②生涯学習への移行、③国際化、情報化など時代の変化への対応の 3 つの改革を基本理念とされている。「我々は他の人たちと同じになろうとして自分自身のほとんどを喪失してしまう」(Arthur Schopenhauer, アルトウール・ショーペンハウエル1788-1860ドイツ哲学者)。子どもの非行、校内暴力、いじめ、登校拒否、自殺などの問題行動や体罰、偏差値教育、管理教育などの「現代の教育荒廃症状の原因」が、学校教職員と学校指導者の姿勢や指導ス タイル、さらには学校経営のスタイルに根をもち、これらの総合的、抜本的な改善なくしては解決はありえないとする立場から、学校経営の在り方を教育改革の重要なテーマとし改革提言を行っている(小島)。学校現場が活性化しなければいい教育はない、またはいい教育は生まれないという認識があったとされる。教育の画一性と硬直性を打破するためには、教育の個性化と多様化、選択機会の拡大を実現することが重要とされる(岡山大学教育学部北神教授)。画一的管理主義教育・学校生活全体の管理と同質化の強化による弊害・本質的な教育理念のない表面的画一的指導・生徒たちを社会人と交流させることの重要性・教育の社会化・親による社会化・多様な社会化・「深く考えない、読解力の乏しさ」が思考停止や間違った判断決定を招く(深い学びの喪失)・行き過ぎた指導マニュアル・無神経な言動が目立つ教員・過度の画一主義、瑣末主義、閉鎖性等を打破して、教育の実際の場での創意工夫による「教育の活性化と個性重視の教育」実現の重要性・「多様性、開放性、国際性」の実現・現代の教育荒廃症状の原因・教育の個性化と多様化、選択機会の拡大等に関する教育の在り方等に関する学術的調査研究の一環として
  • 2025年3月
    管理職との関係がストレスとなる場合について具体例(校長の指導で、不満と怒り・恐怖感・動悸・校長の話が頭に入らない・不安・心身症・意欲の低下・判断能力と思考能力の低下・身体が震えるになった・企図振戦・生きる気力の低下等)。管理職が自分の管理監督責任を果たさず、「立場の弱い相手にのみ責任を要求」するという一方的構図が患者の心理となる(岡田謙・事例でわかる教師のストレス対処法・金子書房)。学校組織の中で、ストレス要因を生みださないように環境整備するストレスマネージメントの主導者は、学校管理職である。「同僚への排他的態度や攻撃的批判のない」、相手を思いやり共感を大切にするカウンセリングマインドを維持しつつ、「緩やかな連帯感」を保つ程度の「職場人間関係」が望ましいとされる(先生が壊れていくー精神科医のみた教育の危機ー中島・弘文堂ー壊れていく教師の実像ー具体例が多数詳細に記載されている)。「教師の健康」を守らなければならないのは管理職の責任。多元化する社会状況において、広く異質な集団で交流する能力を普段から身につける努力(多様な価値観があることを「生涯にわたって常に学ぶ」努力)が管理職や教師に必須である。管理職向け研修の内容として①メンタルヘルス支援の基本的内容②教員とのコミュニケーションの重要性③教員の援助希求行動 (教員たちが助けを求めやすい職場になっているかどうか・職場を折に触れて点検すること)④組織公平性マネジメント(職員の組織公平性がメンタルヘルス不調と勤労意欲に影響を与えている・組織公平性を高める取組・人権が尊重され誠実で各人の特性に合ったコミュニケーションが取れているか・校長が「俺にすべて任されている!」という独善的独断的で排他的な高圧的思い込みによる一方的判断ではなく、コンプライアンスに基づく人権と公平性が尊重され、管理職等の監督責任を自ら謙虚に認め、立場の弱い者だけに責任を押し付けるのではなく、相手を思いやる共感性のある公平性がとれた態度(このようなその場しのぎの感情的で独裁的な一方的な判断は、遅かれ早かれ裁判や第三者委員会・審査会・世論等で客観的に検証され、やがては公になることを管理職は心に深く刻んでおくことが望まれる・東京女子医大の元理事長による背任事件のように、背景に組織トップへの強い権限集中による負の側面があるとされる・強いリーダーシップによる弊害(①コンプライアンス違反②人権侵害やパワハラ・モラハラ・フキハラ・セクハラ③感情的で恣意的で独断的な判断決定や理性良心よりも自尊感情優先④改革の名の下に組織内部規定や規律の度重なる軽視変更や無視・教授会や教員会議等の権限縮小や廃止・トップの独断裁量の強化⑤イエスマンの意図的な登用と否定的意見の抹殺⑥自己正当化・自己の過大評価・独りよがりの歪んだ独善的正義感・強い特権意識の自己中心性・画一的な偏狭的価値観・否認と投影・過剰な攻撃性⑦共感性想像力の欠如⑧責任転嫁や不祥事の隠蔽先送り・表面化問題化のトップによる組織的防衛と自己保身や隠蔽・第三者委員会や調査検討委員会等の設置見送り・独断専行・多面的思考力の欠如⑨組織公平性の欠落・非倫理的言動⑩組織トップによる拙速な改革に対する問題点指摘者の排斥降格⑪権力の誇示・自分にすべて任されている・権限は自分にある等の威圧的言動等)。公益通報者保護制度の徹底強化・公益通報者を処分した管理職の罰則規定等・兵庫県知事の疑惑告発文書問題で、県が文書を誹謗中傷として県幹部を停職処分にして、告発者がその後自殺したとされる)。秋田市情報公開個人情報保護審査会での裁決書・秋田市教育委員会に対して「審査請求人は、本件請求により、審査請求人に係る「会計年度任用職員、部活動指導員の選任から職務遂行、退職に至るまでの一切の個人情報」の開示を求めていたものであり、審査請求人についての記載又は他の情報との照合により審査請求人を特定することができる関連文書が含まれることは、その文言から明らかである。これについて、対象保有個人情報としなかったことは、実施機関の保有個人情報の特定が不十分であったと言わざるを得ない。保有個人情報の開示に当たっては、保有個人情報の特定はもとよりその前提となる公文書の取扱いを含め、実施機関には適正な管理運用が求められていることから、本件のような事態が再発しないよう改善を求めたい。」としている(秋田市役所HP公開令和5年11月17日処分の変更(答申のとおり)審査請求棄却がほとんどの中で唯一処分変更となった答申)。所属する組織の不正(コンプライアンス違反・内部規定違反・ルールマナー違反・パワハラやセクハラ・安全配慮義務違反等)を告発した人を報復から守るため、告発を受けた側が公益通報を理由に解雇・懲戒処分した場合、刑事罰を導入するべきだと提言(消費者庁有識者検討会公益通報者保護法改正に関する報告書)。通報者を保護する仕組みの強化。官公庁や企業の不正を報道機関、行政機関等に通報した人に対し、それを理由とした不利益な扱いを禁じる公益通報者保護法の周知徹底。通報を理由とした解雇は無効とされている。通報された管理者からの報復の抑止力を高める必要性。告発を受けた側の恣意的判断や報復が懸念され、内部通報者が後で後悔したり、職場に居づらくなる(人事異動・評価・待遇・辞職の強要等)ことのない、安心できる制度の構築が求められている(秋田魁新報社説2025.1.11公益通報制度改正・通報者の保護強化図れ)。公益通報者保護法改正、通報を理由とした解雇や懲戒処分のような報復行為に、拘禁刑を含めた刑事罰が導入され、通報者の保護が強化される。内部告発者への不利益な取扱が企業や自治体等で問題化する中で、通報内容に適切に対応するため実効性の向上と体制整備の徹底が図られる。解雇や懲戒処分に関与した関係者に6ヶ月以下の拘禁刑か30万円以下の罰金を科すとされる。法人は3千万円以下の罰金とされる。精神科医による座学やメンタルヘルス不調事例を提示し、求められる対応に関する議論と発表(小グループによるワークショップ)(教員のメンタルへルス・大石智・大修館書店)地域性や生徒の状況に配慮した「学校の教育方針・教育理念」が校長に具体的にないと、学校全体が保護者に防衛的になり主体性・独自性が消え、行政側と議論や対話ができなくなる。職場自体がストレスの原因となる。何か問題が生じたときには、その問題の原因だけ(当事者)を追及するのではなく、問題によって生じる当事者の不安を和らげながら、「問題の本質の解明」、「法令順守に基づく問題解決」へのより良い見通し方針を立てることが管理職に求められる。自己防衛や自己正当化・自己愛のため、相手を否認し無価値化して、自分の都合の良い方向にねじ曲げ、嘘をつく原因になった隠しておきたい出来事や行為に対する後ろめたさがある場合や、恐怖や恥も感じずに嘘をつくタイプもいる(片田)。相手の価値を低下させれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができるので、自分自身の価値を保とうとする。自分の能力に不安を抱いていて、自信の無い人ほど、他人を無価値化して、自分の価値を保つのである(片田)。「自分の信念や判断が最良で絶対正しい」と主張して(多面的思考力の欠如)、他人の価値観を侵害する。攻撃欲の強い人は、価値があるのは自分の意見だけで、相手は抵抗せずに賛同すべきだという信念に突き動かされていることが多い(片田)。もし他人の考え方を尊重しようとすれば、自分自身の決断を変更しなければならなくなる。場合によっては、自分の落ち度、誤り、過失等を認めざるをえないかもしれない。そういう事態を避けるために、他人の考え方を一切考慮せずに防衛する。相手が従わないと脅しをかける、罪悪感を押し付ける、話し合いを拒否して諦めさせる、正義を振りかざす、すべてを支配したがる、けなして自信を失わせる等、他人を攻撃せずにはいられない人が世の中には随分いる (片田・他人を攻撃せずにはいられない人・PHP新書)。公益通報者保護法改正・公益通報者を処分した管理職の罰則規定・強いリーダーシップによる弊害・強い特権意識の自己中心性・管理職との関係がストレスとなる場合・管理監督責任のあり方・同僚への排他的態度や攻撃的批判・職場人間関係のあり方・教師の健康を守る管理所の責任・管理職向け研修・教員とのコミュニケーションの重要性・組織公平性マネジメント・コンプライアンスに基づく人権と公平性の尊重・管理職が監督責任を自ら謙虚に認めること・立場の弱い者だけに責任の押し付け・相手を思いやる共感性のある公平性がとれた態度の重要性・強い権限集中による負の側面・自尊感情優先の判断の是正・否定的意見の抹殺の弊害・画一的な偏狭的価値観・過剰な攻撃性・共感性想像力の欠如・責任転嫁や不祥事の隠蔽先送り・表面化問題化のトップによる組織的防衛と自己保身や隠蔽・権力の誇示・情報公開個人情報保護審査会・所属する組織の不正(コンプライアンス違反・内部規定違反・ルールマナー違反・パワハラやセクハラ・安全配慮義務違反等)を告発した人を報復から守る法律改正・通報された管理者からの報復の抑止力を高める必要性・告発を受けた側の恣意的判断や報復・通報を理由とした解雇は無効・職場自体がストレスの原因等に関する公益通報者保護法等に関する調査研究の一環として
  • 生徒指導では、目前の問題に対応する課題解決的な指導だけでなく、発達・成長を促す指導等や予防的な指導を行う積極的な指導が重要。課題の予兆行動が見られたり、問題行動のリスクが高まったりするなど、深刻な問題に発展しないように、初期の段階で諸課題を発見し対応すること。児童生徒の問題を少しでも早く発見し、問題が複雑かつ困難になる前に指導したり対応したりするためには教員の観察力が必要。学校教育法第21条においても、規範意識をはぐくみ社会の発展に寄与する態度を養うことなどが義務教育の目標。「社会で許されない行為は、学校においても許されない」という学校としての生徒指導の方針や姿勢を外部に積極的に発信すること。規範意識の育成において学校生活は、規律や社会的ルールを学ぶ場であるという共通認識に立つこと。集団での活動を通して、社会生活上のルールやモラルの意義について考える機会を与えたり、正義感や公正さを重んじる心、自律・自制の心などの大切さについて理解する機会を与えることは、社会の一員として生活を営む上で必要なルールやマナーを体験的に習得していくことに結びつく(文科省)。 
    2025年2月
    放送大学「新時代の生徒指導」生徒指導とは何かー(埼玉県立大学東宏行教授)において、秋田市立土崎中学校の生徒指導通信が紹介された。①学校リーフレット等②教員研修用資料③生徒指導提要(平成22年・令和4年改定)④その他著書等による情報。生徒指導の意義と定義目的・これからの課題。法律を意識した生徒指導・生徒指導上の問題の広がりと教師の働き方改革の関係・自己指導能力。教師がより良く生きようとする姿勢を生徒に見せること。個別最適な学びと協同的な学びの重要性。「学び続ける教員」として、自己を理解し、自らの実践や体験を批判的に問い直す姿勢を持ち続けるようにすることが大切。教職員個人の生徒指導に関する知識・技術・態度それぞれについての改善・向上を図ることにより、学校の生徒指導力を強化すること。教職員一人一人の生徒指導上の力量形成を図ることと、組織学習においては、学校の継続的改善に力点が置かれる。個人の職能開発だけでなく、学校が継続的に自らの組織を改善していくためには、学校が「学習する組織」へと変容していくことが求められる。各学校において、教職員同士が継続的な振り返りを通して、学び合う文化・風土が根付くように、校内研修の一層の工夫と充実を図ることが求められる。令和の日本型学校教育の実現に向けては、GIGAスクール構想を踏まえ、今後ICTを活用した生徒指導を推進することが大切。ただし、実践に当たっては、不断の教職員の ICT活用能力の向上が必要とされている。(生徒指導提要(文部科学省)から抜粋再構成・経験と関心事に基づく)近年、子供たちを取り巻く環境が大きく変化する中、いじめの重大事態や児童生徒の自殺者数の増加傾向が続いており、極めて憂慮すべき状況にある。加えて、「いじめ防止対策推進法」や「義務教育の段階における普通教育に相当する機会の確保等に関する法律」の成立等関連法規や組織体制の在り方など、提要の作成時から生徒指導をめぐる状況は大きく変化してきている。子供たちの多様化が進み、様々な困難や課題を抱える児童生徒が増える中、学校教育には、子供の発達や教育的ニーズを踏まえつつ、一人一人の可能性を最大限伸ばしていく教育が求められている。こうした中で、生徒指導は、一人一人が抱える個別の困難や課題に向き合い、「個性の発見とよさや可能性の伸長、社会的資質・能力の発達」に資する重要な役割を有している。生徒指導上の課題が深刻になる中、何よりも子供たちの命を守ることが重要であり、全ての子供たちに対して、学校が安心して楽しく通える魅力ある環境となるよう学校関係者が一丸となって取り組まなければならない。その際、事案に応じて、学校だけでなく、家庭や専門性のある関係機関、地域などの協力を得ながら、社会全体で子供たちの成長・発達に向け包括的に支援していくことが必要。都市化や少子化、情報化などが進展する中で、社会全体で様々な課題が生じており、また、児童生徒の問題行動等の背景には、規範意識や倫理観の低下が関係しているとも指摘されている。生徒指導は、一人一人の児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、社会的資質や行動力を高めるように指導、援助するものであり、時代の変化にも対応しながら、学校段階に応じた生徒指導を進めていくことが求められている。生徒指導は、学校がその教育目標を達成するための重要な機能の一つであり、児童生徒の人格の形成を図る上で、大きな役割を担っている。しかしながら、ともすれば学校における生徒指導が、問題行動等に対する対応にとどまる場合もあり、学校教育として、より組織的・体系的な取組を行っていくことが必要であることが指摘されてきた。生徒指導とは、児童生徒が、社会の中で自分らしく生きることができる存在へと、自発的・主体的に成長や発達する過程を支える教育活動のこと。生徒指導は、児童生徒一人一人の個性の発見とよさや可能性の伸長と社会的資質・能力の発達を支えると同時に、自己の幸福追求と社会に受け入れられる自己実現を支えることを目的とする。生徒指導の目的を達成するために児童生徒一人一人が 自己指導能力を身に付けることが重要。自己指導能力とは、児童生徒が、深い自己理解に基づき、「何をしたいのか」、「何をするべきか」、主体的に問題や課題を発見し、自己の目標を選択・設定して、この目標の達成のため、自発的、自律的、かつ、他者の主体性を尊重しながら、自らの行動を決断し、実行する力。これからの児童生徒は、少子高齢化社会の出現、災害や感染症等の不測の社会的危機との遭遇、高度情報化社会での知識の刷新や ICT 活用能力の習得、外国の人々を含め多様な他者との共生と協働等、予測困難な変化や急速に進行する多様化に対応していかなければならない。児童生徒の自己指導能力の獲得を支える生徒指導では、多様な教育活動を通して、児童生徒が主体的に課題に挑戦してみることや多様な他者と協働して創意工夫することの重要性等を実感することが大切。①自己存在感の感受ー「自分も一人の人間として大切にされている」という自己存在感を、児童生徒が実感することが大切。自己肯定感や自己有用感を育むことも極めて重要。②共感的な人間関係の育成ー皆で考える支持的で創造的な学級・ホームルームづくりが生徒指導の土台。そのためには、自他の個性を尊重し、相手の立場に立って考え、行動できる相互扶助的で共感的な人間関係をいかに早期に創りあげるかが重要。③自己決定の場の提供ー授業場面で自らの意見を述べる、観察・実験・調べ学習等を通じて自己の仮説を検証してレポートする等、自ら考え、選択し、決定する、あるいは発表する、制作する等の体験が何より重要・「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善。④安全・安心な風土の醸成ーお互いの個性や多様性を認め合い、安心して授業や学校生活が送れるような風土を、教職員の支援の下で、児童生徒自らがつくり上げるようにすることが大切。児童生徒一人一人が、個性的な存在として尊重され、学級・ホームルームで安全かつ安心して教育を受けられるように配慮する必要がある。他者の人格や人権をおとしめる言動、いじめ、暴力行為などは、決して許されるものではない。従来の目前の問題に対応する課題解決的な指導だけでなく、発達・成長を促す指導等や予防的な指導を行う積極的な指導が重要。全ての児童生徒を対象に、生徒指導の諸課題の未然防止をねらいとした、意図的・組織的・系統的な教育プログラムを実施する。課題の予兆行動が見られたり、問題行動のリスクが高まったりするなど、気になる一部の児童生徒を対象に、深刻な問題に発展しないように、初期の段階で諸課題を発見し対応すること。いじめ、不登校、少年非行、児童虐待など特別な指導・援助 を必要とする特定の児童生徒を対象に、校内の教職員だけでなく、校外の教育委員会等、警察、病院、児童相談所等の関係機関との連携・協働。教員は日ごろから児童生徒と同じ場で生活しており、そのため、児童生徒を観察し、家庭環境や成績など多くの情報を得ることができ、問題が大きくなる前にいち早く気付くことができることは、学校における教育相談の大きな利点。専門機関のように本人や親から自発的に相談に来るのを待つのではなく、小さな兆候(サイン)をとらえて事案に応じて適切に対応し、深刻な状態になる前に早期に対応することが可能。学校には、学級担任・ホームルーム担任を始め、教育相談担当教員、養護教諭、生徒指導主事、スクールカウンセラーなど様々な立場の教員がいる。専科教員や授業担当者、部活動の顧問は、日常の観察やきめ細かいかかわりが可能。児童生徒の問題を少しでも早く発見し、問題が複雑かつ困難になる前に指導したり対応したりするためには教員の観察力が必要。複雑化・多様化する児童生徒の問題行動等を解決するためには、学級担任・ホームルーム担任が一人で問題を抱え込むのではなく、管理職、生徒指導担当、教育相談担当、学年主任、養護教諭など校内の教職員や、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどの外部の専門家等を活用して学校として組織的に対応することが重要。教育活動を通じて、確かな学力や豊かな人間性などをはぐくむとともに、学校で児童生徒が安全・安心に過ごすことができるようにする責務を、教職員一人一人が負っている。学習指導要領では、部活動は「スポーツや文化及び科学等に親しませ、学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養等に資するものであり、学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること」とされている。部活動を通して、生徒の自己指導能力の育成が図られること。説明責任という言葉は、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」が制定されて以降、わが国の社会に浸透してきた。これは、もともとは、主権者たる国民から行政権の行使を託された者は、行政の運営について国民に説明する責任があるし、また説明できるように運営しなければならないという考え方。説明責任を果たすためには、情報の公開が必要であるということになる。この説明責任を、権限の行使を委ねた側から見れば、委ねた側にはいわゆる「知る権利」があると解釈することも可能。現に、公立学校が対象となる地方公共団体の情報公開条例の中には、知る権利を目的規定に掲げるものもある。このような背景を持つ説明責任という言葉は、今日では、広く行政権の行使以外の場面でも用いられている。学校教育の場に当てはめてみると、教育を委ねられた者として、教育を委ねた者に教育現場の運営について説明する責任があるということ。学校運営に携わる者が負う制度的責任ということもできる。近年、家庭や地域の教育力の低下が指摘される中、生活習慣の基礎が十分に培われないまま小学校へと入学するために、学校や行政機関などが、家庭の役割を担わなければならない状況が生起している。その結果、生活習慣の乱れや問題行動を引き起こしたり、学習規律や学習意欲・態度にも影響を及ぼしたりしている。学校では、児童生徒に基本的な生活習慣を確立させ、規範意識に基づいた行動様式を定着させることが重要。学級・ホームルームだけでなく学校全体で校内規律を維持することは、学校における教育活動の基盤になるとともに、学校が安心・安全な居場所となることで児童生徒に安心感を与え、暴力行為、いじめや不登校といった問題を未然に防止することにつながる。校内規律は、自らの意志ではなく校則や教員からの指導により「守らされているもの」という意識から、規範の意義を理解し、児童生徒自らが規範を守り行動するという自律性をはぐくむことが重要。生徒指導をめぐる多様な問題状況を受けて、幼稚園・小学校・中学校・高等学校すべての学校種を通しての規範意識の醸成をめざす生徒指導体制の在り方と児童生徒の実態に即した実践可能な方策を構築していくことが、どの学校においても必要不可欠な課題となっている。また、近年の低年齢化する児童の問題行動を受けて、小学校における学級運営と生徒指導の充実改善が求められている。具体的には、校内のルールを遵守させるなど、校内の規律の維持とこれを通じた児童の規範意識の醸成という観点から、生徒指導の在り方を見直していくことが求められている。法律上でも、教育基本法第6条において、学校教育の実施に当たっては、「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずる」ことを重視しなければならないとされ明示されている。また、学校教育法第 21 条においても、規範意識をはぐくみ社会の発展に寄与する態度を養うことなどが義務教育の目標として掲げられている。以上のことから、これからの生徒指導では、規範意識をはぐくむ指導及び校内規律に関する指導を児童生徒の発達の段階に即しながら意図的計画的に推進していくことが求められている。「社会で許されない行為は、学校においても許されない」という学校としての生徒指導の方針や姿勢を外部に積極的に発信することが必要。また、すべての問題を学校内だけで解決しようとはせずに、家庭や地域社会に対して、児童生徒の健全育成についての働きかけをすることが求められている。中学校では、問題行動の多様化・複雑化・深刻化が進行し、規範意識の低下など、深刻な状況にある。生徒指導では、中学生の特徴と思春期の理解を基本とし、「個の育成」と規範意識の向上のために「集団の育成」の観点を踏まえた取組が必要。規範意識の育成において学校生活は、規律や社会的ルールを学ぶ場であるという共通認識に立ち、学習環境の整備や学校内の規律の維持に取り組むことが必要。そのためには、教職員の共通理解の下、一貫性のある指導に日々当たるとともに、生徒個々が規則を守ることの必要性を考える機会をつくることも大切。児童生徒の規範意識の低下や自立の遅れなどが指摘されている中で、集団指導には、社会の一員としての自覚と責任を育成することができるという側面がある。発達の段階によって異なるが、児童生徒は集団指導を通して、集団の規律やルールを守り、お互いに協力しながら各自の責任を果たすことによって、集団や社会が成り立っていることを理解し、行動できるようになる。したがって、児童生徒に集団での活動を通して、社会生活上のルールやモラルの意義について考える機会を与えたり、正義感や公正さを重んじる心、自律・自制の心などの大切さについて理解する機会を与えることは、児童生徒が社会の一員として生活を営む上で必要なルールやマナーを体験的に習得していくことに結びつく。規範意識の育成にかかわる活動として、①人権尊重・正義感や公正さ・命の大切さ・被害者の視点などを取り上げた教育活動、②他者とのかかわり方など社会性を身に付ける取組、③体験学習やボランティア活動、地域社会と連携した取組など。いじめは日常生活の延長上で生じ、当該行為がいじめか否かの逸脱性の判定が難しいところに特徴がある。文部科学省の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」の定義では、いじめは、昭和 60 年以来「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」としてきたが、その後、平成 18 年に「一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的苦痛を感じているもの」と変更された。いじめられる側の精神的・身体的苦痛の認知として見直すことで、児童生徒がいじめを認知しやすいようにしたもの。いじめの衝動を発生させる原因としては、①心理的ストレス(過度のストレスを集団内の弱い者への攻撃によって解消しようとする)②集団内の異質な者への嫌悪感情(凝集性が過度に高まった学級集団などにおいて、基準から外れた者に対して嫌悪感や排除意識が向けられる)③ねたみや嫉妬感情④遊び感覚やふざけ意識⑤いじめの被害者となることへの回避感情など。「社会が急激な変化を遂げる中にあって、個人には、自立して、また、自らを律し、他と協調しながら、その生涯を切り拓いていく力が一層求められるようになる。すべての人に一定水準以上の教育を保障するとともに、自らの内面を磨くために、また、社会に参画する意欲を高め、生活や職業に必要な知識・技術等を継続的に習得するために、生涯にわたって学習することのできる環境の整備が課題となっている。」(教育振興基本計画)との指摘。社会の形成者としての資質と能力を培うためには、もう一つ、様々なリテラシーを学ぶことも必要。言葉や情報に関するリテラシー、学習態度や学びのスキルなど学びに関するリテラシー、対人関係リテラシー、基本的な生活習慣を始めとする日常生活や規範意識、公共の精神を含めた社会生活にかかわるリテラシーなど、様々な生活資源や社会的な場面にかかわるリテラシーがある。これらは人々が社会のなかで生活し、個々の幸福の実現と社会を発展させていくための包括的・総合的な「社会的なリテラシー」と呼び得るものの基盤となるもの。単に、知識や技術、断片的な個々のリテラシー、社会的な資質や能力を身に付けるだけではなく、社会のなかで、その時々の状況を判断しながら、それらを適切に行使することによって、個人や社会の目的を達成していく包括的・総合的な能力。それを社会的なリテラシーと呼ぶとすれば、生徒指導の最終目的は社会的なリテラシーの育成にあるといえる。知識やスキル、断片的な資質や能力を寄せ集めただけでは、真に社会性が育ったということはできない。大切なことは、それらを統合して主体的に行動できるようになること。それこそが、国家・社会の形成者としての人格の完成であり、自己指導能力や課題解決能力の育成にもつながる生徒指導の最終目標であるといえる。これからの私たちの社会に新たな地平を拓き、人々の個々の幸福の実現と社会の発展を展望するとき、社会の形成者としての資質を涵養する生徒指導こそが鍵となるといっても過言ではない。学び続ける教員や学習する学校組織として、教師や学校管理職は、放送大学「新時代の生徒指導」や文部科学省生徒指導提要等を是非とも深く学習して、社会的リテラシー育成のため、日々の生徒指導の判断基盤として、大いに役立ててほしいと願ってやまない。生徒指導提要(文部科学省)・放送大学「新時代の生徒指導」等に関する教育学的調査分析学術的研究活動の一環として
  • 怒りの憤慨は、己に対する過大評価から生じる(セネカ)。どれだけ他人を傷つけても、自分が悪いとは思わない人の精神分析ー自己正当化の動機。敵意のこもった羨望が現在の日本では優勢。大切なのは何かという「価値観が画一的」なことも、羨望をかきたてる。弱った者が自分より弱い者を非難し意図的に傷つけ、行きすぎた歪んだ正義を振りかざして暴走し、後悔も反省もせず本音をむき出しにしたり、誰かを攻撃する。自分には悪などないのだと「否認」するために、その悪を外部に「投影」して、他人を徹底的に攻撃する。独りよがりの思い込みによる正義の名のもとに、他人を激しく攻撃する。たとえ自分に落ち度があっても、決して認めようとせず、悪いのは自分ではなく、相手が悪いと協調する。特権意識に由来する自己中心性と強いリーダーシップによる弊害。自分の非や責任をひたすら否認し、すべて他人のせいにすることによって、自分は悪くないという主張を貫く自己正当化(片田)。多様な価値観があることを生涯にわたって常に学ぶ努力が学校管理職や教師にとって重要。 
    2025年1月
    「自己正当化」ーその精神構造と根底に潜む意識・背景(Robert D. Hare、中野、梅谷、片田)。他人に対する強い敵意や悪意を抱く人は、自分の中にもともと強い劣等感や不安感がある。「自分は正しい立場からものを言っているという正義感」。自分の思い通りにならないことが起きると「他人を否定して悪とみなし攻撃の対象」にする。「自分の縄張りや利益」を守ることに過敏になっていて、重大な権利の侵害と感じてしまい、「自分の領域」守るために「強い不安や強迫観念」に囚われてしまうとされる。「どれだけ他人を傷つけても、自分が悪いとは思わない人」の精神分析ー「自己正当化の動機」①利得ー自分にとって得になることにはひたすら自己正当化し、それは本当に正しいかどうかはどうでもよい。②自己愛ー自分の価値観や考え方を他人に押し付け、それが正しいことを他人に認めさせようとする自己愛が人一倍強い人。「一方的に話してそれが満たされないと怒り出す」。自己愛に由来した承認欲求が強い人。③否認ー例え自分に落ち度があっても、決して認めようとせず、悪いのは自分ではなく、相手が悪いと協調する。「自分の非や責任をひたすら否認し、すべて他人のせいにする」ことによって、自分は悪くないという主張を貫く。自己正当化する人は、知らず知らずのうちに「否認、自己愛、利得」という三つの動機に動かされているので、自己正当化の場合その自覚が欠けている(片田珠美精神科医・自己正当化という病・祥伝社)。自己正当化をこじれさせる要因①強い特権意識ー特権意識に由来する自己中心性。学校内では校長である自分がすべて決められる権限を持っている、あるいは自分にすべて何でも任されているという誇大的威圧的態度、自分が一番偉いのだという特権意識。校長自身の願望や要求を満足させることが学校内では最優先されて当然だという自己中心的思い込み(自己の過大評価)。少しでも否定されたり思い通りに進まないと罵倒したり怒鳴り散らす。自分が悪いとは少しも思っていない。②過去の成功体験ー過去の成功体験が大きいほど、これまでの自分のやり方でよい、これまでも許されてきたのだから、これからも許されるという思い込み。自己正当化に拍車がかかり、自分が悪いとは少しも思っていない。③想像力の欠如ー自分が悪いとは思わない人に共通して認めらている。「相手の心情等に想像力が欠如した人」は残酷なことを平気でやる。「相手をどれだけ傷つけることになっても自分が悪いとは思っていない」。責任転嫁を平気でする人は、罪悪感や羞恥心が欠如ー「思いやりや同情心・良心の欠如」(情性欠如者・サイコパス精神病質人格)④甘い現状認識ー自分は悪くないと思い込んでいるからこそ現状認識が甘くなるといえるし、逆もいえる。現状認識が甘い人は、痛い目にあうまで自分が悪いとは思わない。例え痛い目にあっても、心から反省するかといえば大いに疑問。自分にとって不都合な事実や思い出したくない出来事が意識からすっぽり抜け落ちる現象(暗点化)は、現実否認のための無意識の防衛メカニズム。暗点化が起きると、他人を責める傾向、「他責的傾向」が強くなる。「無自覚型自己愛」ー①他人の反応に気づかない(想像力の欠如)②「傲慢で攻撃的」③「自己陶酔(自己満足・自分を過大評価ー特権意識)」④「自己顕示欲が強い」⑤送信機はあるが受信機が無い⑥他人を傷つけることに鈍感。「自分が悪いとは思わない人」を変えるのは至難の業。本人が追い詰められ喪失不安が強まるほど防衛本能が働く。「自分が悪いと思わない人は同じようなトラブルを繰り返すことが多い」(片田珠美精神科医・自己正当化という病・祥伝社、他人をコントロールせずにはいられない人・朝日新書、他人を攻撃せずに入られない人・すぐ感情的になる人・プライドが高くて迷惑な人・PHP新書、正義という名の凶器・ベスト新書、自分の都合を押し付ける人・角川新書、京都大学人間環境学博士・大阪大学医学部卒業)。「自分の縄張りや利益」を守ることに過敏になっていて、自分の人生が危険に晒されていると感じてしまい、「自分の領域」守るために「強い不安や強迫観念」に囚われてしまう(梅谷)。恨まれる側からすれば大いなる勘違いでしかないが、本人にとっては「重大な権利の侵害」と感じられる。これが「不当な悪意ではないということを証明するため」に持ち出されるのが「自分は正しい立場からものを言っている」という正義感である(梅谷)。自分の思い通りにならないことが起きると「他人を否定して悪とみなし攻撃の対象」にする。何が正しいかの判断も、「自分の都合の良い方向へ」物事をゆがめてしまう。こうして「歪んだ正義感」が生じてくる(ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人・梅谷薫・講談社)。一方、F.ルロールとC.アンドレは、羨望を①賛嘆の混じった羨望②抑うつ的羨望③敵意のこもった羨望の三つに分けている。現在の日本で優勢なのは、③敵意のこもった羨望とされる(片田)。①は、他人の才能や実力を羨ましいと思い、苦悩しながらも、競争意識を燃やして、自分もいつかそうなれるように努力する人が抱く羨望。②は、他人の幸福を目の当たりにして、同じ幸福を手にできない自分が情けなくなり、落ち込んでしまうが、羨望の対象に対して悪意を抱くわけではない羨望のこと。これに対して③は、羨ましいと思う相手に対して敵意や憎しみを抱き、場合によっては攻撃することさえある。必ずしも明確に分けられるわけではなく、入り交じっていることもあれば、段階的に現れることもあるとされる。③は、羨望の対象の幸福を壊して、不幸をもたらしたい欲望ばかりが強くなっている。羨望は、他人と自分を比較するからこそ生まれる。自分の方が劣っていると感じたとしても、それだけで羨望にさいなまれるわけではなく、相手の持っているものに、自分がどれだけ関心があるかで決まる。相手の持っているものが自分にとってそれほど大切でなければ、自己評価が傷つく事はなく、羨望も感じない。自己評価に関わるような大切なものが、他人と重なれば重なるほど、羨望が強くなるので、大切なのは何かという「価値観が画一的」なことも、羨望をかきたてる一因となる(片田)。価値観の多様化が叫ばれ、価値観が多様化してきているようにも思われるが、実際は「画一的な価値観」にとらわれている人が多く、そういう価値観に基づいて、何でもランキング化する傾向が強まっている(正義がゆがめられる時代・片田・NHK出版新書)。あの人が自分よりちょっとでも優っていると羨望を抱き、自分よりちょっとでも劣っている相手には、上から目線を向ける。自分より弱いものを叩きのめす「弱者叩きの構造」がある。その標的にされているのが、障害者や生活保護受給者、言い返せない店員や駅員、学校における会計年度任用職員や新任教員・非常勤などであろう。「弱った者が自分より弱い者を非難する、歪んだルサンチマン(弱者が強者に対して内面に抱く、憤り・怨恨・遺恨・復讐感情・憎悪・非難・嫉妬のような感情)が、日本社会を覆い尽くそうとしている」(分断社会ニッポン・井手・佐藤・前原・朝日新書、分断社会・日本-なぜ私たちは引き裂かれるのか。井手・松沢編・岩波ブックレット)。努力しても報われないという思いは、報われない苦労への怒りを駆り立て、勝者への嫉妬を育み、不登校や引きこもりなどの社会からの逃避を迫っている(分断社会ニッポン)。自信喪失と敵意という二つの「妬みの感情が持つ最も悪い効果」が現れる(ケリー・マクゴニガル)。弱い立場にある人を意図的に傷つける人がいる。彼らは「行きすぎた正義」を振りかざして暴走し、後悔も反省もしない。本音をむき出しにしたり、正義を振りかざして誰かを攻撃することは、現在の日本社会でしばしば行われており、至る所に怒りが渦巻いていて、いつ爆発してもおかしくない状況がある(片田)。はけ口のない怒りを溜め込んでいる人が少なくない。些細なきっかけで、自分より弱い相手に怒りの矛先を向ける「弱者叩き」も日常茶飯事である(片田)。なぜこうなるのか?怒りが渦巻いている一因に①コスパ至上主義が日本社会全体に浸透していて、その為に汲々とせざるを得ない現状がある。②普通に生きることが難しくなりつつある社会状況も、怒りを駆り立てる。閉塞感が漂う社会の中で、自分は普通から脱落してしまったという思いにさいなまれやすくなっている。溜め込まれた怒りはどこに向かうのか。非常に危うい歪んだ正義を振りかざす人たちの精神構造。強い自己愛の持ち主は、自分自身を過大評価しがちで、現実の自分を受け入れられず、現状に満足できないから、強い欲求不満を抱き、同時に怒りも抱きやすい(片田)。「怒りの憤慨は己に対する過大評価から生じる」(セネカ・怒りについて・岩波文庫)。欲求不満の原因をすべて他人に求めようとする他責的傾向も認められる。自分の挫折や失敗を他人のせいにして「責任転嫁」しようとする傾向で、自己愛が強すぎるために現実の自分に満足できず、自分の理想像との間のギャップを受け入れられない。成熟して大人になるという事は、ある意味では理想像の断念の積み重ねでもあり、当然自己愛の傷つきを伴うもの。それが嫌な人は他人に責任転嫁して、自己愛が強いほど他責的になる。何でも学校や教師のせいにして因縁をつけるモンスターペアレンツ、上司が理解してくれないと出社拒否に陥る新入社員など、社会問題になって久しい (片田)。純粋に教育的観点から学校の責任において公平・公正に決定・実施すべき事柄への一部の保護者からの個人的・恣意的な要望・要求(クレーム)による部活動運営の困難さ・指導者や学校管理職のストレス。モンスターペアレントによる部活動顧問やコーチ・指導者の苦悩ー 教育的客観的判断と保護者との円滑な学校・部活動運営。被害者意識が強いと、自分だけが理不尽に、不正に害されたと思い込み、怒りに駆られる。「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望」 (セネカ)。自分は普通から脱落してしまった、自分は普通の社会から排除されてしまったなどと思い込み、激しいショックを受ける場合もある。このような「妬みの感情」が自分自身の幸福を本当に破壊してしまう力を持つ(スタンフォードの心理学講義・人生がうまくいくシンプルなルール・ケリー・マクゴニガル・日経BP社)。この場合にしばしば用いられる防衛メカニズムが、「否認と投影」である(片田)。自分には悪などないのだと否認するために最も手っ取り早いのは、その悪を外部に投影して、それを持っている人を徹底的に攻撃する方法。この投影が働くのは、「内なる悪を自分自身で引き受けることに耐えられず、外部に追い払い、消そうとするため」であるとされる。嘘つきほど他人の嘘に敏感で、誰かが少しでも嘘をつくと非難するという現象は、投影のせいで起こる。正義が自分の側にあると思えば攻撃的になれる。「正義の名のもとに他人を激しく攻撃すること」も、現在の日本社会で広くみられる現象である(片田)。正義を振りかざす傾向の背景に潜む社会的要因①怒り、ルサンチマンが渦巻く社会②コストパフォーマンス重視の社会③普通から脱落すると敗者復活が難しい社会、普通に生きるのが難しい社会、世の中の普通のものさしから外れたときの強い疎外感。正義の起源はルサンチマンにある(フリードリヒ・ニーチェ・道徳の系譜学・中山訳・光文社古典新訳文庫)。そういう陰湿な感情が、自らの心の奥底に巣くっていることを認めるのも、受け入れるのも嫌な人ほど、ひとりよがりの正義を振りかざす。正義を振りかざして特定の対象を攻撃する際には、「否認と投影のメカニズム」が働いている。羨望の対象にスキャンダルが発覚したら、池に落ちた犬を叩くように徹底的に叩き、栄光の座から引きずりおろすことによって、復讐願望を満たす。羨望の対象である有名人が手にしている成功、名声、富などを自分は手に入れられなかったという運命に対して、復讐しようとしてバッシングする。強い不満と怒りが社会の根底にくすぶっている (片田)。一方、学校教育現場においては、校長の指導で、不満と怒り・恐怖感・動悸・校長の話が頭に入らない・不安・意欲の低下・判断能力と思考能力の低下・身体が震えるになった等の例が報告されている(岡田)。管理職が自分の管理監督責任を果たさず、「立場の弱い相手にのみ責任を要求」するという一方的構図が患者の心理となる (岡田)。教職員のメンタルヘルス対策の充実・推進を図ることは喫緊の課題(教職員のメンタルヘルス対策検討会議2013)であるとされるが、学校現場では、2000年代に入ってからのめまぐるしい教育改革や競争主義・成果主義の導入により、ゆとりのない勤務状況が生み出され、それに伴う事務作業量の増大が教員の多忙化に拍車をかけている(新井2015)という状況は、未だ改善される兆しがない。見えてくるのは多忙さだけではない。「同調圧力や前例踏襲という学校特有の文化、管理職などの配慮に欠ける言動」など、学校の様々な側面(何が教師を壊すのか・追いつめられる先生たちのリアル・朝日新書・朝日新聞取材班2024.4.30)がある。この科学技術振興機構が運営管理し、国立情報学研究所に著作権があるresearchmapすら、個人のブログやツイッター等と同一と誤認した、研究しない、新しい技術や知識を学び続けようともしない、固定観念で凝り固まった校長らも存在する。このresearchmapは、日本人研究者や日本の研究機関に在籍する外国人研究者の経歴や論文リストなどの研究者情報を収集したインターネット上のデータベースサービスであり、国の外郭団体が設計・開発や運営を担うており、研究者間の情報交換を主な目的として、研究者やその関係者等が自由記載した内容を公開する形態をとっている。このようなサイトであることを学校管理職等が全く知らない状況にある。教員集団の姿が変質し、構成員の同質化が進み、悪い意味での「ムラ社会」化が起こっている。現代の教員は「ムラ社会」特有の同調圧力が強く、自分たちの集団規範に従わない者、突出した言動をする者を許さない雰囲気があるが、個々の構成員同士の信頼感がない。心の中で「ムラ社会」に疑問を持っていても、それを公にした際の制裁が怖くて何も行動できない。異質であることを異常に恐れる雰囲気が充満している(教員という仕事・なぜブラック化したのか・朝比奈・朝日新書)。確かに学校の教職員室内には、会話や話しかけ・挨拶等も全くなく、「異様な雰囲気」や「なんとも暗く陰湿で冷たい静けさ」という閉鎖的排他的閉塞感が漂っている。職場で妬みの感情を抱く(例えば、学校管理職に対する教員の妬み、部活動における専門の外部コーチに対する競技経験のない監督教員が抱く妬み等)と、仕事への満足感を下げ、同僚との一体感を損ねることもある。職場で妬みの感情を抱くと、敵意を向けてしまうだけでなく、一緒に仕事をする仲間に対しても疎外感を抱きやすくなり、組織の貢献しにくくなる。一緒に仕事をする仲間と共通の目標をシェアしたいと思わなくなり、助けてもらいたい時に周囲が助けてくれるという確信をもちにくくなる。自分も人を助けようとしなくなり、同僚を知ろうとしなくなる(ケリー・マクゴニガル)。まさに学校現場に当てはまっている。さらに、学校現場では、狭い非社会的閉鎖的な集団において正しいとされている「画一的・慣習的な価値観・判断基準・固定化したルーティーン」は絶対であり、それ以外は決して受容されず、時にはコンプライアンスよりも優先される(人はなぜ他人を許せないのか?中野信子・アソコム)。学校という「世間」ー学校では「法のルール」より「世間のルール」が優先される。学校という集団が作っている「世間のルール」は人権侵害である場合がある。こうなると学校は無法地帯となってしまい、教師や管理職の大人がそのことに気づいていないところが問題である。学校運営や教育実践には、「法規」という超えてはならない壁が存在するという共通認識(教育委員会や学校管理職・教員間で)を早急に確立することが求められている(坂田)。「世間」には人権も権利も存在せず、学校は「法のルール」で動いているのではなく「世間のルール」で動いている(佐藤直樹・九州工業大学名誉教授・エジンバラ大学法学部客員研究員等・さくら舎)。教師はそもそも学び続ける存在であることが強く期待されている。「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」(教育基本法第9条)や「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」(教育公務員特例法第 21 条)とされる。「教師が技術の発達や新たなニーズなど学校教育を取り巻く環境の変化を前向きに受け止め、教職生涯を通じて探究心を持ちつつ自律的かつ継続的に新しい知識・技能を学び続け、子供一人一人の学びを最大限に引き出す教師としての役割を果たし、その際、子供の主体的な学びを支援する伴走者としての能力も備えているとされる「令和の日本型学校教育」の構築を目指して)時代の変化が大きくなる中で常に学び続けなければならないとされている。「Society5.0」が到来しつつあるなど、大きな変化が生じている中で、教師が常に最新の知識技能を学び続けていくことがより必要とされる。学校内だけの教師の教育実践に基づく「個人的価値観」から「法化現象への変化」に取り残された「学校の法的責任及び社会的責任」が存在する。管理職の法的責任、学校の法的責任、教員の個人的責任と学校設置者の組織的責任、学校教育の基本理念が価値観の多様化に伴い、地域住民の絶対的支持を得られなくなっている。何か問題が生じたときには、その問題の原因だけ(当事者)を追及するのではなく、問題によって生じる当事者の不安を和らげながら、「問題の本質」の解明、「法令順守に基づく問題解決」へのより良い見通し方針を立てることが管理職に求められている。教員の多くは、自らの活動・学校が善である信念は思い込みに過ぎず、学校の諸活動を正当化する手段にはならなくなってきていることを自覚する必要が求められている。管理職や教員の立場・役割や責任を理解し、それに対して真剣にかつ真摯に取り組む姿勢(自覚と責任)が求められる。教員対象の調査で、教員のメンタルヘルスを悪化させ「バーンアウト」に至らしめる主要因となるデモチベーションの最大要因が、子ども・保護者だけでなく、管理職・同僚等を含めた対人関係での「感情労働」と、周囲からの情緒的支援の欠乏であったことを報告している(平井2010)。不眠や喉の渇き、涙が止まらない、深い自責の念、希死念慮、呼吸困難、ホルモンのアンバランス、円形脱毛症、胃潰瘍等が生じる(新井)。不登校・いじめ・問題行動・モンスターペアレント対応・同僚や管理職対応・発達障がいや学習の遅れ・自傷行為・粗暴行為・非行・親の不適切養育・家庭内暴力・感情コントロールが苦手ですぐにカッとなる・人とのコミュニケーションがうまくいかない・集団行動ができない・集中できない・やりたくないことをしない・人のせいにする・先生の注意を聞けない・嘘をつくなど、いつ何時も際限なく対人関係の仕事に追われることも少なくないという、ストレスがたまりやすい職業。職場の人間関係は、教員にとってメンタルヘルスに直結すると言える。そのため、定期的な短時間のミーティングなど教員間で話す時間を業務に組み込むこと、また年度初めや夏季研修の時間等で教員間の相互理解を深めるような活動を実施するなど、わずかな時間でも教員間の関係づくりのための取り組みを継続的に行うべきである(春日)。教師のストレスの要因として、①生徒指導や保護者対応の困難さ(問題行動の生徒への指導の大変さ・非常識を通り越して無常識ともいえるコミュにてーションが成立しない保護者との対立の難しさ)②学校管理職や同僚との人間関係を中心とする職場内慢性不適応状態③教師としてのアイデンティティの危機(岡田謙・事例でわかる教師のストレス対処法・金子書房)。管理職との関係がストレスとなる場合について具体例(校長の指導で、不満と怒り・恐怖感・動悸・校長の話が頭に入らない・不安・意欲の低下・判断能力と思考能力の低下・身体が震えるになった)が詳細に記載されている。管理職が自分の管理監督責任を果たさず、「立場の弱い相手にのみ責任を要求」するという一方的構図が患者の心理となる (岡田)。学校組織の中で、ストレス要因を生みださないように環境整備するストレスマネージメントの主導者は、学校管理職である。「同僚への排他的態度や攻撃的批判のない」、相手を思いやり共感を大切にするカウンセリングマインドを維持しつつ、「緩やかな連帯感」を保つ程度の「職場人間関係」が望ましいとされる(中島)。「教師の健康」を守らなければならないのは管理職の責任。多元化する社会状況において、広く異質な集団で交流する能力を普段から身につける努力(多様な価値観があることを「生涯にわたって常に学ぶ」努力)が管理職や教師に必須である。管理職向け研修の内容として①メンタルヘルス支援の基本的内容②教員とのコミュニケーションの重要性③教員の援助希求行動 (教員たちが助けを求めやすい職場になっているかどうか・職場を折に触れて点検すること)④組織公平性マネジメント(職員の組織公平性がメンタルヘルス不調と勤労意欲に影響を与えている・組織公平性を高める取組・人権が尊重され誠実で各人の特性に合ったコミュニケーションが取れているか・校長が「俺にすべて任されている!」という独善的独断的で排他的な高圧的思い込みによる一方的判断ではなく、コンプライアンスに基づく人権と公平性が尊重され、管理職等の監督責任を自ら謙虚に認め、立場の弱い者だけに責任を押し付けるのではなく、相手を思いやる共感性のある公平性がとれた態度(このようなその場しのぎの感情的で独裁的な一方的な判断は、遅かれ早かれ裁判や第三者委員会・審査会・世論等で客観的に検証され、やがては公になることを管理職は心に深く刻んでおくことが望まれる・東京女子医大の元理事長による背任事件のように、背景に組織トップへの強い権限集中による負の側面があるとされる・強いリーダーシップによる弊害(①コンプライアンス違反②人権侵害やパワハラ・モラハラ・フキハラ・セクハラ③感情的で恣意的で独断的な判断決定や理性良心よりも自尊感情優先④改革の名の下に組織内部規定や規律の度重なる軽視変更や無視・教授会や教員会議等の権限縮小や廃止・トップの独断裁量の強化⑤イエスマンの意図的な登用と否定的意見の抹殺⑥自己正当化・自己の過大評価・独りよがりの歪んだ独善的正義感・強い特権意識の自己中心性・画一的な偏狭的価値観・否認と投影・過剰な攻撃性⑦共感性想像力の欠如⑧責任転嫁や不祥事の隠蔽先送り・表面化問題化のトップによる組織的防衛と自己保身や隠蔽・第三者委員会や調査検討委員会等の設置見送り・独断専行・多面的思考力の欠如⑨組織公平性の欠落・非倫理的言動⑩組織トップによる拙速な改革に対する問題点指摘者の排斥降格⑪権力の誇示・自分にすべて任されている・権限は自分にある等の威圧的言動等)・公益通報者保護制度の徹底強化・公益通報者を処分した管理職の罰則規定等・兵庫県知事の疑惑告発文書問題で、県が文書を誹謗中傷として県幹部を停職処分にして、告発者がその後自殺したとされる)。秋田市情報公開個人情報保護審査会での裁決書・秋田市教育委員会に対して「審査請求人は、本件請求により、審査請求人に係る「会計年度任用職員、部活動指導員の選任から職務遂行、退職に至るまでの一切の個人情報」の開示を求めていたものであり、審査請求人についての記載又は他の情報との照合により審査請求人を特定することができる関連文書が含まれることは、その文言から明らかである。これについて、対象保有個人情報としなかったことは、実施機関の保有個人情報の特定が不十分であったと言わざるを得ない。保有個人情報の開示に当たっては、保有個人情報の特定はもとよりその前提となる公文書の取扱いを含め、実施機関には適正な管理運用が求められていることから、本件のような事態が再発しないよう改善を求めたい。」としている(秋田市役所HP公開令和5年11月17日処分の変更(答申のとおり)審査請求棄却がほとんどの中で唯一処分変更となった答申)。所属する組織の不正(コンプライアンス違反・内部規定違反・ルールマナー違反・パワハラやセクハラ・安全配慮義務違反等)を告発した人を報復から守るため、告発を受けた側が公益通報を理由に解雇・懲戒処分した場合、刑事罰を導入するべきだと提言(消費者庁有識者検討会公益通報者保護法改正に関する報告書)。通報者を保護する仕組みの強化。官公庁や企業の不正を報道機関、行政機関等に通報した人に対し、それを理由とした不利益な扱いを禁じる公益通報者保護法の周知徹底。通報を理由とした解雇は無効とされている。通報された管理者からの報復の抑止力を高める必要性。告発を受けた側の恣意的判断や報復が懸念され、内部通報者が後で後悔したり、職場に居づらくなる(人事異動・評価・待遇・辞職の強要等)ことのない、安心できる制度の構築が求められている(秋田魁新報社説2025.1.11公益通報制度改正・通報者の保護強化図れ)。⑤精神科医による座学⑥メンタルヘルス不調事例を提示し、求められる対応に関する議論と発表(小グループによるワークショップ)(教員のメンタルへルス・大石智・大修館書店)地域性や生徒の状況に配慮した「学校の教育方針・教育理念」が校長に具体的にないと、学校全体が保護者に防衛的になり主体性・独自性が消え、行政側と議論や対話ができなくなる。職場自体がストレスの原因となる。何か問題が生じたときには、その問題の原因だけ(当事者)を追及するのではなく、問題によって生じる当事者の不安を和らげながら、「問題の本質の解明」、「法令順守に基づく問題解決」へのより良い見通し方針を立てることが管理職に求められる。先生が壊れていくー精神科医のみた教育の危機ー(中島・弘文堂)壊れていく教師の実像(具体例が多数詳細に記載されている)。教員が疲れ、倒れることで生じる影響は、その後に取り返しがつかないこともありうる。もはや一刻の猶予もなく、これまでよりもさらに抜本的な対策がとられてしかるべきだ(何が教師を壊すのか・追いつめられる先生たちのリアル・学校教育危機の全貌・現場はここまで疲弊している・朝日新聞取材班・朝日新書)。学校が教員のメンタルヘルスを健全に保つためにも、それぞれの教員が教員として何よりも大切な、児童生徒との日々の関わりを大切にできる場になることが切に望まれる(春日)。教師本人の意思が対話を通じて尊重され、互いに批評し合いながら共に学び合い、成長し合う「信頼関係」を基盤とした同僚性を育むことが大切と考えられる。自己正当化の動機・自己正当化をこじれさせる要因・無自覚型自己愛・社会の根底に潜む構造的な問題の精神分析的視点・他人を傷つけても攻撃しても嘘をついても他人のせいにしても平気な人の心理学・自分は正しい立場からものを言っているという正義感・他人を否定して悪とみなし攻撃の対象にする心理・強い特権意識に基づく自己中心性・自己の過大評価・攻撃欲の強い人・すぐに感情的になる原因・歪んだ正義感で他人を支配する人の心理・敵意のこもった羨望・画一的な価値観・弱者叩きの構造・社会からの逃避の要因・怒りの憤慨の要因・否認と投影・正義を振りかざす傾向の背景に潜む社会的要因・管理職の管理監督責任のあり方・教職員のメンタルヘルス対策・同調圧力や前例踏襲という学校特有の文化・管理職や教員の配慮に欠ける言動・職場で妬みの感情を抱くことの悪影響・学校での画一的慣習的な価値観や判断基準の絶対性・学校の法的責任と社会的責任・問題の本質の解明と法令順守に基づく問題解決の重要性・感情労働と周囲からの情緒的支援の欠乏・学校現場での狭い非社会的閉鎖的集団の特性・教員の自らの活動や学校が善である思い込みによる自己正当化・学校内慢性不適応状態・教師のストレスの要因・公益通報制度改正(通報者の保護強化)・学校管理職向け研修の内容・信頼関係を基盤とした同僚性等に関する心理学的学術調査分析研究の一環として
  • 学校教育は、教職員と児童生徒との人格的な触れ合いを通じて行われるものであることから、教職員が心身ともに健康を維持して教育に携わることができるようにすること、また、児童生徒に対する影響だけではなく、教職員自身にとっても、意欲的に職務に取り組み、やりがいを持って教育活動を行うことが重要(文科省HP)。文科省の調査で、精神疾患で休職の教員、過去最多7119人、休職者の性別は男性が2866人、女性が4253人だった。1カ月以上の「病気休暇」取得者を含めると1万3045人に上った。採用後1年未満で退職した新任教諭も過去最多の788人。うち269人は精神疾患が理由。懲戒処分を受けた教職員も4829人と過去最多だった。もはや一刻の猶予もなく、これまでよりもさらに抜本的な対策がとられてしかるべきだ(朝日新聞取材班)。学校組織の中で、ストレス要因を生みださないように環境整備するストレスマネージメントの主導者は、学校管理職。同僚への排他的態度や攻撃的批判のない、相手を思いやり共感を大切にするカウンセリングマインドを維持しつつ、緩やかな連帯感を保つ程度の職場人間関係が望ましい(中島)。 
    2024年12月
    教員は、同僚の教員に対して意見等を言いにくいことがあり、言いたいことが言えない雰囲気が、ストレスの原因になっていることもあるとされる(教職員のメンタルヘルス対策について最終まとめ平成25年3月29日教職員のメンタルヘルス対策検討会)。また、自分たちの指導等にあまり干渉されたくないという気持ちがあり、職場における人間関係が持ちにくい場合がある。職場での良好な人間関係が十分に形成されず、対人関係上のストレスがある場合には、職場において孤立するようになり、職場における業務やコミュニケーションについて、うまく対応できない状況が生まれやすい。職場での教職員間のコミュニケーションに対して苦手意識を持つようになったり、上司や同僚に悩みを相談しづらいと感じるようになったりして、職場での人間関係が十分形成されず、メンタルヘルス不調になる場合がある。また、教諭等については、校長等との人間関係が原因となって、メンタルヘルス不調になる場合もあるとされている。教職員のメンタルヘルス対策の充実・推進を図ることは喫緊の課題(教職員のメンタルヘルス対策検討会議2013)であるとされるが、学校現場では、2000年代に入ってからのめまぐるしい教育改革や競争主義・成果主義の導入により、ゆとりのない勤務状況が生み出され、それに伴う事務作業量の増大が教員の多忙化に拍車をかけている(新井2015)という状況は、未だ改善される兆しがない。見えてくるのは多忙さだけではない。同調圧力や前例踏襲という学校特有の文化、管理職などの配慮に欠ける言動など、学校の様々な側面(何が教師を壊すのか・追いつめられる先生たちのリアル・朝日新書・朝日新聞取材班2024.4.30)がある。教員集団の姿が変質し、構成員の同質化が進み、悪い意味での「ムラ社会」化が起こっている。現代の教員は「ムラ社会」特有の同調圧力が強く、自分たちの集団規範に従わない者、突出した言動をする者を許さない雰囲気があるが、個々の構成員同士の信頼感がない。心の中で「ムラ社会」に疑問を持っていても、それを公にした際の制裁が怖くて何も行動できない。異質であることを異常に恐れる雰囲気が充満している(教員という仕事・なぜブラック化したのか・朝比奈・朝日新書)。確かに学校の職員室内には、会話や話しかけ・挨拶等も全くなく、「異様な雰囲気」や「なんとも暗く陰湿で冷たい静けさ」という閉鎖的排他的閉塞感が漂っている。狭い非社会的閉鎖的な集団において正しいとされている「画一的・慣習的な価値観・判断基準」は絶対であり、それ以外は決して受容されず、時にはコンプライアンスよりも優先される(人はなぜ他人を許せないのか?中野信子・アソコム)。学校という「世間」ー学校では「法のルール」より「世間のルール」が優先される。学校という集団が作っている「世間のルール」は人権侵害である場合がある。こうなると学校は無法地帯となってしまい、教師や管理職の大人がそのことに気づいていないところが問題である。学校運営や教育実践には、「法規」という超えてはならない壁が存在するという共通認識(教育委員会や学校管理職・教員間で)を早急に確立することが求められている(坂田)。「世間」には人権も権利も存在せず、学校は「法のルール」で動いているのではなく「世間のルール」で動いている(佐藤直樹・九州工業大学名誉教授・エジンバラ大学法学部客員研究員等・さくら舎)。学校内だけの教師の教育実践に基づく「個人的価値観」から「法化現象への変化」に取り残された「学校の法的責任及び社会的責任」が存在する。管理職の法的責任、学校の法的責任、教員の個人的責任と学校設置者の組織的責任、学校教育の基本理念が価値観の多様化に伴い、地域住民の絶対的支持を得られなくなっている。何か問題が生じたときには、その問題の原因だけ(当事者)を追及するのではなく、問題によって生じる当事者の不安を和らげながら、「問題の本質」の解明、「法令順守に基づく問題解決」へのより良い見通し方針を立てることが管理職に求められている。教員の多くは、自らの活動・学校が善である信念は思い込みに過ぎず、学校の諸活動を正当化する手段にはならなくなってきている。「教員は本当に多忙なのか」という根本的な問いも存在している(ブラック化する学校・少子化なのに、なぜ先生は忙しくなったのか?・前屋・青春新書)。文部科学省の調査で、2023年度の月平均残業時間が上限45時間を越えた教諭が、中学校で42.5%に上ることが、2024.12.26. 公表された(秋田魁新報他)。部活動指導と不登校対応が要因とされるが、業務の外部委託やICTの活用による働き方改革を進めるとされる。教員の極端な残業は、教員個人の意思や効率化により改善できる点も多い。教師の多忙感は、単に本来業務による勤務状況の忙しさを反映した実感を意味するのではなく、対人関係による大きなストレスをともなっている。教員の精神的健康は教員個人の問題にとどまらず、児童生徒等への影響という点でも重大な問題である(伊藤2007教職員のメンタルヘルス対策検討会議2013・森下・葛西2016・増井ら2018)。現状として、学校や教育委員会、教員を養成する大学や教員自身においても、教員のメンタルヘルス悪化の要因や対策について十分に理解しているとは言い難い現状にある。文部科学省の調査で、2023年度に精神疾患で90日を越えて休み休職した公立の小中高と特別支援学校の教員は、全国で過去最多の7119人(前年度比580人増)に上り、増加は3年連続で過去最多となったことが分かった(2024.12.20)。 全教員に占める割合は0.77%(130人に1人)。精神疾患による休職者は20年度まで5千人前後が続いていたが、その後の3年間で2千人近く増えた。1カ月以上の「病気休暇」取得者を含めると1万3045人(1.42%)に上った。若手の割合が高く、ベテランの大量退職期で増えた若手教員への支援が課題となっている。20代が最高の2.11%(同0.08ポイント増の3226人)で、30代1.66%(同0.14ポイント増の3691人)、40代1.53%(同0.13ポイント増)、50代以上1.10%(同0.05ポイント増)だった。採用後1年未満で退職した教諭も過去最多の788人で、うち269人は精神疾患が理由。教育委員会が把握した要因は「児童生徒への指導に関すること」が26.5%で最も多く、「職場の対人関係」23.6%、「事務的な業務に関すること」13.2%と続いた。休職発令時点における所属校での勤務年数を見ると、3年未満が全体の62.6%を占めた。異動後に新しい環境に慣れないまま一定の責任ある立場に就くことが影響しているとみられる。休職者の性別は男性が2866人、女性が4253人だった。5年前の18年度と比較すると男性の1.2倍に対し、女性は1.5倍と増加幅が大きかった。精神疾患が理由の休職者のうち、年度が変わった今年4月1日時点で復職したのは2786人。2903人は休職が続き、1430人は退職した。教員が疲弊し、病み、授業準備がおろそかになっている現状を放置する事は、学校教育の質の低下を見過ごすこと (朝日新聞取材班)。異動や分掌・立場の変化、及び、競技経験のない慣れない部活動担当等の環境の変化に不適応によるストレスを抱えている教師。心身の疲労状態。学校全体が慢性疲労状態にあり、自尊感情が保てない状況。児童精神科医の現場報告(医学博士古荘純一児童精神科医)。中身の無い授業。教育の諦め。対話しない教員。保護者からのクレームを恐れ、教師として当たり前の生徒指導すらしない。運動部活動においても、最低限のルール・マナー指導すらしようともしない。ことなかれ主義や自己保身(林)(対話的な学びの喪失)。一方、性犯罪や性暴力などで懲戒処分や訓告を受けた教員も320人で最多だった。懲戒処分を受けた教職員は前の年度から257人増えて4829人。このうち威圧的・感情的な言動などで指導する「不適切指導」による懲戒処分は91人増えて509人、「性犯罪・性暴力」による懲戒処分は79人増えて320人で、いずれも過去最多だった。性犯罪・性暴力の相手としては68.8%が他校も含めた幼児・児童・生徒となっている。 児童生徒への性暴力や性犯罪で処分された教員は、前年度比38人増の157人で、停職の2人以外は懲戒免職となった。秋田県は3人の教員が懲戒処分となった。中学校が67人で最も多く、高校が46人、小学校が35人。世代別では、20歳代が73人で最多となり、次は30歳代の41人、40代が19人、50代以上が24人だった。学校教育を充実するためのメンタルヘルス対策として、学校教育は、教職員と児童生徒との人格的な触れ合いを通じて行われるものであることから、教職員が心身ともに健康を維持して教育に携わることができるようにする ことがきわめて重要とされる。児童生徒に対する影響だけではなく、教職員自身にとっても、意欲的に職務に取り組み、やりがいを持って教育活動を行うことが重要とされている (教職員のメンタルヘルス対策について最終まとめ平成25年3月29日教職員のメンタルヘルス対策検討会)。教員集団に教育や社会に関心を持ち学び続ける教員が少なくなっており、知識や知性に重きを置かない雰囲気が教員間に広がりつつある。自分で考える気持ちがなければ、人は考える根拠となる知識や情報を得ようとはしない。教育や世界・日本の動きを知らない教員や、相手の気持ちを踏みにじるような無神経な言動をする教員や管理職もいる。教員らには、相手がどう思うかの配慮が足りない人がかなり多い(教員という仕事・朝比奈・朝日新書)。一方、教職員の精神疾患の増加は、休職期間中の給与保障や代替教員等の配置による財政的負担も伴うことから、教職員のメンタルヘルス対策の充実・推進を図ることが喫緊の課題となっている。特に、校内における初任者の指導や支援の体制が十分でないことなどにより、初任者が指導教員をはじめとする教職員と頻繁に相談できる状況ではないことがあり、そうした中では、初任者にとってストレスのかかる状況が続くことになる。また、コミュニケーション頻度が高い教諭等ほどストレスが低い傾向が見られる。これらのことから、教職員間の人間関係が良好であるほど、教諭等におけるストレスの状況が軽減されることが明らかになっている。学校規模別では、保護者への対応について、学校規模が大きいほど常に強いストレスを感じる割合が多い傾向がある。研究協議会等において、教職員が感じたことや疑問に思っていることを出せるような雰囲気づくりも必要とされる。職場内の教職員同士の普段からの相談のしやすさ、日頃のコミュニケーション、教職員同士で協力しあって仕事をする雰囲気の醸成は、メンタルヘルス対策の予防的な取組としても、精神疾患により休職者が復職する際の対応としても重要。このため、教育委員会や学校において、日頃から職場におけるメンタルヘルスについての啓発や研修等を行うなどして、明るい職場づくり、メンタルヘルスに理解のある職場づくりを心がけることが大切である(山口大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要第55号.2023.3春日)。管理職が教員のメンタルヘルスを考える上で重要なキーパーソンであることが指摘されている(赤岡・谷口2009)。自身の務める精神科における調査や診療経験から「一般的に同僚・管理職との関係は、良好であればメンタルヘルスの改善につながり、不良であれば職場不適応になりやすいとされる(真金2009)。しかし「今は、同僚とまともに話す時間も取りにくい」と述べている。教員同士が日常的に支え合う関係であることが、互いのメンタルヘルスを健全に保つとされる。教職員のメンタルヘルス対策検討会議(2013)は、教職員自身がメンタル面の自己管理に努めることの重要性を指摘しているが、メンタル面の自己管理の一環として、互いに声掛けし、気にかけ合うという協働的関係を作ろうという意識を個々の教員が持つ必要がある。同時に学校組織としても、研修等を通じ、教員間の関係づくりのための積極的な取り組みを行うべきである。さらに、管理職の教員に寄り添ったサポートは重要であり、管理職がカウンセリング的資質を高めることが必要と考えられる(春日)。教員対象の調査で、教員のメンタルヘルスを悪化させバーンアウトに至らしめる主要因となるデモチベーションの最大要因が、子ども・保護者だけでなく、管理職・同僚等を含めた対人関係での「感情労働」と、周囲からの情緒的支援の欠乏であったことを報告している(平井2010)。不眠や喉の渇き、涙が止まらない、深い自責の念、希死念慮、呼吸困難、ホルモンのアンバランス、円形脱毛症、胃潰瘍等が生じる(新井)。不登校・いじめ・問題行動・モンスターペアレント対応・同僚や管理職対応・発達障がいや学習の遅れ・自傷行為・粗暴行為・非行・親の不適切養育・家庭内暴力・感情コントロールが苦手ですぐにカッとなる・人とのコミュニケーションがうまくいかない・集団行動ができない・集中できない・やりたくないことをしない・人のせいにする・先生の注意を聞けない・嘘をつくなど、いつ何時も際限なく対人関係の仕事に追われることも少なくないという、ストレスがたまりやすい職業。職場の人間関係は、教員にとってメンタルヘルスに直結すると言える。そのため、定期的な短時間のミーティングなど教員間で話す時間を業務に組み込むこと、また年度初めや夏季研修の時間等で教員間の相互理解を深めるような活動を実施するなど、わずかな時間でも教員間の関係づくりのための取り組みを継続的に行うべきである(春日)。教師のストレスの要因として、①生徒指導や保護者対応の困難さ(問題行動の生徒への指導の大変さ・非常識を通り越して無常識ともいえるコミュにてーションが成立しない保護者との対立の難しさ)②管理職や同僚との人間関係を中心とする職場内慢性不適応状態③教師としてのアイデンティティの危機(岡田謙・事例でわかる教師のストレス対処法・金子書房)。管理職との関係がストレスとなる場合について具体例(校長の指導で、不満と怒り・恐怖感・動悸・校長の話が頭に入らない・不安・意欲の低下・判断能力と思考能力の低下・身体が震えるになった)が詳細に記載されている。管理職が自分の管理監督責任を果たさず、「立場の弱い相手にのみ責任を要求」するという一方的構図が患者の心理となる (岡田)。学校組織の中で、ストレス要因を生みださないように環境整備するストレスマネージメントの主導者は、学校管理職である。「同僚への排他的態度や攻撃的批判のない」、相手を思いやり共感を大切にするカウンセリングマインドを維持しつつ、「緩やかな連帯感」を保つ程度の「職場人間関係」が望ましいとされる(中島)。「教師の健康」を守らなければならないのは管理職の責任。多元化する社会状況において、広く異質な集団で交流する能力を普段から身につける努力(多様な価値観があることを「生涯にわたって常に学ぶ」努力)が管理職や教師にも必要である。管理職向け研修の内容として①メンタルヘルス支援の基本的内容②教員とのコミュニケーションの重要性③教員の援助希求行動(教員たちが助けを求めやすい職場になっているかどうか・職場を折に触れて点検すること)④組織公平性マネジメント(職員の組織公平性がメンタルヘルス不調と勤労意欲に影響を与えている・組織公平性を高める取組・人権が尊重され誠実で各人の特性に合ったコミュニケーションが取れているか・校長が「俺にすべて任されている!」という独裁独断的で排他的な高圧的思い込みによる一方的判断ではなく、コンプライアンスに基づく人権と公平性が尊重され、管理職の監督責任を自ら謙虚に認め、立場の弱い者だけに責任を押し付けるのではなく、相手を思いやる共感性のある公平性がとれた態度(このようなその場しのぎの感情的で独裁的な一方的な判断は、遅かれ早かれ裁判や第三者委員会・世論等で客観的に検証され、やがては公になることを管理職は心に深く刻んでおくことが望まれる・公益通報者保護制度の徹底強化・公益通報者を処分した管理職の厳罰化等)⑤精神科医による座学⑥メンタルヘルス不調事例を提示し、求められる対応に関する議論と発表(小グループによるワークショップ)(教員のメンタルへルス・大石智・大修館書店)地域性や生徒の状況に配慮した「学校の教育方針・教育理念」が校長に具体的にないと、学校全体が保護者に防衛的になり主体性・独自性が消え、行政側と議論や対話ができなくなる。職場自体がストレスの原因となる。何か問題が生じたときには、その問題の原因だけ(当事者)を追及するのではなく、問題によって生じる当事者の不安を和らげながら、「問題の本質」の解明、「法令順守に基づく問題解決」へのより良い見通し方針を立てることが管理職に求められる。先生が壊れていくー精神科医のみた教育の危機ー(中島・弘文堂)壊れていく教師の実像(具体例が多数詳細に記載されている)。教員が疲れ、倒れることで生じる影響は、その後に取り返しがつかないこともありうる。もはや一刻の猶予もなく、これまでよりもさらに抜本的な対策がとられてしかるべきだ(何が教師を壊すのか・追いつめられる先生たちのリアル・学校教育危機の全貌・現場はここまで疲弊している・朝日新聞取材班・朝日新書)。学校が教員のメンタルヘルスを健全に保つためにも、それぞれの教員が教員として何よりも大切な、児童生徒との日々の関わりを大切にできる場になることが切に望まれる(春日)。教師本人の意思が対話を通じて尊重され、互いに批評し合いながら共に学び合い、成長し合う「信頼関係」を基盤とした同僚性を育むことが大切。教員のストレスの要因・教員のメンタルヘルス悪化の要因と対策・校長等との人間関係・精神疾患による休職教員が過去最多・学校全体が慢性疲労状態・教職員が心身ともに健康を維持して教育に携わることの重要性・教育や世界・日本の動きを知らない教員・無神経な言動をする教員や管理職・相手がどう思うかの配慮が足りない教員・知性に重きを置かない学校の雰囲気・教員間の日頃のコミュニケーションの重要性・教職員同士で協力しあって仕事をする雰囲気の醸成・管理職が教員のメンタルヘルスを考える上での重要性・管理職との関係がストレスとなる場合について具体例・管理職がカウンセリング的資質を高めることの重要性・管理職向け研修の内容・教員のバーンアウト主要因・問題の本質の解明と法令順守に基づく問題解決等に関する教育心理学的学術調査研究の一環として
  • 日本の教育には、人間にとって大切な事は何か、といった倫理観を養う教科が存在しない。日の丸・君が代を強制しても、社会的な倫理観が育つわけではない(齋藤)。日本人の培ってきた倫理観は、キリスト教を骨格とした欧米のようにいかないところに、大きな特徴がある。日本の場合、古今東西の良いものを、読書を手段として吸収し、バランスのとれた判断力や世界に通用する教養を身につけていく。人間として間違いのない線をキープする。それが、日本型の倫理のつくり方だった。読書という行為を中心として自己形成していく。自分の生き方だけではなく、他者に対する態度も養っていく。こういう教養を通じての自己形成や修養であれば、否定されるべき要素は何もない。学ぶ心は、反復強化することで、心の技になり、一生を活気づけてくれる。自分は探すものではなく、学びによって形成するもの。学ぶ意欲とは、未来への希望と表裏一体(齋藤)。教育基本法第9条他。 
    2024年12月
    学ぶ意欲とは、未来への希望と表裏一体(齋藤)。学ばない人間、向上心を持たない人間は、自分の明日を今日よりも良い日だと信じることができない。生きる力とは学ぶ意欲とともにあるもの。努力することが苦にならない人、向上心を当たり前のように持つ人を作る教育が大切。自分の価値にゆらぎを与えてくれる「自分とは異質の他者性の高いもの」こそ、自分を高めてくれる。学ぶ意欲それ自体が、そもそも内発的に起きてきていない。学ばない人間、向上心をもたない人間は、自分の明日を今日より良い日だと信じることができない。生きる力とは、学ぶ意欲とともにある。生命力は、努力して磨き、身につけた技によって、現実を生き抜く力となる(齋藤)。司馬遼太郎は、「自分は生涯一書生でいたい」という意味のことを書き残している。驕らず高ぶらず、常に学ぶ精神を持ち続けたいと願ったからだと思う。自分は未熟である、だから勉強という修行を積むのだということ。これは単に自分自身を戒める言葉ではなく、書生であることこそ喜びであるという意思表示である。書生たちが努力して向上すること自体に生きる喜びを感じていた。しかし現在は、そういう生き方が非常に稀になっている。高齢の経営者には、読書家が少なくない。しかし、世代が若くなるにしたがって、そういう人が減っているようだ(書生再興のすすめ)。これからの日本が直面するのは、学ぶ意欲の格差という重い課題だ。自分の利益だけを目標にした学習ではさみしい。自分の生活だけでなく、他の人の幸福を増すために、という思いを抱くことで、学ぶ意欲は生まれ、経済も活性化する。学ぶ心は、反復強化することで、心の技になり、一生を活気づけてくれる。自分は探すものではなく、学びによって形成するもの(齋藤・あとがきー次代へのメッセージ)。日本の教育には、人間にとって大切な事は何か、といった倫理観を養う教科が存在しない。日の丸・君が代を強制しても、社会的な倫理観が育つわけではない。日本人の培ってきた倫理観は、キリスト教を骨格とした欧米のようにいかないところに、大きな特徴がある。日本の場合、古今東西の良いものを、読書を手段として吸収し、バランスのとれた判断力や世界に通用する教養を身につけていく。人間として間違いのない線をキープする。それが、日本型の倫理のつくり方だった。読書という行為を中心として自己形成していく。自分の生き方だけではなく、他者に対する態度も養っていく。こういう教養を通じての自己形成や修養であれば、否定されるべき要素は何もない。(倫理観を再興するための読書力・なぜ日本人は学ばなくなったのか・齋藤孝・講談社現代新書)。どこかで積極的に学ぶ構えが当たり前の空気に戻さなければならない。読書量の減少は向上心の衰退。実際、大人の本離れは深刻。日本の子どもも、世界に比べ学ぶ力が落ちている。教育基本法第9条「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、 その職責の遂行に努めなければならない」 及び、教育公務員特例法第 21 条「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」とある。さらに「学校の教職員組織は、同じような背景、経験、知識・技能をもった均一な集団ではなく、より多様な知識・経験を持つ人材との関わりを常に持ち続ける組織や、当該人材を取り入れた組織であることが、絶えず変化していく学校や社会のニーズに対応していく上で望ましい」(中教審)。教師は知的好奇心を忘れている。教師が自分の専門教科はもちろん、専門でない教科のことも、常に学びたい、もっと知りたいと思うこと、興味のある分野の本や論文を読んだり、面白い取り組みをしている他校の事例を見学しに行ったり、セミナーやワークショップ等にも参加すること、社会の動向にもアンテナを立てて要ること、時事問題や科学の発見などの話題にも、好奇心を持って触れる機会が必要。教師には教科書の知識だけではなく、教科書を超えた知識や教養が必要で、その知識をどのように活用していくのかを考えていく中で、「正解の無い問いを出せる力」が必要不可欠(2020年からの教師問題・石川一郎・KKベストセラーズ)。固定化されたルーティンのなかに閉じこもっているばかりでは、脳の若返りのチャンスは得にくくなってしまう。賢さの一つとして、柔軟性を持つことが大切。こだわりや決めつけが強く、物事を型通りに進めようとする人に比べ、思考が柔軟で、臨機応変に対応できる人は、一般的にボケにくくなる(和田秀樹)。知的であるという事は、柔軟であること。多くのことに関心が持てる人は、人生で味わえる喜びや楽しみが増え、それだけ「人生に深み」が増していく。つながり、意味が生まれるところには喜びがある。知性とは、様々な物事を繋げて考えられること「物事をつなげる力」。語彙力と共に、「文脈力の大切さ」を意識して生活すること、連なる意味を的確につかまえる力が文脈力。文脈を的確につかまえる力、文脈をつなぐ力が文脈力。頭がいいとは文脈力、この「文脈力こそが知性」である(齋藤孝・文脈力こそが知性である・角川新書)。言葉が文脈から切り離されると何が起こるか。まさにインターネット上での有名人叩きの現場でよく悪用されている(齋藤)。一部だけを読んで、前後を読まない可能性がある。言葉が意図した「文脈」から切り離されてしまうということが起こる。文脈から切り離して別のニュアンスに見せてしまうのはもはや「一種の暴力」である(齋藤・不機嫌は罪である・角川新書)。21世紀は、「知識基盤社会」という認識のもと、「言語やICT等を思考の道具」として適切に用いながら、「多くの知識や情報を的確に判断し、新たな価値を創造していく力」が求められている(荒木)。「これが絶対正しい」「これ以外は認めない」という強情さは、脳の老化を早めてしまう。年齢を重ねた今こそ、あらゆるものに関心を持ち、ちょっと歩み寄ってみるような素直さ、度量の大きさを持つことが大切(和田)。多くの学校では、従来型の紙と黒板の教育(ペーパーテストで良い点数を取る事に偏ってきた学び)にICTを付け加える程度の例が目立っている(秋田県立大・廣田・秋田魁新報2024.7.30)。デジタル端末の持ち帰りを普段からしている秋田県内の学校は、全国平均を11~14パーセントも下回っている。家庭でも端末を活用して主体的に学ぶ力を養い、学習の質を高めたい(秋田魁新報社説)。好奇心の強さや「なんでもやってみよう」と思える身軽さは、脳の老化を遅らせるし、物事の成功の確率も高めてくれる。とにかく、どんなことでもまずは挑戦してみようとする軽やかさが大切。まずは何事もやってみる、そんな精神で、脳と心を若々しく保てる(和田)。教員が教育関連学会誌等の論文や部活動指導に関する図書等を全く読まない・研究会や報告会、研修やセミナー等にも参加しない・ごく一部の教員を除いて全く発表すらしない・中央教育審議会答申等を全く知らない・文科省のHPすら全く見ない・社会を知らない、関心がない・読書すらしない・学ばない教員・理念欠如型教員(林)・「深く考えない、読解力の乏しさ」が思考停止や間違った判断決定を招く(深い学びの喪失)(教育現場は困っている・榎本博明・平凡社)・文脈や読解力の乏しさ(榎本)・「知識や知性に重きを置かない雰囲気が教員間に広がっている」。「教育や世界日本の動きを知らない教員や無神経な言動」をする教員(朝比奈)。異なる考えや人を受け付けることができない学校の閉鎖性・部活動指導員等の新しい制度や学校ICT化等にストレスや拒絶反応を示す教員・研究論文等を全く読まないため、引用部分なのか、著者の考えなのか検討を全くせず、部分的な一部の語句のみの狭い判断に陥ってしまう (文章を文脈や内容の本質で捉えられない・文脈力や読解力が欠如した)管理職や教員、教育に関する論文や報告書文章すら、深く正しく理解できない・現役の教員が部活動指導等に関する著書を多数出版していることさえも、中身も全く知らない大多数の教員、「校長だから著書がないのは当たり前」という誤った風潮(現役校長のなかには著書等を多数出版している人もいる)、学ぶ意欲や探究心、向上心を失くした研究しない教員等、「学校の教員は絶えず研究と修養に努めなければならない」との規定が形骸化していると客観的にみられる。物事の一面しか見ない「単眼思考」はうつ病にもつながりやすく、さまざまなものの見方ができる「複眼思考」を心がけること(和田)。気持ちのコントロールが利かなくなり、自発性や意欲が失われていき、なんだかやる気が出ない、怒りっぽい、不安がぬぐえないなどの症状が「感情の老化」。物事を決めつけず悲観せず、どんなときもチャレンジ精神をもって行動すれば、前頭葉はいくつになっても活性化する。自分が幸せと感じることを生活に足していく意識をもつこと。意識をしないと人は前例踏襲型の思考に安住しがちで、変わり映えのしない生活は、自発性や意欲を失わせることもある(和田)。継続的な教師の学びを進める上で必要となるものは、「変化を前向きに受け止め、探究心を持ちつつ自律的に学ぶ」という教師の主体的な姿勢が求められている(中教審)。「新しいことを学ぶ意欲や探究心・向上心」を無くしてしまっている。教師自身がすでに「新しいことへの対応や考える意欲」を無くしている(主体的な学びの喪失)。学ばない教員・学べない教員・教え方を知らない教員・本を読まない教員・理念欠如型教員(残念な教員ー学校教育の失敗学・林純次・光文社新書)。教師は知的好奇心を忘れている。時事問題や科学の発見などの話題にも好奇心を持って触れる機会が必要。教師には教科書の知識だけではなく、教科書を超えた知識と教養・社会性が必要で、その知識をどのように活用していくのかを考えていく中で、正解の無い問いを出せる力が必要不可欠(石川)。秋田大学教育実践セミナー「学びの風土をいかに構築するか」「教員の指導力向上」、「学力テスト日本一への軌跡」、「学びの風土の構築方法」等に関する教育研修セミナー等、浅野清光受講修了済み。どんなに学んでも、まだまだ学ぶことがある。時が経つにつれ、学んだことを忘れてしまうこともある。そのような向上心を持つ人だけに訪れる緊張感が、人としての輝きを増す(齋藤孝)。「学ぶことを中心に人生を作り上げること」が重要。学ぶ意欲・向上心を当たり前のように持つ人を作る教育・倫理観を養う教科がないこと・社会的な倫理観が育つ教育・読書という行為を中心として自己形成していくこと・教師の知的好奇心の欠落・固定化されたルーティン・文脈力こそが知性・文脈や読解力の乏しさ・教育基本法第9条・教育公務員特例法第 21 条・中央教育審議会答申・教員間の知識や知性に重きを置かない雰囲気・教育や世界日本の動きを知らない教員・無神経な言動をする教員・異なる考えや人を受け付けることができない学校の閉鎖性・部活動指導員等の新しい制度や学校ICT化等にストレスや拒絶反応を示す教員・教育図書や研究論文等を全く読まない教員・部分的な一部の語句のみの狭い判断に陥ってしまう (文章を文脈や内容の本質で捉えられない)管理職や教員・教育に関する論文や報告書文章すら深く正しく理解できない教員・現役の教員が部活動指導等に関する著書を多数出版していることを全く知らない大多数の教員・校長だから著書がないのは当たり前という誤った風潮・学ぶ意欲や探究心、向上心を失くした研究しない教員・複眼思考の重要性・深く考えない、読解力の乏しさが思考停止や間違った判断決定を招くこと・学ぶことを中心に人生を作り上げること等に関する教育学的学術調査研究の一環として
  • 「認知複雑性」の低い人は、自分と違う考え方を容認できなく多面的に見ることができない。だから自分の正しさを強引に主張し、意見の異なる人のことを非難したり攻撃したりする(榎本)。正しさを振りかざす人が、自分と違う意見に苛立ち、感情的攻撃的な反応を示すのも、「認知複雑性」が低く、相手の言うことが理解できない。モチベーションの乏しいタイプは、自分が這い上がろうという気力が乏しく、相手を引きずりおろそうという心理に陥りがち。自分が力をつけようと頑張るのではなく、「いい気になっている」「人のことを見下している」と相手を批判してその人の価値を貶めようとする。対抗心が異常に強い(見下され不安を抱える人は人から馬鹿にされることを必要以上に恐れるため、人に対して優位に立っていないと気が済まない)・妬みの感情による引きずりおろしの心理・相手を叩くことに異常に執念を燃やす(正義感を振りかざすことで異常に強い攻撃性)。 
    2024年12月
    「認知的複雑性」が高い人は、物事を多面的に考えることができるため、いろんな人の考えに共感できる(正しさをゴリ押しする人・榎本博明・角川新書)。「認知複雑性」の低い人は、自分と違う考え方を容認できなく多面的に見ることができない。だから自分の正しさを強引に主張し、意見の異なる人のことを非難したり攻撃したりする。ちょっとしたことで対立しやすい。一度取り入れた考えと矛盾する意見には心を閉ざしてしまう。正しさを振りかざす人が、自分と違う意見に苛立ち、感情的攻撃的な反応を示すのも、「認知複雑性」が低く、相手の言うことが理解できない。意見の違う相手をムキになって攻撃する人の不適切な感情は、認知の歪みによって生じる。冷静に正論を主張している感じではない人には、社会的な欲求不満(満たされない承認欲求)が攻撃行動を起こさせている。「攻撃的衝動」が認知のゆがみをおこさせる。自己主張することによる気分の発散・個人的な鬱憤を落ち度があると思われる人物や組織をたたくことで紛らしている。モチベーションの乏しいタイプは、自分が這い上がろうという気力が乏しく、相手を引きずりおろそうという心理に陥りがち。自分が力をつけようと頑張るのではなく、「いい気になっている」「人のことを見下している」と相手を批判してその人の価値を貶めようとする。ターゲットとなる人物の社会的地位が高い、経済的に裕福、学力が高い、学歴が高いほど、妬みの感情からシャーデンフロイデ(人の不幸は蜜の味心理)が生じやすい。自尊心が低く不安定な者ほど妬みを感じやすい。妬ましくて仕方ないとき、無理やり相手を悪者に仕立てようという心理になる。正義を装った憂さ晴らしとなる。自分の価値判断を絶対視する・他人の立場や気持ちに対する無関心や想像力の欠如・自分の思いばかりを一方的にしゃべり相互性が無い・自分は特別(特権意識)尊大で傲慢・自己愛性パーソナリティ障害・衝動コントロールの不適切さ・認知の歪み・①誇大性②賞賛されたい欲求③共感性の欠如の特徴(アメリカ精神医学会)・他人をコントロールしようとする・文句が多い・独りよがりの正義感で攻撃する・人から少しでも批判されたり自分の意見や提案に疑問を投げかけたりすると逆上する(人から注意されたり意見されたりすると、ムッとして攻撃的になる)・異様に感情的になる・対抗心が異常に強い(見下され不安を抱える人は、人から馬鹿にされることを必要以上に恐れるため、人に対して優位に立っていないと気が済まない)・妬みの感情による引きずりおろしの心理・相手を叩くことに異常に執念を燃やす(正義感を振りかざすことで異常に強い攻撃性)・サイコパス(カナダの心理学者 Robert D. Hare 診断名サイコパスー身近に潜む異常人格者たち・早川書房)相手には何の悪気もないのに、勝手に敵意を感じる。親切で言った言葉にさえも敵意を感じる。相手が気を使いながら親切に関わっていたとしても、歪んだ認知によって敵意を感じ、相手を批判し、歪んだ正義感で容赦なく攻撃する。自己評価が甘く、自分はできる、自分はそれなりの権限がある、自分に任されている、感情的になることもないと勘違いしている。「視野の狭い人ほど物事を断言できる」。自信満々に自己主張する人、自分の考えを絶対に正しいと思える人は、「自分とは違う視点があるかもしれない」「視点が違えば物事の見方も違ってくるはず」「もっと別の視点からも検討できるのでは」というように謙虚に学ぶ姿勢が欠けているからだろう。都合のよいところだけ取り上げて、高圧的にまくし立てる。怒る人は、感情に支配され支離滅裂。一旦思い込んだ決定を決して変えず、例え間違っていても決して許さない。怒りっぽい人は、老人か幼児か、さもなくば病人だ(セネカ)。カナダの心理学者 Robert D. Hare によるどのタイプにも共通するサイコパスの情動面での特徴とは、「良心の呵責の欠如・感情が乏しい・罪悪感の欠落・冷淡で共感性に欠ける・自分の行動に責任が取れない」とされている。対人面では、「誇大的な自己価値観・自己中心的・口達者で表面的魅力・偽り騙す・人を操る・病的な虚言」で、生活様式では、「無責任で衝動的、現実的で長期的目標計画の欠如、行動のコントロールができない・フラストレーション耐性が低い」等。「野心に満ち、優越感と特権意識には溢れている」が、「得るものが無い人間には非礼で冷たく、無神経で人間らしい感情が欠けている。」「威圧的態度、嫌がらせ、恐怖による支配を行い、うまくいかないことはすべて人のせい」にする。「部下に威張り散らす、短期で頭に血が上りやすく、怒りを露にするが、すぐに忘れて何も無かったように振舞う傾向」にある。「自分の攻撃によって生じる摩擦に対する見積りが甘い」。「誠実さを欠き、批判されても平気で、衝動性が高い」ため、「几帳面さを求められる仕事や協調性・忍耐が求められるチームワークが苦手」であり、「経営管理やチームでの作業は不向き。」物事を継続したり最後までやり遂げる事は苦手。「傲慢で尊大で、批判されても懲りない。」「杓子定規なルールを重視せず、乱暴で簡単に意思決定が許される状況を利用する。」状況がどれだけ混乱していても冷静で、皆が自身を喪失している状況の中でも、自信満々に振舞う。面接等では、過剰に魅力的で、確信を持って堂々とした話しぶりをして、「高いプレゼンテーション能力」を持つ事は確かとされる。口ばかりうまくて「地道な仕事はできない」タイプが多い。当初まわりが期待していたほどには仕事ができないということが、後になってわかる。不安や恐怖・緊張を感じにくく、大舞台でも堂々と見える。多くの人が倫理的な理由でためらっていても平然と行うため、挑戦的で勇気があるように見える。「情動に障害があり、感情が希薄で良心がない状態」である(サイコパス・中野信子・文藝春秋)(ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人・梅谷薫・講談社)サイコパスの特徴①表面上は口達者であり、外見や話に人を惹きつける表面的な魅力がある②利己的・自己中心的であり、自分の話に巻き込み、人の話は聞いていない。③自慢話をする。自己愛が強く、根拠のない自信がある。自尊心が強固。④自分の非を認めない。人に非難されても、痛みを感じないし落ち込まない⑤結果至上主義。結果のためなら手段を選ばない。⑥平然と嘘をつき他人を利用する⑦共感ができない。相手の痛みに鈍感。冷淡で感情が薄っぺらい。人を傷つける行為(強要、詐欺、脅迫、暴力、暴言、ハラスメント等)をしても心が痛まない⑧他人を操ろうとする。自分の行動に対しての責任を持てない。無責任な行動が目立つ。人と親密な関係を構築する能力が低い⑨良心の欠如。良心がなく人に謝ることができない。衝動的。⑩刺激を求める。退屈しやすく刺激を欲している等が挙げられている。「情緒-対人関係」では、狡猾さや表面上の魅力、冷淡さなどが特徴的なタイプで、認知機能や言語性知能に優れており、自分の攻撃性や衝動性を調節できるという特徴。つまり、頭が切れ、口がうまく、普段は良い人を演じながら、いざというときまでその恐ろしさを隠しておく。このような人は、良い子として育てられ、権威者には従順だが、地位や名声を求める野心家であり、自分の目標を邪魔する相手を排除するために手段を選ばないという冷徹さを備えるような特徴があるとされる。実は明るく社交的のケースもあり、自制心が低く、安易で軽率な行動に出てしまう傾向があるとされる。怒鳴る人の特徴として、威圧的かつ支配的で命令支持的にものを言い、声が大きい。相手をおとしめたいという心理が働き、相手をおとしめることによって自分の優位性を誇示したいからこそ、些細なきっかけで怒鳴る。相手の価値を低下させれば、相対的に自分の価値を高められると思い込んでいる。管理職ともなれば自らに与えられた役職ゆえに自分自身を過大評価しがちで、自分は絶対正しいと信じていることも少なくない(片田)。普通に話せばよいのに大声でどなって話す。怒鳴る人は、人間として大事なコミュニケーションを失っている状態。自分の考えを通したい、優位の立ちたい、自分には能力権限があるなどという思いがある。さらに、一見、人当たりがよい人柄だけれど、よく付き合うと、言葉だけが上滑りしていて、感情自体は薄っぺらい人。「表面的な魅力、他者操作性、虚言癖、共感性欠如、良心の呵責や罪悪感の欠如、浅薄な情緒性、冷淡で残虐性、自分の行動に責任を持たない、衝動的、長期的目標の欠如、強迫や威嚇、行動コントロールの欠如、無責任、誇大化した自尊心、特権意識、自己中心的で尊大で傲慢な行動や態度等があるサイコパス」(良心を欠いて生まれた人々)が身近にもいる(原田・サイコパスの真実・ちくま新書)。認知複雑性・正しさを振りかざす人・正義を装った憂さ晴らし・ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人・対抗心が異常に強い人・モチベーションが乏しい人・妬みの感情による引きずり下ろしの心理・シャーデンフロイデの要因・自分の価値判断を絶対視する人・相手の立場や気持ちに対する無関心や想像力が欠如している人・自分の思いばかりを一方的にしゃべり相互性が無い人・共感性の欠如・相手をコントロールしようとする人・異様に感情的になる人・自信満々に自己主張する人・物事を断言する人・見下され不安を抱える人・人に対して優位に立っていないと気が済まない人・相手を叩くことに異常に執念を燃やす人・親切で言った言葉にさえも敵意を感じる人・都合のよいところだけ取り上げて高圧的にまくし立てる人・誇大的な自己価値観・利己的で自己中心的・簡単に意思決定が許される状況を利用する人・口達者で表面的魅力(表面上は口達者であり、外見や話に人を惹きつける表面的な魅力がある人)・偽り騙す・人を操る・病的な虚言・怒りっぽい人・非礼で冷たく無神経で人間らしい感情が欠けている人・威圧的態度、嫌がらせ、恐怖による支配を行い、うまくいかないことはすべて人のせいにする人・部下に威張り散らす人・誠実さを欠き批判されても平気で衝動性が高い人・過剰に魅力的で自信満々で高いプレゼンテーション能力を持つ人・自分の非を認めない人・人を傷つける行為をしても心が痛まない人・相手を貶めることによって自分の優位性を誇示する人・怒鳴る人の特徴・一見、人当たりがよい人・「自己評価が甘く自分はできる、自分はそれなりの権限がある、自分に任されている、感情的になることもないと勘違いしている人」・「表面的な魅力、他者操作性、虚言癖、共感性欠如、良心の呵責や罪悪感の欠如、浅薄な情緒性、冷淡で残虐性、自分の行動に責任を持たない、衝動的、長期的目標の欠如、強迫や威嚇、行動コントロールの欠如、無責任、誇大化した自尊心、特権意識、自己中心的で尊大で傲慢な行動や態度等があるサイコパス」等に関する心理学的学術的調査分析研究の一環として
  • 不機嫌な人ほど知性のパフォーマンスは低目(齋藤)。不機嫌な人は幼稚に見える・認知的成熟度が低い(和田)。相手の話を全く聞かず一方的に話すということは「優位性の誇示」であり、自分の中にある「自己顕示欲と権力欲」が「真摯に聞くという態度を阻害」していることがある(齋藤孝・教育欲を取り戻せ!・生活人新書、なぜ日本人は学ばなくなったのか・講談社、コミュニケーション力・岩波新書その他)。不機嫌さを自分でコントロールできずに、他人に嫌がらせしたり、職場の中には怒鳴り散らすパワハラ的な人もいる。相手を支配したいという欲求は、フキハラの原因となる。不機嫌な態度を取ることで相手をコントロールしようとする行動が見られる。①権力の誇示②責任の回避③相手の言動や感情のコントロール④自分自身の評価が低い⑤自信の無い人ほど、他人を無価値化して、自分の価値を保つ⑥多面的思考力の欠如⑦自己防衛や自己正当化・自己愛のため相手を否認し、自分とは異なる考え方や見方を排除して自分自身の価値を保つ⑧コミュニケーションの無意識の思い込み。 
    2024年12月
    不機嫌さを自分でコントロールできずに、他人に嫌がらせしたり、職場の中には怒鳴り散らすパワハラ的な人もいる。傷つきやすい人が嫌がらせを乗り越えるためには、誰かに打ち明けてみることが第一歩で、相談しながら対応法を考えるとより良い方法が見つかる(和田)。不機嫌になると自分の気分も悪いし、相手に不快感を与える。精神神経免疫学の考え方では、不機嫌は免疫機能を落とすので、癌等になりやすくなる可能性もある(どうでもいい小さなことで不機嫌にならない本・和田・PHP研究所) 。フキハラ(不機嫌ハラスメント)とは、モラルハラスメント(モラハラ)の一種で、不機嫌な態度や言動を通じて、他人に不快感や精神的な苦痛を与える行為。モラルハラスメントは、精神的な暴力や嫌がらせを通じて相手を支配しようとする行為で、フキハラはその中でも特に「不機嫌」という感情を武器にして行われる点が特徴とされる。フキハラは、意図的に不機嫌な態度を取ることで相手に圧力をかけたり、無意識に不機嫌な態度を示すことで、周囲にストレスを与えたりすることを含む。このような行為は、職場の雰囲気を悪化させるだけでなく、被害者のメンタルヘルスにも深刻な影響を与える可能性がある(坪 義生)。上手く言葉が見つからず、相手の質問に対して不機嫌な態度で応対してしまうケースや、相手の気持ちを汲み取れず、一方的に無視したり、冷たい言動で接してしまったりするなど、コミュニケーション能力の欠如もある。マナーを無視して相手の機嫌を害するような態度を無自覚に取ってしまったり、何かをしてもらうことが当たり前と考え、感謝の気持ちを持たずに不機嫌な態度を取ってしまったりするマナー・ルールの無知から生じることもある。人前では無表情を装う癖があり、相手に不機嫌に映ってしまうこともある。感情を表に出さないクセがあり、相手に不機嫌に見られてしまうようなケースもある。対話をせず、協働して互いに学び合い信頼関係を基盤とした同僚性を築こうとしない、コミュニケーション不足教員(残念な教員ー学校教育の失敗学・林純次中高一貫校教員・光文社新書)。教師自身が対話的学びをしない。新任教職員が先輩教員に質問しても、「言っていいんだがー!」と不機嫌で仏頂面で回答せず無視される(これは不機嫌ハラスメント・フキハラに該当する)。学校の新たな地域人材等に対して、教師が上から目線で無愛想で気難しく、仏頂面なこともあり、「不機嫌な鎧」を身につけていた方が賢く見えるのではないか、あるいは馬鹿にされたくないという歪んだ認識があり、自分が(対応)能力が無い不慣れなことを隠したい、自分の領域を守りたいという自己防衛反応を示す(齋藤孝・不機嫌は罪である・角川新書)。新たな制度に社会人として当たり前の最低限の対応すらできず、少しでも何か指摘されると、自分の立場や縄張りへの不安感からひどく過敏になっていて、自分の領域を守るため、相手を否定して攻撃的になっている(ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人・梅谷薫・講談社)。自分は正しい立場から言っているという、自分に都合の良い方向に物事をゆがめて考えてしまい(梅谷)、相手を怒鳴り散らすという社会性と法的視点(人権尊重意識)が欠落(モラハラに該当)している閉鎖的状況が学校現場にみられる。自分自身の言動を常に振り返り、相手への気遣いを忘れないことが何より大切(坪)。感情的になる人は自分の思い込みにこだわる人(感情的にならない本・和田秀樹精神科医・新講社)。毅然とした威厳のある渋い態度で沈思黙考しているのは、知性がある証拠という間違った価値観があり、不機嫌な人ほど知性のパフォーマンスは低目という認識が無い状態。ハラスメント問題が起きるのも、文脈力(相手の感情の機微を感知しよう、理解しようとする姿勢、お互いの関係性、相手に合わせた言い方を考える、感情を読み取る力、人それぞれ抱えている思いを理解することなど)の欠如が原因(齋藤)。不機嫌な人は幼稚に見える・認知的成熟度が低い(和田)。コミュニケーションの基本は人の話を聞くこと。話す人が上の立場であり、聞く人が下の立場というコミュニケーションの権力関係に関する無意識の「思い込み」がある場合、一方的に話したり、人の話の途中で平気で自分の話しをしだすことがある(齋藤)とされる。運動部活動においても、大会で団体戦後の円陣で、長年経験のあるコーチが選手らに反省点等を話していると、突然、選手としての経験の無い監督教員がコーチの話を途中で遮り、憮然として大声で別の話をしだすことがあるが、このときの心理は、コミュニケーションの歪んだ思い込みがある現れ。周囲の人々にも不快感や威圧感を与え、周囲や職場全体の雰囲気をも悪化させる要因となる。不機嫌な態度は周囲に伝染しやすく、一人がフキハラを行えば、他の人も同様の態度を取るようになり、全体が不機嫌な雰囲気に包まれてしまう。特定の教員がフキハラを行うと、周囲の教員も不機嫌になり、互いに冷たい態度を取り合うようになる。このような雰囲気では、協力して仕事を行うことが難しくなる。不機嫌な態度に遭うことで、教員は精神的なストレスを感じ、集中力が低下しやすくなる。フキハラを受けた教員や新たな会計年度任用職員らは、精神的なダメージを受け、うつ病などのメンタルヘルス不調に陥ることがある。このような状態が続けば、不快な職場環境に耐えられず休職や離職を選択せざるを得なくなる。対話による正しい本質的問題解決よりも、一方的に攻撃する管理職・教員もみられる。相手の話を全く聞かず一方的に話すということは「優位性の誇示」であり、自分の中にある「自己顕示欲と権力欲」が「真摯に聞くという態度を阻害」していることがある(齋藤孝・教育欲を取り戻せ!・生活人新書、なぜ日本人は学ばなくなったのか・講談社、コミュニケーション力・岩波新書その他)。学校管理職が「思い込み」から一方的に高圧的威圧的に相手を攻撃する場合の心理にも当てはまり、「組織として誤った判断や決定」にも陥ってしまう(学校の組織文化の改革こそ先決)。自己防衛や自己正当化・自己愛のため、相手を否認し無価値化して、自分の都合の良い方向にねじ曲げ、嘘をつく原因になった隠しておきたい出来事や行為に対する後ろめたさがある場合や、恐怖や恥も感じずに嘘をつくタイプもいる(片田)。相手の価値を低下させれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができるので、自分自身の価値を保とうとする。自分の能力に不安を抱いていて、自信の無い人ほど、他人を無価値化して、自分の価値を保つのである(片田)。「自分の信念や判断が最良で絶対正しい」と主張して(多面的思考力の欠如)、他人の価値観を侵害する。攻撃欲の強い人は、価値があるのは自分の意見だけで、相手は抵抗せずに賛同すべきだと言う信念に突き動かされていることが多い(片田)。もし他人の考え方を尊重しようとすれば、自分自身の決断を変更しなければならなくなる。場合によっては、自分の落ち度、誤り、過失等を認めざるをえないかもしれない。そういう事態を避けるために、他人の考え方を一切考慮せずに防衛する。相手を支配したいという欲求は、フキハラの原因とされる。不機嫌な態度を取ることで相手をコントロールしようとする行動が見られる。①権力の誇示ー上司が部下に対して権力を誇示するために不機嫌な態度を取ること。上下関係や立場を見せつけたい欲求が、無意識に働いている。②責任の回避ー自分のミスや失敗を他人に押し付けるために不機嫌な態度を取ることもある。学校現場で保護者から苦情があった場合、管理職が不機嫌な態度を取ることで、自分の責任を回避しようとすることがある。自分の責任転換をしたいため、根本原因が自分にある、あるいは監督責任や間接的責任があるにも拘らず、他人に押し付けて不機嫌な態度を取ってしまう。③感情のコントロールー不機嫌な態度を取ることで、相手の行動や感情をコントロールしようとすることがある。フキハラの加害者である上司の生活環境に問題がある場合、感情コントロールが上手くできないため、つい職場で部下にあたってしまうことも。物事はいくつもの原因があっておきるもの。価値観を多様化させて、人間は多面的なものであるということを理解することが必要。たった一つしか評価基準がない人は、その評価基準でしか自分を評価することができない。物事を複眼的に捉える思考訓練が必要(和田)。④自分自身の評価が低い(あるいは劣等感がある・自己愛や自己防衛が強い)と感じることも、フキハラの原因となる。教員は頑張っていても、とくに誰からも評価されにくい環境にある。自分が他人に比べて評価されていないと感じると、ネガティブな感情が生じ、それが不機嫌な態度として表れることがあるとされる。教員は特に、いくら努力しても成果が認められず、不満が溜まりやすくなる。長時間働いても管理職等からの評価が低いと感じる教員らが、その不満を周囲に対する不機嫌な態度として表すこともある。フキハラを受けた際に、不機嫌な態度に同調しないこと。不機嫌な態度は周囲に伝染しやすく、同調してしまうと職場全体の雰囲気が悪化する可能性がある。相手が不機嫌な態度を取っている場合でも、自分は冷静に対応することが重要。相手の不機嫌な態度に対して過度に反応せず、自分の感情をコントロールすることで、心理的な距離を保つことができる。組織全体でのコミュニケーションと協力を促進することで、フキハラの問題を根本的に解決すること。「学校の教職員組織は、同じような背景、経験、知識・技能をもった均一な集団ではなく、より多様な知識・経験を持つ人材との関わりを常に持ち続ける組織や、当該人材を取り入れた組織であることが、絶えず変化していく学校や社会のニーズに対応していく上で望ましい」(中教審)。不機嫌が周囲に与える影響・優位性を誇示する心理状態・相手をコントロールしたいという欲求・フキハラの要因・学校の教職員組織の在り方等に関する教育心理学的学術調査研究の一環として
  • 友人のような親子関係に加えて、兄弟も少ないなどの家庭環境で、心の教育がおろそかになってしまった(齋藤)。親は友達ではない。社会観、人生観までもが子どもと同じ未熟なレベルに留まっていてはいけない。子どもと別な視点、一段広い視野、高い目線をもつこと。現在の日本では、子どもに社会力をつけない、マナーを教えない親が増えている。子どもを健康な社会人に育てること。親がしっかり人間として生きるルールを教えなければならない(坂東)。努力することが苦にならない人、向上心を当たり前のように持つ人を作る教育が大切。自分とは異質の他者性の高いものこそ、自分を高めてくれる。学ぶ意欲それ自体が、そもそも内発的に起きてきていない。学ばない人間、向上心をもたない人間は、自分の明日を今日より良い日だと信じることができない。生きる力とは、学ぶ意欲とともにある。生命力は、努力して磨き、身につけた技によって、現実を生き抜く力となる(齋藤)。 
    2024年12月
    子どもが悪いことをして教師に叱られたとき、逆切れして親が学校に文句を言う。学校に対して常軌を逸した注文をつける。店員や駅員などに対するカスハラのように、教師を頭から馬鹿にして威圧的態度をとる。このような勘違いした親が、現在の中学校で日常茶飯事に増えている。もしかして自分の子どもが悪いのではないか、という謙虚な自己反省意識は働かない。うちの子にかぎってそんなことはしない、うちの子はそんなことは言っていないなどと、教師の言うことより子どもの言うことを信用する。子どもを注意するより、子どもと一体化してしまう。大人としての役割を担いきれていない人が親になっている。そのような親の下で育てられた子どもは、教師に対して敬意を持たない。叱られたり注意されたとき、なぜそれがいけなかったのかを考えるのではなく、どうして私だけが叱られるのか、他の子どももやっているじゃないか、と考える。問題の論点がずらされてしまう。このような子どもは、社会の厳しさに向き合う心のタフネスを持たないまま成長することになる。職場で現実に直面したとき、自分を守るために、「この仕事は自分に合っていない」と言い訳して辞めていくようになる。人間関係の中で、プレッシャーの受け止め方といった心の技を鍛える機会が減っている。友人のような親子関係に加えて、兄弟も少ないなどの家庭環境で、心の教育がおろそかになってしまった(なぜ日本人は学ばなくなったのか・モンスターペアレンツが子どもが与える影響・齋藤・講談社現代新書)。教員が夜でも学校にいるのが当然とばかりに夜の9時頃に電話をかけてきて、誰も出なかったら「なんでいないんだ」と逆上する。子どもをちょっとでも叱ったりすると「俺の子を虐待している」と怒鳴り込んでくる。教員が土下座して謝るまで許さない保護者も多いと小学校の教員。親が自分の子に教員の悪口を言いたい放題だから、子どもも教員を軽んじることになる。信頼や尊敬等、程遠い存在でしかない(前屋毅・ブラック化する学校・青春出版社)。わざわざ事を荒立てるような言い方で「正しさ」を振りかざす人は、相手の立場や気持ちに対する想像力の欠如がある。自分の価値判断を絶対視する人、自分以外の視点を想像することができない。自己中心性、良心の呵責の欠如、浅い感情、ごまかすことのうまさは、根深い共感能力の欠如と密接な関係にある。人から馬鹿にされることを必要以上に恐れるため、人に対して優位に立っていないと気が済まない(榎本)。努力することが苦にならない人、向上心を当たり前のように持つ人を作る教育が大切。自分の価値にゆらぎを与えてくれる「自分とは異質の他者性の高いもの」こそ、自分を高めてくれる。学ぶ意欲それ自体が、そもそも内発的に起きてきていない。学ばない人間、向上心をもたない人間は、自分の明日を今日より良い日だと信じることができない。生きる力とは、学ぶ意欲とともにある。生命力は、努力して磨き、身につけた技によって、現実を生き抜く力となる(齋藤)。好きなことを仕事にするのはとても厳しいこと。音楽でも、絵画でも、小説・文筆でも、それだけで自立するのは才能だけでなく強烈な野心、自負心、努力が必要で、自分でビジネスを興すにも、大きなエネルギーと努力がいる。何か成し遂げる人は、人の知らないところで努力している。努力しないで成功する事はありえない。好きなことを仕事にする厳しさをしっかり教えなければならない(坂東)。近年は、別に嫌いな勉強をさせなくとも、将来は子どもが好きなことを仕事にしていけばいいのだからと親が考え、このような親の生活態度が子どもにそのまま伝わる。子どもの努力させるためには、「親自身が目標を持って努力していること」の大事さを、子どもに伝えなければならない。目標を持って努力することができない、自分に自信がなく、うまくいかないとすぐに諦めてしまう、自分で苦労することを嫌い、勉強しなくなり、まじめな努力をばかにし、就職してもすぐ仕事を辞める子も増えている。ひきこもりや定職につかない子供に対してどうすればよいのか。自立するためには一人暮らしをさせること。どういう分野に進みたいのか、じっくり見定めて、職業訓練を受けさせる、ハローワークに行かせる等、背中を押すこと。手に職をつけると自信になる。何度もうまくいかないと自信を失い、諦めたくなるが、パラサイトを継続させてはいけない。何とか励まして、就職させること。障がいや病気の場合は支え続けてあげなければならないが、そうでない子は自立させなければならない。「人間としてたくましく生きていく体力、周囲の人と仲良く協力していける社会力」を身につけることが不可欠である。ニートや引きこもりになる青年たちは、夜更かししてパソコンやゲームで遊び、朝起きられなくなることがきっかけになることが多い。どんなに眠たがってもおこして、学校に遅刻させないようにする。そうすれば夜眠くなる。バーチャルな世界にはまっていないで、「現実の世界に興味を持つ、チャレンジする、少しくらい痛い目にあったり失敗しても、めげないエネルギーのある子」になるよう励まし、背中を押す。危険な目にあわないように、失敗しないようにと過保護にしていては、ひ弱な子になるばかり。ニートの多くは、気が弱く、失敗するとすぐに諦めてしまう傾向がある。子どもを甘やかし、親は自分の言うことを何でもかなえてくれると思うと、子どもは親を軽んじる。親の意見を聞かない、ばかにする、無視する。親を尊敬する、親の言うことを聞くことが大事で、親は友達ではない。「社会観、人生観までもが子どもと同じ未熟なレベル」に留まっていてはいけない。子どもと別な視点、一段広い視野、高い目線をもつこと。現在の日本では、「子どもに社会力をつけない、マナーを教えない親」が増えている。子どもを健康な社会人に育てること(坂東)。「子どもに社会力をつけるには、まずコミュニケーション能力」である。いろんな人との会話を苦手としない青年になるよう、大人たちやいろんなグループの人と交わる習慣をつける。複数のグループに居場所があれば、自殺したり、引きこもりになったりするリスクが下げられる。反社会的行動をしない大人になるには、「いろいろなルールの存在を知り、それを守る態度を養うこと」が第一歩。親が、ルールをばかにしていたり無視していては、子どもも見習うことになる。「親は繰り返し、社会のルールを教えること」。やってはいけないことを叩き込まなければならない。万引きや傷害事件、ドラッグで人生につまずき、傷害事件を犯したら取り返しがつかない。犯罪を犯した場合の罰と、償わなければならない人生を、よくよく教える。子どもの幸せは親の幸せでもある。親でなくとも、青少年教育活動、ボーイスカウト等の場で学んだり、本を通じて考えさせたり、スポーツ少年団等の活動で学ぶこと。「人や社会の役に立つ人間になる」、世の中、楽をしてうまくいく、という生き方をしてはいけない、自分だけよくなりたいという考え方は、自分も周囲も不幸にする、なすべきことは苦労してでも成し遂げることに喜びがあるなど、しっかり伝えること。「子どもを健康な社会人に育てるのは、親の義務」である。「親がしっかり人間として生きるルールを教えなければならない」。ニートやフリーターになってしまった子どもには、厳しい訓練で導いてくれる禅寺での修行、農業での健康的な労働を経験させることなど、情報を集めること。今を丁寧に生きる、精一杯いとおしんで生きる時間を積み重ねること、今を切に生きること。限られた命だからこそ、生きている時間を、全力を尽くして味わうこと(賢く歳をかさねる人間の品格・坂東真理子・SB新書、女性の品格・PHP新書、70歳からのたしなみ・小学館その他)。子どもと一体化した友人のような親子関係・社会観、人生観までもが子どもと同じ未熟なレベル・子どもに社会力をつけない、マナーを教えない・子どもを健康な社会人に育てること・親がしっかり人間として生きるルールを教えること・学ぶ意欲・モンスターペアレンツが子どもに与える影響等に関する教育学的学術調査研究の一環として
  • こだわりや決めつけが強く、物事を型通りに進めようとする人に比べ、思考が柔軟で、臨機応変に対応できる人は、一般的にボケにくくなる(和田)。「これが絶対正しい」「これ以外は認めない」という強情さは、脳の老化を早めてしまう。年齢を重ねた今こそ、あらゆるものに関心を持ち、ちょっと歩み寄ってみるような素直さ、度量の大きさを持つことが大切。安心できる環境にばかり身を置いたりしていると、柔軟性や応用力は磨かれず、クリエイティブな力も伸びていかない。固定化されたルーティンのなかに閉じこもっているばかりでは、脳の若返りのチャンスは得にくくなってしまう。VUCA時代における複雑化した不確実で予測困難な状況を肯定的に捉え、多様性を受け入れること、自ら情報を精査できる能力があること、時代に適応した能力やスキルを身につけるよう、学び続ける努力をすること、ロジカルシンキングや多面的視野、俯瞰力、assertiveなコミュニケーションなど複数の要素が必要。 
    2024年12月
    賢さの一つとして、柔軟性を持つことが大切。こだわりや決めつけが強く、物事を型通りに進めようとする人に比べ、思考が柔軟で、臨機応変に対応できる人は、一般的にボケにくくなる(和田)。知的であるという事は柔軟であること、固着している人は知的な感じがしない(齋藤)。「これが絶対正しい」「これ以外は認めない」という強情さは、脳の老化を早めてしまう。例えば、ブレーキとアクセルを踏み間違えて事故を起こしてしまっても、自分は確かにブレーキを踏んだのに、発進した車が悪く、あくまで自分は悪くはないと思い込む高齢者など。また、頑として運転をやめない老人は、自分は運転がうまい、自分はまだまだ衰えていないなどというような、自分は有能であるというメタ認知を持っている(有能感が高い・自尊心が高い)。「自分の信念や判断が最良で絶対正しい」と主張して(多面的思考力の欠如)、他人の価値観を侵害する。攻撃欲の強い人は、価値があるのは自分の意見だけで、相手は抵抗せずに賛同すべきだという信念に突き動かされていることが多い(片田)。もし他人の考え方を尊重しようとすれば、自分自身の決断を変更しなければならなくなる。場合によっては、自分の落ち度、誤り、過失等を認めざるをえないかもしれない。そういう事態を避けるために、他人の考え方を一切考慮せずに防衛する。「精神の狭量が頑固を生む」(La Rochefoucauld ラ・ロシェフコー1613-1680 フランスのモラリスト文学者)。相手が従わないと脅しをかける、罪悪感を押し付ける、話し合いを拒否して諦めさせる、正義を振りかざす、すべてを支配したがる、けなして自信を失わせる等、他人を攻撃せずにはいられない人が世の中には随分いる (片田・他人を攻撃せずにはいられない人・PHP新書)。「頑固老人」ではなく、年齢を重ねた今こそ、あらゆるものに関心を持ち、ちょっと歩み寄ってみるような素直さ、度量の大きさを持つことが大切。自分は正しい立場から言っているという、自分に都合の良い方向に物事をゆがめて考えてしまい(梅谷)、相手を怒鳴り散らすという社会性と法的視点(人権尊重意識)が欠落(モラハラ)している閉鎖的状況もある。感情的になる人は自分の思い込みにこだわる人(感情的にならない本・和田秀樹精神科医・新講社)。毅然とした威厳のある渋い態度で沈思黙考しているのは、知性がある証拠という間違った価値観があり、不機嫌な人ほど知性のパフォーマンスは低目(齋藤)という認識が無い状態。不機嫌な人は幼稚に見える・認知的成熟度が低い(和田)。コミュニケーションの基本は人の話を聞くこと。話す人が上の立場であり、聞く人が下の立場というコミュニケーションの権力関係に関する無意識の「思い込み」がある場合、一方的に話したり、人の話の途中で平気で自分の話しをしだすことがある(齋藤)とされる。運動部活動においても、大会で団体戦後の円陣で、長年経験のあるコーチが選手らに話していると、突然、選手としての経験の無い監督教員がコーチの話を途中で遮り、憮然として大声で別の話をしだすことがあるが、このときの心理は、コミュニケーションの歪んだ思い込みがある現れ。さらに、公認審判員のコーチが、選手らに競技ルールを説明していると、突然「ルールはどうでもよい。どうせ生徒審判で、ルールは分からないから」と選手らの前で、教員としてあってはならないことを大声で怒鳴り散らすという、競技経験の無い、ルールすら全く知らない監督教員もみられる。また、対話による正しい本質的問題解決よりも、一部分のみを一方的に責任転嫁して攻撃する管理職・教員もいる。このresearchmap自体すら、ブログやツイッターと個人的な書き込みと思い込み誤認した、研究という観点が全く欠如した校長や教員もいる。相手の話を全く聞かず一方的に話すということは「優位性の誇示」であり、自分の中にある「自己顕示欲と権力欲」が「真摯に聞くという態度を阻害」していることがある(齋藤孝・教育欲を取り戻せ!・生活人新書、なぜ日本人は学ばなくなったのか・講談社、コミュニケーション力・岩波新書その他)。学校管理職が「思い込み」から一方的に高圧的威圧的に相手を攻撃する場合の心理にも当てはまり、「組織として誤った判断や決定」にも陥ってしまう(学校の組織文化の改革こそ先決)。自己防衛や自己正当化・自己愛のため、相手を否認し無価値化して、自分の都合の良い方向にねじ曲げ、嘘をつく原因になった隠しておきたい出来事や行為に対する後ろめたさがある場合や、恐怖や恥も感じずに嘘をつくタイプもいる(片田)。相手の価値を低下させれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができるので、自分自身の価値を保とうとする。自分の能力に不安を抱いていて、自信の無い人ほど、他人を無価値化して、自分の価値を保つのである(片田)。部活動の外部コーチに対してすら、事実無根の一方的思い込み発言をする教員もいる。選手が中総体前日に、練習の帰り道で、自転車で転んで怪我をしたため、膝に包帯して翌日の大会に出場すると、コーチに向かって大会役員の教員が「練習のしすぎでねえの!」と大声で突然怒鳴ってきたため、そばにいた選手本人がすかさず「自転車で転んだだけです!」と返事して、危うくコーチの責任追及をされるところであった。「その包帯はどうしたんですか?」くらいの心配していることを感じられるやさしい表現ができないものなのだろうか? さらに、学校事務職員と名乗る人(氏名所属等不詳)が会計年度任用職員に対し、勤務日ではない日に「預金通帳の中をコピーして至急提出せよ」と携帯電話に連絡してくるということがあり、当時の新聞記事においても、「通帳のことを電話で聞かれたら詐欺と思って警察に相談してください」とあり、大変驚かされたこともあった。教員等の社会性や多面的思考力の欠落、人を攻撃せずにはいられず、平気で他人を傷つけ、事実無根の乱暴な名誉毀損にも当たるような威圧的発言が、教員や学校管理職にも、しばしばみられる。多様な価値観やものの見方があることを生涯にわたって常に学ぶ努力(多面的複眼的思考力・認知複雑性)が教員や学校管理職に特に求められる。教育には個人の社会化という大切な役割があるにも拘らず、それの役割を担う教員自身が、閉鎖的で狭い係りの中だけで長年画一的な「ムラ社会」「固定化したルーティーン」ともいうべき学校組織で、グローバル化と多様化に対応した「社会化」が培われているとはいえない(教育社会学的な観点の重要性)。最近の日本社会全体が、思い込みや固定観念でがんじがらめになっている。それらに縛られていると常識を疑うことができなくなり、本質を見誤ってしまう。本質を見極める力を高め、本物の思考力を磨くこと。日本人の考える力は世界最低水準。自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を述べることが、日本人はいかに苦手なのか(本物の思考力・出口治明・小学館新書)。なにか新しいことに挑戦して、思わしくない結果に終わったとしても、そのときは失敗した自分を責めるのではなく、「新しい一歩を踏み出せたなんて、なかなかのものだ」と自分自身を褒め、気持ちを高揚させること。後ろ向きな思いにとらわれることは、洞察力や観察力を低下させるという弊害もある。人生のさまざまな試練が訪れやすい高齢者の方こそ、楽天主義を徹底すべき(和田)。物事の一面しか見ない「単眼思考」はうつ病にもつながりやすく、さまざまなものの見方ができる「複眼思考」も心がけること。感情の老化とは、気持ちのコントロールが利かなくなり、自発性や意欲が失われていくこと。なんだかやる気が出ない、怒りっぽい、不安がぬぐえないなどが症状(和田)。感情の老化は、思考や感情を司る脳の前頭葉が加齢で縮むことが原因。心を老けさせないためには、日光浴やタンパク質の摂取でセロトニンを増やし、前頭葉を刺激する考え方や行動をすることが大切 (和田)。「物事を決めつけず悲観せず、どんなときもチャレンジ精神をもって行動すれば、前頭葉はいくつになっても活性化する。60代以降、体と脳は確実に老化するが、心は自分次第で若返りが可能。新しい体験や初めての感情が脳と心の若返りに役立つ。冒険心をもって、新たな世界に踏み出してみること。新しい体験を求めて、カルチャースクールに入る、SNSを始めるなど、興味はあるけれど少しハードルが高いと思っていることにも挑戦してみること。「いつもの方を選ばない」行動を積み重ねていくと、少しずつ前例踏襲型の思考がやわらぎ、未知のことを面白がれるようになる。気心知れた人とばかり接したり、安心できる環境にばかり身を置いたりしていると、柔軟性や応用力は磨かれず、クリエイティブな力も伸びていかない。固定化されたルーティンのなかに閉じこもっているばかりでは、脳の若返りのチャンスは得にくくなってしまう (和田)。自分が想定できる範囲でしか生きていなければ、新たな刺激を受けられなくなった脳は、どんどん衰えていってしまう。例えば、いつもと違う道を通ってみる、違うスーパーで買い物をする、地域のサークル活動に参加する、これまでとは違う音楽や本のジャンルに触れてみる、若者が親しんでいる文化にも触れてみることも大切。脳を若返らせたいなら、日常に想定外のことを増やすこと。慣れ親しんだ世界を飛び出して、新しい経験を日々に取り入れるという姿勢を大事にすること。脳の機能を取り戻す働きかけのひとつとして脳トレがあるが、この効果は限定的(和田)。もっと簡単で脳に刺激を与えることができるのは、会話とされる。会話は相手の話を理解し、瞬時に反応を返すという知的な行為。とくに自分の考えをまとめてその場にふさわしい表現で話すことは、衰えた前頭葉のよい鍛錬になる(和田)。好奇心の強さや「なんでもやってみよう」と思える身軽さは、脳の老化を遅らせ、物事の成功の確率も高める。とにかく、どんなことでもまずは挑戦してみようとする軽やかさが大切。まずは何事もやってみる、そんな精神で、脳と心を若々しく保つことが大切。後ろ向きな思いにとらわれ、うつむきがちに人生を送るほどに、脳の働きはしぼんでいってしまうという。ミスやトラブルをいつまでも引きずってくよくよしたり、後悔したり、そんなマイナス思考のままでいては、前頭葉は錆びつき、衰えていってしまうという。角度を変えて考えてみる。なるべく物事の明るい面を見つめ、楽観的に生きる。疑い深い人は、意外にも騙されやすくなる傾向がある。マイナス思考の人は、基本的に「他人はすべて悪」という考え方を持っているため、誰が詐欺師なのかを見抜けない。後ろ向きな思いにとらわれることは、洞察力や観察力を低下させるという弊害もある(和田秀樹)。現在はこれまでになく「変動性の高い社会」。このような社会でこそ、上記のような柔軟な思考と臨機応変な対応力は重要である。近年、感染症の世界的な流行、突発的な水害や地震といった自然災害、IT技術の進化による産業構造など、世界の構造はドラスティックな変化を起こしている。日本社会においても終身雇用や年功序列の崩壊などの変化が起きており、不確実で複雑、不透明で曖昧な社会情勢は、「VUCA時代」といえる。VUCAとは、Volatility変動性、Uncertainty不確実性、Complexity複雑性、Ambiguity曖昧性の4つの単語の頭文字をとった造語。変動性とは、価値観や社会構造の変化、テクノロジーの進化などによって、予測できないほどの大きな変化が起き得ることを意味している。これまでの常識が過去のものとなり、変化する状況に柔軟に対応できるか否かが、重要な課題の一つ。このように不確実性とは、将来の見通しを立てることが難しい状況のこと。複雑性とは、経済活動を中心としたグローバル化によって、地球規模で起こる課題が顕在化・複雑化していること。社会の変化によって今までの常識が覆され、あらゆる事柄に確実な最適解がない状態が通常となってきている。曖昧性とは、これまでの常識が通じない状態で、問題に対する絶対的な答えがなく、解釈の可能性が複数あることを意味している。このようなVUCA時代に対応することを目的に開発されたフレームワークOODAループとは、先入観や常識に捕らわれずに、客観的に観察すること (Observe)が大切。観察によって集められたデータと自身の経験や知識を組み合わせ、今起こっていることを分析して解釈し、前回の判断の誤りに気づき、状況把握(Orient)の段階で、前回の誤りを踏まえて新たな仮説を立て、次の行動を起こす。意思決定(Decide)には行動を起こすか否かといった判断を含み、どのような結果を求めるのかを確認し、取り得る行動の選択肢をできるだけ多く出し、最適で効果的であるものを選択する。行動(Act)をして得られた結果は次の観察の対象として評価され、状況把握を通して次の意思決定の判断材料となり、このようなOODAループは繰り返すことが特徴。予測困難な時代に組織として対応するためには、個人の情報収集能力、思考力、行動力のスキルを高めておくことが必要とされ、迅速な決断につながるOODAループなどのフレームワークを活用していくことが有効。変化の速いVUCA時代に求められる人材要件として、「これまでの価値観や知識だけでは対応できないことを前提に未来を創造できる」ことが挙げられている。複雑化した状況を肯定的に捉え「多様性を受け入れる」こと、自ら情報収集をして「分析できる能力がある」こと、時代に適応した能力やスキルを身につけるよう「学び続ける努力をする」こと、たとえ困難な状況であってもOODAループのような施策を使って「迅速な決定を下せる」ことが重要。経験したことのない問題が発生した際に、冷静に分析し最適な判断を下すスキルを身につけるには、「ロジカルシンキングや多面的視野、俯瞰力」など複数の要素が必要であり、物事を戦略的に考えて課題を解決していくコンセプチュアルスキルが必要。さらに、周囲とよい関係をつくり、それを維持し、業務をスムーズに遂行していくヒューマンスキルが必要。指導・育成によって組織を変えていく能力、他人の考えを引き出し理解する能力、自分の考えをassertiveなコミュニケーション(相手の意見も尊重しながら自分の意見や要望を伝える自己表現・率直、対等、誠実、自己責任の4原則)により伝えていく能力が求められている。VUCA時代という高い変動性を持ち不確実で複雑、不透明で曖昧な社会情勢を乗り切るためには、①情報収集力②問題解決力③意思決定力④コミュニケーション力⑤臨機応変な対応力を身につけ、組織も変化していくことが必要とされる。 VUCA の時代には、適切な解決策を導く能力が求められる。急激な変化に伴って、これまでのやり方や考え方が通用しなくなったとき、どうするか?明確な「正解」がない中でも、最善策を自身で探る能力が求められる。問題が複雑化したときにも積極的にコミュニケーションを取り、解決へ導けることが、不確かな時代には必要。「昨日まで常識だったこと」「あのとき成功したやり方」は、時と場所が変われば通用しなくなる。そのときに臨機応変に対応できるか否か。その能力が求められる。柔軟な思考と広い視野を持てば、突然のトラブルや予期せぬ事態を前にしても臨機応変に対応できる。VUCA 時代では、過去の成功にとらわれていたり、固定観念に縛られていては、取り残される可能性がある。そうならないようにするためには、常にイノベーションを創出する体制を整えておくことが重要。柔軟性のあるプロセスの構築や多様性のある人材雇用、チャレンジを後押しする文化など。異なる価値観を受け入れることが重要。1つの価値観に固執していては、変化に適応し、不確実な未来に新たな考えを見つけ出すことが難しくなる。コミュニケーションを通じて、多様な意見に耳を傾け、誤解やトラブルを避けるために丁寧で明確な対話が必要。日々、コミュニケーションを密に取り、問題が発生した際にも迅速に対処することが重要。学習指導要領はVUCA時代が想定されており、感性を豊かに働かせながら、どのような未来を創っていくのか、どのように社会や人生をよりよいものにしていくのかという目的を自ら考え出すことや、答えのない課題に対して、多様な他者と協働しながら目的に応じた納得解を見いだしたりすることなどが答申され、学校教育で実践されることが期待されている。加速度的に進展する情報化やグローバル化、あるいは誰も予測できなかった未曽有の感染症の流行にも対峙できる、たくましい児童生徒を育成することが、これからの学校教育には求められている。VUCA時代に求められる力の一つが適切な情報収集活用力であるが、膨大な情報の中から必要な情報を見つけて、目的に合わせて編集して活用する力が求められる。インターネットの普及により、誰もが場所を問わず無数の情報にアクセスできるようになったが、それらの情報は、必ずしも正しい情報とは限らないので、「読解力と自らの知識を働かせて情報の信ぴょう性を見極め、適切に活用する力」が求められている。「個々の多様性を受け入れる社会」が志向されている今、さまざまな国籍や価値観、文化、言語を持った人がいる中で求められるのが、正確な意思疎通ができる力。読解力はもちろん、異文化に対する知識を蓄積できているか、またそれを受容する感性を持ち合わせているかということもコミュニケーション力の大きな要素。コミュニケーション力は、対話や協働を通じて知識やアイディアを共有し、新しい解や納得解を生み出す力につながる。VUCA時代には、論理的な課題解決力が必要。変化が激しい社会では、これまでの方法論が通用しないことが少なくない。現在の状況を正確に把握して分析した上で、新しい解決方法を考え、根拠を論理的に整理し、物事の本質を見極めて思考することで、本当にこれでよいのかと、前提から疑う姿勢も生まれ、過去の事例にとらわれない解決策にたどり着ける。令和3年中教審答申で「次代を切り拓く子供たちに求められる資質・能力」の一つに「対話や協働を通じて知識やアイディアを共有し新しい解や納得解を生み出す力」が挙げられた。これからの学校教育には、VUCA時代をたくましく生きる児童生徒を育成することが求められている。教員から児童生徒への一方的の指導ではなく、迅速性や柔軟性を持った双方向性の教育であることが大切とされている。aggressive ではなく、assertiveなコミュニケーションが学校教育現場に(管理職・教員研修やアサーショントレーニング等)特に求められる。柔軟性や複眼的思考、会話の重要性・感情の老化と固定化したルーティーンの弊害・本物の思考力・洞察力や観察力の低下の要因・VUCA時代の対応力・多様性の受容・情報の精査と活用力・コミュニケーション力・VUCA時代をたくましく生きる児童生徒を育成すること・新しい解決方法を考え、根拠を論理的に整理し、物事の本質を見極めて思考すること・迅速性や柔軟性を持った双方向性の教育・assertiveなコミュニケーション等に関する教育社会学的学術調査研究の一環として
  • 年々少子化が進行しているなかで、不登校の絶対数が増加しているのだから、児童生徒に占める不登校の割合の増加は、絶対数以上に深刻。すぐに「パワハラだ」「モラハラだ」と指摘され、子供を指導できない教育現場の意識は、親の意識と表裏一体(香原)。現在の日本では、子どもに社会力をつけない、マナーを教えない親が増えている。子どもを健康な社会人に育てること。子どもに社会力をつけるには、まずコミュニケーション能力である。いろんな人との会話を苦手としない青年になるよう、大人たちやいろんなグループの人と交わる習慣をつける。複数のグループに居場所があれば、自殺したり、引きこもりになったりするリスクが下げられる。反社会的行動をしない大人になるには、いろいろなルールの存在を知り、それを守る態度を養うことが第一歩。親が、ルールをばかにしていたり無視していては、子どもも見習うことになる。親は繰り返し、社会のルールを教えること。親がしっかり人間として生きるルールを教えなければならない(坂東)。 
    2024年11月
    文部科学省が行った2023年度「問題行動・不登校調査」の結果、その数は34万6,482人と過去最多だった。しかも11年連続の増加で、前年度からは16%も増えた。10年前と比較すると、小学生は約5倍、中学生は約2.2倍だった。「年々少子化が進行しているなかで、不登校の絶対数が増加しているのだから、児童生徒に占める不登校の割合の増加は、絶対数以上に深刻」だということにもなる。どうして「適応できない子が増加している」のだろうか。①現在の教育現場は、児童生徒に対して昔よりはるかに「やさしくなった」(香原)。昔にくらべると現在は、教師の威厳が失われ、児童生徒の友達みたいになってしまったと指摘されているが、昔の教師たちは児童生徒を、怒鳴ったり、時に体罰を加えたりすることも含め、今に比べるとはるかに厳しく導いていた。 昔は学校に行かないという選択肢はなかった。以前、小中学校で日常的に受けていた指導には、いまならパワハラやモラハラとされるものも多いと思われる。現在では、子供たちを肉体的、精神的に追い詰めるような指導は避けるべきだという意識は、学校現場に周知されている。子供が少しでも「厳しい」と感じる指導は、すぐに「パワハラだ」「モラハラだ」と指摘されてしまうので、しばらく前から小中学校で、普通の指導さえもがまったくできないと、よく聞かされるし、実際、そう思うことが多々ある。「やさしい」教育とは本当の意味においても、果たしてやさしいのであろうか?冷たくなった?教師は教育者としての最低限の使命をも果たしていないのではないのだろうか?教育の質の低下では?②「子供を指導できない教育現場」。パワハラと指導の境界があいまいなので、子供に少しでも注意すると、すぐ「パワハラだ」と言われてしまう。学校でも問題になるし、保護者からもすぐ苦情がくるので、子供がしてはいけないことをして、「きちんと注意しなければならない場面でも、指導することができない」のが現実。子供にはまだ知識も経験もないのだから、違うことは違う、ダメなことはダメだと教えてあげないと、成長する機会を得られない。運動部活動で普通のルール指導すらできない状況にある。大声で騒ぐような子供を注意することもできなくなっていて、そういう環境が嫌いな子供にとっては、教室の環境は悪くなっている。子供の意思をできるだけ尊重するように指導されているので、なにかが嫌だという子に、無理にさせることがしにくい。嫌なことにも耐えるように、という指導ができない。「やらなければならないことはあるし、耐えて乗り越えなければならないこともある。自分で自分を律する方法をまだ知らない子供に律し方を教えるのは、教育の責務であるはずだが、いまの教育はそれを避けている」。その姿勢では、子供は学校で少しでも嫌なことにぶつかれば、すぐに通いたくなくなるのではないだろうか。 今の教育現場の意識は、親の意識と表裏一体となっている。頑張れなくなった子供が「学校に行きたくない」と言ったとき、「無理しなくてもいいんだよ」と親が答えれば、子供は不登校になってしまうだろう。異動や分掌・立場の変化、及び、経験のない慣れない部活動担当等の環境の変化に不適応によるストレスを抱えている教師。心身の疲労状態。学校全体が慢性疲労状態にあり、自尊感情が保てない状況。児童精神科医の現場報告(医学博士古荘純一児童精神科医)。中身の無い授業。教育の諦め。対話しない教員。保護者からのクレームを恐れ、教師として当たり前の生徒指導すらしない。ことなかれ主義や自己保身(林)(対話的な学びの喪失)。教員が疲弊し、病み、授業準備がおろそかになっている現状を放置する事は、学校教育の質の低下を見過ごすことと同じ。③2016年に成立し、2017年に施行された教育機会確保法の影響も考えられる。不登校などの理由で義務教育を十分に受けられなかった子供たちに、教育の機会を確保するための法律で、不登校が急速に増えているという状況を踏まえて制定されたもの。2015年度における不登校は約12万6,000人で、23年度とくらべれば3分の1程度にすぎない。むしろ、この法律が施行されてから、不登校は増加の一途をたどっているのである。 この法律のおかげで「学校に無理して通う必要はない」という意識が急速に広まったという指摘がある。この法律が安易な逃げ場になっているとしたら、この法律自体を見直す必要もある。 不登校の増加への対処法として、「子供たちにとって安心、安全な環境を作っていくことが大切」という指摘がなされているが、それ以前に、「どんな環境にも慣れ、また耐えられる子供たちを育成」しないかぎり、不登校は増え続けるだろう。「耐性のない子供が増加すれば、ひいては社会が立ちゆかなくなる」(香原斗志)。④いき過ぎた指導マニュアル・授業のマニュアル化・受験競争の早期化・無気力や不安の元凶とされる学校生活での息苦しさ(増田修治)。それぞれの小中学校では 、スタンダードと呼ばれる独自ルールをこと細かに設けている。中には、学校へ持参していい鉛筆は5本と指定していたり、自主勉ノートをやってこなかったら罰を受けると誓約書を書かせたりと、意味不明なルールも見られる。秋田県の学習規律では、1) 最後まで椅子に座ってよい姿勢で話を聞く 2)机の上に置くものの位置 3) 鉛筆の数(鉛筆の種類まで指定する教員もいる)4) 鉛筆の持ち方 5) タブレットの置き方 6) 板書の通りにノートをとる 7) ノートの色の使い方(問題を赤で囲む。まとめは青で囲むなど)。これだけ聞いても、秋田県の子どもたちが「がんじがらめ」にされていることがわかる。Aさんは「これでは、学校に行きたがらない子どもたちが増えても不思議ではないだろう。学力主義で「がんじがらめ」の学校が、不登校や長期欠席という副作用をもたらしている」と。不登校問題への取り組みが「遅れている」と県内の教育関係者に受け取られている。さらに、小中学校連携の共通スローガンは「自分から、目を見て、はっきりと、気持ちの良い挨拶」となっていて、「挨拶」の徹底した画一的な方法論のみの展開となっている。学校生活全体が「管理と同質化」が強化されていて、ストレスを発生させている学校文化を、教師たちが相変わらず誠実に実践し体現し続けている。教師の教育実践における「指導と評価」が、子どもに大きなストレスを与え、今日の子どもの危機を生み出す要因になっている(尾木直樹)。学校の校門の前で毎朝、登校してくる生徒みんなに管理職らが挨拶する(生徒が毎朝、元気良く挨拶することを求めている)ことが盛んであるが、「疲れている子どもや体調が悪い子どももいて、ますます心を閉ざしてしまうので、やめてほしい」と精神科医から指摘されている(児童精神科医古荘純一医学博士・日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか・光文社、不安に潰される子どもたち・祥伝社新書等参照ー学校現場や診療調査結果の豊富な具体的事例に基づく現状報告)。意欲はあっても学校の 「空気」になじめない子どもは多いとみられている。「みんなと同じを求められるのが苦しい」「頑張っても行けない理由がある。特別扱いしてほしいのではなく、少しでも個性や気持ちを分かろうとしてほしかった」とある不登校になった児童の背景が掲載された(秋田魁新報2024.11.10 頑張っても行けない、空気なじめない子も-全国小中学校不登校34万人)。「我々は他の人たちと同じになろうとして自分自身のほとんどを喪失してしまう」(アルトウール・ショーペンハウエル1788-1860ドイツ哲学者)。学校という集団の中での対面の音声コミュニケーションが苦手でも、非対面での文字によるチャットなら可能な子もいる。ひきこもった子供の中にはオンライン上で仲間をつくったり、ゲームやチャットが深夜に及び昼夜逆転の生活を送る者もいる。子ども部屋とICT端末を与えられた子どもにとって、自分の部屋が安全安心で快適な場所になっている(ICT社会の中の不登校と学業不振・東京大学先端科学技術研究センター中邑賢龍教授・令和型不登校をあきらめない・神村栄一・稲垣貴彦編・日本評論者)。日本の多くの学校では、答えに最短で辿り着く学びに重点を置いているため、児童が暗記に走りやすい指導法がマニュアル化されている。どうしてその答えになるのか、理由や原理を考えさせずに、教師が一方的に授業を進めていくやり方。日本の中学校教員については、「批判的に考える必要がある課題を与える」「明らかな解決法が存在しない課題を提示する」の項目において参加国平均と比べて顕著に低い(OECD国際教員指導環境調査TALIS2018報告書)。情報を鵜呑みにして覚えるから情報を吟味する、自分の頭で論理的に考えることに重点を世界の教育がシフトしていることを、日本だけがそのトレンドから大きく外れている(子どもが教育を選ぶ時代へ・野本響子・集英社新書)。教員不足が続く中、日々、現場の先生方は児童をめぐる問題や、授業で導入されるICT知識の勉強などに追われて、アップアップしている。学校自体が制度疲労を起こしていて、いずれ大きな改革が必要になる。その一つが、学びの改革。本来、学校は児童が暗記をする場ではなく、論理や思考法、感性を育てる場。自分自身の感性を磨き、他者が持つ感性の面白さを知る。正しさは複数あることを教える。日々の勉強に追われるストレスで暴力行為に走ったり、クラス内でヒエラルキーが低い子をいじめたりする子も出てきている。そうした中、子どもたちの間では、歪んだ自己責任論も流行している。勉強ができないのは自己責任、いじめられるのも自己責任。こうした自己責任論は大人の社会にも見られるため、それを見て育った子どもは何も言えない状態。大人の社会でも、効率性重視のビジネス競争、ハラスメントやいじめが原因で心を病んでしまい休職する人は多いが、それ以上のストレスを子どもは感じているのかもしれない(増田)。子どもを自立させること。「生活面だけでなく、経済的にも自立できる子どもを育てる事」は、社会の視点からだけでなく、人生設計にとっても不可欠である(坂東)。子どもの好きなように生きていくのがいいと思うが、「好きなことを仕事にするのはとても厳しいこと」。音楽でも、絵画でも、小説・文筆でも、それだけで自立するのは才能だけでなく強烈な野心、自負心、努力が必要。自分でビジネスを興すにも、大きなエネルギーと努力がいる。「何か成し遂げる人は、人の知らないところで努力している」。努力しないで成功する事はありえない。「好きなことを仕事にする厳しさ」をしっかり教えなければならない。近年は、別に嫌いな勉強をさせなくとも、将来は子どもが好きなことを仕事にしていけばいいのだからと親が考え、このような親の生活態度が子どもにそのまま伝わる。子どもの努力させるためには、「親自身が目標を持って努力していること」の大事さを、子どもに伝えなければならない。パリオリンピック卓球女子団体銀メダリスト平野美宇選手の母 平野真理子氏(三姉妹の母)は「目標としているものを得るためには、それ相応の努力が必要だ」と教えてきたという。「この大会で優勝したいなら、この練習をするといいね。この学校に進学したいならこのくらい点数が必要だね。そのためにはどうしたらいいかな」と、何が必要なのか一緒に考えることという。子どもが何の努力もしないのに親が褒めると努力しない子どもになる。そういう努力しない子どもが大人になったら、社会的に有用な人間になる可能性は低いと言わざるを得ない(和田)。坂東氏は、目標を持って努力することができない、自分に自信がなく、うまくいかないとすぐに諦めてしまう、自分で苦労することを嫌い、勉強しなくなり、まじめな努力をばかにし、就職してもすぐ仕事を辞める子も増えている。ひきこもりや定職につかない子供に対してどうすればよいのか。自立するためには一人暮らしをさせること。どういう分野に進みたいのか、じっくり見定めて、職業訓練を受けさせる、ハローワークに行かせる等、背中を押すこと。手に職をつけると自信になる。何度もうまくいかないと自信を失い、諦めたくなるが、パラサイトを継続させてはいけない。何とか励まして、就職させること。障がいや病気の場合は支え続けてあげなければならないが、そうでない子は自立させなければならない。成功するための方法論を自分で掴んだり学んだりして、それを自分で試し、実際に成功しないと真の自信にはならない(和田)。「人間としてたくましく生きていく体力、周囲の人と仲良く協力していける社会力」を身につけることが不可欠である。ニートや引きこもりになる青年たちは、夜更かししてパソコンやゲームで遊び、朝起きられなくなることがきっかけになることが多い。どんなに眠たがってもおこして、学校に遅刻させないようにする。そうすれば夜眠くなる。バーチャルな世界にはまっていないで、「現実の世界に興味を持つ、チャレンジする、少しくらい痛い目にあったり失敗しても、めげないエネルギーのある子」になるよう励まし、背中を押す。危険な目にあわないように、失敗しないようにと過保護にしていては、ひ弱な子になるばかり。ニートの多くは、気が弱く、失敗するとすぐに諦めてしまう傾向がある。子どもを甘やかし、親は自分の言うことを何でもかなえてくれると思うと、子どもは親を軽んじる。親の意見を聞かない、ばかにする、無視する。親を尊敬する、親の言うことを聞くことが大事で、親は友達ではない。「社会観、人生観までもが子どもと同じ未熟なレベル」に留まっていてはいけない。子どもと別な視点、一段広い視野、高い目線をもつこと。現在の日本では、「子どもに社会力をつけない、マナーを教えない親」が増えている。子どもを健康な社会人に育てること。子どもの頃に何の努力もせずに無条件でほしいものが手に入るような育て方をいつまでも続けていると、大人になってから社会に適応できず、ニートや引きこもりになる可能性がある(和田)。アドラーも、子どもが甘やかされて育つことに対しては批判的であった。子どもを甘やかす親は、子どもが社会の役に立つ一員となることを困難にしている(アドラー心理学の基礎・野田監訳・一光社)。努力なしに物事が思い通りになるような育ち方をすると、自分で努力して成功するという本来あるべき堅実な成功体験ができないので、本当の自信に繋がらない(人と比べない生き方・劣等感を力に変える処方箋・精神科医和田秀樹・SB新書)。「子どもに社会力をつけるには、まずコミュニケーション能力」である。いろんな人との会話を苦手としない青年になるよう、大人たちやいろんなグループの人と交わる習慣をつける。複数のグループに居場所があれば、自殺したり、引きこもりになったりするリスクが下げられる。反社会的行動をしない大人になるには、「いろいろなルールの存在を知り、それを守る態度を養うこと」が第一歩。親が、ルールをばかにしていたり無視していては、子どもも見習うことになる。「親は繰り返し、社会のルールを教えること」。やってはいけないことを叩き込まなければならない。万引きや傷害事件、ドラッグで人生につまずき、傷害事件を犯したら取り返しがつかない。犯罪を犯した場合の罰と、償わなければならない人生を、よくよく教える。子どもの幸せは親の幸せでもある。親でなくとも、青少年教育活動、ボーイスカウト等の場で学んだり、本を通じて考えさせたり、スポーツ少年団等の活動で学ぶこと。「人や社会の役に立つ人間になる」、世の中、楽をしてうまくいく、という生き方をしてはいけない、自分だけよくなりたいという考え方は、自分も周囲も不幸にする、なすべきことは苦労してでも成し遂げることに喜びがあるなど、しっかり伝えること。「子どもを健康な社会人に育てるのは、親の義務」である。「親がしっかり人間として生きるルールを教えなければならない」。ニートやフリーターになってしまった子どもには、厳しい訓練で導いてくれる禅寺での修行、農業での健康的な労働を経験させることなど、情報を集めること。今を丁寧に生きる、精一杯いとおしんで生きる時間を積み重ねること、今を切に生きること。限られた命だからこそ、生きている時間を、全力を尽くして味わうこと(賢く歳をかさねる人間の品格・坂東真理子・SB新書、女性の品格・PHP新書、70歳からのたしなみ・小学館その他)。「難しいからやろうとしないのではない。やろうとしないから、難しいのだ(セネカ」「ある程度の心配や苦痛、苦労は誰にも必要だ。船荷のない船は不安定でまっすぐ進まない(ショーペンハウエル)」「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望を持つ。大切な事は何も疑問を持たない状態に陥らないことである(アインシュタイン)」。不登校・適応できない子が増加している要因・やさしい教育現場・子供を指導できない教育現場・パワハラと指導の境界のあいまいさ・すぐ「パワハラだ」と言われてしまう学校教育現場・不登校の増加への対処法・耐性のない子供の増加・行き過ぎた指導マニュアル・授業のマニュアル化・子どもを自立させること・人間としてたくましく生きていく体力と周囲の人と仲良く協力していける社会力・ニートや引きこもりの要因・子どもを健康な社会人に育てること・子どもに社会力をつけるにはコミュニケーション能力・親は繰り返し社会のルールを教えること・自分で努力することの大切さ・本当の自信に繋げること・親が人間として生きるルールを教えることの大切さ等に関する教育学的学術調査研究の一環として
  • 文部科学省の調査結果で、秋田県内の国公立小中学校の2023年度の不登校者数は、前年度比381人(24%)増の1947人と過去最多に。 不登校の児童生徒数が増えるのは8年連続。小学校は前年度から164人(34%)増の644人、中学校が217人(20%)増の1303人。一方、秋田市立小中学校の不登校者数も毎年増加し、2023年度には過去最多の783人(小学校294人、中学校489人)に上り、2019年度と比べて約2倍に増加。意欲はあっても学校の空気になじめない子どもは多いとみられている。「みんなと同じを求められるのが苦しい」「頑張っても行けない理由がある。特別扱いしてほしいのではなく、少しでも個性や気持ちを分かろうとしてほしかった」とある不登校になった児童(秋田魁新報)。不登校は学校が変わらなければ解決しない問題である(近畿大学大対)。 
    2024年11月
    秋田県は、小学6年生と中学3年生を対象に毎年行われている全国学力テスト(全国学力・学習状況調査等)で、2007年の開始当初から連続してトップクラスの結果を出している。しかし、2023年度実施の全国学力テストでは、中学の英語で全国平均を下まわるなど、「トップ水準陥落」(2023年7月31日付Web版産経新聞)ともいわれたが、2024年度実施では小6・中3とも国語、算数・数学のすべてで(おおむね3年ごとに理科や英語が加わる)平均点を上まわり、「学力テスト全国トップクラスを維持」(2024年8月5日FNNプライムオンライン)と報じられた。文部科学省の調査結果で、秋田県内の国公立小中学校の2023年度の不登校者数は、前年度比381人(24%)増の1947人と過去最多になった。 不登校の児童生徒数が増えるのは8年連続。小学校は前年度から164人(34%)増の644人、中学校が217人(20%)増の1303人。千人当たりの不登校児童生徒数は小学校が4.9人増の17.5人、中学校では11.9人増の62.4人だった(秋田県内不登校過去最多ー多様な学びの場が必要ー秋田魁新報社説2024.11.15)。 一方、秋田市においても、2023年度の市立小中学校の不登校者数は783人(小学校294人、中学校489人)に上り、2019年度と比べて約2倍に増え、過去最高になったと明らかにした。全国の不登校児童生徒について小・中学校においては、「学校生活に対してやる気が出ない等の相談があった。」(32.2%)、「不安・抑うつの相談があった。」(23.1%)、 「生活リズムの不調に関する相談があった。」(23.0%)、「学業の不振や頻繁な宿題の未提出が見られた。」(15.2%)、「いじめ被害を除く友人関係をめぐる問題の情報や相談があった。」(13.3%)。さらに、公益財団法人「あすのば」の調査では、困窮世帯の小中学生のうち、「学校が楽しくない」と感じる子どもが28%に上ることが分かった。小学生の20.3%、中学生の37.8%が「授業が分からない」と回答している。「消えてしまいたい。学校に行きたくない」「塾に行けず学校でしか勉強できないが、授業が理解できないまま進んでしまう」という(秋田魁新報2024.11.15.困窮世帯小中学生「学校楽しくない」28%ー民間調査 経済支援の拡充必要)。特に、就学援助の受給率の高い学校の方が正答率は低い傾向が見られるという「経済格差と学力の問題」については、よりよい教育政策を導き出すことが大切である(尾木)。子どもたちの学力と就学援助率との間にはかなり高い関連性が見られ、地域類型別格差および都道府県格差に比べると、この学校間格差の絶対値は最も大きい。真に問われなければならないのは、家庭間での経済力(志水・全国学力テスト・その功罪を問う・岩波書店)格差の問題である。(子どもの貧困と学力・学習状況ー相対的貧困とひとり親の影響に着目して・国立教育政策研究所紀要・卯月由佳・末冨芳2015.144:125-140. )指導のためという名目で、政策のためにはほとんど使えていないテストが、毎年数十億円の税金で実施され続けてきた。何のために学力調査をするのか、どうすればよいのかを考える時期に来ている(川口)。「自ら学び、よりよく働き、人生を充実させて生きるためのリテラシー獲得」としての学力観への転換、一人ひとりが伸び続ける、主体的で意欲的な学習態度や学力の育成が求められている。「学びがい」から「生きがい」や「働きがい」という高次の欲求への昇華、「なぜ」、「どうして」の問いを大切にして、クリティカルシンキング力を鍛え、お互いの学力を向上させ、人格形成や人間理解力が高めることができる(尾木)。全国学力テストで、都道府県や地方自治体間、学校間の順位競争が煽られており、点数や順位を競い合うという競争主義や訓練的で対処療法的認知主義的学力観、テストの点数をあげる目的だけの学習観となっている。グローバリゼイションによって変化する世界各国共通の課題として①ポスト産業主義社会への移行・高度知識社会と生涯学習社会に対応した教育②多文化共生の教育③学校と教師の自律性④教育の平等の徹底⑤民主主義の発展と公共モラルの育成を求めてシティズンシップの教育(佐藤学他)。OECD各国がこのような課題に対して改革に取組んでいる時に、日本は全国学力テストで競争を煽っていて、授業内容や教員・学校・教育行政がテスト依存と競争信仰から脱却することが望まれる(尾木)。教育改革市民フォーラムのメッセージでは、子どもや教職員、保護者、地域住民みんなで共に学校を支えていこうという共同性が壊れ始めているとしている。全国一斉学力テストは、地方間・地域間や、地域内の学校間、学校内の子ども間・保護者間・教師間の学力競争へと競争原理を教育社会、学校社会の隅々まで持ち込んだ。このことによって本来、日本の学校に内在していた人間社会としての支え合い、認め合い、許し合う共同性を急速に喪失させてきている。学校内部も、校長・副校長・教頭・主幹教諭・指導教諭・主任などによる階層化、重層化が進み、子どもと向き合う教職員の、本来なくてはならない一体性、単層性あるいは同僚性さえもが失われてきている。秋田県で小学校の教員として働いているAさんが、「不登校の児童生徒がかなり増えているのを実感しています」という。不登校が増えている原因をAさんは、「学力トップクラスにこだわってきた学力主義にあると考えています」と。つまり、「不登校は学力主義の副作用」という。学力トップクラスを維持するため、小学校でいうと、重視されているのが学習規律である。これができない子は「落ちこぼれ」とみなされ、排除される方向になっているという。学習規律ができないのは学習障害があるからだというので、特別支援学級に行かされることも珍しくないという。秋田県の学習規律では、①最後まで椅子に座ってよい姿勢で話を聞く②机の上に置くものの位置③鉛筆の数(鉛筆の種類まで指定する教員もいる)④鉛筆の持ち方⑤タブレットの置き方⑥板書の通りにノートをとる⑦ノートの色の使い方(問題を赤で囲む。まとめは青で囲むなど)。これだけ聞いても、秋田県の子どもたちが「がんじがらめ」にされていることがわかる。Aさんは「これでは、学校に行きたがらない子どもたちが増えても不思議ではないだろう。学力主義で「がんじがらめ」の学校が、不登校や長期欠席という副作用をもたらしている」と。不登校問題への取り組みが「遅れている」と県内の教育関係者に受け取られている。意欲はあっても学校の 「空気」になじめない子どもは多いとみられている。「みんなと同じを求められるのが苦しい」「頑張っても行けない理由がある。特別扱いしてほしいのではなく、少しでも個性や気持ちを分かろうとしてほしかった」とある不登校になった児童の背景が掲載された(秋田魁新報2024.11.10 頑張っても行けない、空気なじめない子も-全国小中学校不登校34万人)。学力主義の副作用は、秋田県に限ったことではないという。秋田県の学習規律と同じような決まりが、全国の学校に急速に浸透しつつあり、過去問に多くの時間を割くなどのテスト対策を実施するなど、全国学力テストのランキングにこだわる姿勢も変わってはいない。学校行事等の日程調整等の苦慮、本来の授業の進度が遅れる、教師が正解のヒントを教える、子供同士のカンニングを黙認する、校長自ら試験中巡回して誤答を指差す、学校の成績には関係しないので真剣に取組まない子ども、テストの問題傾向に合わせた事前学習や模擬テスト、前年度のテスト問題の繰り返し練習、予想問題のトレーニング、テストの解答用紙に書く練習、対症療法的で訓練主義的なテスト対策学習、成績の優れない学校の校長がが教育委員会に呼び出され、学力向上を約束させられた、順位競争に目を奪われ目先の得点力アップが優先される、直面するいじめや校内暴力、学級崩壊、不登校等の克服や将来への希望を育む教育の後回し、不登校の生徒には実施日を教えない、孤独を感じるとうつ状態の子どもの多さ、成績の悪い生徒を休ませる、点数の取れない子の差別化、「虫けらのように勉強のできないヤツ」と蔑む歪んだ友達観と学習観、全国から注目された秋田県での「秋田詣で」と呼ばれた視察が相次ぐ、矛盾だらけの順位競争等、本当に学力向上に役立っているのだろうか(尾木)。これを教育破綻と呼ばずに何と表現するのだろうか(尾木)。何のために全国学力調査が必要なのか?どうしてもしなければならないという必然性が無いのであれば、少なくない時間(テスト対策によって通常の授業が遅れることや他の行事への影響、教員の負担が増加・子どもへの心理的影響)と予算(毎年数十億円)をかけてまで学力調査をする必要があるのだろうかという疑問がある(尾木直樹・全国学力テストはなぜダメなのか・岩波書店)。そもそも「学力テストで教育の成果を測る事はできない」という、学力テスト自体にに対する根本的懐疑論があるとされる。2020年現在で、全国学力テストを見直そうという動きがある(教育新聞・全国学力調査、廃止含め見直し検討 自民党教育再生実行本部)。日本の教育行政には、現状把握をする利点がない、現状把握をするという発想自体が無いという組織の構造的問題がある(川口)。数年単位(1年から最長7~8年)で異動することが当然となっている慣行と減点主義からくる問題があるとされる。指導の役に立つ悉皆実施の意識が、現行の問題だらけの全国学力テストを支えてしまっているとされる。日本の校長は、生徒に高い学力をつけさせていくことについて保護者からの期待や圧力を強く感じている(生きるための知識と技能 PISA2006調査国際結果報告書)。しかし、親は学力至上主義ではない。親が望む子どものイメージアンケート調査で、人の痛みがわかる人間になるが最も多く、学力をしっかり身につけるは最下位であり、健康な体をつくるが2位、その他、自立心、責任感、努力する子、社会のルールやマナーなどモラルを身につける、友人に恵まれる、がある(読売新聞世論調査2003や臨床教育研究所ー親の願いは学力よりも心・アンケート調査に見る学力要求の真相レインボーリポートvol.10)。回答者の親の多くは学力より心や自立心・モラルなどという人間性、人としての中身が重要と考えている。第一位の人の心の痛みがわかる人という願いの理由は、人間として一番大切、生きていく上で最も大切、一人では生きていけないから、よい友人が見つけられるからなどであり、他者よりも抜きん出るための競争ではなく、共に生きるために力を合わせる共創を願い、協力社会を望む親心が明らかになっている(尾木)。秋田県だけでなく、学力主義の副作用が、全国的に広まりつつある。学力主義に凝り固まった学校は子どもたちから敬遠され、存在意義を問われている。今年4月に開校した通信制の「さくら国際高等学校 秋田キャンパス」や高等専修学校の「秋田クラーク高等学院」への進学希望者は増えているという。「公立高校とは違う多様な学びができるコースが、そうした学校の特徴です」と、Bさんは説明する。学力主義の延長にある公立高校とは違う価値観を、子どもたちは求めているのかもしれない。それを、保護者も支持している。日本の教育と学校は、「学力」の意味を問い直し、どうしても競争させたい体質を考えなおすところにきている(前屋毅:ほんとうの教育をとりもどす(共栄書房)、ブラック化する学校(青春新書)その他)。支援にまず必要なのは、一人ひとりの個性を認めて受け入れること。信条、文化などが異なる多様な人々が存在する世界では、他者を尊重する寛容さが欠かせない。寛容な教育が実践され、すべての子どもがありのままに、伸び伸びと学び、成長できることを祈りたい(秋田魁新報;北斗星2024.11.16)と。最近の地域の中学校からの学校だよりにおいても、相変わらず「気持ちの良い挨拶ができるよう指導しています。」との画一的で一律の手段 (方法)が教育の目的化した指導方法が記載されており、グローバルな視点や急速に変わる世界で生きていくために何が本当に必要なのかを考えること、国際化や情報化、そして今後の社会や文化 の変化に対応する必要という観点、多様性、開放性、国際性を実現するにはどのような教育が重要なのか、子供たち自身がさまざまな選択肢を模索できること、生徒たちが社会人とのつながりを持てるよう支援すること、深い思考能力や生きる力等についての観点が全く欠落している。小中連携の共通スローガンは「自分から、目を見て、はっきりと、気持ちの良い挨拶」となっていて、「挨拶」の徹底した画一的方法論のみの展開となっている。学校生活全体が「管理と同質化」が強化されていて、ストレスを発生させている学校文化を、教師たちが相変わらず誠実に実践し体現し続けている。子どもたちは、学ぶ意欲は萎え、自立力をなくしている(尾木直樹)。来校者が学校内ではきちんと挨拶するよう、校長が学校便りで保護者らにも要望する(保護者らにも挨拶を強要する管理職・ほとんどの保護者は校長の顔すら覚えていない)。学校の校門の前で朝、登校してくる生徒みんなに管理職らが挨拶する(生徒が朝、元気良く挨拶することを求めている)ことが盛んであるが、「疲れている子どもや体調が悪い子どももいて、ますます心を閉ざしてしまうので、やめてほしい」と精神科医から指摘されている(児童精神科医古荘純一医学博士・日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか・光文社、不安に潰される子どもたち・祥伝社新書等参照ー学校現場や診療調査結果の豊富な具体的事例に基づく現状報告)。最近においても、中学校からの学校便りにも、生徒指導の具体的実践事項として「気持ちの良い挨拶をすること、気持ちの良い返事をすること、丁寧な言葉使いをすること、時間を守って行動すること、身だしなみを整えること、姿勢を正して話を聞く事、大きな声で校歌を歌うこと、決心した事は必ずやりぬくこと」等々、子どもたち全員に共通化した強制的で画一的指導の下、子どもたちは、不安や押し付けに押し潰されていく(古荘)。さらにこれらのモットーは、学区の4校連絡協議会で小学校と連携した共通の指導事項として徹底されている。疲れていて体調が悪く、大きな声を出せない子はどうするのであろうか。これらの指導がストレスと感じられる子どもたちも多くなってきている。「仲間はずれ・無視・陰口など暴力を伴わないいじめ」を「された経験」「した経験」がある、ともに9割という調査結果もある。「一人ひとりに寄り添った他者の気持ちを思いやる共感性の教育」が、これらのモットーには全く見られない。このような画一的な手段や方法のみが「教育の目的化」した本質的な教育理念のない表面的画一的指導が、いまだに行われている現状にある。教育効果があると思い込んでいる「思い込み業務」を洗い出すこと。例えば、「朝の校門での立哨指導」(登校する生徒と挨拶を交わしながら、服装や髪型が規則に反している子どもに注意する)等は、どれほどの教育効果があるのだろうか、そもそも何を目的としているのだろうか。朝のホームルームの時間に子どもと挨拶することと、正門に立って挨拶することの効果は違うのだろうか。当たり前に行ってきた業務が、当たり前ではないことを基本とすること。働く時間を短縮するより思い込み業務の中止を!(働き方改革時代の校長・副校長のためのスクールマネジメントブック・旧い方法ではもう教職員は動かない・新時代の学校経営哲学・玉置崇・明治図書)。教育理念ではなく、単なる「手段」や「方法」が絶対的価値があるかのような深い中身の無い皮相的教育観。本質を考えていない画一的管理主義教育観。外見だけではない、社会に出て本当に役立つ教育には何が大切なのかが問われている。挨拶や言葉使いや態度だけでは、到底社会で通用するはずがない。教師の教育実践における「指導と評価」が、子どもに大きなストレスを与え、今日の子どもの危機を生み出す要因になっている(尾木)。「教育の荒廃は、画一主義と硬直化がもたらした病理現象」であることを認識し、これまでの「画一性、閉鎖性、非国際性を打破し、多様性、開放性、国際性を実現する抜本的改革」を進めなければならないとしている(臨教審答申・筑波大学小島弘道名誉教授)。「画ーよりも多様性を、硬直よりも柔軟を、集権よりは分権を、統制よりも自由・自律を重んじる」ことが基本的考え方となっている。①個性重視②生涯学習への移行③国際化、情報化など時代の変化への対応の 3 つの改革を基本理念とされている。子どもの非行、校内暴力、いじめ、登校拒否、自殺などの問題行動や体罰、偏差値教育、管理教育などの「現代の教育荒廃症状の原因」が、学校教職員と学校指導者の姿勢や指導ス タイル、さらには学校経営のスタイルに根をもち、これらの総合的、抜本的な改善なくしては解決はありえないとする立場から、学校経営の在り方を教育改革の重要なテーマとし改革提言を行っている(小島)。教育の画一性と硬直性を打破するためには、「教育の個性化と多様化、選択機会の拡大を実現すること」が重要とされる(岡山大学教育学部北神教授)。「学校に行きたくなる」学校づくりを実現するポジティブ行動支援(令和型不登校をあきらめない・日本評論社)において、不登校は学校が変わらなければ解決しない問題であり、さらに教師の離職率や休職率が高まっていることについても、学校環境の問題であり、学校が変わらない限り改善されない。変わるべきは学校環境であり、学校環境が変わることで、子どもも教師も変わる(大対香奈子)。秋田県内不登校過去最多・経済格差と学力・全国学力テスト・学力主義の副作用・多様な学びの場・秋田県の学習規律・学力より心や自立心やモラル等の人間性・画一的な手段や方法のみが「教育の目的化」・多様性、開放性、国際性の実現・教育の画一性と硬直性・教育の個性化と多様化・選択機会拡大の実現・思い込み業務の洗い出し・学校環境等に関する学校教育学術調査研究の一環として
  • 教師の教育実践における「指導と評価」が、子どもに大きなストレスを与え、今日の子どもの危機を生み出す要因になっている(尾木)。秋田市の小学校教諭が児童5人に「ばか」「あほ」と不適切指導。無神経な言動が目立つ教員(朝比奈)。教員には、相手がどう思うかの配慮が足りない人がかなり多い。子どもや保護者へのトラブルは、相手がどう受け止めるかを考えた言動を教員が取れば減少する。管理教育の根本的な見直しをせず、相変わらずの処罰的な在り方では、教育の荒廃が深まっていくばかり(児玉)。学校生活全体が「管理と同質化」が強化されていて、ストレスを発生させている学校文化を、教師たちが相変わらず誠実に実践し体現し続けている。学校文化の肥大化とも受け止められる大人社会のいじめ・差別構造・人権侵害状況・反知性的状況が、そのまま子どもたちのいじめ・差別に反映している。子どもたちは、学ぶ意欲は萎え、自立力をなくしている(尾木)。 
    2024年11月
    教育基本法第9条にもあるように、教師は、「自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めること」が求められている。教育の本質は、「教師と児童生徒の人格的な触れ合い」にあり、知識、技術の伝達とともに、「教育を受ける者の人格の完成を目指してその成長を促す営み」である。いかなる過程を経て教職に従事することになるかに依らず、教育の直接の担い手である教師には、「絶えず研究と人格の修養に努めること」が求められている。同時に、教師の使命と職責の重要性にかんがみ、教師が教育活動に専念できるようにするため、その身分が社会的にも制度的にも「尊重され、待遇の適正が期せられること」が規定されている。また、「教師自身に不断の研究と修養を求めること」との表裏一体の関係として、国や地方公共団体等に、「修養と研修の充実が図られること」を求めている。学ばない教員・学べない教員・教え方を知らない教員・本を読まない教員・理念欠如型教員(残念な教員ー学校教育の失敗学・林純次・光文社新書)。無神経な言動が目立つ教員。教員には、相手がどう思うかの配慮が足りない人がかなり多い(朝比奈)。子どもや保護者へのトラブルは、「相手がどう受け止めるかを考えた言動を教員が取れば減少する」。秋田市教育委員会は、2024.10.24、市立小学校の女性教諭が10.18の昼休みに、体育館で上履きを飛ばして遊んでいた児童5人に対して「情けないですよ」「ばかですね」「あほですね」などの言葉を使って不適切指導を行っていたと明らかにした。その後、担任する学級の他の児童に対して5人の行為をどう思うか尋ねた上で「情けない」「恥ずかしい」などと言うよう求めた。女性教諭の指導について複数の保護者から苦情が寄せられたため、学校は10.23. に保護者会を開催。出席した保護者27人に対し、校長と女性教諭が不適切指導を認めて謝罪した。学校は再発防止策として、①女性教諭以外の教諭も授業中に学級に入ること②管理職が女性教諭と毎日面談し、その日の指導内容を聞き取ること③保護者がいつでも授業参観できるようすることの3点を10.24. から講じているという。女性教諭は、学校の聞き取りに対し「自らの言動について申し訳なく思っている」と話しているという。市教委は10.18. の事案についてまとめた事故報告書を県教委に近く提出する方針。市教委教職員室の須藤孝和室長は「教育者としてあってはならないことであり、児童と保護者に大変申し訳なく思う。校長会などあらゆる機会を通じ、不適切な指導の未然防止に努める」と話した。秋田市教育員会は、処分などについては、今後、県教育委員会に報告して判断を委ねることにしている。上履きを飛ばして遊ぶこと=「あほ」「馬鹿」というような一方的な決め付け、こだわり、硬直的で、ものごとを型通りに進めようとする偏狭的思い込み型指導は、到底理解されない。一方で、上記の①~③のような女性教諭個人の人権にも関わるような本人のみに対する処罰的で対症療法的で限定的な再発防止策ではなく、子どもたちが「自ら考える(当たり所が悪く怪我・事故はおこらないのだろうかと考えさせる等)」「主体的な学び、対話的な学び、深い学び(子どもたちが自ら危ないから皆でやめようと提案する等)」を踏まえた教育の実践等、子どもたちの情緒的幸福度を考えた生き生きと学校生活が送れるような(教員が頭ごなしに決め付けず)、自ら学校へ進んで行きたくなるような(子どもが主体的に学ぶ意欲をもてるように)、全教員に対する普段からの研修や啓発等、本質的で根本的な未然防止策が望まれる。教師の教育実践における「指導と評価」が、子どもに大きなストレスを与え、今日の子どもの危機を生み出す要因になっている(尾木)。「教育の荒廃は、画一主義と硬直化がもたらした病理現象」であることを認識し、これまでの「画一性、閉鎖性、非国際性を打破し、多様性、開放性、国際性を実現する抜本的改革」を進めなければならないとしている(臨教審答申・筑波大学小島弘道名誉教授)。「画ーよりも多様性を、硬直よりも柔軟を、集権よりは分権を、統制よりも自由・自律を重んじる」ことが基本的考え方となっている。①個性重視②生涯学習への移行③国際化、情報化など時代の変化への対応の 3 つの改革を基本理念とされている。子どもの非行、校内暴力、いじめ、登校拒否、自殺などの問題行動や体罰、偏差値教育、管理教育などの「現代の教育荒廃症状の原因」が、学校教職員と学校指導者の姿勢や指導ス タイル、さらには学校経営のスタイルに根をもち、これらの総合的、抜本的な改善なくしては解決はありえないとする立場から、学校経営の在り方を教育改革の重要なテーマとし改革提言を行っている(小島)。学校現場が活性化しなければいい教育はない、またはいい教育は生まれないという認識があったとされる。教育の画一性と硬直性を打破するためには、「教育の個性化と多様化、選択機会の拡大を実現すること」が重要とされる(岡山大学教育学部北神教授)。能力の選別・管理教育の根本的な見直しをせず、相変わらずの「処罰的な在り方」では、教育の荒廃が深まっていくばかり。子どもの姿は大人社会の反映(学校文化の肥大化)。大人社会のいじめ・差別構造・人権侵害状況・反知性的状況が、そのまま子どもたちのいじめ・差別に反映している。①一人ひとりの人間性を大切にできる②一人ひとりの個性を尊重できる③少数の人権を大切にできる④生徒と教師、生徒と父母、生徒と生徒、父母と教師のコミュニケーションをができる(学校内では教師どうしのコミュニケーション)⑤いじめを子どもたちの自立、自治の力で、教師・父母・生徒の三位一体の力で解決できる、これらが実現できるようになれば、「いじめの本質的解決」に繋がっていく(児玉)。「教員の心無い言動が、子供どうしのいじめ・陰口や噂話等にも繋がってはいないか、教師と生徒間あるいは生徒どうしの人間関係の荒廃や信頼関係の失墜」により、このことで「子どもの情緒的幸福度の低さ」の原因とならないか危惧される。教師の教育実践における「指導と評価」が、「子どもに大きなストレス」を与え、今日の子どもの危機を生み出す要因になっている(尾木)。不登校の状態にある小中学生は昨年度、34万人余りにのぼり、11年連続で増加して過去最多となったことが文部科学省の調査で明らかになった。小学生 10年前の5倍、中学生は2.2倍に増加している。不登校の状況としては「学校生活に対してやる気が出ない」が32.2%と最も多く、次いで「不安・抑うつ」が23.1%、「生活リズムの不調」が23%などとなっている。意欲はあっても学校の ”空気” になじめない子どもは多いとみられている。「みんなと同じを求められるのが苦しい」「頑張っても行けない理由がある。特別扱いしてほしいのではなく、少しでも個性や気持ちを分かろうとしてほしかった」とある不登校になった児童の背景が掲載された(秋田魁新報2024.11.10 頑張っても行けない、空気なじめない子も-全国小中学校不登校34万人)。「我々は他の人たちと同じになろうとして自分自身のほとんどを喪失してしまう」(アルトウール・ショーペンハウエル1788-1860ドイツ哲学者)。また、認知されたいじめの件数は、小学校が58万8930件、中学校が12万2703件、高校が1万7611件、特別支援学校が3324件のあわせて73万2568件で、前の年度よりも5万件余り増えて過去最多となっている。いじめによる自殺や不登校などの「重大事態」と認定された件数も380件余り増えて過去最多の1306件となり、4割近くの490件は「重大事態」と把握するまで学校側がいじめとして認知していなかったという。一方、自殺した児童や生徒はあわせて397人(2024年の小中高生の自殺者数は529人となり、統計のある1980年以降で最多となっている。警察庁自殺統計に基づく厚生労働省のまとめ。全体では、2万320人)で、過去3番目に多くなっている。このうちいじめの情報があったのは7人だったという。原因動機は、学校問題が最も多く272人、その中では「学業不振」が65人、「学友との不和(イジメ以外)」が60人だったという(2025.3.29秋田魁新報)。全国学力テストでトップクラスを続けている秋田県内で、国公立小中学校の2023年度の不登校者数も、1947人と過去最多になったという。細かな規律が苦しい子もいる。「正しさ」を押し付けるのではなく、子どもへの理解を深める必要がある(小学校教諭:秋田魁新報2024.11.1)。自殺率がほぼ毎年のように全国一位となっている秋田県における2021年の年代別の死因は、10代から34歳までの各年齢層で自殺が1位となっている(第2期秋田県自殺対策計画)。学校生活全体が「管理と同質化」が強化されていて、ストレスを発生させている学校文化を、教師たちが相変わらず誠実に実践し体現し続けている。子どもたちは、学ぶ意欲は萎え、自立力をなくしている(尾木)。女子中学生と女子高校生の自殺者の増加幅が大きく、健康問題、学校問題、家庭問題が主な要因。「これが絶対正しい」「これ以外は認めない」という強情さは、脳の老化を早めてしまう。年齢を重ねた今こそ、あらゆるものに関心を持ち、ちょっと歩み寄ってみるような素直さ、度量の大きさを持つことが大切。固定化されたルーティンのなかに閉じこもっているばかりでは、脳の若返りのチャンスは得にくくなってしまう。賢さの一つとして、柔軟性を持つことが大切。こだわりや決めつけが強く、物事を型通りに進めようとする人に比べ、思考が柔軟で、臨機応変に対応できる人は、一般的にボケにくくなる(和田)。学校における新たな地域の外部人材等に対して、教師が上から目線で、無愛想で気難しく、仏頂面で接することが多いのは、「不機嫌な鎧」を身につけていた方が賢く見えるのではないか、馬鹿にされたくないという歪んだ認識があり、自分が(対応)能力が無い、不慣れなことを隠したい、自分の領域を守りたいという自己防衛反応を示す(齋藤孝・不機嫌は罪である・角川新書)。新たな制度に社会人として当たり前の最低限の対応すらできず、少しでも何か指摘されると、自分の立場や縄張りへの不安感からひどく過敏になっていて、自分の領域を守るため、相手を否定して攻撃的になっている(ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人・梅谷薫・講談社)。自分は正しい立場から言っているという自分に都合の良い方向に物事をゆがめて考えてしまい(梅谷)、相手を怒鳴り散らすという社会性と法的視点(人権尊重意識)が欠落(モラハラ)している閉鎖的状況もある。感情的になる人は自分の思い込みにこだわる人(感情的にならない本・和田秀樹精神科医・新講社)。毅然とした威厳のある渋い態度で沈思黙考しているのは、知性がある証拠という間違った価値観があり、不機嫌な人ほど知性のパフォーマンスは低目(齋藤)という認識が無い状態。不機嫌な人は幼稚に見える・認知的成熟度が低い(和田)。コミュニケーションの基本は人の話を聞くこと。話す人が上の立場であり、聞く人が下の立場というコミュニケーションの権力関係に関する無意識の「思い込み」がある場合、一方的に話したり、人の話の途中で平気で自分の話しをしだすことがある(齋藤)とされる。運動部活動においても、大会で団体戦の後の円陣で、長年経験のあるコーチが選手らに話していると、突然、選手としての競技経験の無い監督教員がコーチの話を途中で遮り、憮然として大声で別の話をしだすことがあるが、このときの心理は、コミュニケーションの歪んだ思い込みがある現れ。部活動の練習開始前にも、コーチが中学校総合体育大会での敗戦の反省と今後の取組み姿勢、練習内容等を話していると、中学校の教員が突然、大声で「長い。練習始め!」と、たった10分程度の話を遮り、怒鳴り散らすこともあり、社会性や人間性が疑われる。さらには、あまりにも選手らのルール違反が多く、公認審判員(かつ、協会や教育委員会、機構主催の指導者研修を修了している者)として見るに見かねて、少しずつルールの説明を普段の部活動で説明していると、競技経験のない、ルールさえ知らない中学校監督教員が「ルールはどうでもよい!どうせ生徒審判でわからないから!」と大声で説明を遮ったり、「わからないからルールはどうでもよい」という教員としてあるまじき言動をする場合もある。監督は私であるというような、不機嫌パワーにより「威厳」をみせようとしている(不機嫌は罪である・齋藤孝・角川新書)。このような教員には、「賢く歳をかさねる人間の品格」(坂東真理子・SB新書)や「深みのある人がやっていること」(齋藤孝・朝日新書)「本当の大人になるための心理学ー心理療法家が説く心の成熟」(諸冨祥彦・集英社新書)「文脈力こそが知性である」「語彙力こそが教養である」 (齋藤孝・角川新書) 等の「読書」を心からお勧めする。自分の経験と「読書」を重ね合わせたものが教養になる(齋藤)。AI時代に重要性を増す「読解力」(国立情報学研究所新井紀子教授ー秋田高校創立150周年記念式典シンポジウム2024.9.3)。教員の社会性や人間性を向上させるにはまず、コミュニケーション能力が重要。相手を思いやるマナーや、人に不快感を与えない礼儀を身につけること、いろいろな人と会話が普通にできることが特に教員には求められる。人間の「深み」は、しばしば人とのコミュニケーションの場で感じられる。対話による正しい本質的問題解決よりも、一方的に攻撃する管理職・教員もいる。学校等における会計年度任用職員のような立場の弱い人に対して、相手の話を全く聞かず、一方的に話すということは「優位性の誇示」であり、自分の中にある「自己顕示欲と権力欲」が「真摯に聞くという態度を阻害」していることがある(齋藤孝・教育欲を取り戻せ!・生活人新書、なぜ日本人は学ばなくなったのか・講談社、コミュニケーション力・岩波新書、読書力・岩波新書その他)。立場の弱い人に対して、居丈高にならない人、謙虚で優しい人が人間としての「深み」が感じられる。例えば、店員さんや駅員さんらに向かって偉そうに振舞うとか、ぞんざいな口のきき方をするとか、自己顕示欲の発露のようで、たとえどれだけ肩書きが立派な人だったとしても、それだけで幼稚な印象になる(齋藤)。学校管理職が「思い込み」から一方的に高圧的威圧的に相手を攻撃する場合の心理にも当てはまり、「組織として誤った判断や決定」にも陥ってしまう(学校の組織文化の改革こそ先決)。自己防衛や自己正当化・自己愛のため、相手を否認し無価値化して、自分の都合の良い方向にねじ曲げ、嘘をつく原因になった隠しておきたい出来事や行為に対する後ろめたさがある場合や、恐怖や恥も感じずに嘘をつくタイプもいる(片田)。相手の価値を低下させれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができるので、自分自身の価値を保とうとする。自分の能力に不安を抱いていて、自信の無い人ほど、他人を無価値化して、自分の価値を保つのである(片田)。「自分の信念や判断が最良で絶対正しい」と主張して(多面的思考力の欠如)、他人の価値観を侵害する。攻撃欲の強い人は、価値があるのは自分の意見だけで、相手は抵抗せずに賛同すべきだと言う信念に突き動かされていることが多い(片田)。もし他人の考え方を尊重しようとすれば、自分自身の決断を変更しなければならなくなる。場合によっては、自分の落ち度、誤り、過失等を認めざるをえないかもしれない。そういう事態を避けるために、他人の考え方を一切考慮せずに防衛する。物事はいくつもの原因があっておきるもの。たった一つしか評価基準がない人は、その評価基準でしか自分を評価することができない。物事を複眼的に捉える思考訓練が必要(和田)。「学校の教職員組織は、同じような背景、経験、知識・技能をもった均一な集団ではなく、より多様な知識・経験を持つ人材との関わりを常に持ち続ける組織や、当該人材を取り入れた組織であることが、絶えず変化していく学校や社会のニーズに対応していく上で望ましい」(中教審)。教育の本質・教師の使命と職責・教員の言動の在り方・子どもたちのストレスの要因・学校教育の多様性、開放性、国際性・教育荒廃症状の原因・いじめの本質・子どもの情緒的幸福度の低さの原因・学校生活全体の管理と同質化の強化がストレスを発生させている・教師の教育実践における「指導と評価」の在り方等に関する学校教育学術的調査研究の一環として
  • 2024年10月
    ①家庭学習のための通信機器整備支援事業により整備したモバイルWi-Fiルータ等の使用状況について、令和4年10月19日付け 文部科学大臣宛てに、会計検査院法第36条の規定により、意見を表示した。インターネット環境が整っていない家庭のために自治体が国の補助金を使って購入した「モバイルルーター」について、会計検査院が検査し、6割以上(補助金相当額約10億2700万円)が一度も貸し出されていなかった。本来の目的である家庭学習に使われておらず、検査院は2022.10.19、文部科学省に対応を求めた。補助対象校の児童生徒が、学校教育活動の一環としてインターネットを利用して行う家庭における学習活動に必要となるインターネットへの接続機能を有するモバイルWi-Fiルータ等の可搬型通信機器の貸与を目的とした購入費を補助している。家庭学習用の通信機器整備支援事業におけるルーターの貸与状況について、約17万8,000台のうち、およそ63%にあたる約11万3,000台が未使用であることが会計検査院の調査で判明。検査院は2022.10.19、文部科学大臣に活用策を検討するよう意見を提出した。文部科学省は、公正に個別最適化された学びを全国の学校現場で実現させることを目的として、地方公共団体等に対して公立学校情報機器整備費補助金を交付。補助金の対象となる事業のうち 「家庭学習のための通信機器整備支援事業」において、2020年度~2021年度に新型コロナウイルスの感染拡大で休校となった場合でも家庭学習が継続できるようモバイルWi-Fiルーター等の購入費を補助していた。最大貸出率が50%未満の自治体が約8割に上る。希望者が想定より少なかったり、一部自治体が休校時以外の家庭学習を進めていなかったりしたことなどが要因。検査院は修学旅行や社会科見学といった校外学習などでの活用法も検討して自治体に事例を周知するよう文科省に意見した。ルーターは「GIGAスクール構想」で1人1台の配備を進めるデジタル端末などでの家庭学習を支援するため、インターネット環境を整えていない家庭に学校が貸し出した。家庭学習における使用を目的として整備したルータについて、納品から1年以上にわたって家庭学習において使用されていないものが多数あり、今後使用される見込みがないものも多数ある事態は適切ではなく、改善の要があると認めている。②会計検査院は、効率性、有効性等の観点から、補助事業により整備した学習者用コンピュータ(補助端末)は生徒に効率的に貸与されているか、生徒への貸与が見込まれない補助端末の活用が図られているかなどに着眼して検査した。その結果、令和6年10月15日、文部科学大臣に対し、会計検査院法第36条の規定により意見を表示した。「GIGAスクール構想の一環として公立学校情報機器購入事業等により高校に整備された学習者用コンピュータの貸与状況等について」国のオンライン学習促進策の一環として、低所得世帯などの公立高校生向けに調達された学習用端末の活用状況を会計検査院が抽出調査したところ、約9万5600台のうち3分の1が一度も使われていないことが2024.10.15、分かった。未使用の端末台数は補助金約12億7000万円に相当し、検査院は文部科学省に有効活用の方法を検討するよう求めた。全国の児童生徒1人につき1台の学習用端末を配る「GIGAスクール構想」の一環で、文科省は自治体に対し、タブレットなどの学習用端末のリースや購入経費を補助している。制度の要綱によると、奨学給付金の受給世帯など低所得世帯の高校生に貸与することが想定されている。貸与が低調だった自治体では、生徒が私物の端末を学校に持参できる「BYOD方式」や、学校指定の機種端末を生徒が購入する方式を採用しており、調達時の想定より貸与の希望者数が少なかった。文部科学省は、2019年度から「GIGAスクール構想」を推進し、全国の小中学校におよそ3000億円かけてタブレット端末などおよそ900万台を配備するとともに、高校についても、各家庭で端末を用意することになっている自治体には、家計が厳しく奨学金を受給している生徒などに貸し出す端末を購入するため、1台当たり最大4万5000円を補助している。会計検査院が、16の道府県と22の市町村の教育委員会が38億円余りの補助金を使って購入した合わせて9万5000台余りのことし4月までの利用状況を調べたところ、このうち34%にあたる3万2802台、補助金額に換算して12億7000万円分が一度も使われていなかった。会計検査院は、文部科学省に、税金を使って購入した端末を放置せず、ほかの用途での活用を検討するよう求めた。文部科学省は「指摘を踏まえて、生徒が所有する端末が故障した際の代替機として活用したり、指導者用の端末にしたりするといった活用策を検討して周知したい」としている。「GIGAスクール構想」をめぐっては、去年も、会計検査院が、公立学校の通信環境整備に使われた国の補助金が2億5000万円余り過大に交付されていたと指摘していた。以上の①②の指摘は、GIGAスクール構想でそれぞれ10億円以上の国家予算の補助金が一度も使われていなかった事例であり、他の文部科学省の補助金に比較して、驚くほどの杜撰さである。例えば競争的研究補助金では、通常では年に四半期ごとの報告書及び年度ごとの成果発表や分厚い報告書・論文・学会発表・特許・産学官連携の波及効果・社会的文化的学術的貢献・配分されたグループ内での毎月のような度重なる進捗状況報告会質疑応答等が求められる。補助金の必要性の背景や、どのように何のために何に使用され、どのような効果があったのか等、地方自治体・教育委員会・各学校の担当者等の文科省補助金(税金)に対する見識が大きく欠落していることを客観的に示している。秋田県では、教員のICT活用指導力や持ち端末帰り学習も全国平均以下であり、さらに令和6年7月7日時点で、MEXCBTを導入している学校の割合においても、秋田県は全国35番目であった。ペーパーテストでの全国学力テストでは、トップクラスを続けている秋田県では、ICT化が遅れていることが明らかになっており、従来の問題用紙や鉛筆による記入方式とは異なるコンピューター上で問題の提示、解答入力、採点作業などが行われる試験方式であるMEXCBTでの全国学力調査では、生徒児童はじめ、学校や教師自身が戸惑ってしまう事は間違いないであろう。アカウントの登録だけでは意味がなく、どのように、どの程度活用されているかが問われている。今年度の地域の学校だよりにおいては、ICT活用の推進として、集会・講話をリモートで行うことのごく初歩的なメリットが記載されているだけで、その他MEXCBT等については一切記載されていない現状にある。秋田県内の多くの学校では、従来型の教育にICTを付け加える程度の例が目立つ(秋田県立大・廣田准教授)。会計検査院の指摘を踏まえ、このような杜撰な計画・管理・運用に対する改善策や関係者の処分を含めた厳しい判断が求められる。文科省の調査に基づき、秋田県の教員は、デジタルコンピテンシーをしっかりと身につけ、ペーパーテストの点数を上げるための「紙の教科書志向」教育から、中教審の答申等を踏まえた、ICTを活用した主体的で対話的な深い学びを実現するために必要な教師力についての研修研鑽(研究修養)を深めることが強く求められている。2024.7.8秋田市教育委員会によると、秋田市内の中学校で、123人分の生徒の個人情報を全校生徒544人が閲覧可能な状態になっていて、今年4月以降およそ3か月にわたって、生徒が授業で使う学習用タブレットの共有フォルダで閲覧できたと報道された。当然のこととして、学習用タブレットでは個人情報を扱ってはいけないルールになっていたが、教員が、生徒や教職員が閲覧可能な共有フォルダに保存し、3ヶ月間教職員が誰も気付かなかったという。原因は、教員が生徒の個人情報を引き継ぐ時に、「ファイルの保存先を誤った」ためで、閲覧できた情報の中には、指導するうえで配慮が必要な生徒として、3年生192人のうち配慮が必要な123人分の氏名や学習状況、持病や障害など健康状態等が記載されていて、このうち48人は、特に配慮が必要な生徒として顔写真が添付されていたという。教員の個人的な単純ミスだけでは済まされない根本的な操作スキルの未熟性が推察される。2024.7.3. 保護者からの指摘を受けて発覚し、生徒が使う学習用タブレットで4月から3ヶ月間も全校生徒544人が共有フォルダで閲覧可能であったこと、保護者からの指摘でやっと気がついたことなどが報道された(教職員が生徒の学習用タブレットの共有フォルダを長期間誰もチェックしない。デジタル教科書購入費106億円予算計上活用状況調査等で、根強い「紙の教科書志向」や十分には活用されていないこと、少なくとも3ヶ月間以上、教職員がタブレットを充分には誰も使用していない・気がつかない状態であったことを示している)。文部科学省の調査で、秋田の教員のICT活用指導力は全国平均を下回る結果が示されてきている。閲覧した生徒が直接教員に指摘しない「関係性」にも疑問が残る。生徒も使っているタブレットで、「パスワード設定なしで重要な個人情報ファイルを共有フォルダに保存する教員の感覚」や「ICT技能、個人情報取扱の軽さ」等には驚かされる。秋田県教育委員会は2024.9.20、関与した30代の男性教諭2人を戒告の懲戒処分にした。管理監督者として指導監督に適正を欠いていたとして、50代の男性校長も戒告とした。一方、札幌市立中学校の内部資料とみられる書類がSNS上に流出した問題では、同市教委は2024.7.8日、50歳代の男性校長を減給10分の1(1か月)、20歳代の女性教諭を戒告の懲戒処分にした。GIGAスクール構想に関する会計検査院の指摘等に関する学校教育学術調査研究の一環として
  • 文部科学省が開発したオンラインの学習システム「MEXCBT」では、児童生徒が学校や家庭で一人一台の端末を用いて、オンライン上で学力調査や問題演習・家庭学習・定期テスト等に取り組むことができる。紙と筆記用具で行う試験とは異なり、動画や音声を含む問題を取り入れられ、児童生徒に合わせて問題の変更や個別の設定なども可能で、自動で採点できるため、受験者がすぐ結果を知ることができる。試験結果はデータとして蓄積され、児童生徒それぞれの習熟状況や学習の傾向を把握でき、その後の授業づくりにも生かせる。「現代の学校教育と教師(教科教育と学級経営編 ) 放送大学」教師の役割が変わるーTeachingからCoachingへ。ICT活用研究の推進ー「教師のリスキリング・教師の長期研修」鳥取県教育センターGIGAスクール推進課でミドルリーダー育成研修。 
    2024年10月
    日本の教育システムについて、時代遅れと感じる理由①「ICT化の遅れ」: 他の国々に比べて、オンライン授業やデジタル教材の導入が遅れていることが指摘されている。②「一方通行の授業」: 多くの授業が教師から生徒への一方通行型で、「生徒の興味を引き出す双方向型の授業」が少ないとされている。③「教育改革の遅さ」: 教育方針の変更や新しいカリキュラムの導入に時間がかかりすぎることも問題視されている。日本の特に、教育システムの時代遅れの象徴である①ICT化の遅れ対策として、「文部科学省が開発したオンライン学習システムMEXCBT(メクビット)」とは、児童生徒が学校や家庭でオンライン上で学習やアセスメント(評価)を行うことができる文科省の公的なCBT(Computer Based Testing)プラットフォームのこと。文部科学省(Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology)の略称「MEXT」とコンピュータを利用して実施される試験「CBT]の組み合わせがMEXCBTの名前の由来。このシステムは、GIGAスクール構想の一環として導入され、児童生徒一人一台の端末環境を活用して、学力調査やカリキュラムのカスタマイズ、コロナ禍や自然災害時にも学習を継続できるように設計されている。MEXCBTは無償で利用することができ、令和3年12月から希望する小・中・高等学校などの活用がスタートしている。令和4年度は3月28日から受付を開始しており、締切りは設けていないので、いつでも申し込みをして利用を始めることができる。MEXCBTは問題を解くことは可能だが、結果の閲覧や学習履歴が確認できないので、学習の振り返りをしたい場合は、学習e-ポータルの利用が必要。学習e-ポータルは、これらの学習データを管理し、画面に表示することができるので、教員による生徒の学習状況の把握なども行える。情報整理の点でたとえると、MEXCBTが問題を印刷したプリントの束、学習eポータルがそれらをまとめる書架やファイルに相当している。MEXCBTは、全国の小・中・高等学校で広く利用されてきており、授業や家庭学習、全国学力・学習状況調査など、さまざまな用途で活用されつつある。GIGAスクール構想により、児童生徒1人1台端末環境が整備されたことを踏まえ、児童生徒が学校や家庭において、国や地方自治体等の公的機関等が作成した問題を活用し、オンライン上で学習やアセスメントができる公的CBTプラットフォームである「文部科学省CBTシステムMEXCBT」の開発・展開が進められている。令和3年12月からは、希望する全国の小・中・高等学校等における活用をスタートし、令和6年5月現在、約2.7万校、約890万アカウントが登録されていて、普段の授業や家庭学習等をはじめ、全国学力・学習状況調査や地方自治体独自の学力調査等、幅広い用途での活用が推進されきている。しかし、秋田県では、教員のICT活用指導力や持ち端末帰り学習も全国平均以下であり、さらに令和6年7月7日時点で、MEXCBTを導入している学校の割合においても、秋田県は全国35番目であった。ペーパーテストでの全国学力テストでは、トップクラスを続けている秋田県では、ICT化が遅れていることが明らかになっており、従来の問題用紙や鉛筆による記入方式とは異なるコンピューター上で問題の提示、解答入力、採点作業などが行われる試験方式であるMEXCBTでの全国学力調査では、生徒児童はじめ、学校や教師自身が戸惑ってしまう事は間違いないであろう。アカウントの登録だけでは意味がなく、どのように、どの程度活用されているかが問われている。今年度の地域の学校だよりにおいては、ICT活用の推進として、集会・講話をリモートで行うことのごく初歩的なメリットが記載されているだけで、その他MEXCBT等については一切記載されていない現状にある。秋田県内の多くの学校では、従来型の教育にICTを付け加える程度の例が目立つ(秋田県立大・廣田准教授)。例えばほんの一例であるが、ろ過の仕方として、ビーカーやロート、ガラス棒やろ紙等、わざわざ、黒板にチョークで手書きで丁寧に描かれている図が、学校 HPの中に授業中の写真(生徒の発表資料)が掲載されているが、これもICT(デジタル教科書・動画)で実際にろ過している様子を見るよう指示すれば、この方がリアルで視覚で分かりやすく時間の節約にもなると思われる。文科省は今や、ICTを補助的に用いる程度のレベルを求めているのではないはずである。アメリカやフランス、スウェーデンなど、海外においても、CBT形式での学力調査が実施されており、国際学力調査のCBT化やGIGAスクール構想の推進等の流れも踏まえ、「文部科学省でも、 全国学力・学習状況調査のCBT化に向けた取組を推進」していて、令和3年度から試行・検証を開始している。CBTの利点として、①試験を効率化できる。CBTはコンピュータ上で行われるため、問題の変更や個別の設定が容易であり、採点作業も自動のため、迅速に結果を提供できる。②多様な問題形式を採用できる。CBTは、デジタル画像や音声を含む問題やシミュレーション形式の問題など、紙ベースでは難しかった形式の問題を採用することができる。③個々の児童生徒の学習進捗にあわせたサポートができる。CBTを実現するシステムには、個々の児童生徒の学習進捗を管理し、個別の学習プランやフィードバックを提供できるようになる学習支援機能が備わっている。④適切な教育方針の立案が容易になる。CBTを活用すると、個々の児童生徒のサポートに必要な情報だけでなく、システムに蓄積された試験結果や学習データから児童生徒全体の学習の傾向を得ることができる。今後どのような授業をしていけばよいのかなど、適切な教育方針の立案も容易になる。CBTは教育現場において効果的な評価手法として活用されつつあり、学習の質と効率を向上させるために重要なツールとなっている。児童生徒へのメリットとして、①自分のペースで学習を進められる。MEXCBTは児童生徒の学力や進捗状況を把握し、個別の学習ニーズに合わせたカリキュラムを提供している。児童生徒は自分の理解度に合わせて問題を解いたり復習したりなど、自分のペースで学習を進めることができる。②自分の成長をより明確に感じられるようになる。MEXCBTでは問題を解くと、即座に正誤や解答の評価が表示され、正解や誤答の理由を確認できるため、児童生徒は自分の成果や成長をより明確に感じやすくなる。また、どこを改善すれば成果が上がるのかも見えやすくなるため、学習への意欲がさらに高まることが期待される。③幅広い範囲の学びを楽しく深められる。MEXCBTには多様な学習コンテンツが搭載されており、教科やテーマに合わせた問題や学習資料が用意されている。また、なかにはデジタル画像や音声を含む問題やシミュレーション形式の問題もあり、さまざまな学習体験をすることができ、児童生徒は、幅広い範囲の学びを楽しく深められるようになることが期待されている。教員へのメリットとしては、①児童生徒の学習ニーズに合わせた最適な教材や問題を提供できる。MEXCBTには豊富な教材や問題があり、教員は教科や学年に応じてそれらを選択し、カスタマイズすることで、児童生徒の学習ニーズに合わせた最適な教材や問題を提供できる。②効果的な授業計画を立てやすくなる。MEXCBTを活用すると、各児童生徒の学習進捗や成績をリアルタイムに、かつ一元的に把握することができ、それによって児童生徒の弱点や改善点を把握し、効果的な授業計画を立てやすくなる。③自身の教育スキルを上げられる。MEXCBTでは教員自身も問題を解き、自己評価や学習の振り返りができる。また、教員同士のデータ共有や情報交換ができる機能もあり、教育に必要な知識の獲得や、授業の改善などにつなげられる。一方、学校の現状として、ごく最近の学校だよりにおいて、「ICT活用を推進する」とあるが、その中身は、ICTでのアンケート、集会や講話のリモート、振り返りの記入、生徒どうしの意見交換、学びのまとめでの利用の極めて狭い初歩的範囲内にとどまっている。「MEXCBT活用、e-ラーニング、ICTを活用したアクティブラーニング、プレゼンテーションソフトや学習用アプリ活用、電子黒板やWeb会議システム、スタディログ(テストの正答率、間違えた問題の間違え方、学習時間や学習回数等の記録)とライフログ、共有ドライブへのデータのアップロード方法や共有ファイルの権限設定やパスワード設定(個人情報漏洩対策)、持ち帰り学習等を含めた学習管理システムLMS(Learning Material System) などの日常的活用、教科書を実物投影機(書画カメラ)で効果的に拡大して大型モニタに示し、教師の質問・指示・説明等の授業レベルの向上工夫、WebサイトのURLを学級内で共有して他のグループが作成したWebサイトを閲覧し相互にコメントをつけたりする学習活動、協働的に作業を進め対話し主体的に学習に取組む工夫、すでに導入しているデジタル教科書や学習eポータル・学習用ソフト・AIドリル等の種類、ウェブ検索やウェブ会議システムによる海外や遠隔地の学校・学校外の人との意見交換や異文化交流等での英語教育への活用等がどの程度行われているか、遠隔授業やオンライン学習・インターネット活用による教室という枠の役割を越えて世界中の人や情報にアクセスして主体的対話的に学ぶこと(越境する教育実践)が行われているか、プレゼンテーションソフトや表計算ソフト・文章・表・グラフ・図などに分かり易くまとめる指導等が実施されているか、プロジェクタとタブレットのカメラを組み合わせた教師による教科書や資料の提示、クラウド上に保存された作品の評価、デジタルドリル等の学習履歴の分析、テストの成績管理等の校務支援システム・eラーニング等教育関連アプリの導入状況」等については、学校だより等に全く記載されておらず、教育へのICT活用が、文科省の進めている状況には程遠いことが示唆される。文部科学省2018.「教員のICT活用指導力チェックリスト」に沿ってのICT活用が、秋田県の教員では対応できていない(全国平均以下)。過去の国際的な比較においても、児童生徒に課題や学級での活動に ICT を活用させている教師の割合が低いとの結果が示されている。「現代の学校教育と教師(教科教育と学級経営編;放送大学)」において、教師の役割が変わるーTeachingからCoachingへ教師の役割が変化していることが示されている。「ICT活用研究の推進のため、教師のリスキリング」が重要であり、放送大学や修士課程への社会人・教員や教育委員会のからの入学、教師の長期(1年)研修が取り上げられた。鳥取県教育センターGIGAスクール推進課でのミドルリーダー育成研修等、秋田県でも大いに参考とすべき事項と考えられる。鳥取県教育委員会における GIGAスクール構想推進の実際(鳥取県教育センターGIGAスクール推進課 岩﨑有朋係長)GIGAスクール構想推進に関する鳥取県の取り組等が注目される。全ての児童生徒・教員にGoogleアカウントを付与し、Google Workspace for Educationを統一利用している。放送大学においても取り上げられた、ミドルリーダー育成研修では、教員のICT活用指導力向上を目指していて①ICT活用の基礎:デジタルツールの基本的な使い方や教育現場での活用方法。②実践的な指導法:具体的な授業でのICT活用事例や効果的な指導法の紹介。③情報活用能力の育成:児童生徒の情報活用能力を高めるための指導法等に関する研修を行っている。GIGAスクール構想の一環として、1人1台端末の活用方法や、教育の情報化に関する最新の情報も提供されている。全ての先生の向こうに児童生徒がいるという観点のもとに、児童生徒のためのGIGA端末だから、 それを使って彼らが自分の可能性を広げるために、教員の授業観を変える研修を企画・実施されてきている(誰も取り残したりしない研修体制を目指すとしている)。鳥取県学校教育情報化推進計画に基づくアクションプランが示されており、令和2年度からスタートしている。令和2年度にGIGAスクールチーム会議でっ体制整備(情報化進計画策定・共通アカウント発行 ・端末、NW整備 ・教員研修(操作中心)・授業実践(基本)令和3年度にGIGAスクール推進課創設活用初期(ICT機器充実 (教員端末等) ・教員研修継続(授業活用中心)・授業実践(日常的活用)令和4年度に活用定着期(教員研修継続(授業活用・発展) ・授業実践(日常的活用・発展)令和5年度に活用充実期(教員研修継続 (授業活用<発展) ・授業実践(日常的活用<発展) ・次期情報化推進計画に向けた検討)令和6年度には次期ステージ (新計画)となっている。社会とのつながりでは、①イノベーションのための学習スキル(創造性、批判的思考、コラボレーション等)②キャリアのスキル(順応性、自発性、異文化理解、勤労観等)③情報、メディア、テクノロジーのスキル(情報活用リテラシー・ICTリテラシー等)。下支えするスキルとして、映像撮影、タイピング、ネット検索、プレゼンテーション等のICT機器の操作スキル等。小学校から高校までの12年間の発達段階に応じた情報活用能力の育成を目指しており、知識・技能、思考力・判断力・表現力、学びに向かう力・人間性等の学びの実現を図っている。これらを参考として、文科省の調査に基づき、秋田県の教員は、デジタルコンピテンシーをしっかりと身につけ、ペーパーテストの点数を上げるための「紙の教科書志向」教育から、中教審の答申等を踏まえた、ICTを活用した主体的で対話的な深い学びを実現するために必要な体制整備と教師力についての研修研鑽(研究修養)を早急に深めることが強く求められている。文部科学省が開発したオンライン学習システムMEXCBT(メクビット)活用・文部科学省全国学力・学習状況調査のCBT化に向けた取組・文部科学省「教員のICT活用指導力チェックリスト」・教師のリスキリングと学校教育ICT化の現状等に関する学校教育学的学術調査研究の一環として
  • 日本の教育は「時代遅れ」との調査結果(フランス・イプソス 教育モニター2024)ー全体として「教員教育が不十分」との回答が36%で1位「時代遅れのカリキュラム」が31%で2位の結果。学校の外を知らない教師の教育だけでは不十分(遠藤)。学校は外界と遮断されている場所。時代遅れの教育と感じる理由①「ICT化の遅れ」: 他の国々に比べて、オンライン授業やデジタル教材の導入が遅れている。②「一方通行の授業」: 多くの授業が教師から生徒への一方通行型で、生徒の興味を引き出す双方向型の授業が少ない。③教育改革の遅さ。20世紀型の「正解に、より早く正確にたどり着く力」を身につける教育ではなく、21世紀は「答えが見つかっていない課題に対して、深く考え適切なアイデアを創出し、それに基づいて行動する力」を身につけなければならない。学校は「生徒たちが社会人とのつながりを持てるよう支援する必要」がある(Michael B. Horn)。教育の画一性と硬直性を打破するためには、教育の個性化と多様化、選択機会の拡大を実現することが重要(北神)。 
    2024年10月
    2024.9.18、フランスの世論調査会社イプソスによる、世界30カ国における教育に関する意識調査「イプソス 教育モニター2024」の結果が公開された。「あなたの国の教育システムが直面している最大の課題は何だと思いますか?」との質問に対して、全体として「教員教育が不十分」との回答が36%で1位。「時代遅れのカリキュラム」が31%で2位の結果となった。Z世代においては「時代遅れ」が1位との結果である。これらの結果から解釈すると、「日本の人びとは教員の質向上」を望んでおり、また学校教育には「将来のキャリアを拓くための教育」を望んでいる。「学校の外を知らない教師の教育だけでは不十分」であり、急速に変わる世界で生きていくための知識やスキル一式を学校で教えることが求められている(遠藤司)。子供たち自身がさまざまな選択肢を模索できるようにすること。「自分とは何者か」「何をしたいのか」「どのような形で世界に貢献し、世界を変えられるのか」を考えさせ、「生徒自身に進むべき道」を決めさせる。今や学校は知識を教えるだけでなく、「生徒たちが社会人とのつながりを持てるよう支援する必要」がある。「学校は外界と遮断されている場所」となっていて、「教師は他業界から隔絶された場所で働いており」、世界が急速に変化していることを必ずしも実感しているとは限らない。「生徒たちを社会人と交流させることの重要性」が高まっている(マイケル・B・ホーン;Michael B. Horn)。日本の教育システムについて、時代遅れと感じる理由①「ICT化の遅れ」: 他の国々に比べて、オンライン授業やデジタル教材の導入が遅れていることが指摘されている。②「一方通行の授業」: 多くの授業が教師から生徒への一方通行型で、「生徒の興味を引き出す双方向型の授業」が少ないとされている。③「教育改革の遅さ」: 教育方針の変更や新しいカリキュラムの導入に時間がかかりすぎることも問題視されている。20世紀型の「正解に、より早く正確にたどり着く力」を身につける教育ではなく、21世紀は「答えが見つかっていない課題に対して、深く考え適切なアイデアを創出し、それに基づいて行動する力」を身につけることが求められている。1984年に設置された臨時教育審議会では、「記憶に偏った詰め込み型、知識集約型の教育ではダメ」という主旨の議論がすでに行われていた。その答申には3つの点が記されている。第1点目には、「画一性、硬直性、閉鎖性を打破して、個人の尊厳、自由・規律、自己責任の原則、すなわち個性重視の原則を確立する」と明示されており、その後、「個性を大切にしよう」という空気が日本の教育界にじわじわと広がっていった。1996年には文部科学省下の中央教育審議会での答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」において、「これからの社会は、変化の激しい、先行き不透明な、厳しい時代と考えられ、そのような社会では、子供たちに生きる力をはぐくむことが必要」。「生きる力」とは「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力」であると解説されている。2002年「ゆとり教育」として始まった「総合的な学習の時間」は、能動的な学習へと転換することを目的として「思考能力を高めること」が期待されていた。しかし、古い学力へのこだわりが強く、「ゆとり教育で学力が低下した」等の批判が相次ぎ、試みは挫折した形になった。OECDの生徒の学習到達度調査など、国際学力テストで順位を落としたことをきっかけに、「ゆとり教育」への批判はさらに強まった。そのため、2008年告示の学習指導要領では「脱ゆとり」へと進んだ。「都合よくプログラミングされた人間」から抜け出すために、「記憶に偏った詰め込み型、知識集約型の教育ではダメ」と気づき始めてからすでに40年が経過している。その間、地域によっては記憶重視からの脱皮が試みられるようになってきたが、今なお多くの教育現場では数十年前とあまり変わらない教育が行われている。テストの正解は一つ。その点数で順位が出る。受験や進学の判断材料としてペーパーテストの結果や偏差値が相変わらず重視され、民間の教育機関、進学塾などでもその傾向は強い。放課後は小学生でも塾に行き、偏差値と試験の結果に一喜一憂しながら、問題を早く正確に解けるように訓練を受ける。親や教師からはできないことを数え上げられ、嫌いな教科や苦手なことを重点的に指導される。「僕はできない」「私はこれが苦手」という意識が積み重なり、学年が上がるほどに自己肯定感は下がり、無気力になっていく。学力によって切り分けられ、均一化した集団の中で枠から飛び出ることは許されない。空気を読みながら枠から出ないよう息を殺すことを覚える。時間を厳守し、指示通りに、文句を言わず、我慢して、ひたすら効率よく仕上げる人間を作り上げる。何かイレギュラーな場面に立たされると必ず大人に確認をとる。そんな「大人にとって都合のいい子」は、「古い企業の体質に都合よくプログラミングされた人間」。そのように育ってしまった人間ができる仕事は、遅かれ早かれ、すべてAIに取って代わられるだろう(太田美由紀)。日本の教育システムを改善するためには①「オンライン授業の導入と活用」:新型コロナウイルスの影響でオンライン授業が注目されたが、日本ではまだ教育におけるICT化が実質的に遅れている学校が多い。オンライン授業を効果的に取り入れることで、教育の質を向上させること。②「双方向型授業の導入」:現在の一方通行型の授業では、生徒の興味を引き出すことが難しい。教員が生徒に質問を投げかけたり、グループディスカッションを取り入れることで、生徒の積極的な参加を促すことが重要。③「英語教育とICT教育の強化」:日本の英語教育は文法と読解に偏っており、実際に使える英語力が身につきにくい。ICT教育も遅れており、生徒がビジネスの世界で必要とされるスキルを習得できていない。これらの分野を強化することで、「グローバルな視点を持った人材を育成する」こと。一方、最近の地域の学校だよりにおいて、生徒指導主事は「やがては地域を支える人材として活躍することを願っています。」や相変わらず「気持ちの良い挨拶ができるよう指導しています。」との画一的で一律の手段 (方法)が教育の目的化した指導が記載されており、グローバルな視点や急速に変わる世界で生きていくために何が本当に必要なのかを考えること、国際化や情報化、そして今後の社会や文化 の変化に対応する必要という観点、多様性、開放性、国際性を実現するにはどのような教育が重要なのか、子供たち自身がさまざまな選択肢を模索できること、生徒たちが社会人とのつながりを持てるよう支援すること、深い思考能力や生きる力等についての観点が全く欠落している。小中連携の共通スローガンは「自分から、目を見て、はっきりと、気持ちの良い挨拶」となっていて、「挨拶」の徹底した画一的方法論のみの展開となっている。学校生活全体が「管理と同質化」が強化されていて、ストレスを発生させている学校文化を、教師たちが相変わらず誠実に実践し体現し続けている。子どもたちは、学ぶ意欲は萎え、自立力をなくしている(尾木直樹)。来校者が学校内ではきちんと挨拶するよう、校長が学校便りで保護者らに要望する(保護者らにも挨拶を強要する管理職・ほとんどの保護者は校長の顔すら覚えていない)。学校の校門の前で朝、登校してくる生徒みんなに管理職らが挨拶する(生徒が朝、元気良く挨拶することを求めている)ことが盛んであるが、「疲れている子どもや体調が悪い子どももいて、ますます心を閉ざしてしまうので、やめてほしい」と精神科医から指摘されている(児童精神科医古荘純一医学博士・日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか・光文社、不安に潰される子どもたち・祥伝社新書等参照ー学校現場や診療調査結果の豊富な具体的事例に基づく現状報告)。最近においても、中学校からの学校便りにも、生徒指導の具体的実践事項として「気持ちの良い挨拶をすること、気持ちの良い返事をすること、丁寧な言葉使いをすること、時間を守って行動すること、身だしなみを整えること、姿勢を正して話を聞く事、大きな声で校歌を歌うこと、決心した事は必ずやりぬくこと」等々、子どもたち全員に共通化した強制的で画一的指導の下、子どもたちは、不安や押し付けに押し潰されていく(古荘)。さらにこれらのモットーは、学区の4校連絡協議会で小学校と連携した共通の指導事項として徹底されている。疲れていて体調が悪く、大きな声を出せない子はどうするのであろうか。これらの指導がストレスと感じられる子どもたちも多くなってきている。教師から注意され、クラスの中では「あいつ、校歌を歌っていない」等の陰口を言われかねない。「仲間はずれ・無視・陰口など暴力を伴わないいじめ」を「された経験」「した経験」がある、ともに9割という調査結果もある。「一人ひとりに寄り添った他者の気持ちを思いやる共感性の教育」が、これらのモットーには全く見られない。このような画一的な手段や方法のみが「教育の目的化」した本質的な教育理念のない表面的画一的指導がいまだに行われている現状にある。教育理念ではなく、単なる「手段」や「方法」が絶対的価値があるかのような深い中身の無い皮相的教育観。本質を考えていない画一的管理主義教育観。外見だけではない、社会に出て本当に役立つ教育には何が大切なのかが問われている。挨拶や言葉使いや態度だけでは、到底社会で通用するはずがない。全くの見ず知らずの人にも挨拶することを教員が他人(外部指導者や会計年度任用職員等)に強要することもあり、社会人としての常識を疑わざるを得ない。学校内で教員が、生徒に誰とは分からずとも誰にでも挨拶するように教育している。「挨拶すること」だけを絶対視して、「手段や方法が教育の目的化」した典型例である。学校は外界と遮断されている場所となっていて、教師は他業界から隔絶された場所で働いており、世界が急速に変化していることを必ずしも実感しているとは限らない。生徒たちを社会人と交流させることの重要性が高まっている(Michael B. Horn)。挨拶や返事・服装等だけでは実社会ではとても通用しない。「学校は、人が社会の中でよりよく生きていけるようにする」という本来の目的(本質)を見失っている(工藤勇一中学校長)。挨拶や服装等だけで、果たして社会で生きていけるのであろうか。本質を瑣末化・矮小化されていて、「深い学び」が管理職・教員にこそ求められている。校長が変わり、学校が変わり、子どもたちが変われば、社会が変わる。校長に変わる気が無いと学校は変化しない。校長が人々に害を及ぼすような人物であれば、その責任は大きく、今すぐ職を辞するべきである(校長の力 学校が変わらない理由 変わる秘訣・工藤勇一中学校長・中公新書ラクレ)。「深く考えない、読解力の乏しさ」が思考停止や間違った判断決定を招く(深い学びの喪失)(教育現場は困っている・榎本博明・平凡社)。従来の教育行財政全般にともすると見られがちであった過度の画一主義、瑣末主義(trivialism)、閉鎖性等を打破して、教育の実際の場での創意工夫による教育の活性化と個性重視の教育が実現できるよう、許認可、基準、助成、指導・助言の在り方の見直しなど、大胆かつ細心な規制緩和を進めること(臨教審答申)。教育の荒廃は、画一主義と硬直化がもたらした病理現象であることを認識し、これまでの画一性、閉鎖性、非国際性を打破し、多様性、開放性、国際性を実現する抜本的改革を進めなければならないとしている(臨教審答申・筑波大学小島弘道名誉教授)。「画ーよりも多様性を、硬直よりも柔軟を、集権よりは分権を、統制よりも自由・自律を重んじる」ことが基本的考え方となっている。①個性重視、②生涯学習への移行、③国際化、情報化など時代の変化への対応の 3 つの改革を基本理念とされている。「我々は他の人たちと同じになろうとして自分自身のほとんどを喪失してしまう」(アルトウール・ショーペンハウエル1788-1860ドイツ哲学者)。子どもの非行、校内暴力、いじめ、登校拒否、自殺などの問題行動や体罰、偏差値教育、管理教育などの現代の教育荒廃症状の原因が、学校教職員と学校指導者の姿勢や指導ス タイル、さらには学校経営のスタイルに根をもち、これらの総合的、抜本的な改善なくしては解決はありえないとする立場から、学校経営の在り方を教育改革の重要なテーマとし改革提言を行っている(小島)。学校現場が活性化しなければいい教育はない、またはいい教育は生まれないという認識があったとされる。教育の画一性と硬直性を打破するためには、教育の個性化と多様化、選択機会の拡大を実現することが重要とされる(岡山大学教育学部北神教授)。「コンピテンシー」とは、単なる知識やスキルの習得にとどまらず、不確実な状況における複雑な要求に対応するための知識、スキル、態度および価値の活用を含む概念である。個々の学びを続けるためのコンピテンシーは、①「自己管理能力」:自分の学習目標を設定し、計画的に学習を進める力。②「批判的思考力」:情報を分析し、評価し、適切な判断を下す力。③「創造力」:新しいアイデアを生み出し、問題解決に応用する力。④「コミュニケーション能力」:他者と効果的に情報を共有し、協力する力。⑤「適応力」:変化する状況に柔軟に対応し、新しい環境に適応する力。これらのコンピテンシーは、OECDの「Education 2030プロジェクト」でも重要視されており、「未来の社会で活躍するために必要な能力」とされている。2015年前後には、「社会のグローバル化や人口移動、気候変動、AIなどの技術的革新の動向」を受けて、これからの教育のあり方について、世界の国々での議論が盛んになった。「予測が困難な社会」を築く子どもたちにどのような力を育むべきか、そのためには学校教育はどのような方向を目指して、その制度や扱う内容、方法などを検討するべきか。これを背景としてOECDでは、「Education 2030プロジェクト」を組織し、30を超える国から、政策立案者や研究者、校長や教師、子ども、関係団体などが集まり、マルチステークホルダーとして協議された。その成果として、「2030年に望まれる社会のビジョン」と、「そのビジョンを実現する主体として求められる子ども像とコンピテンシー(資質・能力)」を構造的に整理して「OECDラーニング・コンパス(学びの羅針盤)」が提示された。「生きる力」を育むために「何のために学ぶのか」という学習意識を重視し、3つの力をバランスよく育むことを明示している。①学んだことを人生や社会に活かそうとする「学びに向かう力、人間性など」②実際の社会や生活で生きて働く「知識及び技能」③未知の状況にも対応できる「思考力、判断力、表現力など」。学習の基盤となる知識や技能を身に付け、それを活用しながら「思考力や表現力」などを高め、その原動力としての学びに向かう力を向上させていく学習活動は、コンピテンシーの獲得と強く関連している。教育実践の見方・考え方を変えるチャンスと捉えて、「主体的に学ぶ力や態度」などのコンピテンシーが、教師にも、学校組織にも求められている。教育に関する意識調査「イプソス教育モニター2024」の結果・「教員教育が不十分」と「時代遅れのカリキュラム」について・学校の外を知らない教師の教育の弊害・生徒たちが社会人とのつながりを持てるよう支援する必要性・学校は外界と遮断されている場所・教師は他業界から隔絶された場所で働いている・世界が急速に変化していることを実感していない教師・日本の教育システムが時代遅れの理由3点・深い思考能力や生きる力をはぐくむことの重要性・日本の教育システムを改善方法3点・地域を支える人材のみならずグローバルな視点を持った人材を育成する重要性・個々の学びを続けるためのコンピテンシー5点・OECDラーニングコンパス(学びの羅針盤)3点・教師にも学校組織にも求められているコンピテンシー等に関する日本の学校教育の関する教育学的学術調査研究の一環として