基本情報

所属
独立行政法人 国立高等専門学校機構 秋田工業高等専門学校 (名誉教授)
学位
工学博士(東北大学)
工学修士(東北大学)
学士(東北大学)

J-GLOBAL ID
200901035505883906
researchmap会員ID
1000143899

「未来を拓く次世代エネルギー開発」 ナノテクは21世紀をリードするキーテクノロジー!   秋田に、日本に、世界に エネルギーを!  「地域と経済」を自然エネルギーで再生!  ILCを東北へ! さらなる未知の世界・未来に向かって、原理を応用して人や社会に将来にわたって役に立つ研究技術開発を目指しています!  「爾今生涯」「常に俯瞰する視座にて」「明鏡止水」

1.色素増感フレキシブル太陽電池の開発 (創エネ!)
有機導電性フィルム上に酸化チタン系ナノ薄膜とその上に可視光に対する光吸収を高めるために色素(無機)をスパッタして高変換効率のフレキシブル太陽電池を開発。太陽エネルギーが拓く未来。宇宙太陽光発電とマイクロ波電力伝送を! 次世代エネルギーとスマートグリッド! スマートエネルギーネットワーク! Energiewende  !  自然エネルギー王国 秋田!
2.次世代パワー半導体SiCの電気的特性に関する研究 (省エネ!)
MOS電界効果トランジスタ等の次世代半導体SiCパワーデバイスに対するオーミック電極薄膜のため、低接触抵抗率の金属ナノ薄膜を半導体表面上に作製して、接触界面の電気的特性に対するショットキー障壁形成機構を研究。省エネルギー社会に向けたデバイス開発!パワーデバイスの更なる省エネ化! 山崎賞受賞
3.水素エネルギーに関する研究―電気自動車用高圧水素容器の開発 (畜エネ!)
円筒内部への同軸型スパッタリング技術。銅空洞内面への超伝導薄膜スパッタリング技術の応用。光触媒利用水素発生技術。HDPEへの水素透過性の低い弾力性薄膜作成技術。水素エネルギー社会に向けて!
4.RFマグネトロンスパッタ法による抗血液凝固性医療器具の開発 (医工連携!)
セリウム薄膜を耐熱温度の低い医療器具にコーティング。秋田大学医学部との共同研究(血液バッグ、人工透析器、人工心臓、人工血管等)へ高密着性のコーティング技術の開発。可視光応答型光触媒酸化チタン系薄膜による抗菌性の非耐熱性医療器具の開発。光触媒の製造技術特許。企業との共同研究。秋田県委託研究2件。国立高等専門学校協会日本の高等専門学校産学連携の推進に掲載される。健康寿命日本一へ! 抗菌殺菌清浄化技術研究会代表。プラズマでものづくりに革新技術を!
5.リニアコライダー用加速管の高電界化に関する研究     超伝導高周波国際会議プロシーディングス編集委員長  (高エネ!) (国際協力!) (共同研究)(賢エネ!) ILCを東北へ!
KEK等との協力。国際リニアコライダー計画の実現。高電界加速管の開発。超高真空システム技術。二オブ空洞内面の電解研磨と洗浄方法。超伝導高周波特性と表面処理技術。高温超伝導体薄膜の高周波表面抵抗。総合研究大学院大学数物科学研究科併任。極低温技術と高圧ガス安全管理。DESY客員研究員(HERA完成式典出席、ドイツ東西統一遭遇、ドイツでは「アザーノ」と呼ばれていた、銅空洞内面への超伝導薄膜の作製技術の開発)。CERN、TJNAF、INFN、Saclay、HEPL、CIAE、CESR(コーネル大学)等世界の加速器原子核研究所で発表。世界13カ国と国際交流協力。「無酸素銅拡散接合加速管の高電界化」でKEKと共同研究。KEKB用超伝導加速空洞縦型性能測定装置D10放射線発生装置管理責任者。高圧ガス製造保安係員、液体ヘリウム等製造施設、KEKBヘリウムガス精製液化設備、KEKB液化窒素製造施設。宇宙・物質の起源と進化のなぞに迫る! 高エネルギー加速器の挑戦は続く! 最先端技術の結集! ILCを東北へ!
6.JST「秋田県地域結集型共同研究事業」として「次世代磁気記録技術と脳医療応用技術開発」日本素材物性学会 山崎賞受賞 他(地域再生!) (地域連携!) (共同研究!)
あきた創生シーズ展開事業提案書、あきた産学官連携未来創造研究事業、真空製膜研究会副会長、抗菌殺菌清浄化技術研究会代表、新事業創出育成事業(ICR)代表、産学官連携支援事業、秋田県委託研究複数、国立高専教育改善プロジェクト産学連携分野代表、学科横断型プロジェクト研究代表「ナノテクノロジーを用いた次世代生産技術の創生」、「オゾンを応用した新技術開発」で大学や企業との共同研究で特許、秋田高専での共同研究第一号、大学医学部等との共同研究「高効率光触媒酸化チタン系薄膜の殺菌効果を医療器具へ応用」。マイクロバブル技術で大学機械工学科との共同研究、オゾン水技術。新成長産業可能性調査事業! 国立高等専門学校協会日本の高等専門学校産学連携の推進に掲載される、日本素材物性学会 山崎賞受賞及び校長賞2回 他。 ふるさと秋田元気創造プラン!、秋田の成長を牽引する企業の育成と成長分野への新たな事業展開! 地域新生コンソーシアム研究開発事業! 地域社会に密着した産学官連携事業! 「地域と経済」を自然エネルギーで再生!
7.未来を力強く切り開く「本当の学力」を育てる教育。力強く「生き抜く力」を支える心の育成。大学改革支援・学位授与機構特例適用専攻科における教育の実施状況等の教員審査合格、e-ラーニング日英合体版情報モラル教材受講修了、教職員のための情報倫理とセキュリティ修了、運動部活動指導員研修会研修修了。科学技術立国日本における半導体IC関連産業の人材育成の重要性(人材育成!) (教育理念!)(人間力育成!)
国立高等専門学校機構クラス経営生活指導研修会修了証書機構理事長より授与、国立高等専門学校機構―地域社会に密着した高等専門学校の産学連携に掲載、秋田高専―視野広い人材育成(河北新報に掲載)、国際的に通用する技術者の教育、「今、学生は何をなすべきか?」自ら学習する習慣、確かな学力、学びの風土構築方法等に関する教育研修修了、総合的な人間力、社会人基礎力、学ぶ意欲を育てる、国際化情報化社会における心の教育、情報セキュリティeラーニング最終テスト合格証、電気工学科を電気情報工学科へ改組(文部省より認可、3年かけて申請書160㌻・強電系の科目削減と情報教育大幅導入・電気電子情報系教育)、ICT情報教育、科学技術に学ぶ心の教育。インフォームドコンセント、アカウンタビリティ、コンプライアンス、教育機関におけるリスク、危機管理意識と風通しの良い職場づくり、生活指導上の危機管理、学校教育と法、学校の法的責任、生徒指導と法、秋田県教育委員会研修会修了、全日本卓球指導者合宿研修2回修了、運動部活動指導員研修会研修修了、教育のためのICT活用実践、さらなる未知の世界に向かって、原理を応用して人や社会に役に立つ技術開発を目指しています。かけがえのないこの「地球」を次の世代に残すために「科学技術」は、今、何をなすべきか? 公正研究推進協会RCR理工系コースカリキュラム修了証、 巨大加速器への挑戦!  宇宙誕生の謎に迫る!  宇宙創生の一瞬をつくる!
8.父浅野清東北大学教授(地質学古生物学、名古屋市出身、日本学術会議2期、現代愛知の百人、何事にも基礎が大切、1950年に525種を収録する「日本産第三紀小形有孔虫図録」を出版、古環境論/微古生物学上中下巻/古生物学Ⅰ/古生物学入門/地史学上下巻等(朝倉書店)地学概論(コロナ社)、微古生物学の進歩(1971)、矢部先生の思い出(浅野清 化石37.1985,p.21-24. 1953年地質学界で唯一人第12回文化勲章受章者矢部長克東北大学名誉教授)、浅野清先生を偲んで(化石46.1989,p.32-33.高柳洋吉)、「浅野清先生を悼む」『地質學雑誌』第95巻第6号、日本地質学会、1989年6月15日、505-506頁(斎藤常正)、東北大学理学部地質学古生物学教室小史(浅野清 地学雑誌93-6.1984.p.59-62他)、地学者列伝 浅野 清 -微古生物学の隆盛を日本にもたらした小形有孔虫の研究-(地球科学2005 年 59 巻 4 号 p. 279-283、高柳洋吉)、南鳥島北方の浅野海山(IHO/IOC 海底地形名集に掲載)、東北大学理学部自然史標本館浅野有孔虫コレクション(2万点を超える有孔虫標本)、日本で報告された新生代の小形有孔虫の新種約1000種の1/3が浅野による、パラオ(南洋庁熱帯産業研究所)・メキシコ・ニューブリテン島・ニューギニア・スマトラ・松川浦総合研究・フィリピン・台湾・ヨーロッパ・オマーン等のアラビア半島諸国・中東各国の石油資源開発と地質調査), PROGRESS IN MICROPALEONTOLOGY, SELECTED PAPERS IN HONOR OF PROF.KIYOSHI ASANO,The American Museum of Natural History,New York1976. 東北大学理学部地質古生物学教室同窓会ニュースNo.36,25-34.2005.小伝:浅野清(高柳洋吉著)、東北大学;研究第一・門戸開放・実学尊重・社会とともに、母薫(愛知県出身)の三男、3代にわたって東北大学卒業、妻 東北大学教授(腐食・防食の材料科学、原子力発電所の応力腐食割れ対策、金属のさびはどうして起こるか・長野県出身、異路同帰(淮南子)、鑑定人兼証人・銃弾等の科学捜査研究、発射された黄銅製弾丸の応力腐食割れ)の長女、1983-1986ミスター半導体・西澤潤一教授併任研究室所属(所長・3大学総長学長・文化功労者・文化勲章 受章者 電子工学1989・仲人)、東北大学創立100周年記念事業推進実行委員、東北大学電気通信研究所出身研究室からの論文で浅野清光の論文が被引用件数最多、モットー;いつも新しいことへの興味関心挑戦を続け、根底にある広い学術を通じて(多様な視点と本質を見極めて)人と社会と関わること(研究の種となる情報収集と研究成果の発信)、至誠通天、「過去から未来へ今日を生きる」、趣味 ; 卓球(公認審判員証)、読書、花の散歩道、芸術鑑賞、仏教美術、教育と心理学、温泉、専門分野に関係なく幅広く放送大学を学習する事、ドイツ運転免許永久ライセンス、ベルリンの壁崩壊東西ドイツ統一遭遇、NHKガイロクや空港ピアノ ・駅ピアノ・街角ピアノ・コズミックフロントの視聴、国際免許、ヨーロッパの教会建築・宮殿・城・庭園、図書館、ウォーキング


研究分野

  13

受賞

  9

委員歴

  24

論文

  127

担当経験のある科目(授業)

  27

MISC

  292

書籍等出版物

  43

講演・口頭発表等

  88

Works(作品等)

  101

共同研究・競争的資金等の研究課題

  36

学術貢献活動

  98

社会貢献活動

  113

メディア報道

  8

その他

  236
  • 文部科学省初等中等教育局児童生徒課児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査。2022年度のいじめ認知件数が小中高校などで68万1948件で、過去最高を更新している。小中高等学校から報告のあった自殺した令和4年度の児童生徒数は411人(前年度368人、文科省)で、原因や動機として多いのは学校問題。学校や教員が法律にのっとり、いじめを法律定義で捉え、場合や状況に応じて適切に対応することが大切。小さな芽のうちに気付いたら校内で共有して対応する。隠蔽して放置し、深刻化し、問題が肥大化するより前に、軽微ないじめでも記録として学校に残し、あとで深刻化した際にも、すぐに参考に出来るようにしておくこと。見て見ぬふり、放置をしないこと(川上)。弱い立場の人を意図的に傷つける人々がいる。独りよがりの正義、正義を振りかざして誰かを攻撃しても、後悔や反省もしない。些細なきっかけで自分より弱い相手に怒りの矛先を向ける「弱い者叩き」(片田)。 
    2024年7月
    令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果及びこれを踏まえた緊急対策等について(通知)と令和4年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要が令和5年10月に文部科学省HPで公表されている。2022年度のいじめ認知件数が小中高校などで68万1948件で、過去最高を更新している(文部科学省児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸問題に関する調査)。いじめを認知した学校数29,842 校 /36,366校で、1校当たりの認知件数 18.8件(前年度 16.8件)。学年別いじめの認知件数は、ほぼ全学年で前年度と比較して増加している。いじめ重大事態の件数は923件件(前年度706件)で、これも過去最多を更新した。うち、法第28条第1項第1号に規定するものは448件(前年度350件)、同項第2号に規定するものは617件(前年度429件)。第1号「いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑いがあると認めるとき」第2号「いじめにより当該学校に在籍する児童等が相当の期間学校を欠席することを余儀なくされている疑いがあると認めるとき」。文部科学省では、「いじめ防止対策推進法」第28条第1項のいじめの重大事態への対応について、学校の設置者及び学校における法、基本方針等に則った適切な調査の実施に資するため、「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」を平成29年3月に策定している。重大事態とは、子どもの生命や心身、財産に重大な被害が生じたり、長期の欠席を余儀なくされたりした疑いのあるケース。ほぼ毎日、一日に約2.5件のペースで、いじめの重大事態が新たに発覚している。発覚しただけでも5年前の2倍ほどになり、実態はもっと多い可能性さえあるとされる。認知件数の増加について文部科学省は「全国的に積極的に認知を行うように呼びかけている結果」としている。小中高生の自殺者数は、514人(厚生労働省2022年)、小中高等学校から報告のあった自殺した令和4年度の児童生徒数は411人(前年度368人、文科省)で、原因や動機として多いのは学校問題。学校や教員が法律にのっとり、いじめを法律定義で捉え、場合や状況に応じて適切に対応することが大切。小さな芽のうちに気付いたら校内で共有して対応する。隠蔽して放置し、深刻化し、問題が肥大化するより前に、軽微ないじめでも記録として学校に残し、あとで深刻化した際にも、すぐに参考に出来るようにしておくこと。見て見ぬふり、放置をしないこと(なぜかいじめに巻き込まれる子どもたち・川上・ポプラ社)。小中高校における暴力行為の発生件数は95,426件(前年度76,441件)であり、前年度から18,985件(24.8%)増加。児童生徒1,000人当たりの発生件数は7.5件(前年度6.0件)。小中学校における長期欠席者数は460,648人(前年度413,750人)、高等学校における長期欠席者数は122,771人(前年度118,232人)となった。小中学校における不登校児童生徒数は299,048人(前年度244,940人)であり、前年度から54,108人(22.1%)増加し、過去最多となった。在籍児童生徒に占める不登校児童生徒の割合は3.2%(前年度2.6%) 。過去5年間の傾向として、小学校・中学校ともに不登校児童生徒数及びその割合は増加している(小学校H30:0.7%→ R04:1.7% 、中学校 H30:3.7%→ R04:6.0%)。いじめ対応を最優先にできていない教員の基本的あるべき姿が見えてこない。いじめの認知力の格差、地域間の格差、学校ごとの格差、教員による格差があることは統計で明らか。約2割の学校がうちの学校にはいじめはない、いじめゼロだとしていることは、小さい芽のうちから摘み取ろうということなのに、芽の1つも見つからなかったということで、見落としや放置、いじめはない、よくあることとして、いたづらや単なるふざけとして、学校としての組織的認識の誤った考え方の存在が示唆される(学校格差)。最多の山形県と最少の愛媛県で約8倍の差があった(地域間の格差)。政令指定都市では、新潟市と岡山市とで、約23倍の差があった。新潟市では、「いじめ認知の増加は、学校・家庭・地域がいじめの定義を正しく理解し、どの学校、どの学級、どの子にも起こりうるという認識に立ち、いじめの兆候をいち早く把握する取り組みの成果」としている。一方の岡山市は「いじめを見逃すことはあってはならないことであり、認知の遅れはいじめの深刻化を招くものであるため、いじめはいつでも起こり得るものとして、学校に対して、常にいじめを積極的に認知するよう指導していく必要があると考えている。今後も他市の取り組み等も参考にしながら、積極的認知が進められるよう、結果を分析し施策につなげてまいりたいとと考えている」としている。不適切事例を検証し、良い事例をもっと共有すること。重大事態がなぜ発生したのか、どんな要因が発生に繋がったのか、未然防止策や再発防止策を徹底することが重要。阪根健二氏(鳴門教育大学名誉教授)は「地域によって対策の粗密があり、個々の教員のいじめに対する認知度も相違があるといえる。そのため保護者やメディアからの指摘を受けてから、慌てて介入する事例も少なくない」としている。いじめの重大事態の8割は、「冷やかし」や「からかい」等から発展している(総務省)。いじめの定義を限定して捉え、「悪ふざけ」や「じゃれあい」で問題ないと軽視したケースや、被害者本人が大丈夫と言ったのでいじめではないと判断したケースもあったようだ。初期対応が問題で、いじめ対応のスタートに立てなかったことが、重大事態に招くことになることを教員や管理職一人ひとりがきちんと認識することが大切(川上)。重大事態の約4割はいじめとしてすら認知されていなかった。学校が様子見をして対応を保留する中で、深刻化してしまったケースもある。いじめを認知していたのに状況が悪化したケースが多かった。教員があまりにも多忙でトラブル情報に気付けなかったのか、気付かないふりをしていたのか、勝手に好転するだろう、あるいはいじめではないと思い込んでしまったのか(川上)。「仲間はずれ・無視・陰口など暴力を伴わないいじめ」を「された経験」「した経験」がある、ともに9割という調査結果もある。いじめは特定の子どもたちの問題ではなく、多くの子どもたちが関わっている問題。いじめの内容は、「冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことを言われる」。「仲間はずれ、集団による無視をされる」。「軽くぶつかられたり、遊ぶふりをして叩かれたり、蹴られたりする」。「ひどくぶつかられたり、叩かれたり、蹴られたりする」。「金品をたかられる、金品を隠されたり、盗まれたり、壊されたり、捨てられたりする」。「嫌なことや恥ずかしいこと、危険なことをされたり、させられたりする」。「パソコンや携帯電話等で、ひぼう・中傷や嫌なことをされる。その他」。学校だけの問題ではない。弱い立場の人を意図的に傷つける人々がいる。いわば「学校文化の社会化や肥大化」ともみられるような事態も多々生じている。彼らは行き過ぎた正義を振りかざして暴走し、後悔も反省もしない。攻撃の矛先は、店員、透析患者、生活保護受給者、そして障害者にも及んでいる。なぜこうなるのか?独りよがりの正義に酔いしれ、正義を振りかざして誰かを攻撃することが、現在に日本社会でしばしば起こっている。その背景に、至るところに「怒り」が渦まいている。些細なきっかけで、自分より弱い相手に怒りの矛先を向ける「弱者叩き」も、日常茶飯事である(正義がゆがめられる時代・片田・NHK出版新書)片田珠美精神科医・京都大学大学院博士課程修了等(他人を攻撃せずにはいられない人・PHP新書、騙されない技術ーあなたの傍の嘘つきから身を守る方法・講談社等)。学校内で起こるいじめと同様で、強い者に攻撃されたいじめられっ子がさらに弱い者いじめをする、弱者が弱者を叩く弱者叩きの構造である。歪んだ正義感を振りかざす人、日本社会のゆがみ、溜め込まれた怒りが存在している。長年いじめと自殺に取組んできた児玉勇二弁護士によると、著書「いじめ・自殺はなぜなくならないかー司法と教育現場の連携による問題解決へ」(明石書店)のなかで、「いじめが解決できない原因として、国連子どもの権利委員会から何回も勧告されている過度の教育競争が解決できずに、ますます教育競争が激化していること」を挙げている。①高度に競争主義的な公教育制度のものでのプレッシャーが原因となって、いじめ、不登校、校内暴力、自殺などの困難が子どもに生まれている。②親及び教師などの子どもに接している大人との人間関係の荒廃で、これが子どもの情緒的幸福度の低さの原因となっている(児玉)。国立教育政策研究所の生徒指導進路指導研究センターも、「いじめの背景には、その原因となる要因(ストレッサー)等が存在することに着目し、子どもをいじめ課題に向かわせる要因として大きいのは、①友人ストレッサー②競争的価値観③不機嫌怒りストレスである。日本弁護士連合会子どもの権利委員会、国連から見た日本の子どもの権利状況2020.2.において、第4・5回総括所見で、日本政府へ勧告した。①いじめ防止対策推進法に基づいて効果的ないじめ対策を行うことや、いじめを防止するための方策を実施すること②社会の競争的性質により発達を害されることなく子ども時代を過ごせるよう、過度に競争的システムを含むストレスの多い学校環境から子どもを解放するための措置の強化。競争的学校システムが限度を超えて学校環境をストレスフルなものにしているとの認識が示された(川上)。児玉勇二「子どもの権利と人権保障ーいじめ・障がい・非行・虐待事件の弁護活動から」(明石書店)等の著書がある。また、2024.7.8秋田市教育委員会によると、秋田市内の中学校で、123人分の生徒の個人情報を全校生徒544人が閲覧可能な状態になっていて、今年4月以降およそ3か月にわたって、生徒が授業で使う学習用タブレットの共有フォルダで閲覧できたと報道された。タブレットでは個人情報を扱ってはいけないルールになっていたが、教員が、生徒や教職員が閲覧可能な共有フォルダに保存し、3ヶ月間教職員が誰も気付かなかったという。原因は、教員が生徒の個人情報を引き継ぐ時に、ファイルの保存先を誤ったためで、閲覧できた情報の中には、指導するうえで配慮が必要な生徒として、3年生192人のうち配慮が必要な123人分の氏名や学習状況、持病や障害など健康状態が記載されていて、このうち48人は、特に配慮が必要な生徒として顔写真が添付されていたという。2024.7.3.保護者からの指摘を受けて発覚し、学校側が確認したところ、15人の生徒が閲覧していて、いずれも外部に流出させてはいないと回答したという。学校側は、2024.7.8.朝、全校集会で生徒に説明して謝罪したという。保護者からは「生徒を中傷するような情報も書かれていたという話もあるが、学校側から納得のいく説明はなかった」と憤っていたという。生徒が使う学習用タブレットで3ヶ月間も全校生徒544人が共有フォルダで閲覧可能であったこと、保護者からの指摘でやっと気がついたこと(教職員が生徒の学習用タブレットの共有フォルダを長期間誰もチェックしない。閲覧した生徒が直接教員に指摘しない関係性)、生徒も使っているタブレットで、パスワード設定なしで重要な個人情報ファイルを共有フォルダ保存する教員の感覚やICT技能、個人情報取扱の軽さ等には驚かされる。2024.7.8夜、学校側が非公開で臨時の保護者会を開き、謝罪するとともに経緯などを説明した。これに対して保護者からは「閲覧できた情報には、生徒を侮辱するような内容があったという話を聞いたが、本当にあったのか」とか、「閲覧できた情報の内容も含めてそれぞれの生徒や保護者に示すべきではないか」などの質問や意見が相次いだが、学校側から明確な回答はなかったという。また、保護者が「生徒への聞き取りのあとに、口止めをしたのか」と質問したのに対し、学校側は「口止めはしていない。情報を言わないように協力してほしいと言った」と説明したという。参加した保護者の女性は「信用している先生にどうしてひどいことを書かれないといけないのか分からない。学校側は『これ以上言えません』という感じで、怒っている人がたくさんいた」と話していたという。学校現場の業務は、古くからの慣習が根強く残っているケースが多くみられ、一足飛びには変えられない状況にある。さらには、ICTやSNSへの過剰反応する学校・教員も多い(学校で初めてデジタル教科書使用やICT化担当を指示された教員のストレス・タブッレットを取り入れた授業への不慣れによるストレス、財務省デジタル教科書普及促進事業予算執行調査、教員自身が根強い紙の教科書志向、デジタル教科書購入費106億円予算計上活用状況調査、LINEやX、ブログ等への記載で、内容の深い検討や改善よりも、個人名は全くないにも拘らず、個人攻撃ではなくても生徒等を厳罰にする短絡的な学校運営(厳罰主義・教育より管理が第一の学校管理職・WEBそのもを罪悪視等)。一方、教員自身は、配慮が必要な個人情報資料(氏名・顔写真付)に、教員個人の思い込みや生徒が傷つくような中傷を多数書き込んでいて、後でファイルの置き忘れ(教室の教卓上や体育館等に置き忘れが報道されている)やUSBメモリの紛失事例多数、共有フォルダへの保存等で、その内容が明らかになっている。札幌市の中学校で、「低学力」「社会性に欠ける」「LGBTQかも」「ADHD的な面もあり(診断なし)」「周りから信頼がない」「学年で1番面倒な人」「低学力小3レベル」「クラスで1番幼い」「コミュ力低い」「ちょろすけ」「父親うるさい」「ケンカっ早い」「だらしない」など、教師からの誹謗中傷ともとられかねない内容が書かれていたことが明らかになっている。氏名、性別、成績、家族構成のほか、病気、障がい、忘れ物が多いなどの学校生活の情報、仲が良い生徒や悪い生徒の名前などの人間関係、さらには、どういう場面で不安を感じるか、思いが空回りして泣いてしまうことがあるなど具体的な生徒の性格などが書かれていたという。札幌市立中学校の内部資料とみられる書類がSNS上に流出した問題で、同市教委は2024.7.8日、50歳代の男性校長を減給10分の1(1か月)、20歳代の女性教諭を戒告の懲戒処分にした。発表によると、教諭は2024.4.10日、生徒の性格や家庭環境などを記した一覧表を体育館に置き忘れ、紛失に気づいた後も上司に報告していなかった。また、校長は個人情報の取り扱いについて教諭らに十分な指導をせず、「生徒や保護者を傷つけるような表現」が使われている点についても是正しなかったなどとしている。生徒・保護者には見られないところでは、思いもよらないような誹謗中傷・生徒や保護者批判や侮辱とも受け止められかねない内容を多数書き込んでいて、生徒・保護者からの信頼を大きく失うことになる。配慮が必要な生徒の情報の名のもとに教員は、個人的思い込みを多数書いている。部活動のコーチに対しても、中学校教員から「あいつは注意欠陥多動性だ」や「あの子はADHDではないか」と同意を求められ、「私は医者ではないので、分かりません」と返答したことがある。このような教員の心無い言動が、子供同士のいじめ・陰口や噂話等にも繋がってはいないか、教師と生徒間あるいは生徒同士の人間関係の荒廃や信頼関係の失墜により、このことで子どもの情緒的幸福度の低さの原因とならないか危惧される。教師の教育実践における「指導と評価」が、子どもに大きなストレスを与え、今日の子どもの危機を生み出す要因になっている。学校生活全体が管理と同質化が強化されていて、ストレスを発生させている学校文化を、教師たちが相変わらず誠実に実践し体現し続けている。子どもたちは、学ぶ意欲は萎え、自立力をなくしている(尾木)。児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果・いじめの認知・「いじめ、不登校、校内暴力、自殺など」の背景と原因・過度の教育競争がもたらす子どものストレス・教師の教育実践における「指導と評価」・今日の子どもの危機を生み出す要因等に関する教育学的学術調査研究の一環として
  • 2024年7月
    叱れば直る、うるさく説教すれば聞いてくれるという「思い込み」があって、その「思い込み」が強いので「現実」が見えない。自分自身がその思い込みからまず「脱却」しないといけない。自分自身が変われば、自分自身が、そして周りの人も「健康なパーソナリティ」になれる(劣等感と人間関係・アドラー心理学を語る・野田俊作・創元社)。「叱ると一時的には効果がある。しかし、本質的な解決にはならない。むしろ相手は活力を奪われ、ますます言うことを聞かなくなるだろう。」アドラー心理学は、精神的な健康、健康なパーソナリティをどのように考えているか。健康な人は「自己受容」をしている。自分の性格の長所の側、同じものの良い側を知っているということがあると、自分自身を受け入れることができるようになる。自分に自信ができてきて、自分の事が好きになる。「何が与えられているかが問題ではなく、与えられているものをどう使っているかが問題だ」(Alfred Adler1870-1937ユダヤ人精神科医・アドラー心理学の開拓者。オーストリアの精神科医、精神分析学者、心理学者。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。アドラーはフロイトの共同研究者であり、1911年にはフロイトのグループとは完全に決別し、アドラー心理学(個人心理学)を創始した)「我々がどのような性格を持っているかと言う事は問題ではなく、持っている性格をどのように使うかということが、本当に大切なこと」「重要な事は、何を持って生まれたかではなく、与えられたものをどう使いこなすかである」。自己が好きであれば問題はないかというと、それだけだと「自己中心的」になり、「思い上がって、エゴイズムになる」可能性がある。他人との関係性が大切で、他人を信頼する、自分の運命を信頼する、外側のすべてを信頼することが大切。他人と協力して力を合わせて生きていくしか人間が生きていく道はない。信頼に基づいて、不必要に競争をしないこと。競合的な人は勝てるときだけ参加する。競合的でない人は、他人が何をしているかを気にしないで、自分が何をすべきかを専ら考えるので、社会の激しい変化の中で、よりよく生き残ることができる(ルドルフ・ドライカース、アドラーの高弟)。日本人は、よく他人と自分とを比較する。「あの人に比べて私は劣っている」「あの人に比べたら私は優れている」という考え方をするが、これも競争の一種。他人に対する基本的な「不信感」、「自分に対する自信のなさ」の裏返しである。 「ほかの人の自分に対する評価は、その人の個人的な意見であり、自分の評価そのものには、関係しない」。アドラー心理学の「不健康なパーソナリティ」とは、他者からの評価ばかり気にする、自分の短所ばかり気にする、自分が嫌い(低い自己評価)、自分と他人を不必要に比較する、他者と競争する、他者に不信感を抱く(世界への基本的不信)、自分だけ特別に権利があると主張する、自分の考えを他者に押し付ける、自分の行動の責任を他者に押し付ける(無責任)、自分の要求を押し通す、自分の必要にしか対処しない(利己主義)、すぐに感情的に陥る、自分をも他者をも偽る(欺瞞)、他人の役に立つ「貢献感」をもつことがアドラー心理学の代表的なこと。「他人からの賞賛や感謝など求める必要はない。自分は世の中に貢献しているという自己満足で十分である」。無意識の思い込み・偏見によって発した言葉で相手を傷つけないためには「自分はこう思っても、相手は違う考えかもしれない、モノの見方・捉え方・立場の相違によって、異なった考え方があるかもしれない」と立ち止まってみることが大切。特に、立場が上位の人が部下に大声で注意したり、感情的に怒鳴ったり、一方的に偏った価値観を押し付けたり、歪んだ特権意識や正義感に捉われた発言をする場合には要注意。「普通は○○だ、普通はこうするはずだ」「こうすべきだ」と思ったときには、これは「誰にとっても当てはまることなのか」「ここだけの慣習になってはいないだろうか」「コンプライアンスや一般に法的にも通用するものだろうか」を広く客観的複眼的に考えてみること。多面的思考ができない人ほど、独りよがりの思い込みで断定的に決め付けることがある。「思い込み」を相手に押し付けないためには、「あなたはどう思いますか」と尋ねてみることが重要。自分自身への思い込みに気づくことで、自分の気持ちを大切にするだけでなく、相手への思い込みにも気づくきっかけになることもある。「相手も自分も大切にするコミュニケーション」で、周囲の人たちとの信頼関係が深まる。大切なことは共感すること。共感とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じること。人間は人をコントロールしようとしてはいけない。自らが行動し変わることで、周りの人も徐々に変わっていく。自分は何もせず人に指示ばかりしている人からは何も生まれず、人は自然と離れていく。カッときて自分を見失い怒鳴ったのではない。「相手を支配するため」に、怒りという感情を創り出し利用したのだ(アドラー)。アドラー心理学、アンコンシャス・バイアス等に関する心理学的学術調査研究の一環として
  • 2024年6月
    フロイト(オーストリア・1856-1939・精神分析)の人間観は、人間は無意識のリビドーによって駆り立てられる存在;人間の内部にある無意識のリビドーが人間に影響を与えていると捉えている。無意識に目を向けるべきだとした精神分析学の創始者。アドラー(オーストリア・1870-1937・個人心理学)の人間観は、人間の内部にある社会的な共同体感情に規制されている存在;人間の内部にある共同体感情が人間に影響を与えていると捉えている。「劣等感」という言葉を作り、個人心理学を提唱した。ユング(スイス・1875-1961・分析心理学)の人間観は、人間の内部意識にある集合的無意識で規制されている存在;人間の内部意識にある集合的無意識が人間に影響を与えていると捉えている。フランクル(オーストリア・1905-1997・ロゴセラピー)の人間観は、人間自分以外の外部にある意味のあるものや価値のあるものが人間に影響を与えていると捉えている。自分自身以外の意味や価値によって人間は動いている。人間は自分自身以外の客観的な意味や価値に牽引されて生きる存在であるとする。自分を越えた「何か」のために生きるときにだけ、真の幸福は訪れる。「自己超越は実存の本質である」として人間が自己を超越する存在であることを指摘している。「人生には、未来ですべき何かがある。待っている人がいる。そのために今、できることが必ずある」「あなたが人生に絶望しようとも、人生があなたに絶望することはない。何かや誰かのためにできることがきっとある。時があなたを待っている」「どんな時も、人生には意味がある。どんな人のどんな人生であれ、意味がなくなることは決してない。だから私たちは、人生の闘いだけは決して放棄してはいけない」「そもそも我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている立場であり我々が人生の答えを出さなければならないのです」「どのような状況になろうとも人間にはひとつだけ自由が残されている。それはどう行動するかだ」古典的心理療法学派4人の人間観に関する学術調査研究の一環として
  • 特定の視点への同一化、固定化(その視点からしかものを考えられなくなっていること)が未熟さの現れ。中高年の成熟は自己中心性を脱却すること。心が未熟な人ほど他人にリスペクトや承認を求める。クレーマーは他人に求める行動の極端な例。相手にしてもらいたいことをきちんと丁寧に言えないと、いきなりキレてしまう。そうすることでしか自己表現ができないところが、とても未熟な証拠である。やんわりと相手を傷つけないように配慮しながら、溜め込む非主張型でもなく、キレる攻撃型でもなく、自分の言うべき事、言いたい事は丁寧にきちんと伝えることができることが、「成熟した大人の作法」である。今は、「大人の物言いの作法」を身につけていない中高年が多すぎる(諸富)。知性とは、柔軟であること、様々なことに関心を持ちつなげていく、臨機応変な判断力を失わず、現実に柔軟に対応していく姿勢が大切。見識のある人の思考や判断は、必然的に「深み」があるものになる(齋藤)。 
    2024年6月
    “今”は、“過去”の‘実’であり、“将来”の‘種子’です。今、目の前にある現実は、過去に行ってきたすべての結果であり、変えようはありません。過去の瞬間の決断を後悔しても始まりません。気分が滅入ってしまうだけです。一方、将来起こるかどうかも分からないことに気をめぐらせて、不安に思い悩むことは無意味です。今の決断を鈍らせてしまうだけです。現実をありのままに受け入れて、今を一生懸命に行動するだけです。今の行動パターンは、過去の自分の経験の集積です。自分自身を信じるほかありません(本多光太郎)。表面的なプライドに固執する人には、本当の意味での自己肯定感がない。だからネットで叩かれるとすぐにへこんでしまう傾向がある。人から叩かれてすぐに逆切れするのも自己肯定感が低いから。自己肯定感が低いからこそキレてしまう。表面的なプライドだけが頑なにあることが原因。本当の意味での深い自己肯定感を持っている中高年であれば、たとえ多少ネットで非難を浴びたとしても、「こういう見方もあるのか。でも私にはこういうところもある」と言って、自分の中でバランスを取ることで傷ついたり落ち込んだりせずにすむ。これが成熟した人格の特徴である(本当の大人になるための心理学・心理療法家が説く心の成熟・諸富・集英社新書)。未熟な人ほど、他者からの評価を求める。逆に言うと「人格が成熟すると他人に求めなくなる」。他人に求めなくとも、自分で自分を認めているから、自分ひとりで立っていられる自立ということ。他人に何かを求めなくとも、十分に自立して生きていける。他人に褒めてもらわなくとも承認してもらわなくとも、自己肯定感を持って、自分はこれでいいのだという感覚を持って生きていくことができる。これがもてないということは大人としての未熟さの証(諸富)。人格が成熟した人は、自分の弱点をある程度見せても平気。もう少し自分のことを大切にしてほしい理解してほしいと言えないと、今度は相手を責めるようになる。その結果、クレーマーがものすごく増加している。クレーマーは他人に求める行動の極端な例。相手にしてもらいたいことをきちんと丁寧に言えないと、いきなりキレてしまう。そうすることでしか自己表現ができないところが、とても未熟な証拠である(諸富)。相手にも配慮しながら自分の思いや考えを伝える「assertion」という「自分も相手も大切にする表現方法」を身につけること。やんわりと相手を傷つけないように配慮しながら、溜め込む非主張型でもなく、キレる攻撃型でもなく、自分の言うべき事、言いたい事は丁寧にきちんと伝えることができることが、「成熟した大人の作法」である。今は、「大人の物言いの作法」を身につけていない中高年が多すぎる(諸富)。学校に理不尽な要求をするモンスターペアレントや、短絡的で歪んだ特権意識をもち、断定的に自分だけの正義感を一方的に振りかざして、徹底的に相手を罵倒する人権意識や法的認識が欠落した学校の管理職も多々見られる。今の日本では、外的な活動性ばかりに価値が置かれていて、「人格的成長成熟を重視する価値観」が育まれて来なかった(諸富)。大人が真に内面的に成長成熟した人間として心から満たされた人生を送ることが大切。「より広い視点」で複眼的多面的に物事を見る。他者の視点で物事を見られるようになる。中高年が成熟するためには、「自己中心性」をいかにして脱却するかが重要。典型的クレーマーは、「特定の視点に固定」され、その視点からしか物事を考えることができずにいることが「未熟さ」の現れ。「多視点性と寛容さ」が大人としての人格の成熟さの証(諸富)。知的であるという事は、柔軟であること。多くのことに関心が持てる人は、人生で味わえる喜びや楽しみが増え、それだけ人生に深みが増していく。つながり、意味が生まれるところには喜びがある。知性とは、様々な物事を繋げて考えられること「物事をつなげる力」。語彙力と共に、文脈力の大切さを意識して生活すること、連なる意味を的確につかまえる力が文脈力。文脈を的確につかまえる力、文脈をつなぐ力が文脈力。頭がいいとは文脈力、この文脈力こそが知性である(齋藤孝・文脈力こそが知性である・角川新書)。読むときにも文脈力が要求されるが、この場合は読解力。知性を磨く日々の習慣が大切。何かを読んでいて共感できる、自分を後押ししてくれる言葉と出会うことがある。引用(参考文献・多数の参考文献等に基づく学術的再構成等も)するということは、他人の知性を媒介にして自分の思っていることを表現できるようになること(学術論文も自分の考えや発見・創作等を引用や参考文献で客観的に考察を加え、論理的学術的に再構成している)。自分を後押ししてくれる言葉を沢山もっている人は、強力な援軍を持っているようなもの。心に響いた言葉は、引用という方法で積極的にアウトプットする癖をつけること(齋藤)。老い、病んでいくことで人格は成熟していく。加齢によって体力が衰えていることをきちんと検討して、現実の状況を正確につかむ「現実検討能力」が大切。体力や仕事量の低下は、人格の成熟にとって妨げにはならない。このことを受け入れられることが成熟には欠かせない。若い頃にはこのくらいはできたという感覚で、高齢になって衰えていることを自覚する。かろうじて希望を失わずに、老いの現実を少しずつ上手に諦めていく。自己責任のプレッシャーが中高年の孤立化に拍車をかけている。未熟な人ほど、人に頼れない。ほどよく依存・ほどよく自立が大切(諸富)。加齢によって人は多くのものを失うが、得られるものがある。それが「深み」である。老境に差し掛かる頃には、人の「深み」の差は歴然と表れる。見識のある人の思考や判断は、必然的に「深み」があるものになるはず。「俯瞰的なものの見方」をする習慣をつけること。様々な情報を統合し、分析し、全体像を複数の角度から考察し、自分の思考や行動に活かす事、インフォメーションをインテリジェンスに昇華することで「深み」のある人になり得る(深みがある人がやっていること・齋藤・朝日新書)。自分は一人でも生きていけるというのは傲慢な考え方で、辛い事があったら「辛いよ」と言って弱音を吐く力「援助希求力」が、中高年が現代を生き抜くために必要な力。これからの時代は、助けられ上手であることが中高年にとって必須。「人格の成熟」に必要な3点①「自分の人生に与えられた使命」ー明治時代の人々の方が、現代人のように自己中心主義、利己主義で生きている人よりはるかに幸福度は高かった(諸富)。原理的に人間の心は、自分のために生きるよりほかの誰かのため、「社会や世の中のために生きる」方が幸福になるようにできている。「人間というのは、自分の幸せを探究している間は幸せになれない。幸せは追いかければ追いかけるほど逃げていく。逆に、自分が取組むべき何かに我を忘れて取組んでいるとき、自分の人生に与えられた使命に我を忘れて取組んでいるときに、幸福は結果として、自ずと、自然発生的な現象としてやってくる」「どんな人間の人生にも使命が与えられている。自らの人生に与えられた使命に専心没頭して取組むことを通して、人間は初めて、本当の人生を生きることができる」「すべての人間には、その人だけに与えられた固有の使命がある。この自分だけに与えられた固有の使命という体験ほど、人間の魂を鼓舞し、精神を高く昇らせていくものはない」(フランクル)。②「深層の時間」ー本来の自己、自分という存在の原点に立ち戻って、自分の内側に深くに漂っている時間「深層の時間」をもつこと。NHK・Eテレ「ヴィクトール・フランクル」2024年4月より6回シリーズで放送中。絶望の淵に立たされたとき、「生きる意味」をどう見いだせばよいのか?ホロコーストを生き延びた「夜と霧」の著者、精神科医フランクルの人生と思想をたどる。「生きる意味」が見出せなくなっている空虚感は、常に鏡を見つめるように自分のことばかり考えてしまうからではないか。そう考えたフランクルは視点を自己の内側から外へ「人生が自分に何をしてくれるかではなく、自分が人生のために何ができるかを考えよ」と説く。フランクル思想の核心にある「コペルニクス的発想の転回」。勝田茅生さんと小野正嗣さんの対話によって「深層の時間」が持てる。③深く交流しあうことー交流の場の力が果たす役割は大きく、成熟した場の雰囲気の中に定期的に身をおくと、その人の心が育てられていく。自分の人生に与えられた使命、自分が生きていることの意味を問い、新たな気付きを得て、現実にもどって行動し始める。こうして人格の内面的成熟が進む。人に理解してもらえなくとも、自分には価値があるとわかっていること。「揺るがない自己価値観」があること、そこに心の余裕が生まれる。成熟した大人は、「自己を生きる、自分自身を生きる、自分らしく生きる人」である(諸富)。承認欲求と自己価値観は表裏の関係にある。「自己承認欲求の肥大化」が人格の成熟を妨げている。他者から承認されなくても、自己価値観が保てるのが大人。自己価値観が確立できていない未熟な人がなりやすいのがクレーマーであり、自己価値観が傷つけられているのを補うために、逆に誰かを罵倒し返す。相手の上に立って、罵倒し返すことで、何とか自己価値観の揺らぎを収めている。誰からからクレームをつけられていたら、「この人は自信がない人」「自己価値観の毀損をおぎなうために私にクレームをつけている、自分はそのための手段として使われているのだ」と理解するといい(諸富)。思いのほか起きる偶然の出来事によって「人生を豊かにする」5点①人生のすべての出来事には意味があるという考え方。あらゆる出来事や出会いに無駄なことはない。②偶然は自分の人生を豊かにしてくれるものという考え方。人生の流れの中で必然的な意味のあるものを選び取っている。③あなたを幸福にする偶然は、人生に対してある種の構えを取ることによって呼び込むことができるということ。私の人生にはいい出会いが待っているはずだという信念を持つことができれば、小さなチャンスや出会いにも目が開かれていく。④幸運をもたらす偶然は、意図し計画することができるという考え方。出会いそのものは偶然にもたらされるものであるが、いい出会いに繋がりそうな役割や場所を選択する事は自分自身で意図的計画的にできること。⑤そのように呼び込まれた偶然は単なる偶然ではなく、必然的な意味を持つ偶然である。取るべきアクションを起こした分だけ、起こるべき必然の出来事は生じ、出会うべき人との運命の出会いももたらされる。そういう構えを持って日々を生きることが大切。意味のある出来事は、自分自身の選択によって呼び込むことができる。「あなたの選択で人生は変えられる」(アドラー心理学)。運と縁に恵まれている人の共通点は、「人生で運ばれてくるものを大切にしている」ことである。私たちが内面から充実した日々を送ることができている時、毎日に張りがあると感じられる時には、それが仕事を通してであれ、趣味やボランティアや家族とのふれあいを通してであれ、自分がこの人生で与えられた「なすべきことをなしているのだ」という感覚や、「何かに役立つことができている」という感覚を持つ。フランクルとアドラー理論は、こうしたことが「心の本性」によるものであるということを示している(諸富)。(教師の資質・朝日新書、人生に意味はあるか・講談社現代新書、人生を半分諦めて生きる・悩みぬく意味・幻冬舎新書)。「今日行くと(教育と)、今日用があり(教養があり)、今日を生きる」「過去から未来へ今日を生きる」(浅野)。感動することをやめた人は、生きていないのと同じ。知恵とは、学校で学べるものではなく一生をかけて身につけるべきものです(アインシュタイン)。中高年期における人格的成長成熟を重視する価値観・知性や人間的な「深み」等に関する心理学的学術調査研究の一環として
  • 憲法21条1. 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。憲法11条国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。憲法12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。憲法13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。自由な意見表明と知る権利の保障が重要。事実の公共性、目的の公益性及び事実に対する真実性の証明があれば、名誉棄損で処罰されない(刑法230条の2第1項)。事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しない(最高裁大法廷判決昭和44年6月25日)。 
    2024年6月
    国際法における表明の自由ー世界人権宣言 第19条すべて人は、意見及び表明の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。Everyone has the right to freedom of opinion and expression; this right includes freedom to hold opinions without interference and to seek, receive and impart information and ideas through any media and regardless of frontiers. 憲法第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。思想・良心の自由とは、人の精神の自由について保障する自由権。思想・信条の自由。人間の尊厳を支える基本的条件であり、また民主主義の前提である(樋口)。信教の自由、学問の自由、表現の自由、言論の自由とつながるものである(樋口)。国際法では市民的及び政治的権利に関する国際規約の第18条、人権と基本的自由の保護のための条約の第9条として保障されている。精神の自由は、生命・身体の自由と並び、人間の尊厳を支える基本的条件であると同時に民主主義存立の不可欠の前提ともなっている(樋口)。思想・良心の自由は、それが宗教的信仰として表れるときは信教の自由、科学的真理の探究として表れるときは学問の自由、その外部への伝達として表れるときは表現の自由という形をとる(樋口)。何を思考し、また信じるかという内心的な自由はいかなる拘束・抑圧からも原理的には免れるという事実から、思想・良心の自由は表現の自由と不可分な関係にある(樋口)。「みんなが安心して暮らせる社会」を壊すようなものでない限り、「表現の自由」は認められている。この条文は国家権力側に向かって「あなたたちが気に入らないからといって、自分達を批判する内容だからと言って、その自由を制約することは認めない」ということも示している。国家権力側は、国民の私生活やプライバシーを侵してはいけない。憲法は精神的自由権を保障しているが、憲法21条が保障する「表現の自由」は、その中でも特に重要な権利の1つ。表現の自由とは、人の内面の精神作用を外部に出す「外面的精神活動の自由」。個人の精神活動にかかわる思想、信条、信仰、意見、知識、事実、感情という「一切のものの伝達に関わる活動の自由」で、「伝達方法が何か」は問われない。表現の自由が支える価値は2つ。①自己実現の価値ー「自己実現」とは、個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという個人的な価値。日々、自分の感じたことや考えていることを周りの人に話したり、SNS等で表現したり。このように、理想的な自分を目指して自分自身の人格を発展(成長)させ、自分自身を満足させていくには、「表現の自由」が大きな役割を果たしている。②自己統治の価値ー「自己統治」とは、言論活動によって国民が政治的意思決定に関与するという社会的な価値。よりよい社会・政治にしていくためには、充分な話し合い(調査、審議、議論全て含む)が必要。それぞれが考えていることを表に出しあい、それに対して批判したり見直したりして、反映させていく。その繰り返しでよりよい社会・政治に近づいていく。まさに、自分たちで政治を行うこと、それが民主主義。選挙によって「委ねて」はいるが、完全に任せるという意味ではない。政策に対して批判したり、意見を出したり、求めたり。政治家たちはそれを受け止めて見直して反映していく。そのためには、表現の自由がないと成し得ない。表現の自由が認められるという事。憲法21条1項が保障する表現の自由は、民主主義社会の重要な人権。自由で民主的な社会は自由な討論と民主的な合意形成によって成立するのであり、「自由な意見表明が真に保障されている」ことが必要。さらに、自由で民主的な社会が実現されるためには、「市民が社会に関する事実や他者の意見を正しく知ること」が保障されなければならないが、市民の知る権利の保障、特に権力に対する監視は、マスメディアの「報道の自由の保障」なくして実現され得ない。そこで、マスメディアは、報道の自由が「市民の知る権利」に奉仕し、権力を監視するために保障されていることに重要であることを再確認し、自らを規律するとともに、権力からの不当な干渉に動じることなく多様な報道を行う責務を担っていることを強く自覚すべき。NHKが公立学校教員の給与制度について「定額働かせ放題」とも言われる枠組みと報じたことに対して、文科省が初等中等教育局長名で「一面的」で「国民に誤解を与える」と抗議文を出した(2024.5.17)。この問題点は①報道の自由への侵害(文科省がNHK介入)②教師も教育研究者も使っている現場の実態を表現したもの③教員を増やして一人ひとりの教員の持ち時間数を減らすことの3点(尾木)。教員の多忙化は子どもの教育へ直結する。NHKは、「一面的という指摘は当らない、不偏不党の立場を守りながら公平・公正・自主・自律を貫いていくということに変わりはない」とした。憲法第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信に秘密、これを侵してはならない。「言論・表現の自由」は、放送や報道の内容について自由に表現・健全な環境において、情報を自由に取捨選択する権利、情報に等しくアクセスする権利及び情報教育を受ける権利がしっかりと保障されてこそ成り立つもの。近時のインターネットの発展と普及により、これまで情報の受け手にとどまっていた市民が、社会に対して広く情報発信を行うことが可能となりつつある。インターネットが民主的な世論形成の重要な手段の一つであることは誰しもが認めるところ。しかし、インターネットは、名誉やプライバシーを侵害する情報や子どもの成長発達上好ましくない情報などが広く流通するなどの問題も内包している。その弊害を防止しつつ、「市民が自由に意見を表明し、民主的な合意形成をする」ために、今後さらに活用されていく必要がある。インターネットの利点を最大限に生かすため、インターネット上の表現活動による弊害の防止は、できる限り「自主規制と司法手続による」という制度設計がなされるべきであること。インターネットの利点を最大限に生かすために、できる限りインターネット上の表現活動による弊害の防止のルール作りやその管理は「民間における自主的で主体的な取組」に委ねるか、または、当事者に攻撃防御の権利が保障された司法手続によるべきである。私たちは市民とともに、表現の自由が、戦争の惨禍を経て初めて日本国憲法によって保障されるに至った歴史的意義を認識しつつ、不断の努力によってこれを保持していかなければならない。当連合会は、今こそ表現の自由と知る権利の重要性を強く訴えるとともに、表現の自由を確立する活動を通して、21世紀の日本において自由で民主的な社会が実現されるために全力を尽くす決意であることを表明する(2009年11月6日 日本弁護士連合会)。「表現の自由」という精神的自由と、経済的自由が衝突し、どちらかが引かなければならない場面では、表現の自由の方がより尊重される。ただ、表現の自由も絶対に無制限に認められるわけではなく、社会的法益と衝突する場合には、必要最小限度の制約を受ける事になる。例えば第19条のように、内心では何を思っても自由だということが保障されていても、それを誰かに伝えること、世の中に何らかの形で発表することが認められていなければ意味がない。国家権力側からしたら、自分たちを批判するような発言・表現をするものは抑え込みたい。そのようなことがないよう、憲法にて表現の自由を保障している。この条文では、心の中で思うだけではなく、それらを何らかの形で「世の中へ公表すること」を認めている。精神的活動の自由とも言える。名誉権を過剰に保護すると、表現行為が委縮する。例えば、公職である政治家の名誉権を過剰に保護すれば、政治家の汚職を暴くための取材・報道をためらうことになりかねない。そこで、表現行為と名誉権の保護をいかに調整するかが問題となる。刑法230条の2第1項では、事実の公共性、目的の公益性及び事実に対する真実性の証明があれば、刑法230条の名誉棄損で処罰されないと規定されている。事実の公共性とは、表現する事実が「公共性のある事実であること」を意味する。例えば、政治家の汚職を暴く記事を投稿することは事実の公共性が認められやすい。目的の公益性とは、「表現する目的が公益のためにされること」を意味する。事実に対する真実性の証明とは、表現する事実が真実であることを証明することである。ただし、「真実性の証明」は必ずしも容易ではない。そこで、夕刊和歌山時事事件(最高裁大法廷判決昭和44年6月25日)において「事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解する」。公益通報者保護法もある。世界人権宣言、表現の自由、基本的人権、自己実現と自己統治の価値、自由な意見表明と知る権利の保障の重要性、日弁連宣言、報道の自由、インターネット上の表現活動、刑法230条事実の公共性・目的の公益性及び事実に対する真実性、判例等に関する憲法学的学術調査研究の一環として
  • 学校で、道徳教育をする前に法律教育をすべき。日本では、学校が治外法権になっている(和田)。日本人は明確なルールよりも、組織の空気や周囲の人間関係がつくった習慣に従ってしまうという問題がある。法律にない習慣を強制するのは本来であれば反社会的で、法律に則って問題を処理するのが法治国家である。自己責任論を振りかざす割には自己責任というものの判断基準が、何か見えないその場の雰囲気次第になっている。自己責任を問う以上は、判断に際して十分な情報が与えられているかどうか、きちんとしたルールの範囲内での自己責任かどうかを判断することが必要である(和田)。教員には、相手がどう思うかの配慮が足りない人がかなり多い。教育や社会に関心を持ち続ける教員が少なくなってきており、知識や知性に重きを置かない雰囲気が教員間に広がっている(朝比奈)。 
    2024年6月
    職場において、労働法規や従業員規則のような明確なルールよりも、空気や習慣を重視して、理不尽なことがあっても泣き寝入りしたり、我慢したりする人が多い理由に、「学校教育」がある(この国の冷たさの正体・一億自己責任時代を生き抜く・和田秀樹・朝日新書)。日本は、「学校が治外法権」になっていて、犯罪でも何でも学校で解決しなければいけないという「思い込み」が蔓延している(和田)。暴力的で法を犯すような子どもは警察にゆだねる。ルールを守ることの重要さが明確でわかりやすくなる。教師に警察の仕事まで任せているので、日本の子どもたちは法律意識がいつまで経っても育たない。法規を守らないブラック企業に泣き寝入りさせられたりする。暴行や恐喝など「法律に触れるいじめ」と無視や仲間はずれなど「法律に触れないいじめ」は違う。法律に触れるものについては警察に介入させ、法律に触れないいじめについては、ある程度「耐える能力」を身につける必要がある。法に頼っていい事は法に頼るべき。日本人は法律を知らなすぎるところに問題がある (和田)。「いじめ防止対策推進法」は、いじめで子供の生命や心身に大きな被害が生じた疑いのある事案を「重大事態」と定め、教育委員会や学校に調査を義務づけている。しかし、教育現場ではいじめを認めたがらず、いじめの兆候をいち早く見つけ教育的指導と注意深く迅速に対応すること、被害者に寄り添った姿勢の大切さが問われる。日本人は明確なルールよりも、「組織の空気や周囲の人間関係がつくった習慣」に従ってしまうという問題がある。法律にない習慣を強制するのは本来であれば反社会的で、法律に則って問題を処理するのが法治国家 (和田)。日本では職場で法律を持ち出すとクレーマー扱いされてしまう。日本では、「自己責任論」を振りかざす割には自己責任というものの判断基準が、何か見えないその場の雰囲気次第になっている。人間関係を壊したくないから習慣に従うという選択をするのではなく、法律に則るべき。自己責任を問う以上は、「判断に際して十分な情報」が与えられているかどうか、きちんとした「ルールの範囲内での自己責任」かどうかを判断することが必要である。ストレスでメンタルを悪化させては、そうした作業をすることもできなくなってしまう(和田)。深く考えない、読解力の乏しさが思考停止や間違った判断・決定を招く(深い学びの喪失)(教育現場は困っている・榎本博明・平凡社)。無神経な言動が目立つ教員。教員には、相手がどう思うかの配慮が足りない人がかなり多い(朝比奈)。2021年3月、いじめを受けた中学生(当時14)が、旭川市内の公園で凍死した状態で見つかった問題で、いじめを受けている様子を感じた母親は、複数回にわたり学校の担任に相談したが、「いじめるような子たちではありません」「思春期ですからよくあること」「いじめなんてわけがない」と押し切られたという。学校の教頭からは「いたずらが行き過ぎただけで、悪意はなかった。加害者にも未来があるんです」と頭ごなしに、いじめを否定されたという。「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」「これは単なる悪ふざけ。いたずらの延長だったんだから。もうこれ以上、何を望んでいるですか」「頭おかしくなっちゃったんですか? 病院に行ったほうがいいですよ」と言われたという。ある公立中学校教員は、「学校や教師が、できるだけいじめなどの面倒な問題をなかったことにしようという方向に傾く面はあるでしょう。あくまで私見ですが、特に50代以上の教頭や校長などの管理クラス、いわゆる古いタイプの先生のなかには、学校にいじめなどあってはならない、あるはずがない、という固定観念に縛られ、いじめの存在を認めようとすらしない人が多いような気がします」と。市の再調査委員会は2024.6.30. 女子生徒がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し自殺に至るまでトラウマに苦しみ自尊感情の著しい低下なども続いたと指摘し、「いじめにあわなければ自殺は起こらなかった」と結論づけた。 加害生徒による問題行動とだけ捉えて女子生徒への適切な対応を怠ったほか、市教育委員会も学校への指導や助言を怠っていたと指摘した。「今回のような問題は旭川だけというわけではなく、全国どこで起きてもおかしくない。再発防止に向けた提言もさせてもらっているので、文部科学省にもこの調査結果をしっかりと読んでもらいたい」と再調査委員会尾木直樹委員長。また、札幌市の中学1年の女子生徒(当時12歳)が2021.10にいじめ自殺した問題では、生徒の両親は2024.7.5、小学校時代の教員が適切な対応を怠ったとして、同市に約6500万円の損害賠償を求める訴えを札幌地裁に起こしたと報道された。生徒は小学5年から2年以上、陰湿ないじめによって「終わりの見えない苦痛、屈辱を感じる慢性的ストレスを受け続けた」と主張。被害を訴えてもむしろ叱られるなどし、教員らが適切な対応をとらなかったため、うつ病の症状が悪化して自死に追い込まれたとした。「何度もいじめについて担任に相談し助けてほしいと言ったのに何もしてくれなかった。」「小学校の対応に納得がいかず市教委の隠蔽体質がこれほどまでにひどいものかと感じる対応ばかりでした。娘はもう戻りません。学校の先生方や市教委には娘を死に追い込んだことについて責任を自覚し償ってほしい」と両親は訴えている。いじめの存在を認めたがらない事なかれ主義、責任回避が目的の管理職、純粋に生徒のための教育的指導であっても保護者からのクレームを恐れて放置しておく、教育的指導より「管理が教育の目的」と化した教育欲をなくした学校管理職(齋藤)。表層的で深く考えないうわべだけの「管理」、単にいじめは無いとする一人ひとりの子どもの将来を思っての教育的対応になっていない。子どもや保護者へのトラブルは、相手がどう受け止めるかを考えた言動を教員が取れば減少する。定年後の再任用教員の説明不足により保護者に与えた不安感(朝比奈)。教育や社会に関心を持ち続ける教員が少なくなってきており、「知識や知性に重きを置かない雰囲気」が教員間に広がっている。自分で考える気持ちが無ければ、人は「考える根拠となる知識や情報」を得ようとはしない(朝比奈)。「新しいことを学ぶ意欲や探究心・向上心」をなくしてしまっている。教師自身がすでに新しいことへの対応や考える意欲をなくしている(主体的な学びの喪失)。学ばない教員・学べない教員・教え方を知らない教員・本を読まない教員・理念欠如型教員(残念な教員ー学校教育の失敗学・林純次・光文社新書)。教育や世界日本の動きを知らない教員・無神経な言動をする教員。人間性を疑うような管理職は残念ながら相当数存在する。自分の責任回避を第一とする校長もいる(教員という仕事ーなぜブラック化したのか・朝比奈・朝日新書)。今の状況として、自分に何が求められているのかに気づけない。相手や場に関わっている人たちの感情の機微に対して想像力が及ばない。人と人との間にあるものを想像し予測し、配慮することができない。理解して配慮ができるというのは知性の要ること(文脈力こそが知性である・齋藤孝・角川新書)。憲法21条が保障する「表現の自由」は、特に重要な権利の1つ。表現の自由とは、人の内面の精神作用を外部に出す「外面的精神活動の自由」。個人の精神活動にかかわる思想、信条、信仰、意見、知識、事実、感情という一切のものの伝達に関わる活動の自由で、伝達方法が何かは問われない。憲法は精神的自由権を保障している。表現の自由が支える価値には、自己実現の価値ー「自己実現」とは、個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという価値。日々、自分の感じたことや考えていることを周りの人に話したり、SNS等で表現したり。このように、理想的な自分を目指して自分自身の人格を発展(成長)させ、自分自身を満足させていくには、「表現の自由」が大きな役割を果たしている。初等中等教育機関の教員や管理職は、憲法で保障されている学問研究の自由や研究発表の自由・教授教育の自由・表現の自由(意見表明の自由)等を正しく認識していない場合が多々見られる。学校の公式HP以外、教員個人のWEB等への記載や発表及び著書等への掲載・出版を厳しく管理統制(準検閲化)しているケースが多い。内部文書や個人情報の漏洩では全く無くとも、職務上知りえた情報として教育的著書出版や研究論文、WEB上への教育的記載等を管理統制するケースが多々見られている。管理が教育の目的となっている(尾木、齋藤)。生徒児童からの実際の質問を分かり易く絵本にして解説して出版した熱意のある小学校教員もいる。部活動指導に関する実体験をもとに中学生の具体的事例が多数詳細に記載されている教育に意欲のある現役中学校教師による教育的著書が多数出版されていることや、校長自ら著書の編著者・著者等(工藤・大高・君塚・浅野・嶋崎らその他多数)になっていることすら知らない一般の地方・地域の学校管理職もなかにはいる。部活動指導員等の会計年度任用職員採用に対しても、秋田市教育委員会宛へ「日本国憲法を尊重し、且つ擁護することを固く誓う」との宣誓書に署名し提出が求められている。しかしながら、このことを学校管理職が全く認識せず、憲法で保障されている学問研究の自由や研究発表の自由・表現の自由(意見表明の自由)等を学校管理の名の下で厳しく禁止・管理統制している学校もある。教員の教育的研究活動報告でさえも、職務上知りえた情報として情報発信を極端に制限する場合も見られる。初等中等教育機関管理職のなかには教育研究論文でさえもWEB掲載等を厳しく制限する場合も見られ、学校のITCスキルや情報公開の認識等の欠落あるいは極端な遅れがある学校がある。「管理が教育の目的」と化し、自分の力を誇示することや相手を支配することだけに終始してしまい、教育欲がなくなっていることを自覚していない(齋藤孝)。「純粋に教育的指導を生徒批判」と言う教育感が欠如した思い込みが激しい管理職もなかにはみられる。管理が目的の教育となっている(尾木直樹・齋藤孝)。校長のなかには著書(執筆分担や共著書)や研究報告等も多数執筆している人もいる。校長だから研究活動実績が無いのは当たり前とは言えない。例えば、「学校崩壊と理不尽クレーム」嶋崎政男著(東京都の中学校長)集英社新書(教師を疲弊させ学校崩壊をも招きかねないその存在はなぜ生まれ、増え続けているいるのかー教育の第一線で保護者対応の窓口を務めてきた筆者(校長)による実態分析)・「困った親への対応 こんな時どうする」「担任の救急箱ー担任の危機管理100場面 今すぐ何をする」「教育相談 基礎の基礎」など著書多数、東京都の中学校長を複数経験。「学校の当たり前をやめたー生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革ー」千代田区立麹町中学校長 工藤勇一・時事通信社等も出版されている。中学生の現状等に関する教員や校長の教育的著書出版自体を、職務上知りえた情報としてあるいは個人が特定され得る可能性がある情報として罪悪視(管理統制)してしまう研究しない管理だけが目的の教育欲が欠落した(教育に関心を失くした)管理職(学問研究の自由や研究成果の発表の自由に関する憲法第23条を認識せず。教育よりも、深く考えない管理自体が目的となった学校・安易で浅薄な皮相的管理者意識・読解力不足のため人の話や文章を十分に理解できない、正しい判断力が身についていない・一般論として学校教育の在り方に関する検討さえも単なる特定の事例記述(個人情報)としてとらえてしまう)。相手の話や文章を読み解く力を磨く訓練が重要で、読解力が無いのは思考不足(齋藤・思考中毒になる!・幻冬舎新書)。中学校長や教員としての経験から、実際のケースが著書やWEB上等で多数具体的に取り上げられており、その際にはプライバシー保護のため設定や細部に変更を加えて再構成していると記載されている。「置き去りにされた高校生たちー加速する高校改革の中での教育困難校・朝比奈なを元公立高校教諭・学事出版)では登場する生徒や教員の多数の具体的なエピソードに関しては、プライバシーを考慮し、個人名は出さず、必要に応じて若干の加筆・修正を加えていると記載されている。教育より管理だけが目的化した学校管理職にとっては、このことさえも職務上知りえた情報あるいは個人が特定されうる情報として罪悪視(言論統制)してしまう傾向にある。深く考えない、読解力の乏しさが思考停止や間違った判断決定を招く(深い学びの喪失)(教育現場は困っている・榎本博明・平凡社)。無神経な言動が目立つ教員。教員には、相手がどう思うかの配慮が足りない人がかなり多い(朝比奈)。子どもや保護者へのトラブルは、相手がどう受け止めるかを考えた言動を教員が取れば減少する。日本国憲法第23条 学問の自由・研究成果発表の自由の認識が明らかに欠落している。さらに憲法21条1項が保障する表現の自由は、民主主義社会の重要な人権。自由で民主的な社会は自由な討論と民主的な合意形成によって成立するのであり、自由な意見表明が真に保障されていることが必要。刑法230条の2第1項では、事実の公共性、目的の公益性及び事実に対する真実性の証明があれば、刑法230条の名誉棄損で処罰されないと規定されている。事実の公共性とは、表現する事実が公共性のある事実であることを意味する。目的の公益性とは、表現する目的が公益のためにされることを意味する。事実に対する真実性の証明とは、表現する事実が真実であることを証明することである。真実性の証明は必ずしも容易ではない。そこで、夕刊和歌山時事事件(最高裁大法廷判決昭和44年6月25日)において「事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解する」。公益通報者保護法を踏まえた地方公共団体の通報対応に関する ガイドライン(内部の職員等からの通報)も定められている。 ルール(憲法・刑法・民法・判例・教育基本法・労働基準法・地方教育行政法等)より空気や習慣を重視することの弊害、学校の治外法権、「法に基づかない教育」が助長されれば「公正な教育」が実現できず「人権」が保障されない。労働者は退職勧奨・強要に応じる必要はない(梅澤弁護士)。過度な退職勧奨は強要となり、違法性が高まる。弁護士に相談すると①交渉のアドバイスがもらえる②退職強要の証拠の集め方を教えてもらえる③代理人として交渉してもらえる④依頼すれば裁判手続きを任せられる。恣意的な理由で労働者を解雇することはできない。やめてほしい労働者に圧力をかけて、解雇ではなく任意退職で雇用を終了させようとする行為が退職強要となる。退職強要を拒否したい場合、弁護士に相談・依頼する等、相談できる弁護士の連絡先を書き留めて置くと良いであろう。過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである(アインシュタイン)。無神経な言動の多い教員、知識や知性に重きを置かない教員、責任回避を第一とする校長、学ぶ意欲・探究心・向上心をなくした教員、教員の相手がどう受け止めるかを考えた言動の重要性、考える意欲をなくした教員、理念欠如型教員、本を読まない教員、学校における法律教育の重要性等、法治国家にふさわしいより良い教育に向けた教育学的学術調査研究の一環として
  • 新しい時代を生きる子どもたちに必要な力。偏見や常識を排除して真剣に見たり聴いたりすることと、真剣に考えることは不可分に結びついている。文章を読解できないのは、思考力がほとんど働いていない状態。記録すると潜在意識に働きかけられ、思考や行動のクオリティが上がる。思考力は話し方に表れる。古臭い思考に留まっている人は、先入観でものを見ている。偏見や常識が思考を潰す。考え続けることは心身の若さを保つ最良の方法であり、充実した人生を送ることができる。自信の無い人ほど、相手を無価値化して、自分の価値を保つ。自分の信念や判断が最良で絶対正しいと主張して、相手の価値観を侵害する。攻撃欲の強い人は、価値があるのは自分の意見だけで、相手は抵抗せずに賛同すべきだという信念に突き動かされていることが多い。もし他人の考え方を尊重しようとすれば、自分自身の決断を変更しなければならなくなる。場合によっては、自分の落ち度、誤り、過失等を認めざるをえないかもしれない。そういう事態を避けるために、相手の考え方を一切考慮せずに防衛する(片田)。「精神の狭量が頑固を生む」(ラ・ロシェフコー1613-1680) 
    2024年6月
    新しい時代を生きる子どもたちに必要な力(文部科学省平成29.30年改訂学習指導要領)①学んだことを人生や社会に生かそうとする学びに向かう力、人間性など②実際の社会や生活で生きて働く知識及び技能③未知の状況にも対応できる思考力、判断力、表現力など。かつては教科書を丸暗記できる子を「勉強が出来る子」としていたが、今では思考して判断したことを表現できる能力が重要視されている。考える事は何かを生み出す行為である。考え続ける習慣をつける。記録する習慣をつける。記録すると潜在意識に働きかけられ、思考や行動のクオリティが上がる能力が備わっている。考えている人は、あらゆる物事を漫然とスルーせずによく見ている。すべてを自分ごととして観察する習慣が身につくと、物事を先々まで予測して思考する力も身についてくる。読む書く話すで考え続ける。読解力が無いのは思考不足のせい。読解力や理解力に優れた人は思考力がある人と判断できる。偏見や常識が思考を潰す。文字を読むだけのときよりも、自分で書く行為を続ける方が、確実に思考は深まる。考えている人は、常に気づきを得ている。考え続けることは心身の若さを保つ最良の方法であり、充実した人生を送ることができる(齋藤孝・思考中毒になる!・幻冬舎)。頭の良さとは、たくさんある情報から必要とされるものだけを選び取り(情報選択力)、それらを筋道立てて考え(論理的思考力)、分かりやすく伝えることができる(伝達力)。こう違いないと思っていることに対して、別な視点から多面的にとらえ直し(多面的思考力)、適切な判断をすることができる(判断力)。問題点を見出し(問題発見力)、問題を解決するための手立てを組み立て(問題解決力)、実際に行動に移すことだできる(行動力)。既存の物事を作り変えたり、全く新しい物事を作り出したりできる(創造力)も、最近では頭の良さとして注目されるようになってきた。しかし頭の良さはやはり、知識をいかにインプットできているかが数値化されたテストの結果で評価されている。2008年文部科学省の学習指導要領で掲げられた「生きる力」の中に、「思考力・判断力・表現力」が明記され、2018年に「学びに向かう力・人間力」が加えられた。さらに、他者と意思疎通(コミュニケーション)を図りながら、他社と協調協働できる力(社会性)が求められ、自分自身を高めていこうとする力(向上心)や、社会をより良くしたいと思える力(貢献心)等、ますますテストでは単純に数値化できない力まで明記されるようになった。このような数値化困難な非認知能力が求められるようになってきた。非認知能力は子どもだけでなく、大人にも社会人手前の学生にも必要な力である(学力テストでは測れない非認知能力が子どもを伸ばす・中山芳一・東京書籍)。明らかに教育的な生徒指導(ルール・マナー指導・人権意識・安全配慮指導等)を「生徒批判」と思い込む教育欲をなくした深く考えない思考力の無い短絡的な学校管理職・教員や保護者も見受けられる。より良い思考の技法(ステレオタイプ(固定観念や思い込み)からクリティカルシンキングへ)。普段から物事を複眼的に捉える思考訓練が大切である。教師には生徒に対しルール違反やルール無視・危険性を事前に注意し、事故を未然に防ぐ安全確保義務がある。栃木県那須町のスキー場周辺で2017年、登山講習中の県立大田原高の生徒7人と教諭1人が死亡した雪崩事故で、業務上過失致死傷罪に問われた引率教諭ら3人に、宇都宮地裁は2024年5月30日、いずれも禁錮2年(求刑禁錮4年)の判決「不注意による相当に重い人災である」「被告らは事実を否認するなどしており、禁錮刑の執行を猶予する事情はない」と言い渡した。検察側は、現場は植生がまばらな急斜面で雪崩が発生しやすく、約30センチの新雪もあったことから危険性を知り得たと指摘。生徒の安全を最優先にするべきなのに情報収集を怠り、明確な訓練範囲を決めなかったとし「漫然と訓練を行い、過失は重大だ」と述べた。弁護側は最終弁論で無罪を主張し、雪崩の予見は不可能だったとし「安全のため必要な情報収集をし、範囲も定め各班に伝えた。3人の行為と事故に因果関係はない」と反論した。起訴状によると、2017年3月27日朝、前夜からの積雪で雪崩発生を予想できた(付近になだれ注意報がでていた)のに気象状況や地形確認を怠り、斜面で深雪歩行訓練を実施し、雪崩に巻き込まれた8人が死亡、5人にけがをさせた。引率教員は危険回避の明確な指示や無線での情報共有も怠ったとしている。瀧岡裁判長は量刑理由で「部活動の死傷事故としては類をみない大惨事」「相当に緊張感を欠いたずさんな状況で漫然と実施された」などと言及し、実刑は免れないとした。弁護側は、当時の積雪は15センチ程度で大量と認識しておらず、訓練範囲を明確に定め、生徒や講師に説明したと主張したが、退けた。判決によると、2017年3月27日朝、3被告は前夜からの積雪を踏まえ、講習内容を深雪歩行訓練に変更。新雪が積もった急斜面で雪崩発生を予想できたのに、情報収集や安全区域の設定、的確な周知をせず、雪崩に巻き込まれた8人を死亡させ、5人にけがを負わせた。引率の被告は危険回避の明確な指示や安全確保の措置も怠ったとした。栃木県高校体育連盟(高体連)の登山専門部専門委員長だった男性教諭(56)、副委員長で犠牲者8人がいた班を引率していた男性教諭(53)、後続の班を引率していた男性教諭(59)の被告3人はそれぞれ具体的な過失を認めることはなく無罪を主張していた。「生徒が指示に従わなかったとも受け止められかねない不合理な弁解」で遺族の気持ちを逆なでした。講習会本部の旅館に待機していた責任者らは「訓練参加の生徒らの安全を確保する業務から免責されない」(地裁判決)とした。しかし、教諭3人は2024.6.12控訴した。一方、学校では生徒にルール遵守やコミュ力等、相手を思いやる気持ちや社会性を身につけさせようと注意・指導すると、保護者からはクレームがくるため、生徒を放置しておく(見てみぬふり)しかないと語る教師も少なくない(自己防衛意識が強い教師。荒れる学校へ。社会性が身につかない大人へ)。危険性が予見できる場合等には、生徒の命を守り、怪我等の無い様、安全性を最優先し、成り行き任せではなく、学校現場では徹底した安全管理のため、普段から教員が指導力・注意力(多面的思考力と判断力)を発揮してこその監督責任があると思われる。(自己防衛意識が強く、多面的思考力と判断力の欠如。「社会性」の無い教師。教師は社会を知らない(工藤))。教育(生徒指導)よりも自己防衛意識が強い教師は、問題行動を起こしても生徒を注意せず放置するか、自己責任を逃れるため事実をゆがめて一方的に校長らに報告すするケースもある。自己責任・過失を謙虚に認め反省し、二度と同様の事案が生じないよう学校の安全に警鐘を鳴らし、学校教育活動での教訓として、一人ひとりの管理職や教員が、その資質こそが真に問われていることを示す判決である。スポーツ庁は、冬山登山の禁止と学校活動全般にわたる安全への配慮を繰り返し求めてきた。「安全管理を一部の教員だけに任せるのではなく、学校全体で考えてほしい」と呼びかけている。栃木県事故検証委員会は、登山の準備段階から行動計画が不明確で、教員間の情報共有も十分になされていないなど学校側の危機管理のずさんさを指摘した。那須雪崩事故検証委員会報告書では、根源的かつ最も重要な要因として高体連及び登山専門部の「計画全体のマネジメント及び危機管理意識の欠如」、関連するその他の要因として県教育委員会の「チェックや支援体制の未整備」及び講師等の雪崩の危険に関する理解不足など、背景的な要因として関係者全体の「正常化の偏見(正常性バイアス)とマンネリズム(形骸化)」を挙げている。民事調停では、遺族側は和解案として、県が賠償金を支出し、3教諭に賠償を求償する意見書を提出した。2023年6月28日、宇都宮地方裁判所は判決で、県と県高校体育連盟に計約2億9000万円の賠償を命じる一方、教諭3人への請求は棄却した。同年7月13日、原告・被告とも控訴せず判決は確定している。自己防衛や自己正当化・自己愛のため、相手を否認し無価値化して、自分の都合の良い方向にねじ曲げ、嘘をつく原因になった隠しておきたい出来事や行為に対する後ろめたさがある場合や、恐怖や恥も感じずに嘘をつくタイプもいる(片田)。相手の価値を低下させれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができるので、自分自身の価値を保とうとする。自分の能力に不安を抱いていて、自信の無い人ほど、他人を無価値化して、自分の価値を保つのである(片田)。「自分の信念や判断が最良で絶対正しい」と主張して(多面的思考力の欠如)、他人の価値観を侵害する。攻撃欲の強い人は、価値があるのは自分の意見だけで、相手は抵抗せずに賛同すべきだという信念に突き動かされていることが多い(片田)。もし他人の考え方を尊重しようとすれば、自分自身の決断を変更しなければならなくなる。場合によっては、自分の落ち度、誤り、過失等を認めざるをえないかもしれない。そういう事態を避けるために、他人の考え方を一切考慮せずに防衛する。「精神の狭量が頑固を生む」(La Rochefoucauld ラ・ロシェフコー1613-1680 フランスのモラリスト文学者)。相手が従わないと脅しをかける、罪悪感を押し付ける、話し合いを拒否して諦めさせる、正義を振りかざす、すべてを支配したがる、けなして自信を失わせる等、他人を攻撃せずにはいられない人が世の中には随分いる (片田・他人を攻撃せずにはいられない人・PHP新書)。新しい時代を生きる子どもたちに必要な力、読解力と思考力、非認知能力、教育より自己防衛意識が強い教師、社会性の無い教師、攻撃欲が強い人、多面的思考力が欠如した人、自分の信念や判断が最良で絶対正しいと主張する人、自分の落ち度、誤り、過失等を絶対に認めない人、他人の考え方を一切考慮せずに防衛する人、他人を無価値化する人等の心理、教員の業務上過失致死傷罪実刑判決、精神の狭量等に関する心理学的学術的調査分析研究の一環として
  • 聴く耳を持たず、決め付けの激しい人は認知的成熟度が低い。未成熟な人ほど白黒はっきりさせたがる(和田)。職場の中には怒鳴り散らすパワハラ的な人もいる。傷つきやすい人が嫌がらせを乗り越えるためには、誰かに打ち明けてみることが第一歩。感情的になる人は自分の思い込みにこだわる人。相手の話を全く聞かず一方的に話すということは「優位性の誇示」であり、自分の中にある「自己顕示欲と権力欲」が「真摯に聞くという態度を阻害」していることがある(齋藤)。学校管理職が「思い込み」から一方的に高圧的威圧的に相手を攻撃する場合の心理にも当てはまり、組織として誤った判断や決定にも陥ってしまう(齋藤、梅谷、林、原田、片田、和田、中野、坂田、佐藤、朝比奈、その他)。 
    2024年6月
    知的発達だけでは「認知的成熟度」は計れない。思い込みが激しく、しばしば周囲とぶつかる人、決め付けが激しく、一度こうだと思い込んでしまうと状況に応じて修正することができない人、自分の考えを押し付けたり、不機嫌を隠さない人、すぐにカッとなる人、怒鳴り散らす人は、認知的に成熟しているとは言えない。こういう人たちは、たとえ経験豊富な上司で仕事に精通していたとしても、大人気ない印象があり、、知的発達だけでは認知的成熟度は計れないという考え方が強まっている(感情的にならない本ー不機嫌な人は幼稚に見えるー・感情的な人に負けない本ーいつも機嫌よくー・和田秀樹精神科医・新講社)。感情に振りまわされるタイプは、どんなに知識や情報が豊富でも、これしかないと決めつけてしまうので、認知そのものが狭くなる。カリスマ的リーダーは、しばしば、聞く耳を持たず、自分の判断を押し付け、人間関係にも決め付けが入り込み、相手を敵か味方かのどちらかに分けてしまう傾向がある。白黒はっきりさせないと気が済まない。一旦、敵とみなしてしまうとその人が何を言っても反対するし、無視してしまう。認知成熟度の低い人は、いつも勝手にカリカリしているだけで、幼稚な印象、子どもみたいにわがままなを与える。敵か味方か、という区分ではなく、敵でも味方でもないと受け止め、曖昧さ耐性が認知的成熟度の大きな指標になる。グレーゾーンや中間を認めること、未成熟な人ほど白黒はっきりさせたがる。不機嫌さを自分でコントロールできずに、他人に嫌がらせしたり、職場の中には怒鳴り散らすパワハラ的な人もいる。傷つきやすい人が嫌がらせを乗り越えるためには、誰かに打ち明けてみることが第一歩で、相談しながら対応法を考えるとより良い方法が見つかる。不機嫌になると自分の気分も悪いし、相手に不快感を与える。精神神経免疫学の考え方では、不機嫌は免疫機能を落とすので、癌等になりやすくなる可能性もある(どうでもいい小さなことで不機嫌にならない本・和田・PHP研究所)。対話をせず、協働して互いに学び合い信頼関係を基盤とした同僚性を築こうとしない、コミュニケーション不足教員(残念な教員ー学校教育の失敗学・林純次中高一貫校教員・光文社新書)。教師自身が対話的学びをしない。新任教職員が先輩教員に質問しても、「言っていいんだがー!」と不機嫌で仏頂面で回答せず無視される(不機嫌ハラスメント・フキハラ)。学校の新たな地域人材等に対して、教師が上から目線で無愛想で気難しく仏頂面なのは、「不機嫌な鎧」を身につけていた方が賢く見えるのではないか、馬鹿にされたくないという歪んだ認識があり、自分が(対応)能力が無い不慣れなことを隠したい、自分の領域を守りたいという自己防衛反応を示す(齋藤孝・不機嫌は罪である・角川新書)。新たな制度に社会人として当たり前の最低限の対応すらできず、少しでも何か指摘されると、自分の立場や縄張りへの不安感からひどく過敏になっていて、自分の領域を守るため、相手を否定して攻撃的になっている(ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人・梅谷薫・講談社)。自分は正しい立場から言っているという自分に都合の良い方向に物事をゆがめて考えてしまい(梅谷)、相手を怒鳴り散らすという社会性と法的視点(人権尊重意識)が欠落(モラハラ)している閉鎖的状況もある。感情的になる人は自分の思い込みにこだわる人(感情的にならない本・和田秀樹精神科医・新講社)。毅然とした威厳のある渋い態度で沈思黙考しているのは、知性がある証拠という間違った価値観があり、不機嫌な人ほど知性のパフォーマンスは低目(齋藤)という認識が無い状態。不機嫌な人は幼稚に見える・認知的成熟度が低い(和田)。コミュニケーションの基本は人の話を聞くこと。話す人が上の立場であり、聞く人が下の立場というコミュニケーションの権力関係に関する無意識の「思い込み」がある場合、一方的に話したり、人の話の途中で平気で自分の話しをしだすことがある(齋藤)とされる。運動部活動においても、大会で団体戦後の円陣で、長年経験のあるコーチが選手らに話していると、突然、選手としての経験の無い監督教員がコーチの話を途中で遮り、憮然として大声で別の話をしだすことがあるが、このときの心理は、コミュニケーションの歪んだ思い込みがある現れ。対話による正しい本質的問題解決よりも、一方的に攻撃する管理職・教員もいる。相手の話を全く聞かず一方的に話すということは「優位性の誇示」であり、自分の中にある「自己顕示欲と権力欲」が「真摯に聞くという態度を阻害」していることがある(齋藤孝・教育欲を取り戻せ!・生活人新書、なぜ日本人は学ばなくなったのか・講談社、コミュニケーション力・岩波新書その他)。学校管理職が「思い込み」から一方的に高圧的威圧的に相手を攻撃する場合の心理にも当てはまり、「組織として誤った判断や決定」にも陥ってしまう(学校の組織文化の改革こそ先決)。自己防衛や自己正当化・自己愛のため、相手を否認し無価値化して、自分の都合の良い方向にねじ曲げ、嘘をつく原因になった隠しておきたい出来事や行為に対する後ろめたさがある場合や、恐怖や恥も感じずに嘘をつくタイプもいる(片田)。相手の価値を低下させれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができるので、自分自身の価値を保とうとする。自分の能力に不安を抱いていて、自信の無い人ほど、他人を無価値化して、自分の価値を保つのである(片田)。「自分の信念や判断が最良で絶対正しい」と主張して(多面的思考力の欠如)、他人の価値観を侵害する。攻撃欲の強い人は、価値があるのは自分の意見だけで、相手は抵抗せずに賛同すべきだと言う信念に突き動かされていることが多い(片田)。もし他人の考え方を尊重しようとすれば、自分自身の決断を変更しなければならなくなる。場合によっては、自分の落ち度、誤り、過失等を認めざるをえないかもしれない。そういう事態を避けるために、他人の考え方を一切考慮せずに防衛する。物事はいくつもの原因があっておきるもの。生活保護を受けるようになったり、うつ病で働ける状態ではなくなってしまったりしたときに自己責任で片つけるのは、物事を単純化しすぎで、価値観を多様化させて、人間は多面的なものであるということを理解することが必要。たった一つしか評価基準がない人は、その評価基準でしか自分を評価することができない。物事を複眼的に捉える思考訓練が必要(和田)。2021年3月、いじめを受けた中学生(当時14)が、旭川市内の公園で凍死した状態で見つかった問題で、いじめを受けている様子を感じた母親は、複数回にわたり学校の担任に相談したが、「いじめるような子たちではありません」「思春期ですからよくあること」「いじめなんてわけがない」と押し切られたという。学校の教頭からは「いたずらが行き過ぎただけで、悪意はなかった。加害者にも未来があるんです」と頭ごなしに、いじめを否定されたという。「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」「これは単なる悪ふざけ。いたずらの延長だったんだから。もうこれ以上、何を望んでいるですか」「頭おかしくなっちゃったんですか? 病院に行ったほうがいいですよ」と言われたという。道教委は旭川市教委に対し、いじめとして対応するよう指導したものの、市教委と学校は「いじめはない」と判断していた。自殺未遂が起きた当時の中学校長は「(いじめに)至ってないって言ってるじゃないですか」などとコメントしたが、事件の全容が全国的に知られることとなり、ついに旭川市の西川将人市長(当時)はようやく、市教委に調査を指示した。しかし、第三者委員会の設置から3カ月が経過した8月には、生徒や関係者への聞き取り調査が行われていないことが判明するなど、調査は進んでいなかった。第三者委員会は、いじめの事実を認定したが「本当に亡くなられる直前の話が分かっていない。結論として(いじめと自殺の因果関係は)不明と言わざるを得ない」 いじめと自殺との因果関係は不明とされた。遺族側は再調査を求め、市は新たに教育評論家の尾木直樹氏を委員長とした再調査委員会を設置。22回の会議を重ね、自殺といじめの因果関係を認めた。再調査委員会 心理学者 仲真紀子氏は「亡くなる前の失踪前の言葉は『ねえ決めた、死のうと思ってる』そんなふうな言葉だったんですけれども、こういった言葉があるというふうなことを踏まえますと、いじめと関係なく亡くなったというふうには考えにくいのではないか」と。ある公立中学校教員は、「学校や教師が、できるだけいじめなどの面倒な問題をなかったことにしようという方向に傾く面はあるでしょう。あくまで私見ですが、特に50代以上の教頭や校長などの管理クラス、いわゆる古いタイプの先生のなかには、学校にいじめなどあってはならない、あるはずがない、という固定観念に縛られ、いじめの存在を認めようとすらしない人が多いような気がします」と。市の再調査委員会は2024.6.30. 女子生徒がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し自殺に至るまでトラウマに苦しみ自尊感情の著しい低下なども続いたと指摘し、「いじめにあわなければ自殺は起こらなかった」と結論づけた。 加害生徒による問題行動とだけ捉えて女子生徒への適切な対応を怠ったほか、市教育委員会も学校への指導や助言を怠っていたと指摘した。「今回のような問題は旭川だけというわけではなく、全国どこで起きてもおかしくない。再発防止に向けた提言もさせてもらっているので、文部科学省にもこの調査結果をしっかりと読んでもらいたい」と再調査委員会尾木直樹委員長。さらに、札幌市の中学1年の女子生徒(当時12歳)が2021年10月にいじめ自殺した問題では、生徒の両親は2024.7.5日、小学校時代の教員が適切な対応を怠ったとして、約6500万円の損害賠償を求める訴えを札幌地裁に起こしたと報道された。生徒は小学5年生の頃から2年以上にわたり、同級生らから精神的・身体的いじめを受けた。小学5、6年時にいじめアンケートで被害を訴えたが、当時の担任教諭と教務主任は事実確認をせず放置。小6の時の自殺未遂後も生徒の心理的ケアや教員間の情報共有、進学先の中学校への引き継ぎを怠り、生徒の不信感や絶望感を増大させた。被害を訴えてもむしろ叱られるなどし、教員らが適切な対応をとらなかったため、生徒はうつ状態を悪化させ、自殺に至ったとしている。母親は「何度もいじめについて担任に相談し助けてほしいと言ったのに何もしてくれませんでした」と。いじめを認めたがらない学校文化。認知的成熟度・決め付けが激しい人・学校管理職の思い込み・自己正当化・相手を無価値化して自分の価値を保つ人・自分の信念や判断が最良で絶対正しいと思い込む人・多面的思考力の欠如・物事を複眼的に捉える思考訓練の重要性・他人の考え方を一切考慮せずに防衛する人等に関する心理学的学術調査研究の一環として
  • クレーマーの心理(諸富)。自己価値観が確立できていない未熟な人がなりやすいのが、クレーマー。怒っている人の対処法(片田)。攻撃欲の強い人に限って、相手の罪悪感をかき立てて責任を押し付けるようなことを平気でする。攻撃欲の強い人は、自分の過ちや間違いを認めようとしない。自分の目的を達成するまでは、決して変わらない。目的は破壊で、ターゲットを壊し、ターゲットがやっていることをむちゃくちゃにし、排除しようとする。関係の悪化や仕返しを恐れて、ターゲットにされた人が抵抗も反撃もしないと、弱くて恐怖を抱いているからだと受け止める。相手の平和主義や無抵抗の上にあぐらをかいて、平気で傷つけたり、痛めつけたりする。管理職となれば、自らに与えられた役職ゆえに自分自身を過大評価しがちであり、自分は絶対正しいと信じていることも少なくない。逆に、こちらがやられるままではすまさない、場合によってはやり返すぞという断固たる姿勢を示すと、引く事が多い。特権意識を抱いている人は、自己愛が強く、自分自身を過大評価しており、激しい怒りを爆発させることが多い・自己愛的憤り(片田)。 
    2024年5月
    今は、大人が真に内面的に成長・成熟した人間として、心から満たされた人生を生きるのが難しい時代。多くの人が、心のどこかで迷いや不確かさを抱えながら生きている。なぜか。それは、今の日本社会では「いつまでも若々しくあること」「元気に活動すること」という外的な活動性ばかりに価値が置かれて「中高年期における内面的人格的成長・成熟」を重視する価値観が育まれてこなかったからだ(諸富)。大人になれない未熟な人が他者と関わりを持つとき、自己価値観が確立できていない未熟な人がなりやすいのが、クレーマーである(諸富)。自己価値観が確立できていないと、何か問題があるとすぐに自己が揺らぎ、その揺らぎを収めるためにすぐに相手を責めることになる。自己価値観が傷つけられているのをいわば補うために、逆に、誰かを罵倒し返す。相手の上に立って罵倒し返すことで、なんとか自己価値観の揺らぎを収めているのである。これがクレーマーの心理(諸富)。もし、誰かからクレームをつけられたら、「この人は自信がない人」「自己価値観が毀損しているから、それを補うために私にクレームをつけているのだ」「自分はそのための手段として使われているのだ」と理解すること。怯える必要は無い。相手は自己価値観が傷ついているので、「大切にされたい」「リスペクトされたい」という気持ちが満たされず、傷ついている。クレームをつけられたら、一呼吸おいて、ちょっとトイレに行く。相手が攻撃してきたときにすぐさま反論すると、よりエスカレートしてしまう。トイレに行って一息入れてタイミングをはずす。一呼吸置いて、自分の心を正して戻ってくる。これがクレーマーに接するときの最初の対応として重要(諸富)。それから、辛抱強く聴いて聞いて聞き倒す。聞いて聞いて聞き倒すことがクレーム対応で一番大事なこと。聴いてもらえることによって相手は大切にされていると感じることができ、自己価値観の傷つきが回復していく。一人でいられる能力が育っていない。一人でいることができる能力が人格の成熟の証(英国精神分析協会会長ドナルド・ウイニコット1896-1971.攻撃性は欲求不満に対する直接的間接的反応。一人でいられる能力は情緒的成熟と同意語)。人の目を気にしない自分らしい生き方をすること、人は分かり合えないものである。人間は本来一人、より深く自分らしく生きること。自分の好きなように、のびのびと精神の自由を保って生きる生き方が大切。(諸富・本当の大人になるための心理学ー心理療法家が説く心の成熟・集英社新書)。怒っている人の対処法①聞く事ー一度聞いたらもう一度繰り返すようお願いしその上でいくつか質問をする。場合によっては二度三度繰り返させる。相手に怒りを吐き出させて「カタルシス(浄化)」を味わわせる。相手はわれを忘れていることを周囲にも認識させられる。こちらの冷静な対応が際立てば、周囲の理解を得られる。相手に話しをさせれば、こちらがすぐに言い返すリスクを冒さずに済む。相手は頭に血が上っており、こちらの言葉尻をとらえて攻撃しかねないので、すぐに言い返すのはできるだけ控えること。一体何に対して相手が怒っているのかを真剣に理解しようとしているのであり、相手が怒っていることを咎めるつもりは無いという印象を与えられればよい。必ずしも事実に基づいているわけではなく、勝手な思い込みや希望的観測に基づいているだけの場合が少なくない。②怒っている人の状況を理解しようとする。いくら相手の立場に立って相手の視点で事態を眺めようとしても、なぜ怒っているのか理解できない場合もあるだろうし、どう見ても相手が独りよがりの思い込みや勘違いから怒っている場合もある。それをこの時点で指摘しても相手は聞く耳を持たずの可能性が高い。思い込みや勘違いを正すのはもう少し後の方が良い。その前に、相手の気持ちや考えを理解しようとしている姿勢を示す必要がある。③別の見方もできることを伝える。かっとなって視野狭窄に陥っており、事態の一部しか見えていないか、状況を曲解して被害的に受け止めている場合は、この方法が有効。特権意識を抱いていて、特別扱いしてもらえないと怒りだす場合には、通用しない。自己愛が強く、自分自身を過大評価しており、激しい怒りを爆発させることが多い(自己愛的憤り)。こちらが勘違いを正そうとしても向こうは拒否する。自己愛の強いタイプには、別の見方もできることを伝えるのは控えたほうが良いかもしれない。別の見方もできることを認めると、自分のとらえ方が間違っていたと認めることになりかねないが、自分の間違いを認めるなんて、自己愛の傷つきを恐れている人間にとっては論外なのだ。自分が絶対に正しいと思い込みやすい。視野狭窄に陥って自滅していくことも少なくない。「この人に勘違いを指摘したり、別の見方もできることを伝えたりしても、どうせ聞かないであろう。だったら、あえてそんな事をして反感や敵意を買う必要は無い」と自らに言い聞かせ、静観するのが賢明。別の見方もできることを伝えるのは、第一段階の聞くことと第二段階の理解しようとする事をした後にすべき。初めから「別の見方もできるんではないですか」「そんな事で怒るのは理解できません」などと言うと、相手の怒りを静めるどころか、逆に激しい口論になりかねない。人前で怒鳴る一因として、相手をおとしめたいという心理が働いている場合もある。相手をおとしめることによって、自分の優位性を誇示したいからこそ、些細なきっかけで怒鳴る。相手の価値を低下させれば、相対的に自分の価値を高められると思い込んでいる。管理職となれば、自らに与えられた役職ゆえに自分自身を過大評価しがちであり、自分は絶対正しいと信じていることも少なくない。褒め殺し作戦も効果的な場合もある(片田珠美・すぐに感情的になる人・PHP新書)。攻撃欲の強い人だと気づいたら、できるだけ避けること。できるだけ話さない。表面上は礼儀正しくしておいて、天気などの当たり障りの無い話題にとどめておいて、深入りしないこと。私生活や心配事は、攻撃欲の強い人は都合の良いように解釈したり、脚色して言いふらす怖れがある。とたえ質問されても言葉を濁しておくのが賢明。距離を置くようにしていると、攻撃欲の強い人から脅し文句を吐かれたり怒りだされたりするかもしれない。振り回されている時間等ないとわかれせること。攻撃欲の強い人に限って、相手の罪悪感をかき立てて責任を押し付けるようなことを平気でする。攻撃欲の強い人は変わらない。自分の過ちや間違いを認めようとしない。自分の目的を達成するまでは、決して変わらない。目的は破壊である。ターゲットを壊し、ターゲットがやっていることをむちゃくちゃにしようとする。ターゲットを排除しようとする。関係の悪化や仕返しを恐れて、ターゲットにされた人が抵抗も反撃もしないと、弱くて恐怖を抱いているからだと受け止める。相手の平和主義や無抵抗の上にあぐらをかいて、平気で傷つけたり、痛めつけたりする。逆に、こちらがやられるままではすまさない、場合によってはやり返すぞという断固たる姿勢を示すと、引く事が多い。内心ビクビクしているので、自分より強い者を避けようとする。ときにはやり返すこともできることを見せ付けることが必要になる。反撃しなかったら自分の人生をめちゃくちゃにされてしまう、このままでは自分がぼろぼろに壊されてしまうと思い知ったときにはそうするしかない。支配された関係を断ち切るには相当な覚悟がいる。攻撃欲の強い人に依存しなくてもやっていけるだけの力をつけておくことが必要。攻撃欲の強い人は、罪悪感をかき立てる達人であり、ターゲットを支配するためにしばしばこの罪悪感を利用・悪用する。失敗の責任をすべて部下に擦り付ける上司などが典型例である。責任は100%他人にあり、自分の責任はゼロといように責任転嫁する。攻撃欲の強い人が他人を責めて罪悪感をかきたてようとするのは、自分自身が抱いている後ろめたさに耐えられず、投げ捨てようとするからだ。他人には完璧を要求してちょっとした失敗も間違いも決して許さないのに、自分には甘い。自分に自信が無く他人の幸福が羨ましいからこそ、他人を傷つけたり痛めつけたりせずにはいられない。攻撃欲の強い人を哀れみの目で眺めながら、自分はあんなふうにはなりたくない、あんなふうにならないよう気をつけようという気持ちで日々を生きることが大切(片田珠美・他人を攻撃せずにはいられない人・PHP新書)。クレーマーや怒っている人の対処法と心理に関する学術的調査研究の一環として
  • 老年期の悲哀、人生の意味とは、生きがい感、フランクル心理学、ロゴセラピー、「人間は、人生から問われている存在である。どんな時にも人生には意味がある」「病気、人間関係のトラブル、リストラによる失職や配置転換、子どもの不登校や家庭内暴力・・・こうしたことが起こるからには、何かそこに意味があるはず。それらの出来事を通して、人生が私に、何かを問いかけてきているはず。これらの出来事は、一体、何を意味しているのだろう。これらの出来事を通して、人生は私に、一体何を問いかけてきているのだろう。私に、何を学ばせようというのだろう(フランクル)」自分が人生に何をもたらすことができるのか。使命感に生きる、自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標に向かって全力で歩むこと(神谷)。人生の価値をもってすれば、人は息を引き取るその瞬間まで、人生から意味が無くなることはなく、「人生の意味」は絶えず送り届けられ、発見され、実現されるのを待っている(諸富) 
    2024年5月
    老年期の悲哀の大部分は「自分の存在は何かのため、またはだれかのために必要であるか」という問いに充分確信をもって答えられなくなることによる(神谷美恵子)。そのため、老人に生きがい感を与えるには、老人にできる何らかの役割を分担してもらうことが推奨されている。人生の価値をもってすれば、人は息を引き取るその瞬間まで、人生から意味が無くなることはなく、「人生の意味」は絶えず送り届けられ、発見され、実現されるのを待っている(諸富祥彦)。「生きがい感」を一番感じている人種というのは、使命感に生きている人、自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標に向かって全力で歩いている人。自己に対するごまかしこそが、生きがい感を何よりも損う。使命に背いていた人は、安らかに死ぬことすらできない(神谷)。Viktor Emil Frankl (1905-1997)は、人の主要な関心事は「人生の意味を見出すこと」であるとする。人生の意味を見出している人間は苦しみにも耐えることができる。ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換すること。私たちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。生きることの意味を問うことをやめ、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ(ヴィクトール・E・フランクル 夜と霧 新版 池田香代子訳 みすず書房)。このひとりひとりの人間に備わっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということに対して担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない(ウイーン大学教授フランクル)。このような、周囲の環境によらず、人間は自分の意思で自らの生き方を主体的に決めることができるという前提に立っているフランクル心理学は、実存心理学とも呼ばれている。ロゴセラピー(Logotherapy意味中心の心理療法 神経科医心理学者フランクルにより創始)は、クライエントが人生が価値あるものだと気づき、生きる意味を見出すことを援助するというアプローチから行われる。「ロゴ」は、ギリシア語で「意味」で、ロゴセラピーは、人は実存的に自らの生の意味を追い求めており、その人生の意味が充たされないということが、メンタルな障害や心の病に関係してくる、という見解を基にしている。心的な疾患は、当事者に人生の意味に関して非常に限定的な制約を課している。ロゴセラピーは、人にその生活状況の中で「生きる意味」を充実させることが出来るように、あるいはその価値の評価の仕方を変えることが出来るように援助しようとする。「危機」と呼ばれるような出来事、人間関係のトラブル、離別、病気、死、老化、事故、リストラによる失業などは、私たちの情緒的安定を失わせるぐらい大きなストレスになることがある。ストレス社会で生きがいを失った人や、昨今の引きこもりや自殺の背景には様々な要因があり、生きがい喪失も非常に深刻な問題となる。フランクル自身の人生体験(ナチスによる強制収容所体験)を通して深められたために、「危機のための心理学」とも呼ばれ、それはたとえどんな苦しい状況にあっても生きることには意味があるという価値観を根底とした心理学。ロゴセラピーは、人生に失望した自殺候補者等がこの状況から脱出して人生を肯定的に見るために直接的な援助の手を差し伸べることができるとされる(日本ロゴセラピスト協会ゼミ)。ロゴセラピーでは私たちが老衰してゆく過程でも、またたとえ死ぬ直前であっても、その状況ごとに何らかの意味が見出される。病気などで苦しみ、あるいは老いてゆくことに絶望している方々は「生涯を全うすることの意味」を理解することによって、魂の癒しを得、平安の中に死を迎えることができる。希望を持てる人、人生に意味を感じている人は、自分が人生に何をもたらすことができるのかを考えている。希望を持てない人、人生に意味を感じられない人は、人生が自分に何をもたらしてくれるかを考えている。希望を持てる人=人生 ← 自分(自分が人生に何をしてあげられるか)。希望を持てない人=人生 → 自分(人生が自分に何をしてくれるか)人生から何を期待できるかは全く問題ではなく、むしろ人生が何を我々から期待しているのかを考えるべき。あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望することはない。私たちが人生を問いているのと同時に、人生もまた私たちに問いかけている、という事実。人生に対する態度を180度変えること。心の内を見つめるのを辞め、自分を待っている何かに目を向けること。人生を意味あるものに変えるのに遅すぎることは決してない。ただ思考の方向を変えるだけで、人生は意味のあるものとなる。どんな時にも人生には意味がある。未来で待っている人や何かがあり、そのために今すべきことが必ずある。どのような状況になろうとも、人間にはひとつだけ自由が残されている。それは、どう行動するかである。人間の生きる意味を、次の3つの価値に見出している(フランクル)。①創造価値は、行動や創作によって何かを創造することで与えられる価値。人は仕事をしたりモノを作り出すことで、人に価値を与えられる。②体験価値は、体験を通して得られる価値。人が自然の美しさを体験したり、恋愛をしたり、人の優しさに触れて感動したり、さまざまな経験を通して得られる価値。③態度価値は、病気や死など避けることのできない運命に対して、どんな態度をとるかという人間の尊厳価値。人は極限状態においても、自分の運命を受け入れる「態度」を決める自由がある。極限状態の中でも、人間の尊厳ある態度をとる人々に出会い、そこから生きる姿勢や態度そのものに価値を見出すこと。病気、人間関係のトラブル、リストラによる失職や配置転換、子どもの不登校や家庭内暴力・・・こうしたことが起こるからには、何かそこに意味があるはず。それらの出来事を通して、人生が私に、何かを問いかけてきているはずだ。これらの出来事は、一体、何を意味しているのだろう。これらの出来事を通して、人生は私に、一体何を問いかけてきているのだろう。私に、何を学ばせようというのだろう人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要などないのである。人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、それぞれの人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない(フランクル)。秋田弁護士会主催・日本弁護士連合会・東北弁護士会連合会共催で、2024.6.9に「獄友」が秋田市で上映された。「冤罪被害」という絶望の淵で、理不尽きわまりない仕打ちを受けながら、無実が証明されることを信じ、懸命に生きる「生きざま」がそこにはあった。奪われたた尊い時間、時に涙し、怒り、絶望し、狂い、精神が破壊され・・・、その中で、彼ら5人は、何を失い、何を得たのか、「獄友」と呼び合い、お互いを支え合い、人間の尊厳や、命の重さが感じられる。いわれのない罪を着せられ、嘘の自白を強要され、机を叩かれて、怒鳴られ続けられ、獄中で親の死を知らされ、奪われた尊い時間は決して取り戻すことはできない。失われた青春を取り戻すかのように生きる「獄友の生きる姿」が描かれていた(65歳以上の高齢者無料電話相談0800-800-3108、相談予約秋田弁護士会法律相談センター018-896-5599その他も)。NHK・Eテレ「ヴィクトール・フランクル」4月より6回シリーズで放送中。絶望の淵に立たされたとき、「生きる意味」をどう見いだせばよいのか?ホロコーストを生き延びた「夜と霧」の著者、精神科医フランクルの人生と思想をたどる。「生きる意味」が見出せなくなっている空虚感は、常に鏡を見つめるように自分のことばかり考えてしまうからではないか。そう考えたフランクルは視点を自己の内側から外へ「人生が自分に何をしてくれるかではなく、自分が人生のために何ができるかを考えよ」と説く。フランクル思想の核心にある「コペルニクス的発想の転回」。老年期の悲哀、人生の意味とは、生きがい感、フランクル心理学、ロゴセラピー、「人間は、人生から問われている存在である。どんな時にも人生には意味がある」等に関する心理学的学術的調査研究の一環として
  • 職場のサイコパス(原田)ー明るく口達者で社交的のケースもあり、自制心が低く、衝動的で安易に軽率な行動に出る。サイコパスは職場で役職を得ると、自分に絶対的な自信を持ち自分のやり方を通す為、部下の反論は一切聞く耳を持たず、威圧的で攻撃的、指示通りに動くことを求める。サイコパスは冷酷であり、見限った相手は切り捨て、共感性や罪悪感が無く、とことん冷たくなる。人を育てるという発想がなく、使えない人材は邪魔でしかない。他者の尊厳や権利を考慮せず、道徳的価値観が無く冷酷な仕打ちをしたり、平気で嘘をついたり、些細なことで怒りを爆発させ、傲慢尊大で深く考えずに衝動的に行動し、無責任で決して謝罪しない。一見強いリーダーシップを発揮することができ、コミュニケーションやプレゼンの能力も優れているため、リーダーの素質があると誤解され、能力に相応しくない地位を獲得することがある。野心に満ち、自己顕示欲が強く優越感と特権意識に溢れ、自己中心的に自分だけのルールで判断して、得るものが無い人間には非礼で冷酷、自分の非を絶対認めず、無神経で人間らしい感情が欠けている(Robert D. Hare、中野、梅谷)。 
    2024年5月
    職場のサイコパスは、犯罪的サイコパスほどの反社会性は無いが、組織内において、その特性ゆえに対人的な問題を生じさせる。自分が特別であり、他者の尊厳や権利を考慮せず、冷酷な仕打ちをしたり、平気で嘘をついたり、些細なことで怒りを爆発させ、攻撃的な行動を取る。一見強いリーダーシップを発揮することができ、コミュニケーションやプレゼンの能力も優れているため、リーダーの素質があると誤解され、能力に相応しくない地位を獲得することがある。一旦その地位に就くと、部下への指導やチームワーク、組織全体の意思決定にも重大な悪影響を及ぼす。その結果として、部下の精神的苦痛、モチベーションの低下、離職などの問題を引き起こすこともあれば、自分の地位を悪用した不正に手を染めることもある(原田隆之筑波大学教授・サイコパスの真実・ちくま新書)。カナダの心理学者Robert D. Hareによるどのタイプにも共通するサイコパスの情動面での特徴とは、「良心の呵責の欠如・感情が乏しい・罪悪感の欠落・冷淡で共感性に欠ける・自分の行動に責任が取れない」とされている。対人面では、「誇大的な自己価値観・自己中心的・口達者で表面的魅力・偽り騙す・人を操る・病的な虚言」で、生活様式では、「無責任で衝動的、現実的で長期的目標計画の欠如、行動のコントロールができない・フラストレーション耐性が低い」等。「野心に満ち、優越感と特権意識には溢れている」が、「得るものが無い人間には非礼で冷たく、無神経で人間らしい感情が欠けている。」「威圧的態度、嫌がらせ、恐怖による支配を行い、うまくいかないことはすべて人のせい」にする。「部下に威張り散らす、短期で頭に血が上りやすく、怒りを露にするが、すぐに忘れて何も無かったように振舞う傾向」にある。「自分の攻撃によって生じる摩擦に対する見積りが甘い」。「誠実さを欠き、批判されても平気で、衝動性が高い」ため、「几帳面さを求められる仕事や協調性・忍耐が求められるチームワークが苦手」であり、「経営管理やチームでの作業は不向き。」物事を継続したり最後までやり遂げる事は苦手。「傲慢で尊大で、批判されても懲りない。」「杓子定規なルールを重視せず、乱暴で簡単に意思決定が許される状況を利用する。」状況がどれだけ混乱していても冷静で、皆が自身を喪失している状況の中でも、自信満々に振舞う。面接等では、過剰に魅力的で、確信を持って堂々とした話しぶりをして、「高いプレゼンテーション能力」を持つ事は確かとされる。口ばかりうまくて「地道な仕事はできない」タイプが多い。当初まわりが期待していたほどには仕事ができないということが、後になってわかる。不安や恐怖・緊張を感じにくく、大舞台でも堂々と見える。多くの人が倫理的な理由でためらっていても平然と行うため、挑戦的で勇気があるように見える。「情動に障害があり、感情が希薄で良心がない状態」である(サイコパス・中野信子・文藝春秋)(ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人・梅谷薫・講談社)。サイコパスの特徴①表面上は口達者であり、外見や話に人を惹きつける表面的な魅力がある②利己的・自己中心的であり、自分の話に巻き込み、人の話は聞いていない。③自慢話をする。自己愛が強く、根拠のない自信がある。自尊心が強固。④自分の非を認めない。人に非難されても、痛みを感じないし落ち込まない⑤結果至上主義。結果のためなら手段を選ばない。⑥平然と嘘をつき他人を利用する⑦共感ができない。相手の痛みに鈍感。冷淡で感情が薄っぺらい。人を傷つける行為(詐欺、脅迫、暴力、暴言等)をしても心が痛まない⑧他人を操ろうとする。自分の行動に対しての責任を持てない。無責任な行動が目立つ。人と親密な関係を構築する能力が低い⑨良心の欠如。良心がなく人に謝ることができない。衝動的。⑩刺激を求める。退屈しやすく刺激を欲している等が挙げられている。「情緒-対人関係」では、狡猾さや表面上の魅力、冷淡さなどが特徴的なタイプで、認知機能や言語性知能に優れており、自分の攻撃性や衝動性を調節できるという特徴。つまり、頭が切れ、口がうまく、普段は良い人を演じながら、いざというときまでその恐ろしさを隠しておく。このような人は、良い子として育てられ、権威者には従順だが、地位や名声を求める野心家であり、自分の目標を邪魔する相手を排除するために手段を選ばないという冷徹さを備えるような特徴があるとされる。実は明るく社交的のケースもあり、自制心が低く、安易で軽率な行動に出てしまう傾向がある。「社会的逸脱」では、衝動性や無責任さ、社会通念に従わないという社会的逸脱の側面が特徴的。知的な能力が高いとは推測しがたいため、自らの衝動性や攻撃性をうまくコントロールできず、何かストレスフルな出来事があるとその攻撃性によって問題を解決しようとする人物。また、感情に任せたストレス解消は身体的・精神健康を損なうため、反社会的行動という形でストレスを発散しようとするも、その内面ではイライラや不安などの不快な状態は解消できず、反社会行動を繰り返してしまうという行動パターンに陥る。些細なことを問題視する、ある特定概念に対して生涯をかけるほど注力し、ちょっとしたことでも問題視する傾向(狂信型)・突然不機嫌になる(気分易変型)・良心や羞恥心が低い(人間性欠如型)・強迫観念が強い(自己不確実型)・誇大化や虚言壁がある(自己顕示欲型)・持久力や自発性がない(意志欠如型)・仕事が長続きせず、すぐに転職してしまうことが多い。興奮しやすい(衝動型)・悲観的(抑うつ型)・無力感が強い(無力)。職場にいるサイコパスの特徴①大胆かつ強引ー 人の目を気にせず利益を追求するサイコパスは、大胆かつ強引。周囲を不安にさせることもしばしばあるが、サイコパスは周到で頭の回転が早いため、仕事を成功させて出世するケースも少なくない。もちろん失敗するケースもある。この場合、サイコパスは罪悪感がないため全く悪びれず、上手に責任逃れして周囲が迷惑を被る。②問題解決力に優れているーサイコパスはストレス耐性が強く、窮地に立たされた時でも能力を発揮できる。そのため、問題解決力に優れていて、職場の危機を機転で乗り越える。仕事というステージでは、サイコパスの特性が長所となって表れ、仕事がデキる人と評価されることが多い。③効率的で仕事が早いー社会適応して継続的に働いているサイコパスは、自分の生活を豊かにするために働いている。仕事は生きるために必要な収入源であり、仕事そのものに情熱を燃やしているわけではない。考えるのは「可能な限り楽に仕事をして充分な報酬を得たい」ということ。この思考で仕事の効率を追求し、元々合理的な性格もあって、物凄く仕事が速い。④部下を手足のように操るー支配的なサイコパスは職場で役職を得ると、部下を手足のように操る。自分に絶対的な自信を持ち自分のやり方を通す為、部下の反論は一切聞く耳を持たず、指示通りに動くことを求める。そのため、サイコパスを上司に持つと、常に振り回される。⑤見限った相手にはとことん冷たいーサイコパスは冷酷であり、見限った相手は切り捨て、とことん冷たくなる。「人を育てる」という発想がなく、使えない人材は邪魔でしかない。仕事を与えず、情報を与えず、完全無視することもある。このような行為はパワハラ。⑥責任転嫁するーサイコパスは自分のことしか考えていない。そのため、自分が職場でミスしてしまった場合、すぐに責任転嫁をする。元々嘘をつくのに罪悪感がないため、自分より下の立場に平気でミスを擦り付け、明らかなミスの場合は逆切れして職場を逆恨みすることもあるとされる。職場のサイコパスに関する心理学的学術調査研究の一環として
  • 歪んだ強い特権意識、自己の過大評価、自己正当化、謙虚に学ぶ姿勢の欠如、相互理解と思慮深さの大切さ、サイコパス(良心の欠如)、表面的な魅力の下に隠された自己中心性と傲慢さ、職場のサイコパス;強いリーダーシップの下での対人的問題(部下の精神的苦痛や離職等)。感情的にならずにいられない人は、しばしば自分自身を過大評価している。怒りは、己に対する過大評価から生じる(哲学者セネカ:正しい怒りなど存在しない。人を怒りっぽくしているのは無知と傲慢である)。自己評価が甘く、自分はできる、自分はそれなりの権限がある、自分に任されている、感情的になることもないと勘違いしている。視野の狭い人ほど物事を断言できる。自信満々に自己主張する人、自分の考えを絶対に正しいと思える人は、「自分とは違う視点があるかもしれない」「視点が違えば物事の見方も違ってくるはず」というように謙虚に学ぶ姿勢、思慮深さが欠けている。都合のよいところだけ取り上げて、高圧的にまくし立てる。怒る人は、感情に支配され支離滅裂。一旦思い込んだ決定を決して変えず、例え間違っていても決して直さない・正さない(片田)。 
    2024年5月
    許容型の親に育てられた人は、しばしば特権意識を抱いていて、少々感情を爆発させても許されると思い込んでいる。そうでなくとも、年齢を重ねるにつれて上の役職に就いた途端、自分は上司としてそれなりの権限を持っているのだから、感情に任せて部下を怒鳴ったりしても許されるという特権意識に由来することもある(すぐ感情的になる人・他人を攻撃せずにはいられない人・プライドが高くて迷惑な人・片田・PHP新書)。許容型の親に育てられたわけでもなく、権限を持っているわけでもないのに、爆発型や強圧型の親に育てられた場合には、少々感情的になっても許されると思い込んで人もいる。例えば、父親から虐待を受けていた息子が、大人になってから、自分が父親から受けたのと同様の暴力を妻や息子に加えることがある。また、母親から「あんたなんか生むんじゃなかった」という暴言をずっと浴びせられきたが、こんどは自分の娘に同様の虐待を加える。親から突然、怒りをぶつけられた(爆発型)という理不尽な体験をしてきたのだから、大人になった今は、その不正の賠償を取り立てても許されると思い込み、些細なきっかけで感情を爆発させる。強圧型の親に感情を出すことを禁じられてきた場合には、感情を出すことをずっと我慢してきたのだから、損害賠償を要求しても当然と考え、遠慮なく感情をむき出しにする(片田)。このような歪んだ特権意識ゆえにすぐ感情的になるが、そのはけ口にされる側はたまったものではない。ところが、感情的に怒鳴る側は、そういうことには想像力が及ばないので、感情の爆発に歯止めがかからない(片田)。感情的にならずにいられない人は、しばしば自分自身を過大評価している。怒りは己に対する過大評価から生じる。正しい怒りなど存在しない。人を怒りっぽくしているのは無知と傲慢である、怒りは人間にとっての欠陥である。怒りを感じたら、それが自分の欠陥だと知れ。怒りで失うものはあれど守れるものは無い。怒りは理性の放棄(怒りについて・哲学者セネカ・岩波文庫 Lucius Annaeus Seneca 紀元前1年頃-65)。自分自身の過大評価から生じた怒りを制御できず、表に出すようになると、自己評価はさらに甘くなる。自らの能力を実際よりも高く評価しているだけでなく、自分は感情をコントロールできていると思い込んでいる。自己評価が甘く、自分はできる、自分はそれなりの権限がある、自分に任されている、感情的になることもないと勘違いしている。視野の狭い人ほど物事を断言できる。自信満々に自己主張する人、自分の考えを絶対に正しいと思える人は、「自分とは違う視点があるかもしれない」「視点が違えば物事の見方も違ってくるはず」「もっと別の視点からも検討できるのでは」というように謙虚に学ぶ姿勢が欠けているからだろう。都合のよいところだけ取り上げて、高圧的にまくし立てる。怒る人は、感情に支配され支離滅裂。一旦思い込んだ決定を決して変えず、例え間違っていても決して許さない。怒りっぽい人は、老人か幼児か、さもなくば病人だ(セネカ)。相手の意見をよく聞こうという文化では、傾聴と相互理解が大切になる。薄っぺらい自己主張より、思慮深さが日本文化の特徴だった(榎本)。自信満々にプレゼンテーションしている人は、中身の乏しさや根拠の薄弱さをうわべの表現力で必死にカバーしようとしているようで、薄っぺらさをが感じられるが、中身が充実していて説得力があるのであれば、もっと自然体で、傲慢に話す必要が無いはず。他者に対して、自分が優越している、自分が大した者なのだという振る舞いをするすべての人の背景には、何かを隠そうという特別な努力を必要とするような劣等感が伺われる。中身が充実していれば、普通に話すだけで説得力があるもの(教育現場は困っている・榎本博明・平凡社)。怒鳴る人の特徴として、威圧的かつ支配的で命令支持的にものを言い、声が大きい。相手をおとしめたいという心理が働き、相手をおとしめることによって自分の優位性を誇示したいからこそ、些細なきっかけで怒鳴る。相手の価値を低下させれば、相対的に自分の価値を高められると思い込んでいる。管理職ともなれば自らに与えられた役職ゆえに自分自身を過大評価しがちで、自分は絶対正しいと信じていることも少なくない(片田)。普通に話せばよいのに大声でどなって話す。怒鳴る人は、人間として大事なコミュニケーションを失っている状態。自分の考えを通したい、優位の立ちたい、自分には能力権限があるなどという思いがある。さらに、一見、人当たりがよい人柄だけれど、よく付き合うと、言葉だけが上滑りしていて、感情自体は薄っぺらい人。表面的な魅力、他者操作性、虚言癖、共感性欠如、良心の呵責や罪悪感の欠如、浅薄な情緒性、冷淡で残虐性、自分の行動に責任を持たない、衝動的、長期的目標の欠如、強迫や威嚇、行動コントロールの欠如、無責任、誇大化した自尊心、特権意識、自己中心的で尊大で傲慢な行動や態度等があるサイコパス(良心を欠いて生まれた人々)が身近にもいる(原田・サイコパスの真実・ちくま新書)。サイコパスは、対人的に重大な被害をもたらす。冷血で残虐な事件の容疑者が女性には優しい言葉をかけたり、悩み相談に乗ったりしていたという二面性がある(原田)。これはその容疑者がサイコパスである可能性を強めることを示している。優しい言葉をかけていても、そこには感情は無いどこか上滑りしていて薄っぺらいことに気付く。共感しているように見えても共感しているふりをしているだけである。相手を惹きつけるだけの魅力と卓越したコミュニケーション能力が、サイコパスの特徴である(原田)。サイコパスの表面的な人当たりのよさの下には、肥大した自己中心性と傲慢さが隠されているとされる。職場のサイコパスは、犯罪的サイコパスほどの反社会性は無いが、組織内において、その特性ゆえに対人的な問題を生じさせる。自分が特別であり、他者の尊厳や権利を考慮せず、冷酷な仕打ちをしたり、平気で嘘をついたり、些細なことで怒りを爆発させ、攻撃的な行動を取る。一見強いリーダーシップを発揮することができ、コミュニケーションやプレゼンの能力も優れているため、リーダーの素質があると誤解され、能力に相応しくない地位を獲得することがある。一旦その地位に就くと、部下への指導やチームワーク、組織全体の意思決定にも重大な悪影響を及ぼす。その結果として、部下の精神的苦痛、モチベーションの低下、離職などの問題を引き起こすこともあれば、自分の地位を悪用した不正に手を染めることもある(原田)。自己防衛や自己正当化・自己愛のため、相手を否認し無価値化して、自分の都合の良い方向にねじ曲げ、嘘をつく原因になった隠しておきたい出来事や行為に対する後ろめたさがある場合や、恐怖や恥も感じずに嘘をつくタイプもいる(片田)。相手の価値を低下させれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができるので、自分自身の価値を保とうとする。自分の能力に不安を抱いていて、自信の無い人ほど、他人を無価値化して、自分の価値を保つのである(片田)。「自分の信念や判断が最良で絶対正しい」と主張して(多面的思考力の欠如)、他人の価値観を侵害する。攻撃欲の強い人は、価値があるのは自分の意見だけで、相手は抵抗せずに賛同すべきだと言う信念に突き動かされていることが多い(片田)。もし他人の考え方を尊重しようとすれば、自分自身の決断を変更しなければならなくなる。場合によっては、自分の落ち度、誤り、過失等を認めざるをえないかもしれない。そういう事態を避けるために、他人の考え方を一切考慮せずに防衛する。歪んだ強い特権意識・自己の過大評価・自己正当化・謙虚に学ぶ姿勢の欠如・思慮深さの大切さ・サイコパス(良心の欠如)、表面的な魅力の下に隠された自己中心性と傲慢さ・職場のサイコパス・強いリーダーシップの下での対人的問題(部下の精神的苦痛や離職等)・感情的にならずにいられない人・怒りとは等に関する心理学的学術的調査研究の一環として。
  • 2024年5月
    高齢者を襲うむなしさ(生きがい発見の心理学・諸富・新潮社)①過去に生きる傾向②懐疑的態度③興味の矮小化④活動性の低下⑤孤独感や不安感の増大のような情緒的変化が見られる。「家族や親しい人との死別や離別」「収入の低下による経済的自立の喪失」「健康の喪失」「社会とのつながりの喪失」等が老人のむなしさや空虚感の要因となっている。社会的活動から離れることで生きがいを失い、自分はこの世で必要とされていないという気持ちを強めて、それがさらに老化を早めることになっていく。自分もまだ役に立てることがあるという実感を持つことが、老人の空虚感を埋め、生命に張りを与える(諸富)。文部科学省が、個を大切にする教育を繰り返しても、現場では旧態依然の「みんな仲よし」「みんな仲良く」等の目標を教室に掲げても、子どもたちは仲良くならない。無くならない「いじめ」。不登校が増えているのも、根本的には個が尊重されないことへの身体ごとの異議申し立てと考えもある。ランチメイト症候群(昼食を一緒に食べる友人がいなくてつらい、一人で昼食を食べていると友達がいない人と見られる等の現象)孤独嫌悪シンドローム(一人ではいられない症候群:諸富)も、こうした学校文化の肥大化(仲間はずれやいじめ等)、社会全体の学校化という事態の象徴という見方もある。表面上の個の尊重の背後で、日本特有のムラ文化は、さらに強くなってきている。学校が変われば、社会は必ず変わる。学校は、子どもたちが社会の中で、よりよく生きていけるようにするためにある。現在学校で行われている教師による表面上の形式的な教育活動(教室に掲示されている目標・単なる挨拶や服装指導等)と実社会の現状や社会で本当に必要な力(社会で主体的に行きぬく力)との間に乖離が起きている。学校教育は多くの法令等で規定されてはいるが、大半は、法令よりも「慣例」で動いているだけ(工藤勇一千代田区立中学校長・学校の当たり前をやめたー生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革・時事通信社)。自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質すなわち自律する力を身につけさせる「教育の原点」に立ち返らないといけない。学校の先生は、学校の常識・慣習を重んじ、社会の常識に疎くなりがちと昔から揶揄されてきている(朝比奈なを・置き去りにされた高校生たち・学事出版)。そのような教員は、これからの学校現場では通用しなくなるだろう。社会に開かれた教育課程と新学習指導要領が示すとおり、学校外の人にもきちんと対応・対話ができ、共に行動していける能力、新しい事態に適応していける柔軟性を持った教員が必要である(朝比奈)。社会のいたるところまで肥大化する学校文化が進展する中で、今の日本で、自分を生きるには、孤独への勇気、孤独であっても構わないという覚悟と決断を必要とする。学力を上げる事は、自律する子どもを育てるための手段にすぎない。考えて行動できる人の育成。対話を通じて合意する力を育む。校長が変わり、学校が変わり、子どもたちが変われば、社会が変わる。校長に変わる気が無いと学校は変化しない。校長が人々に害を及ぼすような人物であれば、その責任は大きく、今すぐ職を辞するべき(校長の力 学校が変わらない理由 変わる秘訣・工藤勇一中学校長・中公新書ラクレ)。自分を深く掘り下げて生きていくならば、そのどこかで自分はこう生きることになっていたんだという運命の実感に繋がる。自分を深く生きること、自分自身の心の声に従って生きていくことが、自分を超えた世界からの誘いに従って生きていくことと同じであるような生き方が、トランスパーソナルな生き方である。自分の人生に与えられた使命を生きることが、自分らしく生きることと一致するような生き方のこと。高齢者の心理・社会全体に肥大化する学校文化・学校が変われば社会が変わる・慣例で動く学校・自律する子供を育てる・自分を生きる、運命を生きる、使命を見出すこと・ランチメイト症候群や日本特有のムラ文化の意味するもの等に関する心理学的調査研究の一環として
  • 集団のいびつな同調圧力、自分たちの流儀に合わない人を排除することで集団の安定性を、さらには自らの心の安定を守ろうとすること。学校文化の負の側面(ムラ社会文化)が家庭も地域も企業までも肥大化し、私達の社会のいたるところまでもが侵食されつつある。学校教育は多くの法令等で規定されてはいるが、大半は、法令よりも「慣例」で動いているだけ(工藤)。学校は「法のルール」ではなく、学校という「世間」がつくった「世間のルール」で動いている(佐藤)。学校運営や教育実践には、「法規」という超えてはならない壁が存在するという共通認識(教育委員会や学校管理職・教員間において)を早急に確立することが求められている(坂田)。病気、人間関係のトラブル、リストラによる失職や配置転換、子どもの不登校や家庭内暴力・・・こうしたことが起こるからには、何かそこに「意味」があるはず。それらの出来事を通して、人生が私に、何かを問いかけてきているはず(フランクル)。 
    2024年5月
    「個人の多様性・思考・意思」よりも「集団の目的・持続」だけが優先される。学校では自分の意見を持っている個性豊かな生徒よりも従順な優等生が優遇される。狭い非社会的閉鎖的な集団において正しいとされている「画一的・慣習的な価値観・判断基準」は絶対であり、「それ以外は決して受容されず」、時にはコンプライアンスよりも優先される(人はなぜ他人を許せないのか?中野信子・アソコム)。学校という「世間」ー学校では「法のルール」より「世間のルール」が優先される。校則は、学校という「世間」における「世間のルール」そのもの。学校という集団が作っている「世間のルール」は人権侵害である場合がある。こうなると学校は無法地帯となってしまい、教師や管理職の大人がそのことに気づいていないところが問題である。学校運営や教育実践には、「法規」という超えてはならない壁が存在するという共通認識(教育委員会や学校管理職・教員間で)を早急に確立することが求められている(坂田)。「世間」には人権も権利も存在せず、学校は「法のルール」で動いているのではなく「世間のルール」で動いている(佐藤直樹・九州工業大学名誉教授・エジンバラ大学法学部客員研究員等・さくら舎)。学校内だけの教師の教育実践に基づく「個人的価値観」から「法化現象への変化」に取り残された「学校の法的責任及び社会的責任」が存在する。管理職の法的責任、学校の法的責任、教員の個人的責任と学校設置者の組織的責任、学校教育の基本理念が価値観の多様化に伴い、地域住民の絶対的支持を得られなくなっている。教員の多くは、自らの活動・学校が善である信念は思い込みに過ぎず、学校の諸活動を正当化する手段にはならなくなってきている。札幌市内の中学校で、女性教師が生徒267人分の成績や人間関係・家庭状況など個人情報が書かれたファイルを2024.4.10 体育館に8日間置き忘れ、生徒十数人が見ていたこと等が2024.6月に報道された。2024.6.5に一部がネットに流出し、SNSで2000万回以上閲覧された画像には、生徒への中傷ともとれる内容が書かれていた。「低学力」「社会性に欠ける」「LGBTQかも」「ADHD的な面もあり(診断なし)」「周りから信頼がない」「学年で1番面倒な人」「低学力小3レベル」「クラスで1番幼い」「コミュ力低い」「ちょろすけ」「父親うるさい」「ケンカっ早い」「だらしない」など、教師からの誹謗中傷ともとられかねない内容が書かれていた。氏名、性別、成績、家族構成のほか、病気、障害、忘れ物が多いなどの学校生活の情報、仲が良い生徒や悪い生徒の名前などの人間関係、さらには、どういう場面で不安を感じるか、思いが空回りして泣いてしまうことがあるなど具体的な生徒の性格などが書かれていた。書類は全部で10数ページあり職員室からの持ち出しが禁止されていたが、女性教師は他の資料とともにファイルに入れて持ち歩いていた。8日後、書類を目にしたという生徒の保護者から教頭への連絡で紛失が発覚。書類は見つかったが、この紛失した期間に、2年生と3年生の10数人が資料を閲覧していた。一部の生徒は書類をスマホで撮影していた。教育委員会は再発防止に取り組むとともに、女性教師が紛失したことや管理職に報告しなかったことなどが不適切だったとして、女性教師を含む関係者の処分を検討しているとのこと。中学校の教師が作った資料に適切ではない表現が一部あったのは大変申し訳ないとしている。個人情報の内部文書を職員室から外部(体育館)に持ち歩くことや置忘れただけではなく、そもそも生徒・保護者が傷つき、心を痛めるような内容を、生徒個人が完全に特定できるような具体的詳細に記入する、そのような極めて不適切な表現が記載されている書類があること自体、学校の悪しき慣習と組織文化(学校という世間のルール(佐藤)で動いていることを象徴している)には驚かされる。この文書のように教師の教育実践における指導と評価が、子どもに大きなストレスを与え、今日の子どもの危機を生み出す要因になっている(尾木)ことを示している。この書類は引き継ぎ資料などと呼ばれているもので、生徒の現況把握や生徒と接する上で重要な情報をまとめいて、公立の小中高では必ず作成し、クラス替えには欠かせない資料とされている。しかしながら、クラス替えとは全く関係のない極めて不適切な表現があった事は明らかであり、生徒・保護者・地域のみならず、広く日本全体から学校や教員への信頼感が大きく低下しかねない。2024.6.19に学校が開いた説明会に出席した保護者によると、個人情報が書かれた書類は教師らが職員室から自由に持ち出せるなど、管理体制がずさんだったことが分かった。学校側の説明に対し保護者からは憤りや不安の声があったという。「先生方は大した資料じゃないと思っていたのでは」 「社会人としてありえない」 「(学校の説明が)他人事のように聞こえる」「置き忘れてたとか、ちょっと社会人としてありえないなって、すごく憤りを感じるんです」。 説明会では、なぜ教師が生徒の個人情報が書かれた書類を職員室から持ち出せたのかなど、学校側の管理体制のずさんさが指摘された。 校長は「持ち出せるようになっていたことも事実」。 保護者は「発覚してから、他の先生が執務室の外に持ち出しているかどうかっていうチェック確認はしてます?」 校長:「それができていませんでした。それらについては、もう紙の物では持ち出さないという方針でやっていくところでございます」。 保護者:「実際持ち出していた先生も、他ににいたかもしれないということで、よろしいでしょうか」。 校長:「その可能性が高い」。札幌市教育委員会は20日午後に会見を開き、詳しい経緯を説明するとしていた。20日に行われた、札幌市の定例の記者会見で秋元市長は「学校における個人情報の取り扱いという意味では、大変ずさんで極めて不適切であったと言わざるを得ない。情報管理のあり方について、改めて徹底していかなければならない」。謝罪から始まった20日の市教委の会見で佐藤学校教育部長は「生徒・保護者の皆さまに多大なるご心配をおかけしたこと、心からお詫び申しあげます。申し訳ありませんでした」「明確に全ての学校のものを見てはいないが、丁寧な書き方をしているものが通常だと思います。今回このような書き方になったのは、なぜかというのは、やはり子どもたち生徒たちへの配慮という気持ちが、少し薄かったんではないかなということだと思います」。 市教委は、個人情報が書かれた書類を職員室から持ち出す場合は、学校長の許可や指示に従うことなどの再発防止策を発表した。SNSなどに流出している個人情報の画像については、削除依頼をかけていくとのこと。 札幌市内の塾経営者は、「流出によって生徒の間に新たなトラブルが生まれている」「勉強は苦手だとか、あとは家庭環境、親御さんの状況というところから、さらにいじめだとか、それがばれて不登校になったというケースも聞きました」と話している。 何よりも名指しされ、傷ついた生徒本人の心のケアや他の生徒からの噂等の広がり等、学校の今後の対応と責任は大きい。札幌市立中学校の内部資料とみられる書類がSNS上に流出した問題で、同市教委は2024.7.8、50歳代の男性校長を減給10分の1(1か月)、20歳代の女性教諭を戒告の懲戒処分にした。発表によると、教諭は4月10日、生徒の性格や家庭環境などを記した一覧表を体育館に置き忘れ、紛失に気づいた後も上司に報告していなかった。また、校長は個人情報の取り扱いについて教諭らに十分な指導をせず、生徒や保護者を傷つけるような表現が使われている点についても是正しなかったなどとしている。札幌市内の別の中学校でも、2024.5月、生徒の個人情報が書かれた資料を教室の教卓の上にファイルに挟まれた状態で数日間放置され、複数の生徒が内容を見ていたと、2024.7.8.札幌市教育委員会が明らかにしたと報道された。配慮が必要な生徒の情報などが記載されていたが、中には事実無根の情報も含まれていたという。 「ADHD」と記載されていた子供の保護者は、 「ないですね。何をもってというのが疑問。そういう傾向があると思うのは、先生の勝手・主観なので、職員同士でというか…、組織として子供に見せるものではない、間違いなく」 学校からは、謝罪があったという。今回、個人情報が流出した生徒の保護者からは「二度と起こってほしくない。(子どもが)せっかく楽しく学校に行っている。そういうこと一つで学校に行きたくないとか、何がきっかけでそうなるか分からない」と話した。幕別清陵高校においても、2024.7.2、生徒14人分の氏名や指導状況などをまとめた資料が男子生徒用のトイレ前に放置されていた。同日の職員会議で使用されたもので、会議終了後に校内を巡回していた教員が発見したという。現時点で資料を見た生徒は確認されていないが、同校は6~8日に生徒と保護者に謝罪した。さらに、長野県教育委員会は2024.6.21、県立高校の教員が、生徒369人分の個人情報などが入ったUSBメモリーを紛失したと2024.6.22に公表。匿名の投書で発覚した。2024.6.18、県教委に匿名の封書が届いた。日本郵便の消印は、長野県内。封書には、「拾ったUSBメモリーに、県立高校の生徒などの個人情報を含む、データーが保存されている」と書かれた紙が入っていた。生徒の名簿が写ったスクリーンショットが、複数枚同封されていたという。その名簿をもとに、県立高校を特定したところ、教員がUSBメモリーを紛失していたことが判明。メモリーの中には、2022年度の全校生徒369人分の氏名や住所、それに加え生徒130人分の英語テストの成績が入っているという。紛失した教員は、「いつ失くしたかのかは、分からない。教材などを作成するために自宅に持ち帰っていた」と話している。警察に相談中とのこと。この高校では、校長の許可があれば、私物のUSBメモリーを使用可能だが、校長に許可を取ったかどうかも覚えていないという。「拾った相手から、何か要求されているのか」問うと、『捜査に関わることなので話せない』と担当者。失くした教員が2024.6.21、警察署へ相談に出向いた。近日中に高校で、保護者説明会が予定されている。2024.6.25.県教委宛に封書が届き、物理的に破壊されたUSBメモリと、内容を他言していない等と書かれた手紙が入っていたとのこと。ネット上への個人情報流出は確認されていないとしている。一方、部活動中に、体育館で、生徒が見られる状態で生徒のテスト採点をする教員もいる。学校現場の個人情報管理のあり方が問われる。これらのことは、学校教育は多くの法令等で規定されてはいるが、大半は、法令よりも学校の「慣例」と組織文化で動いている(工藤)ことを示している。小中学校での生活を通して子どもの心に染み付いた孤独(仲間はずれ)への嫌悪感、いびつな同調圧力による人間関係の習慣(いじめや仲間はずれ、無視等)が、大学生になっても社会人になっても、社会のいたるところで継続し、特に、女性たちはおのずと小さな仲間集団を結成する。そこで同調し、馴れ合い、「自分たちの流儀に合わない人を排除する」ことで集団の安定性を、さらには自らの心の安定を守ろうとすること、これこそが隠された学校的価値観、「学校文化の負の側面」であり、家庭も地域も企業までも、私達の社会のいたるところまでもが侵食しつつある(生きがい発見の心理学・諸富祥彦・新潮社)。校長が変わり、学校が変わり、子どもたちが変われば、社会が変わる。校長に変わる気が無いと学校は変化しない。校長が人々に害を及ぼすような人物であれば、その責任は大きく、今すぐ職を辞するべきである(校長の力 学校が変わらない理由 変わる秘訣・工藤勇一中学校長・中公新書ラクレ)。名張毒ぶどう酒事件を映画化した「眠る村」では、「真実」に目をつぶり続けた村人たちー「ムラ」の平和を守るために真実を語らない村人たちが描かれている(秋田弁護士会主催で秋田市内で上映された。日本弁護士連合会・東北弁護士会連合会共催)。ランチメイト症候群(昼食を一緒に食べる友人がいなくてつらい、一人で昼食を食べていると友達がいない人と見られる等の現象)も、こうした「学校文化の肥大化」(仲間はずれやいじめ等)、社会全体の学校化という事態の象徴という見方もある。表面上の個の尊重の背後で、日本特有の「ムラ社会文化」は、さらに強くなってきている。しいては冤罪をおこし再審制度の在り方が問われる。「学校が変われば、社会は必ず変わる」。学校は、子どもたちが社会の中で、よりよく生きていけるようにするためにある。現在学校で行われている教師による表面上の形式的な教育活動(教室に掲示されている目標等)と実社会で本当に必要とされる力(社会で主体的に生き抜く力)との間に乖離が起きている。学校教育は多くの法令等で規定されてはいるが、大半は、法令よりも「慣例」で動いているだけ(工藤勇一千代田区立中学校長・学校の当たり前をやめたー生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革・時事通信社)。孤独やひとりの持つ積極的な価値を認め、充実した孤独、現代をタフに、さわやかに、豊かに、クリエイティブに自分らしく生きていくために必要となる積極的な能力と考えること、そのための条件(諸富)①分かり合えない人とは、分かり合えないままでいいと認める勇気を持つこと②人間関係について抱いている歪んだ思い込みやこだわりに気付くこと③自分の人生で誰が本当に大切かを意識して生きること④自分はいずれ死ぬという厳然たる事実をしっかり見つめること⑤自分だけのたった一つの人生という作品をつくること。本当にしたい仕事も探して見つかるものではない。それは、懸命に生きている最中に向こうから突然にやってくるもの。どんなときにも、人生には意味がある(フランクル心理学入門・どんな時も人生には意味がある・諸富祥彦・角川ソフィア文庫)。この人生のどこかに、あなたを必要とする「何か」があり、あなたを必要とする「誰か」がいる。そしてその「何か」や「誰か」は、あなたに発見されるのを待っている。私たちはつねに、この「何か」や「誰か」に必要とされ、待たれている存在なのだ。あなたがすべてを投げ出しさえしなければ、いつの日か人生に「イエス」と言うことのできる日が必ずやってくるから。たとえ、あなたが人生に「イエス」と言えなくとも、人生の方からあなたに、「イエス」と言って光を差し入れてくるときが、いつか必ずやってくるから(諸富・フランクル)。人間は、人生から問われている。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、「人生からの問い」に答えなくてはならない(Viktor E.Frankl 1905-1997どんなときも、人生には意味がある)。どんなつらい出来事であれ、それが起こるからには意味がある。試練から何かを学び、気付くことで、私たちの魂が成長していく重要な機会である。フランクル心理学は、「意味と使命中心の生き方」、「なすべきことをする生き方」へと転換をする考え方である。病気、人間関係のトラブル、リストラによる失職や配置転換、子どもの不登校や家庭内暴力・・・こうしたことが起こるからには、何かそこに「意味」があるはず。それらの出来事を通して、人生が私に、何かを問いかけてきているはずだ。これらの出来事は、一体、何を意味しているのだろう。これらの出来事を通して、人生は私に、一体何を問いかけてきているのだろう。私に、何を学ばせようというのだろう(トランスパーソナル心理学)。NHK・Eテレ「ヴィクトール・フランクル」4月より6回シリーズで放送中。絶望の淵に立たされたとき、「生きる意味」をどう見いだせばよいのか?ホロコーストを生き延びた「夜と霧」の著者、精神科医フランクルの人生と思想をたどる。「生きる意味」が見出せなくなっている空虚感は、常に鏡を見つめるように自分のことばかり考えてしまうからではないか。そう考えたフランクルは視点を自己の内側から外へ「人生が自分に何をしてくれるかではなく、自分が人生のために何ができるかを考えよ」と説く。フランクル思想の核心にある「コペルニクス的発想の転回」。フランクル心理学・集団の同調圧力・学校文化の負の側面・世間のルールで動く学校・法規という越えてはならない壁の共通認識の重要性・学校の悪しき慣習と組織文化・積極的な孤独をおくる条件・人生からの問い・トランスパーソナル等に関する学術的心理学的調査分析研究の一環として
  • 2024年5月
    2000年頃から「学力低下論争」が始まり、教科書の内容を削減する「ゆとり教育」の弊害が叫ばれ、確かに学力が下がったという証拠として、PISA調査(経済協力開発機構による国際的学習到達度調査Programme for International Student Assessment) において、日本の読解力成績が、2000年の522点から2003年の498点へと急落したことが挙げられている(川口)。果たしてこのことがゆとり教育の影響だったかどうかは、議論の余地があるとされるが、学力低下が決定的事実として扱われるようになった(川口)。こうした調査も1つの目安であって絶対的なものではなく、ランキングに一喜一憂するのではなく、そこから得られたデータや課題を丁寧に分析検討し、今日の日本に合致した学力への展望を構想することが求められている(尾木)。しかしながら、「現行の全国学力テスト」は、「復活」し、2007年度から対象となる学年のすべての子どもがテストを受験する「悉皆形式」で実施されてきている。1956~1966までの11年間にも、文部省が主導する全国的な学力テストが実施されていた。敗戦後の日本の教育が子どもたちの学力を低下させているのではないかという不安があったため(金馬国晴・学力の社会学・岩波書店2004)とされている。当時の新教育運動が学力低下の要因かは不明であるとされる。当初の調査は「抽出方式」だったが1960年代には90%を超える学校が参加し、1961年度の中学校の調査では、すべての学校が参加する悉皆実施された。1965年度に再び抽出調査にもどり1966年度には全国学力テストは終了した。全国学力テストが11年で終了した理由は、当時の日教組を中心とする大規模反対運動・準備教育の過熱(志水・全国学力テストーその功罪を問う・岩波新書及び浦岸・全国学力テストはなぜ実施されたか・園田学園女子大学論文集)。教員の勤務評価・学習指導要領の法的拘束力・教育行政による学校教員の実践への制約が強まってきたこと・全国各地でボイコット運動・当時の教育基本法が、教育内容に対する国家の介入を制限する内容であることから、全国学力テストの適法性を問う訴訟・都道府県間の点数競争の激化・テスト準備の教育の過熱・テスト当日に成績の悪い子どもを組織的に休ませた(文部省学力調査問題学術調査団1964)等、高まる全国学力テストへの批判があった。40年の空白後、現行の2007年度から始まった「全国学力テスト」は、毎年数十億円と言う予算をかけて実施されているが、様々な混乱を引き起こしている(川口俊明・全国学力テストはなぜ失敗したのか・岩波新書2020)(尾木直樹・全国学力テストはなぜダメなのかー本当の学力を獲得するために・岩波新書2009)。学校行事等の日程調整等の苦慮、本来の授業の進度が遅れる、教師が正解のヒントを教える、子供同士のカンニングを黙認する、校長自ら試験中巡回して誤答を指差す、学校の成績には関係しないので真剣に取組まない子ども、テストの問題傾向に合わせた事前学習や模擬テスト、前年度のテスト問題の繰り返し練習、予想問題のトレーニング、テストの解答用紙に書く練習、対症療法的で訓練主義的なテスト対策学習、成績の優れない学校の校長がが教育委員会に呼び出され、学力向上を約束させられた、順位競争に目を奪われ目先の得点力アップが優先される、直面するいじめや校内暴力、学級崩壊、不登校等の克服や将来への希望を育む教育の後回し、不登校の生徒には実施日を教えない、孤独を感じるとうつ状態の子どもの多さ、成績の悪い生徒を休ませる、点数の取れない子の差別化、「虫けらのように勉強のできないヤツ」と蔑む歪んだ友達観と学習観、全国から注目された秋田県での「秋田詣で」と呼ばれた視察が相次ぐ、矛盾だらけの順位競争等、本当に学力向上に役立っているのだろうか(尾木)。これを教育破綻と呼ばずに何と表現するのだろうか(尾木)。テストが必要とされた理由は、①競争主義(志水)による学力の向上・テスト結果の公表による競争意識を高める(当時の文科大臣中山成彬)②公教育の質保証(中澤・日本の公教育ー学力・コスト・民主主義・中央公論新社)・学校や教員は支払った税金に見合う成果を挙げているのか(山田・新学力テストの性格と課題・日本教育政策学会年報)③一人ひとりの児童生徒の指導と個々の教育委員会の施策に役立てること。子どもの学びと育ちに有効適切な形でフィードバックする・各学校や各教育委員会で使えるデータ解析。悉皆調査によって、一人ひとりの子供の学びを把握し、その背後にある学級・学校・都道府県教育委員会・文科省指導助言や教育政策の在り方にまで反映(梶田編・確かな学力の育成と評価の在り方・金子書房)④学習指導要領の定着を目指す。さらに全国学力テストの「悉皆実施」を正当化したのは、①指導に活かす②学習指導要領の定着を目指す論理である。何のために全国学力調査が必要なのか?どうしてもしなければならないという必然性が無いのであれば、少なくない時間(テスト対策によって通常の授業が遅れることや他の行事への影響、教員の負担が増加・子どもへの心理的影響)と予算(毎年数十億円)をかけてまで学力調査をする必要があるのだろうかという疑問がある(尾木直樹・全国学力テストはなぜダメなのか・岩波書店)。そもそも「学力テストで教育の成果を測る事はできない」という、学力テスト自体にに対する根本的懐疑論があるとされる。2020年現在で、全国学力テストを見直そうという動きがある(教育新聞・全国学力調査、廃止含め見直し検討 自民党教育再生実行本部)。日本の教育行政には、現状把握をする利点がない、現状把握をするという発想自体が無いという組織の構造的問題がある(川口)。数年単位(1年から最長7~8年)で異動することが当然となっている慣行と減点主義からくる問題があるとされる。指導の役に立つ悉皆実施の意識が、現行の問題だらけの全国学力テストを支えてしまっているとされる。日本の校長は、生徒に高い学力をつけさせていくことについて保護者からの期待や圧力を強く感じている(生きるための知識と技能 PISA2006調査国際結果報告書)。しかし、親は学力至上主義ではない。親が望む子どものイメージアンケート調査で、人の痛みがわかる人間になるが最も多く、学力をしっかり身につけるは最下位であり、健康な体をつくるが2位、その他、自立心、責任感、努力する子、社会のルールやマナーなどモラルを身につける、友人に恵まれる、がある(読売新聞世論調査2003や臨床教育研究所ー親の願いは学力よりも心・アンケート調査に見る学力要求の真相レインボーリポートvol.10)。回答者の親の多くは学力より心や自立心・モラルなどという人間性、人としての中身が重要と考えている。第一位の人の心の痛みがわかる人という願いの理由は、人間として一番大切、生きていく上で最も大切、一人では生きていけないから、よい友人が見つけられるからなどであり、他者よりも抜きん出るための競争ではなく、共に生きるために力を合わせる共創を願い、協力社会を望む親心が明らかになっている(尾木)。無謬主義からアジャイル方式へ(日経新聞社説・霞ヶ関は無謬主義から脱却できるか・2022.2.21)、絶対に正しいという思い込みによる教育政策から客観的データに基づいた政策形成(EBPM;Evidence Based Policy Making)へ、臨機応変な政策修正が求められている。文科省が掲げた調査目的(実態把握・教育評価・説明責任・競争的側面)は、ほとんど達成できていない、調査結果やデータを活用しようと考えているのか疑問である(尾木)。特に、就学援助の受給率の高い学校の方が正答率は低い傾向が見られるという経済格差と学力の問題については、よりよい教育政策を導き出すことが大切である(尾木)。子どもたちの学力と就学援助率との間にはかなり高い関連性が見られ、地域類型別格差および都道府県格差に比べると、この学校間格差の絶対値は最も大きい。真に問われなければならないのは、家庭間での経済力(志水・全国学力テストーその功罪を問う・岩波書店)格差の問題である。(子どもの貧困と学力・学習状況ー相対的貧困とひとり親の影響に着目して・国立教育政策研究所紀要・卯月由佳・末冨芳2015.144:125-140. )指導のためという名目で、政策のためにはほとんど使えていないテストが、毎年数十億円の税金で実施され続けてきた。何のために学力調査をするのか、どうすればよいのかを考える時期に来ている(川口)。自ら学び、よりよく働き、人生を充実させて生きるためのリテラシー獲得としての学力観への転換、一人ひとりが伸び続ける、主体的で意欲的な学習態度や学力の育成が求められている。「学びがい」から「生きがい」や「働きがい」という高次の欲求への昇華、「なぜ」、「どうして」の問いを大切にして、クリティカルシンキング力を鍛え、お互いの学力を向上させ、人格形成や人間理解力が高めることができる(尾木)。全国学力テストで、都道府県や地方自治体間、学校間の順位競争が煽られており、点数や順位を競い合うという競争主義や訓練的で対処療法的認知主義的学力観、テストの点数をあげる目的だけの学習観となっている。グローバリゼイションによって変化する世界各国共通の課題として①ポスト産業主義社会への移行・高度知識社会と生涯学習社会に対応した教育②多文化共生の教育③学校と教師の自律性④教育の平等の徹底⑤民主主義の発展と公共モラルの育成を求めてシティズンシップの教育(佐藤学他)。OECD各国がこのような課題に対して改革に取組んでいる時に、日本は全国学力テストで競争を煽っていて、授業内容や教員・学校・教育行政がテスト依存と競争信仰から脱却することが望まれる(尾木)。教育改革市民フォーラムのメッセージでは、子どもや教職員、保護者、地域住民みんなで共に学校を支えていこうという共同性が壊れ始めているとしている。全国一斉学力テストは、地方間・地域間や、地域内の学校間、学校内の子ども間・保護者間・教師間の学力競争へと競争原理を教育社会、学校社会の隅々まで持ち込んだ。このことによって本来日本の学校に内在していた人間社会としての支え合い、認め合い、許し合う共同性を急速に喪失させてきている。学校内部も、校長・副校長・教頭・主幹教諭・指導教諭・主任などによる階層化、重層化が進み、子どもと向き合う教職員の、本来なくてはならない一体性、単層性あるいは同僚性さえもが失われてきている。教育改革市民フォーラムでは①全国一斉学力テスト②教員免許更新制③教師の階層化④寛容なき厳罰主義⑤国家による教育統制の強化の5点を中止すべき施策としている(国連で子どもの権利条約が採択されて20周年の日を迎えてー荒牧・尾木・奥地・科勝野・喜多・佐藤・中川・西原・藤田)。全国学力調査に関する学術的調査研究の一環として
  • 2024年5月
    部活動における事故について、事故の発生に落ち度がある者全員が責任を負う可能性がある。法的には、危険を予測して注意する行動をとるべきだったのに危険を予測しなかったり、危険を回避する行動をとるべきだったのにとらなかったりしたかという点(過失があったか)と、仮に過失があったとしても、事故(損害)の発生との間に社会的に相当と認められる因果関係があったかどうかという点が問題になる。加害者である生徒本人が責任を負う場合、刑事責任については14歳以上の人、民事責任については、概ね12歳を超える年齢の者に責任能力がある。部活動に参加する中学生以上の生徒であれば本人に損害賠償責任が課される可能性がある。民法714条1項では、加害者となる生徒に民事上の責任能力が無い場合には、保護者は監督義務者としての責任を負う。責任能力が無い子の行動について、他人に危険を及ぼさないよう日頃から指導監督する義務があるので、監督義務者である保護者が責任を免れることは、現実的には多くは無い。中学生以上については、生徒本人に責任能力があり、本人が損害賠償責任を負うとされるが、その場合であっても保護者自身も責任を負うとされる場合も多い。最判昭和49年3月22日民集28巻2号347項で、未成年者が責任能力を有する場合であっても監督義務者の義務違反と当該未成年者の不法行為によって生じた結果との間に相当因果関係を認めうるときは、監督義務者につき民法709条に基づく不法行為が成立するものと解するのが相当と判示しており、保護者に監督義務違反が認められれば、保護者の責任が問われる場合がある。子どもが部活動の練習中に危険な反則行為を繰り返していたことを知っていたにも拘らず、保護者が家庭で必要な注意をしていなかった場合、子どもが同様の反則行為によって他の生徒を怪我させてしまったような事故が生じたときには、保護者の監督義務違反と結果との間に因果関係があるとされて、子どもに責任能力があったとしても、保護者自身に損害賠償責任が課される可能性がある。民事責任については、子ども本人に責任能力があろうがなかろうが、現実には子どもに賠償するだけの資力はないので、保護者の責任が追及されるケースが多いとされる。部活動の地域移行に伴う法律相談(山本翔弁護士著・日本法令)学校・指導者・関係者の法的責任と対応。部活動における生徒本人と保護者の法的責任に関する調査研究の一環として
  • 点数を取る学力から非認知能力・力強く生き抜く力(人間力や自ら学ぶ意欲・社会で主体的に生きる力など)の育成へ、より人間らしく成長することが教育の目的。国連子どもの権利委員会からの勧告ー競争が激しい教育制度のストレスに晒され、子どもたちの健康に害が及んでいる実情にあり、日本の学校制度の極端に競争的な環境の是正が求められている。教員の精神疾患は確かに増えている。病気休職者の過半を占める精神疾患。教員の精神的な健康を守る事は、健康な精神を持つ子どもたちを育てるために不可欠。教員という仕事への意欲が年齢と共に低下している(教員の働きがいに関する意識調査・国際経済労働研究所)。不眠や喉の渇き、涙が止まらない、深い自責の念、希死念慮、呼吸困難、ホルモンのアンバランス、心身症、円形脱毛症、胃潰瘍、不満と怒り・恐怖感・動悸・校長の話が頭に入らない・不安・意欲の低下・判断能力と思考能力の低下・身体が震えるようになった等。教員は、不登校・いじめ・問題行動・モンスターペアレント対応・同僚や管理職対応など、いつ何時も際限なく対人関係の仕事に追われることも少なくない、ストレスがたまりやすい職業(佐野・水澤・中澤) 
    2024年4月
    国連子どもの権利委員会からの3回の勧告「教育の目的」①子どもの人格、才能ならびに精神的および身体的能力を最大限可能なまで発展させること②人権および基本的自由の尊重ならびに国際連合憲章に定める諸原則の尊重を発展させること③子どもの親、子ども自身の文化的アイデンティティ、言語および価値の尊重、子どもが居住している国および子どもの出身国の国民的価値の尊重、ならびに自己の文明と異なる文明の尊重を発展させること④すべての諸人民間、民族的、国民的および宗教的集団ならびに先住民間の理解、平和、寛容、性の平等および友好の精神の下で、子どもが自由な社会において責任ある生活を送れるようにすること⑤自然環境の尊重を発展させること。日本の教育は、極端な競争環境ばかりが優先されていると指摘されている。2007年に全国学力テスト(全国学力・学習状況調査等)が始まり、成績・順位を上げるための都道府県、市町村、学校の競争が激化している(ブラック化する学校・少子化なのに、なぜ先生は忙しくなったのか?・前屋毅・青春出版社)。昨年1年間に自殺した小中高生は全国で513人で、過去最多だった前年514人と、高止まりしている。学校が正常に機能していれば起きるはずのないことが頻繁に起きている。子どもたちの学ぶ環境が改善されてきているとは思えない。小中学校の全生徒数が約20年間で400万人以上も減っているにも拘らず、不登校は倍に増えている。不登校は自分を守ろうとする反応といわれる。10代の自殺の動機や原因で最も多いのは学校問題で、次に健康問題と家庭問題で(警察庁)、複数の要因が絡み合って起こるとされる。子どもの不調の背景には、学校問題だけでなく複雑な家庭問題や心の病等が潜んでいる(秋田魁新報社説・子どもの自殺・危険なサインを見逃すな・2024. 4.24)。①いじめーいっこうになくならないのは学校の体質に問題がある。②不登校ー増加の一途(2022年不登校小中学生約30万人で、過去5年で倍増という急増ぶりで最多を更新している)適切な対策は無く、学校の在り方にどこか間違っている。③高校中退ー毎年10万人退学しているのは高校のあり方に何か問題④管理教育ー学校が不可侵の教育空間となっていることを崩し開放的にしないと問題解決しない⑤画一的教育ー「教育の多様化・個別化・多線化」は不可欠⑥「変動社会への適合性の低下」ー「国際化・情報化・多様性・流動性・ベンチャー性への対応」が十分ではない。新しい文化的リテラシー・「情報リテラシー教育・創造性先端性多様性教育」、国際理解・環境教育への対応等が重要(藤田英典東大教授・教育改革ー共生時代の学校づくりー岩波新書)。全国学力テスト(学習状況調査)の実施が、受験する子どもたちの心理に与える影響(負担感や結果の受け止め方)や実施する側の学校・教員の事前準備対策の負担増と結果(平均点や全国順位等)に対する心理的圧力について、実施する意義や必要性との充分な深い検討がその地域地域で必要と思われる。教師のストレスの要因①生徒指導や保護者対応の困難さ(問題行動の生徒への指導の大変さ・非常識を通り越して無常識ともいえるコミュニケーションが成立しない保護者との対立の難しさ)②管理職や同僚との人間関係を中心とする職場内慢性不適応状態(慢性疲労状態)③教師としてのアイデンティティの危機(岡田謙・事例でわかる教師のストレス対処法・金子書房)管理職との関係がストレスとなる場合について具体例(校長の指導で、不満と怒り・恐怖感・動悸・校長の話が頭に入らない・不安・意欲の低下・判断能力と思考能力の低下・身体が震えるようになった等)が詳細に記載されている。教師が心の健康を損なう要因①学校ストレス(問題行動の生徒への対応・同僚教師とのかかわり・管理職とのかかわり・教育実践への不信・気が進まない仕事への取組・日常のルーティーン)②教職のやりがい感(生徒とのかかわりと職場環境の満足感・対外的評価の満足感・働く内容への満足感・労働待遇への満足感)(教師の精神的健康の現状と課題について・森下・葛西・鳴門教育大学学校教育研究紀要・2019.33.131-140)。教師はうつ病を発症する職種の第一位で、毎年5000人前後の教師がうつ病になっているという。保護者からの過度な要求や苦情への対応がひとつの要因となり、うつ病などの精神疾患で休職した教員の数が、2022年度に過去最多の6539人にのぼるなど、深刻な事態につながっている。このほかにも、精神疾患で有給休暇を使って1か月以上休んでいる教員も全体で5653人いて、休職中の教員と合わせると1万2192人に上っているという。この要因について文部科学省が各教育委員会に聞いたところ①教員間での業務量や内容のばらつき②保護者からの過度な要望や苦情への対応のほか③コロナ禍で児童生徒や教職員間でのコミュニケーションの取りづらさがあったことなどが挙げられた。涙を流しながら学校を去っていった教師、学校内で首吊り自殺した教師、一人で山中に入り帰らぬ教師、ビルから飛び降り自殺した教師。残った教師は心を麻痺させることでこの危機を回避してきている。逆らっても、ろくなことにはならないから、苦情や理不尽な要求を受け入れ、教師が心を空っぽにしてきた。(何が教師を壊すのかー追いつめられる先生たちのリアルー激減する教員志望者・過酷な部活指導・定額働かせ放題の実態・現場はここまで疲弊している・朝日新聞取材班・朝日新書2024.4.12)東京都新任教諭5%が1年以内に離職。かつて無い急速で大きな社会変化のうねりの中で、タフに生きていける人材に育てなければならない。相手が誰であれ、子どもの成長を妨げる要求には毅然と対処しなければならない。教師の仕事は、子どもたちがより良い未来をつかめるように教え導くことである。教師が真に教師らしくなったとき、子どもたちの未来は明るいものとなるだろう(教師という接客業・齋藤浩公立小学校教諭・草思社)。現役の教師が、機能不全に陥りかけている学校の実態を生々しくリアルな体験をもとに具体的に紹介されている。精神性疾患による公立学校教師の休職者が増加している原因は、保護者とのトラブルが関係している事例が2/3に近い。子どもからの訴えは十分聴き、信じることも大事だが、虚言であることもある。①叱責や非難など、葛藤場面から一時的に逃避するための虚言②反抗や攻撃のための道具としての虚言③自分を良く見せたい、認められたい、欲求を満たしたい等、何らかの利益を得ようとするための虚言④他からの強要、あるいは他の人をかばう等、他者との関係から生まれる虚言等に分類される。子どもが保護者をクレームに巻き込むのは①が多く、自分から先に友人に暴力を振るっておきながら、「相手が先になぐりかかってきた」と訴えたり、そこに至るまでの一切の教員の指導を省いて、「いきなり先生に怒鳴られた」などと哀訴する例がある。子どもの一方的な言い分を鵜呑みにして、いきり立ってしまうと、教員から見ると「不当な苦情」クレームになってしまう。言い分には十分に耳を傾けながらも、矛盾点や疑問点は落ち着いて問いたださないと、子どもの虚言に振り回されてしまう。事実の確認を怠った訴えは「理不尽なクレーム」となる可能性が高い。苦情を訴える場合には、「自分の得た情報や考え方が誤っている可能性がある」との認識が求められる。子どもがいる場面で教員のマイナス面をあげつらうのは得策ではない。子どもの教員観は悪化する一方で、子どもにとって益なない。「子どものため」と言いながら、教員への個人的嫌悪感をぶつける事例もある。(学校崩壊と理不尽クレーム・嶋崎政男東京都中学校長・集英社新書)。子どもや保護者、同僚や管理職からの一言や否定的な態度がバーンアウトの引き金となる。生徒や部員が悪くなる(問題行動)のは、教師の指導力の問題だと叱責され、頑張る気力が一気に喪失してしまうケースもある。最近の母親は「人間関係の耐性」が無く、「短絡的」で自分を尊重しない優先しない相手は「敵」とみなす。ちょっとした意見や忠告、善意のアドバイスさえ、批判や攻撃と受け取る傾向がある(石川・モンスターマザー・光文社)。不眠や喉の渇き、涙が止まらない、深い自責の念、希死念慮、呼吸困難、ホルモンのアンバランス、円形脱毛症、胃潰瘍等が生じる(新井)。不登校・いじめ・問題行動・モンスターペアレント対応・同僚や管理職対応など、いつ何時も際限なく対人関係の仕事に追われることも少なくないという、ストレスがたまりやすい職業。精神疾患による教職員の休職者数は、年々増加傾向にある(佐野・水澤・中澤・教師のバーンアウト要因に関する研究・関西学院大学心理科学研究2013.39.69-74)。医師による面接が必要な「高ストレス」の教職員が過去最高の11・7%に上ったことが2024.6.27日わかった。事務的な業務量、対処困難な児童生徒への対応、校務分掌や保護者への対応がストレスの要因になっているという。共済組合は16年度から労働安全衛生法に基づく「ストレスチェック」を実施している。高ストレス者の割合は、調査を開始した2016年度(8.9%)以降、コロナ禍で休校が続くなどした2020年度を除き、毎年上昇している。中学、高校の教職員にストレスを感じる割合が高く、30~40歳代が多いという。共済組合は今回初めて、ストレスの具体的な要因を把握するため、16~22年度に受検した延べ約172万人分のデータを分析した。最多のストレス要因は、報告書の作成など「事務的な業務量」だった。「対処困難な児童生徒への対応」、学校の業務を分担する「校務分掌」と続いた。22年度には「保護者対応」が初めて4番目に入った。近年、学校現場では長時間労働の常態化のほか、教職員に高圧的な態度をとるモンスターペアレンツと呼ばれる保護者の存在が問題となっている。調査に携わった福岡聖恵病院の十川博副院長は「コロナ禍以降、人間関係が希薄になり悩みをひとりで抱え込む若年層の教員が増えた。特に保護者からの理不尽な要求や苦情などへの対処は難しく、フラッシュバック等のダメージに苦しむ教員もいる。苦しんでいる教員を同僚や上司が見逃さず、仕事の分担などでサポートしていく姿勢が重要だ。学校だけで対応するのは限界で、社会全体で問題を共有し議論していくべき」と指摘している。教育困難度の高さが指摘され、メンタルヘルスの維持・向上に向けての対策の重要性が叫ばれているのが「中学校教師」である(斉藤浩一・中学校教師の心理社会的ストレッサー尺度の開発・カウンセリング研究1999.32. 254-263)。生徒指導上の諸問題が最も多く生じるのは「中学校」であり、複雑化・多様化する問題行動や不適応行動への対応、関係機関、保護者への対応等、特異性をもつ様々な問題に直面しているのが「中学校」である(中学校教師のバーンアウト傾向に関連する要因の検討・宮下敏恵・学校メンタルヘルス2012.15.1.101-118・文部科学省・児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査結果について・文部科学省報道発表2011)。日本学校教育学会編 これからの学校教育を担う教師を目指す(思考力・実践力アップのための基本的考え方とキーワード・学事出版)。いじめ・自殺はなぜなくならないかー司法と教育現場の連携による問題解決へ(明石書店)の著者である児玉勇二弁護士は、「いじめが解決できない原因として、国連子どもの権利委員会から何回も勧告されている過度の教育競争が解決できずに、ますます教育競争が激化していること」を挙げている。国連子ども権利委員会勧告・子どもの自殺・不登校・いじめ・高校中退・管理教育・画一的教育・多様性教育・教師が心の健康を損なう要因及び教師のストレス要因・教師のうつ病・教師の精神性疾患による休職者の増加要因・子どもの虚言と保護者の留意点・教師のバーアウト等に関する学術的調査研究の一環として
  • 新しいことを学ぶ意欲や探究心・向上心を無くしてしまっている。教師自身がすでに新しいことへの対応や考える意欲を無くしている(主体的な学びの喪失)。学ばない教員・学べない教員・教え方を知らない教員・本を読まない教員(林)。読書しない、フラストレーションをかかえる教員たちが、子どもたちを相手に授業をしている、それが学校の現状(前屋)。読書によって思考力・判断力や粘り強さを身につけることができる。情報ではなく、「人格」として書物を読む習慣を身につけることが大切(齋藤)。校長は、現場の課題やこれからの社会・学校をめぐる環境の変化とかけ離れているかというチェックが欠かせない。他方、教職員は、学校全体の視点や中長期的な思考・多様の見方考え方・鳥瞰的視点が弱い傾向にある(国立教育政策研究所「教員の質の向上に関する調査研究報告書」)。校長としての自己の研鑽・研修に努め、自ら服務を厳正に遂行し(服務規律)模範となるよう見識を高め、人間としての教養を深めること(人権意識)が肝要。見識とは「本質を見抜く判断力」である(大高・君塚・浅野各元校長)。「文脈なくして意味なし(齋藤)」 
    2024年4月
    新しいことを学ぶ意欲や探究心・向上心を無くしてしまっている。教師自身がすでに新しいことへの対応や考える意欲を無くしている(主体的な学びの喪失)。学ばない教員・学べない教員・教え方を知らない教員・本を読まない教員・理念欠如型教員(残念な教員ー学校教育の失敗学・林純次・光文社新書)。教育や世界日本の動きを知らない教員・無神経な言動をする教員(教員という仕事ーなぜブラック化したのか・朝比奈・朝日新書)。急速なICT化対応等について、学校から地域へのお知らせに、管理職のアナログへの固執あるいは懐古が最近になっても記載されている現状にある。私の経験では少なくとも30年以上前にはすでに教職員全員PCでのメールや書類のペーパーレス化、書類の添付ファイルでのPCによる送信、会議の議事録はすべてPCで添付ファイル送信、研究業績活動等のWEB掲載等、ICT対応が急速に進んでいた。現在なおICT教育対応への学校の教師や管理職の抵抗感があり、ルーティーン化した画一的知識伝達型授業や業務からの切り替えが困難な教員らも多い(デジタル教科書への不慣れや紙の教科書への根強い志向等)。文部科学省が2023年12月27日に公表した「『GIGAスクール構想の下での校務DX化チェックリスト』学校・教育委員会の自己点検結果~(速報値)」によると、公立の小学校・中学校のうち、業務にFAXを使用している学校は96%にのぼる。FAXを使う場面(複数回答可)は、「外部機関と学校とのやりとり」78%がもっとも多く、ついで「学校同士でのやりとり」56%、「教育委員会と学校とのやりとり」34%、「保護者と学校とのやりとり」5%、「その他」5%という結果だった。2023年12月、政府の「デジタル行財政改革会議」の中間報告の中では、学校現場のアナログ業務を抜本的に見直し、デジタル技術の活用により校務DXを実現する具体的な目標も明記され、2025年度までに学校現場でFAXでのやり取りや押印を原則廃止する方針。文書をPCで送信できない、コピーを取ってからあるいはプリントアウトしてからFAX送信するケースもいまだに多い現状にある。中学校教員等へのPCでのメールでの問い合わせにおいても、教職員室にいない時間が多く、いつでも空いた時に見れるようにPCメールを出すと、異常な反応を示し、そのメールアドレスを受け取り拒否する場合も見られ、電話での問い合わせや直接面会のみが常態化している教員も多い。生徒の欠席連絡さえも電話連絡がほとんど。記録が残ってしまうメールへの拒否反応(返信しない場合や返信の文章の打ち込み自体をかなり面倒くさがる傾向、さらには文章の文字打ち込み自体の不慣れ)やPCでの書類送受信がいまだに不慣れなケース等が多い事は間違いないであろう。学校内で、教頭が各教員へのお知らせ文書をコピーして、各教員の机に置く習慣がいまだに多い(生徒が出入りできる教職員室で、教員の机にある書類は、当然の事ながら生徒の目にも触れることになる)。学校内でPCでの文書の一斉送信(あるいは複数の担当教員のみへの送信、関係学年教職員のみへの送信等)がなされていない。無関係の機関への誤送信も多々見受けられる。教員個人の携帯へのメールにおいても、なかなか返信しない、返信があっても面倒くさがっているかなり簡単な子どものような内容が多い。部活動指導員の出勤簿さえも、いまだに文書ファイルにとめられた手書きの業務内容の記載と押印である。例えば、大会の事前監督者会議で配布された資料等をスキャナーで取り込んでコーチらに送信できない教員が多い。後になって直接会ったときに紙で手渡しするケースがほとんどである(直前の手渡し)。そもそもスキャナー(あるいはスキャナー機能を備えたプリンター等、PC接続可能プリンターやコピー機)自体を中学校内で見たことがない。教職員室の机には、ノートパソコンが置いてあるだけで、プリンターはない。財務省デジタル教科書普及促進事業予算執行調査では「紙の方が使いやすい」「デジタル作業に不慣れな教員」「漫然と併用を続けるのではなく」等、指摘されている。また、2024.7.8秋田市教育委員会によると、秋田市内の中学校で、123人分の生徒の個人情報が全校生徒544人全員に貸与されているタブレット端末で閲覧できる状態になっていて、今年4月以降およそ3か月にわたって、生徒が授業で使う学習用タブレットの共有フォルダで閲覧できたと報道された。タブレットでは個人情報を扱ってはいけないルールになっていたが、教員が、生徒や教職員が閲覧可能な共有フォルダに保存し、3ヶ月間教職員が誰も気付かなかったという。原因は、教員が生徒の個人情報を引き継ぐ時に、ファイルの保存先を誤ったためで、閲覧できた情報の中には、指導するうえで配慮が必要な生徒として、3年生192人のうち配慮が必要な123人分の氏名や学習状況、持病や障害など健康状態が記載されていて、このうち48人は、特に配慮が必要な生徒として顔写真が添付されていたという。2024.7.3.保護者からの指摘を受けて発覚し、学校側が確認したところ、15人の生徒が閲覧していて、いずれも外部に流出させてはいないと回答したという。学校側は、2024.7.8.朝、全校集会で生徒に説明して謝罪したという。保護者からは「生徒を中傷するような情報も書かれていたという話もあるが、学校側から納得のいく説明はなかった」と憤っていたという。生徒が使う学習用タブレットで3ヶ月間も全校生徒544人が共有フォルダで閲覧できたこと、3ヶ月間も教員が誰も気付かず、保護者からの指摘でやっと気がついたこと(生徒の学習用タブレットの共有フォルダを教員の誰も長期間チェックしない、気がついた生徒の誰も教員に直接言わない関係性)、生徒も使っているタブレットで、パスワード設定なしで重要な個人情報ファイルを共有フォルダに保存する教員の感覚やICT技能、個人情報取扱の軽さ等には驚かされる。民間事業者の学習用アプリを通じて、氏名・生年月日・テスト正答率・学習履歴等の個人情報をアプリ提供事業者が直接取得・管理していて、個人データの保管や処理等を欧米やイスラエルなど計13カ国・地域の事業者に委託している。文部科学省は自治体の情報管理が不適切として全国調査する予定という。2024.7.8夜、学校側が非公開で臨時の保護者会を開き、謝罪するとともに経緯などを説明した。これに対して保護者からは「閲覧できた情報には、生徒を侮辱するような内容があったという話を聞いたが、本当にあったのか」とか、「閲覧できた情報の内容も含めてそれぞれの生徒や保護者に示すべきではないか」などの質問や意見が相次いだが、学校側から明確な回答はなかったという。また、保護者が「生徒への聞き取りのあとに、口止めをしたのか」と質問したのに対し、学校側は「口止めはしていない。情報を言わないように協力してほしいと言った」と説明したという。参加した保護者の女性は「信用している先生にどうしてひどいことを書かれないといけないのか分からない。学校側は『これ以上言えません』という感じで、怒っている人がたくさんいた」と話していたという。学校現場の業務は、古くからの慣習(学校文化の負の側面・学校的価値観・学校という世間のルールで動く学校)が根強く残っているケースが多くみられ、一足飛びには変えられない状況にある。さらには、ICTやSNSへの過剰反応する学校・教員も多い(学校で初めてデジタル教科書導入やICT化担当を指示された教員のストレス・学習用タブッレットを取り入れた授業へのストレス、根強い教科書の紙志向、財務省デジタル教科書普及促進事業予算執行調査、文科省全国公立小中調査、教員自身が不慣れ、LINEやX、ブログ等への記載で、内容の深い検討や改善よりも、個人名は全くないにも拘らず、個人攻撃ではなくても生徒等を厳罰にする短絡的な学校運営(厳罰主義・教育より管理が第一の学校管理職・WEBそのもを罪悪視等)。一方で教員自身は、生徒指導上配慮が必要な個人情報資料(氏名・顔写真付)に、教員個人の思い込みや生徒が傷つくような中傷を多数書き込んでいて、後でファイルの置忘れ(教室の教卓上や体育館等に置き忘れが報道されている)やUSBメモリの紛失事例多数、共有フォルダへの保存等で、その内容が明らかになっている。生徒・保護者には見られないところでは、思いもよらないような誹謗中傷・生徒批判や侮辱とも受け止められかねない内容を多数書き込んでいて、生徒・保護者からの信頼を大きく失うことになりかねない。生徒指導上、配慮が必要な生徒の情報の名のもとに、教員は個人的「思い込み」を多数書いている。部活動の外部指導者等(部活動指導員等)に対しても、中学校教員から「あいつは注意欠陥多動性だ」あるいは「あの子はADHDと思いませんか」と同意を求められ、「私は医者ではないので、分かりません」と返答したことがある。教員が医師免許もないのに生徒に勝手に病名を決め付ける例も見受けられる。札幌市の中学校で、「低学力」「社会性に欠ける」「LGBTQかも」「ADHD的な面もあり(診断なし)」「周りから信頼がない」「学年で1番面倒な人」「低学力小3レベル」「クラスで1番幼い」「コミュ力低い」「ちょろすけ」「父親うるさい」「ケンカっ早い」「だらしない」など、教師からの誹謗中傷ともとられかねない内容が書かれていたことが明らかになっている。氏名、性別、成績、家族構成のほか、病気、障害、忘れ物が多いなどの学校生活の情報、仲が良い生徒や悪い生徒の名前などの人間関係、さらには、どういう場面で不安を感じるか、思いが空回りして泣いてしまうことがあるなど具体的な生徒の性格などが書かれていたという。札幌市立中学校の内部資料とみられる書類がSNS上に流出した問題で、同市教委は2024.7.8日、50歳代の男性校長を減給10分の1(1か月)、20歳代の女性教諭を戒告の懲戒処分にした。発表によると、教諭は2024.4.10日、生徒の性格や家庭環境などを記した一覧表を体育館に置き忘れ、紛失に気づいた後も上司に報告していなかった。また、校長は個人情報の取り扱いについて教諭らに十分な指導をせず、「生徒や保護者を傷つけるような表現」が使われている点についても是正しなかったなどとしている。管理職の立場や学校組織を守ることに執着し、批判や指摘を過剰に恐れ、不安感や自信の無さからくる個人情報保護(学校批判を極端に恐れるあまり)の恣意的過剰反応もある。明らかに教育的な生徒指導(ルール・マナー指導・安全配慮指導・社会人基礎力養成指導・人権意識教育・いじめ防止指導等)を「生徒批判」と思い込む教育欲をなくした深く考えない管理職。生徒に社会性を身につけさせようと指導すると、特に「ほめて育てる」という考え方に染まった保護者からクレームがくるため、生徒を放置しておくしかないと語る教師も少なくない(荒れる学校へ。社会性が身につかない大人へ)。教育よりも自己防衛意識が強い教師は、問題行動を起こしても生徒を注意せず放置するか、自己責任を逃れるため事実をゆがめて一方的に校長に報告すするケースもある。自己防衛や自己正当化・自己愛のため、相手を否認し無価値化して、自分の都合の良い方向にねじ曲げ、嘘をつく原因になった隠しておきたい出来事や行為に対する後ろめたさがある場合や、恐怖や恥も感じずに嘘をつくタイプもいる。相手の価値を低下させれば、自分とは異なる考え方や見方を排除することができるので、自分自身の価値を保とうとする。自分の能力に不安を抱いていて、自信の無い人ほど、他人を無価値化して、自分の価値を保つのである。自分の信念や判断が最良で絶対正しいと主張して、他人の価値観を侵害する。攻撃欲の強い人は、価値があるのは自分の意見だけで、相手は抵抗せずに賛同すべきだと言う信念に突き動かされていることが多いとされる。もし他人の考え方を尊重しようとすれば、自分自身の決断を変更しなければならなくなる。場合によっては、自分の落ち度、誤り、過失等を認めざるをえないかもしれない。そういう事態を避けるために、他人の考え方を一切考慮せずに防衛する。「精神の狭量が頑固を生む」(ラ・ロシェフコー1613-1680フランスの道徳家)。相手が従わないと脅しをかける、罪悪感を押し付ける、話し合いを拒否して諦めさせる、正義を振りかざす、すべてを支配したがる、けなして自信を失わせる等、他人を攻撃せずにはいられない人が世の中には随分いる(片田・他人を攻撃せずにはいられない人・PHP新書)。学校管理職の特権意識・メディアリテラシー(メディアからの情報を鵜呑みにせず、主体的かつ批評的に読み解く能力と目的に合わせて情報を効果的に発信する能力)の理解と教育の不足(尾木直樹)が見られ、管理職や教員自身にもICTスキルが欠落している。管理職の説明責任と誤った判断の見直し再検討が求められている。研修や勉強会等でスキルアップ、レベルアップを図り、学び続けることが重要。教育の質を向上させるには、教師・校長の質の向上が何よりもまず必要である(取り残される日本の教育・尾木直樹・講談社)。初等中等教育機関の教員や管理職は、高等教育機関研究者のWEB記載、例えばresearchmap等への経歴、業績、研究内容、活動内容、社会的学術的貢献等の掲載は、大学等ではWEB掲載することが規定されているが、そのものを罪悪視する傾向にある(職務上知りえた情報とネガティブに捉えてしまう)。大学等では情報公開等の充実として 、法人としての説明責任を果たすため、適正な情報公開に努めるとともに、教育研究活動等の状況についても、WEBサイト等の各種広報手段を活用した積極的な情報発信に取り組むと規定されている(しかし、初等中等教育機関の管理職・教員では、学校の公式HP以外ありえないと認識している・教員の教育的研究活動報告でさえも、職務上知りえた情報として情報発信を極端に制限している。管理職は教育研究論文でさえもWEB掲載を厳しく禁止する場合も見られ、学校のITCスキルや情報公開に認識等の欠落あるいは極端な遅れがある。日本国憲法第23条 学問の自由・研究成果発表の自由等の認識が欠落している)。大学等では公開講座やWEBサイト、SNS等を通じて、一人ひとりの教員の教員紹介、研究成果や活動実績を広く国内外に発信するほか、学長プロジェクト研究・科研費や地域連携・共同研究・社会的活動貢献等についても、その成果公開等を促進するとされる。中高の校長が定年退職後大学教員に再就職した場合に、研究活動業績等がない場合には大学のWEB上への情報公開や教員紹介に馴染めない(掲載したくない・通常の履歴書のみの掲載だけに留まっている・研究業瀬の多数ある他の大学教員と比較される)。研究活動実績の全く無い教員を高等教育機関に採用すると、大学認証評価基準(大学教育の質保証)に不適合の可能性がある。平成16年度からすべての大学・短大・高専は7年以内毎に文部科学大臣が認証する評価機関(日本高等教育評価機構や大学改革支援学位授与機構等全部で5機関がある)の評価を受けることが、法律で義務付けられている。これは大学等の研究・教育の質の向上と改善を目的とされている。大学の研究・教育が適切に行われているかをチェックするため、自己点検・評価を行い、それを改善につなげるため、第三者(大学等の教職員が自分の所属する大学以外の大学を評価する)によって検証するシステム「認証評価」を受けることになっている。教育活動・研究活動の状況を点検評価し、大学が教育・研究水準の向上・活性化に努め、その社会的責任を果たすため、その自己点検評価結果を公表義務化して、学外者による検証を行わねばならない。公共的機関としての大学等に対する国民の理解と支持が得られるよう、教育の質保証(研究・教育の質の向上・改善)の観点から、高度な知識・技能(博士号や実績等)を有する多様な外部人材を幅広く採用することが求められている。かつて小中学校や高校の教員等で大学教員に採用されている人は、多くの著書や講演、研究論文等実績が多数存在していることが通常である。初等中等教育機関の教員や管理職は、憲法で保障されている学問研究の自由や研究成果発表の自由・研究活動の自由・教授教育の自由等を認識していない場合が多い。部活動指導員等の会計年度任用職員採用に対しても、秋田市教育委員会宛へ「日本国憲法を尊重し、且つ擁護することを固く誓う」との宣誓書に署名し提出が求められている。しかしながら、このことを管理職が全く認識せず、憲法で保障されている学問研究の自由や研究発表の自由等を学校管理の名の下で厳しく禁止・管理統制している現状にある。公的機関が管理運営しているresearchmapやJGLOBAL等の本人の公式サイト(大学等の所属機関において、全教員が一人ひとり掲載することが規定されている)と、ブログやX・ホームページ等の本人の私的な個人サイトとの混同や区別ができない誤った見識が、初等中等教育機関の教員や管理職には見られる。WEB上のちょっとした言葉(単語)のみに過剰反応し、前後の文章の読解力の低下や文章の切り取りによる誤った判断や決定をしてしまう管理職(研究論文や記事・著書等として掲載されていることの引用でさえも誤解して解釈する場合もある。)今や、研究論文(研究紀要を含む)はWEB上に学会や大学等で掲載することが規定されていることを知らない初等中等機関教員。インターネット上の発信は「文脈なくして意味なし」と思っておいた方が良い。言葉が文脈から切り離されると何が起こるか。まさにインターネット上での有名人叩きの現場でよく悪用されている(齋藤)。一部だけを読んで前後を読まない可能性がある。言葉が意図した文脈から切り離されてしまうということが起こる。文脈から切り離して別のニュアンスに見せてしまうのはもはや「一種の暴力」である(齋藤・不機嫌は罪である・角川新書)。言葉研究論文を全く読まない・書かない・研究発表しない管理職や教員)。深く考えない教員・本を読まない、学ばない教員(林)。学ぶ意欲や探究心向上心を失くした研究しない教員、著書や研究論文を全く書かない・発表もしない教員(これらの「教員」はすべて「管理職」と読み替えも可能)。テストの採点に対しても、子どもたちの理解力を確認できる教員としての役割感よりも、精神的に大きな負担感をかかえる教員(少人数の採点で大きなストレスを感じて、すぐにたびたび採点を中断する集中できない教員)。現役中学校教員が部活動指導等に関する中学生の現状を著書として多数出版していることを全く知らない多くの中学校管理職や教員。さらに「ケーキの切れない」非行少年たち」「どうしても頑張れない人たち」をはじめ教育に関する多数の書籍等、教育関係者にとって重要な著書を知らない学ばない・読書しない管理職。読書とは自分の中で行う他者との静かな対話である。読書によって判断力や粘り強さを身につけることができる。「人格」として書物を読む習慣を身につけること、これが現状に対する最も根本的な解決法である(齋藤孝・なぜ日本人は学ばなくなったのか・講談社現代新書)。校長のなかには著書(執筆分担や共著書)や研究報告等も多数執筆している人もいる。校長だから研究活動実績が無いのは当たり前とは言えない。例えば、「学校崩壊と理不尽クレーム」嶋崎政男著(東京都の中学校長)集英社新書(教師を疲弊させ学校崩壊をも招きかねないその存在はなぜ生まれ、増え続けているいるのかー教育の第一線で保護者対応の窓口を務めてきた筆者(校長)による実態分析)・「困った親への対応 こんな時どうする」「担任の救急箱ー担任の危機管理100場面 今すぐ何をする」「教育相談 基礎の基礎」など著書多数、東京都の中学校長を複数経験。「学校の当たり前をやめたー生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革ー」千代田区立麹町中学校長 工藤勇一・時事通信社等も出版されている。中学生の現状等に関する教員や校長の教育的著書出版自体を、職務上知りえた情報としてあるいは個人が特定され得る可能性がある情報として罪悪視(管理統制)してしまう研究しない管理だけが目的の教育欲が欠落した(教育に関心を失くした)管理職(学問研究の自由や研究成果の発表の自由に関する憲法第23条を認識せず。教育よりも、深く考えない管理自体が目的となった学校・安易で浅薄な皮相的管理者意識・読解力不足のため人の話や文章を十分に理解できない、正しい判断力が身についていない・一般論として学校教育の在り方に関する検討さえも単なる特定の事例記述(個人情報)としてとらえてしまう。相手の話や文章を読み解く力を磨く訓練が重要で、読解力が無いのは思考不足(齋藤・思考中毒になる!・幻冬舎新書)。中学校長や教員としての経験から、実際のケースが著書やWEB上等で多数具体的に取り上げられており、その際にはプライバシー保護のため設定や細部に変更を加えて再構成していると記載されている。「置き去りにされた高校生たちー加速する高校改革の中での教育困難校・朝比奈なを元公立高校教諭・学事出版)では登場する生徒や教員の多数の具体的なエピソードに関しては、プライバシーを考慮し、個人名は出さず、必要に応じて若干の加筆・修正を加えていると記載されている。教育より管理だけが目的化した学校管理職にとっては、このことさえも職務上知りえた情報あるいは個人が特定されうる情報として罪悪視(言論統制)してしまう傾向にある。深く考えない、読解力の乏しさが思考停止や間違った判断決定を招く(深い学びの喪失)(教育現場は困っている・榎本博明・平凡社)。無神経な言動が目立つ教員。教員には、相手がどう思うかの配慮が足りない人がかなり多い(朝比奈)。子どもや保護者へのトラブルは、相手がどう受け止めるかを考えた言動を教員が取れば減少する。定年後の再任用教員の説明不足により保護者に与えた不安感(朝比奈)。教育や社会に関心を持ち続ける教員が少なくなってきており、知識や知性に重きを置かない雰囲気が教員間に広がっている。自分で考える気持ちが無ければ、人は考える根拠となる知識や情報を得ようとはしない(朝比奈)。空気(場や世の中の雰囲気)を読み誤ると、いじめ、パワハラ、ネット炎上、望ましくない忖度等が発生し、息苦しく生きづらい社会になり、時には「組織等の決定や行動において大きな過ち」を犯してしまう(米田前秋田県教育長・空気を読む世の中で・秋田魁新報月曜論壇)。過ちを犯した組織や管理職の判断の認定と再検討・見直しや取り消しが求められる。管理職の法的責任、学校の法的責任、教員の個人的責任と学校設置者の組織的責任、学校教育の基本理念が、価値観の多様化に伴い地域住民の絶対的支持を得られなくなっている。教員の多くは、自らの活動・学校が善である信念は思い込みに過ぎず、学校の諸活動を正当化する手段にはならなくなってきている。校長が先頭に立って、教職員が一体となって「人権尊重教育に取組む体制」を整え、教職員の人権意識の確認が必要。人権教育の基本は「心の教育」であり教員・管理職が一人ひとり他の教員に対して「思いやりの心」を持つことから始まる。校長は口先だけでなく組織的な学校という集団活動の中で、知識・感性・個性を総合的に育てることが本質(大高元校長)。「服務規律の意識」を平素から高め、校長としての権限を行使するだけでなく、法的視点を基礎として「教育に対する深い教養と洞察」からにじみ出るリーダーシップが教職員からの信頼が得られる本質である’(君塚元校長)。「校長としての自己の研鑽・研修に努め、自ら服務を厳正に遂行し模範となるよう見識を高め」、「人間としての教養を深める」ことが肝要である。校長自身が絶えざる研鑽により自己成長に努め、「必要な見識を高める」ことが不可欠。見識とは物事の成り行きや「本質を見抜く判断力」である(浅野素雄元教育長・元校長編集・管理職必携 最新学校運営ハンドブック 学校改革時代の管理運営の勘どころ・教育開発研究所)。校長が変わり、学校が変わり、子どもたちが変われば、社会が変わる。校長に変わる気が無いと学校は変化しない。校長が人々に害を及ぼすような人物であれば、その責任は大きく、今すぐ職を辞するべき(校長の力 学校が変わらない理由 変わる秘訣・工藤勇一中学校長・中公新書ラクレ)。老子の名言「思考に気をつけなさい。思考はあなたの言葉になる。言葉に気をつけなさい。言葉はあなたの行動になる。行動に気をつけなさい。行動はあなたの習慣になる。習慣に気をつけなさい。習慣はあなたの人格になる。人格に気をつけなさい。人格はあなたの運命になる」。マリー・キュリーの名言「人生に恐れるべきことなど何もない。あるのは理解すべきことのみである。私たちが今すべきは理解を深めること。それによって恐れに打ち勝つのである」。「深く探究すればするほど、知らなくてはならないことが見つかる。人間の命が続く限り、常にそうだろうと私は思う」(アインシュタイン)。浅野のresearchmap全体で提示された事例は、筆者の思考創作と経験的客観的事象・多数の参考文献等に基づく学術的再構成等、憲法で保障された学問研究発表の自由・学問の自由・教授教育の自由・表現の自由等のもと、学校教育力向上・校長及び教員としての資質の向上のための学術的教育調査分析研究の一部であり、現実に特定される個人ではありません。新しいことを学ぶ意欲や向上心・考える意欲・校務のDX化への抵抗感・情報公開に対する意識・管理が目的の学校・読書する習慣の大切さ・言葉が文脈から切り離されて起こる暴力・校長としての見識等に関する教育的学術調査研究の一環として
  • 2024年4月
    学校の教師は、学校における教育活動によって生ずるおそれのある危険から児童・生徒を保護すべき義務を負っている(最判昭和62年2月13日民集41巻1号95項)教育活動の一環として行われる学校の課外のクラブ活動においては、生徒は担当教諭の指導監督に従って行動するのであるから、担当教諭は、できる限り生徒の安全に関わる事故の危険性を具体的に予見し、その予見に基づいて当該事故の発生を未然に防止する措置を執り、クラブ活動中の生徒を保護すべき注意義務を負う(最判平成18年3月13日裁判集民事219号703項)。日本スポーツ振興センターによると、2005-2022年度に全国中学高校で、運動系部活動に関連して生徒が亡くなり、見舞金が支払われた事例は235件、障害が残る怪我は2641件だった。課外のクラブ活動が本来生徒の自主性を尊重すべきものであることに鑑みれば、何らかの事故の発生する危険性を具体的に予見することが可能であるような特段の事情のある場合は格別、そうでない限り、顧問の教諭としては、個々の活動に常時立会い、監視指導すべき義務までを負うものではないと解するのが相当である(最判昭和58年2月18日民集37巻1号101項)公務員である教員個人は、公権力の行使である教育活動に関して損害賠償責任を負うことはなく、学校設置者である地方公共団体が代わりに損害賠償責任を負うものとされている(最判昭和30年4月19日民集9巻5号534項、最判昭和62年2月6日裁判集民事150号75項)。栃木県那須町で2017年、高校山岳部員ら8人が死亡した雪崩事故で、宇都宮地裁は2024年5月30日、教諭ら3人に「相当に重い不注意による人災」「学校教育活動時の集団行動における想定として相当に緊張感を欠いていた」「雪崩事故が起きる危険性を容易に予見することができた」「訓練参加の生徒らの安全を確保する業務から免責されない」として実刑判決言い渡した(業務上過失致死傷罪・禁錮2年)。事故は学校教育の一環である部活動中に起き、教諭の危機管理の在り方や責任が問われた。3人の教諭が部活動の引率者として責任ある立場だったことから「教育の一環で、生徒らの安全確保が強く求められていたことが有罪認定や量刑判断で考慮された(中央大・谷井・刑事過失論・秋田さきがけ2024.5.31)。民事調停では、遺族側は和解案として、県が賠償金を支出し、3教諭に賠償を求償する意見書を提出した。2023年6月28日、宇都宮地方裁判所は判決で、県と県高校体育連盟に計約2億9000万円の賠償を命じる一方、教諭3人への請求は棄却した。同年7月13日、原告・被告とも控訴せず判決は確定している。部活動の地域移行に伴う法律相談(山本翔弁護士著・日本法令)学校・指導者・関係者の法的責任と対応2024.1.1。部活動指導員の職務内容について、平成29年4月に学校教育法施行規則78条の2、79条の8第2項、104条1項、113条1項、135条4項5校において、中学校、高等学校等において、スポーツ、文化、科学等に関する教育活動に係る技術的な指導に従事するとされた。スポーツ庁通知でも、校長の監督を受けて部活動中に日常的な生活指導に係る対応を行うことが求められたり、校長が部活動指導員に対し顧問を命じることができるとされていたりすることからも、部活動指導員には学校の教育活動に関する事務を担うことが求められている(平成29.3.14.学校教育法施行規則の一部を改正する省令の施行について通知)。部活動指導員の任用について地方自治体では非正規の公務員である会計年度任用職員として採用を行っているケースが多く、地方公務員法に基づいて採用される公務員(地方公務員法22条の2)。その公務員が部活動指導員として学校における教育活動に従事する者であるため、公権力の行使に当る公務員(国家賠償法1条1項)に該当し、会計年度任用職員である部活動指導員が個人的に損害賠償責任を負うことは無く、代わりに設置者である地方公共団体が損害賠償責任を負うこととなる(山本翔弁護士)部活動における教員と部活動指導員の法的責任に関する調査の一環として
  • 情報公開等の推進に関する目標を達成するための措置 ー(情報公開等の充実) 大学法人としての説明責任を果たすため、適正な情報公開に努めるとともに、教育研究活動等の状況についても、WEBサイト等の各種広報手段を活用した積極的な情報発信に取り組む。戦略的広報の展開ー特色ある教育研究成果や国際的な活動実績、地域貢献の取組等を迅速かつ戦略的に情報発信するとともに、学外企画展等への出展機会の拡充など、ターゲットを明確にした効果的な広報活動を展開し、本学の認知度およびブランド力の向上を図る。公開講座やWEBサイト、SNS等を通じて、教員の研究成果や活動実績を広く国内外に発信するとの規定がある。教育の質保証(研究・教育の質の向上・改善)の観点から、高度な知識・技能(博士号や実績等)を有する多様な外部人材を幅広く採用することが求められている。文部科学大臣が認証する評価機関(日本高等教育評価機構や大学改革支援学位授与機構等全部で5機関がある)の評価を受けることが、法律で義務付けられている。 
    2024年4月
    大学等の高等教育機関では、情報公開等の推進に関する目標を達成するための措置が定められており、情報公開等の充実が図られている。 法人としての説明責任を果たすため、適正な情報公開に努めるとともに、教育研究活動等の状況についても、WEBサイト等の各種広報手段を活用した積極的な情報発信に取り組むとされる。戦略的広報の展開として特色ある教育研究成果や国際的な活動実績、地域貢献の取組等を迅速かつ戦略的に情報発信するとともに、学外企画展等への出展機会の拡充など、ターゲットを明確にした効果的な広報活動の展開、大学等の認知度およびブランド力の向上を図るとされる。 公開講座やWEBサイト、SNS等を通じて、教員の研究成果や活動実績を広く国内外に発信するほか、学長プロジェクト研究等についても、 その成果公開等を促進するとされる。高等教育機関(特に公立、国立等の大学や高専等)では、教員(教授、准教授、講師、助教)の採用において、博士号(特殊な分野等においては修士号以上)の学位を有すること、研究業績(査読付き論文、学会発表、著書、特許や作品、セミナー等での講演、受賞歴、資格、競争的研究資金獲得歴、学会の委員歴、公的機関への報告・検討調査文書、社会的・国際的活動貢献、国際会議発表歴等)が必要で、人事委員会等での厳正な審査を経て、所属長の決定や上位機関での承認等が必ずある。教員は、大学等の研究者総覧や教員紹介サイト、WEBサイト、SNS等を通じて、教員の研究成果や活動実績を広く国内外に発信しなければならない。教員採用に関する審査結果の書類には、研究業績に関する所見や評価、講義科目を担当できるに充分な期間の研究教育上の経験と研究実績、健康と人間性等の人格・適正、今後の役割への期待と責任が持てるかどうか、研究教育活動への意欲と能力についての所見等を記載することになっている。さらに、採用後においても、数年間で複数の論文等がないと、昇格昇任が見送られ、配分される研究予算の減額、科研費等の競争的研究外部資金等への影響等もある。研究業績等は、毎年書類提出等による何らかの審査・調査があり、WEB上へ公表をすることになっている。高専においても、教員の採用はすべて公募制(特任も含む)であり、採用後においても、客観的外部審査(認証評価、大学改革支援・学位授与機構特例適用専攻科における教育の実施状況等の教員審査等)があり、学内においても毎年研究業績等を更新してWEB上へ公表することになっている。たとえ担当している講義科目の内容が適正な水準にあり、学生指導においても適切な指導力があっても、高等教育機関の教員としての研究実績が不足していると、教員審査不合格として学生の配属がなくなる等の問題となることがある。初等中等教育機関での教育経験だけで、客観的な研究業績も無く、担当する授業科目に関係する研究実績も無く、所属する学会すら無く(担当分野に関する学会等での活動実績も無く)、高等教育機関の教員としては、不採用となるのが通常(人事委員会が厳正に機能していればであるが)であり、たとえ採用されたとしても、高等教育機関で同じ科目の担当教員として在職し続けることは、少なくとも、文部科学省の教員審査等の外部審査における議論の対象にはなるものと思われる。現在、ICTの活用やグローバル化に対応した教育等、社会人経験者をはじめ当該分野に関する高度な知識・技能を有する多様な外部人材を幅広く登用することが求められている。初等中等教育における教員採用の在り方についても、中央教育審議会の答申において、様々な社会経験と高度な知識・技能を有する多様な人材の確保と修士レベル化や博士課程修了者の確保に関する様々な取り組みが、10年以上前から検討されている。人選が同一の所属役職等からや同一の限られた地域大学出身のみからに偏ることのないよう、大学教員としての適格性等、選考方法の適切な改善が求められる。高等教育機関としての大学教育という観点を最優先としての人事の厳格で公正な人選と研究業績の適正な評価が望まれている。大学自治の内容として、大学内の人事については、大学の自主的判断に基づいて決定され、教員の人事に関する推薦・選任・免職権等がある。しかし、平成16年度からすべての大学・短大・高専は7年以内毎に文部科学大臣が認証する評価機関(日本高等教育評価機構や大学改革支援学位授与機構等全部で5機関がある)の評価を受けることが、法律で義務付けられている。これは大学等の研究・教育の質の向上と改善を目的とされている。大学の研究・教育が適切に行われているかをチェックするため、自己点検・評価を行い、それを改善につなげるため、第三者(大学等の教職員が自分の所属する大学以外の大学を評価する)によって検証するシステム「認証評価」を受けることになっている。教育活動・研究活動の状況を点検評価し、大学が教育・研究水準の向上・活性化に努め、その社会的責任を果たすため、その自己点検評価結果を公表義務化して、学外者による検証を行わねばならない。公共的機関としての大学等に対する国民の理解と支持が得られるよう、教育の質保証(研究・教育の質の向上・改善)の観点から、高度な知識・技能(博士号や実績等)を有する多様な外部人材を幅広く採用することが求められている。大学基準においても、大学は人事を適切に行うことが定められており、その教育・研究活動を発展向上させるために、組織・活動について不断に点検・評価しなければならないとされている。教育基本法第7条ー大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。大学基準・基準6・大学は、自ら掲げる理念・目的を実現するために、求める教員像や教員組織の編制方針を明確にし、それに基づく教員組織を適切に整備するとともに、絶えず教員の資質向上に取り組まなければならない。教員の募集、採用にあたっては、広く国内外に人材を求める等人事の活性化を図ることが必要である。大学は高度の教育機関であるとともに、学術研究の中心機関でもある点を考慮し、人格、教育研究指導上の能力、教育業績、研究業績、学界や社会における活動実績等に留意して、候補者を選考しなければならない。教員組織の編制に関する方針に基づき、教育研究活動を展開するため、適切に教員組織を編制しているか。教員の募集、採用、昇任等を適切に行っているかが審査されることになっている。高等教育機関等における情報公開の充実推進・研究業績の適正な評価と人事の在り方・教育の質保証(研究・教育の質の向上・改善)・高度な知識・技能(博士号や実績等)を有する多様な外部人材の幅広い採用等に関する調査研究の一環として。