長谷 正人

J-GLOBALへ         更新日: 19/01/30 03:23
 
アバター
研究者氏名
長谷 正人
 
ハセ マサト
eメール
mhasewaseda.jp
所属
早稲田大学
部署
文学学術院 文化構想学部
職名
教授
科研費研究者番号
40208476

学歴

 
 
 - 
1983年
早稲田大学 文学部 社会学専攻
 
 
 - 
1986年
大阪大学 人間科学研究科 社会学
 

委員歴

 
2006年
 - 
2009年
日本社会学会  研究活動委員
 
2006年
 - 
2011年
日本映像学会  機関誌『映像学』編集委員
 

論文

 
聡明な作家、是枝裕和
長谷正人
KAWADE夢ムック文藝別冊是枝裕和   124-128   2017年9月
鈴木清順における「純粋な運動」と歴史という不純
長谷正人
ユリイカ   49(8) 88-96   2017年5月
日活ロマンポルノ、あるいは性表現という恥ずかしさ
長谷正人
映画学   (30) 80-86   2017年2月
アマチュアリズムと放送の民主主義
長谷正人
ユリイカ   48(14) 125-134   2016年10月
テレビジョン、低俗番組、弱者の民主主義─放送の公共性をめぐって
長谷正人
表象・メディア研究   (6) 11-30   2016年3月

Misc

 
書評 蓮實重彦『映画時評 2009-2011』
長谷正人
映画芸術   (440) 149-150   2012年
概観2011年(映像)
長谷正人
文藝年鑑2012   130-133   2012年
山田太一、あるいは「愚痴の公共圏」の可能性
長谷正人
ユリイカ   44-5 97-104   2012年
映像のフィジカル─飼いならせない野性の映像のために(対談)
諏訪敦彦×長谷正人
第4回恵比寿映像祭「映像のフィジカル」カタログ   12-29   2012年
現代落語という矛盾─落語的な「弱い生」をめぐって
長谷正人
ユリイカ(特集立川談志)   44-2 186-196   2012年

書籍等出版物

 
作田啓一vs.見田宗介(第2章見田宗介における「相乗性」という限界─『近代日本の心情の歴史』を読み直す)
奥村隆編(長谷は第2章担当) (担当:分担執筆)
弘文堂   2016年11月   
長谷正人 (担当:編者)
有斐閣   2016年10月   
全訂新版 現代文化を学ぶ人のために(第7章映像文化の三つの位相─見ること、撮ること、撮られること)
井上俊編
世界思想社   2014年8月   
クイズ化するテレビ
黄菊英/長谷正人/太田省一
青弓社   2014年7月   
敗者たちの想像力──脚本家山田太一
長谷正人
岩波書店   2012年7月   

競争的資金等の研究課題

 
メディア文化における「孤独」の系譜
研究期間: 2018年4月 - 2021年3月
デジタル化時代における映像文化の日常的変容
研究期間: 2015年4月 - 2018年3月
本研究は、近年のデジタル化以降の映像文化の変容と人間の日常生活の関係を多角的な視点から考察したものである。本年度に関しては、基礎理論班は6回(4月3日、5月27日、7月29日、1月20日、2月27日、3月19日)の会合を開いた。前年度に引き続き、CG技術と映画との関連を論じたTom Gunningの論文を翻訳していく作業を行い、映画以前の光学装置(ソーマトロープやフェナキスティスコープ)に注目することで映像が「動く」という事態を「錯覚」とは異なる観点から論じた論文や、アニメーションを運動と...
テレビドラマとポスモダン社会
山田太一のさまざまな作品を映像作品として見直し、さらに山田太一氏本人や関係者へのインタビューも行って、70年代から80年代にかけての日本のテレビドラマがどのようにしてポストモダン的なイメージ社会を準備し、そしていかにそれを「後衛」の視点から批判したかを明らかにした
テレビ文化のメディア史的考察
本研究は、テレビの歴史を原理的に捉え直そうとする試みだった。そのとき分析のキーワードにしたのが、「文化」と「メディア」である。テレビは原理的には、この二つの極の間を揺れ動いてきた。一方でテレビはドラマやバラエティのように、「文化」として様々な「娯楽作品」を提供し続けた。だが他方でテレビは、そうした「作品」や「娯楽」であるだけでなく、何かの出来事を伝達するための「メディア」でもあり続けた。ケネディ大統領の暗殺事件の報道から衛星中継が始まったことに象徴されるように、テレビはさまざまな出来事を「...
ドキュメンタリー・バラエティ番組のメディア史的考察
近年流行のドキュメンタリーバラエティ番組(アメリカでいうリアリティTV)は、「出演者」という問題を前景化したテレビ番組である。これが本研究のとりあえずの結論である。70年代までのテレビ番組は、「製作者」のものであった。いかに優れた番組が作られるかが人々にとって論じるべきことであり、出演者や視聴者は二次的な問題にすぎなかった。それに対して80年代に前景化されたのが「視聴者」の問題だった。「スチュワーデス物語」に代表されるように、製作者の意図とは距離を置いたところで、「視聴者」が解釈することに...