The following article in Japanese appeared in the Kagawa University Economic Review. It is Webbed with the permission of the Review. This hypertext version is based on the final version of my manuscript submitted to the printer. It may vary in detail from (and is probably better than) the published one.


情報効率性とインセンティブ・コンパティビリティ:ノート

Informational efficiency and incentive compatibility: notes

1996年 12月
(『香川大学経済論叢』第69卷 第4号 pp. 883-94,1997 に収録)

三原麗珠(註*)
H. Reiju Mihara


1.このノートの目的

 メカニズム・デザインは,選挙制度・オークション・官僚組織の意思決定システム・公共財の供給方法,などを比較・設計することを目的にする経済理論である.公共経済学をはじめとする応用分野にとってメカニズム・デザインの考え方が重要であることは疑いない.しかし応用分野の研究者にとって,メカニズム・デザインは必ずしも近づきやすい理論ではなかった.その理由のひとつは,経済環境におけるメカニズム・デザインが,社会選択理論・一般均衡理論・ゲーム理論という「ハードな御三家」のいわば〈三位一体〉によって成立している事情(から来る心理的抵抗感)にある.(〈マウント=ライターの三角形〉ともよばれる,ある可換図式が〈三位一体〉を象徴している.)だがここに来て,メカニズム・デザインの話題が「初めて学ぶ」ミクロ経済学のテキスト[2](以下では〈テキスト〉とよぶ;書評 [5] 参照)にも登場するようになった.もはやメカニズム・デザインを無視し続けるのは得策ではないだろう(第4節参照).
 このノートでは,メカニズム・デザインの入り口付近の2つの話題について,上記テキストの西條による説明をおぎなう.それらの話題とは,(i) 情報効率性にかんする厚生経済学の2命題,(ii) 純粋交換経済でのインセンティブにかんするハーヴィッツの定理,である.なぜ「入り口付近」とよぶかといえば,メカニズム・デザインが主に〈市場の失敗〉の生じるとされる領域の問題解決をめざすのにたいし,上の2つの話題はそれ以前の,市場が成功する(という言い方はふつうしないが)はずの領域にかんするものであるからだ.
 このノートの第2節と第3節は,上のテキストをもちいて経済理論を学ぶ者・教える者を想定して,書かれた.しかしこのノートを読むだけで,内容はひととおり理解できるはずだ.テキストを読んだとき,私自身が感じた3つの素朴な疑問を〈疑問〉として明示した.また〈演習〉も4題挿入した.これらは,論文としての体裁を整えることよりも,教材として役立つことを優先させた結果である.フォーマルなあつかいはできるだけ避けたので,理論に強い読者は不満を感じるかもしれない.そういう読者の次のステップとしては,メカニズム・デザインの表裏を知り尽くした西條による展望[6]をすすめる.また,Abreu との共同研究によってメカニズム・デザインに新たな突破口を開いた,松島による展望 [3] も有用である.

2.情報効率性にかんする厚生経済学の2命題
 
 F.A. ハイエクは「現場の知識をもっともうまく活用することのできる体制は分権的な自由市場(価格メカニズム)である.社会主義のようになにか中央機関があってそこに必要な知識・情報が集まると考えるのはあやまりである」と主張した.この主張を定式化する試みのひとつが,〈情報効率性にかんする厚生経済学の2命題〉である(ハイエクはその定式化に満足しなかっただろうが).第1命題は「競争メカニズムは情報効率的である」というものだ.第2命題は「パレート効率性・情報分権性・個人合理性(「メカニズムが実現する配分下のおのおのの個人のバンドル(数量)が,その個人の初期保有よりも好ましいか同等であること」を要求)をみたすメカニズムのなかでは,競争メカニズムのみが情報効率的である」というものだ.ここで競争メカニズム(the Walrasian mechanism とも)とは,メカニズム(mechanism)とよばれる情報交換プロセスの特殊なもので,ひとびとがあるルールにしたがって価格や数量の情報(メッセージ)を交換すると,競争均衡配分が実現するようになっている.また,情報効率的な(informationally efficient)メカニズムとは「パレート効率性をみたし情報分権的な(informationally decentralized)メカニズムで,最小のメッセージ空間(message space)をもつもの」である.
 テキストのこのセクション[2, pp. 205-207, ch. 6, sect 2.3] で理解しにくい部分があるとしたら,それは「競争メカニズムは情報分権的(各人が自分の情報のみによって意思決定ができること)であること」だろう.これにたいしては,

疑問1.消費者は,価格が分からなければ需要量を決定できない.では,価格は消費者の情報だというのか?初期保有や効用関数だけが消費者の情報ではないのか?

というのが素朴な反応であろう.(理解しにくいかもしれない原因のひとつは,「消費者の情報」いうときの〈情報〉と,「情報交換」というときの〈情報〉とに同じ単語をあてていることにある;そこで以下では前者を特質(characteristic)または特質情報と,後者はメッセージと,分けて呼ぶことにする.)ここでは,まず情報分権的なメカニズムということばの意味を直観的にあきらかにし,その後で疑問1に戻ることにする.(用語の正確な定義については,西條[6],Campbell [1] を参照.)

 テキストのこのセクションのフレームワークが表現している(と解釈される)状況は以下のようなものだ.(この解釈は verification scenario と呼ばれる.)すべての個人(メカニズムへの参加者)が見ることのできる掲示板があり,メッセージがその掲示板に表示されていく.(「掲示するメッセージを決めるのはだれなのか」は問題にしない;「参加者が互いに交換しあっているメッセージが全員に分かるようになっていること」が「掲示板」によって比喩的に表現されていると考えてもいいし,架空の競売人がメッセージを掲示していると考えてもいい.)たとえば2財2個人の経済なら,そのメッセージとは (7, 6; 5, 4; 400, 240) のように(個人1の数量;個人2の数量;価格)の組み合わせかもしれない.(「数量」とは,とりあえず消費バンドルのことと考えていい.)このばあい個人間で交換されるメッセージは6個と数えることにする.(この数がメッセージ空間の大小を表わす指標になる.ここではその与え方には深入りしない.)
 さて,各個人は掲示されるメッセージを見て,自分がそれを受け入れるかどうかを,メカニズムのルール(μと呼ぼう)にしたがって判断する.(註1)受け入れるなら yes,受け入れないなら no と意思表示をするわけだ.(各人にとって,そのルールにしたがうのがベストであるとは限らない.その意味でミスリーディングな呼び方だが,このルールは均衡対応(equilibrium correspondence)とよばれる.ルールにしたがうのがベストかどうかについては,次節で考慮する.)もしすべての個人が yes と答えた場合,その掲示されたメッセージにもとづいて,メカニズムの帰結関数(outcome function)とよばれる関数 h にしたがって配分が決まる(このとき,「メカニズム (μ, h) はその配分を実現する」と言おう).たとえば上の例のばあい,h (7, 6; 5, 4; 400, 240) = (7, 6; 5, 4) で,個人2の数量は (5, 4) が割り当てられる,という具合だ.もしだれかが no と答えた場合,そのメッセージは破棄され,新たなメッセージが掲示板に表示される.このようにしてすべての個人が受け入れるようなメッセージが模索されるのである.
  各個人が,掲示されたメッセージを受け入れるかどうか判断するとき,自分の特質(初期保有と選好)のみにもとづいて行うことになっている場合がある.たとえば個人1がメッセージ (7, 6; 5, 4; 400, 240) を受け入れるなら,(7, 6; 3, 2; 400, 240) とか (7, 6; 5, 6; 400, 240) などのように自分の数量と価格が以前と変わらないメッセージも,(個人2の特質や数量には無関心なまま)すべて受け入れることになっているかもしれない.あるいは自分の数量と価格が以前と変わらないメッセージであっても,たとえば (7, 6; 30, 27; 400, 240) などのように個人2の数量が自分の数量より望ましいものについては,個人1は,個人2が裕福であるかどうかという特質(つまり初期保有)を確かめることもなく(また,個人2の数量を自分がじっさいにうらやむかどうかとは無関係に),no と意思表示することになっているかもしれない.いずれにせよ,「各個人が(他人の数量に関心があろうとなかろうと)他人の特質情報を用いずにメッセージを受け入れるかどうか判断し,その判断にもとづいて(上の意味の〈全員一致〉で)社会的配分が決まるメカニズム」を情報分権的なメカニズムという.たとえば個人1がメッセージを受け入れるかどうかを決めるために,いちいち個人2に相談してその特質情報を得なければならないようなメカニズムは情報分権的ではない.また,個人1が個人2の特質情報を用いずにメッセージを受け入れるかどうか判断できるとしても,個人2が個人1の判断に自分の判断を依存させるようなメカニズムは一般に情報分権的ではない.

演習1.Verification scenario において,表示されるメッセージが (7, 6; 5, 4) のように,実現可能な配分であるとする.(この例のばあい経済全体に第1財12単位,第2財10単位が存在すると仮定.)各個人は,表示される配分下の自分のバンドル(数量)が自分の初期保有よりも好ましいか同等なときそのメッセージを受け入れ,そうでないときにはそのメッセージを受け入れないとする.たとえば2財2個人の経済で,もし個人2が (5,4) を自分の初期保有より好めば,個人2は (7, 6; 5, 4) を受け入れる.すべての個人が,あるメッセージを受け入れたとき,そのメッセージのしめす配分が実現するとする.このメカニズムは情報分権的か?  解答.情報分権的である.各人は自分の初期保有と選好だけにもとづいてメッセージを受け入れるかどうか判断できるから.なお,このメカニズムは個人合理的な配分(だけ)を実現する.(専門用語では「このメカニズムは個人合理対応を実現する」という.)

演習2.Verification scenario において,表示されるメッセージが実現可能な配分であるとする.各個人は,表示される配分下の自分のバンドルが他のすべて個人のバンドルよりも好ましいか同等なときそのメッセージを受け入れ,そうでないときにはそのメッセージを受け入れないとする.たとえば2財2個人の経済で,もし個人2が (5,6) を (7,4) より好めば,個人2は (7,4; 5,6) を受け入れる.すべての個人が,あるメッセージを受け入れたとき,そのメッセージのしめす配分が実現するとする.このメカニズムは情報分権的か?  解答.情報分権的である.各人は自分の選好だけにもとづいてメッセージを受け入れるかどうか判断できるから.なお,このメカニズムはエンビィ・フリーな配分(註2)(だけ)を実現する.(専門用語では「このメカニズムはエンビィ・フリー対応を実現する」という.)

 競争均衡配分を実現するメカニズムはいくつか考えられる.もしかりにあるひとりがすべての個人の特質を知っているとしたら,そのひとに競争均衡配分を計算させることで,数量だけをメッセージとするメカニズムで競争均衡配分を実現できる.各人の数量からなるメッセージが競争均衡配分になっているとき,そしてそのときのみ,そのひとに yes といってもらえばいいからだ.もちろんそのメカニズムは情報分権的にはなっていない.それとは対照的に,テキストで〈競争メカニズム〉とよばれているメカニズムにおいてはだれかが自分以外の特質を知っているという仮定はないが,数量・価格ともメッセージに含まれている.各個人は,あるメッセージのしめす価格のもとで,そのメッセージのしめす数量が最適なものであれば(そして,そのときだけ),そのメッセージを受け入れればいい.そして,その判断は自分の特質情報だけでできる.つまり〈競争メカニズム〉は情報分権的なのだ.(このパラグラフは疑問1にたいする解答になっている.)

3.純粋交換経済でのインセンティブにかんするハーヴィッツの定理

 テキストによれば[2, pp. 238-240, ch. 7, sect 2],ハーヴィッツ(Hurwicz)の定理とは「純粋交換経済における社会選択関数がパレート効率性と個人合理性をみたすならば,その社会選択関数はインセンティブ・コンパティブルではない」というものだ.一般に社会選択関数(social choice function)では,各個人がおのおのの選択対象をどう順序づけるか(選択対象にたいする選好)に応じて,アウトプットである選択対象がひとつ決まる.(インプットは,選好を各人に割り当てたものであり,選好プロファイル(profile)と呼ばれる.)ハーヴィッツの定理の〈純粋交換経済における社会選択関数〉では,選択対象とは配分である.(註3)(この定理は「アウトプットが配分の集合である関数」(社会選択対応と呼ぶ)にも拡張できる.)社会選択関数がインセンティブ・コンパティブル(incentive compatible)であるとは,その関数が戦略的に操作不能であること,つまり各人にとって,真の選好表明が支配戦略であることだ.以下に,インセンティブ・コンパティブルな社会選択関数の単純な例を2つあげる.

演習3.純粋交換経済において,各人がおのおのの選択対象をどう順序づけるか(選択対象にたいする選好)にかかわずアウトプットはいつも各人に初期保有を配分する社会選択関数を考える.(すなわち交換はまったく行われない.)この社会選択関数は (i) パレート効率か? (ii) 個人合理的か? (iii) インセンティブ・コンパティブル(戦略的に操作不能)か?ただし初期保有においてすべての財がたったひとりの個人に所有されていることはないとする. 解答.(i) パレート効率ではない.初期保有が契約曲線上にのらないような選好の組み合わせが存在するので.(ii) 個人合理的.(iii) インセンティブ・コンパティブル.個人がうその選好を報告しても結果には影響しないので.

演習4.純粋交換経済において,各人がおのおのの選択対象をどう順序づけるかにかかわずアウトプットはいつも同一の個人にすべての財を配分する社会選択関数を考える.(その特定の個人は独裁者とよばれる.)この社会選択関数は (i) パレート効率か? (ii) 個人合理的か? (iii) インセンティブ・コンパティブル(戦略的に操作不能)か?ただし初期保有においてすべての財が独裁者に所有されていることはないとする.また各人の初期保有は知られているとする. 解答.(i) パレート効率.(ii) 個人合理的ではない.正の初期保有を持つ独裁者以外の個人の配分がゼロになってしまうので.(iii) インセンティブ・コンパティブル.個人がうその選好を報告しても結果には影響しないので.ここでは個人が初期保有を隠すことはできないと仮定されていることに注意.

 上のように表現されたハーヴィッツの定理にたいしては,まず次の疑問がわいてくる:

疑問2.So what? 定理がいってるのは社会選択関数のこと.つまり,インプットは選好プロファイルだ.でも実際の市場では,人々は自分の選好なんか報告しない.実際の市場でない上の〈競争メカニズム〉でも,メッセージは価格と数量であるわけで,選好ではない.そういう社会選択関数以外のメカニズムには,定理あてはまらないのでは?

 この疑問に答えるには,定理のステートメントを変えてしまうのがいちばん簡単だと思うので,ここではそうする:

ハーヴィッツの定理.純粋交換経済において,あるメカニズムが実現する配分がいつもパレート効率性と個人合理性をみたすならば,そのメカニズムはインセンティブ・コンパティブルではない.

(Campbell [1, Theorem 5.1] 参照.じつはテキストの証明がほとんどそのまま当てはまる.なお,初期保有は固定されているとする:つまりメカニズム (μ, h) の均衡対応 μの定義域は,社会選択関数とおなじく,各人の選好プロファイルになる.)ここで,メカニズム (μ, h) がインセンティブ・コンパティブル(incentive compatible)であるとは,「真の選好プロファイルがいかなるものであっても,(メッセージを受け入れるかどうか決定するさい)ルール μにしたがう(注1参照)のが,各個人にとってベストであること」だ.
 ハーヴィッツの定理が上述の〈競争メカニズム〉にあてはまることは,いまや明らかだろう.ひとびとは自分の選好にもとづいて(情報分権性が成立していないばあいは,選好プロファイルにもとづいて)「掲示板に表示される」価格と数量を受け入れるべきかどうか判断すると考えられる.その際,「ある価格・数量を受け入れるべきかどうかの判断を自分の本当の選好にもとづいて行うかわりに,あたかも自分の選好がべつのものであるかのようにふるまって価格・数量を受けいれるかどうかを判断する個人が現われる」というのがハーヴィッツの定理が明らかにしている内容である.たとえば掲示された価格のもとで,掲示された自分の消費が最適なものであっても「その価格なら自分は初期保有の方がましだ」などと交換を拒んだりする人が出てくるのだ.このようにして,その人は価格に影響を与えようとするのである.
 ここで自然に出てくる疑問が次だ.「競争メカニズム」という(経済学徒にとっての)日常用語のあいまいさが,専門用語としての〈競争メカニズム〉の理解を邪魔している例である:

疑問3.「競争メカニズム」といえば,「各個人が価格を与えられたものとして自分の消費なり生産なりを最適化する」ようなメカニズムではなかったか?「だれも価格に対する影響力をもたないこと」こそが「競争メカニズム」の定義なのでは?そうだとしたら,うその選好にもとづいて行動するということは,最適化しないことで……おかしいのでは?

この疑問にたいする正しい解答は単純だ:「それは根本的にまちがってる;かんちがいしている——われわれの考えている〈競争メカニズム〉にかんするかぎりは.」
 たしかに「与えられた価格のもとで,(ある個人にたいして)与えられた数量が最適な場合,その個人はその価格・数量メッセージを受け入れる」というのが〈競争メカニズム〉のルールだ.しかしその個人にとってその数量が最適かどうかはほかのひとには分からない.ここにそのルールが破られる余地があり,価格にたいする影響力が実現するのだ.個人が価格に影響力を持つことは〈競争メカニズム〉の定義によって排除されているわけではないのである.「〈競争メカニズム〉においても個人が価格に影響力をもつこと」を理解してないことこそが「〈競争メカニズム〉さえもインセンティブ・コンパティブルでないこと」をわかりにくくする原因になっていたのだ.

 ハーヴィッツの定理によれば,競争均衡配分を実現するどんなメカニズムを考えても,虚偽の選好にもとづいて行動する者が現われることになる.しかしこれは「個人の目標と合致するように(つまり分権的に)競争均衡配分を実現するメカニズムをデザインできない」ということではない.どんなメカニズムを用いても虚偽の選好にもとづいて行動する人々がでてくるというなら,いっそのことはじめから,人々が虚偽の選好にもとづいて選択行動する可能性を考慮にいれ,「各個人にとって最適な(虚偽にもとづくかもしれない)選択の均衡が競争均衡配分を実現する」ようなメカニズムを考えればいいからだ.たとえある均衡がみんなの嘘によってなりたっているとしても,その均衡が望ましいものであればいい,という考え方である.
 じっさいメカニズム・デザインという分野はそういう方向(「遂行可能性」の追求)に進んだ.(以下の議論では用語の解説が不十分である;より詳しくは,西條[6],西條,大和[7]などを参照してほしい.)そのさい,メカニズム (μ, h) の均衡対応μとして,帰結関数 h に依存したもの,たとえば〈ナッシュ対応〉とよばれるものが考えられた.そして競争均衡対応(選好プロファイルに競争均衡配分の集合を対応;the Walrasian correspondence とも)は,いくつかのメカニズムによって「ナッシュ遂行可能であること」などがしめされた.しかしデザインされたメカニズムの多くは,複雑すぎたり,戦略として用いられる変数に意味を与えることが困難であったり,均衡点以外では実現不可能な配分を与えたり,ひとびとの行動のわずかな違いが結果に大きな違いとなって現われたり(不連続性)して,必ずしも満足いくものではなかった.だが西條・畳谷・大和の最近の研究によれば,各個人が価格と数量を戦略としてもつような,かなりナチュラルなメカニズムによって競争均衡配分が実現できること(略して〈ナッチュ遂行〉)が分かっているという.
 
4.メカニズム・デザインの現実性とイデオロギー

 応用分野の研究者にとって,メカニズム・デザインは必ずしも近づきやすい理論ではなかったことはすでに述べた.じつは,魅力ある分野でもなかったかもしれない.そのような印象を与えている理由を以下に2つ挙げ,それらが最近では誤解になりつつあることをしめす.
 第1に考えられる理由は,これまでデザインされてきたメカニズムが「ひじょうに一般的でアブストラクトでナンセンスなもの」あるいは「複雑すぎる」と認識されていたことだ.しかし前節の最後で見たように,最近の傾向は「自然で具体的なメカニズム」を追求するものになってきている.デザインされたメカニズムが,現実に用いられる機会もこれから増えていくだろう.その理由のひとつは,メカニズムの実行にあたりコンピュータを容易に利用できるようになったため,メカニズム自体の複雑さがかならずしも大きな問題ではなくなったことにある.(米国政府が, Paul Milgrom, Robert Wilson, Preston McAfee らの考案した“simultaneous ascending auction”を電波周波数帯の入札に使用したときは,コンピュータが用いられた[4].)
 第2に考えられる理由は,メカニズム・デザインの背後にあるイデオロギーや動機が社会主義的・集団主義的なものに見えることである.ハイエクは「社会制度は少数者によって意識的にデザインされるものではない.ひとびとの間に無意識的に自然発生するものだ」と強調した.メカニズム・デザインはまさに「少数者による意識的なデザイン」を目指しているような印象を与えている.だが,現存するメカニズム・デザイナーの動機はさまざまであるように見受けられる.(理論の分野では,研究していること(メッセージ?)から,思想や動機(特質?)を判断するのは簡単ではない.)社会主義者もいれば,リバタリアンもいるだろう.いまのところ,動機のちがいが深刻になるほど,この分野は発展していないと思う.しかし今後は動機のちがいが,メカニズムへ要求する具体的な条件のちがいや,メカニズムの応用できる(応用されるべき?)状況にたいする見方のちがいとして現われてくるはずだ.メカニズムの参加者を,ある国家の国民全員あるいはある地域の住民全員であるとして,不参加を認めないとする立場は(たとえ実現する配分が個人合理的であっても)リバタリアンには受け入れがたいかもしれない.リバタリアンなら,メカニズムの参加者はクラブのような自発的な集まりであると考えるのではないか.だが,そのメカニズムが優れたもので,かつ多人数のグループにふさわしいものならば,しだいにひろく受け入れられ,(政府による強制力に訴えることなく)しまいには国民の大部分をカバーするようになるかもしれない.そのようなメカニズムは(たとえそれが最初に設計されたときは高度な意識的産物であったとしても),ハイエクのいう自然発生的なものと(倫理的な観点からは)大差ないであろう.以上で,メカニズム・デザインの背後のイデオロギーが集団主義的である必要がないことは想像できることと思う.



(*)このノートを作成する以前に,西條辰義さん(大阪大学社会経研)から関連資料の提供を受けた.長谷川かおりさん(一橋大学)からは,有用なコメントを得た.このノートの第3節は,著者が学部学生のころハーヴィッツの定理にかんしてある教授から聞いた疑問にたいする,ヤヤ遅レテシマッタ返答である.
(1)ルールμは特質プロファイルをインプットとし,メッセージの集合をアウトプットとする関数である.たとえば「自分のいちばん好きな花束を一束だけ取ってください」というルール(メッセージは花束!)があるとき,私が自分の2番目に好きな花束を取ったら,私は「ルールにしたがっていない」(真の選好にもとづいてメッセージを決めていない)ことになる.日常的用法とちがって,ここでの〈ルール〉は権利の概念とは直接には関係ないことに注意してほしい.いまの例でも,「自分が2番目に好きな花束を取る権利」は排除されていない.
(2)たとえば,私が x の消費をしているとする.そして「私があるバンドル x より,べつのバンドル y を好む」と仮定しよう.だからといって「他人が y を消費するのを私はうらやむ」ということにはならない.私と他人は別人なのだから.にもかかわらず「他人が y を消費すること」を(私にとって?)望ましくないと(第三者の立場から)みなし,そういう状態を排除しようとするのが〈エンヴィー・フリーな配分〉の考え方である.個人主義者には,おせっかいな概念かもしれない.しかし,他人にたいする羨望や哀れみ,つまり選好の外部性(extended sympathy など)がなくても適用できる概念である.
(3)ギバード=サタースウェイト定理(「戦略的に操作不能な社会選択関数は独裁的である」)のばあい,選好は推移性などをみたすだけだが(定義域の非限定性),ハーヴィッツの定理のばあい,選好は無差別曲線のみたす通常の条件(たとえば,他人の消費の違いが自分の選好順序に影響を与えない性質や,より多い消費の方が好まれるという〈単調性〉,そして無差別曲線が原点にたいして凸であることなど)もみたすとされる.つまりハーヴィッツの定理の社会選択関数では定義域が限定されている.


参考文献

[1] Campbell, D.E., Resource Allocation Mechanisms, Cambridge, Cambridge University Press, 1987.
[2] 石井安憲,西條辰義,塩澤修平『入門・ミクロ経済学』有斐閣,1995.
[3] 松島斉「A-M メカニズム・デザインの合理性」『経済研究[一橋]』47 卷1号,1996, 1-15.
[4] McAfee, R.P. and McMillan, J. “Analyzing the Airwaves Auction,”Journal of Economic Perspectives, 10 (1), 1996, 159-75.
[5] 三原麗珠「石井安憲,西條辰義,塩澤修平『入門・ミクロ経済学』」書評,1996.『書斎の窓』に掲載予定.
[6] 西條辰義「厚生経済学における基本定理:新しいパースペクティブ」『経済研究[一橋]』46 卷1号,1995, 11-21.
[7] 西條辰義,大和毅彦「経済環境における社会選択の分権化」mimeo, 1996.


H. Reiju Mihara