論文

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2017年

親鸞とハイデガーとの「対話」 : 「自然」の概念を巡って

人文学報 = Journal of humanities
  • マルクス リュウシュ

110
開始ページ
23
終了ページ
46
記述言語
日本語
掲載種別
DOI
10.14989/231119
出版者・発行元
京都大學人文科學研究所

日本仏教を代表する一人である親鸞とヨーロッパ哲学の第一人者であるハイデガーはよく比較思想の研究対象になる。そうした研究はさまざまな新たな観点を生み出してきた。ただ, 従来の研究においては, 親鸞とハイデガーとの思想を比較しつつも, 両者のアプローチの違いに十分言及してこなかったと思われる。本論では二人の「対話」を試みたい。「対話」をするということは, 共通点だけでなく, それぞれの固有の立場を確認することでもある。本論では, 親鸞思想のキーワードの一つである「自然 (じねん)」を取り上げることで, ハイデガーの観点から親鸞思想の特徴を明らかにする。明治期にnatureの翻訳語のベースであった「自然 (じねん)」は西洋概念の「自然 (じねん)」とどこまで異なるだろうか。この問いをもとに, 最初にハイデガーによるピュシスの解釈を検討する。そして親鸞の自然 (じねん)説を, ピュシスとテクネーの対立を参照しながら分析する。次にそうした問いかけに基づいて, 自然を主に四つの概念との関係から説明する。その概念とは「阿弥陀」, 「信心」, 「浄土」, 「救済」である。その次に自然 (じねん)のはたらきを表現する浄土の場所性を論じる。通常, 人間は阿弥陀によって信心を得ることで救済され, 浄土に入ると説明されるが, 親鸞思想の難解さは, 浄土が非場所的な場所であるところから来る。この二元的な救済構造は, 自然 (じねん)の世界観と実践とに結びついている。これが, ハイデガーの問いを受けた問題提起に基づく本論の親鸞思想の最後の分析である。その後は再び親鸞の立場をハイデガーの立場と突き合わせつつ, ハイデガーのいう「放下」の概念に基づいて, 二人の思想家の救済論を明らかにする。自然 (じねん)は放下の考え方と同じように, 人間が自分の故郷に帰れたことを想定する。しかし, ハイデガーが考える世界理解のための知的な技法と, 親鸞が考えるありのままの世界を肯定する自然 (じねん)の違いは認めなければならない。その違いは, 人間が世界内存在であるか, それとも超世界存在であるかの違いに由来するものと考えられる。

リンク情報
DOI
https://doi.org/10.14989/231119
CiNii Articles
http://ci.nii.ac.jp/naid/120006466634
CiNii Books
http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN00122934
URL
http://id.ndl.go.jp/bib/028492040
URL
http://hdl.handle.net/2433/231119

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