竹内 亮

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研究者氏名
竹内 亮
 
タケウチ リョウ
ハンドル
Ryo Takeuchi
所属
立命館大学
部署
文学部
職名
授業担当講師
学位
博士(文学)(京都大学), 修士(文学)(京都大学), 学士(文学)(京都大学)
その他の所属
国立歴史民俗博物館奈良文化財研究所
科研費研究者番号
10403320

プロフィール

木簡や文字瓦といった出土文字資料を用いて、日本古代の寺院・官衙・宮宅・工房・鉱山などの実態に関する研究を行っている。近年は特に、古代寺院の造営や運営がどのような人々によって担われていたのかを明らかにすべく、「知識」の実態について考察を進めている。

研究分野

 
 

経歴

 
2019年4月
 - 
現在
奈良文化財研究所 都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区) 客員研究員
 
2018年4月
 - 
現在
国立歴史民俗博物館 共同研究員
 
2017年4月
 - 
2019年3月
花園大学 文学部 専任講師
 
2014年4月
 - 
2017年3月
奈良大学 大学院文学研究科 日本学術振興会特別研究員(PD)
 
2013年4月
 - 
2014年3月
古代学協会 奨励研究員
 
2010年4月
 - 
2013年3月
大阪市立大学 都市文化研究センター 博士研究員
 
2005年4月
 - 
2010年3月
奈良女子大学 21世紀COE事業担当 助教
 
2002年7月
 - 
2005年3月
奈良文化財研究所 飛鳥藤原宮跡発掘調査部 研究補佐員
 
2002年4月
 - 
2002年7月
京都大学 文学部 研修員
 

学歴

 
1999年4月
 - 
2002年3月
京都大学 大学院文学研究科(博士後期課程) 日本史学専修
 
1996年4月
 - 
1999年3月
京都大学 大学院文学研究科(修士課程) 日本史学専修
 
1992年4月
 - 
1996年3月
京都大学 文学部 国史学専攻
 

委員歴

 
2018年7月
 - 
現在
美祢市史跡長登銅山跡調査委員会  委員
 
2018年7月
 - 
現在
美祢市史跡長登銅山跡整備委員会  委員
 
2017年10月
 - 
現在
日本史研究会  編集委員
 
2001年6月
 - 
2004年12月
木簡学会  幹事
 

論文

 
竹内 亮
古代東アジアの文字文化と社会   143-151   2019年4月
宇治橋断碑の様式と内容を検討し、大化二年の道登による架橋を仏教的功徳として顕彰した碑であること、中国風の碑銘形式や書体を意識していることを指摘し、入唐学問僧の道昭による立碑を想定した。立碑年代については、碑の製作に7世紀中頃の造営尺が使われているとする国立歴史民俗博物館の計測成果を踏まえ、道昭が山崎橋など淀川水系両岸を結ぶ交通路整備を進めていた時期を自立型火頭形三尊磚仏の分布状況から推定し、天智朝期の近江遷都後と考えた。(2019年2月初版[奈良大学刊行])
竹内 亮
Law and writing habits in the ancient world : extract   21-36   2019年3月   [招待有り]
一般的に文字とは他者に対して自分の意思を伝達するための媒体である。しかし、大阪府堺市の大野寺土塔では、瓦の裏面など読むことができない位置に多くの人名が刻書されており、中には瓦の製作時に瓦工人によって分断された人名も見られる。これらの人名は、行基の指導に従って土塔造営に協力した多数の知識が、一斉に刻書することで一体感を得るために記されたのではないかと指摘し、文字を記す行為が必ずしも意思情報伝達を主目的として行われていない事例があることを述べた。(2016年9月初版)
竹内 亮
歴史のなかの東大寺(東大寺の新研究2)   181-207   2017年3月
東大寺大仏の料銅は長登銅山などの官営銅山から供給されたが、官営銅山産出銅の元来の用途は官鋳銅銭の原料である。しかし、長登銅山跡出土木簡に記された銅の宛先によると、天平初年の節度使設置期には軍用品の素材として官営銅山産出銅が用いられた可能性がある。天平当時の官営銅山は、通常用途の鋳銭料銅に加えて、国際情勢の緊張に伴う臨時用途の兵装料銅も供給できる高い生産力を有しており、このことが大仏鋳造料銅の供給を可能にした重要な前提条件であったと考えた。
竹内 亮
古代日本とその周辺地域における手工業生産の基礎研究   改訂増補版 343-364   2017年1月
8世紀初頭に始まる官営採銅事業では国家による独占的な銅生産が行われたが、これは7世紀前半頃から存在した民間の銅生産技術者集団を役丁として徴発し採銅所での労役に従事させたものであり、徴発範囲は採銅所所在郡にとどまらず長門国・豊前国一帯の産銅地に広く及んだと考えた。そうした民間技術者の国家による再編の結果、一部の産銅地では民間技術者集団が消滅し、技術の継承に断絶が生じた所があると指摘した。(2016年3月初版)
竹内 亮
美浜町歴史シンポジウム記録集   (10) 7-14   2016年3月   [招待有り]
『日本霊異記』に収録された紀伊国名草郡の説話から、サトやムラの名を冠する寺院が登場する話を選んで検討し、これらの小地域は寺院を支えた知識の結集範囲と一致することを指摘した。また、知識結集は一回限りのものではなく、造寺・造像・修理などの必要に応じて再結集され、資金や労働力を集めて事業を遂行するという継続性があり、知識が寺院の経済的運営に協力する場合には長期間持続することもあると指摘した。
竹内 亮
日本古代のみやこを探る   366-390   2015年6月
飛鳥池遺跡と藤原京衛門府跡から出土した複数の木簡に見える「石川宮」について、この宮の主を蘇我姪娘(蘇我石川麻呂の娘、天智天皇のキサキ、御名部皇女・阿閇皇女の母)と推定した。この石川宮は、姪娘が将来文武天皇の祖母となることを見越して石川麻呂没官財を文武天皇へと確実に相続させるための家産形成拠点であったと考え、淵源は蘇我氏の石川宅であろうと指摘した。また、その家産は山田寺造営にも用いられたと考えた。
竹内 亮
古代學協會研究報告   (11) 79-86   2015年3月
奈良時代の東大寺による墾田開発を記録した越前国足羽郡糞置村開田図について、研究成果の整理と最新研究段階の提示を行い、開田図に記された条里プランと実際の水田地割の対応関係について検討した。その結果、糞置村一帯では足羽郡統一条里方位とは異なる斜行・不整形地割に即した条里プランが施行されたと見る説が妥当であることを指摘した。
竹内 亮
京都大学      2013年11月   [査読有り]
学位授与大学:京都大学
学位の種類:新制・論文博士
取得分野:博士(文学)
学位記番号:論文博第606号
竹内 亮
万葉古代学研究年報 = Annual report of Man'yo historical research   (11) 135-144   2013年3月
秋田城跡出土の歌木簡について、同伴する荷札木簡の実物調査に基づく新釈読案により、木簡群の年代が通説より遡る可能性があることを指摘した。また、歌木簡は現状で歌が表裏とも同一側に寄せて記されていることから、元来はその反対側方向にもう少し幅が広がっており、表面は少なくとも二首以上の歌が記されていたと復原した。用途としては、新春儀礼において唱和される歌の記録、準備、歌集からの抜書など複数の可能性を指摘した。
竹内 亮
日本史研究   (595) 1-26   2012年3月   [査読有り]
野中寺金銅弥勒坐像の銘文解釈、および岡山県総社市栢寺廃寺出土の文字瓦釈読を新たに行い、栢寺の造営には知識が関与していたこと、知識に加夜評の「評太君」が加わっていたことを明らかにした。また、古代の造寺では天皇の奉為という社会的理念と、共に菩提の境地に至らんという宗教的理念が共に標榜されたことを指摘し、地方有力者が地位確立のために知識を結集して多くの寺院を造営し、白鳳寺院が全国的に増加したと述べた。【著書『日本古代の寺院と社会』に改稿して収録】
竹内 亮
古代学   2 1-10   2010年3月
古代史料には「京内寺院」という表現がよく見えるが、これらは僧綱の管轄対象寺院のことであって京域(京職管轄範囲)外の寺院も含まれており、京職は寺院を直接の管轄対象としていなかったと指摘した。このような僧綱の管轄範囲は、天武朝期における大寺制の成立と同時に確定したと考えられる。僧綱は国家的仏事が日常的に行われる大寺などの都城近郊寺院群を京内寺院として管轄し、仏事に備えてそれらの人員構成を把握していたと述べた。【著書『日本古代の寺院と社会』に改稿して収録】
竹内 亮
律令国家史論集   351-369   2010年2月
古代の長門国採銅所である長登銅山跡から出土した木簡の分析により、採銅所所在郡から徴収された庸米はほぼ全量が京進されず採銅役丁の功食に充てられており、官営採銅事業における役丁徴発制度として雇役制が導入されていたことを明らかにした。また、雇役制は年度予算に従って運営される国家的拘束の強い労役制度であり、採銅事業に雇役制が導入された目的は銅銭発行数量を国家が一元的に管理するためであったと考えた。
竹内 亮
古代都城のかたち   105-127   2009年6月
天武朝初期に成立した大寺制とは都城制と一体であり、政治の場および官人の集住空間としての宮都、仏事の場および僧侶の集住空間としての大寺という機能分担が行われていた。大寺に求められた機能とは国家的仏事において多人数の僧侶を動員して経典を読誦することであった。天武朝初期には大寺へ永年寺封が一斉に施入されたが、これは大寺で一切経書写を行って経典読誦集団を養成し国家的仏事に備えるためであったと指摘した。【著書『日本古代の寺院と社会』に改稿して収録】
竹内 亮
古代文化   60(4) 620-634   2009年3月   [査読有り]
大阪府柏原市鳥坂寺跡から出土した文字瓦の「飛鳥評」に続く未読部を「志母乃五十戸」と釈読し、後の河内国安宿郡資母郷に相当する評・五十戸の篦書であることを明らかにした。また、鳥坂寺の所在郡である大県郡には鳥坂寺を含め郷(五十戸)名を冠する古代寺院が列立しており(河内六寺)、河内大橋の知識架橋や智識寺などの存在から、これら河内六寺は全て五十戸を基礎的結集範囲とする知識によって造営されたものと推定した。【著書『日本古代の寺院と社会』に改稿して収録】
竹内 亮
奈良女子大学21世紀COEプログラム報告集   (24) 34-46   2009年2月
智識寺は、756年に孝謙天皇が参拝した河内六寺の中で唯一サト名を寺名に冠しない寺院である。同寺の創建時には河内国司を檀越とする一国規模の知識結集が行われた可能性があること、8世紀後半には天皇が寺院資財運用に直接関与したこと、9世紀後半には河内国司が造寺(修理)別当であったことを指摘し、創建時には檀越の公権力を背景とした強制的な知識結集が行われ、8世紀後半以降は大寺となって公的性格がより強まったと考えた。
竹内 亮
奈良女子大学21世紀COEプログラム報告集   (23) 37-46   2009年1月
藤原宮大極殿の完成は後殿の未成などから比較的遅いとみられ、これは他の宮都の大極殿にも通じる一般的傾向であることを指摘した。また、藤原宮大極殿院の南面には閤門と東西楼が並び立って正面観を形成しており、これらは全て天皇が出御して臣下と接する場として使われたこと、閤門の正面観は前期難波宮や近江大津宮を、東西楼の機能は中国魏晋南北朝期の太極東堂・西堂の機能をそれぞれ継受した可能性があることを指摘した。
竹内 亮
古代中世史の探究   142-164   2007年11月
春日寺は限られた史料に寺名が見えるだけでほとんど実態が知られていなかったが、9世紀の土地売券に見える春日寺田の近隣に寺院基壇遺構が存在することを現地踏査で確認し、この遺跡を春日寺跡と認定した。また、寺跡の東隣では発掘調査により苑池遺構が見つかっており、これを春日離宮の一施設である春日酒殿の遺構と推定した。春日寺は春日離宮に縁のある皇族の仏事を勤修した寺院であり、離宮に付属する寺院であったと考えた。【著書『日本古代の寺院と社会』に改稿して収録】
竹内 亮
和同開珎をめぐる諸問題   (1) 461-475   2007年1月
古代の長門国採銅所である長登銅山跡から出土した木簡の分析により、長門国採銅所における官営採銅事業の実態について検討した。長登銅山で生産された銅の用途は官司・貴族・寺院などの需要に限定され、銅山労働者が課丁として納付すべき調銅についても労働名目の振り替えにより官採体制の下で一括生産が行われており、銅生産機構および銅資源の双方を国家が独占することが官営採銅事業の特徴であったと述べた。
竹内 亮
高橋氏文注釈   268-277   2006年3月
飛鳥・藤原宮・平城宮などから出土した堅魚(カツオ)の荷札木簡のうち代表的なもの9点を取り上げ、各木簡の内容について検討した。堅魚荷札木簡は7世紀と8世紀では書式や形状が大きく異なるが、貢進物としての数量や形状は時代を通じてそれほど異ならないことを指摘した。また、調として貢進されたものは荒堅魚(鰹節)、贄などとして貢進されたものは鮨や生堅魚であったことも判明した。
竹内 亮
木簡研究   (26) 283-294,巻頭1p,図巻頭1p   2004年11月   [査読有り]
石神遺跡出土具注暦木簡の実物調査により、この暦木簡は原形が横幅40cm強の大型木簡で、表裏面ともに一ヶ月分(689年3月/4月)の暦を記していたと復元した。また表裏面全体にわたって刻界線が施されており、紙の具注暦から転写されたこと、表裏は数度にわたって削り直されており、一ヶ月分の暦を何度も書き換えた可能性があることを指摘した。さらに大型木簡に暦を記した理由として、官司で官人が共同利用していた状況を想定した。
竹内 亮
奈良文化財研究所紀要   2004 13-13   2004年6月
山田寺跡出土の題籤軸木簡を赤外線デジタルカメラを用いて観察したところ、「浄土寺経論司」と新たに釈読でき、従来異論もあった山田寺の法号が「浄土寺」であることが確実となった。また、同題籤軸の出土地が伽藍東側の区画であることから、この区画内には経論の出納といった業務を含む山田寺の寺務機関が立地した可能性を指摘した。
竹内 亮
奈良文化財研究所紀要   2004 14-15   2004年6月
石神遺跡出土定木の実物調査により、この定木に施された切込・刻み目の間隔と、『延喜式』図書寮式が規定する公文書の界線間隔寸法が完全に一致することを見出し、定木を用いた公文書界線の引き方を復原した。また、平城宮跡からかつて出土した公文書界線用の定木の実物調査に基づいて資料紹介と使用法推定を行い、長岡京跡出土の同様の定木などの検討結果と合わせて古代の公文書界線の引き方について具体的に考察した。
竹内 亮
川原寺寺域北限の調査   5-7   2004年3月
川原寺(弘福寺)は、天智天皇により母の追福のため創建され、天武天皇により四大寺の一つとして高い寺格を与えられたが、平城遷都により飛鳥に残留し寺格が一旦低下し、桓武天皇による天智天皇系皇統顕彰の一環として再び寺格が上昇し国忌を修する寺として重視されたことを指摘した。また、伊予親王の怨霊鎮魂、空海に始まる真言僧勢力の入寺などを契機として寺院の性格が変わり、最後は東寺の末寺として吸収されたことを述べた。
竹内 亮
遺跡学研究 : 日本遺跡学会誌   (1) 88-91   2004年3月   [査読有り]
石神遺跡から出土した具注暦木簡・定木・封緘木簡などの律令制官司の業務に直接関わる資料を紹介し、7世紀中頃までは異国人や夷狄などをもてなす饗宴の場であった石神遺跡の施設が7世紀後半(天武~持統朝)には律令制官司として作りかえられたことを指摘した。また、これらの出土資料がいずれも8~9世紀の律令行政成熟期と比べても完成度が高いことを述べ、律令国家黎明期の行政が相当高度な水準に達していたことを指摘した。
伊藤 敬太郎, 竹内 亮
南都仏教   (79) 132-172   2000年1月   [査読有り]
飛鳥池遺跡北地区から出土した寺名木簡を取り上げ、記されている12の寺名を大和国内の諸寺に比定した(考古学的考察部分は伊藤敬太郎氏が執筆)。その一部は山林修行の拠点寺院であり、これらの寺々と飛鳥寺東南禅院の間に修行に伴う往来があった可能性を指摘した。また飛鳥寺禅院はこうした修行者への教育機能も担っていたと推定し、大寺と都城所在国(大和国)内の諸寺が修行によるネットワークで結び付いていたことを指摘した。【著書『日本古代の寺院と社会』に改稿して収録】

書籍等出版物

 
仏教史學會(編) (担当:分担執筆, 範囲:古代寺院の造営と東アジア,出土文字資料と古代寺院)
法藏館   2017年2月   ISBN:9784831860057
竹内 亮
塙書房   2016年2月   ISBN:9784827312805
日本古代における寺院の機能や役割について、寺院内外の社会との関わりから考察した学術研究書。古代都城に所在した中央寺院である大寺(第一部)、地域社会との深い関わりによって建てられた地方寺院(第二部)を対象とする。2015年度JSPS科研費 研究成果公開促進費(学術図書)(課題番号15HP5078)の交付を受けて刊行した。
木下正史(編) (担当:分担執筆, 範囲:壺阪寺,大神神社,海石榴市)
吉川弘文館   2016年2月   ISBN:9784642082907
竹内亮・山本亮 (担当:編者)
古代学協会   2015年3月   
筒井寛秀(監修)・東大寺続要録研究会(編纂・校訂) (担当:分担執筆, 範囲:造佛篇,宝藏篇)
国書刊行会   2013年5月   ISBN:9784336056238
小野正敏・佐藤信・舘野和己・田辺征夫(編) (担当:分担執筆, 範囲:石上神宮,大神神社,里内裏,墨坂,住吉大社,辰市,池亭記,海石榴市,壺阪寺,鳥坂寺,豊浦寺,泊瀬朝倉宮,三輪山)
吉川弘文館   2007年3月   ISBN:9784642014373
飛鳥・藤原宮跡発掘調査出土木簡概報18
市大樹・竹内亮 (担当:共著, 範囲:木簡釈読・編集)
奈良文化財研究所   2004年11月   
https://repository.nabunken.go.jp/dspace/handle/11177/216
飛鳥・藤原宮跡発掘調査出土木簡概報17
市大樹・竹内亮 (担当:共著, 範囲:木簡釈読・編集)
奈良文化財研究所   2003年11月   
https://repository.nabunken.go.jp/dspace/handle/11177/215
飛鳥・藤原宮跡発掘調査出土木簡概報16
市大樹・竹内亮 (担当:共著, 範囲:木簡釈読・編集)
奈良文化財研究所   2002年12月   
https://repository.nabunken.go.jp/dspace/handle/11177/214

Misc

 
日本古代の銅生産と流通―長登銅山跡出土木簡の検討から
竹内 亮
考古学研究   65(4)    2019年3月   [依頼有り]
竹内 亮
歴史書通信   (240) 43-43   2018年11月   [依頼有り]
小倉滋司ほか編『古代日本と朝鮮の石碑文化』、遠藤慶太ほか編『日本書紀の誕生―編纂と受容の歴史』、上代文献を読む会編『上代写経識語注釈』、小林真由美ほか編『寺院縁起の古層―注釈と研究』、栄原永遠男『正倉院文書入門』、以上計5冊の短評。
座談「再論、若狭の古代寺院―遠敷郡の古代寺院、そして興道寺廃寺」
松葉竜司・門井直哉・竹内亮・梶原義実・中野知幸・小林裕季
美浜町歴史シンポジウム記録集   (10) 65-74   2016年3月   [依頼有り]
部会ニュース [日本史研究会]古代史部会 石川宮考[含 討論]
竹内 亮
日本史研究   (641) 85-86   2016年1月
新刊紹介 西本昌弘著『飛鳥・藤原と古代王権』
竹内 亮
古代文化   67(1) 161-161   2015年6月
日本(古代)九(史料〈出土史料〉)(2014年の歴史学界 回顧と展望)
竹内 亮
史學雜誌   124(5) 63-66   2015年5月
新刊紹介 市大樹著『飛鳥の木簡―古代史の新たな解明』
竹内 亮
古代文化   65(1) 156-156   2013年6月
日本古代の都城と寺院―京職と僧綱の管轄範囲
竹内 亮
韓‧中‧日 三國古都와都市佛敎   269-282   2012年2月   [依頼有り]
竹内 亮
ヒストリア   (221) 112-114   2010年8月
竹内 亮
NHK日めくり万葉集   7 76-77   2009年6月   [依頼有り]
竹内 亮
NHK日めくり万葉集   6 21-22   2009年5月   [依頼有り]
竹内 亮
NHK日めくり万葉集   5 45-46   2009年4月   [依頼有り]
竹内 亮
NHK日めくり万葉集   4 75-76   2009年3月   [依頼有り]
竹内 亮
奈文研ニュース   16 4-5   2005年3月
露口真広氏「中ツ道(藤原京東四坊大路)の調査成果から」について(コメント)
竹内 亮
条里制・古代都市研究   (20) 125-125   2004年12月
竹内 亮
木簡研究   (26) 247-251   2004年11月
露口 真広, 平岩 欣太, 竹内 亮
木簡研究   (26) 14-18   2004年11月
箱崎 和久, はこざき かずひさ, Hakozaki Kazuhisa, 飛田 恵美子, 小谷 徳彦, 竹内 亮
奈良文化財研究所紀要   2004 90-99   2004年6月
竹内 亮
木簡研究   (25) 193-196   2003年11月
奈良・坂田寺跡(2002年出土の木簡)
相原 嘉之, 竹内 亮
木簡研究   (25) 57-58   2003年11月
奈良・藤原京跡右京一条一坊(2002年出土の木簡)
竹内 亮
木簡研究   (25) 35-36   2003年11月
奈良・藤原宮跡(2002年出土の木簡)
竹内 亮
木簡研究   (25) 19-20   2003年11月
新刊紹介 佐藤信著『出土史料の古代史』
竹内 亮
日本史研究   (494) 85-85   2003年10月
新刊紹介 摂河泉古代寺院研究会編『行基の考古学』
竹内 亮
日本史研究   (492) 94-94   2003年8月
竹内 亮
奈文研ニュース   9 6-6   2003年7月
石橋 茂登, いしばし しげと, Ishibashi Shigeto, 市 大樹, いち ひろき, Ichi Hiroki, 竹内 亮, 冨永 里菜, 小谷 徳彦
奈良文化財研究所紀要   2003 114-130   2003年6月
竹内 亮
木簡研究   (24) 18-20,図巻頭2p   2002年11月
奈良・藤原京跡左京二条二坊(2001年出土の木簡)
竹内 亮
木簡研究   (24) 15-16   2002年11月
部会ニュース [日本史研究会]古代史部会 古代の禅と法相宗[含 討論]
竹内 亮
日本史研究   (451) 124-125   2000年3月
部会ニュース [日本史研究会]古代史部会 古代官営銅鉱業における労役―鋳銭事業と雇役制[含 討論]
竹内 亮
日本史研究   (411) 91-92   1996年11月

講演・口頭発表等

 
日本古代の銅生産と流通―長登銅山跡出土木簡の検討から [招待有り]
竹内 亮
考古学研究会第65回総会・研究集会   2019年4月21日   考古学研究会
8世紀の官営銅山である長登銅山跡では、故藤原不比等や葛城王(橘諸兄)など高位貴族の家政機関に銅が供給されていた。官営銅山には鋳銭料銅を規定量どおり納入することが厳しく求められており、銅資源が枯渇する9世紀には銅の盗用が禁断されたが、8世紀前半までは銅産出量に比較的余裕があったため、詔などによって特例的に貴族等への銅の配分が行われたのではないかと考えた。また、豊前から長門への技術者集団の移住について再論した。報告要旨は『考古学研究』65-4(2019年3月)pp.32-33に掲載。
「長登銅山跡の発掘調査と出土木簡」補足説明
竹内 亮
第40回木簡学会研究集会   2018年12月2日   木簡学会
2017年度の長登銅山跡発掘調査で出土した木簡について、2018年3月の報道記者発表で公表した釈読案作成の経緯とその根拠について説明した。また、木簡に書かれた「家令余」が葛城王(橘諸兄)家令の余義仁に当たる可能性を述べた。美祢市教育委員会の山根謙二氏による事例報告の補足説明として行った。
道昭の造寺と社会事業―飛鳥寺東南禅院から山崎へ [招待有り]
竹内 亮
古代山崎の架橋と造寺―行基の前史、道昭の事蹟を探る   2018年11月25日   大山崎町教育委員会・大山崎町文化協会
山崎橋の架橋と山崎廃寺の造寺を行った道昭に関するシンポジウムの司会を行った。古閑正浩氏(大山崎町教育委員会)による基調講演「山崎橋・山崎廃寺と道昭」、および網伸也氏(近畿大学)による基調講演「畿内の古代寺院と道昭」を受けて、両講演に対する質疑とコメントの提示を行った。また、シンポジウムに先だって「道昭関係年表」「道昭関係史料」を作成し、シンポジウム際して配布された資料中に掲載した。
都城と寺院―藤原京から平安京まで [招待有り]
竹内 亮
よみうり京都文化センター古代史講座「『日本書紀』をよむ―「寧楽の都」から「平安の都」へ」   2018年11月11日   よみうり京都文化センター
僧綱が管轄した京内寺院の立地について、平城京までは条坊内に可能な限り寺院を配置する方針だったが、恭仁遷都では旧都の寺院を新都に移転させず、長岡遷都からは条坊内の既存寺院を京内寺院として活用する方針に変わり、平安京では既存寺院が無かったため新設の東寺・西寺以外は全て条坊外に立地することになったと述べた。その理由について、平城京条坊のかなりの部分を寺院が占拠し、京戸の居住域を圧迫したためと推定した。
長登銅山跡出土木簡から見た古代銅製錬 [招待有り]
竹内 亮
「銅由来の鉄」長登専門委員会   2018年10月29日   日本鉄鋼協会 鉄鋼プレゼンス調査委員会
古代の長門国採銅所である長登銅山跡から出土した木簡の内容にもとづき、採銅所における銅製錬の実態について検討した。銅山跡出土の銅付札木簡に記載された銅の重量表記によると、奈良時代に生産された銅一枚当たりの重量は25~30大斤(20kg前後)が最も多く、これが標準的な銅インゴットの大きさと推定した。また、小斤表示の帳簿木簡の存在から、小斤のハカリで計量する銅小片もあったと推測し、輸送のために大型銅インゴットを分割した可能性を指摘した。
長登銅山跡の発掘調査について
竹内 亮
高精度同位体比分析装置を用いた古代日本における青銅器原料の産地と採鉱状況の研究 第1回研究会   2018年8月31日   JSPS科研費 基盤研究(A)「高精度同位体比分析装置を用いた古代日本における青銅器原料の産地と採鉱状況の研究」(研究代表者:齋藤努)
長登銅山跡において2017年度に実施された発掘調査成果、および2018年度に実施される発掘調査計画(いずれも美祢市教育委員会)の概要を紹介した。2017年度の調査成果については、木簡を含む遺物の出土状況を中心に述べた。2018年度の調査計画については、予想される成果と意義にも言及した。
宇治橋断碑について
竹内 亮
文字文化からみた東アジア社会の比較研究(石刻研究会)   2018年7月29日   JSPS科研費 基盤研究(A)「文字文化からみた東アジア社会の比較研究」(研究代表者:角谷常子)
論文「宇治橋断碑について」と同内容。
日本古代における僧侶の社会事業について [招待有り]
竹内 亮
福島県臨済会研修会   2018年7月4日   福島県臨済会
日本古代の僧侶が行った社会事業の特徴と変遷を紹介した。古代の仏教社会事業は、7世紀には中国の義橋の影響を受けて主要河川への架橋を中心に行われたが、8世紀になると知識写経と並行して行われる知識架橋、交通拠点での寺院(布施屋)建立、あるいは地方豪族との結合を背景とした灌漑施設の整備など多様に展開し、天平期に至って恭仁京造都や大仏造立などの国家事業と結びつくという段階的変遷過程を経たことを述べた。
日本古代の官営採銅事業と長登銅山
竹内 亮
高精度同位体比分析装置を用いた古代日本における青銅器原料の産地と採鉱状況の研究 第3回研究会   2018年3月8日   JSPS科研費 基盤研究(A)「高精度同位体比分析装置を用いた古代日本における青銅器原料の産地と採鉱状況の研究」(研究代表者:齋藤努)
日本古代の銅生産は、採銅という文言が史料上では全て鋳銭との関連で記されていることからもわかるように、貨幣の原料銅を供給するための官営採銅事業として展開した。採銅体制は時代ごとの鋳銭体制に沿って変遷しており、7世紀末から10世紀中頃までの期間について5段階の時期区分案を示した。なお、官営銅生産の枠組内で銅が貴族家政機関などに供給されている様相が長登銅山跡出土木簡より看取されることから、民間での銅利用は鋳銭原料銅供給の妨げにならない限り許されていたことを指摘した。
行基はどのようにして人々を動員したか? [招待有り]
竹内 亮
第23回文化財ボランティア養成講座(第4回)   2018年2月13日   伊丹市教育委員会生涯学習部社会教育課
行基による造営事業は、伊丹台地における昆陽池・昆陽池院・昆陽布施屋のように、灌漑施設・寺院・交通支援施設をセットで構築する総合開発事業としての特徴を有する。行基は、それに要する労働力を得る手段として、実労働ないしは金品を提供することにより仏に結縁する知識を活用した。大野寺土塔の造営では、大勢の知識が実労働を提供するにあたり、瓦への記名によって仏への結縁を実感したと考えられる。このような動員力が、池溝などの大規模開発を可能にしたと述べた。
既多寺知識経について
竹内 亮
第43回古代寺院史研究会   2017年8月6日   古代寺院史研究会
石山寺一切経の中に含まれる『大智度論』写経について検討した。同写経の識語に見える「播磨国賀茂郡既多寺」については、読みが「けた」であることを示し、芥田(けた)川に近い殿原廃寺に比定した。識語中の写経知識名については、殿原廃寺付近の賀茂郡上鴨・下鴨・楢原里一帯を本拠とする針間鴨国造が知識の中核を占める一方、平群朝臣など中央氏族らしき人名も見えること、同写経が都の写経生によって筆写されたとする近年の原本調査成果などから、賀茂郡地域だけでなく中央との諸関係についても注意すべきと述べた。
地方文化拠点としての古代駅家 [招待有り]
竹内 亮
古代あさご館シリーズ講座   2017年7月30日   朝来市埋蔵文化財センター古代あさご館
古代山陰道粟鹿駅家とされる朝来市柴遺跡から出土した『論語』学而篇第一を記した木簡の用途と意義を検討した。『論語』木簡は学而篇のみを記す例が多く、柴遺跡と同じく古代駅家関連遺跡と確認された神戸市深江北町遺跡(山陽道葦屋駅家跡)出土品なども同様である。『論語』木簡の使用場所である都城・地方官衙・駅家などでは業務上の必要から『論語』を用いた漢字・漢文が学習されたと考えられ、そのため特によく暗唱されていた冒頭部分の学而篇が習書として木簡に記されることが多かったのではないかと考えた。
長登銅山跡で実施される発掘調査計画について
竹内 亮
高精度同位体比分析装置を用いた古代日本における青銅器原料の産地と採鉱状況の研究 第1回研究会   2017年7月8日   JSPS科研費 基盤研究(A)「高精度同位体比分析装置を用いた古代日本における青銅器原料の産地と採鉱状況の研究」(研究代表者:齋藤努)
長登銅山跡において2016年度までに実施された発掘調査成果(美東町教育委員会・美祢市教育委員会)、および2017年度に実施される発掘調査計画(美祢市教育委員会)の概要を紹介した。2017年度の調査計画については、予想される成果と意義にも言及した。
日本古代における文字瓦の記銘目的―誰のために刻むのか?
竹内 亮
Law and Writing Habits in the Ancient World   2016年9月2日   ロンドン大学古典学研究所
論文「日本古代における文字瓦の記銘目的―誰のために刻むのか?(Memorial Roof Tiles in Ancient Japan: Means, Motives and Opportunities)」と同内容。
出土文字資料からみた古代寺院―但馬国分寺跡出土木簡の研究史から [招待有り]
竹内 亮
第44回古代史サマーセミナー(但馬)   2016年8月21日   第44回古代史サマーセミナー実行委員会
2015年に公表された但馬国分寺跡第5次調査出土木簡の再釈読案を検討し、新釈文の妥当性を検証した。大衆院管下の寺内諸部署に勤務する人員の割振を記録した1号木簡では、新案で「西所ヵ」とされた箇所について、勤務人員が女性であることより、「西厨」と読める可能性を指摘した。また、本木簡群が三綱・大衆院由来の一括史料であることの価値を再評価し、飛鳥池遺跡北地区・西大寺食堂院・安芸国分寺など他の寺院から出土した同類の木簡群との比較研究の必要性を述べた。
古代の地方寺院と社会集団
竹内 亮
平成27年度美浜町歴史フォーラム 再論、若狭の古代寺院   2015年10月25日   美浜町教育委員会
論文「古代の地方寺院と社会集団」と同内容。
文献からみた片岡の古代寺院
竹内 亮
第32回古代寺院史研究会   2015年4月26日   古代寺院史研究会
大和国片岡地域の古代寺院のうち、片岡王寺について検討した。推古朝施入の播磨国所領が後代の法隆寺領鵤荘絵図中に片岡荘として記録されており、その荘域を復元すると、元来法隆寺の鵤荘と一体的な所領であったことが判明した。このことから、片岡王寺の檀越を上宮王家の一員である片岡女王(聖徳太子の娘)と考え、『法隆寺資財帳』に見える灌頂幡を寄進した「片岡御祖命」と同一人物とみる東野治之説が妥当とした。
石川宮考
竹内 亮
日本史研究会古代史部会   2015年1月26日   
論文「石川宮考」と同内容。報告要旨は『日本史研究』641号(2016年1月)pp.85-86に掲載。
上野国・下野国の古代石碑に関する研究の現状と課題
竹内 亮
文字文化からみた東アジア社会の比較研究(石刻研究会)   2014年12月14日   JSPS科研費 基盤研究(A)「文字文化からみた東アジア社会の比較研究」(研究代表者:角谷常子)
上野・下野両国に所在する古代石碑、すなわち上野三碑(山ノ上碑・多胡碑・多胡碑)・山上多重塔・那須国造碑に関するこれまでの研究史を整理し、最近の学説において課題として指摘されている諸点について紹介した。
物部守屋と蘇我馬子―倭国の対外関係と仏教受容をめぐって [招待有り]
竹内 亮
よみうり京都文化センター特別講座「失脚からみた日本古代史」   2014年10月19日   よみうり京都文化センター
倭国の仏教受容をめぐって対立したとされる物部守屋と蘇我馬子について、近年の調査研究成果から判明しつつある両者の実像について紹介した。
東大寺の末寺について―附 末寺章の校訂案の検討
竹内 亮
第8回東大寺要録研究会   2014年3月16日   JSPS科研費 基盤研究(B)「東大寺史の総合的再構成―『東大寺要録』を中心に」(研究代表者:栄原永遠男)
『東大寺要録』末寺章第九(巻第六)の全文釈読案および内容を報告した。検討の結果、末寺章は要録編纂時点で東大寺末寺であった寺院を掲げたというよりも、東大寺の権益確保のため末寺であることが東大寺にとって望ましい寺院を列挙したという性格が強く、むしろ本章を根拠として末寺支配が強化された側面があると指摘した。
長登銅山跡出土木簡から見た古代の銅生産―官営工房としての長門国採銅所
竹内 亮
日本古代宮都周辺域における手工業生産の分野横断的比較研究 第3回研究会   2012年12月26日   JSPS科研費 基盤研究(B)「日本古代宮都周辺域における手工業生産の分野横断的比較研究」(研究代表者:高橋照彦)
論文「官営採銅事業と地域社会の変容」と同内容。
地方官衙と歌木簡
竹内 亮
第9回万葉古代学公開シンポジウム 声から文字へ―木簡に記された詩歌と古代東アジアの詩歌の場   2012年9月29日   万葉古代学研究所第6回委託共同研究「『万葉集』と歌木簡―東アジアにおける詩歌の場と記録メディアの展開」(研究代表者:多田伊織)
論文「地方官衙と歌木簡―秋田城跡出土歌木簡をめぐって」と同内容。
河内六寺と知識
竹内 亮
第21回古代寺院史研究会   2012年8月19日   古代寺院史研究会
論文「五十戸と知識寺院―鳥坂寺跡出土篦書瓦の釈読から」の発表後、文字瓦の釈読私案に対して異論が出されたため、これに対して反論し私案の根拠を補強した。また、栃木県那珂川町那須官衙遺跡(下野国那須郡家跡)および神奈川県小田原市千代廃寺(相模国足下郡家隣接寺院跡)から出土した「五十戸」銘文字瓦の実物観察を行ったので、その結果を報告し鳥坂寺文字瓦との異同点について述べた。
出土文字資料から見た摂津国莵原郡―深江北町遺跡と葦屋驛家
竹内 亮
第19回古代寺院史研究会   2012年5月6日   古代寺院史研究会
神戸市東灘区深江北町遺跡第9次調査で出土した墨書土器・木簡の実物観察を行い、その結果を報告した。墨書土器では「駅」を記した字に繁体の「驛」と略体の「駅」の双方が確認できること、木簡では「□□駅上米」と読める可能性のある米の荷札木簡を見出したことを述べた。また、深江北町遺跡が通説どおり葦屋駅家跡であることを確認し、文字資料が出土した一帯には駅家に伴う厨、事務部署、倉庫などが立地していたと推定した。
日本古代の都城と寺院―京職と僧綱の管轄範囲
竹内 亮
東国大学校仏教社会文化研究院國際研究集会   2012年2月4日   
論文「京と僧綱―天武天皇九年の「京内廿四寺」をめぐって」と同内容。報告要旨は東国大学校仏教社会文化研究院編『韓‧中‧日 三國古都와都市佛敎』pp.269-282に掲載。
古代の造寺と社会
竹内 亮
2011年度日本史研究会大会古代史部会共同研究報告   2011年10月9日   
日本史研究会古代史部会の共同研究報告として実施。論文「古代の造寺と社会」と同内容。
山崎廃寺の創建と山崎橋
竹内 亮
第14回古代寺院史研究会   2010年11月14日   古代寺院史研究会
京都府大山崎町山崎廃寺から出土した文字瓦の実物観察を行い、瓦に記された人名の中に東大寺大仏開眼会へ出席した僧侶名が確認できることから、同廃寺が通説どおり行基創建の山崎院跡であることを指摘した。また、同廃寺から飛鳥寺東南禅院や鳥坂寺と同じ瓦が出土すること、寺院の近隣に古代の山崎橋推定地が所在することから、知識による造寺・架橋事業を契機として、技術や方法が飛鳥や河内から山崎に伝えられた可能性を指摘した。
石神遺跡と小治田宮・小治田寺
竹内 亮
第12回古代寺院史研究会   2010年7月19日   古代寺院史研究会
石神遺跡が小治田(小墾田)宮の遺跡であるという推定に基づき、石神遺跡の考古学的調査成果と文献史料に現れる小治田宮の記載を整理して施設の時期変遷を検討した。また、同遺跡の7世紀前半の遺構から奥山廃寺(小治田寺跡)式軒瓦が出土していること、7世紀後半の遺構から数点の仏教関係木簡が出土していることなどを手がかりに、小治田宮内にも小治田寺と何らかの関係を有する仏堂が存在していた可能性を指摘した。
瓦への記名行為と知識―大野寺土塔所用文字瓦をめぐって
竹内 亮
第7回古代寺院史研究会   2009年5月24日   古代寺院史研究会
大阪府堺市大野寺土塔から出土した文字瓦の実物観察を行い、瓦に記された人名の中に知識を率いたとみられる僧尼もしくは優婆塞・優婆夷の法名が確認できることを指摘した。これらの法名は複数の瓦に同筆で記されている例があり、あるいは「連+(法名略称)+(数字)」のように法名を持つ統率者に連なる知識の人数を記すものも確認できた。こうしたことから、瓦への記名が組織的に行われたと考えられると指摘した。
鳥坂寺出土箆書瓦の釈読―川内国飛鳥評の「五十戸」史料
竹内 亮
2008年度史学会第106回大会   2008年11月9日   
論文「五十戸と知識寺院―鳥坂寺跡出土篦書瓦の釈読から」と同内容。報告要旨は『史学雑誌』118編1号(2009年1月)p.116に掲載。
藤原宮―宮中枢部の形成と展開―大極殿の成立をめぐって
竹内 亮
都城制研究集会第1回   2007年3月24日   
論文「藤原宮大極殿をめぐる諸問題」と同内容。
飛鳥池木簡からみた古代寺院―飛鳥池遺跡北地区出土木簡再考
竹内 亮
日本史研究会古代史部会   2006年4月15日   
飛鳥池遺跡北地区出土木簡群を全体的に調査・検討し、この木簡群が飛鳥寺の人・物の管理を掌る三綱所の現業部門によって使用されたことを明らかにし、木簡群の出土地である飛鳥池遺跡北地区はその業務空間であったと指摘した。また、7世紀後半(天武朝~文武朝)の飛鳥寺では道昭に率いられた飛鳥寺東南禅院の禅僧集団が主導的な地位にあり、三綱所の掌る活発な寺務運営も道昭らの活動に伴うものであることを木簡の分析から指摘した。報告要旨は『日本史研究』553号(2008年9月)pp.73-75に掲載。
木簡からみた長登銅山の経営
竹内 亮
研究集会 和同開珎をめぐる史的検討   2006年1月28日   JSPS科研費 基盤研究(B)「富本銭と和同開珎の系譜をめぐる比較研究」(研究代表者:松村恵司)
論文「木簡からみた長登銅山の銅生産体制」と同内容。
古代飛鳥・藤原地域の交通路
竹内 亮
奈良女子大学21世紀COEプログラム研究会   2005年6月9日   
飛鳥時代から藤原京期を通じて京内の重要交通路であった中ツ道・下ツ道・阿倍山田道の実態について考察した。中ツ道・下ツ道は陸上交通の要路でもあったが、それぞれ中ノ川・下ツ道側運河という水路を伴っており、水運・陸運の両手段による物資の輸送経路としても重要であったことを指摘した。また阿倍山田道については通説の雷丘南麓を通過する経路の他に、雷丘北麓を通過する並行別経路が存在した可能性を指摘した。
古代文書の界線と定木
竹内 亮
2004年度延喜式研究会研究集会   2004年7月3日   
論文「文書用界線割付定木二態」と同内容。
暦の木簡 [招待有り]
竹内 亮
第130回あすか塾   2004年6月5日   飛鳥保存財団
論文「木に記された暦―石神遺跡出土具注暦木簡をめぐって」の内容を元に、一般聴講者向けに簡略化した。
具注暦と木簡―石神遺跡出土具注暦木簡をめぐって
竹内 亮
第25回木簡学会研究集会報告   2003年12月7日   
論文「木に記された暦―石神遺跡出土具注暦木簡をめぐって」と同内容。
東大寺の造営と封戸
竹内 亮
京都大学文学部読史会大会   2002年11月3日   
東大寺などの大寺に施入された寺封に関する史料の分析により、寺封には一定の期限を経て収公されるものと永続的に寺院が所有できるものがあり、後者は永年寺封として大寺のみに与えられる特権的財源であったと述べた。東大寺の場合は造営が一段落した時点で期限付き寺封の管理者が造寺司から三綱へ変更されていることから、期限付き寺封は寺院造営の期間中だけ造営財源として与えられるものであったことを指摘した。
「白鳳寺院」の機能と性格
竹内 亮
奈良古代史談話会   1999年7月17日   
論文「飛鳥池遺跡出土の寺名木簡について」と同内容(文献史学的考察部分のみ)。
飛鳥池遺跡出土の寺名木簡について
竹内 亮
歴史考古学研究会第20回例会   1999年6月20日   
論文「飛鳥池遺跡出土の寺名木簡について」と同内容(考古学的考察部分は伊藤敬太郎氏が報告)。
古代の禅と法相宗
竹内 亮
日本史研究会古代史部会   1999年4月19日   
飛鳥池遺跡北地区出土木簡群の分析などから、入唐学問僧道昭が初めて日本に伝えたとされる禅について考察した。道昭は唐で玄奘に師事したことから、道昭の学んだ禅とは『瑜伽師地論』に説かれる唯識禅行と考えた。道昭が飛鳥寺東南禅院を拠点として唯識禅行を広めた結果、多くの僧侶が沙弥行として唯識禅行を修し、奈良時代には唯識(法相)を専門とする学僧が多く輩出したと指摘した。京都大学大学院修士論文の内容に基づく。報告要旨は『日本史研究』451号(2000年3月)pp.124-125に掲載。
古代官営銅鉱業における労役―鋳銭事業と雇役制
竹内 亮
日本史研究会古代史部会   1996年5月27日   
長登銅山跡出土木簡の分析から官営採銅事業の特質を検討した。雑令では銅・鉄は共に私採が許されているが、8世紀初頭以降は鉄は主に調庸として貢進され、銅は採銅所で直接官採された。この違いは、調庸の年間貢進量は固定的なのに対し、官営採銅事業では年度予算に基づく雇役制が導入されたことから生じたもので、銅は銅銭発行数量を調整するため生産量の増減が行われていたと指摘した。京都大学卒業論文の内容に基づく。報告要旨は『日本史研究』411号(1996年11月)pp.91-92に掲載。

競争的資金等の研究課題

 
日本学術振興会: 科学研究費補助金 基盤研究(A)
研究期間: 2017年4月 - 2021年3月    代表者: 齋藤 努 (分担者: 竹内 亮)
日本学術振興会: 科学研究費補助金 特別研究員奨励費
研究期間: 2014年4月 - 2017年3月    代表者: 竹内 亮
国内外の古代寺院とその造営集団に関する資料収集、および研究成果の公表を行った。国内については、各地の古代寺院遺跡を実地踏査し、寺院の立地環境、遺物分布・遺構遺存の現状、周辺の官衙・集落・墳墓・交通路などとの位置関係を現地で確認するとともに、文字資料を含む出土遺物の観察を行った。国外については、中国・韓国・カンボジア・インドなどアジア諸国の寺院遺跡や仏像などを現地で観察し、寺院の立地環境や、造寺・造塔・造像銘文の記載内容・文体について、国内例との比較を念頭において検討を加えた。
日本学術振興会: 科学研究費補助金 研究成果公開促進費(学術図書)
研究期間: 2015年4月 - 2016年3月    代表者: 竹内 亮
日本学術振興会: 科学研究費補助金 若手研究(B)
研究期間: 2012年4月 - 2016年3月    代表者: 竹内 亮
本研究では、長門国に置かれた古代日本の官営銭貨鋳造組織である鋳銭司を主たる研究対象とし、その実態や他の生産組織との比較を文献史学と考古学の双方の視点から研究することにより、古代日本における官営工房の運営システムの解明を目指した。その結果、長門鋳銭司では他の古代官営工房(飛鳥池工房、長登銅山)と同様の工人管理システムが採用されており、このシステムが古代日本の官営工房で一般的であったことが明らかになった。
日本学術振興会: 科学研究費補助金 若手研究(B)
研究期間: 2007年4月 - 2011年3月    代表者: 竹内 亮
本研究では、8世紀の官営銅生産遺跡である長登銅山跡より出土した木簡の実物調査によって正確な釈文を作成し、かつ古代長門国に存在した官営銅生産工房の運営システムの一端を具体的に明らかにすることを目指した。木簡の実物調査では、従来釈読できていなかった箇所や釈読が誤っていた箇所について、新たな釈読案を得ることができた。官営工房の運営システムについては、製品生産と労働力編成との相互関連性を明らかにすることができた。
日本学術振興会: 科学研究費補助金 基盤研究(A)
研究期間: 2004年4月 - 2008年3月    代表者: 金子 裕之 → 北田 裕行 (分担者: 竹内 亮)
古代都城に付属する苑地について、東アジア各国の比較分析を行った。国外では、漢代苑地の上林苑、唐長安城の太液池、南朝首都の建康(現南京)、高句麗首都の集安、渤海首都の上京龍泉府などの遺跡について資料収集や現地調査を行い、衛星写真等を用いた図上復原を実施、各苑地の基本的構造を理解した。国内では、飛鳥~平安京の都城苑地について国外との比較研究を進め、中国南朝から百済・新羅を経て7世紀の日本都城苑地に影響が及んだこと、飛鳥~平城宮の苑地に南北朝~隋唐期の変遷過程が反映していることを明らかにした。

担当経験のある科目

 
 

社会貢献活動

 
長登銅山跡から出土した木簡について
【コメンテーター】  美祢市教育委員会  国指定史跡長登銅山跡発掘調査成果 記者発表会  (2018年3月14日『読売新聞』山口県版、『毎日新聞』山口県版、『山口新聞』ほか)  2018年3月13日
美祢市教育委員会が2017年度に実施した長登銅山跡発掘調査において木簡2点が出土し、そのうち釈読可能な1点について報道記者発表を行った。木簡釈読調査は計5人の日本史研究者が実施し、その共同成果にもとづいて代表として発表したものである。