研究ブログ
自閉症の歴史社会学的考察:精神医学の言説における家族と当事者
1. 概要
1943年のL.カナーによる早期幼児自閉症の症例報告より現在に至るまで、自閉症の概念は、その原因把握と治療法において大きな変化を経てきた。本研究の目的は、こうした自閉症の概念変化がその時々の歴史社会的文脈のなかでいかなる社会的含意と社会的帰結をもたらせてきたのかを、自閉症をもつ人びととその家族のあり方に焦点をあてながら明らかにすることである。なお、この全体目的のもと、まずは精神医学関連の言説を資料として自閉症の概念変化とその社会的含意について概要把握を試みた。以下にそれを報告する。
2. 問題の所在
かつて自閉症は親(とくに母親)の育て方の問題に原因があると言われ、親たちは自分を責め、悩み苦しんできた。他方、今日では自閉症は脳の器質的な問題を原因とするということが分かってくるとともに、原因として親の育て方の問題を指摘する声は少なくともおおやけには鳴りを潜めたように思われる。そこで考えておきたいのは、このような自閉症の概念の変化は、自閉症をもつ人びとやその家族にどのような影響を与えてきたのだろうかということである。
もちろん、このような変化は医学的調査研究の進展によるところが大きい。しかし忘れてならないのは、その時々に存在していた概念のもとで自身の経験を把握し、生活を作りあげてきた人びとの存在である。さらに言えば、医学的調査研究じたいが、こうした経験と実践を重要な背景としながら進められてきた。このことは、B.リムランドやL. ウィングといった、家族に自閉症者をもつ研究者によって上記の概念変化が促されてきたことからも明らかである。
自閉症の概念変化の社会的含意と社会的帰結とを把握する本研究の意義は、以上にある。
3. L. カナーによる症例記述
1943年、L.カナーは「情緒的交流の自閉的障害(autistic disturbance of affectivecontact)」という概念を用いて、11人の子どもの症状を記述した(Kanner1943=1978)。それによると、自閉症とは、極端な自閉性と強迫性、常同性、反響言語を特徴とし、児童期の統合失調症とは区別されるものだった。彼の記述は、子どもたちの特徴のみならずその家族に、とくに両親たちの知的能力の高さと人間への興味の欠如にまで及んでいる。ただし、子どもの自閉症と両親たちの冷たさとの結びつきが具体的に何に由来するのかについては、カナーは曖昧に述べるにとどまっている。また、以後の彼の記述も、遺伝によるのか育ちによるのか——「氏か育ちか」——という両極のあいだを曖昧に揺れ動く。しかし、この結びつきは、カナー以外の人びとによってまずは「育ち」の側に引きつけて読み込まれていく。この背景にあるのは、第二次世界大戦後の合衆国における優生学・遺伝学に対する批判的言説であり、精神分析の普及である。
4. 問題とされる親:心因性の精神障害
こうした読み込みの代表と見なしうるのが、1967年に刊行されたB. ベッテルハイムの『うつろな砦——小児自閉症と自己の誕生』である(Bettelheim1967=1973/75)。ベッテルハイムは、ウィーン生まれのユダヤ人で、ナチス・ドイツの強制収容所に収容された経験を持つ。合衆国に移住した後、シカゴ大学附属の児童養護施設の所長を務めている。この著書の基本内容は、すでに1950年代に刊行された論文と重なるが、自閉症をはじめ人間の精神状態が環境(自閉症の場合には親子関係、とりわけ母子関係という環境)によっていかに強く形成されるのかを、自身の被収容経験と精神分析を踏まえながら論じるものとなっている。そのなかで彼は、自閉症の主な原因を、母親の態度のあり方とその結果としての子どもの反応の欠如とからなる悪循環に求めている。このような原因の把握と対応し、自閉症児への治療は、彼の言う「ペアレンテクトミー(parentectomy:家庭隔離)」——原因である家庭および母子関係から子どもを切り離し、施設における友好的な環境での関わりによる治療——が唱えられる。
4. 共同治療者としての親:神経発達障害・社会適応のための行動訓練
自閉症のこうした捉え方と実際の施設治療は、自閉症児をもつ親たちにとって厳しい道徳的非難となった(しかしその一方で、心理学的原因ゆえに治療の可能性が含意される点において、親たちにとって希望をも意味していた)。実際、自閉症の子を持つ心理学者リムランドは、1964年に刊行された『小児自閉症』という書物(Rimland 1964)とそれに続く論考のなかで、こうした捉え方を真っ向から批判することになる。こうした批判の基礎をなしているのが、自閉症の新たな捉え方、すなわち脳神経系の器質的な原因をもつ認知と言語の障害とする自閉症の概念である。器質的原因を想定する点においてこの概念は治療への期待を挫く可能性をもつ。しかしその一方でこの概念は、治療の目標を社会生活に適応的な行動の獲得に据え、親をも「共同治療者」として実施される行動療法——I. ロヴァースによるロヴァース法・応用行動分析やそれと対立しつつも併存していたE. ショプラーによるTEACCHはその代表である——の導入を促すものだった(Schopler& Reichler 1971)。
このように親の位置づけは、自閉症の原因から、自閉症に対する「共同治療者」へと、大きく変化していく。これは、謂われのない非難から親たちを免罪することである。しかしその一方で、親たちに(母親たちに)大きな責任を課すことでもある。行動訓練は長時間継続的に実施される必要があるという理由ゆえ、家庭は医療施設の延長として位置づけられ、母親は医療者のもとで指導を受けつつ、家庭において子どもに治療訓練を施す責任を負うことになったからである。
5. 当事者運動と批判される親:神経発達障害・社会の側による適応への要求
社会への適応的行動の獲得を目標に、医療者と親とが子どもに対する治療訓練を施していく体制について、これを批判する人びとが当の自閉症を持つ人びとのなかから1990年代以降に現れてくる。たとえばJ. シンクレアは、この体制の一角を占めながら努力する親たちの「良識」に対してその盲点を突く鋭い批判を行っている。「私たちのことを嘆くのはやめろ」と題された論文のなかで、彼はおおむねこう述べる。自閉症児を持つ親の悲しみは、子どもの状態そのものへの悲しみではなく、ノーマルな子どもへの期待が裏切られたことによる悲しみである。そしてこの期待との乖離が親たちをして子どもへの治療訓練へと駆り立てる。しかしこれは自閉症をもつ者にとっては悲劇である。みずからがもって生まれてきたあり方が外側から強いられて一定の枠へと押し込められようとするなかで、摩擦を経験せざるを得ないからである(Sinclair1993)。
これは痛烈な批判ではあるが、その眼目は親たちへの攻撃にではなく、自閉症者に対する周囲からの理解と適応への呼びかけにある。自閉症と呼ばれる特徴をもたらす脳神経学的特徴を生まれつき具える人びとに対し、これを病理化して適応を強いるのでなく、むしろ社会の側による適応を呼びかけているのである。一方における生物学的(非心理学的)な自己把握が、他方において社会環境の改変を求める社会モデルの主張へと通じる論理——J. シンガーによって提示された「神経学的多様性(neurodiversity)」という概念(Singer 1999)はこうした論理を体現している——を、ここに確認することができる。
※
もちろんこの主張にも限界を指摘することはできるだろう(とはいえそれはどのような主張にもあてはまることだ)。具体性に欠くことや実現の困難さ、主張内容が比較的高機能な自閉症者にしかあてはまらないように思われることなどである。しかし、当事者の意思不在のままに行われてきた治療訓練のあり方に再考を迫る点において、この主張が現実に及ぼしてきた影響力は無視できないはずである。