基本情報

所属
東京大学 大学院教育学研究科 総合教育科学専攻(基礎教育学コース) 博士後期課程
学位
修士(教育学)(2020年3月 東京大学)
学士(文学)(2017年3月 東京大学)

連絡先
shuichiro.higumagmail.com

 抽象的に言えば、言語に興味があります。ことばならざるものがことばになること、その一方で何ものかがことばになり損ねてしまうこと、そのありようを捉えたいという気持ちに突き動かされてきました。フランスの哲学者アンリ・ベルクソンは、ことばにしてしまうことを広く「空間化」と呼び、その批判をひとつのモチベーションとして自身の哲学的思考を巡らしました。

 卒業論文では、ベルクソンが第3の主著『創造的進化』において認識における「空間化」を「映画的錯覚」と名指したにもかかわらず、後にアンドレ・バザンやジル・ドゥルーズの映画論においてベルクソン哲学が大いに参照された事実に着目し、ベルクソン哲学を映画を語る理論として読み直し、その影響をバザンやドゥルーズの映画論において跡付けようとしました。

 打って変わって修士論文では、大正期日本の教育界のオピニオンリーダー・及川平治のベルクソン解釈について検討しました。ベルクソンは物理学を、空間化を方法とする学問領域だと考えました。そこでいわれる空間化とは具体的にいえば、現象を測定し数値を与えることといえます。及川は従来、ベルクソンから影響を受け生命主義に根差した教育論を構想した人物として語られてきましたが、彼は一方で「教育を将来的に基礎づけるのは、哲学ではなく教育を取り巻く事象の測定・リサーチになるだろう」と述べています。これは、ベルクソンが生命の認識としては空間化を退けたこと、及川がそのベルクソン的生命観に基づき自らの教育論を構想したという定説に反するように思えます。修士論文はこの一見したところの背馳から出発しました。

 現在では、教育学を構成する方法論として、定量的な研究・科学的な認識を目指す心理学や社会学(まさに「空間化」を基礎とする学問です)がいかに教育学を構成し、あるいは教育学から離れていったのか、ということを、明治後期から昭和初期頃までの日本における教育学の制度化過程を眺めながら検討しています。この検討を通じて教育学とは何か、そもそも学、科学とは何なのかといったことを言うことができればいいなとぼんやり思っています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

論文

  1

MISC

  3

講演・口頭発表等

  1

社会貢献活動

  2

その他

  2