Presentations

Mar 29, 2013

高度成長期の企業の住宅政策の成立と展開

日本地理学会発表要旨集
  • 菅野拓

Language
Japanese
Presentation type
Oral presentation (general)

「住宅すごろく」という表現を上田篤が用いたのは1973年のことであった。つまりは「住宅すごろく」は1970年代初頭までに成立しその終わりに概念化されたと考えられる。その「住宅すごろく」の形成にヘゲモニーをもったのは、どういったアクターであろうか。一般世帯・勤労者世帯の持家の建設原資の比較や住宅ストックから「住宅すごろく」の形成においては企業がヘゲモニーをもち、国家はその補助の役割を果したと評価できる。高度成長期の企業の住宅政策の成立と展開をみる。経営者は労働者の忠誠心を引き出すために住宅政策を利用した。その後、企業への忠誠心を引き出すには高コストな社宅経営を合理化する圧力が働き、福利厚生の合理化の1つとして持家政策に切り替えていくが、合理化自体はうまくいかない。労働者は社宅や、社宅の利用者との調整手当として支給される住宅手当を獲得しており、それが既得権化する。ILOの勧告(使用者が住宅を提供すべきではない)を労働組合側も無視する形で住宅政策を既得権として保持し、企業への忠誠心醸成に対して無批判のうちに持家政策も受諾した格好となる。国家は厚生年金還元融資の形で社宅建設を支援し、山陽鋼管事件などで批判の強かった社内預金制度を保持した末での勤労者財産形成制度の制度化、いくつかの租税特別措置など、所得税法上の優遇などの形で、経営者・労働者どちらにも利益を図るよう制度運営していくが、社会保障としてではなく一貫して企業を通して住宅政策を支援したため、労働者の企業への忠誠心獲得に助力しつづける結果となった。最終的に一部の企業は住宅総合対策として生涯の資金需要やライフステージを考慮に入れた、社宅+ファイナンス政策を立て実践していき、企業のうちに「住宅すごろく」の理念系が出来上がった。国家の絡んだ経営者と労働組合の対抗関係の社会的な妥協の結果、「住宅すごろく」と概念化される持家取得を最終ゴールとした住宅の階梯が「企業の住宅政策」のうちに形成され、郊外住宅地に典型的に現れる都市空間を形成していった。それは同時に、再生産の領域である住宅が企業福祉の手段として生産の論理のうちに労働者に提示されることで、労働者の企業への忠誠心を引き出す日本的雇用システムの一環でもあった。

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URL
http://jglobal.jst.go.jp/public/201302219080791662