講演・口頭発表等

2010年7月3日

「天」の思想の理解からみる江戸時代末期における国家論の特徴

日本国際文化学会第9回全国大会
  • 鈴村裕輔

記述言語
日本語
会議種別
口頭発表(一般)
主催者
日本国際文化学会
開催地
東海大学札幌キャンパス

いわゆる西洋の衝撃(Western Impact)は日本に尊王攘夷論の沸騰をもたらした。その際、尊王論者に大きな影響を与えたのが、孟子の思想であった。しかし、日本の論者が孟子の思想を日本の国家論に適用して尊王論を主張した場合、障害となったのが、天に関する考えであった。孟子は、天という政治的な規範が天下の民のすべてに関わりをもっており、天の支持を失った王朝は倒され、新たに天意を受けた者が中国という世界を支配すべきであるとし、易姓革命を肯定した。このような考え方は、中国の国家論に特有の天の思想に直結しているだけに、日本の論者が孟子の国家論を受容することを難しくした。
例えば、吉田松陰(1830-1859)は、『孟子』の思想を述べる際に、天の観念を捨象するとともに、陰陽五行説を除外した。そして、日本国家の思想とされた太陽信仰に基づき、記紀神話にある太陽崇拝の立場から、「大八洲は天日の開き給へる所」と主張した。これに対し、朱子学の合理的思考に依拠する山県太華(1781-1866)は、吉田松陰の論を批判して「昼夜、外天を一周して偏く世界万国を照す、これを以て独り我が一国の祖宗と云ふこと、極めて大怪事なり」と述べる。これは、幕末にあってすでに国際社会を念頭に置き、日本の太陽信仰のあり方を批判する見解である。このように、幕末という時代に生きた同時代人の中でも、国家論の基礎をなす理論的背景に大きな差があったことが分かる。しかし、結果的に、当時の論者たちは、『孟子』がもつ一種の民俗尊重の感覚を評価した吉田松陰に代表されるように、孟子が展開した絶対的な規範としての天の思想を、自然主義的に理解する傾向が強かったのである。
結局、日本の国家思想には、天皇を太陽そのものに擬するという思考はあったものの、天皇の上位に、最高の規範としての天という存在を認めることができず、それゆえに、中国流の国家論を無媒介的に受容することはできなかったのである。確かに、日本と中国の国家論には、ともに支配の正統性を天に求めようとする態度(中国)と支配そのものを「太陽の化身としての君主」という理論によって絶対化しようとする態度(日本)というように、天や太陽を単なる自然現象として理解したヨーロッパの態度とは異なり、東洋的な国家論として、ある程度の共通性をもっていた。しかし、天そのものの理解という点で、日本と中国は決定的に異なっており、中国の国家論がもつ天の思想と、日本の国家論が拠った太陽崇拝とがその相違を形成していたのである。
今回の報告では、とりわけ江戸時代末期に盛んになった日本の国家論の特徴について、論者が依拠した中国の国家論と対比しつつ、自然に対する伝統的な見解や思考のあり方に焦点を当てて検討する。

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URL
http://www.jsics.org/pdf/conference/9-conference.pdf