講演・口頭発表等

国際会議
2016年11月18日

『香港東洋経済新報』の創刊にみる「言論人・石橋湛山」と「経営者・石橋湛山」の特徴

“近代中国与东亚――新史料与新视点”学术研讨会
  • 鈴村裕輔

記述言語
日本語
会議種別
口頭発表(一般)
主催者
浙江工商大学
開催地
浙江工商大学

戦前、戦中の日本を代表する経済専門雑誌である『東洋経済新報』は、戦前において国際協調主義と自由貿易主義に基づき、植民地放棄や軍備縮小などを主張した。一方、出版元である東洋経済新報社は、言論機関としての報道・言論活動に留まらず、米穀専売研究会(1919)や金融制度研究会(1922)を設置して実態経済の研究を行った。また、1924年に編集主幹となった石橋湛山(1884-1973)は1931年に経済倶楽部を創設し、経済・貿易・金融・財政に関する内外の情報を収め、幅広い人脈を活用して政治・外交面の最新情報を集積するとともに、政策の発信や中央の経済界と地方の商工業界との連携を図るなど、積極的な対外活動を展開した。さらに、石橋体制下の東洋経済新報社は、1934年に英語版のThe Oriental Economist(TOE)を刊行したのをはじめとして、1943年に京城で『大陸東洋経済新報』、1944年に香港で『香港東洋経済新報』を創刊しており、一種の民間外交の役割も担うこととなった。
今回の報告では、軍部を批判し、自由主義の擁護に努めた石橋湛山が戦時中に『香港東洋経済新報』を発行した経緯と目的を、東洋経済新報社の対外活動を手がかりに考察する。

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