講演・口頭発表等

2017年7月9日

外国版『東洋経済新報』の創刊の経緯と石橋湛山

日本国際文化学会第16回全国大会
  • 鈴村裕輔

記述言語
日本語
会議種別
口頭発表(一般)
主催者
日本国際文化学会
開催地
宮崎公立大学

戦前、戦中の日本を代表する経済専門雑誌である『東洋経済新報』は、戦前には国際協調主義と自由貿易主義に基づき、植民地放棄や軍備縮小などを主張した。一方、出版元である東洋経済新報社は、言論機関としての報道・言論活動に留まらず、米穀専売研究会(1919)や金融制度研究会(1922)を設置して実態経済の研究を行った。また、1924年に編集主幹となった石橋湛山(1884-1973)は1931年に経済倶楽部を創設し、経済・貿易・金融・財政に関する内外の情報を収め、幅広い人脈を活用して政治・外交面の最新情報を集積するとともに、政策の発信や中央の経済界と地方の商工業界との連携を図るなど、積極的な対外活動を展開した。さらに、石橋体制下の東洋経済新報社は、1934年に英語版の『東洋経済新報』であるThe Oriental Economistを刊行したのをはじめとして、1943年に京城で『大陸東洋経済新報』、1944年に香港で『香港東洋経済新報』を創刊しており、一種の民間外交の役割も担うこととなった。
このような経緯を踏まえ、本報告ではいわゆる戦間期に『東洋経済新報』の筆政と経営を担い、外国版の『東洋経済新報』の創刊を主導した石橋湛山が、いかなる経緯と目的によって外国語あるいは外地で『東洋経済新報』を発行したかを、東洋経済新報社の対外活動という側面から検討する。その結果、言論人としては国際協調主義、自由貿易主義、議会制民主制を擁護し、日本の対外拡張政策や軍部の政治への関与を厳しく戒めた石橋湛山が、企業経営者としては必ずしも軍部に抵抗し続けたのではなく、『大陸東洋経済新報』と『香港東洋経済新報』の創刊のように軍部との協調的な関係を保っていたことが明らかにされる。

リンク情報
URL
http://www.jsics.org/pdf/conference/2017-16-conference/16-conference-program-new.pdf