論文

2015年1月

石橋湛山のアジア論の構造と特徴―小日本主義と「東洋の盟主」の概念を中心に

日本のアイデンティティとアジア
  • 鈴村裕輔

開始ページ
77
終了ページ
91
記述言語
日本語
掲載種別
研究論文(大学,研究機関等紀要)

明治維新後の日本は、「富国強兵」、「殖産興業」、あるいは「万国対峙」を国是とし、欧米を手本とする近代化を推進した。その結果、日本は日清戦争(1894-1895)と日露戦争(1904-1905)という2つの対外戦争を経て、軍国主義に裏打ちされた植民地主義を内容とする帝国主義国家となった。さらに、第一次世界大戦(1914-1918)後のヴェルサイユ体制の下で世界の五大国とみなされるに至り、日本は国際社会においてアジア諸国の利益を代表、代弁する「東洋の盟主」を自任した。その際、日本国内では列強のアジア地域への干渉を排除し、アジアにおける日本の排他的な権益の確立を目指すアジア・モンロー主義が有力になり、後の「東亜新秩序」や「大東亜共栄圏」の考えの基礎をなした。一方、国際協調や自由貿易を主張する人々はアジア・モンロー主義的な態度を批判した。その中でも、経済専門雑誌『東洋経済新報』において経済的自由主義と国際協調主義に基づいて日本の対外拡張主義や保護貿易主義を批判した石橋湛山(1884-1973)は、1910年代から1930年代にかけて日本の針路について論理的、体系的な指摘をしたことで知られる。本論文では、石橋による日本の対外拡張主義政策の批判を、アジア諸国、とりわけ日本が特殊権益の維持と拡大に腐心した中国との関わりの中で検討する。そして、「日本は東洋の盟主たり得ない」という言葉に象徴される石橋の主張が、中国に対する政治的、経済的な側面だけではなく、当時の中国の状況を日本と類比的に捉える観点により構築されていることを明らかにする。

リンク情報
URL
http://hijas.hosei.ac.jp/tabid/1390/Default.aspx

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