論文

2015年3月

石橋湛山による分断的な力としてのイデオロギーへの批判

<日本意識>の未来--グローバリゼーションと<日本意識>
  • 鈴村裕輔

開始ページ
163
終了ページ
177
記述言語
日本語
掲載種別
研究論文(大学,研究機関等紀要)

経済専門雑誌『東洋経済新報』において経済的自由主義と国際協調主義に基づいて日本の対外拡張主義や保護貿易主義を批判した石橋湛山(1884-1973)は、1910年代から1930年代にかけて日本の針路について論理的、体系的な指摘をしたことで知られる。戦前の日本を代表する自由主義者であり議会制民主政体の擁護者でもあった石橋は、政府や軍部による政党政治の否定や政党への圧力、あるいは翼賛体制を非難した。その際、全体主義を推進する人々が「政党政治や民主制は日本の国体にそぐわない」ことを主な理由として挙げたのに対し、石橋は明治天皇が1868(慶應4)年に発したいわゆる五箇条の御誓文の第一条「広く会議を興し万機公論に決すべし」を根拠に「全体主義は日本の国体にそぐわない」として反対する議論を展開した。石橋が戦前と戦後を通して一貫して主張したことの一つが、イデオロギーの相違による対立の回避である。すなわち、政治、経済、国際関係などの場面において、イデオロギーの対立は、相手を征服し、あるいは滅ぼすまで終息しないとして、イデオロギーに基礎を置く絶対主義の危険性を説いた。その意味で石橋はイデオロギーの持つ分断的な力に気付いており、開かれた人間のあり方と自由な社会を擁護していたものの、自説を説く際にイデオロギー的な議論を極力避けるように努めたのであった。本論文は、イデオロギーの相克の回避を唱えた石橋の議論を検討することで、経済合理性が過去のイデオロギーを克服し、イデオロギーの時代が過去の遺物であるかのように考えられている現代において、いかにしてイデオロギーの衝突を回避できるかを検討する。

リンク情報
URL
http://hijas.hosei.ac.jp/tabid/1395/Default.aspx

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