2021年3月15日
1957年の石橋湛山の健康問題における医師団の役割と貢献
名城大学外国語学部紀要
- 巻
- 号
- 4
- 開始ページ
- 73
- 終了ページ
- 77
- 記述言語
- 日本語
- 掲載種別
- 研究論文(大学,研究機関等紀要)
- 出版者・発行元
- 名城大学外国語学部
1957年2月23日、内閣総理大臣の石橋湛山は自らの健康問題を理由に退陣を表明した。政権の維持に固執せず、国政の停滞を避けた石橋の判断は、現在に至るまで高く評価されている。その一方で、石橋の健康状態を診断した医師団については、顔触れが明らかになっているものの各人の来歴や判断の妥当性などについてこれまでの研究では明らかにされてこなかった。そこで、本研究では、医師団に参加した村山富治、佐々廉平、沖中重雄、橋本寛敏の4名について、それぞれの事績を確認するとともに、診断の内容が適切であったかを検討する。