論文

査読有り 本文へのリンクあり
2019年3月

時空の実在性と現代物理学との関わり

大阪大学(博士論文)
ダウンロード
回数 : 4817
  • 藤田翔

記述言語
日本語
掲載種別
学位論文(博士)
DOI
10.18910/72462

時間や空間の実在を巡る哲学的議論は長い歴史を経てきた。ただし現代物理学を土台とした時空<br />
の哲学は、その広大な歴史と比べれば比較的新しいと言えるだろう。それは科学哲学や形而上学と<br />
密接に関わり合いながら、物理学の今後の方向性やこれまでの蓄積を大いに反映している。今や時<br />
間や空間とは何かという問い掛けは、物理学の究極的なテーマである宇宙の始まりにも大きく関与<br />
する可能性を持つ。現代物理学はこの100年の間に大きく発展してきたが、肝心の宇宙の始まり<br />
を論じるための手法である量子重力理論は未だに完成することはなく、ミクロな領域の重力や時空<br />
の取り扱いには様々な定式化の候補がある。こういった現状の中で、時空の哲学は主に2つの課題<br />
に直面することになる。1つは量子重力理論の候補の中で、どのアイデアを用いて時空が実在する<br />
のかという問い掛けに応じるのかということである。物理学理論そのものが統一されていない以<br />
上、特に量子論を題材とした哲学的な解釈は極めて多様である。そしてもう1つは、ミクロな時空<br />
の解釈が古典的なマクロな時空解釈とどのように繋がっているのかということである。マクロな時<br />
空解釈とは、現代物理学においては量子論を一切含まない一般相対性理論によって語ることが可能<br />
な、マクロな領域を扱った時空の実在性に関する哲学的議論のことを指す。つまりマクロな領域と<br />
ミクロな領域では、量子効果を含めるかどうかで用いる物理学理論が異なるために、同じ時空の哲<br />
学と言えども別々の議論になりがちである。時空の実在性に関してマクロミクロを通しての統一的<br />
な時空描像を与えることは難しい。しかし、現在我々が住んでいるこの宇宙において、時空とは何<br />
かという問い掛けが有意味であるのと同様に、その起源に関する問い掛けもまた有意味であろう。<br />
そこで私は宇宙はミクロな領域で誕生し、インフレーションを通して急激に加速膨張してマクロな<br />
規模に成長し、現在まで膨張し続けてきたという標準的なビッグバン宇宙論を元に、宇宙の歴史に<br />
着目することで、時空間の実在性を改めて考察した。すなわちビッグバン宇宙という1つの歴史を<br />
通して、時空の実在性という観点で統一的な時空描像を得ようというのがこの論文における私の取<br />
り組みである。従来はマクロな時空解釈とミクロな時空解釈は大局的には各々独立に議論されてき<br />
たが、私はこれらの議論を宇宙論という観点で繋げることを試みた。手始めにマクロな時空解釈の<br />
議論を振り返ることにしたが、マクロな領域においてでさえ、時空の実在に関しては単純な二項対<br />
立を越えている。既に第3の立場として、観測不可能ではあるが、時空の幾何的な特徴を表すため<br />
の抽象的な数学的モデルによって記述される新たな物理的存在者の位置付けとしての構造実在論的<br />
な解釈が提唱されているからである。私はこの構造的な解釈を妥当なマクロな時空解釈として支持<br />
した上で、ビッグバン宇宙論における時空の役割を考えた。宇宙論においては、我々の宇宙空間は<br />
大きさを持たない特異点から誕生し、同じく誕生した時間の増加に伴って膨張してきたという、比<br />
較的明解な時空描像がある。この「宇宙空間の成長説」は従来までの時空の哲学の議論とは無関係<br />
な物理学的な説明であるが、この描像は一見すれば空間の存在を実体的に捉えていると直感的に解<br />
釈できる。この描像を上述したマクロな時空=構造的解釈と整合的に捉えることは可能なのかとい<br />
うことを論じた。具体的には以下の通りである。まずは一般相対性理論で記述できるマクロ宇宙に<br />
関して、「空間が膨張する」という時空描像が時空構造実在論と両立可能かどうかというのがマク<br />
ロ時空の考察である。続いて宇宙の起源まで遡り、量子重力理論の範疇となるミクロな宇宙の始ま<br />
りにおいて、一般相対性理論をそのまま量子化したループ量子重力理論を元に、上述したマクロな<br />
時空の実在性と整合性のある時空描像を得られるのかというのがミクロ時空の考察である。両考察<br />
を通じて、宇宙の始まりにおいて時空間が誕生し、空間が膨張して今日の宇宙に至るという明解な<br />
「宇宙空間の成長説」に時空の哲学的な解釈を用いて異議を唱えた。結果的にマクロ時空の考察に<br />
よって、宇宙空間は大きさが変化するような実体的な存在者ではなく、あくまで構造的な存在者で<br />
あるために、時間座標を遡って宇宙の規模をどんどん小さくしていっても、決して収束してしまう<br />
(無くなる)ような類のものではないということを示した。これは哲学的な帰結であるが、単なる<br />
哲学的解釈の範疇には留まらず、物理学者が「宇宙の膨張という現象」に対する説明として与える<br />
ような、「膨張する宇宙空間」という観測不可能な存在者を措定する曖昧な見解に一石を投じたこ<br />
とをも意味する。すなわち科学哲学で議論される科学的説明・因果関係の観点を用いるならば、宇<br />
宙論における現象の説明は不十分なものであり、これは結局のところ物理学そのものの課題として<br />
残されていることを示唆していることになる。またミクロ時空の考察によって、形而上学的にある<br />
存在者を考える際、その構成要素の存在論的身分とはある程度独立な議論が可能であることを踏ま<br />
えた上で、時空はその構成要素であるスピンネットワークから創発したという解釈に着目した。す<br />
なわちミクロな領域における時空に関する考察は正確には時空そのものではなく、あくまでその構<br />
成物の議論であるために、時空そのものの描像を捉えたマクロな考察とは両立可能であることを論<br />
じた。これにより宇宙の始まりにおいて時空は誕生したという説ではなく、あくまで古典的な描像<br />
としての「消えることのない時空構造」が既に存在していた可能性を主張し、時空の描像という哲<br />
学的な観点が物理学の究極的な問い掛けにヒントを与える一例を示した。<br />

リンク情報
DOI
https://doi.org/10.18910/72462
URL
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/72462/
ID情報
  • DOI : 10.18910/72462

エクスポート
BibTeX RIS