藤井陽一

J-GLOBALへ         更新日: 18/11/04 03:57
 
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研究者氏名
藤井陽一
所属
西南学院大学
職名
博士研究員
学位
博士(法学)(西南学院大学)

プロフィール

後期ソヴィエト人文・社会科学史、及び、外交史が専門。特に「体制内異論派」の中の「新西欧派」、「プラハ派」の思想研究に専念してきました。近年の研究テーマはゴルバチョフ期に階級的的価値よりも優位に置かれた「全人類的価値」体系の内容についてです。2015年からは西南学院大学での共同研究としてソヴィエト生命倫理学史を主に研究しています。今後は西バルカン地域における紛争再発防止策に関する研究に取り組んでいく予定です。

研究分野

 
 

経歴

 
2016年4月
 - 
現在
西南学院大学 博士研究員
 
2016年4月
 - 
2019年3月
福岡女子短期大学 教養科目 非常勤講師
 

学歴

 
2005年4月
 - 
2008年3月
西南学院大学大学院 法学研究科 
 

論文

 
藤井陽一
西南学院大学      2014年10月   [査読有り]
ゴルバチョフ期の「ペレストロイカ」と「新思考」外交を理論面で支えた所謂「60年代人」(「第20回党大会の子供達」)は、フルシチョフ期の「雪解け」による外界へのソ連社会開放と進歩的旧世代からの知的継承という人的繋がりによって、非公式の世界観を築いていった。第22回党大会で採用された「ヒューマニズム」イデオロギーは倫理学、意識論、人格論等で構成され、所謂「体制内異論派」はこの理論系列を修正・構築していった。
   2013年7月   [査読有り]
用語「60年代人」(Shestidesiatniki)は、1920年代半ばから30年代半ばにかけて出生した人々の内、1950年代半ばから60年代にかけて反スターリン主義的見解を形成し、ヒューマニズムや民主主義を信念として共有するインテリゲンツィヤを意味する。リベラルな旧世代や欧米の思潮が彼等に方向付けを与えた。また「60年代人」の哲学者達にとってshestidesiatnichestvoとは、彼等により醸成され共有された集合意識であると同時に、その意識が1950年代後半以降齎した知的運動である。
   2011年3月   [査読有り]
1950年代後半にソ連初の道徳教科書が出版され、主たる大学は党の意向を受けてマルクス主義倫理学講座開設に向け始動した。また、倫理学者達はマルクス主義の空隙を補填する為に国内外の古典や現代欧米の倫理学研究に従事し始めた。第22回党大会(1961)で共産主義社会建設に向けた道徳規範が採択されて以降、研究者達は倫理学の範疇、人生の意味、道徳的価値・意識等について議論したが、見解は統一されなかった。
ソヴィエト生命倫理学の形成と新優生学論
藤井陽一
ロシア・東欧研究   (44) 70-86   2016年3月   [査読有り]
ソ連では1930年代以降優生学は禁止され、遺伝学も弾圧されていたが、1950年代後半以降回復傾向にあった遺伝学は、1964年10月のフルシチョフ首相解任とトロフィム・ルイセンコ失脚により再興し、それに伴い優生学も復活した。
1970年に生物哲学者のイワン・フロロフが編集長を務める『哲学の諸問題』誌主催の円卓会議では、哲学や倫理学の他に胎生学や遺伝学、人口統計学等、学際的な専門家達による遺伝子工学や優生学についての多角的な討議が行われ、これがソ連での生命倫理学の出発点となった。
フロロフや優...

書籍等出版物

 
人間の世界:挑戦としての不確定性
藤井陽一 (担当:共著, 範囲:ソ連における「新しい人間」概念と優生学に関する批判的考察)
レナンド   2019年   ISBN:978-5-9710-5915-8
十月革命後のボリシェヴィキ政権は、M.フーコーの言う「生権力」即ち「生命に対して積極的に働きかける権力、生命を経営・管理し、増大させ、生命に対して厳密な管理体制と全体的調整とを及ぼそうとする権力」による社会主義的「新しい人間」創造を夢見た。時代が下り、ルイセンコ後の1960年代後半にソ連生物学界で優生学が抬頭した。こうした人間改造優生学は遺伝子決定論に基づくが、人は己の主体的自己選択により自らを形成する。
人間研究所:その理念と現実
藤井陽一 (担当:共著, 範囲:全人類的価値体系における地球規模の生命倫理)
レナンド   2017年10月   ISBN:978-5-9710-4896-1
2016年に露科学アカデミー哲学研究所で「人間研究所:その理念と現実」という題目で第16回フロロフ記念研究報告会が開催された。故イワン・フロロフは生物学哲学者としてソ連での生命倫理学形成に貢献する傍らで、ユネスコの「人間と生物圏」企画に従事した。彼を含むソヴィエト西欧派は、核時代では人類を含む生物圏全体の存続が全人類的価値であり、最優先されるべきだという認識を1960年代以降次第に共有する様になっていった。

講演・口頭発表等

 
ソヴィエト「体制内異論派」による全人類的価値優位論
藤井陽一
ロシア・東欧学会年次研究大会   2018年10月20日   
1987年にINF全廃条約に署名した翌年、ゴルバチョフ政権は階級的利益に対する「全人類的価値」優位を新方針として表明した。この
全人類的価値優位論の諸要素を構築したのは「体制内異論派」であった。その主要素は、①核戦争防止の為の運動・思想・テーゼ、②マルクス主義価値哲学、③収斂理論、及び、④西側の未来学と、地学者V.ヴェルナツキーの生物圏概念の再評価と連動した環境倫理とが結合した、グローバル生命倫理であった。
知識社会学の観点からの生命倫理学とマルクス主義ヒューマニズム [招待有り]
藤井陽一
フロロフ記念定期研究報告会   2017年11月21日   G.L. Belkina, M.I. Frolova
生命科学が進歩した現代では、人は様々な局面で苦渋の道徳的選択を迫られる。その際に拠るべき立場としての「ヒューマニズム」はルネサンス以降「人を何か他の物事より優先する」という語義を持つ。ソ連では1950年代末以降この語を標語として社会的要因による「新しい人間」の人格形成が謳われたが、1920年前後は決定論に基づき遺伝を含む全不確定要素を除外した超人創造を試みていた。マルクス主義は生命倫理学的問いに答えられるか。
ロシア国家生命倫理委員会(РНКБ)発足(1992)までの経緯
藤井陽一
ロシア・東欧学会年次研究大会   2015年11月   
ソ連では1965年以降、遺伝学再興と共に優生学も復活し始めた。後にゴルバチョフ補佐官となるイワン・フロロフは、1970~80年代にかけて科学倫理に関する学際的座談会開催や、新優生学や遺伝子工学が齎す多面的諸問題に関する論文発表によって自国での生命倫理学の礎を築くと共に、米国の研究所やUNESCOとの交流により、国内の研究の水準向上に努めた。80年代末に対談式の学際的生命倫理学が形成され、1992年に国家生命倫理委員会が発足した。
フルシチョフ憲法草案(1962-64)起草の背景と過程
藤井陽一
ロシア・東欧学会年次研究大会   2013年10月   
第22回党大会で「プロレタリアート独裁」から「全人民国家」への移行が盛り込まれた新しい党綱領の採択に伴い、フルシチョフの指示によって翌年に新憲法起草委員会が設立され、1964年10月まで作業が続けられた。この草案では、社会の全構成員に対する諸権利の更なる拡充が図られ、選挙制度は米国や東独の制度を参考にして変革された。また、国家の立法・行政機関の権限配分も変更されたが、この新制度は彼の失脚により白紙となった。
ポスト・スターリン期における意識論の展開と世代
藤井陽一
ロシア・東欧学会年次研究大会   2011年10月   
ソ連で最初に意識論の礎となる著作『存在と意識』が心理学者セルゲイ・ルビンシュテインによって1957年に公刊され、この中でフッサールの現象学的存在論が紹介された。所謂「60年代人」哲学者メラブ・ママルダシュヴィリは、論文「マルクスの著作における意識の分析」(1968)で、マルクスの政治経済学上の分析方法を意識論に適用すると共に、マルクスの理論をフッサールの現象学的存在論とフロイトやラカンの心理学で補填しようとした。
現代ロシアにおけるヒューマニズム運動の展開について
藤井陽一
ロシア・東欧学会年次研究大会   2009年10月   
ロシアでは1995年にロシア・ヒューマニスト協会が設立され、その支部が全国各地に置かれ、国外のヒューマニスト組織とも連携して、協会代表者であるモスクワ国立大学哲学部のクヴァキン教授を中心に、毎年夏に国内で国際ヒューマニスト会議を開催している。当協会は季刊雑誌『良識』の出版、研究・教育センター設置やセミナー開設といった、運動の普及活動に力を入れている。中心議題は自由意思、世俗道徳、個人の権利・自由である。

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