2021年12月
明治・大正思想における熱力学的世界観――日本における「エネルギー論」受容を中心に
立命館大学人文科学研究所紀要
- 巻
- 号
- 129
- 開始ページ
- 201
- 終了ページ
- 228
- 記述言語
- 日本語
- 掲載種別
- 研究論文(学術雑誌)
戦前日本の思想や社会科学が、自然科学の知見を積極的に取り入れ、政治・社会改良の科学的基礎としたことはよく知られている。その代表例が進化論を人間社会に適用した社会進化論であるが、明治から大正期にかけては熱力学もまた同様の役割を果たしたことはほとんど知られていない。そこで本研究では、日本における熱力学の受容から、明治中期から大正期にかけて流行した熱力学に基づく思想・社会科学を分析し、その社会思想史的意義を論じた。特にドイツの化学者ヴィルヘルム・オストヴァルトが提唱したEnergetik(エネルギー論)の日本における受容を、法学者である牧野英一に即して詳細に分析している。
Energetikに基づく思想・社会理論は、おおよそ明治後期を境として大きく変化している。その背景には、自然と規範を重ね合わせる儒学的世界観に対する懐疑の広がりと、西洋近代の学問知識を踏まえたうえで自然と規範を「再」接合させるという思想的課題が存在していた、というのが本論文の結論である。
現在の視点からみれば、当時の社会科学者は「ある」と「あるべき」を同一視する自然主義的誤謬に対してあまりに無警戒であるように見える。しかしそこには、熱力学が人間・自然をまたぐ総合理論として発展することへの期待感と、儒学的世界観の動揺という思想状況が存在していた。社会科学の歴史を分析する際には、同時代における自然科学の動向と思想状況を踏まえた分析が必要であると言えよう。
Energetikに基づく思想・社会理論は、おおよそ明治後期を境として大きく変化している。その背景には、自然と規範を重ね合わせる儒学的世界観に対する懐疑の広がりと、西洋近代の学問知識を踏まえたうえで自然と規範を「再」接合させるという思想的課題が存在していた、というのが本論文の結論である。
現在の視点からみれば、当時の社会科学者は「ある」と「あるべき」を同一視する自然主義的誤謬に対してあまりに無警戒であるように見える。しかしそこには、熱力学が人間・自然をまたぐ総合理論として発展することへの期待感と、儒学的世界観の動揺という思想状況が存在していた。社会科学の歴史を分析する際には、同時代における自然科学の動向と思想状況を踏まえた分析が必要であると言えよう。
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