研究ブログ

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北陸学院大学 2024年5月17日 フレッシュマンセミナー開会礼拝 奨励

奨励題:仲間と共に出てゆこう
聖書箇所:詩編104章24節(旧p.924)


 みなさん、おはようございます。社会学部教員の内田啓太郎です。この4月から宗教主事補佐という御役を与えられまして、大学でキリスト教に関連する授業や礼拝などのお手伝いをしております。その関係もありまして今日、開会の礼拝において奨励を務めさせていただくことになりました。この2日間、みなさんと一緒に学びの時を過ごしてまいります。どうぞ宜しくお願いします。
 今日の1日目は、この開会礼拝の後に矢澤先生による主題講演を皆で聞きます。その後、3学部混成のグループに分かれ、グループワークを行っていくわけですが、ここで先程読みました聖書の箇所を思い出してください。「地はあなたの造られたもので満ちている」わけです。そしてこの「造られたもの」には私たち自身も含まれている、そう私は思っています。つまり、セミナーの主題である「生かされている自分を活かす」の前半部分、「生かされている自分」とは、神様によって造られ、いま・ここにある皆さんのことであります。では主題の後半部分、「自分を活かす」ために、皆さんは自分自身の中にある何を、どうやって活かすことができるのか、活かせられるのか、それは神様の大きな計画において、実は決まっているわけですが、それに気づき、さらに磨き上げていくきっかけとなるのが、このフレッシュマンセミナーなのではないか、私はそう思っています。
 もちろんこのセミナーの2日間だけでは、時間は全く足りません。皆さんがこれから過ごす4年間の大学生活でも足りないかもしれません。だからこそ、このキャンパスの中で仲間たちや教職員と出会い、そして学び合いの時を大切にしていって欲しいと思います。
 さて、きょうの奨励題、お話のタイトルは「仲間と共に出てゆこう」とさせていただきました。このフレーズには2つの意味を込めています。ひとつは、同じ大学の仲間同士、共に語り合い、助け合いながら、学びの時を過ごし、歩むことで自分ひとりではなし得ないかもしれない、大きな学びを得て成長してゆこう、神様の計画において、自分が何をなすべきか、そのために何を学び、何を経験してゆく必要があるのか、それらのことに早く気付けるかもしれない、そういった意味を込めています。言い換えますと、大学の仲間との協力と支え合い、学び合いということになりますでしょうか。
 もうひとつは、先程から申しましたように、皆さんの進むべき道は神様の大きな計画の中で決まっており、そのことについて仲間と助け合いながら気づいてゆこう、道を進むために必要なことを学んでいこう、ということを、これからの4年間の大学生活において大切にしていって欲しいと思いますが、その過程で、皆さんはこれまで学んできたり、経験してきたことに加え、新しい、未知の世界、場所へと進み出てゆくことになります。誰にとっても未知の世界や場所へ飛び出していくことは、不安や恐れを感じ、足がすくむかもしれません。でもそのような心配はいりません。皆さんがこれから仲間と手を取り合い、さまざまな事を共に学び、経験していくなかで未知の世界、場所へ一歩、また一歩と進み出てゆく勇気が与えられるでしょう。
 さあ皆さん、皆さんが進むべき道は神様によって、すでにその道筋が引かれています。あとはその道を仲間たちと助け合い、学び合いながら見つけましょう、そしてその道にそって共に新しい世界、場所へ出てゆこうではありませんか。この2日間のセミナーを仲間と共に、大いに楽しんでください。

 それでは祈りましょう。天の父なる神様、あなたが私たちの日常を守ってくださり、またあなたの大きな計画を示してくださったことで、このように心静かに礼拝の時を過ごすことができました。そのことに感謝いたします。これから矢澤先生による主題講演を皆で聴き、その後に学生たちはグループに分かれ、仲間と共に「生かされている自分を活かす」道筋について議論し、考えをまとめていきます。今日と明日の2日間、学生、シニアリーダーたちそして教職員の間に豊かな学びの時をお与えください。あたなの業(わざ)の豊かさによって造られたこの地に感謝して、これらの願いと祈りを主イエス・キリストの御名(みな)によってお祈りいたします、アーメン。

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北陸学院大学 2024年5月13日 大学礼拝 奨励

奨励題:愛(アガペー)に感謝します

聖書箇所:コリントの信徒への手紙一 13章4〜7節(新p.311)


 みなさん、こんにちは。社会学部の内田啓太郎です。今年、2024年の「母の日」は昨日の5月12日でした。皆さんは家族とどのように過ごされましたか?残念ながら私は金沢でひとり過ごしておりました。とは言え、この日は私自身の母親について思いを巡らせていたのですが、そこで今日皆さんと共に読みました聖書の箇所を思い出し、親子や友人たちとの間にある「愛」について少しお話させてください。

 先日、作家の佐藤優さんの本を読み、日本語の「愛」という言葉はギリシア語の「エロース」であり、それは「自分に欠けているものを追い求める情熱」であり、聖書の中でイエス・キリストが説く「愛」がギリシア語の「アガペー」、つまり見返りを求めない一方的な愛」であることを学びました。

 前者の、つまり日本語的な「愛」は皆さんにも理解しやすいと思います。それは自分ではない具体的な誰かを求め、そして、いつでも共にいたいと思う心、情熱のことだと言えるでしょう。つまり何らか、肉体的、精神的な「見返り」を求めるものだとも言えます。日本語には「恋愛」や「友愛」という言葉があり、特に若い学生の皆さんにとっては生活のちょっとした部分を、もしかすると大きなスペースを占める事柄かもしれませんね。

 しかし、今日、私はひとりの息子として、また、ひとりの夫、父親として、もうひとつの「愛」である「アガペー」について考えてみたいと思います。

 私の母親は一昨年、病気のため亡くなりました。コロナ禍の期間は施設に入っていたため、思うように会うこともかなわず、亡くなる直前は認知症も患っていたので、息子たちの顔も見分けられない状態だったようです。私自身も二十数年前、就職のため母の元を離れ遠い土地で暮らし始めました。よくある話でしょうが、若い頃の私は仕事の忙しさにかまけ、正直なところ実家へ帰省し、母と会うことを面倒だと思っていたこともありました。そういう私に対して、母は子どもの頃とかわらず何くれと無く気にかけてくれておりましたし、私が妻となる女性を紹介し、結婚することを母へ報告した際も非常に喜んでくれたのでした。

 今このように母と会えなくなってしまってから後悔を含みつつ思い返すことは、母は私や兄弟たちが生まれてからずっと愛情を示し続けてくれた一方で、何か具体的な見返りを求めてきたことは一度たりとも無かったことです。私は親孝行な息子ではありませんでしたが、そんな私でも母は寛容に受け入れてくれ、めったに会いに来ない息子に恨みごとを言うでもなく、人生の節目節目を共に喜んでくれていました。つまり母は私に対してアガペーとしての愛を示し続けてくれていたのだと思います。その一方で、私は母に対してどれだけのアガペーとしての愛を示せていたか、たぶん、あまり示せていなかったのだろうなと昨日の「母の日」につらつらと考えていたのでした。

 さて、今の私はひとりの夫として、また父親として毎日を過ごしております。私の場合、家庭の事情があり金沢に一人で暮らし、長期の休みなどに家族のもとへ帰るわけですが、何ヶ月もの間直接家族と会えない状態がつづきますと、寂しいと思う一方で妻や子どもに対してアガペーとしての愛を示せているだろうかと不安にかられることがあります。直接会うことは難しくとも電話やLINEなどで家族とのコミュニケーションを絶やさないようにはしており、妻から子どものことをあれこれと教えてもらうにつけ、妻もまた、母としてアガペーを子どもに示せているのだなと思い至るようになりました。そのような彼女を、私は強い人だと思うのです。彼女もまたクリスチャンでありますから信仰の深い人だと言えるかもしれません。私は北陸学院大学に着任してからこの1年ちょっと、家族と離れて暮らすようになったからか、最近そのことを強くおぼえるようになったと思います。

 皆さんは肉体的、精神的な見返りを求めない愛としてのアガペーを親子の間、恋人の間、友人・仲間との間で示し合うことはできるだろうか、それはとてもむずかしいことじゃない?このように思うかもしれませんね。確かに聖書においてアガペーとしての愛を説くのは神の御子であるイエス・キリストだから示せるのでは?そうのようにも思うかもしれませんね。冒頭に紹介しました佐藤優さんは人間であっても、親子や恋人、友人の間でアガペーを示すことは、たとえ一瞬であっても可能だというのです。また一瞬であってもお互いにアガペーを示せたことをきちんと覚えておくことで、その関係を永く続けていくことができるとも述べておられます。

 私はもう自分の母に直接アガペーを示すことはできません。でも折りに触れ、かつて母が私に示してくれたアガペーを思い出し、感謝し続けることで、私と母の関係をこれからも続け、保っていけるのだと信じています。同時に妻に対しても、子どもに対しても、そして今この場にいる皆さんに対してもアガペーを示し続けていくことで、聖書において、イエス・キリストが説いた「愛」のあり方について考え続け、それを具体的な行動として示していきたいと思います。


それでは祈りましょう。


天の父なる神様、あなたが私たちの日常を守られ、このように心静かにチャペルの時を過ごすことができ、感謝いたします。今日のお話しに耳を傾け、私たち一人一人が家族や友人、仲間たちとの間にアガペーの存在を感じ取り、また、それをどのように示すことができるだろうかと、思いを巡らせました。これからも私たちの日常は続いていきます。私たちの間に豊かな、アガペーとしての愛を育む時をお与えください。毎日の恵みに感謝して、これらの願いと祈りを主イエス・キリストの御名(みな)によってお祈りいたします、アーメン。

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北陸学院大学 大学礼拝 2024年4月16日奨励

奨励題:Ora et Labora「祈り、働け(学べ)」

聖書箇所:テサロニケの信徒への手紙一 5章16-18節(新約p.370)


 みなさん、こんにちは。社会学部教員の内田啓太郎です。この4月より学内では「宗教主事補佐」という役割を与えられました。宗教主事の矢澤学長をお助けしつつ、引き続きみなさんと共に祈り、学んで行きたいと思います。

 さて、今日の奨励題ですがラテン語で「オーラー・エト・ラボーラー」と発音します。カトリックのベネディクト修道会のモットーとされています。日本語で言い換えますと「祈りつつ、働きなさい」となりますでしょうか。北陸学院はプロテスタントの中でも長老派とよばれる教派にその始まりを求めることができますが、イエス・キリストを信じ、祈りを捧げる生活を送るという意味では同じ仲間だと言えます。

 この言葉について、このように説明できるのではないでしょうか。祈りとはそれだけで独立したものではなく、働くこととセットである、もしくはコインの裏表のような関係である、と。つまり祈ることが、誰かのために祈ることであるとすれば、それはその人、その人たちのために私の賜物(タレント)を生かして働く、働きかけることと分かちがたくあるのではないでしょうか。

 私は昨年4月に北陸学院大学に着任して以来、教員として働いています。これは単に労働する、という意味での「働け」だけでなく、私の専門分野の研究を進め、そこから得た「学び」を学生のみなさんへ伝えていく役割として、神さまから与えられた「働き」でもあると思っています。ですから神さまから私へと与えられた「働き」を生かせる北陸学院大学という場所があることに対していつも喜んでいますし、また大学を支えてくださる神さまと教職員、学生のみなさんへいつも感謝しています。

 また私はクリスチャンとして、毎日ある大学での礼拝や、日曜日は地域の教会での礼拝へ参加することで祈りの生活を続けています。礼拝の場で私は、北陸学院大学、そして大学に集う教職員、学生のみなさんを覚えて、神さまにより守られることを祈っています。ですから、私の毎日の生活も「オーラー・エト・ラボーラー」、祈りつつ、働け・学べ、という生活になっているのではと思っていますし、これからもそうありたいと願っています。

 今日、みなさんへお伝えしたいことは「オーラー・エト・ラボーラー」な日々を過ごして欲しい、ちょっとやってみてはどうでしょうか、ということなんです。みなさんは毎日、大学で仲間と一緒に学び、また地域でアルバイトとして働いていることだと思います。もしかすると地域でのボランティア活動のように経済活動では無い意味で働いているかもしれません。それらのこと自体はとても大切なことですし、みなさんが今、大学生という立場で自分の賜物を育て、生かしていく場所を神さまから与えられているんだ、そう言えることだと思います。

 今は4月です。新しい仲間と、新しい場所で、新しい学び、働きを始めた方も多いと思います。新しいことに慣れていくため必死に努力していることでしょう。ただ、これから5月、6月と時間が過ぎて行き「慣れ」が出てくるようになった時、ふとこう思い悩むかもしれません。「私は何のために、学び、働いているのだろうか」と。もちろんそれは知識や技術を身に着けるため、または卒業するために必要な単位を取るためかもしれませんし、働くことも自分にとって経済的な余裕や自由を得たいからかもしれません。

 そういった目的で学び、働くことは何も悪いことではありません。でもどうでしょうか。そうやって自分が知識や技術を身に付け、また金銭的な余裕や自由を得られた後で、じゃあ何のために私は学ぶのか、働くのか、つまり「私のやりたいことは、いったい何だろうか」こういう悩みを持つかもしれません。

 そのような時、ぜひ祈りましょう。自分のために祈り、神さまが私の持つ賜物を、どのような場所で、どのように生かすべきなのか、その道しるべを与えてくださるように。または具体的な誰かを思い、祈ってみましょう。私の愛する家族、大切な仲間、地域での交わりを思い、覚えて祈るのです。祈りとはよく、神さまとのコミュニケーションだと言われます。神さまがこれからの私が進むべき道しるべをきっと示してくださる、そのことに感謝しつつ祈りましょう。

 この「オーラー・エト・ラボーラー」について、実はみなさんは、今その機会を神さまから与えられています。みなさんが大学のキャンパスや地域の中で「働き」をする機会、それは実際には大学で学び、地域で働く、言い換えると賜物を生かすことでもありますが、毎日がみなさんにとっての「働き」であります。そしてその「働き」を振り返り、その「働き」を共にできる家族や仲間、地域の人たち、それらを与えてくださった神さまに感謝して祈りを捧げる時間、それがみなさんへ毎日開かれている大学礼拝なのです。

 北陸学院大学ではみなさんが仲間と共に学ぶことと同じように仲間と共に祈ることを大切にしています。なぜ、どちらも、つまり「祈り」と「働き(働け)」が大切なことなのか。それは私が今日お話させていただいたように、「祈り」が無ければ「働き」も無く、「働き」が無ければ「祈り」も無いからです。私はこう考えて、毎日の「オーラー・エト・ラボーラー」を大切に過ごしていきたいと思います。

 祈りましょう。

 天の父なる神様、あなたが私たちの日常を守られ、このように心静かにチャペルの時を過ごすことができ、感謝いたします。今日のお話しに耳を傾け、私たち一人一人があなたから与えられている学びと働きについて思いを巡らしました。そしてその思いをチャペルを通じて仲間たちと分かち合うことができました。これからも私たちの学びと働きは続いていきます。豊かな発見と気づきの時をお与えください。毎日の恵みに感謝して、これらの願いと祈りを主イエス・キリストの御名(みな)によってお祈りいたします、アーメン。

 

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春学期のオンライン授業ふりかえり

はじめに

 ここ数か月、ワタシが取り組んだことを振り返るメモとして書きます。今年度(2020年度)の春学期/前期に担当した複数の科目について、ワタシがこのように取り組んだ(もしくは乗り越えた)記録です。今学期、多くの大学でオンライン授業を実施されたと思います。なぜそうなったのか(そうせざるを得なかったのか)という経緯については、どなたかが詳しくまとめてくださっているので、そちらを検索して読んでもらえればと。

 

担当科目について

 今学期、ワタシが担当した科目は以下のものたちでした。

  1. 講義A(ネット社会論、受講者370名)
  2. 講義B(メディア論寄りのネット社会論、受講者51名)
  3. スタディスキル演習A(レポートライティング中心、受講者18名)
  4. スタディスキル演習B(レポートライティング中心、受講者16名)
  5. PCリテラシー実習A(WordおよびExcel、受講者78名、76名の2クラス)
  6. PCリテラシー実習B(Excelのみ、受講者26名)

いちおう科目名はぼかしています。すべて私大で開講されているものですが、講義Aは理科系学部、PCリテラシー実習Aは私大文系(全学向け開講)、PCリテラシー実習Bは女子大文系学部にて開講されています。なおスタディスキル演習はA、Bともに社会学系学部で開講されています。

 

LMSは使わない(できる限り)

 これは個人の好き嫌いの範疇なんだと思いますが、ワタシはできる限りLMSを使わない方針で授業を実施しています。ある大学の専任をやっていたときはそこで運用されている某有名LMSをガシガシ使い込んでいたのですが、そういう立場じゃなくって以来(ここはいろいろお察しください)、Webのクラウドやブログなどを使いまわしながらやってきました。今学期もいくつかの大学ではLMS利用の「縛り」があったため、そちらを利用しましたが、その場合でも利用は最小限に抑えていました(受講者への一斉お知らせや、課題物の提出など)。

 理由は「いろんなことを覚えるのが面倒くさいから」という身も蓋もないものなんですが、それぞれの科目に対して、教材の内容は異なっていても、入り口は同じである方が公開やメンテナンスの手間を考えると「らくちん」なのです。ちなみに、「縛り」があった大学では、Google ClassroomとMicrosoft Teamsを利用しましたが、いずれもOffice利用を前提とするPCリテラシー実習であるため、結果としてそれで良かったと考えています(とはいえ、使い勝手に関する小さい不満はいくつかあるんですが)。

 

教材の公開はScrapboxとDiscordで

 ワタシが授業を担当する場合、講義系、演習系を問わずScrapboxに授業用のプロジェクトを構築しておき、そこにどんどんレジュメや資料代わりのページを作成していきます。

https://scrapbox.io/

 Scrapboxはキーワード、キーフレーズをブラケットで囲むとページ間のリンケージが簡単にできるのがとても便利ですし、画像やYouTube動画も埋め込み可能で、機能としては必要十分ですね。ワタシは授業1回ぶんのレジュメをひとつのページとして作成し、前後の回のレジュメ(ページ)をリンクさせています。また資料として授業回に関係なく読んで欲しい内容もトピックごとに独立したページを作成し、必要に応じてリンクを貼る、という運用でやっています。

 LMSは(なるべく)使わない、としても授業に関する情報や受講者とのコミュニケーションのプラットフォームとなるものは必要ですので、今学期はWebチャットのDiscordを利用しました。

https://discord.com/

ScrapboxとDliscordの組み合わせは結構うまくいったんじゃないかと考えています。毎回の授業では以下の流れでやっておりました。

  1. 授業レジュメや資料をScrapboxで作っておく(URLを知っていれば閲覧可能)。
  2. ScrapboxのURLをDiscordに貼り付ける(あらかじめ科目ごとにサーバを立てておく)。
  3. 授業中はレジュメへの補足や、雑談、受講者へのお知らせをチャットとして書き込む。
  4. 授業終了時に次回予告を書き込んで終わり。

 Discordでは科目ごとにサーバを立て、そちらへの招待URLをLMSから告知するか、シラバスに記載しました。最初はユーザ登録に手間取る学生も現れましたが、授業回が進むにつれ、ほぼ問題なく使えるようになりました。

 授業におけるDiscordの運用については、別記事で(いずれ)書きたいと思いますが、チャンネルは複数作っておき、お知らせのみ、授業中のやりとり、質問受付や課題提出など用途をわけておくと混乱なく進行できますね。受講者が少ない(50名以下)の科目では、画面共有や映像配信をやりたいと考えていましたが、どうしても映像を受信できない学生がいたため、今学期はやめました。次の学期では再挑戦します。なお、スタディスキル演習AとBではブックレポートを実施しましたので、学生から音声配信(つまりマイク・オンでレジュメを読み上げてもらう)を試み、これは上手くいきました。

 

当日の授業はzoomによるリアルタイム配信で

 ワタシは、授業じたいをオンデマンドではなく、リアルタイム配信で実施しました。このことについてはどの大学からも「縛り」がなかったためでもありますが、慣れてくるとリアルタイムの方が「ノリ」やすいと考えています。

 ワタシが担当していた科目はひとつを除き、受講者は2桁台でしたので、zoomによるリアルタイム配信を行いました。受講者数は300名を超えていた科目についてはYouTube Liveによる配信を行っています。zoomおよびYouTube Liveでの配信方法についても、どなたかが詳しくまとめているでしょうから、そちらを検索してもらうとして、幸いにもワタシの場合、授業が実施できなくなるほどのトラブルには見舞われずにすみました。

 ワタシはどの科目でも受講者の「顔出し」は求めず、またワタシも顔出しせずにやっていきましたが、特に不満や(顔出しの)要望は出てきませんでした。まあ、この点を学生へ突っ込んで聞いてみれば「教師は顔出しすべき(して欲しい)」という声もあったんじゃないかとは思いますが。

 

まとめ

 4月後半から7月いっぱいまでオンライン授業をやってみて、まあそれは大変だったのですが、やってやれないことはないなあというのが正直な感想です。ただし、その場合はもうちょっと科目数を減らしたいのですが、いろいろな事情でそうもいかず(ここらへんも察してください)。

 今年度の春学期はzoom+Scrapbox+Discordの組み合わせて運用していきましたが、zoom配信の部分をDiscordのビデオ会議/画面共有に置き換えてもいけるんじゃないかと考えています。Discordじたいは秋学期(後期)も使っていくつもりですので、映像配信(音声のみ配信)もDiscordでやることができれば、もうちょっと効率的に授業進行ができるんじゃないかと。  大変だった、ということならばClassroomやTeamsの運用も、そりゃまあ大変だったわけですが、ここらへんの話はまた記事を改めて書くことができればと。

 ではでは。

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