研究紹介

はじめに

脳は、記憶により駆動されるシステムです。私たちは、過去の記憶に基づいて思考や行動を変更し、より良い未来を目指して生きる存在です。人工ニューラルネットワークがトレーニングに基づいて神経結合を形成して機能を決定するように、記憶(経験)がその人のありようを決定するのです。

 私は、記憶がどのように入力されるかについて、分子神経科学の実験的知見をコンピュータシミュレーションにより統合して動作を検証する研究を行ってきました。記憶は「シナプス」と呼ばれる記憶要素において「可塑性」が生じた結果として入力されます。シナプス可塑性は極めて多様で、ある時はシナプス各々独立に、時には共同して生じます。また、発達・情動・神経疾患により大きく影響を受けます。私は、多様なシナプス可塑性の数学的ルールを抽出し、脳がどのように記憶・学習を形づくるかについて明らかにします。

 

スパイクタイミング依存シナプス可塑性(STDP)のシグナル伝達シミュレーション

シナプス可塑性は、シナプス前後のニューロンの電気的発火のタイミングに依存して入力されます。このスパイクタイミング依存シナプス可塑性(STDP)を導く生体分子同士の相互作用(シグナル伝達)のシミュレーションを行い、シグナル伝達がSTDPを導くメカニズムを明らかにしました(図1左;Urakubo et al. 2008, J Neurosci; Urakubo et al. 2009, HFSP J.; Honda and Urakubo et al. 2011, Neural Netw)。シミュレーションを通じて、STDPが生じるためにはNMDA受容体に未知の特性が必要であることを予言しました。同様にSTDPの神経回路中の役割を明らかにする研究も行っています(浦久保 2005信学誌; Honda et al., 2011, J Neurosci)。

  また、線条体ニューロン発火と報酬シグナル(ドーパミン発火)のタイミングに依存して生じるシナプス可塑性 (Yagishita et al. 2014, Science) のシグナル伝達モデルを開発しました(Urakubo et al., PLoS Comput Biol, 2020)。シグナル伝達モデルよりadenylate cyclase 1 (AC1) の同期検出器としての役割を明らかにしております。これは、動物の行動戦略の一種である強化学習理論に大きな進展を与えるものです。

 
シナプス可塑性のシグナル伝達の再構成系実験

同様に、シナプス可塑性を導くシグナル伝達分子を試験管内で反応させる再構成系実験も行いました。試験管内にてCaMKII、PP1、CaM、NMDA受容体といったシナプス分子を精製して反応させたところ(下図)、シナプス分子CaMKIIの自己リン酸化が分子メモリとして機能することを発見しています(Urakubo et al. 2014, Biophys J)。

  現在は、CRESTプロジェクトとしてCaMKII分子メモリの特性をさらに調べる研究を開始しています。

 

シグナル伝達の再構成実験


電子顕微鏡(EM)コネクトミクスシナプス

シナプス可塑性が生じると神経回路が再配線され、神経回路が構築されます。この神経回路の配線図を網羅的に明らかにできる唯一の方法が電子顕微鏡(EM)コネクトミクスです。EMコネクトミクスはEM3次元画像を得て(2次元スタック像;下図A)、一つ一つの細胞境界を仕切って細胞形状を抽出します(下図B)。この画像処理の工程をセグメンテーションと呼びます。深層学習の登場により、高性能な自動セグメンテーションを行われるようになりました。私は、実験研究者が自動セグメンテーションを容易にできるようにするオープン・ソース・ソフトウェア UNI-EM を開発しました(Urakubo et al. 2019, Sci Rep; Ishii et al.; https://github.com/urakubo/UNI-EM.git)。

 現在は、EMコネクトミクスの技術を用いて抽出したスパイン・樹状突起内におけるシグナル伝達の時空間反応拡散シミュレーションの技術開発を進めています(下図C)。

EMコネクトミクス

 

複雑な形状をもつニューロンの電気的活動のシミュレーション

 ニューロンは複雑に枝分かれする樹状突起を持ちます(下ビデオ)。シナプスは主に樹状突起に入力を与えてシナプス後ニューロンの電気的発火を導きますが、電気的発火はひるがえってSTDPを導きます。私は、樹状突起の膜電位シミュレーションを行い、STDPが生じる樹状突起の空間的局在を明らかにしました(Urakubo et al. 2004, J Comput Neurosci)。さらに、海馬CA3ニューロンにおける抑制性シナプス入力の役割を明らかにするシミュレーションを行っています(Kobayashi et al. 2019, Neurosci Res; 下ビデオ)。

 2004年の研究当時は日本では知られていなかったNEURONシミュレータと呼ばれるソフトウェアの独習を通じて、私はプラットフォームシミュレータを介した研究者間のプログラム資源の共有の必要性を痛感しました。その後は、日本におけるシミュレータ研究の促進のために多数の解説記事を執筆しています(浦久保 2015,神経回路学会誌ほか)。