研究ブログ

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中国語圏映画史におけるクイアネスを読みとく——Shi-Yan Chao, Queer Representations in Chinese-language Film and the Cultural Landscape (Amsterdam University Press, 2020)

本書は、現在香港嶺南大学視覚研究系Research Assistant Professorの趙錫彥氏による著書である。台湾出身の趙氏は国立台湾大学を卒業後、ニューヨーク大学で映画学の博士号を取得された。

タイトルからも見えるように、本書は中国語圏映画におけるクイアな表象を映画史的な角度から読み解く労作なのだが、サイノフォン・シネマという視覚をもう一つの柱に据えているところが類書と大きく異なり本書のオリジナリティを高めている。

構成は以下の通り。

 

Introduction: Processing Tongzhi/Queer Imaginaries


Section I Against Families, Against States
  1 The Chinese Queer Diasporic Imaginary

  2 Two Stage Sisters: Comrades, Almost a Love Story

  3 Mass Camp in Contemporary Hong Kong Cinema

  4 Toward an Aesthetic of Tongzhi Camp

Section II Documentary Impulse

  5 Coming Out of The Box, Lalas with DV Cameras

  6 Performing Gender, Performing Documentary in Postsocialist China

Conclusion 301

 

Introductionは、中国語圏におけるクイア映画研究とサイノフォン・シネマに関連する研究動向の展開を、代表的な文献を整理しながら大変わかりやすくマッピングしている。最近30年間の大ざっぱな流れがさくっとつかめる。

「家族と国家に抗って」」と名付けられた第1部では、主に英米圏で構築されてきたクイア理論と中華世界における文化・歴史的文脈との間に入りがちな亀裂を埋める4つの論考で構成されている。

 第1章は、いわゆる「クイア・ディアスポラ」の主要な議論を俯瞰したあとで、「クイア・ディアスポラ」の議論で忘れられがちな人種・民族的な視点を、中華圏の家族制度やそれにまつわる文化(親孝行の概念など)のなかのクイアネス表象を手がかりに浮かび上がらせている。

第2章はわたしが本書を読む切っ掛けとなった論考で、おそらく今世紀の中国語圏映画史研究のなかでもっとも重要な論文の一つだと(勝手に)思っている。中華人民共和国建国後文革までの「十七年期」と呼ばれる時期のなかでも最重要作品に位置づけられる『舞台の姉妹』(謝晋、1963)は、越劇が国家と結びつき政治化していく過程を物語内部に取り込むことで、建国後の共産党のイデオロギーの実践であるといえる作品ではあるが、しかし実はそこに回収させることができないクイアな表象にも溢れている両価的な作品であるという。

第3章では1960年代の香港映画の通奏低音をなしていたジェンダーにかんするパロディ表象が、1970年代以降どのように批判的に引用されてきたか、について、クイア・リーディングにおける重要な概念の一つである「キャンプ」を軸にまとめられている。議論はソンタグ以降のキャンプ概念の展開を丁寧に検証することから始められる。そして、ゲイ・カルチャーから離れて大衆文化において消費されるテイストやスタイルとしてのマス・キャンプ概念が1960年代の香港の大衆メディア文化(特にTVにおける広東語映画放送)でどのように受容されてきたのか、またそれとホモセクシュアリティ表象がどのように関係を取り結んでいたかについて振り返った後、マイケル・ホイらの「ホイ・ブラザーズ・ショー」や『Mr.Boo!ギャンブル大将』などを具体的に分析している。

第4章では第3章で論じされた1960年代以降の香港のメディア・コンテンツで表現されたキャンプが1980年代に「同志のキャンプ」という美学に変化したことを議論している。著名な文化批評家でありゲイ文化史研究の草分けである小明雄が『電影双周刊』に発表したゲイ映画論を足がかりとして、第3章で一旦擱かれた「ゲイ・キャンプ」によるキャンプ概念の修正が行われたこと、それによってチャン・チェ映画におけるホモエロティックな要素の再検討からレスリー・チャンやアニタ・ムイの両性具有的なスターの分析にいたるまで幅広い論考が生まれるにいたった。そして、ゲイ・キャンプの理論の確立という点には十分な関心が払われていなうという問題提起がなされる。本章ではこうして、Sang Tze-lan 桑梓蘭、Chi Ta-wei 紀大偉、Liang-ya Liou 劉亮雅、CHANG Hsiao-hung 張小虹らが展開したキャンプにかんする議論を再検討したうえで、ゲイが感じる「恥」や「憂鬱」という感情の中華世界における構造を読み解こうと試みる。

 

第Ⅱ部は「ドキュメンタリーの衝撃」とある通り、収められた二つの章はいずれも2000年以降のドキュメンタリー作品について分析されている。第5章は『盒子』(英未未,2001)と『女同士遊行日』(石頭、2004)という二つのレズビアンをテーマにしたドキュメンタリー映画分析する。いずれもいわゆる「独立映画」と称される形式による作品であるが、中国のクイア映画は主にこの独立映画の領域で制作される。著者はおよそ30年近くにわたるその流れのなかでレズビアンとレズビアンの文化がどのように映画で語られてきたのかを振り返り、この二つのドキュメンタリーをマッピングする。第6章は第5章と同様にレズビアンを主題としつつも全くことなる表現方法を採用している二つのドキュメンタリー映画『唐唐』(張涵子、2004)『美美』(高天、2005)について議論が行われる。現時点で評者は『盒子』以外は未見なので、詳細は機会を見つけて後日補足したい。

 

以上のように、割と当代に焦点を当てる傾向が強い(と個人的な印象を持っている)中華圏クイア映画研究において、本書は映画史、しかもサイノフォン映画史に立脚している点が特長であるのだが、両者は単に併置されているのではなく、サイノフォン映画という概念が暗に意味している多義性・多元性と、本書のコアの議論であるクイアネスとの連動がもはや不可分な関係にあるということがよく議論されていて、とても勉強になった。本書が示した研究の方法論や方向は確実に後続の研究に大きな影響を及ぼすことになるだろう。

(了)

 

 

 

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【無料】近現代中国研究に役立つデジタル・リソースガイド【太っ腹】雑誌・書籍・その他編

前回の新聞編に引き続き、今回は雑誌・書籍をはじめとして、写真やパンフレットなど多彩な資料を対象としたデジタル・リソースのうち、無料(←ここ重要)で使えるものをまとめます。筆者の専門が映画史なのでセレクションにかなり偏りがあるとは思いますが、少しでもお役にたてたら幸いです。

 

【中国で発行された雑誌・書籍など/中国語】

  • 近代史資料資料庫(中央研究院近代史研究所)

http://mhdb.mh.sinica.edu.tw/

→清末民初の中国で発行された資料の多彩なデータベース。近現代文芸史関係だと、『婦女雑誌』、『近代婦女期刊資料庫』、『近代城市小報資料庫』などの雑誌記事索引が使いやすい。書誌情報のデータベースはオープン利用可能。誌面の閲覧は電子メールで利用申請してから(婦女雑誌データベースは誌面もオープン利用可)。

 

  •  抗日战争与近代中日关系文献数据平台

http://www.modernhistory.org.cn/index.htm

新聞編での紹介をご参照ください。

 

  • 民国時期文献(国家図書館)

 http://read.nlc.cn/specialResourse/minguoIndex

→その名の通り、20世紀前半の中国の携帯電話と国家図書館の閲覧証を持っていたらオンラインで閲覧できるアカウントが作れる。以前は無料で閲覧できた。記事索引(雑誌の目次データベース)部分はアカウントなしでも利用可能。

 

  • Early Chinese Periodical Online

https://kjc-sv034.kjc.uni-heidelberg.de/ecpo/

→ハイデルベルグ大学による研究チームが構築した、20世紀前半の中国で発行された雑誌・小報データベースで、とくに女性と娯楽に焦点を当てた286タイトルを収録。以前から公開されていた3つのデータベース(WoMag: Chinese Women's Magazines in the Late Qing and Early Republican Period, Chinese Entertainment Newspapers, 中央研究院の『婦女雑誌』資料庫(上述)を一つに統合したもの。ここに収録されているもののうち、『玲瓏』についてはコロンビア大学図書館がInternet Archivesで公開している版の方がサクサク見やすく、繁体字検索もそこそこできるのでそっちの方が便利。

 

  • 上海年華(上海図書館)

http://memory.library.sh.cn/

 →上海の写真、映画関係情報のアーカイヴ・サイト。映画雑誌は主要記事一覧を収めるが、概ね『中国現代電影期刊全目書誌』(上海図書館編、2009)と同じ。

 

  • アジアの映画関連資料アーカイブ(関西大学アジア・オープン・リサーチ・センター)

https://www.iiif.ku-orcas.kansai-u.ac.jp/books/collection/cinema

→日本、中国、植民地下「京城」、シンガポールの映画館で発行された映画館プログラムのデジタル・アーカイブ。コレクションは500件近くあるものの、メタデータの整理・入力が遅れております。責任者による解説動画はこちらをご覧ください(めちゃ恥ずかしいけど)。

 

【中国で発行された雑誌/日本語】

  • 『上海』『上海週報』(神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ)

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000003shanghai

→上海で発行されていた邦字雑誌。

 

【香港で発行された雑誌・書籍など/中国語】

  • The Paul Kendel Fonoroff Colleciont for Chinese Film Studies

https://exhibits.lib.berkeley.edu/spotlight/fonoroff-collection

→香港を中心とした映画関連資料コレクション。ポール・フォノロフ氏個人コレクションをカリフォルニア大学バークリー校付属図書館が購入し、デジタル化。戦前・戦後の香港発行のものを中心に、雑誌、ポスター、ロビー・カードやプログラムなど多種に及んでいる。なにげに民国期上海の激レア雑誌なども含まれているが、ほとんどはまだデジタル化されていない。館長先生によればまだまだ発展途上ということなので今後期待したい。

 

  • Hong Kong Literature Collection(香港公共図書館多媒体資訊系統)

https://mmis.hkpl.gov.hk/web/guest/hk-literature-collection

→20世紀後半以降の香港の作家の手稿アーカイヴ。

 

  • 中港電視電影刊物資料庫

https://digital.lib.hkbu.edu.hk/film-tv/

香港バプテスト大学図書館のサイト。香港の各大学が所蔵するテレビ・映画の雑誌やパンフレットなどのデジタル・アーカイヴ。参加した各大学のLANでしか見られない資料も多いが、映画パンフレット(電影本事)はオープン・アクセスになっている。

 

【台湾で発行された雑誌・書籍など/中国語・日本語】

  • 臺灣記憶

https://archive.org/details/cullinglong

→雑誌・書籍だけでなく、写真やポストカードなど多彩な資料のアーカイブ。

 

  • 臺灣電影數位博物館

https://tfi.openmuseum.tw/

→デジタル修復された予告編、映画脚本、スチルなどを多数公開。映画作品ごとに公開情報や新聞広告などの資料をまとめて閲覧できるような体裁は、デジタル・アーカイヴの形式としても斬新。ずっと見ていたい。

 

【北米で発行された雑誌/英語雑誌】

  • HathiTrust Digital Library

https://www.hathitrust.org/

→アメリカの学術機関が所蔵するデジタル資料を横断的に検索・閲覧できるサイト。モノは見られなくとも検索だけできるというものも入れたら1700万件以上の資料から探せる。留学生関係の資料をお探しなら、雑誌(The Chinese Student's Monthly他)名簿(The Chinese Student's directory他)や年鑑(The Chinese Student Christian Association in North America: Year bookなど)、報告(美洲留學生報告他)などいろいろ検索するとざくざく出てきます。

 

以上です。

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【無料】近現代中国研究に役立つデジタル・リソースガイド【太っ腹】新聞編

 人文系研究者に降りてくる研究費は年々少なくなり、昨年以来のコロナ禍もあって海外での資料調査もままならない日々が続いています。先日ある研究会でもやはり資料へのアクセスが難しくなったことが話題となりました。資金的に余裕のある機関・学者たちだけが研究できるような環境では、民主的で開かれた研究は難しくなるのではないでしょうか。

 と、大風呂敷を広げたついでに、無料で使える中国近現代史関係のデジタル・リソースをざっとまとめて見ようと思い立ちました。ただしとても偏りがあります、あしからずご了承ください。雑駁なまとめ方ですが、少しでも何かのヒントになれば幸いです。

 

今回は新聞編!(雑誌・書籍・その他編はこちら

 

【新聞(中国発行)】

●Late Qing and Republican-Era Chinese Newspapers

https://gpa.eastview.com/crl/lqrcn/

→1949までの中国地方紙292紙を収録。OCR検索精度低いのが難点だが紙面DL可。上海のものでは『時事新報』がまるっと入っています。

  • 抗日战争与近代中日关系文献数据平台

http://www.modernhistory.org.cn/index.htm

→抗日戦争とあるけれど、実質的には民国期の中国大陸で発行された新聞(上海、広州、江南南昌、北京、天津)や雑誌その他史料も含めた総合的なデジタル・アーカイヴ。

  • 舍我先生報業數位典藏

http://newsmeta.shu.edu.tw/shewo/

→台湾世新大学の成舍我記念館が運営する新聞データベース。『世界日報』(北京、1925-1949)、『立報(上海・香港、1935-1949)』の新聞記事、広告を検索できる。とても独特なインターフェイスで慣れが必要かも。2016年からは『世界晩報』(1924-1949)のデジタル化作業を開始したそうですがまだ公開されていません。

  • North China Daily News Online

https://primarysources.brillonline.com/browse/north-china-daily-news

→本文をみるにはブリルと契約した機関のアカウントが必要ですが、検索して3行くらいプレビューできます。気になる記事は、マイクロ版を持っている大学で本文を確認しましょう(関大にもあります)。ProQuestのHistorical Chinese Papersが使える方は、Shanghai Timesなどの情報と併用するとよりよいです。

  • 『大陸新報』(上海史研究会)

http://shanghai-yanjiu1.sakura.ne.jp/mysite2/archives-newspaper.html

→日本上海史研究会による研究成果。上海の邦字新聞『大陸新報』1939年〜1945年の紙面のPDFファイルを公開。研究会サイトには他にも素敵な資料が公開されている。同研究会の編んだ『大陸新報』の目録のチェックが必須。

  • 邦字新聞デジタル・コレクション(ジャパニーズ・ディアスポラ・イニシアチブ)

https://hojishinbun.hoover.org/?l=ja

→フーバー研究所による「外地」発行邦字新聞コレクションのデジタル・アーカイヴ。世界各地の邦字新聞をカヴァー。ロシア、朝鮮半島(京城日報他)、中国各地(上海では上述の『上海週報』『大陸新報』の他『改造日報』(1946)の3紙を収録)、台湾の『台湾新報』(1944-45)、フィリピン、インドネシア、シンガポールなど南洋発行の邦字新聞など。すごい。。。なお、中国研究関係とは少しずれるが、日文研でもブラジルを中心とした「外地」邦字新聞データベースを運営している(https://rakusai.nichibun.ac.jp/hoji/)。

 

 【新聞(台湾)】

  • 旧報紙(國立公共資訊圖書館)

http://das.nlpi.edu.tw/cgi-bin/gs32/gsweb.cgi/login?o=dwebmge

→国立台中図書館所蔵の新聞アーカイブ。1990年代に「発掘」された『民報』(1945)ほか、戦後初期の中国大陸の地方紙、金門で軍が発行していた『正気中華報』、インドネシアの華語新聞、日本の『内外タイムス』などを収録(収録紙一覧:http://das.nlpi.edu.tw/cgi-bin/gs32/gsweb.cgi/ccd=FTnfo6/introurl?id=MSA00000013)。他にも地方戯曲「歌仔戯」のレコード音源メタデータ、高雄の皮影戯館の所蔵資料データベースも横断的に検索できる。

 

【新聞(香港)】

  •  Old HK Newspapers

https://mmis.hkpl.gov.hk/web/guest/old-hk-collection

→戦前戦後の香港で発行された中文、英文新聞が検索、閲覧し放題。19世紀末から20世紀後半までをカバーする。『大公報』(1938-1991)、『香港工商日報』(1926-1984)、China Mail(1866-1961)など書き切れないほど盛りだくさん。

 

【新聞(シンガポール、マレーシア)】

  •  NewspaperSG

https://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/

→『南洋商報』のマイクロをぐるぐる回して閲覧していたのはほんの10年位前。今ではシンガポールにいかなくとも『南洋商報』、『星洲日報』などの中文、The Straits Timesなどの英文新聞、自宅で検索・閲覧できるようになりました。OCRの精度はそこそこだと思います。使い方がちょっと独特で、紙面をブラウズする方法の他、記事ごとにスクラップされて表示される方式でも閲覧できる。『昭南日報』や『昭南新聞』も収録。影印版と同じ紙面なのかどうか未確認。

  • Pre-war Singapore Chinese Newspapers(NUS Library)

https://libportal.nus.edu.sg/frontend/web/resources/library-initiatives/digitized-collections

→戦前シンガポールの中文新聞の紙面アーカイブ。検索機能はないが、収録されている全ての紙面がPDFで閲覧、ダウンロード可(テキスト検索はできない)。『振南日報』(19-1920)、『中興日報』(1907-1910)、『日申報』(1899-1901)、叻報(1887-1932)、『新国民報』(1919-1933)、『星報』(1890-1898)、『星洲晨報』(1909-1910)、『總匯新報』(1908-1946)、『天南申報』(1898-1905)。

 

【新聞(北米)】

→Internet Archivesで公開されているサンフランシスコの中華街で発行されていた中文新聞『世界日報 Chinese World』(サンフランシスコ公共図書館所蔵)。1910年代〜1920年代の分。モニターの中ではコンパクトな印象だが、現地で確認した現物はめちゃめちゃでかかった。

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とりあえず、新聞編Ver.1.0はここまで。気づいたらまた追加します。次回は雑誌・書籍・その他編を予定。(2021.05.05)

●●喜ぶ・デレ せ い ぜ い ご 活 用 く だ さ い 喜ぶ・デレ●●

*西村正男さんのご教示により情報を追加しました。ありがとうございました。(2021.05.05, 19:20)

 

〈2021.05.11追加〉

  • 早期華文報紙電影史料庫

https://digital.lib.hkbu.edu.hk/chinesefilms/

→香港バプテスト大学が運営する中国語新聞掲載の映画関係記事目録。香港、広州、杭州、天津発行の地方紙、20世紀前半をカバー。

 

  • 台灣電影史研究史料資料庫
http://twfilmdata.tnua.edu.tw/node/4496

→『台湾日日新報』など台湾発行の新聞に掲載された映画上映関係記事の集成。

 

  • 大英図書館 The British Newspapers Archive 

https://www.britishnewspaperarchive.co.uk

→東アジア関連では英領時代の香港の新聞Overland China Mail が含まれます。

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中国映画史研究の動向: Yongchun Fu, The Early Transnational Chinese Cinema Industry (Routledge, 2019)をめぐって

  中国映画研究は伝統的に作品批評や作品の政治的解釈が主流を占めていた。作家研究やテクスト研究といった手法は1978年以降にようやく導入されたが、実証的な映画史研究の隆盛はようやく1990年代以降散見されるようになり、以来初期映画史の再考が隆盛した。

 1990年代以降、従来支配的であった左翼映画史研究とは全く異なる中国語圏映画史研究が北米を中心として登場した。英語圏におけるいわゆる「フィルム・スタディーズ」式の研究スタイル、つまり映画テクストの分析と社会史、文化史的な分析を連動させた実証的な中国映画史研究が英語圏で活発化した。英語圏で高等教育を収めた華人研究者が活躍し始めたのも同時期である。盧暁鵬・張英進・蕭知緯・張真らのカルチュラル・スタディーズを取り込んだ実証的映画史研究、葉月瑜・陳儒修等の中国語圏の映画美学研究などがその代表として挙げられるだろう。また、現代文学史研究と映画史研究を連動させた李欧梵の研究も重要である。

 このように英語圏で隆盛しはじめたフィルム・スタディーズ式の中国語圏映画史研究のなかで、もっとも重要な議論の一つとして、トランスナショナリズムの視点が注目されはじめたということが挙げられる。1990年代に入ると盧暁鵬によってトランスナショナルな観点からの中国映画研究の再考が試みられた。また、1998年から1999年にかけて『電影欣賞』(台湾国家電影資料館(当時)発行)誌で2回ほど「中文電影」という概念の再考についての特集が組まれたことはその象徴であろう。1990年代になるといわゆる「両岸三地」の研究者たちが一堂に会するシンポジウムが頻繁に開催されるようになったことも、この特集が争点とする「中文電影」という概念の再考を促した。近年では史書美や王徳威らが中心となって議論を展開するサイノフォン(華語語系)と言う視座からの中国「語」映画研究にも注目が集まっている。

 他方、学術界全体を見渡せば、ここ20年来の急速な資料のデジタル化や大型データベースなどの研究インフラが広範囲に整備されたことをうけ、研究対象の急速な細分化が進んだ。その結果、膨大な数の研究論文が「知網」に掲載され、映画史上のあらゆる固有名詞が研究対象化されたかのような大量の情報が溢れるようになった。その反面、そのような個々の研究成果が既存の研究にどのように貢献するのか、あるいはどのような新しい歴史観に繋がるのか、という大局的見地からの検討が十分に行われない事態が続いている。

 付永春 (Yongchun Fu) がオークランド大学に提出した博士学位請求論文にもとづいて出版された The Early Transnational Chinese Cinema Industry (London; Routledge, 2019) は、盧暁鵬らが提唱したトランスナショナルな中国映画史という視座を動員し、Zhang Qian、Zhiwei Xiaoらによって先鞭が付けられたハリウッド映画と中国映画との交渉史を映画産業の側面において包括的に明らかにした労作である。

 本書の構成は以下の通りである。

第一章「序論」

第二章「トーキー以降期中国における技術と越境者」

第三章「配給システムからの応答:オウムから蝶へ」

第四章「中国の特色ある資本主義:中国映画における製作方式」

第五章「映画の仲人:米中映画産業の仲介者」

第六章「中国からの応答の成果を測定する:統計から」

第七章「結論」

 いずれの章も初期中国映画史における越境性に着目しているが、このことが画期的であるのは主に二つの理由がある。まず、そもそも外国人や外国の映画会社が中国の映画界・市場にたいする関心を示す資料は極めて限られており、場合によっては人名表記のレベルから明らかにする必要があるという点を見事に克服し、必要な資料を見つけ出し、評価し、歴史研究として記述するという極めて難易度の高い作業を成功させているという点である。参考文献リストを一読するだけでも大きな驚きを感じるほどのレベルの高さは他に類を見ない。筆者の広範囲のデジタル資料を使いこなす一方で、関係者への地道な聞き取り調査も見事にこなす手腕は一級である。

 第二に、従前の映画史においては単なる「助っ人」的な位置づけにすぎない外国人スタッフたちの仕事や外国の映画産業の影響が、実際は中国ににとって不可欠であることを実証した点である。このように、本書は中国映画史を一国史観により完結させようとする古典的歴史観を批判的に乗りこえようとしている点で、圧倒的多数を占める年譜的な研究とは一線を画するものであるといえる。

 評者もかつて、商務印書館影片部の成立にあたって、上海YMCA、特に宣教師ウィリアム・ウェズリー・ピーターによる幻灯、映画製作の指導を受けていたことを明らかにしたことがあるが、このケースもまた外国人が単なる「助っ人」以上の役割を果たしていた事例であろう。このように、中国映画史の越境性や重層性に着目する視座は、近年重視されているサイノフォン・シネマの概念とも通じており、今後の中国(語)映画史研究の主流となっていくものだといえるだろう。

 (了)

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