2012年
パブリックアート : ニューヨーク創造地区のライフサイクルをたどる
空間・社会・地理思想
- ,
- ,
- ,
- ,
- ,
- ,
- 巻
- 0
- 号
- 15
- 開始ページ
- 109
- 終了ページ
- 118
- 記述言語
- 日本語
- 掲載種別
- 出版者・発行元
- 九州大学大学院人文科学研究院地理学講座
ニューヨークの創造地区は、世界の他の都市と対照的に、アーティストの援助あるいは文化の生産の奨励を目的とする政府の戦略をはっきりとは反映していない。これらの地区はマクロ経済的な条件や政策にある程度は反応している。もっと重要なこととして、それらは「自然に発生する」創造地区であり、製造業と不動産への民間投資の盛衰に反応している。しかしながら、この自発的もしくは無政府的とさえ思える過程には、いくつかの規則性が反復されている。それらは、投資と国家の介入がないこと、革新的なアートとメディアによる積極的な注目の高まりがあること、そして常軌を逸した美的関心を商業的に動員することである。これらの条件はニューヨークの創造地区の継続的発展を形作り、1800年代末におけるマンハッタン南部のグリニッチビレッジからソーホー(1970年代)、イーストビレッジ(1980年代)、ウィリアムズバーグ(1990年代)、そして今日のブッシュウィックへと移っていった。労働者階級、そしてしばしば「エスニックな」住民が住む、見捨てられ、過小評価された地区からの道のりは、まず賃貸料の安い工業用スペース、砂だらけの道、そしてアーティストによる美的実践に組み込まれるつかみ所のない地区の「性格」で特徴づけられる。この道のりに沿って、文化の生産者は、新しい小売業(カフェ、レストラン、店舗)を起こすことによって、このローカルな性格を改変し、自らの美的実践と周辺に展開する社会的ネットワークの要求に応える。その結果、ソーホーからブッシュウィックへの継続的な推移に示されるように、各地区は投資の「機が熟している」ことを合図する。メディアによってうながされ、公共政策によって保護されることなく、ニューヨークの創造地区はよく知られたジェントリフィケーションのパターンを示す。それは、逆説的に、地区の創造性を持続することを困難にする。
- リンク情報
- ID情報
-
- ISSN : 1342-3282
- CiNii Articles ID : 120006001552
- CiNii Books ID : AN10565341
- identifiers.cinii_nr_id : 9000356483696
- CiNii Research ID : 1050282677427973120