基本情報

所属
北星学園大学 文学部 教授
学位
博士(文学)(2008年4月 九州大学)

連絡先
yearmankyudai.jp
研究者番号
80526690
ORCID ID
 https://orcid.org/0000-0002-3157-3704
J-GLOBAL ID
201101095485133256
researchmap会員ID
6000028551

外部リンク

中学時代は英語が苦手で苦しんでいました。ただ,ALTが「なぜ日本では大晦日にそばを食べるんだ?」と質問したのに対して「日本人は長生きしたいと願っていて,麺が長いというのと掛けている」という主旨のことを言って通じたのでそれを嬉しく思ったのを覚えています。その後,高校2年生頃になって「自分は英語が好きなんだ」と思い込むことにして勉強したところ成績が上がり,楽しく勉強できるようになっていきました。都合のいい頭でよかったです。高2で進路を考えていたとき,中学のときのALTとのやりとりを思い出し調べていった中で日本語教師という職業を知り,これにしようと考え,大東文化大学の外国語学部日本語学科に進学しました。

1年次の日本語学系の授業は面白かったのですが,2年次に入り日本語教授法を受けて違和感が湧いてきて,日本語教師もあまりよくないかななどと思うように。そんな中で同じく2年次のときに早田輝洋先生の「言語学概論」の授業を受けました。そこではスティーブン・ピンカーの『言語を生み出す本能』をベースに授業をして,授業の初回で先生が「言語は本能」と言っていたのに対し,え?どういうこと?単語と意味の関係とか日本語独特なのでは?と激しく違和感を覚え,授業後に意見しに行ったところ,「まあまあ。単語はそういう側面もあるけどね。言語の本質的なところは違うんだよ」という趣旨の返事が。それでとりあえず受けていくかと授業を聴いていたら,音韻論が分析的(パズル的)で面白いと感じ,さらに統語論で使役文の樹形図(もとは黒田先生のものらしいけど未確認)を見てすごい!と感動したあたりからはまっていきました。3年でも早田先生のゼミに入り,そのときには日本語教師をやるつもりはほとんどなくなり,卒業後は言語学系の大学院に進学をすることにしました(日本語教師志望のときから就職のことを考えて院進学するつもりだった)。そのため授業以外でも先生について行って東京外大AA研のトーンの通言語的研究の研究会や日本言語学会に参加していました。

院試をどうにかこうにかクリアし,学部卒業後は九州大学の言語学講座に進学しました。そこではそれまでほとんど勉強してこなかった統語論や意味論を中心とした理論言語学,心理言語学,歴史言語学,言語獲得研究,日本語史研究に触れることができました。授業はもちろんなのですが,様々な勉強会,研究室での雑談なんかで鍛えられたなあと思います(油断できない雑談とは)。

学部,修士時代の研究テーマは,上海語の分節音に関する諸問題でした。上海語は学部時代の同級生に上海からの留学生がいて,彼女の方言についてまとまった記述がまだあまりなかったのが動機です(今考えると,中国語能力が低くて探しきれなかっただけですが)。最初はトーンをやろうと思っていたのですが,分節音について色々と調べて整理するうちに,当時の指導教員だった早田先生と,母音音素を少なく設定できるのではという話で(年末年始にメールで)盛り上がり,それを中心的なテーマにして卒業論文と大東文化大の紀要を書きました。修士も継続して上海語のこと続け,M1の終わりに1カ月ほど上海に行って調査をしたものの,どうにも中国語(普通話)の能力が低く調査もあまりうまく行ったとは言えませんでした。そのままうだつの上がらないまま2年間が終わりました。M1の終わりに集めたデータを使ってどうにかこうにか書いた修士論文では,上海語の分節音韻論を一から見直し,それを素性幾何と不完全指定を使って理論的ぽく記述しました。修士で身につけたのはTeXの使い方が一番かもしれません。それぐらいうまく行ってない時代でした。

博士課程に進学してからは,修士論文の一部をもとにした論文を書いただけで上海語は一切やめ,長崎県の島原方言に見られる音調現象(アクセント)について取り組みました。これも母語話者が研究室の先輩にいて(このパターン多すぎ),当時やっていたアクセント勉強会でその方を対象にした簡単な調査をしたところ,予測されたとおりにならないというのが出てきたのがきっかけです。これを色々な学会で発表したところ評判もよく,自分自身でも面白いと思え,まさに「当たり」を引いた感じがしました。その後,現地にも赴き調査を重ねていきました。その成果をもとにトロント大学での国際学会(International Conference on East Asian Linguisitcs)で発表できたのは後のことを考えると大きいことでした。その後,長崎市内に調査地を移しました。そこで協力的な話者に出会うことができ,調査も場合によっては日帰りでほぼ毎月1-2回行うことができたので,非常勤を4つほど抱えていた身としては大変助かりました。内容はほとんどが島原での調査の再認でしたが,まとまった量を集めることができました。島原,長崎での調査では,複合語と外来語を手がかりに様々な語種の音調現象に関わる規則性を記述していきました。そしてその成果を博士論文にまとめました。

博士課程では当時同じ研究室で院生だった村岡諭氏と彼の指導教員だった坂本勉先生と共同で,文の即時理解におけるプロソディーの機能について実験を行いました。それまでも文の即時理解に関する研究や,文の解釈にプロソディーがどう影響するかに関する研究はあったのですが,(少なくとも日本語を対象にした)即時理解におけるプロソディーの影響を調べたものはありませんでした。この研究では,心理言語学の方法を実地で勉強することができ,また,音韻論・音声学以外の研究者とのつながりを持てたことが非常によかったです。私の就職とほぼ同時期に共同研究は一区切りつけたのですが,その後,安永大地氏,水本豪氏とともに複合語アクセントに関する心理言語学的実験を行いました。複合語のアクセントは要素(単語・形態素)同士の結合において重要な役割を果たすと思われているのですが,それが要素がもともと持っているアクセントの情報によって変わる可能性を示唆したものとなりました。

博士論文を提出してから一年間ポスドクとして言語運用総合研究センターに所属し,その後,北星学園大学に赴任しました。2010年度より科研費をいただき,熊本県の天草島に分布する方言に関して同様の調査を開始しました。この地域には長崎と鹿児島の両方の性質を持った音調が分布しており,記述的にはもちろん,理論的,歴史研究的にも様々な影響があるのではないかとにらんでいます。まだまとまった成果を出せていない状態ですが,五十嵐陽介氏との共著論文とイントネーションに関する単著論文が出ています。

2012年ごろから促音の音声実現における地域差に関する調査も始めました。標準語の促音は直後が清音に限られることが多く,濁音は外来語に限られます。また,外来語でも促音の後の濁音が清音になる(バッグ→バック)という変化があるなど,安定しない音環境でした。さらに,音声実現を見ても促音+濁音の狭窄区間には声帯振動がほとんど見られません。ところが,九州地方には促音+濁音を外来語だけでなく和語・漢語にも多く持つ方言があります。これらの方言での促音の音声実現は標準語と同じなのか疑問に思い調査を始めました。幸い2013年度〜2016年度,2016年度〜2020年度(コロナ禍により2021年度まで延長)と科研費をいただき調査を進め,音声学的な実態,音韻論的な分析をそれぞれ国内学会誌に出すことができました。さらに,調査や発表を進めるうちに,天草以外に山形にも有声阻害重子音が見られることが分かったので,調査を行っていったところ,天草とは異なる形で声帯振動が見られたのでそれをまとめて2019年の国際音声科学会議(ICPhS)にて発表しました。

天草諸島の方言の多様性についてはある程度の報告が出ていたのですが,私の関心のある促音や,それ以外でも形態論の基礎的な部分についての記述にはまだ不十分な部分があるので,それらを補うべく2017年度より文法記述のための科研費を頂き調査を進めています。幸い本渡地区と深海地区でご協力いただいており,少しずつですが文法スケッチの材料が集まりつつあります(北部九州的には「集まりよる」か?)。

北星学園大学では学部1年生を対象とした日本語表現(文章表現)の授業を受け持っています。こちらでは,初年次における文章表現教育について試行錯誤しております。教育は実践の積み重ねが重要だと考え,実証的に成果を示すことよりも,とにかく良さそうと思ったものを探してきては自分の授業において実践しています。2014年からは自分で決めたテーマに関するレビュー論文を書かせることを試みています。これは論述型の執筆ではどうしても紋切り型になりがちなので,一度「意見」というものから離れる離れることを意図しています。この点ではうまく行っているところはあるのですが,ちょっと学生には負荷が高めなようで,改善の余地があり,難易度や内容を調整しながら授業を進めています。ちなみに2016年の春にこのテーマで論文を出しました。


経歴

  4

受賞

  1

書籍等出版物

  12

論文

  39

MISC

  14

講演・口頭発表等

  62

共同研究・競争的資金等の研究課題

  9

メディア報道

  4

委員歴

  13