Works(作品等)

2012年1月 - 2012年1月

天地(限りあるものと限りないもの)

  • 作品タイトル
  • ,
  • 森川穣(テキスト

作品分類
芸術活動

「限りあるものと限りないもの」濱田陽

新しい文明は、限りあるものだけでなく、限りないものにもっと目を向けることが必要だ。仏陀や孔子はどこまでも教えを説こうと尽きることのない情熱を示した。イエスが山上で群衆に分けたパンと魚は皆に分け与えてもなお余った。このメタファーのように良いものを分かち合っても、減らないための知恵と工夫が、今ほど求められている時代はない。それぞれの分野で、限りあるものを限りないものとの正しい関係に置く思考に転換してみよう。そして、限りあるものを占有しがちな人間の欲望を制御する道を求めよう。
たとえば、地球上の全ての水のなかで利用可能な淡水は0・1%しかないが、循環により再生可能資源となる。また、逆浸透膜のように、海水に含まれる不純物質を濾過して水分子だけを取り出す特殊膜が開発されているが、高価で枚数が限られており、安価に何枚でも製造できることが期待される。そうなれば無限に近い海水を濾過し、有限の淡水に転換できる。

分かち合いのパターンを考えてみると、次の5つが挙げられるだろう。

1 限りあるものをそのまま分かち合う
2 限りあるものの循環によって限りないものとして分かち合う
3 限りあるものを限りないものに転換して分かち合う
4 限りないものを限りあるものに転換して分かち合う
5 限りないものをそのまま分かち合う

有限性と無限性の関係は、人間にとって永遠のテーマだ。ヒンドゥー教、仏教、神道は、亡くなると魂は輪廻、また、循環すると考え、ユダヤ教、キリスト教、イスラームは限りある現世からの転換、限りない天国での救済を訴えた。阿弥陀信仰やキリスト教は、人間と生きとし生けるものを救うために、無限の命をもった救い主が、限りある人間、衆生の前に現れると説いた。人間は、有限を無限につなげることによって希望を見出してきた。こうした思考形式は、私たちが気づきさえすれば、大きな広がりと可能性をもっている。

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