論文

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2018年3月

オスカー・ワイルド文学における 芸術至上主義と宗教意識の相克

日本大学大学院総合社会情報研究科
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回数 : 1882
  • 宮本裕司

記述言語
日本語
掲載種別
学位論文(博士)
出版者・発行元
日本大学大学院総合社会情報研究科

本研究では、オスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)の文学に潜む、芸術至上主義と宗教意識の相克を探究する。相克とは、対立・矛盾する二つのものが、前面に出ようと互いに争うことを意味している。ワイルド文学は唯美主義文学として研究されることが多かったが、1990年代以降はキリスト教文学としての先行研究が出てくるようになった。しかし、この両方の観点からワイルド文学を分析し、ワイルド文学を通じてこの二つの思想が相克していることを研究したものは未見である。本研究では唯美主義的描写とキリスト教的描写に焦点を当て、作品ごとにいずれの描写が色濃く描かれているかを分析する。従来の「芸術家ワイルド」に代わる、唯美主義とキリスト教の間で揺れ動く、新たなワイルド像を提示することが研究意義である。
先行研究はワイルドの伝記中心の時代、作品論の時代、文学と他の学問とを組み合わせた研究の時代へと推移している。現在のワイルド研究は成熟期にあるため、作品のモデルとなった人物やワイルドの家族の伝記、色彩論や花言葉、服飾論など、単なる文学論から広がりを見せている。しかし、本研究で探究する相克の問題をとりあげた先行研究は未見である。その理由は、皮肉屋で退廃的な「芸術家ワイルド」という社会のイメージと、キリスト教的世界観に大きな隔たりがあることが先行研究で指摘されていることと、唯美主義文学とキリスト教文学という異なる立場から両方の観点で研究することが難しかったからであると考えられる。
ワイルドが生きたヴィクトリア時代後半は、プロテスタントと資本主義が結びつき、禁欲を強いる道徳的抑圧が支配的な時代であった。また、そのような思潮への反発として、唯美主義や退廃的な世紀末文化が流行した。ワイルドは世紀末の寵児と呼ばれ、時代の流行の影響を受けやすかった。彼は道徳的抑圧に反発しつつ、唯美主義者として自己演出し、当時の社交界で成功した。この時代の児童文学では子ども観の変化が起こり、子どもは無垢な存在ととらえられるようになった。既述のとおり、道徳的抑圧への反抗や世紀末という退廃的な文化が流行したため、唯美主義文学が多く書かれた。科学の発達により、「詩が宗教にとってかわった」とマシュー・アーノルドが喝破したように、宗教の地位が相対的に下がり、唯美主義が宗教に代わる絶対性を持つと考えられるようになった。そのため、聖書の神を至高の地位に置くキリスト教文学は、絶対的救済を与える宗教をテーマとしているにもかかわらず、科学や文化が宗教よりも価値があるとされ、唯美主義文学が流行していた。ワイルド文学は、この文学的潮流の影響を全て受けている。
ワイルド文学が備える相克とは、1.芸術至上主義と宗教意識の相克、2.カトリックとプロテスタントの相克、3.制度としてのキリスト教とワイルドの信仰心の三つである。芸術至上主義と宗教意識が相克した結果、宗教的な童話の中にも唯美主義的な描写が存在し、唯美主義的な作品にも神の存在を連想させる描写が存在する。また、宗教意識のサブテーマとして、カトリックとプロテスタントの相克と、制度としてのキリスト教とワイルドの信仰心の相克が存在する。ワイルドはプロテスタントの家系であったにもかかわらずカトリックに惹かれ、キリストの生き方に共感しつつも、当時の教会制度や聖職者には批判的であった。このようなワイルドの宗教意識に踏み込み、サブテーマとして存在する相克の問題に焦点を当てた先行研究は、管見の限り存在しない。
本研究では、童話、『ドリアン・グレイの肖像』(1891)、『サロメ』(1893)、4作の喜劇(『ウィンダミア夫人の扇』(1893)、『つまらない女』(1894)、『理想の夫』(1895)、『まじめが肝心』(1895))のテキスト分析を行う。
ワイルドは『幸福な王子その他の物語』(1888)と『ざくろの家』(1891)という二冊の童話集を書き、そこには九編の短編童話が収録されている。ワイルドの童話が重要な点は、彼にとっての最初期の作品であるというだけでなく、神による救済を描いたものが多く、唯美主義者として講演をしてきた彼のイメージに反するものだった。その童話の中では、外見の美しさだけでなく、精神的な美しさをよしとする描写や、神だけが人を救済する存在であるとする描写が存在する。また、芸術至上主義と宗教意識の相克が最初にあらわれた作品であり、これらの特徴がのちのワイルド文学総体に組み込まれていった。
『ドリアン・グレイの肖像』は、主人公ドリアンが悪事の限りを尽くし、堕落していく様が華麗で長大な文章で書かれた長編小説である。ドリアンが歳をとる代わりに、肖像画が歳をとり、ドリアンが堕落するに従い、肖像画が醜くなっていくという作品である。しかし、犯した罪に対する悔恨の念や、カトリックへの改宗への逡巡、人生の再出発など、物語の後半はキリスト教的要素が出てきている。退廃的な内容ゆえに世間から批判された『ドリアン・グレイの肖像』であったが、ワイルドは唯美主義単独で成り立たせることができず、唯美主義文学とキリスト教文学の折衷となってしまった。また、逆説的な警句を発する登場人物、唯美主義者ヘンリー卿がワイルドの分身と読者が考え、先行研究でもそのようにとらえられることが多かったが、ワイルド自身がこれを否定している。つまり、「芸術家ワイルド」は彼の自己演出であり、意図的に読者を誤読させているのである。
『サロメ』は猟奇的で唯美主義的な作品であるため、道徳的に比較的寛容なフランスでまず出版され、のちに英訳されてイギリスで出版されるほど、衝撃的な内容であった。聖書的題材を用いているが、ワイルドは新約聖書のエピソードを大胆に脚色し、預言者ヨカナーンを王女サロメが殺して口づけし、国王ヘロデがサロメを処刑するという結末をつけ加えた。また、ヘロデが妻の連れ子サロメを自分のものにしたいと考えていることや、サロメがヨカナーンに恋した結果、自らの意思でヨカナーンを殺すという点は、ワイルドが新約聖書を改変したものである。このような猟奇的な結末であるため、『サロメ』はワイルドが書いた唯美主義文学の代表作として研究されることが多かった。しかし、世俗的な愛憎の末に多くの登場人物が殺されてしまう本作は、人間の小ささと神の愛の偉大さを陰画的に描いている。信仰に徹するあまり偏狭なヨカナーンや、サロメをめぐる登場人物たちのゆがんだ愛情は、新約聖書で描かれている神の愛と比べると、卑俗なものである。また、結果的に人間の愚かさを浮き彫りにし、神の存在を読者に連想させるため、キリスト教文学としての要素も備えている。
喜劇は、ワイルドにとって最大の成功作であり、投獄されて作家生命を絶たれる前の三年間、彼は喜劇以外の作品をほとんど書かなかった。唯美主義的で軽妙洒脱な台詞まわしの喜劇は、機知と皮肉に富んだワイルドにとって、最も相性の良い文学ジャンルであった。喜劇の共通点は、嘘と偶然の一致で登場人物が振り回されることと、ピューリタン的で潔癖な女性が自らの偏狭さを悔い改めることである。巧妙で計算されたプロットの根底には、カトリックに惹かれるワイルドの願望や自己開示が潜んでいる。プロテスタントの影響を強く受けていた当時の観客はピューリタン的女性に共感する方が多数派であり、ピューリタンが寛容さを身につけることが、はかない願望であることはワイルドにはわかっていた。また、その意味を理解する観客は少数であったが、自らが同性愛者であることを彼は作中で喩えを用いて自己開示している。このような願望や自己開示は多くの文学作品に見られることだが、ワイルドの場合は同性愛という当時の法律に反する行為が明るみに出ることで裁判を起こされ、破滅した。作品の人気や許容度と、同性愛に対する社会の許容度をワイルドは見誤ったのである。
結論として、ワイルド文学には三つの相克が潜んでいるため、結末の解釈が分かれるという複雑なものとなっている。神による救済を描きつつもエロティックな描写が見て取れる童話や、唯美主義文学とキリスト教文学の折衷になってしまった『ドリアン・グレイの肖像』など、矛盾・対立する芸術至上主義と宗教意識が相克していることが原因で、作品の解釈が分かれている。このような相克を備える文学は、アンドレ・ジッドが受け継いだが、唯美主義が急速に退潮し、それ以降はあらわれることがなかった。
ワイルド文学には、唯美主義者として自己演出していたワイルドが意図して描写したものと、キリスト教徒として意図せずして描写したものがある。キリスト教は唯美主義と相反するものであるため、自己演出することがなかったが、ワイルド自身が唯美主義とキリスト教の間で揺れ動いていたため、意図せずしてキリスト教的描出を作中に織り込んでしまった。芸術は人生に影響を与え、人生の方が芸術を模倣するとワイルドは考え、「人生は芸術を模倣する」と標榜し、その標語をはからずも自らの人生で実践した。ワイルドの人生がワイルド文学という芸術作品を模倣し、童話で描かれたように唯美主義者からカトリックへと回心したのである。
海外、国内とも、今後のワイルド研究は、順次刊行中のオックスフォード版ワイルド全集が、一次文献の精緻な検証と膨大な注釈により、テキスト分析の決定版となっていくことが考えられる。未刊行のため参照できなかったオックスフォード版ワイルド全集に基づくテキスト分析や、本研究でとりあげなかったワイルドの詩や批評、世紀末文化やキリスト教文学を分析対象として加え、ワイルド文学に潜む相克をさらに解明していくことを今後の課題としたい。

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http://repository.nihon-u.ac.jp/xmlui/bitstream/handle/11263/1306/MIYAMOTO-Yuji-3.pdf?sequence=3 本文へのリンクあり

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