講演・口頭発表等

2021年11月13日

ヒロポンと不良出版 ──1950年代の悪書追放運動における「悪書」の“発見”

第94回 日本社会学会大会(オンライン開催)
  • 大尾侑子

記述言語
日本語
会議種別
口頭発表(一般)

「悪書」はいかに発見されたか?――1950年代の悪書追放運動に注目して

1.目的 本研究の目的は、戦後日本の悪書追放運動において「不良出版」ないし「悪書」という概念が、いかに“発見”されたのかを、1950年代のマスメディア言説に注目し、明らかにすることにある。1970年代の「ハレンチ学園」騒動、1980年代のポルノ自販機撤去運動、また1990年代の有害コミック騒動や2010年前後の「非実在青少年」問題に至るまで、戦後、青少年にとって「有害」とされるメディアの排除をめぐる動きが反復的に起こっている。こうした動きが最初に高揚したのは、1950年代の悪書追放運動である。この運動は、狭義には1955年の春に巻き起こった焚書騒動に象徴される、母の会やPTAなどを中心とした「悪書」排斥の動きを指す。こうした運動については条例をめぐる法学的議論にくわえ、漫画バッシングの歴史を記述したジャーナリズム研究(長岡2010)のほか、有害図書排除における「無垢な子ども」というレトリックに着目した社会構築主義的アプローチ(中河・永井ほか1993; 中河1999; 赤川2012ほか)や、都青少年健全育成条例改正論争を事例としたディベート研究(佐藤 2016)等の成果が存在する。これに対して本研究は、敗戦直後に「悪書」という概念が言説レベルでいかに発見され、それが「社会問題」化されたのかを論じるものである。

2.方法 以上の問題意識のもと、1946年から1960年にかけての新聞、雑誌のほか、「母の会」の記録、国会議事録を分析対象とし、「悪書追放」というアジェンダセッティングが登場する背景、およびそれが正当性を獲得していく背景について検討をおこなった。

3.結果 「悪書」が“発見”された背景には、敗戦直後に生じた「ヒロポン(覚醒剤)」の氾濫と青少年犯罪言説との結びつきが存在した。戦時下に軍需品として大量生産され「眠気と倦怠除去に」の謳い文句で新聞広告の常連であったヒロポンは、敗戦後、闇市を通じて市中へ流出し、多くの中毒者を生んだ。1949年にはヒロポン禍という言葉も登場し、同年10月には常用者の六割が子どもとなり、若年層に実害をもたらしていた。こうした背景のもと「不良出版/悪書」は「覚醒剤」とともに「絶滅すべきもの」(鳩山一郎の発言)という共通のカテゴリーに包含され、少年犯罪を誘発するものとして強調されるなかで“発見”されたことが明らかとなった。

4. 結論 1955年頃、「悪書」や「不良出版」として名指されたのは赤本漫画やエログロ雑誌(カストリ雑誌から夫婦雑誌まで)であった。こうした個別の媒体がテクスト(内容)から遊離したところで「悪書」という新たなカテゴリーに包摂されていく過程は、同時に(しばしば母親による焚書という形で顕在化した)婦人運動を正当化しただけでなく、1964年の都条例制定に至る政府の動きを下支えすることとなったのである。

文献: 赤川学, 2012, 『社会問題の社会学』弘文堂 長岡義幸, 2010, 『マンガはなぜ規制されるのか 「有害」をめぐる半世紀の攻防』平凡社新書 中河伸俊, 1999, 『社会問題の社会学――構築主義アプローチの新展開』世界思想社 中河伸俊・永井良和 編, 1993, 『子どもというレトリック 無垢の誘惑』青弓社 佐藤寿昭, 2016, 「「社会問題」の論争における「リンク・ターン」の特徴と作用」『情報学研究』91: 13-30.