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【追記有り】「この国の科学をあるべき、正しい道に導く」

国立大学が研究崩壊の道へと突き進んでいると話題になっていますが、そのベースにあるのが鈴鹿医療科学大学学長の解析です。研究のアウトプットの多さの指標としての論文数や高インパクトの論文数が、大学研究従事者数もしくはそれに高い相関を示す公的大学研究開発資金(人件費)もしくは政府支出研究開発資金の線形モデルで説明可能だということです。政府支出研究開発資金の削減は研究アウトプット数の低下に直結するというのです。この相関関係と因果関係との関係は今後議論を呼ぶでしょう。さて線形モデルは非常に考察しやすいので、昨今の「選択と集中」が何故まずいのかを高校数学で議論してみましょう。

 

本来選択されるべき「優秀な」研究従事者の人件費をL1、そうでない側をL2とします。モデルが線形なので、論文数をMとしてL1に対する比例定数をaL2に対する比例定数をbとすると、M = aL1 + bL2 + Ca > 0, b > 0, Cは定数)で表せます。ここで人件費総額をL1 + L2 = Lとすると、この資料8ページよりdL/dt > 0であることが分かります。この資料9ページからここ10年程はdM/dt = (a- b)dL1/dt + bdL/dt≤ 0となっています。「優秀な」方を優秀にする為にはa > bなので dL1/dt < 0となり、実際のデータからは「優秀な」研究者の人件費が削られ、そうでない研究者の人件費が増えていると解釈できるのです。研究者の能力が落ちて来ていてa, bが下がって来ている可能性も無きにしも非ずですが、その影響が年単位で現れるほど研究者の世代交代は早くないでしょう。研究者間に能力の差異がないa = bの状態だと矛盾が起こるので研究者間の能力には何らかの差異があることは確かです。

 

8年前から行われている「選択と集中」は適切に行われれば人件費を均等に与えるよりも研究のアウトプットは高くなるでしょう。しかし現在の状況は出来ない方の研究者に選択的に投資をしていて、以前のように研究費を比較的均等に与えるよりも却って悪い結果となっているとしか考えられません。研究費の配分者は全く目利きではありませんし、これが「この国の科学をあるべき、正しい道に導く」と述べた文部科学省の政策の成果なのは、何ともブラックユーモアが効いています。

 

モデルが線形なら解析は簡単なので、今からでも遅くはないので文部科学省のようにデータへのアクセスが容易な部署は研究者のコミュニティをいろいろな切り口で割ってみて、どこに投資すれば効果的なのか、それが実証的に分からない限りは「選択と集中」でなく均等に研究費を与えるべきでしょうね。研究の「目利き」がいないのは、対処が難しいと思うので。

 

【追記】a, bを下げる要因として、大学の法人化によって雑務が増えたということも考えられます。この資料の2ページによると確かに私立大学以外の大学の論文数は「選択と集中」後に全体的に減る一方、施設等機関や企業ではもともと減り続けていたことが分かるのですが、独法も「選択と集中」後に減っているのはそれだけでは説明出来ないことを補足しておきます。ちなみに国際化が遅れているという意見は、論文数と国際共著率には0.1程度の相関しかないのでありえないと思われます。