2015年12月30日
朱子の「情」
大学教育研究紀要
- 巻
- 号
- 11
- 開始ページ
- 55
- 終了ページ
- 74
- 記述言語
- 日本語
- 掲載種別
- 研究論文(大学,研究機関等紀要)
- DOI
- 10.18926/54536
- 出版者・発行元
- 岡山大学グローバル・パートナーズ, 岡山大学教育開発センター, 岡山大学言語教育センター, 岡山大学キャリア開発センター
本稿では、朱子のいう「情」についてできるだけ深く掘り下げて再検討することを試みる。 「天地の情」は、自然界の、「公正無私、健やか、和やか」といった性格と気の働きとの両義を併せ持つものである。つまり、自然界のあらゆる自然現象や自然物は皆、「公正無私、健やか、和やか」といった性格を持つ気の働きによって作り出されたものである。「公正無私、健やか、和やか」という性格は、「天地の心」が無生物や生物や人間に賦与されることに伴ってそれらの物体にも備わるのである。 「物の情」は、物体のその自身の性質を現す働きである。「草木禽獣の情」は、「五常の性」から発生した原初的「情」と、原初的「情」が具体的な物に対して向かうことによって生じた志向的情感、及び知覚、といった内面的な働きである。 「人の情」には、「本然の性」から発生した「四端」と「気質の性」から発生した「七情」の二種類がある。「四端」は原初的「情」であり、「七情」はその一部分が原初的「情」となって現れる。原初的「情」の働き方によって生じた幾つかの異なる心の働きが派生的「情」であり、派生的「情」には「意」「志」「知」「思慮」などといった要素が含まれている。 「意」と「志」はともに志向的情感であるが、その性格は「志は剛、意は柔」のように正反対であり、意欲、作用、忖度、感応が「意」の具体的な内容である。「知」はつまり「知覚」または「知識」であり、「知覚」は、神経感覚・器官感覚・生命感覚・道徳感覚を意味し、「知識」は認識や見識を意味する。「思慮」はつまり「思」であり、思惟・思索を意味し、派生的「情」においては枢要な働きを担うものであるが、不善を生ずるものと認識されている。
- リンク情報
- ID情報
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- DOI : 10.18926/54536
- ISSN : 1881-5952
- CiNii Articles ID : 120005838014
- CiNii Books ID : AA12114090