論文

査読有り 筆頭著者 本文へのリンクあり
2020年3月

第二次世界大戦期の英領黄金海岸植民地における「日本人」抑留者に関する実態調査

明治大学人文科学研究所紀要
  • 溝辺泰雄

87
開始ページ
157
終了ページ
194
記述言語
日本語
掲載種別
研究論文(大学,研究機関等紀要)

本稿は、筆者が西アフリカ・ガーナ共和国においてその存在を確認した、第二次世界大戦期の英領黄金海岸植民地(現在のガーナ共和国・以下、イギリス領ゴールドコースト植民地とする【図1】)に抑留された3名の「日本人」抑留者に関する文書群を手掛かりに、「敵国民」として逮捕・抑留された「日本人(日本国籍保有の)民間抑留者」に関する基礎的情報(人数、属性、処遇等)を収集し、その実態を明らかにすることを目指して実施された2年間の人文科学研究所個人研究(第1種)(以下、本研究とする) の成果報告である 。
報告者は平成21(2009)年以降、第二次大戦期を中心とする20世紀中葉の日本アフリカ交渉史にかんする研究 をおこなってきた。研究当初は、イギリス領ゴールドコースト植民地で編集・発行されていた新聞を中心とした現地メディアに表出する「第二次世界大戦」と「日本」について検討を行い、その後、第二次大戦期のアフリカの現地メディアと植民地当局との関係について、特に当局による検閲の問題に焦点を当て、現地公文書館における関連文書の収集及びそれら文書の検証作業を継続してきた。
この過程のなかで、ガーナ国立公文書館アクラ本館における史資料調査において筆者は一群の文書ファイルの存在を確認するに至った。「戦時における敵国民の処遇について(Treatment of Enemy Aliens in Time of War)」と題された植民地行政局関連のファイル群の中に「日本人抑留者(Japanese Internees)」という語を含むファイルが3綴存在していたのである(PRAAD[Accra], CSO23/2/11-13)。「日本人抑留者1941-42年」、「日本人抑留者からの手紙に関する諸指示 1942年」および「抑留者に関する詳細事項 1942-45年」と題された3綴の文書群が言及している「日本人」抑留者は計3名で、いずれの文書にも同じ3名の「日本人」に関する報告等が記載されている。主たる内容は、3名の経歴、収容所の環境、および、3名の処遇に関する植民地政府担当者間の連絡などである。
上記文書群の記載内容によると、3名の「日本人」はイギリス国籍の運搬船「スターストーン」号の乗組員として勤務していたが、同船が西アフリカのイギリス領ゴールドコースト西部の港湾都市(タコラディ)に停泊中の1941年12月9日、現地当局に「敵国民」として逮捕・拘束された。翌10日、彼らはタコラティ東隣のセコンディにある中央刑務所に移送され、「抑留者」(後に「戦争捕虜」)として勾留されることになった。
見慣れないアジア系の抑留者を迎えた植民地当局及び刑務所の関係者らは、与える食事などについて戸惑いを見せつつも、少なくとも表向きは当時の戦時国際法に則ってこの3名の「日本人捕虜」を処遇した。さらにこれらの文書には、「日本人」抑留者3名の氏名や出身地(3名中2名は朝鮮半島出身と記載されているため本申請書では鉤括弧を付して「日本人」と表記している)、経歴等に加え、彼らの処遇をめぐっての植民地当局内の各部局(行政局、情報局、刑務所等)間の詳細なやりとりが掲載されている。しかし、彼らに関する記録は1942年7月に軍に身柄が移されたとの記載をもって途絶えており、その後の彼らの消息についてはこれまでのところ確認ができていない。
日本アフリカ交渉史研究は、人的文化的交流 や政治経済関係 、邦語出版物における表象分析、芸術 などの分野に関して、これまでに一定の蓄積がなされてきている。しかし、第二次世界大戦期の西アフリカにおける「日本人」の存在はいずれの研究においても言及されていない。また、当時のイギリス領ゴールドコースト植民地の公文書および英国議会文書掲載の出入国統計においても、日本人の公式な記録は1939年以降途絶えている。そうした状況から、従来の日本アフリカ交渉史研究において、第二次大戦期のアフリカに存在した「日本人」を具体的に扱った研究は存在していないだけでなく、第二次大戦期の日本人民間抑留者に関する研究でもアフリカの事例は取り扱われていない。さらに、第二次世界大戦期の日本人民間抑留者に関する研究は、北米の事例を除くとインド やオーストラリア 、ニューカレドニア における事例を取り上げた諸研究が存在するが、アフリカの事例を扱った研究はこれまでにおこなわれていない 。それゆえ、上記3名の「日本人」民間抑留者に関する事例研究は、日本アフリカ交渉史研究および日本人民間抑留者に関する研究に新たな歴史的事実を提示するものである。
そこで本稿は、上記文書群の内容から判断される限り実際に存在した可能性が極めて高いと考えられる、第二次大戦期のアフリカにおける「日本人」民間抑留者について、上記文書群に記載された3名の「日本人」民間抑留者に関する個別事例の詳細を、本研究中にガーナ国立公文書館アクラ本館・セコンディ分館およびイギリスの大英図書館およびタイン・アンド・ウェア州文書館で実施した資料調査で得られた情報と合わせて検討し、第二次世界大戦期のイギリス領西アフリカ植民地(ゴールドコースト植民地)における「日本人」抑留者の実態について、現時点で確認できた情報を整理することとしたい。
そのために、まず次節において、第二次世界大戦の勃発、さらには太平洋戦争の開戦によってアフリカとの経済関係が断絶した後に起こった、イギリス領ゴールドコースト植民地での3名の「日本人」の抑留の経緯を概観する。その際、植民地当局が3名をどのように処遇したのかについて、本期間中に得られた公文書の記録から抽出することができた、(1) 勾留中に供与されるべき食事に関する植民地当局内のやり取り、(2) 3名の抑留状況に関する本国植民地相からの照会とそれへの対応、(3)日英交換船運行に際しての郵便送付許可に関するやり取り、そして、(4) 抑留者収容所解体に伴う植民地部局間の情報交換、をそれぞれ整理する。その上で、先行研究に依拠しながら、(1) 戦間期のイギリスにおける日本人移民の実態と、(2) 戦時中の日本人民間人抑留者をめぐる日本・イギリス両政府による対応を概観し、それらの情報に基づいて、3名の「日本人」抑留者の属性について現時点での暫定的な検証を加える。さらに本稿末尾には、附録として、筆者がガーナ 国立公文書館アクラ本館 において書写および複写によって収集した、イギリス領ゴールドコースト植民地に抑留者された3名の「日本人」抑留者に関連する史料の原文を、氏名等一部変更した上で掲載する。

リンク情報
共同研究・競争的資金等の研究課題
第二次世界大戦に関する新たな視座構築を目指した日本=アフリカ間の双方向的研究
共同研究・競争的資金等の研究課題
「アフリカから見た第二次世界大戦期の日本」研究の構築に向けた基礎的研究
URL
https://www.meiji.ac.jp/jinbun/publish/6t5h7p0000012kwk-att/jinbunkiyou_87.pdf 本文へのリンクあり

エクスポート
BibTeX RIS