研究ブログ

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「利益相反を直視する」

昨日(2014.5.27)政府が提示した、原子力規制委員会の次期人事案に関連して、「利益相反問題」について昨年の『科学』11月号「科学時評」に執筆した論説を公開します。
(編集部の承諾は得ています)

掲載時には2ページという紙幅の都合で入れられなかった情報も、いくつか補足しておきます。また、関連する情報やコメントをぼちぼち加えていきたいと思います(ただし時間があれば…)

なお、この論説はあくまで利益相反問題を考える上で押さえるべき「原則」が何であるかを考えたもので、「ではどうするのか」という具体論は視野に入れていません。具体的な方策としては、明確な法規制(ハードロー)から、ガイドラインや自主規制など(ソフトロー)まで多様なやり方があり、現実にはそれらの組み合わせで対処していくものになるでしょうが(欧米の事例を見てもハードローとソフトローのせめぎ合い)、残念ながら日本ではまだ、そうしたテクニカルな議論以前に共有すべきものがあると考えたのが本稿の執筆意図だということです。

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 利益相反を直視する

   尾内隆之(流通経済大学法学部)

  福島第一原発事故の後,利益相反Conflict of Interest)の問題がクローズアップされるようになった。利益相反とは,ある個人(ないし団体)が複数の利害関係を持つときに,そのいずれかの利益を守ろうとする行為がそれ以外の利益を損なう状態をいう。法律用語としては古くからあることばだが,科学研究において問題化したのは比較的新しく,日本ではとりわけ目配りが遅れてきた。

 日本学術会議は “3.11” 後の科学をめぐる諸問題の顕在化を受けて,「科学者の行動規範」を2013年1月25日付で改訂したが,そこでは小さいながらも重要な変更がなされている。「改訂版」で「Ⅳ 法令の遵守など」の最後におかれた「(利益相反)16」は,「科学者は,自らの研究,審査,評価,判断,科学的助言などにおいて,個人と組織,あるいは異なる組織間の利益の衝突に十分に注意を払い,公共性に配慮しつつ適切に対応する」(下線筆者)となり,「科学的助言」が利益相反行為の対象として明記されたのである。これは,例えば原子力の安全対策を担ってきた専門家の利益相反が,深刻な事故を招いた一つの要因であったとの評価によるものだろう。実際,福島第一原発事故時の原子力安全委員会で委員および非常勤の審査委員を務めていた89人のうち,班目委員長を含む24人が原子力関連の企業・団体から寄付(奨学寄付)を受け取っており,国や事業者を指導する安全委の中立性が疑問視されていた[1]。また,事故を受けて原子力政策を検討していた原子力委員会の新大綱策定会議でも,原子力を専門とする3人の委員がみな同様の寄付を受け取っており,「原発事故後も安全を強調」といった見出しとともに報じられている[2]

 利益相反の問題は,個人の利害の代理を職務とする専門職(弁護士や投資コンサルタントなど)においては,以前から厳しく問われ,議論が積み重ねられてきた。国立国会図書館データベースで「利益相反」をキーワードに雑誌記事を検索すると,それらの分野の論考が圧倒的に多い。他方,科学の領域では,1990年代の産学連携の広がりと応用研究の展開を受けて,医学研究を中心に検討が始まったばかりである。

 科学研究の利益相反に関しては,研究者自身も社会も,依然として認識が甘くなりがちと思われる。クライアントの金銭的利益を直接損ねる業務とは違い,科学研究において,対象となる「利益」が研究者自身ではなく社会のため,公共のためのものだと説明することは難しくない(医学研究では患者の健康という明確な利益があるが)。そこに素人にはわからない高度な専門性という要素が加わることで,「寄付は受けたが便宜はいっさい図っていない」「安全審査にはまったく影響しない」「専門の立場から中立な意見を述べてきた」といった弁明が通用してきたのであろう[3]

 では,そうした中立性は本当に確保されるのか。2007年に,タミフルの服用と異常行動との関連性を検証した厚労省研究班で,委員の大学教授に利益相反が発覚して社会問題化したが,それを受けて厚労省が「薬事・食品衛生審議会」の利益相反対応に関して実施したアンケート調査によると,回答した研究者の2割が,製薬会社から奨学寄付等を受けると各種判断に「バイアスが生じる」と考えていた[4]。実態としては,バイアスが生じても研究者自身がそれを自覚していない場合もあろうし,なお自分は中立であると言い聞かせる心理的機制もはたらくと思われる。

 しかし,利益相反を考える上でさらに重要なことは,そうしたバイアスが実際に生じるかどうかではない。問題は,実際にいずれかの利益を損ねたか否かという以前に,利益相反行為だと第三者の目から判断されることである。だからこそ,早くから産学連携が進んだ諸外国の利益相反マネジメントでは,まずは利益相反に関わる情報を可能な限り開示するよう求められ,授受される金銭の額や兼職等に関わる職務規定が細かく定められる。利益相反とは,実際に利益の毀損が生じる前に,まずは見た目によってチェックされる必要があるのだ。対して日本では,実際に「癒着」があったかどうかといった実害のチェックにとどまってきた。(※掲載記事では下線は傍点)

 さらに言えば,問題となる利益とは,金銭的利益のみに限られない。利益相反を問うことの本来的な意義とは,ある人にとっての第一の利益(例えば科学における真理の探究)を副次的な利益(例えば出世や学界における名声,学界・業界の維持と発展等々)が蝕んでしまうことへの懸念にある[5]。あるいは,患者にとってより安全な治療法と,医学上の関心から研究者として試みたい治療法との選択といった形で現れるように,学問的探究心すら利益相反につながるケースもある。前者の場合,「副次的な利益」を必ずしも悪とは言えないし(だれもが持つ利益ではある),後者の場合は,第一の利益とは何かという葛藤だと言い換えることもできる。

 くわえて,「真理の探究」と,いまただちに必要とされる種々の判断に「真理」が存在することとは,別の話である。“3.11” を通して見えてきたリスク問題の科学的な不定性と,それゆえに用いられる相場感覚的な「工学的判断」等は,「科学」と社会における多様な利益とが交錯することを意味している。こうした「決まらなさ」も,利益相反の問題とつながりがある。

 それゆえ,利益相反の完全な排除が不可能であることもまた事実である。そのことを念頭に置くと,クライアントから,第三者から,そして公共政策問題であれば社会全体から,研究者自身のスタンスと判断の妥当性を認めてもらうためには,まずは徹底した形式的ルールの遵守によって利益相反を管理していくしかない。つまり,研究者が「わたしは中立だ」といくら宣言したところで,社会的にはほとんど意味をなさないことが理解される。その種の言い訳が通用するとしたら,「科学者の行動規範」の利益相反条項が配慮の対象とする「公共性」の中身が一義的に定まっている場合のみである。例えばそれは,「国策」としての原子力の必要性や安全対策の妥当性が社会から完全に支持されている場合であろう。そのような状況にないことは,もはや言うまでもない(これまでもそうだったはずだが)

 そもそも,政府による政策推進と,研究者の研究上の利益がそのまま重なっている状態で,本来ならば政策の方向性について異論や対案を踏まえて議論するための審議会(などの会議体)が,利益相反のある専門家に支配されることは異常であり,その政策過程そのものが「公共性」を疑われてよい。利益相反を厳しく問うと専門知を提供する研究者がいなくなる,といった反論はそこで必ず出てくるが,政策が視野の狭隘なコミュニティしかその支えとして持てないのであれば,少なくともそれに見合った規模にいったん縮小することが合理的な判断だと思われる。

 いまや,専門知を通して社会と関わる研究者の各人が「公共性」なるものをどのようにとらえているかが,市民から吟味されている。深刻な危機をもたらした従来の対応に異議が唱えられている以上,研究者は自らすすんで,利益相反に関する情報を開示し,民主的な議論の形成を求めてしかるべきである。■

 


[1] 朝日新聞201211日付

[2] 朝日新聞201226日付

[3] いずれも注12の新聞記事において原子力の専門家の発言として紹介されたものである。

※ちなみに、

 [1]の記事の見出しは「安全委24人に8500万円」、 [2]の記事の見出しは「原子力業界、1800万円寄付 新大綱策定3委員に」および「原発事故後も安全強調 原子力委議事録 寄付受けた教授」。

 [2]には、取材に答えた田中知氏の「研究のために受けている。寄付で、策定会議などでの発言が影響されてはいけないという意識がかえって高まる」という不可思議なコメントが掲載されている。

※新聞記事が発言を忠実に掲載しているとは限らない点に注意が必要なことは、言うまでもありません。


[4]「薬事・食品衛生審議会における「審議参加に関する遵守事項」の運用上の課題に関する研究,平成20年度総括研究報告書」(研究代表:長谷川隆一氏)による。

※本ブログ用に、上記の報告書を掲載のURLを補足します。
厚生労働科学研究データベース↓
http://mhlw-grants.niph.go.jp/niph/search/NIDD00.do?resrchNum=200838080A


[5] 日本学術会議副会長を務められた唐木英明氏は,利益相反を「真理を追究するという研究者の使命が,それ以外の利益に妥協してしまうこと」と定義している。「科学の不正と利益相反」,日本薬理学雑誌,2007, 130-4, p.275

※唐木氏のこの論説も下記のウェブサイトにて閲覧できます。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj/130/4/130_4_275/_article/-char/ja/



『科学』2013年11月号(岩波書店)に初出


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★ここまでひとまず 2014.5.28 記
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