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ネイチャー・ストーリーズ

山極壽一先生も京都大学総長に選出されたことですし、今回は山極先生の著書『サルと歩いた屋久島』(山と渓谷社)について過去に紹介した文章をupします。山極先生には屋久島フィールドワーク講座でお世話になりました。山極先生との関係を語る上でニシゴリラでもヒガシゴリラでもなくニホンザルが出て来るのは、一般的ではなくとも自然な流れであることを今から示します。

 

屋久島にはヤクシマザル・ヤクシカと呼ばれるニホンザル・ニホンジカの亜種が生息しています。どちらも本土の物に比べて体が小さいのが特徴です。近縁な生物が低緯度地方に行く程体が小さくなる事はベルクマンの法則と呼ばれています。屋久島は海岸部の亜熱帯照葉樹林移行帯から照葉樹林帯・ヤクスギ林帯を経て山頂部の風衝低木林帯まで植物相の垂直分布が残されていることが世界自然遺産に登録された主な根拠ですが、その連続した植生の中でヤクシマザルは連続分布することが出来ています。餌付けされたサルの群れとは異なり、ヤクシマザルの群れは小さくて群れ間の対立が激しいようです。そして群れの分裂・消滅・乗っ取りも頻繁に起こっています。ニホンザルの群れは母方の家系から構成される母系集団なのですが、群れの分裂・乗っ取りは群れ内オスがメスと交尾を盛んに行った後オスとメスが親和化して交尾が何故か回避されるようになり、メスが群れ外オスと交尾を盛んに行うようになって群れ外オスを惹き付けて起こるようです。交尾が回避されるようになるとオスは群れを出ることが多いのですが、これは近親交配の回避によるものとする説もあるようです。群れサイズの下限は群れ間競合で遊動域が小さくなって栄養不足とストレスで死亡率が高くならないようにすること、群れサイズの上限はあまり群れが大きくなり過ぎて血縁メスが分派行動を採ることで決まるようです。このことは群れ内の争いに依る採食のし難さと関係があるようです。このようにニホンザルの群れの構成はメスに主導される部分が大きいようです。屋久島のニホンザルの群れサイズは他の地域のニホンザルのものよりも小さいのですが、それは良質な食物が高密度で得られる為に上記の群れサイズを決める因子のバランスが異なる為でしょう。屋久島でもニホンザルに依る農作物への被害が大きいのですが、これは伐採により植生が変化してニホンザルの食物の果実・葉・昆虫などが少なくなってニホンザルが人里まで降りて来るようになった結果だと解釈されています。

 

『サルと歩いた屋久島』を読んでいて一番印象に残ったのは次の部分です。

 

西部林道で行われたヤクシマザルの観察会にも、農家の人たちが何人か参加してくれた。いつも自分たちの作物を荒らす、にっくきサルたちが、人間の存在など無視して、自然の食物を自由に食べているさまを間近に見て、人々はびっくりしたようだ。私たちが弁当を広げても、サルたちは見向きもしない。サルと人は、互いに領分を守って共存することもできるのである、それを私たちは、サルのすむ森で実現できた。今度はどうやって人里で実現するかである。それにはたぶん、野生動物に対する考え方を根本から変える必要があるだろう、と私は思った。

 

ヒトとサルがヒトとヒトとの間と同じようにコミュニケーションをとるのは中々難しいものです。ヒトに依る森の伐採がサルを人里まで降ろして来たかも知れないこと、サルに農作物の味を知らせないことはコミュニケーションの難しい二者の「沈黙」を介した、お互いの領分を守った新たなコミュニケーションの形なのだと思います。そう言った新しいコミュニケーションの形を探る為にも、ヒトが自然をよく理解することが大切なのだと思います。

 

最後に山極先生の仰るフィールドワークに必要な五つの能力を挙げておきます。これは「研究」を「自分のしたいこと」に置き換えれば何をする上でも必要な能力だと思うので。

 

一、どんな環境でも、自分の健康と平常心を保つ自己管理の能力

一、自分が研究しようとした対象に語らせる能力

一、五感を用いて得た結果を記録する能力

一、記録や経験をもとに何が面白いのか考える能力

一、それをわかりやすく他人に語る能力

 

 

 

ここで、京都大学霊長類研究所の湯本貴和先生と横浜国立大学の松田裕之先生の共編著『世界遺産をシカが喰う シカと森の生態学』(文一総合出版社)の紹介もしようと思います。湯本先生にも屋久島フィールドワーク講座でお世話になりました。

 

昔の日本はムラ・ノラ・ヤマ・モリからなる四重同心円構造をしていました。即ちムラが集落、ノラが耕地、ヤマが里山でモリが奥山=カミの地でした。モリはヤマビトが時々入るだけの神聖な地でした。またヤマビトはモリでは普段と異なるマタギことばを使っていました。モリのさらに外側には原生的自然があり、完全なカミの世界で行者や山伏しか足を踏み入れませんでした。このようにヤマやモリが原生的自然に対して緩衝林=バッファーゾーンとして存在していたことは、現在の自然保護の方策にも通ずるものがあります。

 

環境省では生物多様性に関して日本の自然が抱える諸問題は第一の危機「開発や乱獲による生物種の絶滅や脆弱な生態系への悪影響」、第二の危機「農山村での人間活動の縮小と生活スタイルの変化に伴う耕作放棄地の拡大や里山生態系の崩壊」、第三の危機「移入種による在来生態系の変容」があるとしています。第一の危機に対しては保護区の囲い込み、第二の危機に対しては文化の保存、第三の危機に対しては移入種の駆除で対抗するとしています。第二の危機がなぜ危機なのかは分かりにくい方もおられると思います。例えばシカ害で考えればシカの増加によりササ・ウグイス・コルリ・コマドリ・土壌動物・ウラジロモミ・アオダモ・ブナが減ってしまい、タマバエ・カミキリムシ・キクイムシ・キツツキ・リス・モモンガ・シジュウカラ・ゴジュウカラ・地表節足動物がある程度のシカ密度増加までは増えるという大台ケ原での野外実験があります。ところがシカが全く居なくなってしまうとササの増加により樹木の実生が育たなくなり、全くいなくなってしまうことも生物多様性の保護の視点からは問題です。そこでシカの駆除とササの刈り取りのバランスを取れば、多様性が程よく保存されるであろうと予測されています。このように森に人手が入ることで森が逆に豊かになる場合もあり、そういった里山を扱う文化が自然との共生を目指すためにも優れたものであり、文化的価値が高いと考えられます。

 

シカの活動により高山帯では高山植物の減少、森林ではシカの不嗜好植物の増加と森林の後継樹の減少に依る森林の草原化など様々なインパクトが生態系に与えられ、農作物の被害とともにシカ害と考えられています。屋久島でもシカの目撃率の変化の少ないモッチョム農道では植生があまり変化していませんが、目撃率が増加した西部林道や白谷林道では植生に変化が生じています。またシカは過密化すると小型化して採食効率はさらに高まりますが、繁殖力は減らないため個体数のコントロールの面ではとてもやっかいな存在です。日本でシカが近年増加した原因としては、温暖化に依る冬期死亡率の減少、林道・草地切開による行動域の拡大、針葉樹林の造林による食物の増加、狩猟圧の低下などが考えられています。シカには物質的資源、加害獣、霊的精神活動の対象(宮崎駿『もののけ姫』にも出てきました)、生態系の構成要素としての側面があり、シカ害が増えているとされている現代においてヒトが上手く付き合っていかないといけない生物です。シカの個体数は放置しても積雪の影響などにより非定常で予測も不確実なものしか出来ず、シカの駆除と保護をするための合意形成も難しいのが現状です。しかし科学的な証拠が不十分でも実際の自然における問題として放置してはおけない問題であります。こういった類いの問題に対する為にはさらなる研究とシミュレーションに基づいたシカの増加要因の解明と個体数のコントロールも必要ですし、個々人が生態系のことをもっと詳しく知ることも大切です。その為には日本国内で国や企業の援助に依る自然史博物館の充実や、自然探索の文化の普及と優秀なガイドの育成なども必要になってくるでしょう。こういった対策は直には結果の出難いものですが、是非進めて行って欲しいものです。

 

サルと歩いた屋久島 (ネイチャー・ストーリーズ)
山極 寿一
山と溪谷社(2006/03/01)
値段:¥ 1,620


世界遺産をシカが喰う シカと森の生態学
文一総合出版(2006/03)
値段:¥ 2,592