研究ブログ

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研究室のセーファースペース・ポリシーづくりをはじめてみる

※自分のはてなブログからの転載

 

『フィルカル Vol. 8 No. 2』の「シリーズ(!) 哲学とセーファースペース」に掲載されている稲原美苗さんとWOMEN:WOVENの坂本美理さん竹内彩也花さん、槇野沙央理さんの「「女性」で「多様」な哲学者たちの往復書簡」がとてもよかったのと、少人数の勉強会で、前号に山本和則さんと寄稿した「「哲学対話」とセーファースペース」を読書会してもらう機会があり、あらためて自分のいまいる場所をセ―ファーにしていくためになにができるかなと思って、勢いで(ほとんど使ったことないcanvaを開いて)作ってみた。

 

この研究室を今よりも居心地の良い場所にするための セーファースペース・ポリシーこの研究室を今よりも居心地の良い場所にするための セーファースペース・ポリシー

この研究室を今よりも居心地の良い場所にするための セーファースペース・ポリシー

 

高専に勤める私の場合は、研究室といっても、所属学生さんがいるわけではなくて、主に、哲学対話愛好会の活動のときに数名の学生さんが集って哲学対話をしたり、研究や実践の補助をしてもらう学生さんと打ち合わせをしたり、あとは試験前に質問を受け付けたり、そういう用途が主になっている。いま、そこで行われるやりとりに、すごく問題を感じているというわけではないけれど、それでも、やはりヒヤッとするやりとりもあるし、気づかないうちに居心地を悪くしている人もいるかもしれない。

高専の学生からすると、ちょっとビクッとする、というか、逆に敷居を高くさせてしまうかもしれないと思いつつ、ver. 1として作ってみた。作ってみると、いわゆる哲学対話のルール、のようなものよりも、こういうものがまず必要な気がやはりしてくる。

印刷して、研究室のなかの見えるところに貼っておいて、今度学生さんたちにどう思うか、聞いてみようと思う。

 


※作成にあたって参考にさせていただいたもの
・Osaka Zine「Safer Space Policy 安全安心な場づくりのために〜セーファースペースポリシー」(2023年3月16日)https://twitter.com/ozdfest/status/1636225505124044800(以降の連続する投稿も含む)

・[Lecture & Workshop]セーファースペースとしてのジン・コミュニティをつくる

http://www.arsvi.com/2010/20190526mk.htm

・MAP UKによるセーファースペース・ポリシーとその解題の翻訳

https://docs.google.com/document/d/e/2PACX-1vTrl2SQ5GrMxTmZgR3qMA6Pcp11onJgqb6j-4xqEh0g2_nFRnx-c_jgRtPsOycWGG-MsYIcXh-WFNZx/pub

 

 

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哲学とセーファースペース(Safer space policy/ Inclusion policy by MAP UK)

※自分のはてなブログからの基本転載

 

哲学がしたい人のためのセーファースペースが必要だ


哲学したいと思う人たちが理不尽に排除されたり、「ここは自分のいる場所じゃない」と思って立ち去らなくてよいようになっていてほしい。

私は最近このような問題意識をもっているのですが、そのような考えに至った直接の背景に、Minorities & Philosophy イギリス支部(MAP UK)が作成された「Safer space policy/ Inclusion policy」(2021年3月バージョン)と、そのホームページの中にあるブログで、Rosa VinceさんとAnna V. Klieberさんによって書かれた記事「Safer Spaces: why, what, and how」があります。

 

一緒に勉強会をしていた方に紹介をしてもらって、知るに至り、みんなで翻訳をし、昨年秋に公開はしていたのだけれど、現状、「哲学 セーファースペース」とググってもあまりうまく引っかからないので、ブログにもまとめておきます。

訳文はこちらから

MAP UKによるセーファースペース・ポリシーとその解題の翻訳

英文との対訳版もあります。

【対訳版】MAP UKによるセーファースペース・ポリシーとその解題の翻訳

セーファースペース構築の取組自体が日本ではまだまだ少しずつしか認知されていないのだけど、それを特に哲学を専攻する方々が、哲学をする環境にフォーカスしてポリシーを作り、そしてポリシーよりも長く(!)、丁寧なブログ記事まで書かれていることに感銘と刺激を受けています。

ポリシーでは特に英語圏の大学や学会など主にアカデミックな空間が念頭に置かれているけれど、哲学対話などの取組も含めた日本の哲学をめぐる環境にも通底する課題があることにも、文章を読む中で改めて気づき、自分でも言語化できるようになりつつあるような気がします。

 

そもそもセーファースペースとはなにか


セーファースペースの説明の仕方もいろいろあるようで、たとえば哲学に限定しない文脈だと、堅田香緒里さんによる「差別や抑圧、あるいはハラスメントや暴力といった問題を、可能な限り最小化するためのアイディアの一つで、『より安全な空間』を作る試み」であり、これまで「その声を聞き取られてこなかった人」「存在しないことにされてきた人」そして「忘却されてきた人」たちのための空間であるという説明がわかりやすいです(堅田香緒里(2021)『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』タバブックス.)。

そのうえで、ポリシー内では次のように「アクセス」という言葉で説明されています。

私たちが考える「セーファースペース」とは、可能なかぎり、だれもがアクセスしやすい場のことである。つまり、だれもが他者化されたり威圧されたりするような目にあうことなく敬意あるやりかたで意見交換できるようになっており、それゆえ自分が周縁化されたグループに属していることが理由でセーフだとか歓迎されているだとかがあまり感じられない、ということがない場だ。セーフな場は私たちが近づこうとすべき理想ではあるけれど、現状として、一部の人たちにとってはある場が完全にセーフになるなんてあり得ないことなのだと、私たちは認識しておかないといけない。それでも、「セーファースペース」というポリシーはこの理想に近づくためのガイドラインとして機能するだろう。

セーフの訳語は難しくて、安心や安全という定番の訳語を当てるのは今回は控えることになりました。むしろ「大丈夫だと思える」とか「ここにいてもよいと思える」みたいな感じに近いかもしれない(哲学対話でもsafetyという訳語はしばしば問題になる。たとえば、永井玲衣さんの次の論考なども参考になる。https://www.toyokan.co.jp/a/blog/taiwa02)。

 

なぜ哲学する人のためのセーファースペース・ポリシーがほとんど存在しないのか

文章全体については英語でも日本語でもよいので、直接触れていただきたいのだけれど、記事のなかから「こうしたポリシーが、すでに至るところで見られるようになっていないのは、なぜなんだろう?」という問いについて述べられている箇所について少し紹介してみたいと思います。

VinceさんとKlieberさんは、哲学系イベントのためのセーファースペース(やインクルージョン)ポリシーがまだまだ少ないことについて、その理由を3点述べています。

 

第一の理由は、ポリシーを必要として、実際に作る作業を担う可能性が高い人は、たいてい最も時間のない人たちだ、というものです。要するに大学院生や若手教員です。年配の(権威や安定した職をもつ)教員は、そもそも自分の居場所を脅かされる経験が少ないため、ポリシーの必要性を実感することも、それについて考える機会も少ないと書かれています。

こうしたポリシーは、それを最も必要とする人たちがつくることになりがちで(だって、他にだれがやろうとしてくれる?)、だからたいていは最も周縁化された大学院生によって書かれるのだが、そうした人たちは最も時間がないことが多い。もしあなたがすでにいくつかの平等や多様性に関する委員を務めていて、収入のために副業をしていて、障害ともつきあっていっているのだとしたら、会議で自分のような人がセーファーに過ごせるポリシーを書くところまで手を回す十分な時間なんて、大抵ないだろう。

第二に、ポリシーを作ることへの反発の存在があげられています。記事のなかでは「ウォークアジェンダ(woke agenda)」という言葉が使われています((「ウォーク」は私の調べたところでは、「人種的偏見と差別への警告」を意味する形容詞で、2010年代に「stay woke(差別や社会問題に対して敏感に関心を持ち続けよう/目覚めよう)」というフレーズを掲げたBLM運動などによりインターネットミームとして定着した言葉です。ただし、最近は一連の運動を熱狂的で、パフォーマティブで、口先だけのものであるとみなす際の侮辱や皮肉の意図で用いられることがほとんどになっている。つまり、日本語の表現では「意識高い系」という意味合いと近いという指摘もあるらしいです。))。要するに、セーファースペース・ポリシーせいでかえって「言論の自由」((「こうした文脈では、傷つける自由とか、批判から逃れる自由とかだと解される」とも書かれていますが、この言い方は、哲学対話にかかわっている私からすると、「何を言ってもよい自由」という表現を思い起こさせます。))が失われてしまったのだ、というふうに、差別や排除に対する「意識の高い」(でも中身が伴わなかったりむしろ抑圧を生むような)活動であると非難する人たちがいる、というわけです。ですが、反発する人たちとはむしろ逆で、みんなが哲学する自由を確保するために、セーファースペース・ポリシーがある、というのが基本的な考え方のはずです。

一般にこうした意見では、お咎めなしに人を非人間化するような自由というものが、何を妨げているのかを見落としている。つまり、そうした自由は他の人たち――周縁化された人たちや組織の力をより持たない人たち――が声を出すことや、そもそもハラスメントを受けるかもしれないと分かっているようなイベントに顔を出してみることを妨げている、という点だ。

第一・第二の点と関連して、第三に、ポリシーを作るという若手の取組は組織的な力関係によって容易に妨害されてしまう、と書かれています。

もし任期なしの教授が周縁化された人たちのセーフティーよりも何を言っても許される会話のほうをより重視するとすれば、こうしたポリシーを提案しようとする学生は、理解を得るのに苦労することになる。

せっかく大変な思いをして作ろうとしているのに、権威ある人たちの側に難色を示されたらめちゃくちゃイヤで、だるい。だからそもそも作ることを諦めてしまうということも確かにあると思います。

 

ポリシー不在の理由についての箇所を紹介したのは、ポリシーそのものを作るだけでなく、若手研究者にとっては非常に書きづらいであろう指摘まで書かれていることに非常に刺激を受けたからです。それに日本で今後、ポリシーを作るというような話が仮に出た場合にも、似たような問題が起きる(すでに起きている?)ような感じがするからでもあります。

 

わたしのこと

 

『フィルカル Vol. 8.1』のセーファースペースについての論考でも触れているのですが、いろいろな縁の結果、自分がセーファースペースという主題で翻訳を紹介したり、ブログを書いたり、論考を書いたりすることにはいまでも戸惑いがあります。わたしは、シス男性で、日本国籍をもっていて、学生当時は東京で生活していて、差別やハラスメントを受けたり、議論から理不尽に排除されることもなかった、と思っています。あるいは、哲学対話の実践をする教員になってしばらく経ちますが、(まさに男性教員で哲学を大学で学んできたという特権があるゆえに、だと思っているけれど)対話の場で自分の存在をひどく脅かされる経験をしたことも記憶する限りありません。

もちろん、自分にも、哲学科に入って、大学院に行って、博論を書かずに博士後期課程を抜けて、教員になって、哲学対話をメインにするようになって、という過程でチクチクとキツいなと感じる時期はその都度あって、そこにはセーファースペースの問題として語れるものもあるのかもしれないし、それをうまく言語化できてないだけの面もあるのかもしれない。けれど、少なくとも相対的には、わたしは、哲学におけるセーファースペースの必要性を、自分自身が哲学し続けるためにどうしてもないといけないもの、という観点で実感してきたわけではない人間です。むしろ、自分がいままでセーフだと思えていた哲学の空間は、きっと自分以外の誰かがそこから去ることを見過ごしたり、気にしないことで成り立っていた場なのだ、といまでは思います。

でも、だからこそ、縁や偶然で巡り合った哲学におけるセーファースペース構築にかかわる機会に、マジョリティ側である自分の責任を、セーファースペースについて発信するとともに自分自身も変化することを通して、少しでも果たせたらと思っています。

悲しいことに、「哲学」においては、周縁化された人々に対してこのように非常に基本的な形で敬意を払っていくためのガイドラインが必要とされている。このことはまた、セーファースペース・ポリシーは、その求めに応じて私たちが変わっていかない限り意味をもたないということを示している。その変化の中には、快適でないものもあるだろう。自分の気づいていなかったバイアスや特権を指摘されるかもしれないし、よく知らない問題について学ぶよう促されるかもしれない。また、こうしたポリシーは、継続的なプロセスの中で発展させていくものだ。[...]いくつかのガイドラインを施行するだけでは、ごく限られた範囲での変化しか起こすことができない――どのようにポジティブな変化を達成していくかについて話し合う必要もあるし、会議、ワークショップ、ゼミといった場だけでなく、学科やグループ、そしてアカデミア全体をもっとインクルーシブなものにしていくという目標に取り組み続けるという責任を、自分たちで引き受けていく必要もあるのだ。

 ※なお、関連してMAP UKがかかわって作られている哲学系イベントのためのインクルーシブ・ガイドラインについても下記の記事で紹介しています。ご参考まで。

https://p4c-essay.hatenadiary.jp/entry/2022/09/08/102755

 

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