形態学とキアスムス
創世記の天地創造の記事は次のようなキアスムスからなる(大喜多2017)。
(1)神の所在と天地 ⇄ (4)神の所在と天地
神:水の表 神:休息
天地:無形 天地:完成
↓ ↑
(2)創造過程 ⇄ (3)創造過程
一日目:光と闇 → 四日目:昼と夜
二日目:大空 五日目:空の生き物と海の生き物
三日目:陸 六日目:陸の生き物と人間
(1)と(4)は、神の所在と天地の状況である。(1)では、 神は水の表にあり、定まらない状態にあるが、(4)では神は休息し、安定した状態である。(2)と(3)は、天地創造の過程である。前半の(2)では、後に創造されるものの舞台が設定される。そして後半の(3)では、(2)で設定された舞台に登場するものが創造される。
聖書とは関係ないが、かつて三木成夫は、形態学において独創的な論を展開した(三木1992)。その論の一部に、植物と動物が反転しているというものがある。例えば、植物は基本的に移動できないが、動物は移動できる。また、植物には個体差がなく、成長限界があるのだが、動物には個体差があり、成長限界がある。つまり、植物は開放系であるのだが動物は閉鎖系である。
三木は言及していないが、こうした三木の論を神と人間にあてはめてみると、植物と動物のような反転がみとめられるようだ。つまり、多くの宗教では神の遍在性や超越性を説いている。つまり開放系である。それに対し、人間は個別的な存在であり身体という限定された枠組みをもつ閉鎖系である。聖書では一神論の立場をとる。かかる立場に基づけば、神は唯一であるが、人間は数多く存在する。
恣意性に関するの批判を恐れず、敢えて図式化を試みると、次のようになる。
(1)神 ⇄ (4)人間
開放系 閉鎖系
(2)植物 ⇄ (3)動物
開放系 → 閉鎖系
引用文献
大喜多紀明、2017、「聖書「創世記」冒頭の5つの物語の構造:異郷訪問譚によらない裏返し構造の事例」『北海道言語文化研究』、15、195-216、北海道言語研究会。
三木成夫、1992、『生命形態学序説―根原形象とメタモルフォーゼ』うぶすな書院。