研究ブログ

研究ブログ

前期の最後に

 ようやく前期の遠隔授業も終わりがみえてきました。前期の最後となる今回は、学生諸君ではなく、世間一般に問いかけたいと思います。

  直近の【3288】でも「#椿井文書 の絵図と城館発掘結果が合致するのは、作成年月日が戦後で、作者は研究職の誰かだから」と述べるように、素人さんたちの主張はあまりに支離滅裂なので私の立場が揺らぐ心配はありませんでしたが、正直なところをいうと、ごく一部の人が素人さんたちの発言を真に受けている様子は少しだけ気にはなっていました。幸い私の場合は、過去に執筆した論文がいつでも証明してくれるので黙殺すれば済むのですが、そうではない人の場合を想像すると、誹謗中傷が拡大する当事者の気持ちが少しだけわかって恐怖を感じました。そして、これが人を死に追いやるのかと思うと怒りも感じました。

 しかし、研究の時間を割いてまでして、素人さんたちの相手をするのは明らかに無駄です。ところが、このタイミングで史料閲覧機関が悉く閉鎖したため、日常の研究業務が滞り始めました。これも何かの運命だと思って、空いた時間で素人さんたちの発言を分析してみようと軽い気持ちでこのブログを始めてみました。そうしたところ、SNSでの誹謗中傷が社会問題として話題になってきたので、歴史学者なりにこの問題を分析するのもそれなりに意味があるのではないかと思い始めてきました。そこで、学生を相手にゼミの前後や飲み会などでしているような話を積み重ねつつも、せっかくの機会なので世間に問うことも視野に入れてみました。

 前々回も述べましたように、中傷とは「無実のことを言って他人の名誉を傷つけること」です。根拠がない時点で、この行為自体はとても恥ずかしいものなのですが、とくにSNSが発達してから、こうした問題は世の中に蔓延しています。その理由の一つは、匿名で発信できるということにあるかと思います。そしてもう一つの理由は、自らの姿を鏡で客観的にみることができないためでしょう。

 匿名ゆえの自由な発言にはそれなりの意義があることは認めます。また、そういう世界があるおかげで、実名で勝負するという研究者の世界にあるプロ意識の存在は際立ちます。では、自らの姿を鏡でみせるにはどうしたらよいか思案しました。それへの回答の一つが、この史料編の作成です。

アテルイの「首塚」と牧野阪古墳(史料編)20200722.pdf

 我々歴史学者は、文字を扱うプロです。文字を鉄パイプ程度の武器にしかできない素人さんたちとは異なり、私たちは文字のあらゆる活用方法を知っています。そこで、素人さんたちの姿を映し出す鏡として史料編を作成してみた次第です。素人さん以外の方々も、この史料編をみて誹謗中傷になりかねない批判はやめておいたほうがよいと気付いていただければ幸いです。そして鏡を作成したら、次はそれの見せかたが課題となってきます。

 素人さんは私の研究について、【2025】では「馬部隆弘氏の新規性は大阪府で椿井文書かもしれない文書類を見つけた点で、滋賀県や京都府では戦前戦後と自治体史では史実ではない事が書いてある #椿井文書 だと書かれていたんだけどな」とおっしゃいます。椿井文書の存在は広く知られているので、私の研究には新規性があまりないといいたいようです。【2546】でも「椿井文書自体は昔から有名だった」、【2790】でも「畿内でよく知られた椿井文書が新しい発見かの様に語られる先行研究軽視」などとおっしゃっています。では、何が椿井文書であるのか、克明にした研究がかつてあったのでしょうか。素人さんたちの言い分は、病気の存在を知っていることと病気の治療方法を知っていることを同一視しているようなものです。

 問題の本質は、椿井文書の存在が知られているのになぜ使われてしまうのかというところにあるのですが、それすら理解できていないようです。手前味噌になりますが、私の研究はそのカラクリを明らかにした点に価値があると自負しています。ですから、これから我々が進むべき方向や進んではいけない方向を示すことができたのではないでしょうか。

 それと同様にこのブログでも、事実に基づいた私の発言が、曲解されて誹謗中傷となっていくカラクリを分析してきました。そのカラクリを共有するだけでも、世の中が間違った方向に進むのを多少なりとも抑止できるのではないかと考えています。これが、歴史学者としての私なりの鏡の見せかたです。

 素人さんの発言は、いつも同じ内容の繰り返しで単調になってきました。史料的にも十分なサンプルが集まりましたので、そろそろ自身の姿をみてもらうという実験に移ってもよいかと思っています。ご協力いただける方は、このブログをツイッターで紹介していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

 素人さんは【2892】で「馬部隆弘氏は主張するけれど、出典に書かれていない記載が根拠だから立証不可能。お年召しの方ばかりになったけれど、穂谷村の人達には謝罪するべきだと思うんだよ。」とおっしゃいます。誤ったことを記載しているので、謝罪しろというのです。【2919】でも「書いていないのに書いてある事にして「裁判記録を椿井政隆に頼んで改竄してもらった」と言われても、旧穂谷村の人達は困ると思うんだよ。この点は旧穂谷村と枚方市へ謝罪した方が良いと思う。」とおっしゃいます。この件については、素人さんたちがあれこれ手を加えたうえで、私が史料を改竄したというありもしない事実を創り出したことは、すでにこのブログで説明しました。

 ですから、【2964】で「この件は論文を修正した上で、旧穂谷村と枚方市へ謝罪するべきだと思う」とおっしゃいますが、『この件はツイッターを修正した上で、私と周辺関係者へ謝罪するべきだと思う』とそっくりそのままお返しします。素人さんたちの発言は、端からみれば誰の目にも明らかな誹謗中傷ですので、間違ったことを言ったら謝罪すべきだというご自身の発言に責任を持ってほしいものです。

 素人さんは、【1550】で「歴史学界は、」「みんなで謝罪に行くか、きちんとした訂正検証論文を書かないといけないのでは?書きっぱなしは無責任だと思う」とおっしゃいます。私の研究不正は、私だけの問題でなく、私の研究不正を放置している歴史学界全体の問題なので、皆で訂正するなり再検証するなりの必要があるとのことです。これも、そっくりそのまま『ツイッター上の方々は、みんなで謝罪に行くか、きちんとした訂正検証ツイートを書かないといけないのでは?書きっぱなしは無責任だと思う』とお返ししておきます。素人さんたちの不正は、ツイッターの世界にいる皆さんが放置した責任かもしれません。ですから、素人さんたちの改竄について是非とも再検証をしてください。その素材として、史料編をご活用いただければ幸いです。

 【1551】では「謝罪するべきでは。でないと、予算も、学問の自由も、無くなってしまうよ。これって、歴史学者が嘘の史料を作った上で穂谷村が裁判資料を改竄したと主張したわけでしょ?」とおっしゃいます。歴史学の自浄作用がなくなれば、予算も学問の自由もなくなってしまうといいたいようです。であるならば、自浄作用がなくなれば、ツイッターの世界の自由もなくなってしまうかもしれませんね。

 これまで、素人さんたちに絡まれた方々も多くいらっしゃいます。ですからツイッター上では、素人さんたちのことをみてみぬふりをする方たちばかりです。素人さんについて「そういう行動する時点でアレさが際立ってるので、早く病院行ってください」とおっしゃる方もいるので、素人さんたちの存在や異常な行動については広く知られているようです。その方々はすでにお気づきだと思いますが、素人さんとは議論がどうしてもかみ合いません。なぜなら話の根拠がないからです。しかし、これ以降は、史料編という共通の土台のうえで議論が可能です。このように史料を共有して議論を深めようとするのも、歴史学の発想です。

 なにも、素人さんたちと論戦をしてほしいと言っているわけではありません。そんなことをしても、素人さんたちのことですから、史料編の内容はなかったことにして自身が誹謗中傷されたと思い込んでしまうだけです。そうなると、改めて根拠のない反論をしてくるはずなので、不毛な議論を繰り返すのみで問題の解決にはつながりません。この史料編を読んで何を思うか、リンクを貼って少しずつでもいいのでご意見や感想をツイートしてくださるだけで結構です。

 前々回も述べたように、素人さんは「批判と誹謗中傷の境界」をとっぱらってツイートしています。しかし本来は、その一線を越えていないかどうか立ち止まって考えることこそが重要です。その一線が史料編のコメントのなかのどこなのか、みんなが少しずつ考えるだけでも、誹謗中傷が発生するカラクリを共有できるのではないでしょうか。それだけでも大きな前進だと思います。よろしくお願いします。

0