雑記帳

雑記帳

日本語学会ポスター発表「日本語にとって連濁は何者なのか —容認性判断調査{を・から}考える—」情報

日本語学会2021年度春季大会でのポスター発表「日本語にとって連濁は何者なのか —容認性判断調査{を・から}考える—」に関する資料などを置いていきます。

要旨

連濁の問題は長い間日本語の音韻研究の中心にあり続けている。だが,ライマンの法則に代 表される各種制約には「例外」が見られ,また,「非文法的」と言えるほどの悪さと言えるか は示されていない。本研究では連濁におけるさまざまな条件や制約を比較した容認性判断調 査を行った結果から,連濁の不適用と適用を区別すべきだということ,連濁の適用による違 反は音韻的に容認不可の範囲にあるものとないものがあるとは必ずしも言えないことを示し た。本研究が音声における文法を考える足がかりとなることを期待している。

ポスターおよび説明動画

ポスターと,その内容を説明する動画になります。長さによって3バージョン分けました。

ポスター

  • こちらからダウンロードしてください

3分バージョン

10分バージョン

1分バージョン

ごめんなさい。半分お遊びです

質疑・コメント用チャット

質疑応答やコメントは音声の他にチャットサービスも利用します。このリンクからサービス(slido)へアクセスしてください。なおチャットは匿名でも名前付きでも構いません。

 

予稿集やデータなど

 

0

researchmapのバージョンアップで失ったもの

2020年2月にこのブログも入っているresearchmapがバージョンアップされました。外部のデータベースを使った業績入力などが簡単になった反面,いくつか(私にとって)残念な部分がありました。それはブログや資料のリダイレクトなしでのURL変更です。

旧バージョンでは執筆したブログがそれなりの数があったおかげか,1週間あたり600から1000近くのアクセスがありました。

多くの場合,キーワード検索でたどり着くというパターンが多かったようで,上位のページもそれを反映しています。

ところが今回のバージョンアップにより,ブログのURLはすべて変更され,前のリンクではリダイレクトもされず単に無効となるだけでした。そのためか,googleでのスコアもおそらく下がり,以前では検索上位に来ていた「word 上線」や「令和 アクセント」ではほとんど引っかからなくなってしまったのです(令和のアクセントを専門的視点からまとめた記事はたぶん僕のが最初)。

こちらで対応する方法もないので,放置して新記事はnoteに書いたりもしていたのですが,とりあえずTwitterに過去の記事をランダムに流すことにしたところ,そこそこのアクセス数に戻ってきました。

実際,アクセス元を見ると,バージョンアップ前はGoogleやYahooの検索結果から来ていたのが,6月はほとんどがTwitterからになりました。

僕としては検索して辿り着いてほしいところはあるので,まだ対処は必要ですが,それは今後じりじりと戻ることを期待するしかないんですかね。なんとなく研究関係はこちらに書いて,他はnoteという使い分けにもなりそうですが。

0

音声データのアノテーション作業を(できるだけ)自動化する手順

私の研究では音声の分析を行うことが多いのですが,そのための下準備として音声ファイルのどこにどんな音があるのかを記録しておく必要があります。その作業を「アノテーション」と言います。アノテーションは大きな単位から次のように分かれます。

発話:お客がたくさん来るから米を6合炊いたんだよ

文節:お客が/たくさん/来るから/米を/6合/炊いたんだよ

モーラ:お・きゃ・く・が・た・く・さ・ん…

音素:o, ky, a, k, u, g, a, t, a, k, u, s, a, N…

どういった単位のアノテーションを付けるかは研究の目的によって異なり,全部を常に付ける必要はありませんし,必要に応じて「ピッチの下降がどこから始まるか」というような情報を加えることもあります。

アノテーションしたものは音声ファイルとは別にテキスト形式で保存することが多いのですが,発話の書き起こしだけでもだいぶ時間がかかります。研究では単独発話(例:「お客がたくさん来るから米を6合炊いたんだよ」を方言に訳してもらう)のほかに談話資料(例:「最近あったちょっと面白かったこと」というテーマで5分ほど話してもらう)を集めますが,これが特に時間がかかります。

特に私のように対象方言が母語に近くない者にとって,書き起こしはその方言を理解する上でとても勉強になるのですが,同時に初期段階のものまで自動化してみたいという欲もあって,いまある無料ツールでできるだけそれを実現してみたので記録として残しておきます。

 なお必要なのは以下のソフトです。

  • Julius (本体と音声認識パッケージ,必須)
  • Python (Praatで読めるようにするには必須)
  • Google Chrome (任意だけどあると便利)
  • Perl (Windowsのみ要インストール)

更新履歴

・無音区間の扱いについて誤りを修正(2020/02/26,23:10)

・無音区間の扱い,漢字かな交じりテキストから転記テキストの手順について補足を追加(2020/02/27,8:44)

・TextGridConverterの説明に誤りがあったので修正(2021/03/09,9:29)

サンプルとして,私が調査している天草市深海地区での自由独話データの冒頭部分の20秒弱を使ってみます。私は次のように書き起こしています。

えーと,今から40年ぐらい前じゃってですばって,あのー,ちょうど,流し,中ですね,流しのときに,あのー,雨がしとしと降っとったっですよ。んで,あのー,ご飯食べとっときもずーっとどっからかなんか知らんばってあのー

おおまかに「音声の文字化」と「文字の音素化&時間情報の付与」という2つのステップがあります。以下,それぞれについて説明します。

 

ステップ1:音声ファイルを文字化する

音声ファイルを文字(漢字かな交じり)に書き起こすツールとして3つ紹介します。

1. Google Cloud Speech-to-Text

Googleが提供しているクラウドの音声認識サービスです。音声ファイルをアップロードすると文字が返ってきます。契約すると月60分まで無料で使えるようです。無料で試すこともできます。

先ほどの音声の書き起こし結果を見ると,方言音声なので厳しいと思ったけど精度はなかなか高いと思います。

今から40年ぐらい前だったです。貼ってあの丁度中止中ですね。流しの時に。
雨がしとしと降っとったんですよあのご飯食べたときもずっとどっからかなんか知らんばってあの

 2. Googleドキュメント

Googleの提供しているオンラインで使えるワープロソフトです。同じくGoogleが提供するブラウザであるChromeを使うと音声入力できるようになります。「ツール」から「音声入力」を開きます。

そしてマイクのアイコンをクリックすると音声入力状態になります。ただ,これはマイクを使うことを想定して作られているので,音声ファイルを入力にするには一手間かける必要があります。

  • Macの場合:
    Soundflowerというソフトをインストールし,マイク(入力)をSoundflower (2ch)に設定する
  • Windowsの場合:
    サウンドの設定から「録音」を開き,「ステレオミキサー」を既定のデバイスとして設定する

これで入力してみた結果が次のものです。こちらもなかなか精度は高いと思います。

今から40年ぐらい前だったです貼ってあのちょうど那珂市中ですね流しの時に雨がしとしと降っとったんですよあのご飯食べた時もずーっとどっからかなんか知らんばってあの

3. Julius

Juliusはコマンドで操作する無料の音声認識ソフトです。コマンドプロンプト(Win)やターミナル(Mac)になじみのない方だとインストールや操作に手間取るかもしれませんが,文字化したファイルに時間情報を付けるときには必ず使うのでこのステップは飛ばさないでください。

インストール

  • Mac:「MacでJulius-v4.5を使って音声認識する」に従ってJulius本体とディクテーションキットをダウンロードしてインストールする。ダウンロードはこの解説どおりでうまく行かないことがあるので公式ページからSource codeと書いてあるファイル(zipかtar.gz)を直接ダウンロードしてインストールする。
  • Windows:公式ページにある「Windows用実行バイナリ」から本体をダウンロードして解凍する。

これでJulius本体と音声認識パッケージのうち標準のディクテーションキットが入ると思います。

実行

ターミナル/コマンドプロンプトを実行してディクテーションキットのディレクトリに行きます。Macで自分のホームの直下にjuliusというディレクトリを作り,その下に本体とパッケージを置いた場合は次のようになります(homeはコンピューターによって異なる)。

$ cd /Users/home/julius/dictation-kit-4.5

そして,次のように入力するとマイクから音声認識することができます。

$ julius -C main.jconf -C am-gmm.jconf -nostrip

音声ファイルを入力するには次のように入力します。

$ julius -C main.jconf -C am-gmm.jconf -nostrip -input rawfile

この結果が次のものですが,正直あまり芳しくありません。

エイプリル ばかり 、 四十 . 〇 倍 弱 で 座っ て 、 あの 、 どうぞ 、 何 か し て 、 中 です ね 、 流し の とき に 、 他 の 応募 、 はみ出し た とたん に せよ 、 解毒 、 あの ご飯 食べ たく て 打つ 音 度 から か なんか 散らばっ て ある の か 。

 これは音声認識のための言語モデル(文法)がマッチしていないことが大きいようです。Juliusのページには日本語話し言葉コーパスをもとにして作った言語モデルもあるのでそれをインストールして実行してみます。すると次のようになります(なおMacでは文字コードを変換する必要があり,次のように命令しました)。

まず話し言葉モデルキットのディレクトリに移動する。

$ cd ./ssr-kit-v4.5

次にファイル入力でjuliusを実行する。

$ julius -C main.jconf -dnnconf main.dnnconf -charconv SJIS UTF-8 -input rawfile

その結果が次のものです。ポーズごとに出力されるので/で切っています。なお「あのー」というフィラーは出力されないようです(調整できそうですが)。

今 から/四十 年 ぐらい 前 ちゃっ て です が あっ て/ちょうど/流し/十 です ね 流し の 時 に/雨 が 一 一 つ 取っ た ん です よ/んで 度 あの 御飯 食べ た 時 も ちょっと どっ から か 何 か 調べ て あの

標準キットよりも改善されていますが,Googleのものに比べるとそこまで精度は高くありません。ただ,言語モデルは自分で改良することもできるので,ある程度その方言の文法のパターンを入れていけば改善できるとは思います(文法モデルの書き方は改めて勉強が必要)。

 

ステップ2:音素単位で時間情報を付ける

次に書き起こされたテキストを入力にして音素単位で時間情報を付けます。音素単位の時間情報というのは例えば「今から」なら/i/, /m/, /a/, /k/, /a/, /r/, /a/という音素がどこからどこまで続くのかという情報です。

この作業はJuliusの音素セグメンテーションキットが必要です。なお,日本語でなければ他のソフトやスクリプトもありますし,Windowsならもう少し選択肢が広がるようです。

Macの場合は解凍してからsegment_julius.plの該当部分(緑の太字)を書き換えます(該当部分はだいたい40〜50行目にあるけどエディタで検索して探す)。以下のページがとても参考になります。

元:

## julius executable
if ($^O =~ /MSWin/){
$juliusbin=".\\bin\\julius-4.3.1.exe";
} else {
$juliusbin="./bin/julius-4.3.1";
}

新:太字部分はterminalで$ which juliusと入力して出てきた場所を入れる。

## julius executable
if ($^O =~ /MSWin/){
$juliusbin=".\\bin\\julius-4.3.1.exe";
} else {
$juliusbin="/usr/local/bin/julius";
}

セグメンテーションには次の2つが必要です。

  • 音声ファイル (16kHz,モノラル)
  • 転記ファイル (テキスト,ひらがな表記)

音声ファイルはAudacityやPraatなどの音声分析ソフトを使えば簡単に変換できると思います。

転記ファイルというのは入力となるテキストファイルのことです。ステップ1で作ったテキストはそのままでは誤分析されたものも多いので,音声を聞きながら手作業で修正していきます。上で示した書き起こしがこれに相当します。

えーと,今から40年ぐらい前じゃってですばって,あのー,ちょうど,流し,中ですね,流しのときに,あのー,雨がしとしと降っとったっですよ。んで,あのー,ご飯食べとっときもずーっとどっからかなんか知らんばってあのー

Juliusの入力は平仮名またはローマ字で表記しておく必要があります。ここでは他の人が読むときの読みやすさを考えて平仮名表記のファイルを用意します。これは漢字かな交じりのテキストを改めて入力してもいいのですがウェブサービス(例えば「ローマ字⇔ひらがな⇔漢字かな交じり文 変換」)もありますし,Pythonのpykakasiライブラリを使うこともできます。これらを使って上の漢字かな交じりテキストを変換すると次のようになります(下のはPythonで変換したもの)。

えーと,いまから40ねんぐらいまえじゃってですばって,あのー,ちょうど,ながし,なかですね,ながしのときに,あのー,あめがしとしとふっとったっですよ。んで,あのー,ごはんしょくべとっときもずーっとどっからかなんかしらんばってあのー

この平仮名の転記ファイルを作るときのポイントは以下の2つです。

  • 長い母音を「ー」にする
  • 長めの無音区間(おおむね300ミリ秒以上?)を" sp "(spの前後に半角スペース)でマークする

このポイントに沿うように修正したのが以下のテキストです。このテキストをwavファイルと同じディレクトリ(仮に /Users/local/dictationとする)に置きます。

えーといまから sp よんじゅーねんぐらいまえじゃったですばってー sp あのー sp ちょーど sp ながし sp ちゅーですね sp ながしのときに sp あのー sp あめがしとしとふっとったっですよ sp んでど sp あのーごはんたべたとっときもずーとどっからかなんかしらんばってあの

そして,セグメンテーションキットのディレクトリに移動して次のように入力します(太字部分はtxtとwavを置いたディレクトリ)。

$ perl segment_julius.pl /Users/local/dictation

これでディレクトリに音素と時間情報の入ったlabという拡張子のファイルができます。

0.0000000 0.0725000 silB
0.0725000 0.3425000 e:
0.3425000 0.4925000 t
0.4925000 0.5325000 o
0.5325000 0.6325000 i
0.6325000 0.7625000 m
0.7625000 0.8225000 a
0.8225000 0.8825000 k
0.8825000 0.9125000 a
0.9125000 0.9525000 r

18.1725000 18.2225000 N
18.2225000 18.2725000 b
18.2725000 18.3425000 a
18.3425000 18.3825000 q
18.3825000 18.4125000 t
18.4125000 18.5925000 e
18.5925000 18.6825000 a
18.6825000 18.7725000 n
18.7725000 18.8825000 o
18.8825000 19.2725000 silE

labファイルは左から開始時間,終了時間,音素という配列です。これをpraatで読めるようにするにはtextgrid形式に変換する必要があります。幸いTextGridConverterというPythonスクリプトが公開されているのでこれを使用して,Pythonを次のように実行します(参考「Praatの音声アノテーション(.TextGrid)を自動生成」)。

$ python convert_label.py /Users/local/dictation

実行すると"change segmentation unit to mora? (default:phoneme) y/n:"と聞かれます。これはモーラ単位に区切るかどうかです。今回は音素単位で区切るので"n"にしておきます。出力された結果をwavと一緒にpraatで開くと次のようになります(冒頭2秒を拡大)。

このように長音や無音区間について必要な処理をすれば初期値としては十分使える状態になっているのが分かるかと思います。あとは手作業で修正を加えることで分析に使えるファイルになると思います。ちなみに音素はsegment_julius.plファイルを編集することで修正できるので,例えばヨンジューを/jonNzju:/にするなどは簡単にできます。もっとも無音区間の扱いについては" sp "を付すことで解決していますが,これでいいのかは検討の余地が大いにあります。例えば日本語話し言葉コーパス(CSJ,国立国語研究所)では0.2秒未満の無音区間に対して<pz>というタグを付与しているのに対して,それを超える無音区間は転記する単位分ける,すなわちファイルを分ける,という処理を行っています。この辺は1ファイルあたりの大きさによる機械的な処理や転記そのものの効率性を勘案して設計開始段階で慎重に考えるべきでしょう。

いずれにせよ,このようにフリーソフトを組み合わせることで効率的な書き起こしと音声アノテーションができるようになると思いますので,ぜひ活用してみてください。

0

大学は先生で選ぶべきか?

小池陽慈さんの記事が発端になって「大学は先生で選べ」みたいな話が盛り上がっていたのでちょっと意見をまとめておきます。
この記事の趣旨をかいつまんで述べておきます。
  • 私大文系の入試が難化しおり,偏差値に基づく大学ランクはもはやあまり参考にならない中で旧来の大学ランクのイメージのまま志望校を選ぶのは良くない
  • 偏差値の高くない大学でもジャンルによっては活躍している先生がいるのだから,これからは大学は自分の学びたいジャンルで活躍している先生で選ぶべきである
  • そのためには新聞のオピニオン欄や話題の新書などに目を通して自分のアンテナの感度を高める必要がある
まずSNSでの反応を見る限り,大学教員以外の反応は上々のような印象を受けました。私はまさに大学の中で働く人になりますが,そういった選び方もあまりお勧めはできないというのが正直な感想になります。以下,その理由を書いていきますが,思いのほか長くなってしまったので1分で分かりたい人向けに概要を先にまとめておきます。
  • 大学を先生で選ぶことにもけっこうリスクがあるので積極的にはお勧めしません
  • 施設,教育内容,専門分野などの選ぶ要素はありますが,それもけっこう難しいです
  • 周囲の学生が勉強する雰囲気になっているという点で大まかに偏差値で考えるのも悪くありません
  • 入学後に自分の勉強したいことに合わせて調整・修正する機会は一定以上の規模の大学ならけっこうあります
  • どの進路でも1年次の成績が大切なので,入学後にがんばりましょう
 
 

大学を先生で選ぶことはちょっと危険

1. 卒業までに受けられる授業の数は限られる

大学の卒業単位は124単位以上です。講義系だと1つの半期開講の授業が2単位なので,卒業までに受ける授業は62個になりますが,これには共通教育(一般教養系や語学)関係の授業や卒論(8単位とかが多い)もあるので実際にはさらに減って,40個程度になると思います。専任教員がいくつの授業を担当するかは大学や学科などで本当に様々ですが,ゼミを含めて5〜8個というあたりが標準的でしょう(10コマとか持ってる人がいるのはよーく存じ上げております)。つまり,専門の授業であっても,1人の先生から習える授業は1〜2割程度となります。
 

2. 専門分野は科目と科目のパッケージでできている

それでも「その先生がやっている専門分野のことだけを学べればいい」という人はいるかもしれません。しかし,ある分野について専門的に学ぶには「一見すると関係ないように思える授業」というのをけっこうたくさん受ける必要があります。これは専門分野というものが体系立っているからに他なりません。多くの場合,大学の専門科目はその分野を大づかみに学ぶ概論科目,前提知識のための入門的な科目,専門的な科目,卒業研究あたりを組み合わせたパッケージ(これをカリキュラムと呼びます)でできています。
 
ある先生の授業を十分理解するためには前提となる科目を受けておく必要があるのですが,特定の先生に期待しすぎた場合にこのようなカリキュラムの持つパッケージ性を疎かにしてしまうのではないかということが危惧されます。
 

3. 人間的な相性など分からない部分はけっこうある

これを言ってはどうしようもないと言われそうですが,先生と人間的に相性が悪いことだって十分にありますし,本などで持ったイメージと実際に授業受けたときのイメージが違うことだってけっこうあると思います。だからといってそうしたときに退学するというのは考えにくいことがほとんどでしょうから,その意味でも1人の先生に依存しすぎるのはあまりお勧めできません。

 

4.  教員が移籍することは珍しくない

大学は公立学校と違って定期異動のような考え方はありません。しかし,様々な事情で所属大学を変える先生は毎年多くいらっしゃいます。極端な話,入学してみたらちょうどその先生がいなくなっていたということは十分にあります。
 
このように,大学を先生で選ぶということは必ずしも良い選択になる保証ができるものではありません。
 
※8/26 17:20追記※
「そもそも高校生が先生を判断できるのか」ということも問題になりそうですが,この点については「早期キャリア教育と自己責任論」といったあたりの話題と関わるので稿を改めたいと思います。
※追記ここまで※
 

じゃあ何で選べばいいの?

こういった(どちらかといえば)ネガティブな記事を書くと代案を求められることが多いです。まず私自身「何かの問題を指摘するときに必ず代案がいる」ということは賛成しません。「間違いを間違いだと指摘すること」だって「ゼロにする」という意味で十分な代案ですから(注:これは仮定の話で小池さんの記事の内容そのものが大きな間違いだということではありません)。
 
この件については他の要因がいくつか思いつかないこともないのですが,やはりけっこう難しいものがあります。いくつかその実例を挙げておきます。
 

施設?

大学には教室だけでなく様々な施設があります。代表的なものとして図書館をあげられるでしょう。ひとまず学生数に対する蔵書数というのはその大学が専門分野に対してどれだけの理解度があるかを見るのに参考になるかもしれません(単なる蔵書数なら学生数に比例することがほとんど)。ただ,自分の専門分野について十分な本が揃っているかまで判断はできないのでその点は考慮しておく必要はあると思います。
 
他にも勉強のための施設としてラーニング・コモンズというのを設置する大学は増えてきています。これは大雑把に言えば1人での勉強に限らずグループ作業したりもできる空間になります。北星の場合,レポート支援などの個別学習セミナーなどをやったりもしてるのですが,施設の特徴は本当に大学によってまちまちで,それを高校生が判断するのは難しいのではないかと思います。
 

教育内容?

良い授業をしている大学を選ぶというのも考え方としてはありえます。これには少人数教育や外部と連携した授業など様々な仕掛けが考えられるでしょう。ただ,施設と同じ話になりますが,少人数教育がどの程度の数の科目で実現できているのか,外部との連携といったときに単なるゲスト講師なのか,自分達で何かプロジェクトに取り組むのかなど多種多様です。その見極めもなかなか難しそうです。
 
ちなみに大人数の講義に比べて少人数の授業はグループで取り組むような授業スタイルになることが多いので「やった感」が出やすいのですが,大人数の講義の方が知識として得られるものが多いです(少人数では「深く学べる」という反論もありますがこの辺については機を改めて)。

 

専門分野?

私自身は「外国人対象の日本語教師になりたい」と思っていたので日本語教育を学べる学科を選んだのですが,職業と結びつく学科ばかりではありません。また,日本語教育について学びたいとしても入ったときのイメージと実際の内容のギャップはけっこう大きなものがあります(だからこそ学ぶ価値がある)。その点はぜひ覚悟しておく必要はあるだろうと思います。
 

志望校はガチャ?

色々な要因をあげてはそれがいかに「難しい」かを書いているのですが,これだと志望校選びはガチャのようなものなの?と思われるかもしれません。その指摘はけっこう当たっているんじゃないかと思います。でもそれは別に不幸なことにはならないと思います。だいたいのケースで自分のイメージと違ったからといってそこで腐らずしっかり勉強すればそれなりに力は付きますし,実際大学の成績がよければ(多くの人が心配する)就職でもまず悪い結果にはなりにくいです。例えば,田澤実・梅崎修(2012)「大学難易度と学業成績が就職活動の開始時期,活動量,活動結果に与える影響 : 全国の文系学部の大学生を対象にして」(法政大学キャリアデザイン学部紀要)によれば次のような結果があるそうです。
  • 梅崎(2004):学業成績が高ければ高いほど最終的に就職した企業の志望順位が上がる
  • 永野(2004):大学の入試難易度が高いほど,また,学業成績が高いほど就職活動の自己評価点が高い
  • 平沢(2010):就職活動結果の多くの指標において大学分類などを統 制したうえで成績の正の効果がある
  • 濱中(2007):入試難易度の高くない大学(偏差値 56 以下)に おいては,学業成績が良いことが内定獲得時期を早める効果を示すものの,いわゆる旧帝大などの国立大学および入試難易度の高い私立大学(偏差値 57 以上)では、その効果が見られなかった
さらに,大学4年間の成績に影響する要因として強いのは入学時の成績ではなく,1年次の成績であることが例えば東京理科大学総合教育機構教育開発センターの研究などで示されています。
 
じゃあ志望校選びはくじ引きで決めてしまっていいのかなどと言われるとそれもちょっと違うところがあります。
 

大学の規模は修正の機会でもある

自分のやりたかったことと大学の間でイメージと違うとき,そこでそのまま頑張るという選択肢もありますし,それを可能な限り修正するという選択もあっていいとは思います。そのときにとれる選択肢としては,例えば正規の専攻の他にも副専攻を設けているところがあったりしますし,学科の垣根を越えた留学制度を整えているところもあるでしょう。もし完全に分野を変えたいときには同じ大学でしたら転学科(もちろん試験がある)の制度も考えられます。そういった諸制度を活用しても良いですし,大学の中には正規の授業の他に勉強会や自主ゼミが開かれていることがあります(危険な宗教系団体もあるのでやや注意が必要だけど)。
 
これについては大学の規模が大きければそういった制度も多くなるので,その意味でこれは人数が多い方が可能性もあるという話と捉えてもいいと思います(もちろん小さい大学でも探せばあると思いますし,だから小規模校はダメという意味でもありません)。
 

偏差値は万能ではないがちょっとした基準にはなる

上では教員,施設,教育内容などの話が中心になっていますが,学生そのものというのもけっこう重要な要因じゃないかと思っています。これは「話が合う」みたいなものではなく,ひとまず周りの学生が「足を引っ張るような人ではなければいい」というものです。残念なことに世の中には「真面目に勉強する」ことを揶揄する人ってのは一定数います。そしてそういう人だって大学生になっていることがあり,多ければ多いだけ自分1人で頑張って勉強することはハードになっていきます。
 
しかしそういう人達は一定以上の学力(偏差値)になるとグッと減ります(ゼロになるとは言わないけど)。その意味で僕の書いた「足を引っ張る人が少ないところ」というのはそれなりの偏差値を意味すると考えてもらって構いません。それじゃあ偏差値によって志望校を選ぶのが良いのか?となるのですが,そうでもありません。私自身は「高偏差値大への入学がその後の人生を保証する」みたいな価値観には与しませんし,この記事の主旨もそこにはありません。あくまで大まかな選択においてということです。リスクを減らすという意味で,偏差値が10とか違ったら上の偏差値のところにするというのは否定しない方が良いかと思います。
 

上にも書いたとおり「大学時代での高成績は就職に好影響」なのですから,原則は入った後にどれだけ頑張るかではあると思います。進路選択は本当に難しいものだと思います。たとえ進路先が入学前のイメージと違っても,または入学前に自分の進路先が第一志望じゃなくても,上で書いたようなことを踏まえて幸せな大学生活を送ってもらえたら幸いです。

0

Praatでモーラ・音節ごとのF0を抽出する方法

リクエストがあったのでついでにブログ記事にしておきます。Praatを使って単語に含まれる音節やモーラのF0を抽出することがあります。私自身も著書(もっと売れてくれ!)の第2章などでモーラ単位でF0を抽出して分析しています。この作業をもう少し正確に言えば,モーラを10等分し,それぞれのポイントのF0を計測することになります。そのため必然的にF0は時間単位で正規化されることになります。以下では私の作成したスクリプトを使って具体的な方法を解説します。ちなみにタイトルはモーラ・音節としていますが,単語・文節についても同様に分析可能です。その場合は切る数を増やした方がいいと思います。

使用するスクリプトは以下のものです(資料公開に置いてあります)。
※更新履歴
  • 2019/07/05
    • 音声ファイル名をA列に表示させて整然データになるようにした
    • 音声ファイル間に空行が入らないようにした
    • 行末の空白セルをなくした

用意するもの

以下の2つを同じディレクトリ(フォルダ)に置いてください。なお,ファイル名は2つとも同じにしてください。
  • 音声ファイル
  • テキストグリッド(音節・モーラ単位で切ってあること)
サンプルのための音声ファイルとテキストグリッドを圧縮しておいておきます。
ちなみにモーラ単位でラベリングをするときに子音部分を含めると子音そのものの時間長が正規化にとって厄介なことになるので母音部分だけラベルを付けています。

使用方法

スクリプトの拡張子をTXTからpraatに変更してPraatで開いてRunで実行すると以下の画面が出ます。

  • Directory…ファイルを置いているディレクトリを指定
  • Base file name…例えば分析するファイルを限定したいときファイル名の最初に"Mat-"などを付けておきここでそれを指定すると分析するファイルがそれに限られます。何もなければ空欄
  • number of frame…モーラ・音節をいくつに切るかを指定
  • The name of result file…結果を出力するファイルの名前を指定
これで実行するとデフォルトではF0_list.txtというファイルに分析結果が出てきます。このファイルはタブ区切りになっていて,コピー&ペーストしてエクセルで読み込むと次のようになります。


各列の内容は次のとおりです。
  • A列…ファイル名
  • B列…tier(モーラ)のラベル
  • C列…tier内のフレーム番号
  • D列はF0値(フレーム内の平均値)
サンプルには3回分の音声とテキストグリッドを入れているので分析結果も3つ分あります。例えばこれの平均を出せば時間単位で正規化したF0(time-normalized F0)のグラフを作成できます。

0

「令和」のアクセントをどう考えるか?

※この記事を公開した後にj-castの記事を知りました。その情報を加えています。(2019/04/01,19:31)
※誤字修正(2019/04/01,22:52)
 
新元号が「令和(れいわ)」に決まりました。典籍が万葉集だということなども話題になりましたがここでは発音,もっと具体的にはアクセントについて簡単に説明しておきます。記者会見では官房長官・総理大臣ともに「レイワ」のようにレを高くあとを低く発音していました。しかし,私(1977年東京23区生まれ)の感覚では「レイワ」のように下がり目のない発音の方が自然です。同じような感覚を持った人は他にもいるようで,例えばTwitterで検索するとけっこう同じような意見を見つけることができますし,j-castでも取り上げられています。
 
 
「令和」のアクセントはどれが正しいかということは言語学的には決めようがありません。しかし,官房長官・総理大臣の発音や私などの感覚の背後にあるものの正体はいくつか説明が付きます。そこで,日本語のアクセントの決まり方や傾向についての説明を手がかりにこの話題についてまとめておきたいと思います。くれぐれも「正しいアクセント」を明らかにするものでないことにはご注意ください。
 
単語のアクセントの決まり方:個別か規則か?
日本語(標準語)のアクセントは大きく分けて「下がるもの」(起伏型)と「下がらないもの」(平板型)に分かれます。起伏型はさらに「どこで下がるか」ということが重要で,可能性としてはモーラ(拍)というほぼ仮名1字に相当する単位のどこでも下がる可能性があります。
起伏型
 あらし
 おせ
 おとこ ※助詞があるときだけ下がる
平板型
 あかり
ある語がどのアクセントになるかを知るには「語種」の情報と「音の構造」の情報の2つが重要になります。語種とは単語の出自・由来のことです。日本語の場合,和語・漢語・外来語という3つの語種があり,あとはこれらが混ざった混種語もあります。アクセントの決まり方は語種によって異なります。
 
和語は日本語の固有語で訓読みがほぼそれにあたります。和語のアクセントは基本的に個々の単語によって変わります。そのため「はし」に対して「はし(箸)」「はし(橋)」「はし(端)」のように3つの異なるアクセントが出てくることもあります。もっともこれは極端な例で割合で見れば偏りがありますし,例えば名前などの固有名詞はかなり規則的です。
 
それに対して外国から入ってきた単語として漢語と外来語があります。漢語は中国から入ってきた言葉で音読みがそれにあたります(ただし漢語には日本で作られたものもあります)。外来語は主に英語から入ってきた言葉で片仮名表記されるものがほとんどです。この漢語,外来語についてはアクセントはかなりの部分が規則によって決まります。例えば外来語で多いパターンの1つは後ろから数えて3モーラ(仮名1字の単位)目にアクセントが来るものです(専門的にはもっと精度の高い規則もありますが複雑な話になるので割愛)。
外来語のアクセント(後ろから3モーラ目)
スク,ゴリラ,ランプ,パターン,トラブル,ドライブ,アスファルト,マクドナルド,ナイチンゲール…
ただし,この後ろから数えて3モーラ目に「ー」「ン」「ッ」「(前の母音が a のときの)イ」といった特殊モーラと呼ばれるものが来るとさらにひとつ前のモーラになります。
外来語のアクセント(後ろから4モーラ目)
ルド,サカス,コドル,ハター,サカー,ナクル
それでは漢語のアクセントはどうなるかというと,2字からなるものに関しては,それぞれの漢字のモーラ数とそこに含まれるモーラの種類が鍵になります。まず,2字でも全体が2モーラになるものと4モーラになるものはそれぞれ起伏型と平板型が優勢になります。語例の他に計量的なデータとしてNHK発音アクセント辞典1998年版所収の語に関するデータから起伏型と平板型の割合を引用します(最上勝也ほか(1999)「「日本語発音アクセント辞典」 : 改訂の系譜と音韻構造の考察」)。
2モーラ,4モーラの漢語のアクセント分布
 全体が2モーラ
  起伏型82.2%>平板型17.8%
  トショ(図書),バシャ(馬車),イド(緯度)
 全体が4モーラ
  起伏型15.6%<平板型84.4%
  コウゾウ(構造),カクジツ(確実),セキニン(責任)
少し複雑になるのが全体が3モーラの場合です。この場合はモーラ数の組み合わせが鍵になります。前半が1モーラで後半が2モーラの場合,平板型が優勢になります。それに対して前半が2モーラで後半が1モーラの場合,起伏型が優勢になります。なおこのとき2モーラ目が特殊モーラだと,起伏型の割合はさらに高くなります。
3モーラの漢語のアクセント分布
 1モーラ+2モーラ
  起伏型26.6%<平板型73.4%
  コドク(孤独),シサツ(視察),ユソウ(輸送)
 2モーラ+1モーラ
  起伏型70.5%>平板型29.5%
  カクド(角度),ジツギ(実技),マツビ(末尾)
  コーカ(効果),セイド(制度),カンブ(幹部)
このように,音の構造という観点から見ると,「令和」は2モーラ+1モーラという組み合わせなので起伏型のレイワが優勢となります。
 
やや特殊な決まり方をする漢語
しかし,漢語には特殊なパターンのアクセントとなる字があります。それらは後半に来ると2モーラ+1モーラのときに平板型になりやすいものです。例えば「ジッシャ(実写)」や「ビョウシャ(描写)」など「写」が後部に来る漢語は上の規則に反して平板型になります。これは個別の漢字によって決まっているもので音そのものは関係ありません。そのため「ギュウシャ(牛舎)」や「チョウシャ(庁舎)」のように同じ音の「舎」では規則どおりになります。
 
実は「和」もこのタイプの漢字だと考えられます。実際,最上ほか(1999)では90%が平板型になります。以下に最上(1999)の表11を引用します(上から4つ目)。
 


固有名のアクセントという可能性

上での話は「令和」は音の規則という観点から行くと2モーラ+1モーラの組み合わせなので起伏型,すなわちレイワというパターンになりますが,そこに個別の漢字の影響という要因が加わるとレイワが優勢になるということでした。
 
それではなぜ記者会見で「令和」がレイワと発音されたか。1つの可能性として,これが地名や名前といった固有名のような扱いを受けたことが考えられます。地名や名前ではアクセントが変わることがあります。例えば夏は普通名詞ではナツですが,名前ではナツとなります。同様の例に北(キタ→キタ),東(ヒガシ→ヒガシ)などがあります。「年号」というカテゴリーが固有名に入るのかは議論を要しますが,普通名詞として考えれば「令和」はレイワとなるところ,これを固有名として考えたためレイワと発音したということになります。
 
本当のまとめ
本当に長くなりました。上での話を短くまとめると,以下のとおりです。
  • 語種と音の構造から言えば,「令和」は2モーラ+1モーラという組み合わせの漢語なのでレイワとなる。
  • 個別の漢字という要因から言えば,「令和」は「和」という漢字のアクセントパターンによってレイワとなる。
  • 固有名として使われたという要因から言えば,「令和」はレイワとなる。
さてあなたの「令和」はどれでしょう?このように,語のアクセントというのは様々な要因に影響を受けて決まっています。年号に限らずまた同じようなものに出会ったらこのブログ記事の内容をちょっとでも思い出していただければ幸いです。
 
最後に,この記事から日本語のアクセントに関心を持った方へのブックガイドを付けておきます。
  • 窪薗晴夫『アクセントの法則』(岩波書店)
    日本語のアクセントが持つ規則性について解説した入門書。鹿児島方言なども出てきます。
  • 松森晶子ほか『日本語アクセント入門』(三省堂)
    日本語のアクセントが持つ規則や歴史など多様な側面を解説したやや専門的な本。練習問題や日本の様々な方言に関する話題も入っており,大変充実しています。
 
1

花粉症にヨーグルトが効くという話の臨床研究をまとめてみた

みなさん花粉症ですか?私は花粉症です(たぶん2〜3種類)。大学院時代から症状がひどかったのでおそらく20年近く患っていると思われます。もっとも10年前に札幌に引っ越してきたため実は困ることがほとんどなくなりました(だからみんな北海道に引っ越すといいよ。それか沖縄)。それでも3月に出張で本州に行くと数日で厳しくなります。先日も方言調査で熊本に2日,その後に研究会で東京に2日滞在したのですが,2日目からなかなか厳しい戦いでした。

花粉症対策としてもちろん薬を飲むとかレーザーで鼻毛を焼くとかあるのですが,食品摂取で抑える方法もよく聞きます。その中のひとつヨーグルトについて,ちょっとTwitterで話題になっていたのでCiNiiで検索して見つけたものを中心に研究結果をまとめておきます。

結論から言えば「ヨーグルトの種類によっては効果がある」とまとめられそうです。もっとも食品会社自身がやった研究がけっこうあり,効果がなかったときに表に出ていないだけとも言えるかもしれません(この辺の話って「動物のお医者さん」にありましたね)。

この手の研究はほとんどが花粉症患者を2つのグループに分け,片方には対象とする菌を含むヨーグルトなどを一定期間(たいてい2〜3か月ぐらい?)摂取させ,そうでない群(プラセボとして別のものを与えてることが多そう)と比較しています。なので,対象とする菌の情報と結果を記しておきます。その他詳しい情報は論文タイトルのリンク先をご覧ください。

まずは複数の結果が報告されたもの。ビフィズス菌BB536株とL-55乳酸菌について。

ビフィズス菌BB536株
【対象菌】ビフィズス菌 BB536株
【結果】目や鼻,のどなどの症状の改善が示唆されたが,くしゃみには効果が見られなかった。

岩淵 紀介・清水(肖) 金忠 (2010)「ビフィズス菌による抗アレルギー作用
【対象菌】ビフィズス菌 BB536株
【期間】13〜14週(約3か月)
【量】200g
【結果】自覚症状の改善が見られた

2つの論文を見ると,2005年ではくしゃみのみの改善だったものが,2010年では自覚症状全般に改善が見られています。ちなみにBB536株が入っているヨーグルトは森永のビビダスです。

L-55乳酸菌
【対象菌】L-55乳酸菌
【期間】3か月
【量】200ml
【結果】点鼻薬などを併用したL55乳酸菌を摂取したグループでは10週間後からクシャミなどが減った。また,6週間後にはL-55乳酸菌摂取グループはもう片方のグループより血液検査によるアレルギーの反応値が低くなった。

【対象菌】L-55乳酸菌
【期間】3か月
【結果】10週目以降にくしゃみ,目のかゆみが低下し,12週目以降に血中TARC値(アトピー性皮膚炎の重症度を示す値)が低下

【対象菌】L-55乳酸菌
【期間】3か月
【結果】くしゃみ,鼻水,喉の痛みが改善(2週目から8週目)。治療薬を併用するとさらに改善。

L-55乳酸菌については全般的に好調なようですが,薬との併用でより効果を発揮するというところがやや特徴的です。L-55乳酸菌が含まれるのはオハヨー乳業「生きて腸まで届くL-55乳酸菌たっぷり生乳ヨーグルト」のようですが,他のはどうなんでしょうね。

その他
【対象菌】KW3110株
【期間】3か月
【量】200ml
【結果】血液検査の結果は改善し,自覚症状も改善

【対象菌】Lactobacilluscaseiシロタ株(乳酸菌)
【期間】4か月
【結果】血液検査,鼻腔検査,SMS(症状の重症度に薬物点数を加味した評価スコア)では効果は認められず,中等度以上の患者では鼻腔に改善が認められた。

KW3110株は効果がありそうに見えます。これはキリンビールが持っているものだそうで,小岩井農場と連携?して商品も出ていましたが,いまはちょっと見当たりません。

あと,ポイントとしてはシーズン前から摂取しておくことみたいです(いくつかの論文にあった)。自社製品の検証が主な目的なので,たとえばBB536とL-55の比較などは見られませんが,ひとまずそういったヨーグルトを摂取しておくのは悪くなさそうです。
0

ご恵贈御礼『基礎日本語学』

衣畑智秀さんが編者として作成された『基礎日本語学』(ひつじ書房)を頂きました。

いつものように簡単な紹介と雑感を(言い訳:まとまった時間が取れないのでざっと読んだ第一印象中心になります)。

■追記(2019/03/02)
体裁を改めたのと,「気になった点」に加筆修正を施しました。

目次は以下のとおりです(出版社のページより)。
はじめに
1 現代日本語の音声と音韻  五十嵐陽介
2 音韻の歴史変化  平子達也
3 現代日本語の文法  衣畑智秀
4 文法の歴史変化  衣畑智秀
5 現代日本語の語彙  金愛蘭
6 語と語彙の歴史的変化  橋本行洋
7 文章論と談話分析  澤田浩子・衣畑智秀
8 文体差と文体史  田中牧郎
9 言葉の変異と諸方言  平塚雄亮
10 コーパスと統計  佐野真一郎
11 理論的研究とは?  窪田悠介
12 日本語学史  山東功

用例出典
参考文献
索引
まえがきから要約すると本書は「細分化の進んだ日本語学諸分野について基礎を学びつつ全般を見渡せるように学べる」ことを目指しています。つまり,網羅性と先端性というなかなか両立しづらい2つの事柄を目指して書かれています。

目次を見ると分かるとおり,前半から中盤にかけて「現代語」と「歴史」という2つを対比させた構成になっています。
  • 第1章と第2章「音声・音韻」
  • 第3章と第4章「文法」
  • 第5章と第6章「語彙」
  • 第7章と第8章「文章・談話」
そして残りの4章で「方言」「コーパス」「理論」「学史」というなかなか1冊では押さえられない内容が取り上げられています。

次に個別の章の内容について特徴かもというところ(実はそうではないかもしれません)を中心に述べていきます。

第1章は著者本人が書いているとおり斎藤純男『日本語音声学入門』を大いに参考にした日本語音声の概説になります。コラムであまり自覚されない「ラ行子音の異音」について触れられており面白いです。「日本語のラ行ははじき音で記述する」のような表現だけが学習者に取り入れられ,無機質に覚えようとしますが,このコラムで音声の精密な観察が必要なことが学べるのではないでしょうか。また,イントネーションに関する記述が従来の書籍よりやや詳しくなっています。ここは著者の五十嵐さんの得意とする分野でもあり,もう少し詳しい説明があってもよかったかもしれません。

第2章は音韻史になりますが,トピックを絞り込んでいるぶん,個別トピックの理解が進むのではないでしょうか。ハ行転呼に関するコラムではおそらく入門書や教科書では取り上げられることの少ない早田・高山説について短く,しかし詳しく説明されています。また,7節では資料と方法論について書かれています。声点資料の説明やいわゆる金田一語類のまとまった説明を読むことができるのは特徴的ではないでしょうか。

第3章は形態論と統語論についてかなり言語学寄り(という表現もおかしいのですが)の立場から説明してあるように見えます。閉じたクラス・開いたクラスの区別,木構造の紹介,数量詞とスコープなどは類書にはないのではないでしょうか。この点で本書は日本語学と書いていますが,「日本語に基盤を置いた言語学」に近い本としても位置づけられるかもしれません。第4章での文法史の説明でもこの点は生かされており,係り結びの説明で木構造を用いるなどはかなり特徴的だと思います。

第5章では語彙について,計量語彙論の成果を取り入れつつ非常にスタンダードな記述が行われていると思います。第6章は語彙の歴史は特に7節で〈食事〉を表す語彙をケーススタディにして史的変遷を取り上げている点が他にはない面白い試みかと思います。

第7章では文章を単位にした説明になりますが,ここで談話分析の話題が出てくることはあまりなかったような気がします(あったらごめんなさい)。パラ言語情報の説明や相互行為などは日本語学の教科書としてかなりチャレンジした印象を持っています。第8章は文体史について特に厚く取り上げ,写真を交えた説明がなされています。特に4節で文体差が生じた理由をそれまでの節での説明に基づいて詳しく考察しているのですが,そういった試みもあまりなかったかもしれません。

第9章の方言については,近年特に琉球語を中心とした記述言語学的研究が盛んに行われていることもあり,それらの成果が一部反映されています。7.5節の震災と方言などはまさに研究者としての社会的役割課題を考えさせる上でも重要なものでしょう。

第10章のコーパスと統計について,前半はコーパスの種類や研究上の注意点などをコンパクトにまとめてあります。後半は統計用語の説明が中心になります。これは難しいことなんですが,個々の用語についての比較的辞書的な説明が多く,実感として「分かる」かというと難しいかもしれません。疑似分布を使って事例の説明もなされていますが,もっと内容を少なくして感覚として分からせるという手もあるのかなと思いました(贅沢な注文です)。

第11章は理論について割かれています。日本語学と理論言語学はやや相互に距離を置いてしまっているような印象を受けるので,このような章を作ることはその距離を狭める上でも有用なのではないでしょうか。ここでは仮説検証についてステップを踏んだ説明が行われています。また,後半では理論言語学の抱える課題として,理論の乱立,観察的妥当性と説明的妥当性のバランスの悪さ,経験科学としての方法論的粗雑さ,説明対象に関する語彙のなさ,関連分野との接点の乏しさが挙げられています。ただ,これは私の受けた教育の影響が大きいのですが,方法論的粗雑さとして内省データについては傍士元先生(南カリフォルニア大学)が精力的に改善と具体的な方法の提示などを行っています。これらを踏まえた記述は難しいことは想像つきますが,少し盛り込まれてもよかったのではないかという印象を持っています。

第12章の日本語学史は特に私自身が不勉強な分野で,ここまでコンパクトに書いてくれるとちょうどいい勉強になりそうに思います。

最後にちょっと気になった点を。まず,索引で少し抽象的な項目を立ててもよかったのかもしれません。例えば「音節」に関しては「開音節」「開音節構造」「軽音節」「単音節語」「閉音節」を別項に立てていますが,これらを「音節」から参照できる形にも項目を立てておくと,独学で読む人にはよかったかもしれません。また,抽象的な項目があると編者の意識した,章と章のあいだのつながりも強くなるように思います。

次に,全体にやや高度な内容を含むので教科書として使うとき,1年生の概論や入門で指定するか,より専門的な授業で読むか悩むかもしれません。また,日本語学関係の大学院に進学予定の人が読むにはとてもいいと思いますし,3年次の演習で半期かけて個々の章の内容プラスアルファを学生が発表するなどといった使い方もありうるのかもしれません(思いつきです)。その意味で,せっかくの優れた教科書なので,概論や演習で使うときのモデルシラバスなどがあると授業担当者が検討するときのおおいに参考になるではないでしょうか。

というわけで,かなり専門性の高い良質な教科書だと思いますので,そういった授業を担当している方は検討に値する本だと思います。
0

北星遺産?

これはなんでしょう?
ただのハンガーですが,マジックで「幼教」と記されています。確かめたわけではないのですが,おそらくこれは北星の歴史が関わっています。

勤務校の北星学園大学はもともと女学校でした。それが女子短大となり,1955年に短大附設幼稚園教諭養成所が設立されました。その後,名称変更等もあり,1988年に廃止となりました。記録の一部は学園のサイトで見ることができます。

ちなみに大学の前には旧・千歳線の線路跡に作られたサイクリングロードがあり,それを東札幌方面へ行くと北の星東札幌保育園,そこから北東に北の星白石保育園という2つの保育園があります。これらはいずれも養成所の保母課程の実習施設がもとになっています。

上のハンガー,おそらくはこの幼稚園教諭養成所にあったものではないかと思われます。着任時から洋服入れのロッカーに入っていたのですが,まさか幼稚園教諭養成所時代のものが残っているとは思わず最初は何だろうと不思議に感じていました。

もしかしたら探せばこういったものが大学にまだあるのかもしれません。
0

大学の出願者数動向に関するメモ(とたぶん読売新聞は言い過ぎている)

※2019/01/28 修正
・専修大学のデータに一部誤りがあったので修正
===

多くの私大では1月末頃に一般入試の出願締切を迎えます。特に大規模校では出願者数の速報を出しているところが多いです。これについて読売新聞(2019年1月21日付朝刊,39ページ)に次のような記事が出ていました。

東京医大 出願が激減 不正入試影響 昨年の1/3か
 医学部の不正入試問題で、女子や浪人生への差別が最初に発覚した東京医科大(東京)の医学科一般入試の志願者数が、昨年の3分の1程度に落ち込む可能性のあることが同大関係者の話でわかった。…(以下略)
※タイトルは紙面のものを使用

紙面にあるとおり女性・浪人差別があったので敬遠されたという見方でいいのだろうと思います。しかしこの記事には同時にもう1つの関連記事が掲載されています。必要だと思うので全文引用します。

日大危機管理学部も
 日本大では、医学部に限らず全体的に志願者数の減少が懸念されている。  
 同大の全学部とも出願を受け付け中だが、17日現在、夜間を除く全体の志願者数は3万6312人で、昨年の最終志願者数11万4316人の32%にとどまる。中でも2月25日が出願締め切りの危機管理学部(定員150人)は17日現在、志願者数が327人と昨年の最終数1877人の17%。全学部の中で最も割合が低い。
 昨年5月のアメリカンフットボール部の危険タックル問題では、同大の第三者委員会が事後対応のまずさやガバナンス(統治能力)の欠如を指摘するなど、大学側の危機管理のあり方が問題視されていた。


たしかに日大アメフト部のタックルに関する事件では私も監督・コーチだけでなく理事長の対応が良くないという印象を強く持ちました。しかし,それがすぐに志願者数に反映されるのかとは疑問です。東京医科大学の件は入試での合否判定に直接関わることですから避けるでしょうが,多くの受験生にとって日本大学の件は体育会の部活動というごく一部に関わる話という程度の理解だったように思います(それでいいのかという話は別)。


記事にもあるように32%の分母は昨年度の最終志願者数です。したがって,まだ最終確定値の出ていない中で検証抜きに出すにはかなり誤解を招くものと言っていいと思いますし,今回の日大については少なくとも政策上の問題も考慮する必要があるでしょう。というのも,特に東京圏では一極集中を解消するために大学の定員抑制策がとられています。そのため,ここ2年ほどは特に大規模校で合格者数を少なくする傾向にあります。そのため合格ボーダーが上がり,それを反映してこれまで受験してきた層が避けたという可能性があります。というわけで,この可能性を考えるためには以下の比較が必要となるでしょう。
  • 昨年度の同時期における志願者数との比較
  • 近隣の同程度・同規模の大学(いわゆる日東駒専)の動向
こういったデータを手に入れるのは難しいように思うかもしれませんが,実はフレーズ検索をすると,日大に関しては昨年度のデータや今年度のこれまでのデータが閲覧できます。そこで上の2点についてデータを見て行きたいと思います。

昨年度同時期との比較をした結果が以下になります。同じ日に集計しているわけではないのですが,近い日を並べています。


これを見ると,出願開始直後からたしかに数字は半数近く落ち込んでいます。では他の大学はどうでしょうか。


これを見ると,日大は一番低くなっているものの,日東駒専はおおよそ5割にそれ以外は6割程度になっています。このことから,日大だから特別少なくなったと結論づけるのは難しいことが分かるかと思います。特にセンター試験利用型入試は自己採点と予備校の合否予想が出るまで出願を待つ人がいるでしょうし,上の理由から合否判定は読みにくいです。また,2月の入試の分も考慮する必要があります。したがって,今の段階でガバナンスを理由に日本大学の志願者数が減ったという読売新聞の記事はかなりいい加減だと結論づけられるでしょう。
1

成績分析してみた

今年度の前期に行った授業の成績を整理したので公開してみる。私の担当は「日本語表現」という名称で1年生必修でレポートの執筆に関わることを中心に文章の書き方を教える科目。27名定員で学部ごとにクラスを設置。クラスは希望と抽選で決まる。

成績は宿題(半期で10回程度)が60点換算,レポートが2回で15点,25点という配分。合計が50点で合格だけど,個別に宿題は20点,レポートは合計15点必要(つまり,宿題60点,レポート0点は不合格)。

いつも肌感覚では宿題をしっかりやっておけば単位は取れていると思っているのだけど,どうも去年とかはそれが当たってないようにも思ったので改めて関係を見直してみようと思ってグラフにしてみた。
赤線がレポートのボーダーラインでこれより下は不合格。点線は合計点のボーダーでこれより左・下は不合格。読み取れる傾向は以下のとおり。
  • 宿題が50点以上だとレポートもそれなりの得点
  • 宿題が50点以下だとレポート次第だけど,分散が大きい
  • 宿題が低く,レポートで高得点という人はいない
学生には「宿題きちんと出していればたいてい合格してるし,反対にレポートで挽回という人はほぼいない」とは言ってきたけど,ちょっと修正が必要。あとクラス間の差が大きいのでそれへの対処も必要。
0

科研費の応募とresearchmapの整備について雑感

あくまで雑感です(言い訳)。

2018年応募のから科研費の書類が変更され,研究業績欄が廃止されて,その代わりに「応募者の研究遂行能力及び研究環境」という欄に変わり,これまでの研究活動を記述するようになりました。また,研究業績の一覧については審査委員が必要に応じてresearchmapを見るという仕組みに変わりました。具体的な仕様は分かりませんが,審査用の電子システムがあるので,おそらくはそこにリンクが張られるのだと思います(審査がウェブベースということは「審査の流れ」に書いてありますね)。

今回の変更の背景については,少なくとも業績欄がどれくらい埋まっているかが重要と認識され,それが故に関係ない業績も入れていることが問題として挙がっているようです(画像は科研費の説明会での資料より)。

しかし,Twitterなどを見ていると,researchmapにどれだけ見栄えの良い形で業績が入っているかを気にするような雰囲気を感じることがあります(超主観的ですね)。

上述したように今回の改訂の経緯は関連しない業績まで埋めることによる審査の質の低下を懸念したことにあるのですから,researchmapを埋めることだけに集中せず,あくまで申請書を第一に考えるようにする,研究能力については自分の関連業績を適切に紐付けて記述するように心がけることが必要なんだと思います(記入要領にもそう書いてありますし)。いずれにせよ,応募者各位のご武運を。
0

臨時休業張り紙コレクション

9月6日に発生した北海道胆振東部地震では我が家も停電となりました。ニュース等で知られているように,北海道中が停電だったため,商店等も休業に追い込まれました。そのような臨時休業した店の張り紙を集めてみたので一部コメント付きで紹介します。もう二度とこういう機会はないといいですね。

No.1

お願い 地震「停電」に伴い本日の営業を休ませていただきます。ご協力を宜しくお願い致します。 店主
コメント:なんかものすごい丁寧

No.2

停電が復旧するまで休講します。申しわけありません お急ぎのご連絡は0xx-xxxx-xxxx(出られない場合もあります)
コメント:停電が復旧?停電から復旧?

No.3

本日休講
コメント:塾なんですが「講」の字が違ってていいんでしょうか?

No.4

本日 地震災害の為 臨時休業とさせて頂きます。よろしくお願い致します。 店長
コメント:「よろしく」って便利ですよね

No.5

本日地震による停電の為,大変申し訳ございませんが休診とさせていただきます

No.6

9月5日 停電の為 臨時休業 させていただきます
コメント:5日が台風でこの辺も停電だったので,そのまま地震でも張り続けたんでしょうね

No.7

臨時休業致します
コメント:一番シンプル。ガムテープで豪快に貼るスタイル

No.8

お客様各位 本日臨時休業させて頂きます

No.9

臨時休業致します
コメント:業の字が面倒になったんでしょうか?

No.10

本日の営業は停電により休業させて頂きます
コメント:なんとなくねじれ文風味
0

「イケメン」語誌

ちょっとやりとりがあったので調べたものを記録。

「イクメン」は「イケメン」から来てるけどなぜ「メン」?という疑問が。私はイケてるメンズ(men's)だと思ってたけど,大辞林第3版(2006)には面から来たとあるらしい(wikipedia)。さてどうなんだろう?

「イケメン」が新聞で使われ出したのは2000年の模様。ここでは朝日新聞を挙げるが,読売新聞も同様の結果だった。

朝日新聞(2000年1月10日,朝刊,東京面,31ページ)
勤務先のラーメン店。「金髪ヘアのイケメン風(いい男)、とうとうデビュー戦決定」。店内には社長の本間厚志(四〇)の手によるポスターが張り出された。

意味を直接書いたものとしては論文とやはり新聞が見つかった。論文は,キャンパス言葉として書かれていた。これは1996年と1999年の調査を元にしているので,イケメンという言葉自体はその頃だと推察できる。

洞澤 伸 (2000)「若者たちの言語生活に見られる他者の不在 : 岐阜大学「キャンパスことば」とその周辺事情の考察」『岐阜大学地域科学部研究報告』 6, pp.13-68
意味:イケてるメンズ,格好いい男,格好いい男たち

朝日新聞には2003年の記事に「面」とも「メンズ」ともあった。

朝日新聞(2003年10月06日,夕刊,レッツ1面,5ページ)
「きちんとした男性が接客すれば、女性客の購買意欲を後押しできる」。同店は直感した。そんな男性を表す「記号」として選んだ言葉が「イケメン」だった。「イケてるメン(men)」または「面」の略。「いい男」の意味で、00年ごろから若者が使い始めた。

もう1つ論文誌の特集号の巻頭言。

田邊 稔, 北島 由紀子, 豊田 雄司, 峯尾 幸信, 山地 康志 (2001)「特集「イケてる情報プロ
フェッショナルを目指して!」の編集にあたって」『情報の科学と技術』51巻4号p.201
ここ数年,特に若者の間で「イケてる○○」という表現が流行っている。これは某TV局のバラエティ番組【松浦注・フジテレビ「めちゃめちゃイケてる」】の影響かも知れないが,最近では,コギャルを中心とした若い女性がイケてるメンズ(格好いい若い男性たち)のことを略して「イケメン」とかとも呼んでいる。

どうもどちらもありそうだが,今のところ「面」だけというものは見当たらない。若者言葉から来ていることを考えると,この時代の若者向け雑誌を見るともっと分かるのだろうが残念ながらすぐにオンラインで検索できるものを見る限りこのあたりが限界だった。
0

地名「白石」の読み方を地図にプロットしてみた

札幌市民にとって「白石」は「しろいし」なんですが,他所では「しらいし」もよく見かけます(そのため札幌にいる「白石(しらいし)さん」は名前を正しく呼んでもらえない)。それで某SNSで見かけて気になったんで日本にある「白石」の読み方を調べてまとめました。

方法

郵便番号検索のサイトで「白石」と入力した結果を一つずつgoogle mapにプロット。

結果

地図を見るとだいたい東日本に「しろいし」が,西日本に「しらいし」が多めですが,函館に「しらいし」もありますし,佐賀や長崎に「しろいし」があったりもするので絶対的とは言えないでしょうね。

※青が「しろいし」,赤が「しらいし」,黄緑が「はくいし」です。画像からもgooglemapに飛べます。researchmapのブログはiframeタグが使えないという悲しみよ…


データ

シロイシ

北海道札幌市白石区
北海道函館市白石町
青森県上北郡七戸町白石
岩手県滝沢市鵜飼白石
宮城県白石市
宮城県仙台市泉区根白石
宮崎県延岡市白石町
福島県石川郡石川町白石
群馬県藤岡市白石
埼玉県児玉郡美里町白石
埼玉県秩父郡東秩父村白石
石川県羽咋市白石町
徳島県美馬郡つるぎ町半田白石
熊本県熊本市南区白石町
佐賀県杵島郡白石町
長崎県東彼杵郡川棚町白石郷

シライシ

北海道瀬棚郡今金町白石
福島県石川郡浅川町里白石
宮城県気仙沼市白石
千葉県銚子市白石町
神奈川県川崎市川崎区白石町
神奈川県三浦市白石町
富山県射水市小杉白石
京都府南丹市美山町白石
奈良県生駒郡平群町白石畑
奈良県奈良市都祁白石町
鳥取県東伯郡湯梨浜町白石
岡山県岡山市北区白石
岡山県笠岡市白石島
広島県大竹市白石
広島県呉市広白石
山口県山口市白石
愛媛県松山市石手白石
愛媛県八幡浜市川上町白石
高知県香美市香北町白石
高知県高岡郡津野町白石乙
高知県高岡郡津野町白石甲
高知県高岡郡津野町白石丙
徳島県那賀郡那賀町白石
熊本県葦北郡芦北町白石
熊本県上益城郡山都町白石
熊本県下益城郡美里町白石野

ハクイシ

島根県松江市宍道町白石

0

試合会場ゴミ拾い小史

サッカーW杯は毎度のように「試合後のサポーターのゴミ拾い」が話題になってる気がします。

 試合後の日本人サポーターによるスタンド清掃が注目を集める中、この日はセネガル人サポーターも一緒にゴミ拾いする姿が見られた。
 日本人の清掃活動については、英国メディアが23日の記者会見で「日本ファンはなぜ掃除するのか」と質問。DF吉田麻也選手(29)は「日本には『来た時よりも美しく』との言葉がある」と説明した。
 袋を持ってゴミ拾いしていたセネガル人サポーターのイサ・ハジさん(40)は「日本人の掃除のことをネット記事で知った。全てのサポーターがまねすべきだよ」と笑顔を見せた。
 東京都世田谷区の主婦永野政江さん(49)は「これまで日本が出場したW杯すべてで会場のゴミを拾ってきたが、世界に認められてうれしい」と喜んでいた。
(読売新聞2018年6月25日夕刊,13ページ)

これっていつからやってるんだろうというのが気になったので,新聞データベースを使って調べてみたところ,どうも最初にW杯に出場したフランス大会からサポゴミ拾いの歴史も始まっていたようです。

日本は優等生? それとも劣等生——。マナーとプレーをめぐる記事が,フランスの新聞に掲載された。アルゼンチン戦があったツールーズでは,ゴミを持ち帰る日本人サポーターや,控え室を片づけて引きあげた代表チームの行儀の良さを地元紙が絶賛した。片や,あるスポーツ紙は,出場32カ国のうち初戦で最も多くの反則をしたのは日本チームだったと指摘。代表チームを「劣等生」と酷評した。
(朝日新聞1998年6月19日朝刊,38ページ)

この日本人サポーターによるゴミ拾い,ユネスコのフェアプレー賞なるものまで受賞していました。

 第11回ユネスコ・日本フェアプレー賞の授賞式が15日、都内で行われた。
 最も栄誉ある特別賞に選ばれたのは、サッカーのワールドカップ・フランス大会の日本のサポーター。本来は選手が対象となる 賞だが、フェアな声援を送ったことや、試合後に客席のゴミ拾いを行ったことなどが評価され、異例の受賞となった。
(読売新聞1999年4月16日朝刊,20ページ)

その後,ゴミ拾いって毎回のようにやっていたように思うのですが,新聞記事では引っかからず。次に出てきたのは前回のブラジル大会。

 ◆ゴミ拾いは負けてない 
 【クイアバ=渡辺晋】日本サポーターは試合後、スタンドのゴミを拾い、この日は共感したブラジル人も加わった。東京都練馬区の会社員坂牧英明さん(29)は、フェイスブックで仲間がゴミ拾いを呼びかけているのを知り、日本から約30枚のゴミ袋を持参。「完敗でも、サポーターは負けていないところを見せたかった」と語った。
(読売新聞2014年6月25日夕刊,15ページ)

そう,この「サポーターは負けていない」的な物言いもけっこう見た気がします。さて,同じブラジル大会の記事。こちらの方がもっと詳しく載っています。

 サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会で、日本—コートジボワール戦の観戦を終えた日本人サポーターが、客席のゴミを片づける画像が世界に広まり、各国の主要メディアから称賛されている。
 ブラジルの有力紙「フォーリャ・デ・サンパウロ」(電子版)は15日、北東部レシフェで14日行われた試合の終了後に始まったゴミ拾いについて、「日本は初戦を落としたが、礼儀の面では多くのポイントを獲得した」と報道した。
 英紙インデペンデント(電子版)は16日、「日本の観衆がワールドカップの会場でゴミを集めたことは他国のサッカーファンにショックを与えた」と伝えた。
 韓国の聯合ニュースは16日、日本人サポーターについて「敗北の衝撃に包まれながらも、破壊的な行動をせず、ゴミを拾い始めた」と指摘。画像は、中国のインターネット・ニュースでも伝えられ、国営新華社通信の中国版ツイッター「微博」には、「日本のいい伝統は学ぶ価値がある」などの書き込みがあった。
       ◇
 サポーターによる観客席のゴミ拾いは、日本がW杯に初出場した1998年フランス大会から行われている取り組みだという。試合中膨らませて応援する青い袋を、試合後はゴミ袋として活用した。
(読売新聞2014年6月18日朝刊,34ページ)

なんとここに「フランス大会から」と書いてありましたね。ちなみにゴミ拾い活動はここでも現地で表彰されたようです。

 サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会で、日本代表の試合後に日本人サポーターが観客席のごみ拾いをしたことをたたえ、リオデジャネイロ州政府は11日、サポーター代表として駐リオ日本総領事や地元日系団体代表を表彰した。
 リオ州政府のカルロス・ポルチニョ環境局⻑は再生紙で作った表彰状を高瀬寧総領事に手渡し「言葉が通じなくても動作だけで素晴らしさが伝わってきた。日本人の行動は文化的な遺産だ」とたたえ「リオ五輪ではブラジル人にも見習ってもらいたい」と訴えた。
 2016年に五輪開催を控えるリオでは、セーリング会場となる港湾の水質汚染や路上へのごみ放置が深刻で、当局がポイ捨て禁止条例を施行するなど対策を強化している。だが、大きな効果は上がっておらず、表彰により市⺠の環境意識を高める狙いがある。(リオデジャネイロ=共同)
(日本経済新聞2014年7月13日朝刊,35ページ)

オリンピックについても探してみたのですが,ほとんど検索では見つけられず,数少ない記事もサッカー競技のものでした。

 試合前、地元・西部アマゾン日伯協会のメンバーたちが観客に青いゴミ袋2500 枚を配った。試合中は応援に、試合後はゴミ拾いに使ってもらうためだ。企画した日系2世、ノブオ・ミキさん(49)は「日本人の素晴らしさを世界の人たちに知ってもらうきっかけにしたい」と話した。
(朝日新聞2016年8月5日夕刊,9ページ)

最後に探してみて気づいたことが。会場のゴミ拾いはやたらと読売新聞が取り上げている傾向が見られました。もうそういうところを狙っているんでしょうかね。

0

私が学生に「大規模災害のときにSNSで何もするな」と伝えた3つの理由

昨朝(2018/06/18),大阪で震度6弱の地震があり,朝からテレビやSNSで様々な情報が流れていました。それに伴って各地の災害状況,インフラの状況,驚いたことなど様々な情報が拡散(リツイート)されています。情報の拡散の背景には「自分にもできることは」と考えて,とにかく役に立つ情報を流して(広げて)いこうという気持ちがあるんだろうと思います。たしかにこういうとき,当然のことながらいろいろな人がいろいろな仕事をして復旧や救援などにあたっていますし,私でもこういうときにどうしたらいいか考えることはあります。ですが,りあえずの結論として,当事者性の低い場合が多いであろう学生には「SNSでは何もするな」と伝えました。以下その理由です。 

ちなみに私は大学教員なので直接(口頭で)伝えたのは学生ですが,もっと対象を広げてもほぼ同じことだと思います。 

理由1:いつも正しい情報を適切なタイミングで流せるわけじゃない 


災害時に限らずSNS(もテレビも新聞も)からの情報は良いものも悪いものもあります。あなたが「良い」情報を10個流した(リツイートも含む)としても,1つ悪い情報があれば台無しです。これはあなたの信用を落とすだけでなく,被災地や関係者にとって有害,迷惑なものになります。どのような情報が信用できるかを判断するのは難しいです。フォロワーが何万人もいる有名人だって信じられないようなデマを掴むことがあります。特に経験の少ない人はなおさらです。確実な情報を適切に流すことができる人はいても1000人に1人ぐらいです。その1人になる自信はありますか? 

また,たくさんリツイートされた情報はもう用済みのものが含まれます。今何が必要かを判断するのは,良い情報を選ぶことと同じぐらい難しいことです。常にSNSを見続け情報の信頼性と速報性を満たすことはやはり現実的ではないでしょう。 

理由2:本当に「役に立つこと」が分かるには知識も経験も必要

 
「被災地は情報を求めている」というのは素朴に私たちが思うこととしてあるでしょう。だからこそ情報を拡散しているのです。しかし,誰にとって何が役に立つのかというのは実に難しいです。多くの情報はNHKなどのサイトやツイートを追って確認できます。そういった状況であなた個人がSNSでできることはほぼありません。

「誰も思いつかないようなこと」というのは,例えば東日本大地震のときに言語学者の高嶋由布子さんが中心となって,適切に情報にアクセスできない状態にあった日本語に熟達していない日本手話話者のために緊急記者会見やニュースの音声を日本手話に同時通訳した放送をウェブ配信しました。これは専門性や行動力が本当にうまく活かされた事例で,多くの人にはなかなか思い至らないことだと思います。 

理由3:「役に立ちたい」心は満たされないし,あなたが疲れます 


あなたが情報を流すのはなぜか。ひとつに「こういうときに人の役に立ちたい」からということがあるでしょう。そのような心を持つことに私は敬意を払います。しかし,情報を流し続けても,役に立ちたい心は満たされません。終わりの見えない作業にやがて疲れも出てきます。今そこに疲れてしまうことはあなたにとっても良くないことではないでしょうか。 

特に大規模災害で悲惨な映像やニュースに触れ続けていると,ただ情報を集めているだけでも気づかないうちに心がむしばまれます。場合によっては寝込んでしまうこともあります。そうなってからでは遅いです。「すぐに役に立つ」ことが全てではありません。じっと待ってしばらくしてから寄付をしたって(適切な場所を経由して)ボランティアに行ったっていいと思います。ですから,今は思い切ってSNSを切って,DVDでも観るか美味しいものを食べておきましょう。

最後に蛇足な補足。「SNSによるつながり」の力みたいなものを真っ向から否定するつもりはありません。だけど,それを発揮すべき場面は「ここ」じゃないと思うんですよね。
0

「大学生は授業以外で勉強しない」だって?バカ言ってんじゃないよ

【2018/04/12,13:45追記】
リセマムに問い合わせのメールを送ったところ,編集部の方より返信いただき該当記事は削除されました。真摯に対応していただいたと思います。私に届いたメールをつけておきます。

ご指摘のとおり、誤解を生じるタイトル、ならびに不完全な記事でございましたので、記事を削除いたしました。
リセマムでは、お子さまや保護者に役立つ情報提供をしていきたく考えており、悪意をもって情報発信をすることはございません。
この度の件は、編集部の校正ミスにより生じたことでございます。
今後はこのようなことのないようスタッフ教育をするとともに、信頼性の高い情報発信に努めて参ります。
今後とも、リセマムをどうぞよろしくお願い申し上げます。


【以下,原文(12:30公開)です】
リセマムという教育系の情報サイトがある。いろいろなところに散らばっている情報をまとめてみることができるので便利ではあるが,この記事は元の調査結果を完全に誤読したか,悪意あるかと判断せざるを得ないものなのでぜひ注意してほしい。

書いたのは奥山直美氏というライターの模様。検索してもリセマム以外ではあまりヒットしないのでどういうバックグラウンドを持っているのかも分からなかった。


この記事は次のような書き出しになっている。

授業以外の学習が「0時間」という大学生が全学年平均で45.4%を占めることが平成30年4月9日、国立教育政策研究所による平成28年度「大学生等の学習状況に関する調査研究」の結果から明らかになった。1年次に限ると「0時間」は52.8%と過半数をしめる。


これだけを見るとちまたによくある「大学レジャーランド論」の流れに乗ったような記事になっている。ちなみにこのあとは調査結果の記述が淡々とならべてあるだけである。しかし,この切り取り方は大問題である。


では何が問題なのか?元資料である国立教育政策研究所の平成28年度「大学生等の学習状況に関する調査研究」を見てみよう。調査の回答方式について,元資料の4ページには次のように書いてある。

調査票では,1週間当たり(土,日を含む)の各活動に使った時間を「0時間」,「1〜5時間」,「6〜10時間」,「11〜15時間」,「16〜20時間」,「21〜25時間」,「26〜30時間」,「31時間以上」の8個のカテゴリーのいずれかを選択する方式で尋ねている。

また,ここにある「各活動」というのは次のようになっている。

  • 大学の授業
  • 大学の授業の予習・復習
  • 卒業論文・卒業研究
  • 大学の授業以外の学習
  • 部活動・サークル活動
  • アルバイト・定職
  • 就職活動
  • 娯楽・交友

見ると分かるように,記事に書いてある「授業以外の学習」には予習・復習は含まれない。さらに,7ページから「授業以外の学習」について解説が入っているが,この項目の脚注6には「調査実施時に配布した「調査記入要領」には,「大学の授業以外の学習には,ダブルスク ール,英会話学校,通信教育講座や独学での学習などが該当」する旨記載されている」と記されている。つまり,記事の見出し「大学生の学習時間、授業以外「0時間」45.4%」というのは「大学外の学習機関や独学で勉強している」時間を指しているのである。公務員講座や国家試験対策などで予備校に通わない限り,外部の学習期間を利用する学生はそう多くないだろうから,このような結果はある意味当たり前である。


しかしこの記事の見出しはあたかも大学生が授業以外では勉強しないように見せている。奥山直美氏はどうしてこのような見出しにしたのだろう?誤解を招くような悪意ある記事を書く人間に教育に関して記事を書かせるべきではないし,もし元資料の脚注やアンケート項目を読み落としたのなら,やはりその程度の人間に教育の記事を書いてほしくはない。


以下は完全な余談。このアンケートは11月に実施しているので比較的時間が少なく出ているが,これが1月や7月などの学期末になると学習時間は激増することが容易に想像できる。その意味ではアンケートで学習時間を聞くというのは正確性の面で危ういとも言える。

0

「笛太鼓」連濁論

「た」?「だ」?
もう過ぎてしまったのですが,3月はひな祭りです。ひな祭りの歌として有名なのは「うれしいひなまつり」ではないでしょうか?実は先日この歌を聴くことがあったのですが,その途中で「え?」と驚いてしまいました。まずは歌詞をご覧ください。

あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひなまつり

さてこの「笛太鼓」をどう歌いますか?私は「ふえだいこ」と太鼓を連濁させていたのですが,その演奏では「ふえたいこ」と連濁させていませんでした。自分だけ間違ってたのかなと思いTwitterでアンケートしてみたところ,私と同じく連濁させない人が多数(おおよそ2:1)でした。



実は元の歌詞を見ると「ふえたいこ」とあるので本来は連濁しません。また,連濁は語構成によって決まる面もあり,この場合の「笛太鼓」は「笛」と「太鼓」という2つを並べたものです。このような並べた言葉では連濁は起こりません。連濁させると「笛太鼓」という1つの楽器があるように感じますね(なのに連濁させてたワタシ)。

どうして連濁するのか?
さて,それではどうして連濁する「ふえだいこ」がこれほどまで出てくるのでしょうか?正確な理由は分かりませんが,「ふえたいこ」と書かれたものが歌われていたのですが,歌詞が比較的簡単で記憶のみで歌い継がれていくにつれ,「太鼓」が本来持つ連濁しやすさに引きずられていったのではないでしょうか?また,youtubeの歌い手の違いもそういうことがありそうな…?もちろんこれに強い根拠はないのですが。

資料(youtube動画)
youtubeで検索して出てきた順番に「ふえたいこ」か「ふえだいこ」かを調べたので貼り付けておきます。

ふえたいこ(連濁なし)
カラオケからの編集?


歌い手不明

梅田さんという方のオリジナルですかね
合成音声ですね
東京放送児童合唱団
フォレスタ(グループ)
初音ミク
かなり古い演奏
子供のカラオケ歌唱(なんかの祭り?)
弾き語り

ふえだいこ(連濁あり)
onward童謡(詳細不明)
みみちゃんレコード児童合唱団

めろでぃーらいん(オリジナル演奏?)
チャラン・ポ・ランタン
子供の弾き語り(youtuber?)
0

MS wordで文字の上に線を引く方法の比較

先日(というか昨日),以下のブログ記事で文字の上に線を引く方法を紹介したのですが,他の方とのやりとりの中で,他の方法についてちょっと話題になったので簡単に紹介と比較をしておきます。

※上下の行との間隔について若干追記しました(2018/2/21, 11:42)

結論としては変わらず,上の記事で紹介した方法(フィールドコードでEQと\oを使う)がベストだと判断しています。


文字の上に線を引く他の方法については以下のページに紹介されています。

ここでは「ルビを使う」「数式を使う」「フィールドコードで\toを使う」という3つの方法が紹介されており,これに加えて私の紹介した「フィールドコードで\oを使う」という方法があります。これら4つについて,私の視点からこれらを比較しておきたいと思います。


1. ルビを使う

  • 仕上がり

  • 方法
    1. 文字を選択して[ホーム]タブの[ルビ]をクリック
    2. —をたくさん並べて(少ないと点線になる)OKを押す
  • 利点
    • 手軽
    • 文字列から線の間隔を調整しやすい
    • 線の種類が変えられる
  • 欠点
    • 上下の行と間隔が空いてしまう(段落の書式を設定して行間を固定値にすれば解決できるけど,面倒くさい)

2. 数式を使う

  • 仕上がり

  • 方法
    1. 文字を選択して[挿入] タブの[数式]をクリック
    2. [アクセント]の中にあるオーバーラインを選択

  • 利点
    • —の数を数える手間がない
    • 手軽
  • 欠点
    • 文字列から線の間隔が調整できない(かも)
    • 上下の行と間隔が空いてしまう(ルビと同様,調整できるけど面倒)
    • 線の種類が変えられない
    • 数式エディタのようにある日サポートされなくなる可能性がある(これはフィールドコードも同じなのですが,より可能性が高そうという意味で)


3. フィールドコードで\toを使う

  • 仕上がり

  • 方法
    1. 上線を付けたい位置にカーソルを置く
    2. フィールドを挿入する(Macはcommand+F9,Winはctrl+F9)
    3. { }の中に EQ \x \to(上線を引きたい文字) を記入する

  • 利点
    • —の数を数える手間がない
  • 欠点
    • 文字列から線の間隔が調整できない(かも)
    • 上下の行と間隔が空いてしまう(ルビと同様,以下略)
    • 線の種類が変えられない
    • やや手軽さに欠ける

4. フィールドコードで \o を使う(私のおすすめ)

  • 仕上がり

  • 方法(先日の記事の簡略版です)
    1. 上線を付けたい位置にカーソルを置く
    2. フィールドを挿入する(Macはcommand+F9,Winはctrl+F9)
    3. { }の中に EQ \o(上線を引きたい文字, ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) を記入する。このとき ̄の数は上線を引きたい文字の数に合わせる

  • 利点
    • 上下の行と間隔が空かない
    • 文字と線の間隔を調整できる
      • フィールドコード内で線を選択し,右クリック→フォントからフォントの詳細設定を出し,「位置」を「上げる」にして間隔を決める(もちろん上の行とその分だけ間隔ができるが,他の方法ほどはできない)
  • 欠点
    • 線の種類が変えられない
    • やや手軽さに欠ける
私としては多少の手軽さ(といってもVBAを書くほどの難しさはないと思います)を犠牲にしても上下の間隔を損なわずに作りたいと思うので,4番で紹介した方法がベストだと思います。ちなみに上下の間隔は段落の設定で「1ページの行数を指定時に文字を行グリッド線に合わせる」というチェックを外せばある程度は改善されますが,それでも間隔は空いてしまいます。
0

MS Wordでアクセントなどの音調を表示させる方法

日本語アクセント関係の論文では高い音調(ピッチ)を文字に上線を引いて表すことがあります。例えば「弟が」ではトートの部分が高くなるので次のような表示になります。

  • 弟 

ただ,MS Wordでは上線を引くことができない(一太郎では引ける)ので,ちょっとした操作が必要になります。もちろん線を引くだけなら図形で線を入れればいいのですが,地の文ではずれますし,微調整が必要だったりと結局面倒です。そこで,ここでは「フィールドコード」を使った方法を紹介します。

※操作環境がWord for Mac 2016なのでWindowsでは異なるところがあるかもしれません。

ステップ1:上線付きの文字を入れたい位置にカーソルを合わせる。


ステップ2:MacではCommand+F9,WinではCtrl+F9を入力し,空のフィールドコード{  }を作る。


ステップ3{ }の中に次のように入力する。(直接ステップ4をやっても大丈夫ですが,こうした方が分かりやすいかも)

EQやOは小文字でも可。もともとフィールドコード内にある半角スペース2つは削除する。コピペ用のテキストも置いておきます(そのままペーストすると書式の情報が残ってしまうので,「形式を選択してペースト」→「テキスト」を選択してください)。

EQ \O(ア, ̄)

ステップ4:ステップ3の入力部分のうち「ア」を上線を付けたい文字に変え,その文字の分だけ ̄を付け足す。

または以下をコピペ

EQ \O(トート, ̄ ̄ ̄)

ステップ5:入力したフィールドコード上にカーソルを置いてShift+F9でフィールドコードを非表示にすれば完成。私はフィールドコードがある部分を常時網掛け表示にしていますが,これは印刷時には消えています。



もっと手軽にやる方法としてはルビを使うものなどもありますが,現時点ではこれが一番美しく表示されるのではないかと思います。

0

ご恵贈御礼『「あ」は「い」より大きい!? 音象徴で学ぶ音声学入門』

慶應義塾大学の川原繁人さんよりご恵贈頂きました。

いつものように簡単な紹介など。

目次は以下のとおりです(出版社のページより)。
第1章 この本について
1.1. 言語学とは? 音声学とは? 
1.2. 音声学は難しい?
1.3. 音声学は難しくない!
【コラム1-1】誰でも知っている音象徴
1.4. 本章の流れ
 1.4.1. 第2章 
 1.4.2. 第3章
 1.4.3. 第4章 
 1.4.4. 第5章
 1.4.5. 第6章  
【コラム1-2】ちょっとまじめな恣意性の話
1.5. まとめ
1.6. 練習問題
1.7. 参考文献

第2章 優しい音、ツンツンした音
2.1. /maluma/と/takete/と2つの形
【コラム2-1】動きであっても/maluma/は/maluma/
2.2. 名前で魅力度が変わる?
【コラム2-2】「やよい」ちゃんと「さつき」ちゃん
2.3. 男の子の音、女の子の音(日本人編)
2.4. 秋葉原のメイドさんの名前を分析してみた  
【コラム2-3】萌え声とツン声を使い分ける声優さん  
【コラム2-4】2011 年と2016 年を比較してみよう 
2.5. まじめな話:「萌え」と「ツン」と「圧力変化」 
【コラム2-5】「マナカナ」vs.「カナマナ」
【コラム2-6】なぜ「ま」には濁点が付けられないの? 
【コラム2-7】阻害音と小さい「っ」
【コラム2-8】阻害音と語形成   
2.6. まとめ
2.7. 練習問題
2.8. 参考文献 

第3章 大きな音、小さい音
3.1. /a/と/i/はどちらが大きい?  
【コラム3-1】「おしゃかなしゃん」の謎
3.2. 新種の蝶に名前を付けてみよう
3.3. 知らないと損するかもしれない値引きの音象徴 
3.4. /i/は笑顔の証拠:声で恭順を示すには? 
3.5. お猿も使う恭順の/i/
3.6. すべての母音を並べてみよう
【コラム3-2】簡単に実験してみよう         
3.7. 母音の発音の仕方
【コラム3-3】魅力的な母音   
【コラム3-4】日本語の顔文字を作った天才    
【コラム3-5】動詞と形容詞の語幹
3.8. MRIで母音を見てみよう     
【コラム3-6】MRIで音声を記述する    
3.9. 母音の音響と音象徴:なぜ前舌母音は「小さい」の?
【コラム3-7】音の高さは厳密にどう決まる?    
【コラム3-8】歯ブラシで第2フォルマントを聞く  
【コラム3-9】疑問文はなぜ上昇調?  
3.10. 第2フォルマントは割り算だけで計算できる 
【コラム3-10】「う、お」では唇が丸まるのはなぜ?  
3.11. まとめ           
3.12. 練習問題   
3.13. 参考文献 

第4章 濁音と向かい合う
4.1. ガンダムとカンタム  
4.2.「きゃりーぱみゅぱみゅ」と
  「浜田ばみゅばみゅ」:名前の中の濁音    
4.3. 悪者は濁音? 悪者から濁点を取って遊ぼう!  
【コラム4-1】実際に濁点を取って遊んでいる人がいた 
4.4. 口腔が広がる濁音の調音
【コラム4-2】ボイルの法則4
【コラム4-3】/b, d, g/のどれかが一番難しい?    
【コラム4-4】2つの濁音はご勘弁? ライマンの法則 
4.5. /maluma/ vs. /takete/ = /bouba/ vs. /kiki/?    
【コラム4-5】「なんだチミは?」の秘密1
【コラム4-6】Pプラートraatで自分の発音を分析してみよう 
【コラム4-7】濁音は汚い?
4.6. 濁音の音響  
4.7. まとめ 
4.8. 練習問題   
4.9. 参考文献 

第5章 学生たちが見つけた音象徴
5.1. ママとパパとオムツの名前
【コラム5-1】名探偵コナンも知っている両唇音    
【コラム5-2】調音点と日本語ラップ
5.2. 「ふ」と「す」は流れている?
5.3. おやつに/p/  
【コラム5-3】ピコ太郎とシェイクスピアと頭韻      
5.4. 語頭の濁音は特に汚い?
5.5. すっきり系のお菓子の名前は?        
5.6. 濁音と阻害音はやっぱり男性的(アメリカ編) 
5.7. 漫画の効果音も音象徴で分析?        
【コラム5-4】ジョジョの奇妙な音象徴9
5.8. メイド分析再び:「萌え声」と「ツン声」     
【コラム5-5】セクシーな声ってどんな声?      
5.9. ブランドネームと音象徴
5.10. 『クラテュロス』再び
5.11. まとめ5
5.12. 練習問題
5.13. 参考文献   

第6章 ポケモンでする音象徴研究
6.1. ポケモンについての予備知識
6.2. 濁音と進化レベルの相関
【コラム6-1】ポケモンと対数変換
6.3. やはり濁音は「大きく」「重い」
【コラム6-2】ポケモンと回帰直線
6.4. 名前が「長い」と「強くなる」?
【コラム6-3】挑戦! 重回帰分析
6.5. ポケモンで実験してみよう!
6.6. ポケモン名における母音の効果は?
6.7. これからのポケモン研究       
【コラム6-4】ポケモン研究の反響
6.8. まとめ
6.9. 練習問題
6.10. 参考文献

第7章 より広い視点から
音象徴・音声学を考える   
7.1. バベルの塔は崩壊していない?
7.2. 多感覚知覚:マルチモダリティ     
7.3. 他分野で生きる音声学
 7.3.1. 音声学と外国語学習
 7.3.2. 音声学と声楽2
 7.3.3. 音声学と感情表現 
 7.3.4. 音声学と医療
 7.3.5. 音声学と商標登録
 7.3.6. 音声学と科学技術     
7.4. 参考文献

第8章 最後のメッセージ
8.1. 名は体を表す
8.2. 中学・高校での学びを大切に
8.3. いくらチャラついていても
8.4. 謝辞 

付録 用語集

ウェブやテレビなどで「最近の子供の名前は意味より響きを重視する傾向にある」とか「なんか優しい感じの響き」といった言葉を聞くことがあります。そういった音の響きと意味の関係というのはあまり正面から音声学者が扱うことは少なかったように思います。ただ数年前からオノマトペに関する研究が盛んに行われるようになり,音と意味の関係について研究の話を聞く機会が増えたように思います。音と意味の間は恣意的な関係で,ほぼ無関係(音象徴は例外的)と見なされることが多かったように思います。それに対して本書は音と意味の間には強い関係が様々な側面で見られることを身近にある素朴な素材や疑問からスタートし,様々な実験データを用いて解説しています。もちろん音と意味の関係が恣意的である場面は多いのですが,無視していいほど弱い関係でもないということが全体を通して分かるのではないかと思います。また,それらが心理実験や大量のデータに基づいて仮説を検証するという科学的手続きに則って導かれています。

さて今,本書の解説を「分かりやすく」と書きましたが,本書が一般的な啓蒙書と大きく異なるのは具体的なデータ,英語の原文,統計,圧力変化などの数学や物理的要素についても丁寧に説明されているところでしょう。音声学の勉強といったとき,様々な音声がどのように発音されるかという調音的要素を重視して学ぶことが多い(多かった?)ように思いますが,音声学にはどう聞こえるかという聴覚的要素や,それらを繋ぐ音響学的要素もあります。聴覚的要素の理解には人間の知覚が対数に変換されていることは基本となりますし,音響的要素の理解にとって音波の性質や基礎となる三角関数の理解は重要となります。本書ではそれらについても丁寧に数式の展開を解説したり,図表を多く用いて視覚的な理解を促したりしています。また,参考文献と練習問題,サポートページが非常に充実しており,さらなる高みへ行くことも十分に可能です。

以下余談です。私の場合,音声学の授業として受けてきたのは,上に書いたような調音音声学のトレーニング(IPAを発音できるようにする,聞いた音声をIPAで書き取れるようにする)だけでした。当時はPCでの録音など手軽にはできませんでしたし,記述言語学のためのトレーニングとして週1コマでやることとしては悪くもなかったかと思います(一方で音声の構造を理解する上でベストだったかと言われるとやや疑問も)。ただ,2002年頃から音声学を言語聴覚士の養成校で教えるようになり,そこでは調音音声学のトレーニングよりも調音器官の構造や,日本語の標準的な音声と典型的な音声障害,音響音声学的測定や聴覚音声学についての理解がより重要になってきました。また,それは自分の研究の好みや必要性としても強くつながり,ほぼ独学で学んでいくことになりました。幸いにして『音声の音響分析』(荒井隆行・菅原勉監訳)や『音声知覚の基礎』(今富摂子・荒井隆行・菅原勉監訳)などの読みやすい訳書が出て,同時に本書でも紹介されているPraatなどのソフトウェアも充実してきたのでどうにか学ぶことはできたし,教えてもいたのですが(ちなみに2008年度の授業ノートや,2010年に行った集中講義の資料(その1)(その2)(その3)なんかもまだ公開していますが,お恥ずかしい限りです),当時に本書のような第一歩としてだけでなく,深みも見せてくれるような本があればどれだけ助かったでしょうか。そんなことを考えながら読んでいきました。

===
2018/02/19 外部リンクの追加
0

英語論文を書くときに使える(かもしれない)サイトのリンク集

英語論文を書くとき「あれ,こういうときに使えるサイトあったよね?」みたいなことがあるので,まとめておく(分類は今後の課題)。
0

卒業研究で尋ねたいこと

私は学科の所属ではないので卒業研究・卒業論文の指導はしていないのですが,好きなので単なる客として卒業研究の発表会に混ざることがあります。そこで当然質問やコメントをします。研究に対する質問なので,手法や結果の解釈なんかも当然入るのですが,それよりも私が大切にしたいのは次の4点です。
  • あなたの研究の問いは何か?(問い
  • なぜその研究をしたのか?(背景
  • 問いの答えは何か?(答え
  • 答えの根拠は何か?(根拠

実は卒業研究の中にはポスター発表で発表する学科もあって,そこに私が行くとだいたい「1分で説明して」と言います。当然1分じゃ全部を説明できないので学生も焦るのですが,頭から早口で話してしまう学生もいて,ちょっとツッコミを入れつつ,上の4点を確認しています(口頭発表でも上の4点に不足があると聞きます)。


自分でやった研究をまとめるということはなかなか難しいものだというのは分かるのですが,特に背景と問いは研究の根幹をなすものなので,常に意識して欲しいところだなあと外様の人間ながら思いました。また来年もこれを聞こうっと。
0

大学教員の格差と仕事について少しだけ

大学非常勤講師のインタビュー記事が出ていました。
基本的には仮名ススムさんという専業非常勤(非常勤講師で生活する人)の方のインタビューをもとにした記事です。読んでみたのですが,ちょっと趣旨の分からないものというのが一番の感想です。同じような記事に対して同じような感想を抱くのは初めてではなく,過去にも以下のような記事を書きました。
同じ話の繰り返しもありますが,改めて考えたことについてまとめておきます。

コマあたりの給与について
ススムさんは80年代に学生だった方で博士課程中退(満期退学かは不明)で,現状は以下のとおりです。

複数の大学で週5コマの授業を担当。雑誌への執筆や専門学校での集中講座などの雑収入を合わせると、ようやく年収200万円ほどになる。

これはコマ数を考えると標準的な金額だと思います。経験上,大学非常勤講師だとだいたい1コマ(90分)1万円程度でした。私の場合,最大で週9コマやっていたので生活も出来ていたのですが,5コマだとちょっと厳しいかもしれませんね。

給与格差について

同世代の専任教員で担当するコマ数が同じ場合、給与はおおむね自分の5倍だという。また、作春まで非常勤講師の雇い止めをめぐる紛争が続いていた早稲田大学では、非常勤講師らでつくる労働組合「首都圏大学非常勤講師組合」と大学側の交渉の過程で、専任教授と非常勤講師が同じく週4コマの授業を担当した場合、年収に10倍近い開きが出ることも明らかになった。

これはちょっと無理筋な話もあります。非常勤講師の給与は経験や年齢などによって多少異なりますが,年齢にかかわらず基本的には1コマ1万円程度です。一方,専任教員であれば年齢や経験などに応じた昇給がある給与制度なので,年齢が上がるにつれて給与が上がり,それが差となって50代で数倍の違いが出ることにもなります。その違いを考えずに何倍あるとだけ言われても,ちょっと反応に困るなあというのが正直なところです。

私は、非常勤講師と専任教員の間にある格差すべてを否定するつもりはない。大学によって、専任教員には大学運営や入試関連の業務があり、仕事内容は非常勤講師のそれと同じではない。しかし、給与だけで5倍の格差は大きすぎる。10倍にいたっては論評する気さえ失せる。

「専任教員には大学運営や入試関連の業務があり、仕事内容は非常勤講師のそれと同じではない」とは書いているものの,「10倍にいたっては論評する気さえ失せる」などと書かれると,単に専任教員の給与を下がることにしかつながらないでしょう。

その他の待遇格差と仕事内容について

格差は給与だけにとどまらない。専任教員には研究費が支給され、研究室が利用できるほか、大学側が費用を一部負担する公務員共済や私学共済などに加入することもできる。これに対して非常勤講師にはそうしたメリットは原則、ゼロ。社会保障も、全額自分で掛け金を払う国民年金や国民健康保険に入るしかない。

ここも「ちょっと待って!」となります。非常勤講師は「科目の担当」が業務内容であって,「研究」そのものは大学から依頼されていません。もちろん大学の科目ですから一定の専門性が必要で,研究したことが授業にも生きてくることは多いのですが,でもあくまで授業に対して給与が発生します。その点を考えてないのかなという気になります。

以前書いた記事でも言及しましたが,専任教員の仕事は多岐にわたります。私の場合,ここ2年ほどの仕事をまとめると次のようになります。
  • 教育
    • 授業 半期5コマ(ただし突然の非常勤の退職で増えることもある)
      • 資料準備
      • 課題採点
      • レポート採点
      • 学生対応
    • 非常勤講師のコーディネート(新規依頼,クラス数管理など)
    • 教育改善の取り組み
      • 事後シラバスの作成・編集
      • 担当教員ミーティング
    • ラーニング・コモンズでの学習支援(90分×週2回)
  • 研究
    • 論文執筆
    • 研究発表
    • 調査
    • 査読・審査
    • 外部資金獲得
  • 校務
    • 委員会業務
      • 人によるが2〜4程度かけもち
      • 年間の回数はまちまち(2〜3回から15回以上まで)
    • 所属部門の業務
      • 私の場合,学科ではなく共通科目部門にいるので,そこで必要な業務を担当
    • カリキュラム編成
      • おおよそ4年ぐらいでカリキュラムが変わるのでそれに応じてカリキュラムを設計する
      • 会議が増える
    • ワーキンググループなど
      • 全学的に臨時の課題(上記のカリキュラムなども含む)についてワーキンググループが立ち上がると以下略
    • その他
      • 模擬講義
        • 50分程度の講義
        • 年3〜4回程度
        • 高校生対象だが,中学生のことも
      • 書けないもの多数。その辺はお察しください
これ,別に忙しい自慢をしたいわけではなく(そんなの不毛です),大学教員の給与が授業だけに対して支払われているわけではないんだということを分かってほしいのです。

ただ一方で,保険については一定数以上のコマを担当してもらっている人は入れるような仕組みにしてもとは思います。これがあるとかなり助かりますから。大学によっては非常勤講師1人あたりの担当コマ数に上限があるところもあるのですが,保険の都合とかかもしれません。

みんなハッピーになるのは難しい

最近は専任と言っても3年から5年程度の任期付き教員というのも本当に増えました。非常勤講師に比べれば次のようなメリットはあります。
  • 任期付き教員のメリット
    • 研究費と研究スペースが付く
    • 複数年の雇用が可能
    • 給与が上がる
    • 社会保障の負担が減る

私の担当科目(初年次の日本語表現)のように1人あたりの担当クラス数が多いならこういった形の雇用を検討する価値は十分にあるのかもしれませんが,たとえば全学で週1コマしか開講されない科目の場合,全員をそういった形の雇用にすることは不可能です。その他にも次のようなデメリットがあります。

  • 任期付き教員のデメリット
    • 週あたりの授業がかなり増えるかも
    • 数年で雇用が終わる
    • 全体の数が減る
どうすればみんな(とは言わずとも多くの人)がハッピーになれるのか,なかなか難しいです。
0

2017年のブログ記事回顧

年末なので今年書いた記事を簡単に振り返っておきたいと思います。今年は10本とかろうじて2桁に届きました。それなりにまとまったものを定期的に書く習慣とトレーニングと思って今年は毎月1本を目指していたのですが,途中で息切れというブログあるあるぶりを発揮しました。まあそんなのより論文書けという話でもあります。


読んでほしいなあという記事

執筆準備に3週間近くかける,おまけに他の人も巻き込んで書くという準備ぶりだったのでぜひ。というのは半分冗談ですが,自分の勉強になったと同時にそれなりに反応を頂いたので,そのときのことも含めて楽しい記事になりました。卒論の調査に協力することもあるんですが,それも含めて調査する人にちょっと立ち止まって考えてほしいなあと思うことがあります。もちろんこの記事にあがったケースほどのことはありませんが。自分のことを振り返る良いきっかけにもなりました。自分の研究と社会を繋げる方法について考えることは多いです。学振でもひらめきときめきサイエンスという事業もやっていますが,個人レベルでもこういった記事をいろいろな分野の方が発信してくれたらなあと思います。ただこの記事はホント短い時間で書いたのでまた書き直したいところです。

2018年に向けて

2018年もまた月1本以上を目標に書いていきたいですね。あまり肩肘張らないで書いているつもりではいるのですが,調査機材やソフトの紹介とかいったリラックスした記事があってもいいかもしれませんね。

今年,いくつか仕事(原稿)の依頼を頂いたのに出版されるときにきちんと紹介するのをつい忘れてしまいそうなので,それらは忘れないようにしたいですね。あとご恵贈いただいた本の紹介も忘れずに(いま1冊残ってます…)。

0

101冊の言語学書大行進

SNSやネット記事で「アメリカ(ヨーロッパ)の大学生は在学中に100冊は本を読む。それに比べて日本(以下略」という話を目にすることがあります。その真偽・賛否・内容はともかく,言語学をやる学生向けに和書で100冊選ぶとしたらどうなるのかなと思いリストアップしてみました。

もちろん私一人ではどうにもならず,何名かの方々に推薦頂きました。お名前を挙げると分野が丸わかりで何らかの迷惑がかかるかもしれないので記すことはしませんが,あらためて感謝申し上げます。

私の専門分野や好みの問題で偏りもありますが,個人が出すブックリストってそういうもんだと思うので,どうかご容赦を。また,学生が読むには難易度の高いものもそれなりに含まれています。私としては「ぜひ読んで!」というものから「一度手に取ってみて!」というものまで差があるのですが,そのあたりは特に記していません。そういうこともあり,個別の本について詳しいレビューはつけておらずごくごく簡単な紹介にとどめています。いずれにせよ,まずは手にとって眺めてみることからしてもらえればと思います。

最後に,特に各分野専門家からすれば内容・分類に不満もあるかと思います。そういうときはぜひ「あなたの100冊」を作ってみてください(100冊にこだわる必要はないけれど)。

 

総説・概説書(20冊)

[1]-[4]は言語学がどういう学問分野かを知るものを中心にいわゆる入門書的なものと網羅的な概説書になっています。[5]-[8]はより科学としての言語学についての方法論や具体的な考察になります。[9]-[11]は日本語に特化した分析をしています。母語を基盤に考察することは言語学のトレーニングとして基礎となると思われるので,そのためのものとして挙げています(母語を研究すべきという話ではありません)。[12]は日本語の研究をする上での問題のありかや研究の進め方について知るのに適しています。[13]は多様なトピックを短くまとめています。[14]は言語学史について比較的読みやすく書かれています。[15]-[20]はいわゆる古典を中心に選びました。
  1. 上山 あゆみ (1991)『はじめての人の言語学:ことばの世界へ』くろしお出版
  2. 黒田 龍之助 (2004)『はじめての言語学』講談社
  3. 大津 由紀雄(編) (2009)『はじめて学ぶ言語学:言葉の世界を探る17章』ミネルヴァ書房
  4. 井上 和子,原田かづ子,阿部 泰明 (1999)『生成言語学入門』大修館書店
  5. 松本 裕二,今井 邦彦,田窪 行則,橋田 浩一,郡司 隆男 (1997)『岩波講座 言語の科学〈1〉言語の科学入門』岩波書店
  6. 郡司 隆男,坂本 勉 (1999)『言語学の方法』岩波書店
  7. 井上 和子(編) (1989)『日本文法小事典』大修館書店
  8. スティーブン・ピンカー(著), 椋田 直子(訳) (1995)『言語を生みだす本能(上)(下)』NHKブックス
  9. 沖森 卓也,木村 義之,陳 力衛,山本 真吾 (2006)『図解日本語』三省堂
  10. 益岡 隆志,田窪 行則 (1992)『基礎日本語文法 改訂版』くろしお出版
  11. 庵 功雄 (2001)『新しい日本語学入門:ことばのしくみを考える』スリーエーネットワーク
  12. 定延 利之(編) (2015)『私たちの日本語研究:問題のありかと研究のあり方』朝倉書店
  13. 斎藤 純男,田口 善久,西村 義樹 (2015)『明解言語学辞典』三省堂
  14. 加賀野井 秀一 (1995)『20世紀言語学入門』講談社
  15. エドワード・サピア (1998)『言語』岩波書店
  16. フェルディナン・ド・ソシュール(著), 影浦 峡,田中 久美子(訳) (2007)『ソシュール一般言語学講義:コンスタンタンのノート』東京大学出版会
  17. ノーム・チョムスキー(著),福井 直樹,辻子 美保子(訳) (2003)『生成文法の企て』岩波書店
  18. ノーム・チョムスキー(著)  福井 直樹,辻子 美保子(訳) (2017)『統辞理論の諸相 方法論序説』岩波書店
  19. レイ・ジャッケンドフ (2004)『心のパターン:言語の認知科学入門』岩波書店
  20. ジョージ・レイコフ,マーク・ジョンソン(著),渡部 昇一,楠瀬 淳三,下谷和幸(訳) (1986)『レトリックと人生』大修館書店

音声学・音韻論(10冊)

[1]-[2]は音声学全般に関する入門書になっています。[3]も全般を扱いますが,特に調音的側面について詳しいです。その上で[4]-[5]で音響的側面や聴覚的側面について特に学ぶことができます。[6]-[8]は日本語を中心とした音韻論に関する本になります。それに対して外国語(未知の言語)の分析について広く扱っているのが[9]になります。[10]は音声学ですが,上では扱われていない,だけど重要な側面について詳しく書かれています。
  1. ジャクリーヌ・ヴェシエール (2016)『音声の科学:音声学入門』白水社
  2. 川原 繁人 (2015)『音とことばの不思議な世界』岩波書店
  3. 斎藤 純男 (2005)『日本語音声学入門 改訂版』三省堂
  4. レイ・D・ケント,チャールズ・リード (1996)『音声の音響分析』海文堂
  5. 杉藤 美代子 (2012)『日本語のアクセント,英語のアクセント:どこがどう違うのか』ひつじ書房
  6. 窪薗 晴夫 (1999)『日本語の音声』岩波書店
  7. 窪薗 晴夫 (2006)『アクセントの法則』岩波書店
  8. 田中 伸一 (2009)『日常言語に潜む音法則の世界』開拓社
  9. 柴谷 方良,影山 太郎,田守 育啓 (1981)『言語の構造 音声・音韻篇』くろしお出版
  10. 森 大毅・前川 喜久雄・粕谷 英樹 (2014)『音声は何を伝えているか:感情・パラ言語情報・個人性の音声科学』サイエンス社

形態論・統語論(10冊)

[1]-[3]が形態論について書かれたものになります。[4]はタイトルからすると異質に思えるかもしれませんが,形態論・統語論のやや高度なイントロになりますし,第4章は国文法の活用論について詳しく問題点も含め書かれています。[5]-[8]は生成文法による統語論で,[5]と[6]で具体的な分析にバランスよく触れることができると思います。[7]-[8]は生成文法の変遷やそこでの分析が具体例とともに取り上げられています。[9]-[10]はやや高度ですが,重要な文献と位置づけられるのでここに入れました。
  1. 窪薗 晴夫 (2002)『新語はこうして作られる』岩波書店
  2. 影山 太郎 (1993)『文法と語形成』ひつじ書房
  3. 影山 太郎 (1999)『形態論と意味』くろしお出版
  4. 益岡 隆志,郡司 隆男,仁田 義雄,金水 敏 (1997)『岩波講座 言語の科学〈5〉文法』岩波書店
  5. 郡司 隆男 (2002)『単語と文の構造』岩波書店
  6. 岸本 秀樹 (2009)『ベーシック 生成文法』ひつじ書房
  7. 北川 善久・上山 あゆみ (2004)『生成文法の考え方』研究社
  8. 井上 和子(2009)『生成文法と日本語研究―「文文法」と「談話」の接点』大修館書店
  9. 原田 信一 (2001)『シンタクスと意味―原田信一言語学論文選集』大修館
  10. 三上 章 (1960)『象は鼻が長い:日本文法入門』くろしお出版

意味論・語用論(10冊)

[1]は単語の意味,文の命題的意味,文脈的意味を包括的に扱った入門書になります。[2]-[3]は形式意味論を扱っており,[2]で考え方をつかみ記号については[3]で学ぶというのが一つのスタイルになると思います。[4]-[5]は認知意味論に関するものですが,やや難易度でギャップがあるかもしれません。[6]-[9]は語用論に関するもので,[8]-[9]はポライトネスに関するものです。[10]は統語論,意味論,語用論と広い話題を扱っていますが,それらのつながりを特に知識状態との関連で見ることができるでしょう。
  1. 金水 敏,今仁 生美 (2000)『意味と文脈』岩波書店
  2. ポール・ポトナー (著),片岡 宏仁 (訳) (2015)『意味ってなに?形式意味論入門』勁草書房
  3. 田中 拓郎 (2016)『形式意味論入門』開拓社
  4. 谷口 一美 (2006)『学びのエクササイズ 認知言語学』ひつじ書房
  5. 野村 益寛 (2014)『ファンダメンタル認知言語学』ひつじ書房
  6. 松井 智子 (2013)『子どものうそ,大人の皮肉:ことばのオモテとウラがわかるには』岩波書店
  7. 加藤 重広 (2004)『日本語語用論のしくみ』研究社
  8. 福田 一雄 (2013)『対人関係の言語学:ポライトネスからの眺め』開拓社
  9. 滝浦 真人 (2008)『ポライトネス入門』研究社
  10. 田窪 行則 (2010)『日本語の構造:推論と知識管理』くろしお出版

世界の諸言語(10冊)

[1]は様々な言語を4ページにまとめており気軽に読めます。[2]-[3]は類型論ですがアプローチが異なります。[4]-[5]はフィールドワークを行う言語研究者によるエッセイですが,言語そのものに関する話題も多いです。[6]はそのようなフィールドワークによる個別言語研究の一つの大きな成果物です。[7-[10]は日本,および近隣の地域の諸言語について知るためのものになります。[7]は特に中国の方言や少数言語に関してページが割かれており,[8]-[10]は日本の少数言語を扱った本になります。
  1. 梶 茂樹,中島 由美,林 徹 (2009)『事典 世界のことば141』大修館
  2. 角田 太作 (2009)『世界の言語と日本語:言語類型論から見た日本語 改訂版』くろしお出版
  3. マーク・C・ベイカー(著),郡司 隆男(訳) (2003)『言語のレシピ:多様性にひそむ普遍性をもとめて』岩波書店
  4. 大角 翠 (2003)『少数言語をめぐる10の旅:フィールドワークの最前線から』三省堂
  5. 梶 茂樹 (1993)『アフリカをフィールドワークする:ことばを訪ねて』大修館
  6. 内藤 真帆 (2011)『ツツバ語 記述言語学的研究』京都大学出版会
  7. S.R.ラムゼイ(著),高田 時雄,阿辻 哲次,赤松 祐子,小門 哲夫(訳) (1990)『中国の諸言語:歴史と現況』大修館書店
  8. 中川 裕 (1995)『アイヌ語をフィールドワークする:ことばを訪ねて』大修館
  9. 田窪 行則(編) (2013)『琉球列島の言語と文化:その記録と継承』くろしお出版
  10. 呉人 惠(編) (2011)『日本の危機言語:言語・方言の多様性と独自性』北海道大学出版会

 

歴史(6冊)

 

[1]-[3]は日本語史を扱ったものです。[1]はコンパクトに日本語の歴史を解説したもので,[2]は個別文献(日本書紀)の内容ですが,論証の過程が詳しいです。[3]は文献以前の日本語がどのようなものかを検討した論文集です。[4]は印欧比較言語学の入門書になります。[5]は[4]と異なるアプローチによるものです。[6]は図表も多く,気軽にヨーロッパの言語の歴史を眺めるのに適しています。
  1. 近藤 泰弘,月本 雅幸,杉浦 克己 (2005)『新訂 日本語の歴史』放送大学教育振興会
  2. 森 博達 (1999)『日本書紀の謎を解く:述作者は誰か』中公新書
  3. 服部 四郎 (1959)『日本語の系統』岩波書店
  4. 吉田 和彦 (1996)『言葉を復元する―比較言語学の世界』三省堂
  5. R.M.W. ディクソン(著),大角 翠(訳) (2001)『言語の興亡』岩波書店
  6. ヴィクター・スティーヴンソン(著),江村裕文ほか(訳)『図説ことばの世界:ヨーロッパの言語史』青山社

獲得と喪失・言語と心理(7冊)

[1]は平易に書かれた啓蒙書になります。[2]-[4]が言語獲得について書かれたもので,[2]は心的辞書の発達について詳しく,[3]は網羅的に関連トピックを扱っています。[4]-[5]は言語の喪失(失語症)に関するものです。[6]-[7]は心理言語学について個別の話題の他,言語障害についても扱っています。
  1. 広瀬 友紀 (2017)『ちいさい言語学者の冒険:子どもに学ぶことばの秘密』岩波書店
  2. 今井 むつみ (2013)『ことばの発達の謎を解く』筑摩書房
  3. 岩立 志津夫,小椋 たみ子 (編)(2017)『よくわかる言語発達 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)(改訂新版) 』ミネルヴァ書房
  4. 佐野 洋子,加藤 正弘 (著) (1998)『脳が言葉を取り戻すとき―失語症のカルテから』NHK出版
  5. 渡邉 修(監修),福元 のぼる,福元 はな (著) (2010)『マンガ家が描いた失語症体験記高次脳機能障害の世界』医歯薬出版
  6. 福田由紀(編)(2012)『言語心理学入門 言語力を育てる』培風館
  7. 針生 悦子(編)(2006)『朝倉心理学講座 5 言語心理学』朝倉書店

応用言語学・外国語学習(5冊)

[1]は第二言語習得に関する入門書になります。[2]-[3]は外国語学習についての啓蒙的な本ですが,一般言語学とのつながりが強めです。[4]-[5]は日本での英語教育に関してどのように導入・普及していったか,英語教育論にどのような問題があるかを実証的に考察しています。
  1. 白井 恭弘 (2008)『外国語学習の科学:第二言語習得論とは何か』岩波書店
  2. 大津 由紀雄 (2007)『英語学習7つの誤解』NHK出版
  3. 黒田 龍之助 (2000)『外国語の水曜日―学習法としての言語学入門』中公新書
  4. 寺沢 拓敬 (2014)『「なんで英語やるの?」の戦後史 —《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程』研究社
  5. 寺沢 拓敬 (2015)『「日本人と英語」の社会学—なぜ英語教育論は誤解だらけなのか』研究社

 

言語と社会(4冊)

 

[1]は社会言語学全般の入門書で,[2]は談話関連の,[3]は変異理論中心の概説書になります。[4]はスポーツやポップカルチャーなどとのつながりをもとに書かれたやや高度な本になります。
  1. 石黒 圭 (2013)『日本語は「空気」が決める:社会言語学入門』光文社
  2. 岩田 祐子,重光 由加,村田 泰美 (2013)『概説 社会言語学』ひつじ書房
  3. 日比谷 潤子 (編) (2012)『はじめて学ぶ社会言語学:ことばのバリエーションを考える14章』ミネルヴァ書房
  4. 南 雅彦 (2009)『言語と文化:言語学から読み解くことばのバリエーション』くろしお出版

 

手話(4冊)

 

[1]は手話やろう者について知るのによいノンフィクションです。[2]-[3]日本手話の文法について知るのに有用です。[4]は日本手話と日本語対応手話(手指日本語)の違いについて写真を多く使って説明されています。

 

  1. オリバー・サックス(著),佐野 正信(訳) (1996)『手話の世界へ』晶文社
  2. 岡 典栄,赤堀 仁美 (2011)『文法が基礎からわかる 日本手話のしくみ』大修館書店
  3. 松岡 和美 (2015)『日本手話で学ぶ手話言語学の基礎』くろしお出版
  4. 木村 晴美 (2011)『日本手話と日本語対応手話(手指日本語):間にある「深い谷」』生活書院

 

文字(6冊)

 

[1]は文字を言語学の観点からみるのに適しています。[2]は世界の文字の網羅性が高い本です。[3]-[4]は日本語の文字に焦点を当てたもの,[5]-[6]は英語の表記・スペリングについて知ることのできるものです。
  1. フロリアン・クルマス(著),斎藤伸治(訳) (2014)『文字の言語学 : 現代文字論入門』大修館
  2. 世界の文字研究会(編) (2009)『世界の文字の図典 普及版』吉川弘文館
  3. 林 史典 (編) (2005)『文字・書記』朝倉書店
  4. 中田 祝夫,林 史典 (2000)『日本の漢字』中央公論新社
  5. ビビアン・クック(2008)『英語の書記体系』音羽書房
  6. サイモン・ ホロビン (2017)『スペリングの英語史』早川書房

コーパス言語学(4冊)

[1]はコーパスというものが何かということや,価値,応用範囲を知るのに適しています。[2]は研究事例が豊富に含まれています。[3]-[4]は国立国語研究所で作成したコーパスについて詳しく知ることができます。
  1. 前川 喜久雄 (編) (2013)『コーパス入門』朝倉書店
  2. 石川 慎一郎 (2012)『ベーシック コーパス言語学』ひつじ書房
  3. 山崎 誠 (編) (2014)『書き言葉コーパス ―設計と構築―』朝倉書店
  4. 小磯 花絵 (編) (2015)『話し言葉コーパス ―設計と構築―』朝倉書店

その他(5冊)

ちょっと分類しづらいものを中心に取り上げています。[1]は従来の文法,音声研究でノイズのように見なされてきた事象に焦点を当てて説明されています。[4]-[5]は特にコンピューターと言語との関わりについて知る上で有用です。
  1. 定延 利之 (2005)『ささやく恋人,りきむレポーター:口の中の文化』岩波書店
  2. 寺尾 康 (2002)『言い間違いはどうして起こる?』岩波書店
  3. 浜野 祥子 (2014)『日本語のオノマトペ:音象徴と構造』くろしお出版
  4. 川添 愛 (2017)『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット:人工知能から考える「人と言葉」』朝日出版社
  5. 小町 守 (監修),奥野 陽,グラム・ニュービッグ,萩原 正人(著) (2016)『自然言語処理の基本と技術』翔泳社
0

言語学関係夏休み自由研究ネタ7連発

夏休みの自由研究は毎年のことながら親子とも手こずることが多いと思うので,言語学関連でネタを提供。もっともこの時期ではもう間に合わないのだけど,来年以降使えれば。ちなみに締切間近を想定し,なるべくひとりでできるものを挙げている。

1. 世界の言語で「日本」は何と言うか?
概要:日本語だと「日本」はニホン(ニッポン)と呼ぶけど,英語ではジャパン。なぜこれだけ違うのか?
方法:各種言語の入門書で発音を調べる(カタカナで発音が書いてあったりする。もちろんカタカナ発音は正確を期すにはよくないけど小学生向けならしょうがないところ)。またはGoogle翻訳を使うのもいいかも
予想期間:1〜3日

2. 「星の王子さま」の翻訳を比べる
概要:「星の王子さま」は訳書がいくつか出ているのでどう違うかを比べる。ちなみに上級編として様々な言語の「星の王子さま」を読み比べるというのもあり得る。
方法:様々な訳の「星の王子さま」を読み比べる
予想期間:3〜5日(長さ次第)

3. 漫画のキャラの言葉を比べる
概要:「ドラゴンボール」や「ワンピース」など作品をいくつか決めて,口癖や語尾,1人称(自分の呼び方)をあげていく。「男」や「女」にはどういう特徴があるか?「動物キャラ」は?「悪役」は?
方法:複数の漫画を読み,キャラとセリフを書き出していく
予想期間:5〜7日

4. 手話を学ぶ
概要:ニュースにときどき出てくる「手話」がどのようなものかを調べる。似た単語はあるか?ジェスチャーに近いものはあるか?(反対に遠いものは?)
方法:「こども手話ウィークリー」や「NHK手話ニュース」などを使って気づいたことを書く。本であれば『日本手話のしくみ練習帳(DVD付)』も有用
予想期間:3〜5日

5. あの人はどれくらい早口か?
概要:いろいろな人がどれくらいの早さで喋っているかを調べる。
方法:テレビやラジオを録音する,またはyoutubeなどで鑑賞し,30秒から1分程度の時間を決めて書き取り,何文字分(専門的には何モーラ)あるかを数える
予想期間:3〜5日

6. 言葉の決まりを調べる
概要:世界の様々な言語の文法をざっくりと調べる
方法:google翻訳で簡単な表現をいろいろな言語に翻訳し,どういう順番で並んでいるかを書く(ちなみにgoole翻訳は英語から翻訳する方が精度が高いけど小学生には難しいかな?)。表現は「黒い犬」「明るい空」「パソコンの本」「太郎と花子の自転車」などの2〜3語程度のものがやりやすいだろう。また「明るい空」と「暗い空」のようなペアを調べれば(たいてい)語順も分かるようになる。
予想期間:1〜3日

7. 名前ウォッチング
概要:人,アパート・マンション,お菓子,便利グッズ,など何か特定の対象を決めて,その名前を集め,多い言葉,面白い言葉(理由も),長い言葉など特徴をまとめる
方法:アパートやマンションは町を歩けば情報が集まるのでやりやすい。他はインターネットなどを使う必要がありそう。人の名前を調べる場合はマンションの郵便受けを使う方法もあるがちょっと怪しいので要注意
予想期間:1〜3日
0

『音韻研究の新展開』ご恵贈御礼

神戸大学の田中真一さんよりご恵贈頂きました。御礼申し上げます。

いつものことながら,簡単な紹介を。

目次は以下のとおり(出版社のページにあるPDFより抽出・加工)。
まえがき  v
祝辞  ix
窪薗晴夫教授 履歴
窪薗晴夫教授 業績

Part  I 音韻理論と音韻現象
  • Ancient  Greek  Pitch  Accent:  Anti-Lapse  and  Tonal  Antepenultimacy (Junko  Ito  and  Armin  Mester)
  • Rendaku  Following  a  Moraic  Nasal (Timothy  J. Vance)
  • Containment  Eradicates  Opacity  and  Revives  OT  in  Parallel:  Some  Consequences  of  Turbid  Optimality  Theory (Shin-ichi  Tanaka,  Clemens  Poppe,  and  Daiki  Hashimoto)
  • 三重県志摩和具方言における前鼻子音 (高山 知明)
Part  II 語形成と音韻現象
  • 日本語の名詞形成接尾辞「-さ」と「-み」について (太田 聡)
  • Motorolaは,混成か接尾辞付加か (本間 猛)
  • キラキラネームは音韻的にキラキラしているのか?―名前と一般語の頻度分布比較による予備的考察― (北原 真冬)
  • 英語の形容詞の比較級の語形とフット構造について (山本 武史)
Part  III 日本語アクセントと形態論
  • ピッチ・アクセント言語に於ける無アクセントとは (吉田 優子)
  • 日本語複合動詞のアクセント特性について (田端 敏幸)
  • ナガラ節における音調の形成と変異 (那須 昭夫)
  • 擬似形態素境界が複数挿入される可能性について (小川晋史・儀利古幹雄)
Part  IV 音声知覚・生成とL1獲得
  • “Good  Infant-directed  Words”  Do  Not  Sound  like  “Good  Japanese  Words.” (Reiko  Mazuka,  Akiko  Hayashi  and  Tadahisa  Kondo)
  • 言語共通の音韻発達遅滞評価をめぐって (上田 功)
  • 日本語分節音の音韻要素表現とその内部構造 (松井 理直)
  • 語末F0上昇が母音の長短判断に及ぼす影響:Takiguchi  et  al. (2010)の再検証 (竹安 大)
  • アクセント型と位置の視点から見る長母音の知覚 (薛 晋陽)
Part V 借用語音韻論とL2習得・知覚
  • What  Neural  Measures  Reveal  about  Foreign  Language  Learning of  Japanese  Vowel  Length  Contrasts  with  Hand  Gestures (Spencer  D.  Kelly  and  Yukari  Hirata)
  • Effects  of  Pitch  Height  on  L2  Learners’  Identification of  Japanese  Phonological  Vowel  Length  (Izumi Takiguchi)
  • 学習者の作文エラーに見る日本語のリズム (権 延姝)
  • 英語および仏語由来の借用語における促音分布 (竹村 亜紀子)
  • パドヴァとヴェローナの韻律構造: イタリア語由来の借用語における音節量・強勢の受入と音韻構造 (田中 真一)

国立国語研究所の窪薗晴夫教授の還暦を記念した論文集になっています。伊藤順子先生をはじめとした共同研究者や指導院生などが執筆しています。内容も全5章に整理されているように音韻理論に関するものをはじめ,語形成,アクセント,L1,L2等主な分野が網羅されています。全ての論文に言及することはできないので,各章から1つずつ取り上げます。

Par1 所収"Rendaku  Following  a  Moraic  Nasal"は「ギン+キツネ→ギンギツネ」のように第1要素が撥音(N)で終わる複合語で連濁が促進されるかを連濁データベース等に基づいて考察しています。連濁データベースはマーク=アーウィン先生(山形大学)らのグループで作成されたデータベースで,現時点ではver.3になっています。これを見ると連濁に関わる諸要因をコントロールすると,撥音末で連濁が促進されることはあまりなさそうです。このブログでもかつて「どんずべり」というライマンの法則の例外を紹介しましたが,この論文の議論に基づくなら,紹介した現象はライマンの法則の例外だと言えそうですね。

Part 2 所収「キラキラネームは音韻的にキラキラしているのか?—名前と一般語の頻度分布比較による予備的考察」ではいわゆるキラキラネームを取り上げていますが,珍しい名前リストやそれに対するある種の文化論的な考察ではなく,最近の名前が一般語と比べたときに珍しい音韻上の特徴を持つか,データベースを元に考察しています。取り上げる音韻上の特徴もいわゆる音素に留まらず,(1)音節の軽重,(2)子音・母音の連鎖,(3)子音セットと幅を持たせています。結果として,一般語と名前の間にはこれら3つの要素について分布上の違いが観察されました。この論文では音韻的な洞察までは踏み込んでいませんが,この違いをどうコントロールすればキラキラ感が増幅されるのかなど,広がりを感じるものになっています。

Part 3 所収「疑似形態素境界が複数挿入される可能性について」は形態論的には単純語とみなされるであろう場合,具体的には無意味語や外来語,でも音韻的には複合語と見なされる場合があるという先行研究を元に,その境界がどう挿入されるのかを検討しています。実験では「ラガハンタファラリン」や「パカヤファマンナミン」などのほぼ無意味(ただし語末に薬品名のときに平板型を引き起こす-miNを含む)の語を様々なアクセント型で発音した音声を用意し,それぞれのアクセント型の許容度を計測しています。結果として,特殊モーラの位置によってアクセント型の許容度に違いが見られています。特に平板型アクセントを許容するかについては特殊モーラの位置という要因が一定の効果を持っているように見えました。ただし,許容率が50%程度のもの(実験はOKかNGかという2択)の解釈は難しいですし,そもそも音韻的に許容されないとはどのような認知過程を経ているのかなどを考えるとまだ続きがいろいろとありそうな内容でした。

Part 4 所収「日本語分節音の音韻要素表現とその内部構造」は,分節音の表示,特に不完全指定に関わる問題を手がかりに,EPG(電子的な装置で舌の接触の強さや位置を計測する道具)パターンによって適切な素性が何によって表現されるべきかを考察しています。そしてここで提案された素性の表示体系に基づいて,日本語の母音融合現象を説明しています。

Part 5 所収「パドヴァとヴェローナの韻律構造:イタリア語由来の借用語における音節量・強勢の受入と音韻構造」は「サンマルコ」や「ヴィヴァルディ」などといったイタリア語からの借用語について,イタリア語と日本語で強勢が一致しないパターンはリズム構造の違いから説明できるとして議論しています。簡単に主張をまとめると,日本語はイタリア語(原語)の強勢に基づいて母音長を知覚の手がかりとし,それに基づいて日本語のアクセント規則を適用しているとのことです。私の場合,外来語の受容,特に強勢については誰の知識状態なのかということに注意を払っていることが多いのですが,そこを考えるときに,この論文は示唆を与えてくれそうな予感がします。

このように,本書は様々なテーマについて興味深い論考が集まっており,方法論も実験的手法やコーパスなどを用いたものなどがあり,専門としている研究者はもちろん,卒論のテーマ探しのヒントとしても使えるかもしれません。
0

調査相手には敬意と配慮を

関連記事

それはただのテキストではないのだから

上の記事にもあるけれど,この問題の論点は要するに「サンプルに対する「名付け」が作者やその仲間(業界)にとって不快で,作品・作者に対して失礼である」ということだと思う。

ただ一方で,実験のように直接人間や動物を対象としたのではなく,書かれたものが対象になっていることがややこの問題を微妙なものにしている。というのも,通常人間を対象とする実験だと,参加者が意思表示すれば実験を中断したり,データの公開を拒否できる。アンケートだって,比較的初学者向けの本にこう書かれている。

石黒圭(2012)『この1冊できちんと書ける!論文・レポートの基本』p.47
アンケート調査で念頭に置いてほしいことは,アンケート調査に協力してくれる調査協力者に迷惑がかかるということです。ですから,調査協力者の迷惑をどのようにして減らすかをまず考えてください。/謝金などを支払わず,先方の厚意に頼る場合はもとより,謝金を支払う場合でも,調査協力者の都合や希望は最大限配慮するようにしてください。また,調査協力者の個人情報を保護することはもちろん,どこまで調査の結果を公開してよいかという調査シートを作成して説明し,記入してもらうことも研究倫理上必要なことです。/また,調査協力者が希望する場合,調査結果をフィードバックすることも大切です。現在,調査協力者への配慮が不足した調査が横行した結果,調査お断りという個人や団体が増えてきています。今後の調査者のためにも,くれぐれも誠意ある対応と感謝の気持ちを忘れないでください。

アンケートのような調査を行わない文学のような作品研究や作家研究だと,たとえ作者が存命中であっても「相手が不快に思うか」という視点はないと思う。そんな視点を入れたら文学研究は成り立たないだろうし。でも,今回問題になったのはサンプルとして使っているもので,記事にもあるようにむしろフィールドワークによる研究(参与観察など)に近いだろう。これらの研究では参加者(協力者)と良好な関係を築くようにするのは基本中の基本で,それができず「フィールドを荒らす人」は正直調査先でも学界でも嫌われることになる。それを考えると,そもそも今回は作品の著者が自分の書いたものがデータになっていることは知らされないままだったのだから,その意味では学会の判断で論文の公開をやめたのは悪い判断ではないと思う。

なお言語学系では「日本語書き言葉コーパス(BCCWJ)」という新聞や雑誌だけでなくウェブ(ヤフー知恵袋やブログ)などから膨大なデータを取ったコーパスがあるのだけど,これは「著作権の所属が明瞭でないテキスト(インターネット掲示板やブログ)の場合は,プロバイダ(Yahoo! Japan)の協力を得て,研究目的でデータを外部提供する可能性をネット上で告知した上で,告知の翌日以降に書き込まれたデータを提供してもらった」(前川喜久雄「 『現代日本語書き言葉均衡コーパス』入門」p.7)  とあるようにその点を配慮してかなり慎重に構築している。サンプルを集めるならやはりこれぐらいの慎重さはあってもよかったんじゃないかな。

ちなみに人工知能学会は倫理指針を作っていてまさに今回の大会で公開討論が行われている模様。
    •    「人工知能学会 倫理指針」について
ただしこれはデータの収集法のようなことよりも,人工知能の利用法のようなところに軸足が置かれているように読み取れるし,「編集プロセスで投稿論文が倫理指針にあっているかをチェックする,あるいは特定の人工知能研究がこの倫理指針に合致するかをチェックするなどの体制づくりを進めたい,進めるというような意図はありません」とあるように,研究発表について制約を課すものではないから,今回のようなケースにどこまで対応できるかは不明かな。

○○大の問題ではないと思う

あと,本題からずれるのだけど,大学が組織として主体的に行った事業などではないのだから,今回の件を「○○大問題」のように大学名を冠するのは正直よくないことだと思う。もちろん大学からの研究費がいくらか使われているのだろうから,その意味では大学も関係するけど,それを言い始めたらどんどん「○○大」の部分は大きい言葉になっていくし,そもそも建設的な批判を生まないただの暴力になってしまう。また,変な「再発防止策」を産んで生産性を下げてしまうばかりで,結局ただの悪口の増幅にしかなっていないし,極端な話,「ただのクレーマー」扱いされてしまいかねない(作者たちはそれを望んでいないよね?)。
0

炊き込むか混ぜるか,それが問題だ

研究室で方言談義をしていたときの話。「炊き込みご飯を混ぜご飯って呼ぶのは(北海道の)方言?」ということが話題になりました。私の感覚では両方とも言いそうですが,北海道(札幌)では「混ぜご飯」と呼ぶのが普通とのこと。wikipediaを見ても関西ではかやくご飯らしいということしか分からず,それならと思い調べてみました。

  • 回答期間:2017年5月17日から18日(18日12時頃にいったん閉じたんですが,また19時頃から開けていました)
  • 回答数:239
  • 回答方法:Googleフォームにアンケートを設置し,Twitterやfacebookで回答者を募る
  • 回答データ:takikomi.csv

全体的な傾向を見ると,炊き込みご飯 143件(59.8%),混ぜご飯 49件(20.5%),かやくご飯 33件(13.8%)でした。回答者の地域に偏りがあるものの標準的な形であろう「炊き込みご飯」が半分以上を占めました。以下そもそもサンプルが少ない県が多いので,適宜地方別にまとめます。

北海道・東北は「混ぜご飯」多し

北海道と東北を見るとから南関東までをまとめると,上の話の通り「混ぜご飯」率(全体に占める混ぜご飯の割合)は高いと言えそうです。まず北海道は43.5%(20/46)が混ぜご飯でした。また,東北も回答者数が7名と少ないのでちょっと怪しいところもありますが,57.1%(4/7)と比較的高いです。

関東・中部は標準的に「炊き込みご飯」優勢

関東は平均よりも炊き込みご飯の割合が多く,炊き込みご飯が85.3%(58/68),混ぜご飯が10.3%(7/68)でした。中部も同じように炊き込みご飯が58.1%(18/31),混ぜご飯が22.6%(7/31)と北海道・東北と比べたとき,低くなっていました。

近畿の「かやくご飯」特区?

上にも書いたとおり関西では「かやくご飯」などと呼ばれるとのことでしたが,これは今回の調査でも認められました。近畿では「かやくご飯」が48.1%(26/54)を占めました。他の地方が10%以下だったことを考えるとこの高さは際立ちます。ただし,府県別に見ると京都,大阪,奈良は半数以上でしたが,他は半数以下だったので,かなり偏りがありそうです。

中国・四国はやはり「炊き込みご飯」

中国・四国ではいずれも「炊き込みご飯」が大勢を占め,それぞれ80%(8/10),100%(3/3)となりました。ここを見てもかやくご飯の偏りが分かります。

九州,というか福岡の「混ぜご飯」旋風

最後に九州ですが,福岡で「混ぜご飯」が41.7%(5/12)を占めていました。他の県が1件ほぼ全て炊き込みご飯だったことを考えると,これは特徴的だと言えそうです。私は8年福岡に住んでいたのですが,混ぜご飯と呼んだ覚えがないんですよね…

その他の回答

その他の回答からいくつか紹介します。

1. 味ご飯

これはすっかり入れ忘れていましたが,「味ご飯」と呼ぶこともあるんですよね。分布を見ると愛知県,岐阜県,愛知県からいただいているのでこの地方の呼び方という可能性がありますね。

2. そもそも「炊き込みご飯」と「混ぜご飯」は別物?

これも何名かから(アンケートに書いていない方からも含め)いただきましたが,「炊き込みご飯と混ぜご飯は別ではないのか」ということです。つまり,炊く前から混ぜるのが「炊き込みご飯」で,炊いたあとに混ぜ込むのが「混ぜご飯」というわけです。私もこの感覚は分かります。

というわけで,「混ぜご飯」の地域分布に注目した調査をしましたが,北海道の他に東北にも見られました。また機会があったら何か調べたいと思います。ご協力いただいた方,どうもありがとうございました。
0

『ちいさい言語学者の冒険』ご恵贈御礼

東京大学の広瀬友紀さんよりご恵贈いただきました。

簡単な解説と紹介を

目次は以下のとおりです(岩波書店のサイトより)
まえがき

第1章 字を知らないからわかること
 「は」にテンテンつけたら何ていう?/テンテンの正体/「は」と「ば」の関係は普通じゃない/子どもはテンテンの正体を知っている/「は」行は昔「ぱ」行だった/字をマスターする前だから気づく/子どもと外国人に教わる日本語の秘密/数があわない/納得できない「ぢ」と「じ」

第2章 「みんな」は何文字?
 日本語のリズム/日本語の数え方は少数派/子どもなりの区切り方/じつはかなり難しい「っ」/「かににさされてちががでた」/必殺!「とうも殺し」

第3章 「これ食べたら死む?」――子どもは一般化の名人
 「死む」「死まない」「死めば」――死の活用形!/規則を過剰にあてはめてしまう/「死にさせるの」/おおざっぱすぎる規則でも、まずはどんどん使ってみる/「これでマンガが読められる」/日本の子どもだけが規則好きなのではない/手持ちの規則でなんとか表現してしまおう/普通に大人をお手本にすればいいのに?

第4章 ジブンデ! ミツケル!
 教えようとしても覚えません/教えてないことは覚えるのになあ!/ジブンデ! ミツケル!/「か」と「と」の使い方は難しい/結局、何が手がかりになっているのか

第5章 ことばの意味をつきとめる
 はずかしいはなし/「ワンワン」とは?/「おでん」とは?/「坊主」とは?/どうやって意味の範囲を最初に決めるのか/どうやって意味を修正するか/モノの名前でなく動詞の場合は?/そもそも、どこからどこまでが単語?/ことばの旅はおわっていない

第6章 子どもには通用しないのだ
 ぶぶ漬け伝説/子どもに通じるか/ことばにしていないことがどうして伝わるのか/500円持っているときに「ボク100円持っているよ」は正しいか/子どもも大人のような解釈ができるか/相手の心をよむチカラ/周りの状況をよむチカラ

第7章 ことばについて考える力
 ことばを客観的に見る/音で遊ぶ――しりとり/意味で遊ぶ――「踏んでないよ」/構文で遊ぶ――「タヌキが猟師を鉄砲で」/解釈で遊ぶ――「大坂城を建てたのは誰?」/音で遊ぶ(その2)――「がっきゅう○んこ」/ことばの旅路をあたたかく見守ろう

あとがき
もっと知りたい人へのおすすめ書籍/参考文献・引用文献

本書では「子供はちいさい言語学者である」として,子供の様々な言語行動(言葉遣い)を紹介し,それをきっかけに言語学的な解説を施しています。この「子供はちいさい言語学者である」というのは,言語学者が主に大人を対象に言語現象の記述を行いそこに現れる一般性を発見するのに対応して,子供も同じように回りの言語を聞いてそこから一般化を行うという点で言語学者と同じであるということです。このことは,私の場合だと生成文法をベースにした言語学の概論を聞いたときに同じような話が出てきたこともあって,非常にすんなりと入っていけました。

目次にも現れていますが,本書は一般読者を対象としているのもあり「体系的に学習してほしいという発想で書かれていない」(p.v)ものです。その一方で巻末に論文や書籍を挙げられているので,それを活用すれば言語学の概論などでも使えるかもしれません。大まかに第1章,第2章は音声学・音韻論,第3章は形態論,第4章は統語論,第5章は(語彙)意味論,第6章は(命題レベルの)意味論,語用論あたりと関連づけられるのではないでしょうか。

本書でも書かれていることで印象深いことに「子供は大雑把な規則でもとりあえず使ってみる」というのがあります。例えば連濁でも長女は小5ぐらいまで,次女は現在(小2)も片仮名をカタナと発音しますし,長女が6歳のとき

私「(寒くて)冬みたい。まあ、冬じゃあないけど、春でもないね」
長女「じゃあ、はるぶゆだね」

と語彙にかかわらず連濁させていました。

ちなみに,自分の子供の言語獲得で印象的だったことのひとつに言葉の切り替えがあります。長女は4歳まで福岡市内で育ち,8か月から保育園だったので博多方言の使い手として「〜と?」「〜たい」など流暢に操ってました。しかし,札幌に引っ越すと1か月程度でこれらの表現が出てくることがなくなり,やがて「〜っしょ」のような北海道方言が出てくるように。このときあらためて子供の言語に対する順応性の高さを感じました。

ちょっと関係ない話題を続けてしまいましたが,本書はこのような感じで子供の誤用とされる表現を主に題材として言語学の紹介をするというものになっており,言語学専門でない方,子育てしている方などなど多くの方が楽しめるのではないかと思います。また,身近な「ちいさい言語学者」の言葉に非常に敏感になる(私も記録してますが)一冊だと思います。
0

論文では「〜てくれる」は避けよう

仕事柄,学生の書く様々な文章(宿題,レポート,卒論草稿などなど)に接することがあるのですが,ちょっと気になる表現に出会ったのでメモ。まだきちんと調べていないので,どっかのサイトや本に書いてあるようなことかもしれませんが。

論文で「(研究対象が)〜てくれた」というような表現を見かけます。例えば調査方法に関して「依頼したところ28名が回答してくれた」や,結果・考察で「積極的に取り組むようになってくれた」のようなものです。論文は通常客観的に記述するものなのですが,「てくれた」は感謝の意味がある以上主観的になり,その客観性が落ちてしまいます。そうするとやはり論文にはそぐわないので,できるだけ避けた方がいいかなと思います。

まあかくいう私も「話者に2回発音してもらった」のような表現を使うことがあるので人のこと言えないのですが。
0

手っ取り早く日本語力をテストするなら百羅漢が良さげ

テストで何が見たいか

これまで何度か日本語力を測るテストについて言及してきました。
私の2015年の論文では,入学生に対して語彙量調査を実施した結果を報告していますが,その目的は「安易な印象論に基づくことなく,実力[注:語彙力]を客観的な形で把握すること」(p.54)でした。論文ではあまり言葉を尽くしているとは言えないのでもう少し言葉を補うと,次のようになります。
  • 対象:新入学生
  • 目的:日本語力(語彙力)の低い学生を抽出する
  • 時間:短く(授業内の一部を使って実施)
  • 料金:無料(これは個人研究です)
  • 方法:できたらコンピューター
このような事情はあるにせよ,当然テストとして十分に有用でありたいと思っています。例えば言語テストの領域での議論として,尾崎茂(2008)『言語テスト学入門:テスト作成の基本理念と研究法』大学教育出版には,テストの作成にあたって妥当性,信頼性,実用性,波及効果の4つに留意する必要があると述べられています。
  • 妥当性:そのテストで測りたい能力が測れているか
    • 範囲を指定した難読性の高い漢字テストだと日本語の語彙テストなのか記憶力のテストなのか分からない
  • 信頼性:何度計測しても,誰が採点しても同じ結果が得られるか
    • 作文テストは評価者によって結果が異なりうる
  • 実用性:容易に実施できること
    • 総合的な日本語力を測るテストだとしても実施に5時間かかると現実的ではない。
  • 波及効果:テストが受験者の学習に及ぼす影響
    • 語彙テストを定期的に実施することで,語彙学習を行う(かもしれない)
このうち「波及効果」については,新入生に授業初回で予告なく実施することから無視しても問題ないと考えます。

民間試験


語彙要素が比較的強い「日本語力」に関する民間試験としては「日本語検定」や「語彙・読解力検定」があると思います。どちらもそれなりに大きい組織の運営で専門家が作成しているものなので,テストの質は悪くないと思います。しかし,日本語検定は3500円(3級),語彙・読解力検定は3703円(準2級)と数百人分出すことは不可能な金額です。一方,日本語IRTテストというNHKエデュケーションが開発したテストは料金も600円で悪くないのですが,それでも厳しいものがあります。また,民間の日本語力テストは日本語IRTテストを除いていずれも範囲が広く,「語彙力」に注目した今回の目的とは少し外れてしまいますし,時間も授業時間を割いて行うには長すぎます(授業外で実施できる状況ではないのです)。

百羅漢

今のところ,「百羅漢」という漢字テストを用いるのが私の目的等には一番合っているのではないかと考えています。「百羅漢」とは(当時)NTTコミュニケーション科学基礎研究所におられた近藤公久・天野成昭両先生が作成された漢字テストです。その特徴を以下にまとめます
  • 漢字100語の読みテスト
  • 漢字は見たときには分からない(なじみない)が,聞いたときには分かる(なじみある)単語である
  • 10分程度で実施できる
  • 無料で実施できる(公開)
このうち「なじみ」という概念は「親密度」と呼ばれるもので,別に実験を行い,その値を決めています(詳しくは解説文書である近藤公久・天野成昭2013「百羅漢:実験参加者の言語能力差の統制のための漢字テスト」日本認知科学会テクニカルレポート[PDF]を参照)。百羅漢はもともとは日本語の単語特性データベース(「日本語の語彙特性」)を作成する際の評定者の言語能力を統制するために作られましたが,語彙量や言語能力(単語を見て読みを発音するまでの時間)と一定の相関が見られることから,日本語力(語彙力)を見るテストとしては十分に機能することが期待できます。

語彙量についてだけ紹介すると,天野・近藤(2000)「漢字単語の読み能力と語彙数」(第64回日本心理学会大会)において百羅漢の結果と語彙数との相関について報告されています。この報告では百羅漢テスト受検者に対して「日本語の語彙特性」から一定の手順で抽出された単語について「知ってる」「知らない」を判定させています。その結果,語彙量との相関係数は.59で中程度の相関を示しています。また,百羅漢の点数を10点ごとに分け,推定語彙数について分散分析を行ったところ,これも有意だったとのことです。

何点あればいいのか

上にも書いたとおり,私の目的には下位層の抽出ということがあります。その基準をどこに設けるかはさすがに百羅漢の解説文書にも書いてありません(目的ではない)。「日本語の語彙特性」の解説文書には,評定者を選ぶ際には60~65点以上を基準としたとあります。また,約1000名分の得点分布を見ると,中高生と大学・専門学校生・社会人で分布が異なっており,前者は30~50点,後者は50~70点を頂点とした分布をしています。これらのことから50点前後を基準とするのは悪くないように思えます。


もちろん同じ「大学生」でも大学間,大学内での差も激しいことを考えると,一度試行し,得点分布を見た上で判断する必要もあるかと思います(モノクロの図は近藤公久・天野成昭(2001)「漢字単語の読み能力テスト「百羅漢」の得点傾向:百羅漢で何が測れるか」日本心理学会第65回大会より,カラーの図は解説文書より)。



まとめ

このように,百羅漢を使用することで,大雑把にでも新入学生の日本語力(語彙力)を測定し,それが低い学生を抽出できることが期待できます。ただし,百羅漢は漢字の読みテストであるため,コンピューターを使ったテストで実施するにはやや向かないところがあります。コンピューター上では漢字・かな変換ができるため,解答時に答がわかります。また,タイピング能力によって成績が左右されやすいという面もあります。これらの問題は入力用のインターフェイスを用意すれば解決できるかもしれませんが少々手間なうえ,汎用性の面で問題が出ないとも限りません。ただ,このような問題があっても,手っ取り早く日本語力を測定するためのツールとしては十分に有用なことは変わりません。

なお,いくつかの単語がテストの結果に悪影響を与えている(全体的に正答率が低い)などの問題点もあるので,「日本語の語彙特性」データベースを使って語彙の入れ替えをし,場合によっては別の語彙からなる同様のテストを作ることを考えてもいいかもしれません。
0

その査読,本当にいりますか?

勘違いされないための予防線
  • この記事は査読制そのものを否定していません
  • この記事は特定の雑誌を念頭に置いていません
というわけでご注意してお読みください。

学内雑誌というもの

研究者の論文は学術雑誌に掲載していることが多いが,学術雑誌にはいくつかの下位区分が存在する。理数系では『Nature』などに代表される出版社が刊行する学術雑誌もある。また,これ以外にも学会が刊行する学会誌があり,これらは学会にもよるが,一定の価値を持ったものとされている。一方で,大学の講座は独自に刊行している雑誌もあり、これらは学内雑誌と呼ばれる。学内雑誌はたいてい『○○大学△△論集』のように大学名を冠しており,執筆者のほとんどはその大学のある特定の講座の院生やポスドクである。一部,卒業生や教員も入るが全体で見れば少数であろう。ちなみに雑誌名に関しては時折大学名を関していないものもあって判断に困るが,それはまた別の話だし,専門家が見れば学内雑誌かどうかは容易に判断できる。

学内雑誌を刊行するのにはいくつか理由があり,院生などの研究成果を早く世に示すこと,学会誌等に発表するほどではない成果を世に出すこと,将来的に本の1章分にする原稿など,ある程度の不完全さを持ったものをまとめておくことなどが挙げられる。この学内雑誌,私が就職活動をするちょっと前ぐらいからだろうか,査読制に移行するものが増えていったように思う(おそらく誤っていないが,統計資料をご存じの方がいたら教えて頂きたい)。

「何でも査読」の危うさ

本来査読制が持つ役割は
  • 専門家による審査が行われることによって,質の低い論文が世に出ることを防ぐこと
にある。つまり,査読制を敷くことによって質を保証し,雑誌としての信頼性を高めることになる。先ほども書いたとおり,学内雑誌の主な投稿者は院生であるのだから,業績作りという面で見たときにメリットが大きいように見える。しかし,実際のところ,学内雑誌が査読制を導入する/した理由は主に以下の3つのいずれかだろう。
  1. 院生が博論を出すために業績として「査読誌掲載」があったほうが見栄えがいい(ないしは内規で求められる)
  2. 院生が将来的にアカデミックポストの公募に出すにあたり,「査読誌掲載」があった方が見栄えがいい
  3. 教員が昇進や科研を申請するのに「査読誌掲載」があったほうが見栄えがいい
要はいずれも「見栄え」の問題なのだ。この「見栄え」のために査読することは,無視できないほどのデメリットを抱えていることに注意が必要である。

1. 刊行まで時間がかかる

学内雑誌はカメラレディ(提出した原稿をそのまま印刷)が多いだろうから,査読がない場合,原稿を締切に提出すればあとは印刷だけなので,刊行まで長くても2か月程度だろう(全員が締切に出せば)。それに対して査読がある場合,次のようなステップを経ることになり,刊行まで半年以上かかることになる。

 原稿提出
  ↓1〜2か月程度
査読結果通知
  ↓1か月程度
修正稿提出
  ↓1〜2か月程度
査読結果通知
  ↓2週間〜1か月程度
最終稿提出
  ↓2か月程度
  刊行

これは比較的早い理想的なパターンで,適当な査読者がいない,査読者が査読結果を返さない,などといった理由で刊行まで延び,結局約1年かかるなんてことも。もちろん締切を設け,その間に揃った原稿についてだけ印刷するということも可能だが,様々な事情(本数が揃わないなど)によって待たざるを得ないこともある。このように,査読制によって,学内雑誌が持っていた「速報性」というメリットが完全に失われる。

2. 査読制によるメリットも実はそれほど高くない

学会誌の査読要領では「論文が本誌に掲載するに値するか」という基準が設けられているのがおそらく一般的であろう。そのこともあり,査読が入ると多くの場合は提出した原稿を査読者のコメントに沿ってレベルを上げるべく修正することになる。それに対して,学内雑誌はそこまでのインパクトは求められていないので,ある程度のレベルの研究成果が掲載されていることも珍しくない。そのため,上で「アカデミックポストの公募に出すにあたり,「査読誌掲載」があった方が見栄えがいい」と書いたが,実際に審査するときに「査読誌と書いているけど学内雑誌だ」ということは専門家には分かるため,「査読誌」ということで特別な扱いはほぼ受けないことになる。

今,「ある程度のレベルの研究成果」と書いたが,そういった方針であっても,査読者に雑誌の査読基準が必ずしも明確に伝わっていない(示していない)ため,大がかりな修正や再実験を求められることがある。もちろんそういった指摘が的外れとかいうことではないし,レベルは上がるだろう。しかし,正直なところ「このレベルの修正をするなら,学会誌に出したほうがいい」と考えても不思議ではないし,そうした方が,公募には有利に働くだろう。

また,そのような厳しい査読も含まれると,結局は「気軽に小ネタを出す」媒体がなくなってしまうことにつながる。非常勤講師などが出せる紀要も増えてはいるだろうが,院生が出せるようなものは数が限られている。結局「業績作り」としても効率的には進まないのでメリットが失われてしまうことになる(小ネタは学会発表をして予稿集に載せて終わりにするというのもありえるのだけど)。院生への教育に携わってない私が言うのもなんだが,「コメントを元にしっかりとしたものを1つ」なら学会誌に出せばいいので,学内雑誌は「そこそこのものを定期的に出していく」ための媒体として使う方がメリットが大きい。

3. 査読者への負担がかかる

上で挙げた査読を真っ当に行うためには,査読は外部に依頼することになる。そのため,学外の研究者に対しても負担を強いることになる。お互いの講座の学内雑誌を査読し合うバーター取引があるならまだしも,一方的に負担がかかることもある。上述のような学会誌ならば「学界/学会への貢献」と言えるかもしれないが,学内雑誌に対して時間をかけた査読を行うことが「学界/学会への貢献」としてどこまで結びつくのだろうか。研究分野としての後進の育成というならば,それは指導教員を中心とした院生の講座教員が責任を持つべきものであって,査読者の仕事ではない。

もちろん「学内雑誌だから甘く審査してほしい」という依頼をして「そこそこ」の査読を返せばいいのだろうが,やはりそれだったらわざわざ査読などやらずとも,「その程度の指導」をした論文をそのまま掲載すれば済む話だろう。

提案:査読にこだわるの,やめません?

上にも書いたように,学内雑誌に査読制を入れるのはほぼ「見栄え」の問題である。しかし,そのために学内雑誌が持っていたメリットが失われるのは非常に残念である。もうそんな見栄えにこだわらず,速報性のあるものや比較的小規模な成果はどんどん学内雑誌に出し,これぞという論文は学会誌などにチャレンジするスタイルにする(戻す)のが,多くの人にとって幸せなのではないかと,けっこう本気で思う。
0

2016年のブログ記事回顧

大晦日から元旦に書きそうな記事ですが,諸事情でまだ帰省中なのでまだ正月休みです。というわけで,2016年のブログ記事を振り返っておきます。

よく読まれた記事

2016年に書いた記事は全部で18本ありました。そのうちよく読まれた記事3つを挙げます。
当然ながら上半期に偏ってますね。そもそも執筆した記事は上半期が11本,下半期が7本で,そのうち3本は12月公開なのでそうなっても納得ですが。

読んでほしい記事

各記事に特別な思い入れとかは特にないのですが,改めて読んでほしいかも,という記事についてまとめておきます。
この記事は授業の参考資料としても使えるようにまとめたのですが,見事に紹介し忘れています。あと1〜2回授業があるのでそこで紹介しないと。ただし,1年生が使いこなすにはちょっと高度なないようではあるんですよね。
youtube動画なのでメディア進出とは言いづらいのですが,ホンモノのテレビスタジオ(某ワイドショーのセットが組まれた反対側)で撮影がありました。動画の再生回数はそこそこ(同シリーズの中で2〜3番目)ありますが,この記事そのものはあまり読まれてないみたいです。なんでだろう。
現任校に着任してからけっこう高い関心にあるトピックだったこともあり,もうちょっと読まれてほしい記事のひとつです。ちなみに書いてから「じゃあどういったテストをすればいいか」ということについて触れなかったのは惜しいなあと思いました。一応個人的にはどうすればいいかも考えてはいるのですが,もうちょっとまとまるなりリクエストなりあれば書きます。肝心の荻原先生のアドレスを大学に置きっ放しにしていることもあって,まだメールで返信していないのが心苦しいです。

書きたい記事

このブログは,Twitterのように極端に短いものだけでなく,そこそこまとまったものも書くようにしようと思って書いているので,あまり方針とかそういうのはないのですが,今年は次のような記事を書いておきたいなあとぼんやり思っています。
  • 専門書・論文の読書メモ
北海道に来てからどうにもインプットの量が落ちているのが気になっています。もともと一人ではあまり動かないのと,同じ専門の方が少ないというのがありそうです。その一方で気になる本や論文はいくつかあるので紹介とは行かなくてもまとめを作るぐらいはしておきたいなあと思っています。
  • Rのメモ
統計分析ソフトRを使って必要な統計解析(あまりしないのですが)をしたり,計量テキスト分析をしたりしているのですが,そこで詰まったときにどうしたかなど,もう少しメモの形でまとめておくべきなんですよね(訳:同じことを何度かやってる)。

というわけで今年もよろしくお願いします。
0

『学生を思考にいざなうレポート課題』ご恵贈御礼

京都光華女子大学短期大学部の成瀬尚志先生より『学生を思考にいざなうレポート課題』(ひつじ書房)をご恵贈頂きました。

簡単な解説と紹介を。
目次は以下のとおりです。(出版者のページより)

はじめに

第1章 なぜレポート課題について考えるのか
1 レポート課題で何を問うべきか
2 学術論文と学部レベルのレポート課題の評価の違い
3 レポート課題から授業を設計することの意義
4 授業設計においてレポート課題はボトルネック
5 ネット時代においてレポート課題で何を問うべきか

第2章 論証型レポートについて考える
1 論証型レポート―問いを立てることの難しさ
2 問いを教員が設定する―是非型論題の問題点
3 論証型レポートの問題点
4 論証のタイプ

第3章 レポート論題の設計
1 論述型レポートの提案
2 「素材」を前提とした論題設計
3 創意工夫の種類―形式面の創意工夫と内容面の創意工夫
4 剽窃が困難となる論題とは?
5 まとめ
補論:レポート論題タキソノミー

第4章 レポート課題を軸とした授業設計
1 「あなたの書くものに価値がある」ということを伝えることが重要
2 レポート課題の「宛先」を設定する
3 フィードバックの重要性
4 学生自身が失敗に気づくことの重要性
5 レポート課題を軸とした授業設計

第5章 学生が自分で問いを立てるための授業デザイン
1 オリジナリティの必要性
2 問いの重要性
3 導入教育におけるレポート作成
4 教養教育と専門教育におけるレポート作成
5 学生が自分で問いを立てるための工夫

第6章 レポート課題を評価するとき
はじめに
1 パフォーマンス評価の基本的な考え方
2 パフォーマンス評価が可視化する能力・学習の質
3 ルーブリックを用いた評価
4 ルーブリックの効果的活用のために

おわりに

ご存じのとおり,学生を対象とした「レポート・論文の書き方」に関する本は数多く出版されています。代表的なものとしては木下是雄『理科系の作文技術』,戸田山和久『論文の教室』(新版もある),酒井聡樹『これから論文を書く若者のために』(これはシリーズもので,レポートなら『これからレポート・卒論を書く若者のために』の方がいい)あたりを挙げることができるでしょう。

こういった本が出版され続けている背景には「レポートの書けない学生」の増加が大学現場(特に専門課程)において問題視されたことにあります。このような問題を受けて初年次教育として「日本語表現」や「日本語リテラシー」といった日本語技法関連科目を開設するところも増えたと言われています。例えば,山田礼子(2012)「大学の機能分化と初年次教育:新入生像をてがかりに」日本労働研究雑誌54(12) は2010年の統計をまとめてあり,747大学を対象とした調査で595大学(82%)が初年次教育を行っており,そのうち85%(約505大学)でレポート・論文の書き方等文章作法関連の授業が行われているとしている。この数字にはいわゆる「初年次ゼミ」のようなものの中に組み込まれているものも含まれているので注意は必要ですが,この数字を見るだけでもレポートの書き方が初年次教育において重要な地位を占めていることは分かるかと思います。

さて,上で紹介した本はどれも教科書だったり読み物だったり,これから書く学生を対象としていました(個人的には上記の本は「教科書」「読み物」「ドリル」という3分類ができそうですが,それはまた改めて)。しかし,教員がどのようにレポートを書かせればいいか,どのようにレポートを教育に生かせばいいか,どのように(学部生の)レポートを評価すればいいか,などといったことを扱った本はほぼ存在しておらず,教員自身のこれまでの経験や,初年次教育やリメディアル教育に関する論文や報告を読む,授業を見学するなどといった方法でしか情報を集めることができていませんでした。私自身,現任校に着任した8年前から担当の授業はそういった方法で作成,解体,再設計を繰り返してきました。そんな状況に対して,同書はおそらく初の「レポート課題をどのように設計し,何をどう評価すればいいのかについてまとめた大学教員向けのガイドブック」(p.iv)となっています(ちなみに同じひつじ書房から出ている「大学の授業をデザインする」シリーズの2冊『日本語表現能力を育む授業のアイデア』『大学生の日本語リテラシーを以下に高めるか』はこういった授業を運営・設計する上での大きな助けになります)。

本書の特徴として,レポート論題をどうすべきかについて詳しく解説している点を挙げるべきでしょう。このレポート論題とは,レポートにおける「〜を説明せよ」などといった教員からの支持文のことを指します。本書第2章では,戸田山本を例に挙げ,学生自身が問いを設定することが困難であることから,レポート課題において「是非型の論題」が設定されがちであることを指摘し,この「是非型の論題」が持つ問題点を次のように指摘しています。
  • 主張に対する根拠が不適切になりがち
  • 反論が部分的になる
  • 取り上げる反論の質が低い
  • 議論が平行線をたどる
これらの問題点をカバーし学生に論理的なレポートを書かせる,そして何を基準に採点するか(例えば,根拠は不適切でもいいのか,反論の質は低くてもいいのかなど)を明示することは,実は非常に難しいという指摘は非常に重要なものだと思います。

本書が目指すところとして,学生に「レポートの目的を理解し,しっかり自分の頭を使って創意工夫しながら書」かせることがあります(p.iv)。そのために,単に是非型の問題点を挙げるだけでなく,どういった論題であれば学生は頭を使って書くことができるかを説明しています。本書が提案するのは方法はいくつかあるのですが,その核をなすのは,学生にとって論題で求められることが具体的で,1つのことであることです。本書では学生の創意工夫を求める論題を7種類挙げ,それぞれのメリット・デメリットを説明しています。いくつかの例を以下に挙げます。
  • 対話調で書かせる
  • 重要なポイントと理由を説明させる
  • テキストに載っている事例以外の具体的事例を挙げさせる
  • 取り上げた文献をなぜ調べたのかなど,レポート執筆のプロセスを含めて書かせる
これらを整理して挙げていることで,レポートを課す大学教員にとって非常に有用なものになっています。

第3章の終わりには「レポート論題タキソノミー」として,次の2つの次元を組み合わせて整理されています。
  • 知識次元:概念的知識,手続き的知識,メタ認知的知識
  • 認知過程次元:理解,応用,分析,評価,創造

私の場合,後期の授業で「自分で設定したテーマについて,論文や本などを3つ以上用いて(可能な限り文献間で比較・対比しながら)説明する」というレポートを半期かけて作成しています(詳しくは松浦ほか(2016)をご覧ください)。これは本書のタキソノミーで言えば「手続き的知識(情報収集)」と「分析」を組み合わせた「情報収集型」が近いものだと思います。剽窃レポートをなくすという意味では十分に機能していると思います。しかし,やはり少しレポートの難易度が高いことで学生の脱落率が高めになっています(クラス間の差が大きい)。実は本書p.65には次のように書かれています。

剽窃レポートが問題になっている今,学生の立場からレポート論題を設計することが重要ではないでしょうか。そもそも書きたいことがないということが剽窃を招いている原因の1つかもしれず,そうであるなら書きたいことが生まれるようなサポートが必要でしょう。また,あまりにも高度なことを求めすぎていることが剽窃の原因であれば,適切なレベル設定に修正する必要があります。

まさにこれは私の授業に当てはまることで,一度考え直す必要があるのかなとも思います(何らかのインプットがあるタイプの授業でない点が異なるのですが)。

以上は,どのようにレポート論題を設定するかという話でしたが,この他に授業運営に関して,「レポートの添削」と「レポートの評価」に関する話題を取り上げ,ピアレビューやルーブリックについて解説されています。これらの説明の中で私が特に感心したのは,ある意味当たり前の話ですが,文献リストが充実していることです。私もこれらの話題については情報を集めていたつもりですが,知らない文献がいくつか挙げられており,これからの授業を作る上で非常に参考になりそうです。

第6章「レポート課題を評価するとき:ルーブリックの活用」は他の章と毛色が違う(著者も違います)ところが大きくまだ読み込めていないのですが,ルーブリックをどう使うのか考えるための基本的な資料となりそうです。

レポートを課さない大学教員も数は少ないでしょうから,そのことを考えると,ほぼ全ての大学教員にとって一読に値する本ではないかと思います。
0

精度の高い語彙量調査の先にある(べき)もの(荻原論文への返信)

荻原廣先生より論文「大学4年生の日本語の使用語彙は平均約3万語,理解語彙は平均約4万5千語」(『京都語文』23, pp.276-298)を頂きました。このテーマについては私自身も2015年に論文を書いており,それも引用されています。今回のエントリーでは,この論文の簡単な解説と短評を記します。

荻原論文の特徴

荻原論文の要旨は下記のとおりです。

 個人の語彙量(使用語彙,理解語彙)についての調査は,現在に至るまで決して多く行われてきたとは言えず,中でも使用語彙についての調査は,調査方法が確立しておらず,ほとんど行われていない。
 そこで本稿では,まず先行研究について述べた後,今回,大学4年生を対象に行った日本語の語彙量調査にて試みた内省法を使った使用語彙の調査方法について解説し,そのあと,調査結果及び考察を述べる。

荻原論文はサンプル調査ではなく全数調査で個人の語彙量の計測を行ったところにその特徴があります。拙著を含む先行研究では辞書に含まれる語彙の一部を用いてその理解度を調べていました。例えばNTTの語彙数推定テストは簡便ですが,3つあるテストを同時に行ったとしてもテストの種類によって結果が大きく異なるという問題があります。それに対して荻原論文では辞書に掲載されている全語彙について,その理解と使用の有無を調査しています。この調査に参加した学生もすごいですが,結果を数え上げた荻原先生もすごいと思います。

日本人の語彙量についてはNTTの語彙数推定テストの結果に『図説日本語』からの引用として「小学生レベル:5千~2万語/中学生レベル:2万~4万語/高校生レベル:4万~4万5千語/大学生レベル:4万5千~5万語」というのを挙げています。ただしこれはサイトの解説にも書いているとおり,語彙数推定テストとは異なる方法で求めたものであり,語彙数推定テストの結果を当てはめるのは適切ではありません。このあたりの話は母語話者対象の日本語教育に従事している研究者であっても誤解している人がおり,そしてたいていそういう人は「今の学生は語彙が少ない」という結果がほしいというのは残念な限りです。

さてそれでは荻原論文の方法と結果を見てみましょう。
調査方法
  • 対象:大学4年生 15名(締切に間に合ったのは12名)
  • 期間:2014年4月から2015年3月
  • 調査語彙:『三省堂国語辞典第7版』(約82000語収録。ただしいわゆる機能語を除こうので実際の調査語彙数はこれより少ない)
  • 手続き:辞書にある全語彙について語義の説明を読んで1つでも知っている意味があれば理解語彙とし,また,同時に使うかどうかも合わせて印を付ける。

調査結果
タイトルどおり,大学4年生の平均語彙量は,使用語彙で約3万,理解語彙で約4万5千語でした。基本統計量の情報もあるのでそれを以下に挙げます。
理解語彙
  • 最小値 28142語
  • 最大値 61045語
  • 平均値 45354語
  • 中央値 43473語
  • 標準偏差 9131語
使用語彙
  • 最小値 4096語
  • 最大値 55187語
  • 平均値 30899語
  • 中央値 31942語
  • 標準偏差 13900語
理解語彙と使用語彙では1万5千語の差がありますが,これに対する評価は難しいところです。理解語彙に比べて使用語彙の方がばらつきが大きいのが特徴的でしょうか(理解語彙>使用語彙は当然として)。ある語彙を使用するかどうかの判断は理解しているかどうかに比べて安定せず,例えば方言調査をしていても5分前に使っていた単語を「いやぁ,こういう言葉は使わないねえ」などと言われるのもざらです。そのようなことが影響しているようにも見受けられました。

また,論文中にもあるとおり,語彙の使用頻度には大きな偏りがあります。荻原論文では「雑誌90種」より,40%ほどの語彙が使用頻度が1だったことが挙げられていますが,NTT「日本語の語彙特性」を構築する際に用いたデータ(近藤・天野2000)ではより詳細に理解度と頻度の関係が示されています。近藤・天野(2000)における頻度と親密度の相関を示した図は下のとおりです。

これを見ると分かるのは,単語頻度が高い語は親密度が高いと言える一方,単語頻度が低い語には親密度が高い語も低い語も含まれるということです。これは,よく知っている単語であってもその単語がよく使われるとは必ずしも言えないということなので,まさに荻原論文で出た結果を支持していると言えます。

このように,荻原論文では大学生の語彙量について非常に客観的なデータが示されており,その点で「日本語教育における使用語彙,理解語彙選定の資料とする」(p.295)のに十分なものと言えるでしょう。使用者としてぜひ見たいデータは語彙の包含関係です。上の「日本語の語彙特性」でも言えたことですが,語彙は「語彙量の少ない人が知っている語彙は語彙量の多い人も知っている」という包含関係をなしています。だからこそNTTのような簡便な調査が可能になりました。今回のデータについてもそのような傾向が見られたことかと思いますが,それがどの程度だったのか知りたいところです。一方で使用語彙というのは人による偏りが多そうな気がするので,理解語彙ほどの包含関係をなしていないのではないかという気がします。このようなところは全データの公開がなされれば分かるので,ぜひ期待したいところです。

私たちは大学生に何をすべきか

私が2014年の論文執筆時に持っていた問題意識として,大学生の語彙量を増やしたい(不足しているという感覚はある)が,そもそも実際のところどれくらいの語彙量なのかが把握できていなかったということがあります。大学間のレベルに差はあるにせよ,荻原論文によって大学生の語彙量についておおよその目星が付いたとも言えます。それでは,大学生の語彙量を増やすためにはどうすればいいのでしょうか。また,大学生が増やすべき語彙はどのようなものでしょうか。ここには大学での教育一般も関わってきます。例えば日本語検定に代表されるような「知識問題」を片っ端から解いて覚えていくことによって語彙量は増加します。これは図にすると次のような状態です。
しかしこれでは2番目の問いに対しては適切な答えとなりません。たしかに知識問題で語彙は増加しますが,そのような語彙は専門科目において必要な語彙と一致するわけではありません。少なくとも私が受け持っている「日本語表現」という科目は専門科目でのレポートや卒業論文へ向けた準備として位置づけられている以上,語彙量の増加を目的のひとつに添えるならそのことも意識する必要があります。そうすると,このような状況は初年次教育が専門教育との接続を考えたときに望ましいものではないでしょう。

各専門分野の論文を書く上で必要な語彙というのは,専門科目の授業内外で身につけるべきもので,共通科目ではカバーしきれないものになります。むしろ共通科目で可能なのは,論文やレポートでよく使われる語彙をカバーすることでしょう。例えば,「検討する」「考察する」「概観する」「検証する」などといった「論文の目的」に書かれるような漢語の述語は,大学までに身につけていることがあまり期待できません。そういった語彙(論文系語彙と呼びます)を知り,使い分けることができるようになることこそ,専門科目への接続を考えたとき重要なことではないでしょうか。これは先ほどの図で言うと,次のように偏りがある状態です。
このピンクの部分は専攻分野や個人の好み(専門)によって差が出るわけですが,黄色の部分のうちには必ず論文系語彙を含みます。このようなある種いびつな語彙体系を身につけさせることを目指すのが特に初年次教育においては必要なのだと思います。

もちろんこれには反論が可能で,日本語検定2級程度の語彙を身につけなければ,そのような論文系語彙も身につかないという可能性もあります。この問題については,やはり論文系語彙をある程度選定した上で,一般的な語彙における語彙量と対照することによって解決への道筋を立てられるかもしれません。
0

母語話者対象の日本語読解・作文関連の試験・検定をまとめてみた

現任校では「日本語表現」という1年生を対象に論理的な日本語を書けるようにトレーニングする科目を担当しています。その関係もあって,日本語を母語とした人を対象とした日本語の読解や作文に関する試験について聞かれることもあるのですが,あまり把握していませんでした。それであらためて検索して分かる範囲でそのような試験・検定の情報を集めてみました。順番に他意はなく,調べて出てきた順です。

語彙・読解力検定

  • 主催:朝日新聞・ベネッセコーポレーション
  • 開催頻度:年2回(6月,11月。1級は11月のみ)
  • レベル:1級(高度な知的生活を行う社会人)〜4級(小学校卒業)
  • 会場:18都道府県
  • 特徴:語彙を辞書語彙と新聞語彙に分け,時事問題や社会問題に関する出題が,語彙に限らず読解にも見られる。解答はおそらくマーク式のみ。

文章読解・作成能力検定

  • 主催:日本漢字能力検定協会
  • 開催頻度:年5回(団体受験のみ。8月,10月,11月,1月,2月)
  • レベル:2級(大学等で教育を受ける,あるいは社会人として必要な文章読解・作成能力)〜4級(基礎的な知的活動を行うのに必要な文章読解・作成能力)
  • 会場:準会場のみ
  • 特徴:読解は長文や資料を用いたものがある。作文問題は書く文章の種類が幅広く,手紙文や意見文,論説文がある。この他に語彙や文法に関する出題もあるので要注意。また,現在は準会場での団体受験のみ。

論理文章能力検定

  • 主催:基礎力財団
  • 開催頻度:年3回(2月,6月,10月。ただし公開会場は6月のみ)
  • レベル:ビジネス(大学など高等教育を受ける現場で必要とされる「語彙」「テーマ」に関する記述式問題)〜0(小学1年生修了程度)
  • 会場:東京(公開会場)
  • 特徴:論理をカギにした試験で,接続関係,文構造,短文・長文読解,要約,小論文など多岐にわたる。レベル分けが細かいのと,過去問PDFが非常に充実しているのが目立つ。

作文検定小論文検定

  • 主催:現代用語検定協会
  • 開催頻度:年2回
  • レベル:作文検定は1級(中学生)〜6級(幼児)まで,小論文検定は1級(マスコミ・大手企業等への就職)〜6級(高校生)まで。
  • 会場:自宅(郵送)
  • 特徴:作文検定は3レベル,小論文検定は2レベルで課題が1つ設定され,出来具合に応じて級が設定されるという仕組み。自宅で受験できるというところが珍しい。具体的な根拠を挙げながら述べるというところは共通している。作文検定はPISA型学力を育てると謳っているが,どう具体的に対応して鍛えるのかは不明なところは要注意だろう。

日本語作文小論文試験

  • 主催:言葉の森 日本語作文小論文研究会
  • 開催頻度:年4回
  • レベル:1級(高3)〜12級(小1)
  • 会場:自宅(ネット上で出題され,ウェブカメラの前で解答を書く)
  • 特徴:オンラインで実施している作文講座が作成した試験の模様。提出した作文に対して講評が返ってくる。googleハングアウトが必要。なお,ページ内で「作文小論文試験」と書いたり「作文検定」と書いたりして本当の試験の名前が分からない。

文章能力検定

  • 主催:日本報道協会
  • 開催頻度:毎月?
  • レベル:1級〜5級(基準不明)
  • 会場:オンライン(メール)
  • 特徴:情報が不足しているので詳しくは分からないが,何らかの文章を提出してそれに対して級を与える仕組みの模様。
0

出演した講義番組の動画が配信されました

北海道教育委員会の生涯学習事業「道民カレッジ」のなかに道内の大学が講義を行い動画配信するという「ほっかいどう学」大学インターネット講座というものがあります。

今年度,私が「方言の危機を考える~世界の言語と北海道方言~」と題する講座を担当し,先日動画配信が始まりました。

30分弱ですが,内容としては木部先生の著書『じゃっで方言なおもしとか』(岩波)などに紹介されている危機方言の話を下敷きにして,自分で録音した談話などを入れて構成されています。
0

得意なことと暗記すること

ちょっとSNSで話題になってるのを見たので自分の整理と備忘録として。

大学の受験生だった頃,「数学は暗記科目なので,チャート式なんかにある解法を暗記して臨め」というアドバイスを見たことがありました。国立を受けるかどうか考えていたが理数系科目が苦手だった私はこのアドバイスに従って,進研ゼミ(塾とか行ってなかった)の解法部分を暗記しようとしたけど,どうしてもできなくて,それが原因というわけでもないけど,結局大学は私立に行くことにしました。

別にそのアドバイスに恨みがあるわけじゃないけど,後から必要になって数学を勉強し直すと,実に仕組み(アルゴリズムというかシステムというか)で動いているなあと実感することが多く,なぜそれを暗記しようとしたんだろうと思うことが多かったです。でも,そもそも何を暗記すべきかというのは学習者にとって自明ではないですね。なんとなく「科学の周期表」とか「古典や英語の単語」なんかは暗記っぽいけど,「英文法の規則」とか「化学式の計算」とかはあまり暗記っぽくない。だけど,「自分にとって英文法は暗記だった」という人にけっこう僕は出会っていて,まあたいていそういう人は英語が苦手だった印象があります。

そもそも何かが得意な人は何が仕組みのかが分かるので,反対に何を暗記しないといけないかも分かります。また,何が仕組みで動くのかが分かれば,効率的に理解できるので,それほど暗記の負荷もかからないのかなとか。それを考えると,やはりどこが暗記の必要な部分かを明示するのって大事ですね。あと,たまに全てを暗記で行ったような人(仕組みを意識しないで来れた人)というのも一定数いて,そういう人が教えるときには,改めて仕組みのことを考えて欲しいかなとも思います。
0

『はじめて学ぶ方言学』ご恵贈御礼

国立国語研究所の木部暢子先生より『はじめて学ぶ方言学ーことばの多様性をとらえる28章』(ミネルヴァ書房)をご恵贈頂きました。

簡単な解説と紹介を。

目次は以下のとおりです。(出版社のページより)
はじめに

序 章 日本語方言の概観(井上史雄)
 1 この本で学ぶこと
 2 この本の構成
 3 母語・生活語・地域語としての方言
 4 単語としての方言
 5 現代のことばの違い
 6 日本語の起源と方言
 7 日本語方言の分岐と統合

 第Ⅰ部 日本語方言の分布と形成
第1章 方言と言語・標準語・生活語(日高水穂)
 1 方言と言語
 2 方言と標準語・共通語・中央語
 3 方言と生活語

第2章 日本語方言の形成過程(小林 隆)
 1 方言形成のとらえ方
 2 古典のことばと方言形成
 3 方言形成に与える自然・文化の影響

第3章 日本語方言の区画(鑓水兼貴)
 1 方言区画論
 2 さまざまな方言区画
 3 これからの方言区画

第4章 日本の方言地理学(大西拓一郎)
 1 方言地理学とは
 2 方言の分布とことばの歴史
 3 ことばと生活

第5章 海外の日本語方言(朝日祥之)
 1 海外で使われている日本語
 2 海外の日本語方言はいつ,どのように形成されたのか
 3 海外の日本語方言に見られる特徴
 4 現地語との接触による言語事象
 5 海外の日本語の将来
 6 海外の日本語方言を調査研究する意義

 第Ⅱ部 現代の日本語方言
第6章 共通語化(村上敬一)
 1 共通語の定義と位置づけ
 2 伝統方言と共通語化
 3 これからの共通語と方言

第7章 新方言(半沢 康)
 1 新方言の定義
 2 新方言の実例
 3 新方言の広がり

第8章 気づかない方言(早野慎吾)
 1 気づかない方言
 2 地域共通語
 3 気づかない共通語
 4 気づかない方言の言語地図

第9章 首都圏のことば(三井はるみ)
 1 地域言語からみた首都圏という地域
 2 首都圏のことばの性格
 3 首都圏に方言はあるか

第10章 現代関西方言(高木千恵)
 1 関西方言のイメージ
 2 「方言中心社会」としての関西
 3 関西方言の変容

第11章 ウチナーヤマトゥグチ(中本 謙)
 1 ウチナーヤマトゥグチとは
 2 音声的特徴
 3 文法・表現の特徴
 4 語 彙
 5 琉球で見られる各地の方言の干渉を受けた共通語

 第Ⅲ部 日本語方言の音声・音韻
第12章 方言の音声・音韻(大野眞男)
 1 方言の母音について
 2 方言の子音,音節について

第13章 方言のアクセント(木部暢子)
 1 東京アクセントと京都アクセント
 2 弘前市のアクセントと鹿児島市のアクセント
 3 日本語諸方言のアクセントの分布
 4 アクセント調査をする人のために

第14章 方言のイントネーション(郡 史郎)
 1 イントネーションとは
 2 イントネーションの種類とその分析のしかた
 3 イントネーションの方言差

 第Ⅳ部 日本語方言の文法
第15章 方言の活用(有元光彦)
 1 活用の仕組み
 2 特異な活用形
 3 通時的な変化
 4 文における活用

第16章 格表現(佐々木 冠)
 1 格とは何か
 2 項目の多様性
 3 体系の多様性
 4 伝統方言の変容と格

第17章 テンス・アスペクト表現(沖 裕子)
 1 宇和島方言のアスペクト
 2 東京方言のアスペクト
 3 アスペクトの分布実態と変化

第18章 可能表現(渋谷勝己)
 1 可能表現とは
 2 方言の可能表現
 3 可能表現のさらなる特徴
 4 可能表現はめまぐるしく変わる

第19章 授受表現(日高水穂)
 1 中央語における授受表現の発達
 2 授受動詞の補助動詞用法の地域差
 3 授与動詞の人称的方向性の地域差

第20章 方言の文末詞(井上 優)
 1 文末詞と方言
 2 文末詞の意味分析の手順
 3 事例1:命令文・依頼文+ヤ/マ
 4 事例2:平叙文+ゼ/ジャ
 5 文末詞の意味分析のすすめ

 第Ⅴ部 日本語方言の語彙
第21章 方言の語彙・意味(新井小枝子)
 1 方言語彙の体系
 2 語構造と造語発想法
 3 方言語彙に見る比喩表現
 4 方言語彙と生活

第22章 方言の語種(澤村美幸)
 1 語種とは
 2 方言の中の漢語
 3 方言の中の外来語
 4 今後の研究の展開

 第Ⅵ部 日本語方言の談話・行動
第23章 方言の敬語(井上史雄)
 1 敬語とは
 2 敬語の方言分布図
 3 敬語の日本史と方言
 4 新しい敬語

第24章 方言と行動(篠崎晃一)
 1 どこに着目するか
 2 働きかけ方
 3 行動の有無
 4 行動の受け止め方
 5 行動の発想と背景

第25章 方言とマスコミ(塩田雄大)
 1 新聞と方言
 2 放送と方言の歴史的な流れ
 3 現代における放送と方言
 4 方言に対するテレビの影響

第26章 方言と医療(今村かほる)
 1 共通語化と方言に対する意識
 2 医療や福祉現場で必要な方言
 3 医療現場で方言の果たす役割
 4 方言が通じなくなったのはなぜか
 5 時間や空間を超えた問題
 6 災害医療と方言
 7 これからの医療と方言

第27章 方言の拡張活用と方言景観(田中宣廣)
 1 言語の拡張活用と経済価値
 2 言語の拡張活用の各種類
 3 方言エールが示した方言の底力
 4 拡張活用からわかる方言の力

索 引

このシリーズは言語学・日本語学・社会言語学などが刊行されていますが,やはり本書もそれらに勝るとも劣らないボリュームになっています。「まえがき」に「方言学(概論,概説,入門)」という講義はあちこちの大学で開講されています。[...]この本はそんな授業を念頭に置いて編集されました」とあるように,教科書としての使用を想定しています。

第I部はいわゆる方言区画や方言地理学が中心となっていますが,海外の日本語の方言について1章割かれているのは新しいと言えるかもしれません。

第II部は現代の方言研究で話題によくのぼる共通語化や一方で見過ごされがちな首都圏のことばなどについて書かれています。沖縄の言葉はそれだけで1冊できそうなぐらい多様性に富んでいますが,本書ではウチナーヤマトゥグチを紹介しています。これもコンパクトですが網羅的に解説してありおもしろく読めるのではないかと思います。

第III部は音声・音韻について書かれています。子音・母音・アクセントについて書いてあるのは多いのですが,イントネーションで1章割いているのが新しいところではないでしょうか。内容としては文末に関わる現象が中心に扱われていますが,さらに五十嵐陽介さんなどがやっている統語構造との関係についてももう少し書いてあっていいのかなと思いました。

第IV部は文法について書かれています。第15章「方言の活用」ではいくつかの方言の現象を取り上げて解説しています。これでも面白いなあと思えるのですが,もう少し体系的に表があって,どこに問題があるのか見えると初学者にはいいのかもしれません(理解の仕方にもよりそうですが)。

第V部は語彙について書かれています。この手の本で方言の漢語や外来語が扱われているのはちょっと新しいでしょう。

第VI部は談話・行動としていますが,マスコミ,医療,方言景観について書かれているのが目新しいところです。医療については東日本大震災や熊本・大分地震でも現地の医療ボランティアに情報が必要ということで話題になりました。危機言語との関わりという点でも重要かと思います。

同時期に刊行された『方言学入門』(三省堂)がほぼ半分の量でかなり近い内容をトピック紹介的に入れているのに対して本書は解説が充実していますが,盛り込まれている内容が多いので,半期の授業では選択して扱う必要があるかもしれません。いずれにせよ,専門書の前にじっくり読むものとしてはオススメできます。
0

『日本語リテラシー』ご恵贈御礼

放送大学の滝浦真人さんより『日本語リテラシー』をご恵贈頂きました。

簡単な紹介と解説を。

目次は以下のとおりです。
まえがき
1 日本語を書こう
2 日本語との付き合い方1:文字と表記
3 日本語との付き合い方2:和語と漢語と外来語
4 読むスキル1:まとまりを読む
5 読むスキル2:つながりを読む
6 考えるスキル1:論理トレーニング
7 日本語との付き合い方3:「は」と「が」の語り
8 書くスキル1:説明文を書く
9 書くスキル2:文体と論理
10 考えるスキル2:言えることと言えないこと
11 考えるスキル3:考えを導く方法
12 レポートを書く1:論点の整理まで
13 レポートを書く2:調べる・考察する
14 実践のスキル:自己添削の方法
15 これからも,日本語を書こう

大学の,特に初年次における,文章表現や日本語技法に関する科目(以下では文章表現科目とします)は現在多くの大学で開設されています。放送大学も例外ではなく,かつては『日本語表現』(杉浦克己著)というテキストも出ていました。この『日本語リテラシー』も同様の趣旨の科目です。

言うまでもないでしょうが,放送大学では基本的にテレビやラジオで講義を受け,試験を受けて卒業に必要な単位を取得していきます。しかし,多くの大学で開設されている文章表現科目では教員やチューターによる添削(またはピアチェック)を重視しています。そのため,上記のようにほぼ独学を前提としている放送大学で文章表現に関することを学ぶのは難しいだろうという印象を持っていました。もちろん『理科系の文章技法』や『論文の教室』をはじめとして,この分野については多くの本が出版されていることから,ある程度の技術について学ぶことは可能でしょうけど,それでも科目として成り立たせるには至らないだろうということは思っていました。しかし,このテキストを読んでそれが誤解であったと痛感させられました。同書では独学で文章表現に関する技能を身につけるために構成,内容どちらも様々な工夫が成されています。その意味で,このテキストはまさに放送大学だから必要とされる,または放送大学だからこそできたものでしょう。以下では私が特に感心したところを中心に紹介していきます。

構成上の特徴

本書は日本語の文章作成能力を向上させる授業のための教科書として作られましたが,文章作成のテクニックだけでなく,日本語の特徴や読解のトレーニングについて具体的な記述が多く見られます。

日本語学的な知識の応用

日本語の特徴については文字・表記,語種,「は」と「が」を取り上げています。文字・表記では漢字と平仮名の使い分けや四つ仮名について,ただ知識を羅列するのではなく,例えば四つ仮名ならば「連濁以外の四つ仮名については,可能な場合は漢字で表記する」などの現実的な対応策を出してくれている点が使用者にとって助かることでしょう。

また,語種についても「わかりすぎるが嘘はない和語/立派で正しそうな漢語/かっこよくてわからない外来語」と分類し,その上で「こうした言葉の性格に自覚的であるように努め」ることを説くなどしています。

上の2つはこれまでに発行されてきた本でもよく見られたものですが,「は」と「が」について取り上げているのは非常に珍しいのではないでしょうか。「は」はかなり便利なこともあって,学生の文章では不用意に使われているのを目にすることが多いので,その面でも非常にありがたいです。

パラグラフに対する理解

本書の第4章,第5章はそれぞれ「読むスキル」としてパラグラフの導入を行っています。そこではパラグラフの「まとまり」と「つながり」が重要であることを説明しています。これらの概念は結束性と首尾一貫性と呼ばれることがありますが,どちらも入門用の本ではあまり取り上げられているとは言えないのが現状だと思います。本書では,要約のトレーニングを通じて「まとまり」について,接続語の練習を通じて「つながり」について理解を深めようとしています。

「まとまり」については,「抽象度の差を読み取る」ことを重視しています。もちろんある程度のトレーニングは必要ですが,パラグラフは抽象→具体→抽象という構造になっていることが理想的なので,この点は非常に重要なのですが,それを詳しく解説しているという点はこの本の特色と呼んでもいいと思います。

「つながり」については,野矢茂樹先生の『論理トレーニング』を下敷きにしています。一連の『論理トレーニング』本はたしかに非常に良い練習問題が多いのですが,特に初年次ではまだハードルが高いという実感を持っていました。しかし,本書では丁寧に解説をしてあるため,そのハードルが下がっているのではないかと思われます。

説明すること

文章表現系の教科書では論述型の文章を書かせることを目標としていることが多いという印象を持っています。それに対して本書では報告型の文章(説明文)を書くことを重視し,論述型の文章を書くのも「意見を説明する文章」としています。論述型の文章はどうしても感想文的になりやすかったり,紋切り型の文章になりがちなので,私も書かせることをよしとはしていませんでした(このような考えをうけて行った授業実践については松浦ら(2016)をごらんください)。そういったこともあり,このようなアプローチは私も大賛成で,とても興味深く読みました。説明文ではまずwikipediaでの特定の市に関する記述を読みながら,客観的に説明しつつ,興味深く読ませるにはどうすればいいのかについて説明することで,ただ事実を羅列することから脱するためのヒントが得られると思います。また,途中で出されている「説明文において"わかる"ことと客観性の両立というのは,実は単純な話ではない」などは重要な指摘だと思います。

文献を中心に構成したレポート作成

本書の第12,13章はレポートの作成を取り上げていますが,そこではアイデア出しからテーマ設定を行っていき,(学術)文献を使って結論を出しています。1つ1つのステップが具体的に書かれています。特にタイトルの良し悪しについてはここまで書いている本はまだ少なく有用でしょう。また,文献探しでもCiNiiで他に学術大会の発表論文などについても言及されている点がありがたいです。欲を言えば,図書館のサービスによって他大学所蔵文献を学生でも取り寄せることができる大学も今では多いでしょうから,そういったサービスへの言及があってもよかったかもしれません。

以上のように,本書は日本語の文章作成について学びたい学生もですが,文章表現科目を担当している教員にとっても役にたつものだと思います。
0

Moodleのマニュアルを作った

私の授業ではCMSとしてMoodleを利用しています。同じ科目を担当している他の教員もMoodleに登録していることや,今年からバージョンが2.9になったのに伴い簡単なマニュアルを作成したので公開します。画像を多用しているため6MBほどの大きなものになってしまいました…

資料公開>Moodleマニュアル

どの程度汎用性があるものになっているか分かりませんが,再配布等はご自由にどうぞ。
0

科研費DBの更新と言語学分野での採択課題

科研費データベースのインターフェイスが変わりました。ちょっと使いやすくなったのかなという気もしますが,まだ分かりません。

さて,このデータベースで詳細検索を使うと,その年に採択された課題を調べることができます。以下に簡単にまとめてみました。

本当は採択課題の動向なんかも見たいのですが,ちょっと時間がないのでこれだけで。
0

賛同を得るなら信用できる話をしてほしい

大学非常勤講師の雇用問題についてはいわゆる「5年雇い止め」問題や早稲田大学での労使協定などで話題になっているところです。
大学の授業は扱う範囲も広く専門性も高くなるので,どうしても非常勤講師に頼らざるを得ません。ですから,その労働環境が重要であることはまったくそのとおりです。しかし,この運動の中心を担っているであろう松村比奈子さんの次のインタビュー記事にはいくつか疑問を出さずにはいられませんでした。
松村さんのインタビューに対する疑問については以前も別の記事にしています。
結局のところ同じなのですが,こういった運動で賛同を得たいなら,きちんと根拠を伴った話をしてほしいと思います。繰り返しになりますが,非常勤講師の雇用を改善すべきだというのは私は同じ考えを持っています。

最初にマズいなあと思うのはつぎの点です(強調は松浦)。
大学の授業の90分というのは学部によって中身に違いがあって、語学は学生に話をさせたり小テストをやらせたりするということで教員はしゃべらない時間もいっぱいありますが、少なくとも法学のような社会科学系の授業では90分ずっと先生が話し続けるということも珍しくない。
これ,「しゃべり続ける」=「大変」and/or「よく働いている」(=偉い)ということが前提にあるように読めます。そうでなければなぜ「語学は」とわざわざ対比するのか分かりません。語学の授業だって,別にただCDを再生しているわけではなく,小テストしたり,反応を見て説明を変えたりなどやることはあります。この運動を担っている首都圏大学非常勤講師組合にだって語学の教師は多くいると思いますが,その方々は納得するのでしょうか?疑問です。

次に,気になるのは労働時間です。
授業は90分でも、直前直後の準備もありますから、1コマ当たり2時間労働と考えられています。そうすると、今、日本の労働基準法では上限は40時間ということになっていますから、10コマやって20時間で300万円程度にしかならない
この「上限は40時間」というのは,おそらく週の労働時間に関する法律のことだと思います。
非常勤講師に限らず,多くの大学で90分の授業を2時間の授業と見なしていると思います(これはこれでちょっと変な話ですが)。ですから,非常勤講師も時給が提示されていると,だいたい1コマで2時間の労働と見なされます。それでも,週40時間が上限だとするなら,上限は20コマ(40時間=600万円)ではないでしょうか?もちろん20コマ教えるというのは掛け持ちの場合の移動を考えると,かなり非現実的なのですが,少なくとも上の話はちょっとよく分かりません。

次に,労働内容についてです。
同じ仕事をしている専任教員は研究者として大学から書籍代なども支給されますし、今は随分変わってきたそうですが、学会に行った場合に学会費の一部や懇親会費の一部が補助されます。でも非常勤講師にはまったく何も出ません。
非常勤講師と専任教員が同じ仕事というのはまったく実感とずれます。私の認識では専任教員の仕事は,教育,研究,学務(各種委員会,教務等)の3つあります。授業をするという点については同じでしょうけど,特に3つ目の学務の仕事については大きく違うところだと思います。前の記事でも書きましたが,この3つ目の点についてかなり軽視しているもしくはないと思っているのではないかと思わされます。

同様の点は次の発言でも言えます。
6コマ持っている専任教員は年収1,500万円で、10コマ持っている非常勤講師は年収300万円というのは、どう考えても合理的な説明のつかない格差
まず,年収1500万円というのは私大の中でもかなり「いい方」の話じゃないかなと思います。一応,早稲田の理事とのやりとりで出た数字ですが,私大の教員の給与については次のような記事があります。
これを見ても1500万円はかなり「高い」方だと思います。やりとりで出た話だけでなく,もう少し信頼性のある資料をもとに話をしてほしいところです。

最後に,これは単純に知らないのですが
昔の非常勤講師はほとんどが女性だった
これってそうなんですか?どこかに資料があるといいのですが。

他にも「非常勤講師が気の毒だというよりも、任免は専任教員自身がやるわけですから、彼ら自身が大変な作業を負うことになることは間違いありませんから、それは困るというのもあると思います」や,「非常勤講師という仕事を長年やっている方は、自分で考えるという訓練が十分にされていないことが多いのですね」といった発言があるのですが,こういうのって無用に敵を作るだけだと思います。非常勤講師と専任教員が連帯して環境を良くするということに力を入れるなら,「語学」vs「講義」,「非常勤」vs「専任」,「長期」vs「短期」のような対立軸を入れすぎるのは悪手でしょう。

しつこいですが,主張は賛同します。しかし,信頼できる根拠に基づいて話をすべきですし,不必要な敵を作るようなことは避けるべきだと思います。
0

『音韻史』(シリーズ日本語史1)ご恵贈御礼

著者の1人である木部暢子先生よりご恵贈頂きました。

簡単な紹介と解説を。

目次(出版社ウェブサイトより)
日本語史へのいざない
第1章 音声学と音韻論
1.1 音声器官
1.2 言語音の分類
1.3 音声と音韻
1.4 音素の分析
1.5 シラブル(音節)とモーラ(拍)
第2章 文献学
2.1 日本語音韻史の資料
2.2 写本をめぐる諸問題
2.3 誤写のメカニズム
2.4 文献学的研究小史
2.5 時代区分と進歩史観
2.6 音韻変化か媒体の差か
第3章 音韻史
3.1 音韻の史的変遷
3.2 古代語(奈良・平安時代):8世紀頃~12世紀頃
3.3 中世語(鎌倉・室町時代):13世紀頃~16世紀頃
3.4 近代語(江戸時代以降):17世紀頃~
第4章 アクセント史
4.1 過去のアクセントをどうやって復元するか
4.2 平安時代の京都アクセント
4.3 中世の京都アクセント
4.4 近世・現代の京都アクセント
4.5 奈良時代のアクセント
4.6 日本祖語のアクセント
4.7 活用語のアクセント
第5章 比較方法・言語類型論による接近法
5.1 比較方法の現状と課題
5.2 類型論的方法の現状
5.3 類型論における今後のいくつかの課題
第6章 生成音韻論による接近法
6.1 はじめに
6.2 資料――文字表記,韻文と散文
6.3 比較言語学
6.4 連濁
6.5 上代語母音縮約
6.6 現代東京方言
6.7 他言語の例――満洲語
6.8 まとめ
第7章 最適性理論・他の理論による接近法
7.1 はじめに
7.2 古典的生成音韻論と標準的最適性理論――GIMFとしての共通面
7.3 地理的変異と通時的変化の分析例
7.4 部分的に見いだされる規則性の扱い
7.5 音韻の変化へのコーパスによる接近法
7.6 平曲譜本資料を用いた音韻史研究の例
7.7 おわりに

参考文献
索 引

第1章は音声学・音韻論,第2章は文献学の非常にまとまった,しかし十分な量の解説になっています。ちなみに私自身これらの章を執筆された高山先生の授業に出ていたことがありますが,そのときに扱っていた内容と重なるところがあり,今から思うとこのための授業だったのかなと少し思いました(実際にそうかは分かりませんが)。第1章では音素と音韻という用語の学史的背景を踏まえた解説があり,とても勉強になります。第2章でも誤写や写本について丁寧に解説されており,背景を持たない人にとって助かることでしょう(私も)。

これに続く第3章と第4章が分節音,アクセントの歴史に関する概説的な内容になっています。しかし,ただ単に通説や自説を述べるのではなく,どういった学史上の議論があったのかをかなり詳しく紹介しているのが特徴的です。特に第4章の平安時代のアクセントについてはかなりの論が出ているにもかかわらずそれをきれいに整理しています。

第5章から第7章は具体的な事例に対して各章の著者が自らのアプローチを解説しています。まず第5章では,アクセントを主な対象に比較言語学的・類型論的なアプローチを紹介しています。方法論の理解のためには,p.124から始まる「共通の異変への着目」での事例を丁寧に読まれることをお勧めします。なお,本章の注1にも「本章は2007年1月に脱稿したものである。そのため,特に過去9年間に公表された参照すべき図書,引用・紹介すべき論文についての情報が漏れているが,了解いただきたい」と書かれているように,あくまで2007年1月時点の情報であることは注意が必要です。おそらくここ2−3年で平子達也さんや五十嵐陽介さんがまさにこのアプローチに基づく論文・発表が行っているからです。リンクのあるものを以下に挙げますが,他にも彼らのresearchmapページにある論文は要チェックだと思います。

平子達也・五十嵐陽介 (2014)「大分県杵築市方言の名詞アクセント資料とその歴史的考察」『京都大学言語学研究』33, 197-228.
五十嵐陽介・平子達也 (2014)「佐賀県北方町周辺方言における3拍5類の対応がアクセントの歴史研究に与える示唆」日本言語学会第149回大会

第6章では,上代語の母音縮約を中心に,古典的なSPEのアプローチでの説明を行っていますが,主眼としては「日本語音韻史の論考には,通時過程と共時過程との区別が截然としていないものや共時過程の考察が欠如しているものを多々見かける」(p.155)ということに尽きるかと思います。まず通説としてどのようなことが言われているのかを理解するためにも3章を読んでおくことは必要です。それでもやはり背景となる知識がそれなりに要求される章かもしれません。読書案内にはMoris Halleの古典的な生成音韻論の論文2本が挙げられていますが,(古典)日本語の音韻論については,おそらく本章の著者である早田先生がかつて書かれた論文にあたるのが良いと思います。比較的入手しやすいものとしては次のものがあります。

早田輝洋(1996)「上代日本語の音韻をめぐって(上)」『月刊 言語』 25巻9号, pp.91-102.
早田輝洋(1996)「上代日本語の音韻をめぐって(下)」『月刊 言語』 25巻10号, pp.182-193.

最後の第7章は,濁音,前鼻音に関する現象に対して最適性理論やコーパスを用いたアプローチを紹介しています。7.3節は現象として私の特に関心のある方言差のことが取り上げられており,それを最適性理論の強みである序列替え(reranking)によって説明する方法が紹介されており楽しく読めました。また,有声阻害促音(例:エッグ,キッド)の分布に対するHarmonic Grammarの分析や有声阻害音の調音に対するコーパスを用いた分析を紹介するなど,2000年代の音声学・音韻論の手軽なガイドとしても利用できるかもしれません。ただし,いずれの事項も量に対してやや情報過多(詰め込まれている)ところがあるので,例えば修士院生ぐらいだと原論文にあたり,その上で読み直してみるのがいいかもしれません。

いずれにせよ,日本語音韻史に対する導入としても,研究手法を学ぶ上でも益するところの大きい本だと思います。時間はかかったけれど,出版されて本当によかったです。

誤字の類と思われるもの

気づいた範囲で誤字の可能性のあるものについて記しておきます。

p.8 IPA表
・子音表の軟口蓋・摩擦・有声音の記号[ɣ]が第二次基本母音15番[ɤ]と同じになっている(他の章,例えばp.196最終行も)
・補助符号の「無解放」→「無開放」?(not audibly released)
・同所の記号が違う(たてに長すぎる)

p.87
・(B)コメザキのところだけ記号が大きい(誤字とかではないのですが,気になりました)

p.197 図7.1および p.237 下から2行目
・Paperkamp→Peperkamp

p.230 注2 14行目
・「自立分節音韻論」→「自律分節音韻論」
0

文章表現教育に関する論文が出ました

授業で取り組んでいるレビュー論文の作成に関する共著論文が出ました。

松浦 年男・田村 早苗・石垣 佳奈子・岡田 一祐・高木 維・吉村 悠介 (2016)「大学初年次の文章表現教育における「レビュー論文」作成の試行」『北星論集』53(2),pp.47-55.

本文はそのうち大学のリポジトリ経由でCiNiiなどで検索できるようになるはずです。なお要旨は次のとおりです。

筆者たちは大学初年次(後期)の授業においてよく見られる論証型のレポートを廃し,自分の選んだテーマについて3本程度の論文を選び,共通点や相違点に注目したまとめを作らせるという取り組みを行った。本稿はこの取り組みについて,詳しい授業内容を解説し,取り組みによる成果,今後の改善点を論じた。

自分の意見から離れ,他人が何を言っているかをまとめることに焦点を置いた文章表現教育を行っています。研究のまとめは通常の演習でも卒業論文でも行う活動ですが,体系的な教育は初年次ではあまり行われていません。その点でこの取り組みは効果が大きいのではないかと考えていますが,やはりハードルが高くなるなどの問題があります。また実践を積み重ねて改良していければと思います。
0

参照文献欄の見栄えをよくする

論文を書くときには,最後に引用,参考にした文献を一覧にして記します(分野によっては文献に注を付けます)。ここを次のように書いているレポートを見ることがあります。


これだと2つ目の文献の1行目と2行目が揃っていて一瞬2行目も別の文献のように見えますし,3つ目の文献は1行目が何だか間延びしているように見えます。これらは編集して下のようにしてほしいところです。


そこでWordでこの編集をする方法について解説した動画を作成しました。

0

北海道方言研究会で発表しました

 2月14日に北海道方言研究会第216回例会で発表してきました。
松浦 年男・岸本 宜久 (2016)「北海道方言における文末詞「サ」の分布と意味」北海道方言研究会第216回例会, 2016年2月14日.
 実は初めて意味論・語用論を扱う発表で,対象も初めて北海道方言になっています。厳密には2014年の春の言語学会で発表したときに使用したデータが北海道の学生のものでしたが,それは方言(地域)特徴を扱ったものではないので数えていません。
 この日は国語研のJLVCと被っていたため何人かの方から欠席という連絡をいただいており,どれくらい来るのだろうかと心配していましたが,北海道新聞の告知などもあり,15名ほどの聴衆でした。
 内容ですが,北海道では例えば次のような「さ」が使われます。
  • 昨日久しぶりにスノボ行った。したっけ,太ももがなまら痛くなった
実際,ツイッターで検索してもかなりの数引っかかります(ちなみにこの表現は若年層や札幌に限定されるわけではなく,全道的に,それなりに幅広い世代で使われています)。
この「さ」は道外出身の私にはどういう意味なのかが分からず,そこから研究がスタートしたという背景があります。今回の発表では,聞き手の知識に基づいて一般化するのがいいだろうという結論になりましたが,今回は上記のことのほかに,会自体に非専門家の方の参加率が高めだということもあり,少し緩い説明の仕方にしました。用例,一般化,説明いずれももうちょっとバージョンアップしてまたどこかでお披露目できたらと思います。
0

引用の表現に幅を持たせてほしい

担当授業はレポートの書き方に関するものなので,最終提出物としてレポートを課します(蛇足ながら,ここに本当に因果関係を認めていいのかはちょっと疑問)。

以前の記事でも書いたように,後期の授業は論文のレビュー(もどき)を行うことになっています。
論文のレビューですから,当然のことながら引用はレポートでの重要な要素となります。その分,引用についてはけっこう時間を割いて解説や練習問題を行います。その甲斐もあって,ほとんどの学生は(この授業の)レポートに関しては形式面で適切な引用を行っています。しかし,これはあくまで形式的であって,文章としての読みやすさを考えると学生達のレポートに書かれる引用にはけっこう気になることがあります。それは,バリエーションがない,ということです。例えば次のパラグラフを見てみましょう。

いわゆるキラキラネームについては様々な意見がある。例えば,松浦・筒井(2015)は「深夜帯に受診した患者の割合は、「キラキラネーム児」が有意に高かった」と述べている。また,山西ほか(2015)は「読めない名前を理由にしたいじめの問題や病院での患者の取り違えの問題などが報告されており,「変わった名前」だけでは済まされない社会的な問題となっている」と述べている。しかし,ウンサーシュッツ(2015)は「読みにくいとされている新しい名前が、思われている程大きな波紋を呼ばないと考えてもよいであろう」と述べている。このように,キラキラネームの問題は賛否の両方がある。

読んでいてどこに違和感があるか分かっていただけたでしょうか。ポイントは,引用の表現にあります。引用されている内容を見ると,松浦・筒井論文は調査結果,山西ほかの論文は問題になっているという現状の認識,ウンサーシュッツ論文は意見の表明なのですが,どれも引用の表現は「述べている」となっています。たしかにどれも「述べている」のですが,もうちょっとここを使い分けてほしいなあと。

例えば,引用で使われやすい表現としては以下のものがあります。
  • …という。
  • …としている。
  • …と述べている。
  • …と主張している。
  • …と指摘している。
  • …と説明している。
  • …と考察している。
  • …と結論づけている。
  • …ことを示している。
  • …と報告している。
  • …と定義している。
上のサンプルもこういった表現を使い分けるだけでけっこう印象は変わるかと思います。

いわゆるキラキラネームについては様々な意見がある。例えば,松浦・筒井(2015)は「深夜帯に受診した患者の割合は、「キラキラネーム児」が有意に高かった」と報告している。また,山西ほか(2015)は「読めない名前を理由にしたいじめの問題や病院での患者の取り違えの問題などが報告されており,「変わった名前」だけでは済まされない社会的な問題となっている」としている。しかし,ウンサーシュッツ(2015)は「読みにくいとされている新しい名前が、思われている程大きな波紋を呼ばないと考えてもよいであろう」と主張している。このように,キラキラネームの問題は賛否の両方がある。

ただ,もうちょっと改善の余地があって,例えば,最初の引用は「松浦・筒井(2015)は病院のERに搬送された患者の名前についてアンケート調査を行い,「深夜帯に受診した患者の割合は、「キラキラネーム児」が有意に高かった」ことを報告している」などと補足情報を足すとだいぶ理解が深まります。

こうやって書いてみると,単なる表現のバリエーション(語彙力)の問題というより,内容の理解や説明力の問題になっていて,当該の学生達が,自分たちの持っている情報を構造化せず(できておらず),単に情報を並べていたのだということに気づかされます(これは学生達が悪いのではなく,そういう指導ができなかった教員側の問題)。次年度に改善できるでしょうか。

サンプルで取り上げた文献の書誌情報
ウンサーシュッツ ジャンカーラ (2015)「キラキラネームといわないで! : 新しい名前に対する評価とその現象に取り巻く言説」『立正大学心理学研究所紀要』13, pp.35-48.
松浦 祐史・筒井 一成 (2015)「キラキラネームとER受診時間の関係」『小児科臨床 』68(11), pp.2113-2117.
山西 良典・大泉 順平・西原 陽子・福本 淳一 (2015)「人名の言語的特徴の分析に基づくキラキラネーム判定」『日本感性工学会論文誌』(早期公開記事)
0

授業の総括(2015年度後期版)

先ほど成績を提出し,今年度の授業に関することがほぼ全て終わりました。今年度も後期は「レビュー論文」作成をテーマにした授業をしていきました。

この授業については3月頃に共著で論文が出るのでそちらに譲るとして,ここでは私のクラスの範囲内で授業について振り返っておこうと思います。

レポートの評価

今回のレポートも,ルーブリックを使用して評価しました。まだまだ改善の余地もあるし,私のオリジナルというわけでもないので公表は差し控えますが,100点満点でおおよその点数配分は次のとおりです。
  • 表題・見出し(2項目)…6点
  • 序論(3項目)…15点
  • 本論(3項目)…22点
  • 結論(1項目)…5点
  • 文献表(1項目)…5点
  • 全体(3項目)…12点
  • 特別加点…10点
取り上げたテーマが面白かったり,文献の数が非常に多かった場合に(内容を伴う限り)特別加点を入れるつもりだったのですが,今回は該当なしでした。そのため実質90点満点です(その辺は考慮して最終的な評点を出しています)。ここでは直感的に分かりやすくするために100点満点に換算し,カッコに素点を入れておきます。基本的な統計値は以下のとおりでした。
  • 最高値:96.67(87)
  • 1/4位:82.22(74)
  • 中央値:70.56(63)
  • 平均値:71.80(64.62)
  • 3/4位:61.11(55)
  • 最低値:47.78(43)
私としては最低が50以上と考えていたので,それは概ね満たされたようです。もちろん数名これに引っかかっているのですが。

次に,ヒストグラムを作ったところ正規分布というより二極分布に近い形になりました。

つまり,出来のよかった人と出来の悪かった人にはっきり分かれて中間的な人が薄かったようです。これはルーブリックの設計の問題かもしれません。1つの項目が悪いと関連項目も点数が落ちないように作れるといいのですが。

教育項目の難易度

Moodleのアンケート機能を利用して授業で扱った項目についてどれくらい大変だったかを評価してもらいました。1〜4で評価し,4の中で最も大変だったもの1つを5にするというちょっと複雑な形式ですが,次のような結果になっています。

これは昨年度も同じだったのですが,「初稿を執筆する」という項目がもっとも大変だったようです。たしかにクラスで見ていてもこのあたりでかなり息切れしている様子が目に見えました。あと,これについてはアウトラインの作成とのギャップも気になります。どうも見ているとアウトラインが非常に簡略なものになっており,その分,初稿で大変感(負担)が増えたのではないかという気がします。これについては「アウトラインを育てて文章にする」ということができるよう仕組んでいく必要があるのかなと。

また,「テーマに合った文献を探す」,「文献メモを作成する」という項目も点数が高いのが気になります。やはり1年生段階だと論文を探して,そのメモを作成するというのはハードルが高いようです。昨年度も同様の結果だった反省を踏まえて,今年度は途中の課題を軽くするなどしたのですが,やはり同じような結果になったことを考えると,半期全体の授業設計にはかなり改善の余地がありそうです。
0

促音に関する論文が出ました

国立国語研究所の論集に「天草諸方言における有声促音の音韻論的・音声学的記述」という論文を書きました。現在進行中の科研費によるプロジェクトの成果の一端になります。以下からダウンロード可能です。
このテーマに取り組んで最初に発表したのが2012年なのでちょっと時間がかかってしまいました。反省。
0

ライマンの法則の違反(追記あり)

ライマンの法則とは「すでに濁音を含む語では連濁が起こらない」という一般化で,明治時代に日本に来たベンジャミン・スミス・ライマンによって発見された法則です。例えば,「くるま」を後部要素に持つ「猫車」という複合語では「ぐるま」と連濁するのに対して,後部要素に濁音を含む「くじら」や「くらげ」は「マッコウ鯨」や「越前クラゲ」のように連濁しません。

もっともこの法則性についてはそれ以前に本居宣長などが発見していたとの話がありますが,今のところ「ライマンの法則」と呼ばれることが一般的です。この辺の話題については鈴木豊氏の「ライマンの法則の例外について」という論文を参照するのがよいでしょう。

さて,この法則には「縄ばしご」という有名な例外があります。有名というより,ほぼこれしか例外がないとも言われます。しかし,先ほどの論文には様々な例外が列挙されていますし,私自身,googleで検索するとけっこういろんな例外がヒットするという話をSJLL (Semi-annual Journal of Language and Linguistics) という同人誌の第1号に書いたことがあります。

この例外というのが実際の音声として発話されているものを見つけたのでご紹介します。以下のリンクは爆笑問題のラジオ番組の録音で,これの4分50秒(リンクがちょうどそうなってるはず)あたりに田中さんが「どんずべりすんだよ,そんなの」というのが出てきます。

「爆笑問題カーボーイ 2016年1月19日」(youtube動画)

(念のためmp3ファイルも置いておきます)
この場合,「どん」という前部要素の末尾が撥音で,撥音の後は濁音になりやすいため,その効果が現れているかもしれません。しかし,ライマンの法則の例外であることには変わらないでしょう。また,これはテレビのキャプチャー画像なんですが,「だだずべり」というのも見たことがあります。なので,「滑る」という語がわりと連濁しやすい語なのかもしれません(連濁には語(形態素)によって連濁しやすい/しづらいという性質があります)。

追記(2016/01/21,18:21)

上のように書いたのですが,次のような論文があるというご指摘を頂きました。

Rice, Keren (2005) Sequential voicing, postnasal voicing, and Lyman’s Law revisited. In: Jeroen van de Weijer、Kensuke Nanjo、Tetsuo Nishihara (eds.) Voicing in Japanese. Mouton. pp.25-45.

この論文は日本語のvoicing(有声性)をlaryngeal voicing(喉音的有声性,LV)とsonorant voicing(共鳴的有声音,SV)の2つに分けることを提案しており,ライマンの法則が関わるのはLVであって(つまり同一形態素内に2つのLVがあってはいけない),撥音(ん)の後の有声音はSVによるもので,ライマンの法則には関わらないということになります。LVとSVが有効な例としては「ふんじばる」fun-zibaruと「食いしばる」kui-sibaruという対立を挙げています。

たしかにRice説に則ると,上の例はまさに撥音の後の有声音なのでSVということになり,ライマンの法則ではありません。ただ,一方で「滑り」がSVでないとズベリにならないかというと必ずしもそうとは言えなさそうです。国会会議録にある「ずべり」を検索した結果を見ると2件ヒットします。それぞれ次のようになっています。

私も先刻言ったように、風化作用か何か知りませんけれども、最近の集中豪雨と相待って、また地ずべり地帯であるということも加わって、非常に危険な状態に陥っておりますから、(井手以誠議員の発言)

それから免許料、許可料の問題につきましては、これは従来の漁業会から新しい協同組合に構ずべり[「横ずべり」の誤り:松浦補]するものに対してはとらない。(安達忠三郎参考人の発言)

これらの複合語の前部要素はいずれも撥音終わりではないこれらから,「滑り」そのものはLVでも連濁しうるとは言えそうです。
0

Praatで音声波形,ピッチ,TextGridを1つの図にするスクリプト

リクエストがあったので,Praatを使ってピッチの図を作るスクリプトを簡単な使い方と合わせて公開します(動作確認はver.5.4.09にて行っています)。

「資料公開」からもダウンロードできますが,直リンクを張っておきます。

 

準備するもの

このスクリプトを使用するには同じ名前の以下の2つのファイルを読み込ませておく必要があります。

  • 音声ファイル
  • TextGrid

TextGridを用意するのがおっくうな方のためにデモ用ファイルも用意しました。

 

スクリプトの読み込みと起動

スクリプトを使うにはpraatを起動してPraat menuからOpen praat scriptでスクリプトを開きます。スクリプトを開くとなにやらたくさんの文字列が出てきますが,気にしないでRun menuからRunを選びます。

 

起動画面の説明

 

Runを押して起動すると次の画面が出てきます。

 

それぞれ次の意味です。 

  • file name:図にするファイルの名前を入れます(拡張子は付けない)
  • Start time:図にする部分の開始時間を入れます
  • End time:図にする部分の終了時間を入れます。0にすると自動で全体の終了時間までになります。
  • Max pitch:ピッチの上限を入れます
  • Min pitch:ピッチの下限を入れます
  • Distance between pitch tick:ピッチ部分(Y軸)に入れる短い横棒の間隔をHz単位で入れます。0にすると棒は入りません。
  • Picture width:図の横幅です。
  • Picture height:図の縦幅です。
  • Speckle size:ピッチを表す点の大きさです。
  • tier number:TextGridの表示させるtierの番号を入れます。

全て入力したら[Apply]または[OK]を押します。これでpicture windowに図が表示され,同時にクリップボードに図がコピーされた状態になります。ちなみに上のデモでtierを2(フレーズ単位)にすると次のように表示されます。

 

あとはpicture windowで[File]から適当な形式のファイルに保存するか,クリップボードにある画像ファイルをどこかに貼り付ければ完成です。

 

0

『統語意味論』ご恵贈御礼

院生時代にお世話になっていた上山あゆみ先生より『統語意味論』をいただきました。

以下,統語論・意味論に必ずしも(ほとんど)明るくない立場なりに本書の簡単な紹介を。

改訂:2015/12/10 14:00 「知識の表示」について誤解を招きそうなところを少し書き換えました。

目次(出版社ウェブサイトより)
序 章 何をめざすのか
      序.1 「日本語」 とは?
      序.2 統語論とは?
      序.3 統語論の説明対象
      序.4 本書でめざしていること

第1章 統語意味論のあらまし
      1.1 コトバという仕組み
      1.2 Information Database と Lexicon
      1.3 語彙項目から文へ
      1.4 意味表示と意味理解
      1.5 まとめ : 統語意味論の立場

第2章 格助詞
      2.1 項となる意味役割と格助詞
      2.2 付加詞としての格助詞
      2.3 J-Merge : 名詞と格助詞の Merge
      2.4 格助詞ヲと動詞
      2.5 時制要素と 「~が」 の移動
      2.6 音形のない 「代名詞」
      2.7 本書で未解決のまま残している問題

第3章 使役構文と受動構文

      3.1 使役構文1
      3.2 使役構文2
      3.3 受動構文1
      3.4 受動構文2
      3.5 本書で未解決のまま残している問題

第4章 「A (の) B」 構文
      4.1 property 記述表現による修飾構文
      4.2 OBJECT 指示表現による修飾構文
      4.3 Host property 表現
      4.4 ノ : property-no 規則と N 主要部としてのノ
      4.5 本書で未解決のまま残している問題

第5章 「Aは/がB (だ)」 構文
      5.1 property 記述表現の id-slot に対する条件
      5.2 T の特異性
      5.3 「Aは/がB (だ)」 構文
      5.4 property-da 規則
      5.5 英語と日本語の相違点と共通点
      5.6 本書で未解決のまま残している問題

第6章 Predication と Partitioning
      6.1 数量表現
      6.2 OBJECT と LAYER
      6.3 Predication 素性と Partitioning
      6.4 Partitioning 適用後の意味解釈
      6.5 本書で未解決のまま残している問題

第7章 連体修飾

      7.1 連体修飾節
      7.2 連体修飾が複数ある場合
      7.3 連体修飾と語順

第8章 疑問文と不定語
      8.1 「誰」 「何」 「どこ」
      8.2 「どの~」 「何人の~」
      8.3 「どのNの~」
      8.4 さまざまなタイプの疑問文
      8.5 不定語+モ
      8.6 不定語との連動読みと照応記述制約
      8.7 本書で未解決のまま残している問題

第9章 さまざまな連動読み
      9.1 同一指標による連動読みと依存語による連動読み
      9.2 ソコの単数性
      9.3 統語素性 Bind と Merge 規則 Binding
      9.4 2種類の連動読みの違い
      9.5 疑似連動読み

第10章 否定文
      10.1 否定にまつわる問題点
      10.2 非存在を表すナイ
      10.3 動詞否定文のナイ
      10.4 ダレモ~ナイ構文
      10.5 シカ~ナイ構文
      10.6 遊離数量詞構文

終 章 統語意味論のこれから
      終.1 統語意味論の目標
      終.2 内的体系性と 「社会的契約」
      終.3 システムの明示 : 検証のための Web ページ
      終.4 評価尺度の問題 : Hoji (2015) について
      終.5 今後の課題

付録A 解釈不可能素性と統語操作の一覧
      A.1 解釈不可能素性一覧
      A.2 統語操作一覧

付録B Numeration からの派生の全ステップ
      B.1 ビルがジョンにメアリを追いかけさせた
      B.2 ビルがジョンにメアリを追いかけられた
      B.3 3人の男の子が2人の女の子を誘った
      B.4 ジョンが見かけた女の子
      B.5 ジョンがどこが勝ったか知りたがっている
      B.6 どの大学の学生が来ましたか
      B.7 ジョンは、メアリが誰を誘っても、パーティに行く
      B.8 かなりの数の大学がそこを支持していた人にあやまった

この本ができあがった過程について

全295ページ(B5版)とかなりのボリュームです。まず,いかにしてこの本ができあがっていったかについて,「あとがき」より引用します。

本書のベースとなっているのは、2008~2013年ごろに九州大学大学院の授業で行なってきた講義である。毎回、書き下ろした原稿をテキストとして、院生さんたちに内容を聞いてもらい、その反応を見ながら改訂を重ねてきた。

私が先生の授業に出ていたのがだいたい2006年までなので,ちょうど出なくなってからこの本のベースとなった講義が始まったのですが,それ以前から先生の研究室で何度かモデル(p.8)の初期バージョンについて提示しており,そのときにも例えば以下に述べるような標準的な命題真理に基づく形式意味論ついての懐疑的な見解などを聞いた覚えがあります。しかし,日本語の様々な文法現象についてここまでカバーした形での話はこの本で初めて見ました。

こうやって,授業でひとつのモデルを作り,それに改訂を重ねてひとつのまとまった形にしていくというのは,かなりハードな仕事だというのは想像に難くないでしょう。アメリカのある有名な大学院の言語学講座の授業では,教員がその学期に「○○の理論を一から作りなおす」と言って初回にひな形を作り,それを院生とともに議論を重ねて改訂し,学期が終わる頃にはジャーナルに出せる形にするなんてことがあってたまげたそうです(私も聞いてたまげました)。日本の大学院で同じようなこと(しかもそれを何年にもわたって)やってきたというのは本当にすごいことなんだと思います。ちなみにこれは上山先生ももちろんですが,それについてきて,しっかりと批判的・建設的な意見を述べて議論してきた当時の院生やポスドクたちについても言えることですね。

統語意味論と形式意味論

生成文法の意味論というと真理条件を軸とした形式意味論を指すことが多いと思いますが,それに対する否定的な見解がひとつの大きな特徴だと思います。印象的なところを少し長いのですが,引用します。


従来の形式意味論では,さまざまな補助仮説を加えることによって,(82)(=文の意味とは,その文の真理条件である:松浦補)を保持する形で進んできているが,その前提を取り払うべきであると考えている。
 これまでの形式意味論では,真理条件を軸として,(83a)(=各語彙項目についてLexiconで指定されている「意味」:松浦補)も,そこから逆算する形で規定されてきた。しかし,「逆算」である限り,「語彙項目の知識とその組み合わせ方の知識の総体として言語というものをとらえる」という目的を達成することはできない。結果的に,文の意味を記述することはできても,どうしてその意味になるのか,という説明としては不満が残る場合が多く,また,同じ語彙項目でも,生起する構造的位置が異なると,「逆算」結果が異なるため,少なからぬ「同音異義語」を仮定する必要にせまられる。(pp.33-34)


述語論理学を用いた従来の意味論では,次のような『意味』のとらえ方が標準的であった。
(23) a. Every student came
        b. ∀(P(x) → Q(x))
        c. every (x = student) (x came)
(24) a. Some student came
        b. ∃(P(x) & Q(x))
        c. some (x = student) (x came)
このとらえ方では,every student の「意味」は [...中略...] 直接,その「学生たち」を指示しない。しかし,明らかに私たちはこれらの表現をとおして「複数のモノから成るOBJECT」を認識することができる。
(25) 3人の学生やってきた。そいつらは,騒がしかった。
量化子というものは,その定義上,指示的ではない概念であるため,量化子を用いたとらえ方をしている限り,(25)のようにソ系列指示詞を用いて当該のOBJECTを指示することができるという事実が,深刻な問題となってしまう。(pp.125-126)


では統語意味論では意味についてどう考えているのでしょうか。この本では,知識というものを,モノやデキゴトなどが持っている特性の集合ととらえています。例えば,"松浦年男"というモノは1977年生まれ,東京出身などといった特性(propertyと呼んでいる)を持っています。そのため,これらを知る人にとっての"松浦年男"の知識は次のような形になります。


"松浦年男"に対する知識の形式
<X104, {<Name, 松浦年男>, <Kind, 大学教員>, <生年, 1977>, <出身, 東京>...}


一方,例えば"松浦年男"が東京ではなく長崎生まれだと信じている人(著書のテーマもあり,実際そう思っている人は多い…)にとって,"松浦年男"の知識は次のようになります。


"松浦年男"に対する知識の形式(ただし出身地を勘違い)
<X104, {<Name, 松浦年男>, <Kind, 大学教員>, <生年, 1977>, <出身, 長崎>...}


同様に,"松浦年男"の出身地を知らない人にとって,この部分は空(またはそもそも項目がないか)になります。これはデキゴトについても同じで,"北京オリンピック"や"(誰かが何かを)落としたコト"に対する知識は次のようになります。


デキゴトに対する知識の形式
<X65, {<Name, 北京オリンピック>, <開催年, 2008年>, <場所, 中国・北京>,...}>
<X82, {<Kind, 落とした>, <落下物, x53>, <行為者, x19,>, <落下場所, ...>,...}>


これらの知識はInformational Database(情報データベース)に収められており,語彙の意味(Lexiconでの意味表示)も文の意味も基本的には同じ形をしていると仮定しています。例えば,「ジョン」というモノや「追いかける」というデキゴトを表す語彙項目は次のような表示なっています。

語彙項目の表示例(ジョン・追いかける)
[{N}, <id, {<Name, ジョン>}>,ジョン]>]
[{V}, <id, {<Kind, 追いかける>, <Theme,wo>, <Agent,ga>}>oikake-]>

黒は統語素性,青は意味素性,赤は音韻素性です(ジョンの音韻素性がカタカナで,追いかけるの音韻素性が音素/ローマ字なのは見やすさと正確さの兼ね合いの問題で本質的ではありません。別にジョンはzyoNでもいい)。見て分かるとおり,語彙項目の表示形式は知識の表示形式と基本的に同形です。だからこそ,語彙項目とInformational Databaseはやりとりが容易になります(★の説明は省略します。分かる人に言えば,解釈不可能素性です)。また,言語の計算の上で必要な語彙の知識はNameやKindぐらいなので,これらの情報だけが書かれています。

そして,これらの語彙項目を必要な規則(Merge(これも独自に定義)など)を適用することによって,適正な表示が得られれば出力され,意味表示に変換されます。例えば,「ジョンが女の子を追いかけた」という文では,次のような表示になります(この表示も章が進むにつれて形を変えるのですが,ここでは簡単な表示を書いておきます)。

文の意味表示(ジョンが女の子を追いかけた)
{x4 ,{<Kind, 追いかける>, <Time, perfect>,<Theme, x2>, <Agent, x1>}>,
<x1, {<Name, ジョン>}>,
<x2, {<Kind, 女の子>}>}

このように,知識や語彙項目,文の意味を電話帳のようなデータベース的な表示にすることで,意味表示がInformational Databaseの内容をどう更新していくのか(言語によって知識を変えるのか)が記述でき,引用中の(25)のような文で「3人の学生」をひとかたまりとしてとらえることができることになります。


個人的には,こういった表示は私のような非・意味論者にとって非常に直観的に理解しやすいものだと思います。


この本を開いてすぐに閉じないために

このように,この本は標準的な形式意味論などとは意味の表示が大きく異なります。そのこともあり,この本は「言語の構築システムの追求にあたっては,関連する仮説を全て提示し,入力→操作の適用→出力が明示的に記述できなければならない」(p.218)という方針の下,必要な仮説を余すところなく明示しています[1]。そのため,この本の中には至るところに見慣れない記号や式,樹形図が展開されていて圧倒されるかもしれません。しかし,どこで何を使うかは非常に明示的ですし,基本的に,現象→必要な式の導入→実際の計算という形式なので,最初の用例を(我慢して)手書きで計算していくことによって,その後はグッと読みやすくなります。参考(何のだ?)までに私のノートの写真を。

途中の過程

形式意味論,ロジックなどにあまりなじみのない方は,ぜひ一度手計算でプロセスを書いてみることをお勧めします。実際,これをやることによって,帯にある「意味と構造は同時に決まる!」というのがどういうことなのかが実感できるんじゃないかと思います。ちなみに上山先生のサイトに検証用プログラムが用意されており派生を確かめることもできますが,この理解も最初に手書きを経ることでグッと深まることでしょう。

最後に

このように,『統語意味論』は日本語の観察をもとに,構造によって表示される意味がどのように導き出されるのかを明示的に書き出しています。また,上にも書いたとおり意味論にとって非常に大きな提案をしています。個人的には,この内容が英語でも書かれ,国外でも検討されることを願います。また,みなさんにはぜひ同書を手にとって,自分で計算して,味わってみてほしいと思います。

※タイポ
Mergeする要素間のカンマが抜け落ちているものがありますが,これはいずれもタイポとのことです。実際に先生とやりとりしたときに使った画像ですが,例を1つ(p.21より)。



-----
[1]こういった方針は私自身,著書(『長崎方言からみた語音調の構造』)にて実践しようとしましたが…
0

『現代の形態論と音声学・音韻論の視点と論点』ご恵贈御礼

編者の一人である田中真一さんより『現代の形態論と音声学・音韻論の視点と論点』をいただきました。


簡単な紹介と感想を。

目次(自分で入力したので誤りがあるかもしれません)
第I部 形態論
第1章 英語の関係形容詞:前置詞句の交替形としての分析
第2章 英語の「名詞+名詞」形は句か語か
第3章 Postsyntactic Compoundの分析:構文拡張的見方
第4章 接頭辞「大」について
第5章 日本語の句複合
第6章 初期近代英語における名詞転換動詞
第7章 単語と接辞の境界

第II部 音声学・音韻論
第8章 クレオール語化に基づく中英語のリズム構造と音節構造
第9章 連声は現代日本語に生きているか
第10章 日本人の名前と性別:「セイヤ」の男性性と「シホ」「ユーリ」「キヨ」の女性性
第11章 「ゴロの良さ」と「間」の関係について:俳句に関する一考察
第12章 リズム定型における韻律要素の調整:日本語・イタリア語の定型詩と歌謡の分析
第13章 連濁は音韻理論の問題か
第14章 鳥取県倉吉方言における芸能人の名前等のアクセント:メディア経由の標準語アクセントの方言化

第III部 音韻論・形態論などのインターフェイス
第15章 複合語の生産性と語強勢の位置
第16章 語彙音韻論の限界と最適性理論によるアプローチ
第17章 単純語短縮語形成に関する第3の解釈

「まえがき」に本書は「形態論,音声学・音韻論における最新の理論やそこにいたるまでの理論の変遷などを考慮して,編纂された論文集」と書かれているとおり,この分野の研究成果を集めたものになっています。扱っている言語は英語と日本語が中心ですが,近代英語や(部分的に)古典日本語,方言も入っていたりとバラエティに富んでいます(ちなみに第15章は語強勢の問題について本当に多くの言語を俯瞰しています)。また,方法を見ても理論的,実験的,記述的と様々なアプローチが取られています。日本語・英語関係で卒業論文を書く学生などは何が話題になっているかを知るのにいいかもしれません。
0

『音とことばのふしぎな世界:メイド声から英語の達人まで』ご恵贈御礼

川原繁人さんより『音とことばのふしぎな世界』(岩波書店)をご恵贈いただきました。ありがとうございました。



以下簡単な紹介と感想を。

11/17 12:30 少し修正しました

目次 岩波書店のページより
プロローグ──日本人は英語が苦手?
第1章 「マル」と「ミル」はどちらが大きい?──音象徴
第2章 「あかさたな」とサンスクリット研究──音声学のはじまり
第3章 世界中のことばを記録する方法──記述音声学
第4章 音を目で見る──調音音声学
第5章 声紋分析官への道──音響音声学
第6章 ないはずの音が聞こえる日本人──知覚音声学
第7章 社会との接点を目指して──福祉音声学
エピローグ──さらなる視界へ

第3章から第6章で取り上げられているトピックは音声学の標準的な教科書(たとえば斎藤純男『日本語音声学入門』)にも見られますが,ラップの話が出てきたり,様々な言語や現象の図表や事例を駆使して分かりやすく書かれています。また,第1章にある音象徴と,第7章にある福祉音声学の話は他には見られないのではないでしょうか。ということで,以下ではこの2つの章についてもうちょっと詳しく書きます。


第1章で取り上げられている音象徴とは「音から意味の連想が直接起きる現象」(p.6)のことで,本書では怪獣などの名前は濁音(例:ガ,ザ,ダ,バ)を含む方がふさわしいなどの例を挙げています。音と意味の間には決まった関係はない,だから例えば同じ動物を指すのにinuと言ったりdogと言ったりköpekと言ったりする,などということは言語学の入門の授業で習います。しかし,一定の音には一定のイメージがつきまとうことも事実で,この本ではこれをきっかけに音声の魅力を語っています。

また,締めとなる第7章では音声学と社会との繋がりについて述べています。ここ数年来,大学にいるものとしては自分の研究が社会に対してどう「分かりやすく」貢献するかを意識させられます。言語学や音声学は人間の言語の仕組みの一端を明らかにするという側面があります。それはひいては人間というものの理解につながるわけですから,これだって立派な社会貢献であると言うこともできるのですが,特にここ数年は「分かりやすく」ということが求められており,今のような文言では不十分なのかなと感じることがあります*1

本書で川原さんが取り上げている「社会との繋がり」は次の4つになります。
  • 危機言語
  • 音声工学
  • 外国語学習
  • ALS患者への支援
ここで目を惹くのが最後のALS患者への支援(マイボイス)です。これについてきちんと取り上げたのは本書が最初ではないでしょうか。詳しい説明は本書に譲りますが,ざっくり言うとこれはALS患者にあらかじめ自分の声を録音していただき,声を失ったあともPCを使って自分の声でコミュニケーションを取るためのソフトです。

さて,本書は本そのものだけで完結しておらず,補助教材としてビデオ動画や音声が用意されています。1つは出版社のページにまとめられているもの,もう1つは川原さんのページにあります。これらを眺めるだけでも音声や言語の面白さが伝わってくるのではないでしょうか。特にベルベル語の子音だけの文は一聴の価値があります。

最後に,本書は入門書にしては珍しく,参考文献が充実しています。特に新書では文献が省略されることが多く,授業で扱うときにちょっと困ることもあります(もっともこれは私の授業の特殊性によるところですが)。また様々な図やサイトへのリンクも紹介されています。当然ながらこれは書籍なので直接リンクが張られていません。せっかくなので以下にいくつかリンクを張っておきます。
第1章
  • 図1-2のオリジナル図
  • Perfors, A. (2004) What's in a name? The effect of sound symbolism on perception of facial attractiveness. Proceedings of CogSci 2004. [PDF] [解説記事]*2
  • 川原繁人(2013)メイド文化と音声学『メイドカフェ批評』[PDF]
  • 秋田喜美先生による音象徴の文献目録
第2章
第3章
第4章
  • ツォンガ語のエコー分析[論文]
  • EMAによる日本語の顎の開きの分析 [論文]
第5章
第6章
  • パトリシア・クールのTED講義 [youtube]
第7章

この本をきっかけに音声学に興味を持つ人が増えることを願っています。

---
[1] 個人的なきっかけは若手研究者の育成・支援が事業仕分けに取り上げられたことにあります。私自身のこの仕分けに対する評価は悪くはないのですが,上の書き方だと誤解を招きそうですね。
[2]実験に使ったサイトとしてhotornot.comというのが紹介されていたのですが,今(11/17)見たら出会い系サイトに変わっていたのでリンクは控えています。元からそういうサイトだったのでしょうか?
0

小学校の名札にまつわるエトセトラ

発端は某SNSで,小学生時代のことを振り返っている投稿に,昔は小学校の名札の裏に住所や電話番号を書いて,10円玉を挟んでたという話があったことです。



私の小学校は東京都江戸川区なのですが,そのときはたしかに名札は必須で裏には住所や電話番号を書いておくものでした。そして,10円玉を入れる人もいました。しかし,長女が小学校に入学したとき学校の校章が入った名札をいただいたのですが,それをつけたのは1回ぐらいで,付けないで下さいと言われました。

たしかに防犯を考えると名前+住所+電話番号がのった札を付けて歩くというのはちょっとよろしくないかなと思いますが,さてでは名札はいつ頃から付けなくなったのでしょうか?ちょっと気になったのでtwitterとfacebookでアンケートを取ってみました。(ご協力いただいた皆様ありがとうございました)

※2015/11/08追記
データに漏れがあったので補充しました。

アンケートで聞いたのは次の4点です。
  1. 名札は普段付けてた?
  2. 名札の裏に家の住所か電話番号書いてあった?
  3. 名札の裏に10円玉入れてた?
  4. 差し支えない範囲で出身都道府県・生年
    ※出身=小学校のあった都道府県
    ※生年は年度で聞くべきでした(年度と書いてくれた人ありがとうございます)
期間は2015年11月2日0時頃から3日0時頃のおおよそ24時間(facebookはダラダラ続けてたので5日ぐらいまで受け付け)でした。回答は1つずつgoogleドキュメントのスプレッドシートに入力したのですが,ちょっと簡略化したり(例えば1年生だけ名札を付ける→名札を付けるにカウントなど)してます。

回答者の属性は次のとおりです(同じ人で引っ越した場合,別の人として数えているので実人数と多少ズレがあります)。

生年

  • 1930年代…1名

  • 1960年代…5名

  • 1970年代…14名

  • 1980年代…29名

  • 1990年代…18名

  • 不明…3名

都道府県

  • 北海道…9名

  • 東京都…7名

  • 神奈川県…6名

  • 愛媛県…4名

  • 京都府…4名

  • 新潟県…4名

  • 福岡県…4名

  • 兵庫県…4名

  • 山口県…3名

  • 滋賀県…3名

  • 長野県…3名
  • 鹿児島県…2名

  • 奈良県…2名

  • 愛知県…1名

  • 宮崎県…1名

  • 広島県…1名

  • 佐賀県…1名

  • 石川県…1名

  • 千葉県…1名

  • 大阪府…1名

  • 大分県…1名

  • 栃木県…1名

  • 富山県…1名

やはり回答数が70と少なめなので,クロス集計しても傾向がつかみにくくなってしまっています。まあその程度のものだと思ってください。

結果1「何年生まれまで名札を付けていたか?」

生年で見ると,どの年代も「付けていた」が多数でした。

生年はいいいえ
196060
1970111
1980244
1990144

これを見ると,少なくとも70年代生まれの方々は皆名札を普段から付けていたようです。それが80年代中盤からつけないという人が登場してきました。それでも多数派はやはり「つけていた」ということなので,ここまで付けなくなったのはごく最近ということになります(97年生まれでも付けていたということはその人らが小学校にいた03年から09年は付けていたということ)。


「名札を普段付けなかった」という8名の出身と人数は北海道4名,神奈川2名,広島,埼玉,京都がそれぞれ1名です。北海道で90年代生まれだと付けてない人はたしかに増えるのですが,今は皆「つけていない」とはちょっと言えません。というのも,このアンケートとは別ですが,札幌市内のとある市立小学校は今でも付けているという話を学生から聞いたのです。それを考えると市内にそういった通達が出ているというわけでもない(つまり各校の判断)ようです。


結果2:名札の裏に住所/電話番号を書いていたか?

生年で見ると,どの世代も拮抗していますが,なんとなく,かつては「いいえ」が優勢かなと。これはちょっと私には意外でした。


生年はいいいえ
196024
197047
19801311
199067


次に出身で見ると,けっこう違いが目立ちます。東京と京都は「はい」が多かったのですが,神奈川,愛媛,兵庫は「いいえ」が優勢です。東京と神奈川,京都と兵庫のように近い都道府県でも反対の結果になっています。


出身はいいいえ
東京都52
京都府21
福岡県22
新潟県11
北海道23
神奈川県13
愛媛県04
兵庫県04


結果3「名札の裏に10円玉を入れていたか?」

全体の数としては「はい」が30,「いいえ」が28と拮抗しています。一方,生年で見ると80年代が突出して「はい」が多くなっています。

生年はいいいえ
196022
197056
1980186
199059


都道府県で見ると,福岡が「はい」が多く,北海道が「いいえ」が多いところが特徴的でしょうか。

出身はいいいえ
福岡県31
東京都43
京都府21
新潟県21
神奈川県22
愛媛県13
兵庫県13
北海道14


0

学生支援機構理事長のインタビューがちょっとひどい

日経ビジネスにあるインタビュー記事を読んだのですが,理事長の話がちょっとひどかったので問題点を書き出しておきます。ちなみにこの記事を読むのには会員登録が必要です。

2015/03/27 9:54 高専の就業年数について補足

最初の方にある

意欲があって、能力があって、ただ親の経済力がない。そういう子供たちのための制度であることを、しっかりと伝えていかなくてはと思っています。

経済力の弱い親、その子供たちを救うという観点からすれば、奨学金は給付型こそあるべき姿です。返さなくていいのですから。

なんかはまともなことだと思ったんですが,後半がちょっと。

今、専門学校を含めた高等教育進学率は55%を超え、60%近くまでになっています。(p.2)


まずこの数字の認識から間違いが始まってます。「平成26年度学校基本調査」では,高校卒業者の進学率は次のようになっています。

  • 大学・短大 48.1%(通信・高校等の専攻科を除く)
  • 専門学校 17.0%
  • 就職(正規) 17.5%
  • 非正規雇用 1.1%
進学率は60%近くどころか65%を超えてます。60%近い数字を出しているのは直近だと平成17年(大学・短大が39.3%,専門学校が19.0%で合計58.3%)だけど,「55%を超え」とか言ってるのを見るともっと前の数字を元にしてるのでは?という気がします。

 多くの方が大きなイリュージョン(幻想)の中で生きているのだと思います。いい会社に入れば、子供は幸せである。そのためにはいい大学に入らないと。だから、みんながみんな大学に入ろうとする。もしくは親が入れようとする。
 親は誰でも子供の幸せを願います。しっかりした社会人に育っていって欲しい。だから教育する。それは当たり前です。でも、大学に行くことが本人のいい暮らし、幸せな生活に結びつくかといえば、現実は必ずしもそうではない。そうではないけれども、幻想の中から出て行くことができない。
 例えば手に職を持つとかITスキルを磨くであるとか、今だって現実に、高等教育を受けなくても収入を得ている人はたくさんいます。発想の豊かさなどで生きていくことだって、本当はできるんです。でもそうした現実ではなく、大学に行くことがいい収入を得る最善の道であるという幻想からぬけられない。その歪みが今起きている問題なのだと思います。(p.4)

このあたりの認識もだいぶまずいなあと思います。1つずつ。

いい会社に入れば、子供は幸せである。そのためにはいい大学に入らないと。だから、みんながみんな大学に入ろうとする。

なぜ「いい大学」とか言い出してるんでしょうか。むしろ「大学に入らないとまともに喰える仕事に就けず,不幸になる。だから大学に入ろうとする」あたりでしょう。

例えば手に職を持つとかITスキルを磨くであるとか、今だって現実に、高等教育を受けなくても収入を得ている人はたくさんいます。

これ,どれだけたくさんいるのでしょうか。というか具体的な資料に基づいて話してるのでしょうか。自己言及で恐縮ですが,高等教育を受けているか否かで年収分布が大きく異なることは以前に別の記事で報告しました。それを踏まえればただの印象で話しているようにしか見えません。

大学の先生方に私はよく申し上げるのですが、進学率が55%ということは、残りの45%は社会人として働いているわけです。ざっくりとですけどね。奨学金の原資は税金です。国民の負担です。同じ世代の45%の仲間たちが汗水垂らして働いて収めた税金の上に、学生があぐらをかいていいのかと。そういうことをやはり奨学生は忘れてはならないと思います。

先ほど出した数字と大きく齟齬があります。高校卒業者で働いている人は非正規を含めても18.6%です。あとの26.4%はどこにいるのでしょうか。というか単純な引き算で語る前に,数字を見ましょうよ。

そして,pp.5-6に入るとだいぶ調子が出てきたのか次のようなのが出てきます。

今我々のところで一番延滞率が低いところは[中略]高等専門学校です。高等専門学校の子供たちは6年間必死に勉強して、手に職をつけて、社会に巣立って引っ張りだこになります。ですから延滞しない。

どうも「手に職をつけて」というのが好きなようですが,そもそも高専と入学時に競合する一般の高校に入る層がどれだけ幅広いのかを考えてるのか疑問ですし,じゃあ人文系の教育とかは誰がいつ受ければいいのかなど見えてきません。

あと,高等専門学校は5年課程ですね。(2015/03/27 9:55補足)

東京オリンピックの1964年から第1次オイルショックまでの間の進学率というのはまだ30%前後ですよ。つまり、「1億総中流」を支えた企業戦士の人たちは、7~8割は大卒ではないですよ。

だから今も大学進学率が低くていいという話にはなりませんよね。なぜ50年前のことを引き合いに出すのか分かりません。

アメリカでは大学生の4割が25歳以上の成人であり、大学生の3分の1が働きながら大学に通っています。さらに言えば、こうした人の中で若い時期にはそれほど勉強しなかった人も少なくない。一度社会に出て、勉強や学問、研究の必要性を実感した後からでも改めて大学に進学してもいい。

そのための基盤,特に高卒者が大学に進学しなくても食べていける仕組み,が整ってないのにこんなことを言い始めてもしょうがないのではないでしょうか。

この理事長,昭和45年1945年生まれとのことですが,自分の経験によるバイアスが大きすぎるのではないか,という印象を強く受けました。私自身奨学金を借りて学費を払っていましたし,その重要性は強く認識していますが,こういう方が理事長だと不安を感じずにはいられません。
0

2014年度の総括と2015年度への抱負

大学の仕事で年度末に総括と次年度の計画を立てるというのがあります。その作業が終わったのでついでながらこちらでも簡単な総括をしておきます。

論文・発表

以前から自覚はあるのですが,年度の前半がサボり気味になってます。学会発表しないと9月まで何もやってないみたいに見えますね。また,2014年度は単独/筆頭の論文を書いていません。1本だけあるのは教育系の簡単な報告です。といっても,何も書かなかったというわけではなく,学会発表のための予稿集を2つ書きました。科研費の計画(代表分)もあと2年なので,2015年度は論文を書くことに注力したいですね。

また,2014年度はワークショップ企画と新聞の寄稿に初挑戦しました。どちらもなかなかできない仕事で,貴重な機会だったと思います。ワークショップは2013年のICPPのときに話が出て,ひとまず私が企画書を書くということで始まりました。最初は誰かに企画者としてたってもらおうと思っていたのですが,そのままずるずる私が企画者ということで申し込みました。促音の音声に関しては調査や学会発表をしてきていますが,正直なところまだきちんと文献の読みこみなどの勉強が不足していると思っています。もっとそういうところを固めたいのですが,科研の計画もあるので,論文を書きつつ進める感じになろうかと思います。


金田一賞受賞と新聞寄稿

このブログでは報告していませんでしたが,第42回金田一京助博士記念賞を受賞しました。これは2月に出版した拙著『長崎方言からみた語音調の構造』(ひつじ書房)に対するものです。正直受賞するとは思っておらず,出した本人もすっかり出したことを忘れてしまうほどでした。賞の内容など詳しくは記念会のサイトをご覧いただくとして,受賞決定後のことを少し。

受賞が決まり,せっかくだし大学にきちんと報告して宣伝してもらおうと思いました。大学の広報組織は私もよく分かっていなかったのですが,以前他の方からプレスリリースを出してもらった方がよいと伺っていたので,広報課と相談したところ,プレスリリースと大学ホームページでの宣伝を出してもらえることになりました。自分でまいた種と言えばそれまでですが,予想以上に学内の教職員に知れ渡ることとなり,本当に多くの方からお祝いの言葉を頂きました。

また,プレスリリースによる効果もけっこうあり,プレスリリースがもとで北海道新聞社さんより寄稿の依頼を頂きました。北海道新聞という名前から分かるとおり,道内の新聞なので,道民にとって分かりやすいものにしようと考えた結果,最初に北海道民のアクセントについて書くことにしました。具体的には,「産業」のアクセントについて書きました。「産業」は東京では「3勝」と同じアクセントですが,北海道では「3章」と同じアクセントになります。そのため,東京では「産業」と「3行」はアクセントで区別されますが,北海道では区別されません。実はこのような例示は私の発明ではなく,最初に見たのは,清水悟志『SMAP追っかけ日記』という本で,そこでSMAPファンは「マップ」と呼ぶ(切符と同じアクセント),というようなことが書いてあったと思います。この方法は記号に比べて内省を効かせやすい点ですぐれていると思います。

これらの宣伝効果もあってか,拙著は現在大学図書館には70館入っています。ただ,個人的な目標は100館なので,CiNii booksでご確認の上,未購入の大学の方々におかれましてはぜひ購入申請を…

共同研究

2014年度から始めたこととして,共同研究のプロジェクトがあります。これは田川拓海さん(筑波大学)とのもので,もともとお互いに動詞連用形や名詞化に関心があり,共同で何かできないかなと話していました。それで,7月からSkypeで打ち合わせをして具体的なテーマを絞っていったような気がします。詳しい裏話?は田川さんのブログにもあります。このプロジェクトのデータベースはその後,情報量を足して公開されており,これからも順次拡張予定です。

2014年度のお仕事

論文

(2014年度に出版されたもの)

  1. 五十嵐 陽介・松浦 年男(2015)「天草諸方言の名詞アクセント資料とその通時的考察」『九州大学言語学論集』第35号
  2. 松浦 年男(2015)「大学初年次の学生に対する日本語語彙力調査の試行」『北星論集』第52巻2号


新聞寄稿

  1. 松浦 年男「アクセントにも地域差」北海道新聞夕刊, 6面, 2014年12月25日.


研究発表

  1. 松浦 年男「日本語の複合語におけるアクセント移動は言語構造によるものか?」日本言語学会 第148回大会, 2014年6月7日, 法政大学.
  2. 松浦 年男「天草諸方言における有声促音の形態論的分布と音響音声学的実現」日本音声学会 第28回大会(ワークショップ), 2014年9月28日, 東京農工大学.
  3. 松浦 年男・五十嵐 陽介「天草諸方言における複合語と外来語のアクセント」日本方言研究会 第99回研究発表会, 2014年10月17日, 北海道大学.
  4. 田川 拓海・松浦 年男「複合動詞の連用形名詞データベースの構築とそれに基づく諸仮説の検証:生産性・語アクセント・意味特徴」日本言語学会 第149回大会(ポスター発表), 2014年11月16日, 愛媛大学.
  5. 松浦 年男「天草二型アクセントの諸問題」第257回筑紫日本語研究会, 12月27日, 九州大学.
  6. 田川 拓海・松浦 年男「複合動詞の連用形名詞データベースの構築」レキシコン・フェスタ3(ポスター発表), 2015年2月1日, 国立国語研究所.
  7. 松浦 年男・五十嵐 陽介「天草諸方言における複合語と外来語のアクセント」レキシコン・フェスタ3(ポスター発表), 2015年2月1日, 国立国語研究所.
  8. 松浦 年男・中嶋 輝明「全学共通日本語科目におけるeラーニング教材活用の試み」大学eラーニング協議会・8大学連携合同FD/SDフォーラム, 2015年2月21日, 創価大学.


ワークショップ企画

  1. 松浦 年男「有声促音の音声学的諸問題:地域変異と発話スタイルを中心に」日本音声学会 第28回大会, 2014年9月28日.


受賞

  1. 第42回金田一京助博士記念賞


査読

  1. 海外学術出版社・雑誌論文 1本
  2. 海外学術出版社・書籍論文 1本
  3. 国内学会・雑誌論文 3本


調査出張

  1. 佐賀県北方町 2014年8月17日
  2. 北海道増毛町 2014年9月13日
  3. 熊本県天草市 2014年10月23日
  4. 長崎県長崎市 2014年10月24日
  5. 佐賀県嬉野市 2014年11月21日
  6. 山形県河北町 2015年1月31日
  7. 熊本県天草市 2015年3月4日から5日
  8. 熊本県玉名市 2015年3月6日から7日
0

論文紹介:オノマトペ使用の地域比較(平田 佐智子ほか)

機会があって論文を読んだのでメモを兼ねて感想を。

平田 佐智子,中村 聡史,小松 孝徳,秋田 喜美 (2015)「国会会議録コーパスを用いたオノマトペ使用の地域比較」『人工知能学会論文誌』30(1)SP2-H, pp.274-281.

要約

オノマトペの使用頻度に地域差が見られるか,具体的には「関西ではオノマトペをよく使う」という素朴な印象が実体を伴うかどうかを国会会議録コーパスを作成して検討している。結果として,単にオノマトペの出現頻度を比べたときには顕著な差は見られないが,強意型オノマトペ(例:「ざっくり」や「しっかり」)に限定すると,関西圏の使用頻度が他に比べて高くなる。

感想

1. 強意型オノマトペの比較対象

まずちょっと本論からずれることを1つ。論文では強意型オノマトペについて以下のように特徴付けている。

およそ半数が非強意形を持ち[守山 02],これらに促音ないし撥音が挿入されることにより強調された意味合いを付与されることが多い(p.278)。

ここで実は直前の例が「「しっかり」「はっきり」「じっくり」など」で非強意形をおそらく持たないものだったので一瞬混乱した。この直後に強意形を持つ例があるのですぐに解決したが,挙げ方は気をつけた方がいいかもしれない。

さて,ここで疑問に思ったのは関西は「強意型オノマトペ」というカテゴリーを多く使うのかということである。上でも引用したように,強意型オノマトペの約半数は対応する非強意形を持つ。このような対応する形を持つものの方が対応する形を持たないものより頻度の比が大きいということもあり得るような気がする。これは自力でもできるのでやってしまえば早いのだが。

2. 日常会話と議会発言

論文では強意型にのみ地域差(関西での高頻度)が見られた原因を国会という公的な場で抑制されたという可能性を提示している。この仮説だと他の種類のたとえば自然談話ではよりオノマトペらしいオノマトペ(非強意型)が出てくることが期待される。これを検証するには一から自然談話を収集してもいいのだがとっかかりとして下記にあるような方言談話コーパス・データベースを利用することが考えられるだろう。

3. 国会と地方議会

課題として,発言者の出身地が4割近く分からなかったことを挙げている。今回は国会会議録を使用したが,会議録をオンラインで公開しているのは国会に限らない。地方議会でも会議録を公開しているところが多くある。実際,気が緩むというわけではないが,地方議会の会議録を見ると,「少し丁寧な方言」(福岡方言における「思うとですね」)や「気づかない方言」(津軽方言で接続詞的に使う「そうすれば」)が多く見られるという報告があることから,より地域差が顕著に表れることが期待できる。

二階堂 整・川瀬 卓・高丸 圭一・田附 敏尚・松田 謙次郎 (2014)「地方議会会議録による方言研究の可能性」『日本方言研究会 第99回研究発表会 発表原稿集』pp.57-64.

実際,以下の会議録検索システムを使用して,東京都議会と大阪府議会で2000年1月から2009年12月までの「しっかりと」,「とても」,「とっても」,「非常に」の使用頻度を比較してみた(比率は東京を1としたときの数値)。



正規化や誤検出の除外など細かな調整を一切行っていないので参考程度ではあるが,やはり地域差が見られ,大阪の方が東京より強意形(黄緑のセル)において高頻度になるようである。
いずれにせよ,このような素朴な感覚をデータによって実証したという点で興味深い論文だった。
0

英語で書かれた日本語方言アクセントの文献情報

This is an incomplete bibliography on accent in Japanese dialects written in English. Any information welcome.
---
そこそこニーズがありそうなので簡単にまとめておきます(必要に応じて補うつもり)。方針は以下のとおり。
  • 公刊しておりILLなどで入手できそうなもの
  • アクセントの指定(accentuation)に関するもので,イントネーションなど音声実現に関するものは入れない
  • 琉球は別の機会にまとめたいので入れない
改訂記録
  • 作成/published:2015/02/09
  • 改訂/revised:2015/02/11


総説的・複数方言

  • McCawley, James D. (1968) Phonological component of a grammar of Japanese. The Hague: Mouton. の appendix II "Accent in the Japanese dialects" (pp.190-202).
    京都,東京,藤津,長崎,鹿児島,札幌,亀山(三重)
  • Hayata, Teruhiro (1973) Accent in old Kyoto and some modern Japanese dialects. 言語の科学(東京言語研究所)3, pp.139-180.
    大阪,高知,丸亀,高松,東京,大分,能登半島,鹿児島
  • Okuda, Kunio (1975) Accentual systems in the Japanese dialects, 文化評論出版 .
    奈良田,広島,東京,富山
  • Haraguchi, Shosuke (1977) The Tone Pattern of Japanese ― An Autosegmental Theory of Tonology ―. 開拓社.
    東京,弘前,大阪,高知,亀山,丸亀,高松,鹿児島,岡児ヶ水,中村,甑島,都城,仙台,久見,奈良田
  • McCawley, James D. (1977) Accent in Japanese. In Larry Hyman (ed.) Studies in stress and accent (USC Occasional Papers in Linguistics 4, Los Angeles: USC), 251-302.
    東京,青森,田老(岩手),関西,西南部九州
  • Haraguchi, Shosuke (1988) Pitch accent and intonation in Japanese. In Harry Van Der Hulst, Norval Smith (eds.)Autosegmental Studies on Pitch Accent. pp.123-182. Foris.
    弘前,鹿児島,久見,中村,尾鷲(三重)
  • Jennifer, Smith (1998) Noun faithfulness: Evidence from accent in Japanese dialects. In Noriko Akatsuka, Hajime Hoji, Shoichi Iwasaki, Sung-Ock Sohn, and Susan Strauss (eds.), Japanese/Korean Linguistics 7, 611-627. Stanford: CSLI.
    東京,都城,鹿児島,弘前,博多,
  • Shibatani, Masayoshi (1990) The languages of Japan, Cambridge University PressのCh. 9 "Dialects" (pp.185-214)
  • Uwano, Zendo (1999) Classification of Japanese accent systems. In Shigeki Kaji (ed.) Cross-linguistic Studies of Tonal Phenomena, Tonogenesis, Typology, and Related Topics, Tokyo: ILCAA, 151–186.
  • Kubozono, Haruo (2010) Accentuation of alphabetic acronyms in varieties of Japanese, Lingua 120(10) pp.2323–2335.
    東京,大阪,鹿児島,甑島
  • Matsumori, Akiko and Takuichiro Onishi (2012) Japanese dialects: Focusing on Tsuruoka and Ei. In: Nicolas Tranter (ed.) The Languages of Japan and Korea. pp.313-348. Routledge.
  • Igarashi, Yosuke (2014) Typology of intonational phrasing in Japanese dialects. In Sun-Ah Jun (ed.) Prosodic Typology II: The Phonology of Intonation and Phrasing. pp.464-492. Oxford University Press: New York.

個別方言

東北

  • Kobayashi, Yasuhide (1974) The accent of compound nouns in the Tsugaru dialect of Japanese.言語研究 67, pp.45-58.
  • Haraguchi, Shosuke (2001) The accent of Tsuruoka Japanese reconsidered. In Jeroen van de Weijer, Tetsuo Nishihara (eds.) Issues in Japanese phonology and morphology. pp.47-65.

中部

  • Nitta, Tetsuo (2001) The accent system in the Kanazawa dialect: The relationship between pitch and sound segments. In Kaji, Shigeki (ed.) Proceedings of the symposium, cross-linguistic studies of tonal phenomena, pp.153-185.

関西

  • Nakai, Yukihiko (1990) On the accent of surnames in the Kyoto dialect. 『音声科学研究 (tudia phonologica)』24, pp.1-24.
  • Haraguchi, Shosuke (2001) Accent. In Natsuko Tsujimura (ed.) Handbook of Japaense Linguistics, pp.1-30. Oxford: Blackwell. (他方言への言及もある。東京との比較)
  • Yoshida, Yuko and Hideki Zamma (2001) The accent system of the Kyoto dialect: A study on phrasal patterns and paradigms. In Jeroen van de Weijer, Tetsuo Nishihara (eds.) Issues in Japanese phonology and morphology (Studies in Generative Grammar 51). Mouton de Gruyter, pp.215-241.
  • Mutsukawa, Masahiko (2009) Japanese Loanword Phonology: The Nature of Inputs and the Loanword Sublexicon. Hituzi publishing (ひつじ書房).

中国

  •  Poppe Clemens (2014) The status of feet in Japanese accentuation. 音韻研究 (phonological studies) 17, pp.67-74. 開拓社.

四国

  • Uwano, Zendo (2006) Accentual changes in progress: The Ibuki-jima dialect. In: Herausgegeben von Guido Oebel (ed.) Japanische Beiträge zu Kultur und Sprache. Studia Iaponica Wolfgango Viereck emerito oblata. pp.169-176. Lincom.

九州

  • Smith, Jennifer L. (1999) Noun faithfulness and accent in Fukuoka Japanese. In Sonya Bird, Andrew Carnie, Jason D. Haugen, and Peter Norquest (eds.), Proceedings of WCCFL XVIII, 519-531. Somerville, MA: Cascadilla Press.
  • Kibe, Nobuko (2003) Historical Development of Tone in Southwest Kyushu Dialects of Japanese. In Kaji, Shigeki (ed.) Proceedings of the Symposium Cross-Linguistic Studies of Tonal Phenomena, Historical Development, Phonetics of Tone, and Descriptive Studies. pp.125-142.
  • Kubozono, Haruo (2004) Tone and Syllable in Kagoshima Japanese. Kobe Papers in Linguistics 4, pp.69-83.
  • Kubozono, Haruo (2007) Tonal change in language contact: Evidence from Kagoshima Japanese. In: Gussenhoven, Carlos and Tomas Riad (eds.) Tones and Tunes I: Typological Studies in Word and Sentence Prosody. pp.323-351. The Hague: Mouton de Gruyter.
  • Uwano, Zendo (2007) Two-pattern accent systems in three Japanese dialects.  In: Gussenhoven, Carlos and and Tomas Riad (eds.) Tones and Tunes Volume I: Typological Studies in Word and Sentence Prosody. pp.147-165. The Hague: Mouton.
  • Matsuura, Toshio (2008) Position sensitivity in Nagasaki Japanese prosody. Journal of East Asian Linguistics 17(4) pp.381-397.
0

「支持政党なし」への投票者は無効投票層だったのか?

先日の衆議院議員選挙の比例区で「支持政党なし」という名前の政党が比例区の北海道ブロックに立候補し,結果として10万票あまりを獲得して話題になりました。

この結果を見て,「本当に支持政党がない人が騙されて入れた」というような意見を書く人がいたので,ちょっと調べてみました。

データは北海道選挙管理委員会のものを使用しました。

まず,比例区における投票の「無効率」を出しました。


見ると今回も含め北海道の無効投票率はおおむね2%前後で推移しているのが分かります。そして,問題の今回の選挙について,各政党の得票数は次のとおりです(届け出順)。


上のセルで104854票となっているのが「支持政党なし」です。このセルの数字を有効投票数から外し,無効投票数に足すと次のようになります。



このように2%台だった無効投票率が6.5%まで上昇します。さすがに今回の選挙で無効投票の割合がぐっと伸びたということはないでしょうから,「支持政党なし」への投票というのは明確な意思のもとに行われたと見るべきでしょう。
0

学歴・年齢・性別で見る所得分布割合

舞田敏彦さんやnext49さんの集計を見て,前にデータを取って放っていたままだったことを思い出したのでメモ代わりに書いておきます。
基本的なところはnext49さんと同じなのですが,データが中学卒業から入れているのと性差の要素を入れているのが違いです。本当は大学の授業で使おうと思っていたのですが,その機会もなく(1度だけ紹介したかな)今に至っています。データソースはnext49さんと同じく総務省統計局:平成24年就業構造基本調査第43表:年齢,教育,所得,男女,職業別有業者数です。

20-24歳

  • 男性は中学,高校,専門学校はほぼ200-249万円の1極
  • 高校,短大卒業に300-399万円が少し多めに見られる。
  • 女性は正直ぐちゃぐちゃに見えるけど,中学→高校→短大→の順で頂点は右にずれている(=年収増加)のが分かる。



25-29歳

  • 男性は一応300-399万円を頂点に分布するが,学歴によってその割合が異なる。
  • 特に中学卒業の場合は200-249万円の頂点も目立つ。
  • 女性は男性の分布がより極端になった感じ。
  • 高校卒業では100-299万円に広く分布し,短大だと200-249万円,大学・大学院だと男性と変わらず300-399万円に分布している。


30-34歳

  • 男性は学歴によって頂点にズレが出てくる。そのズレは学歴が高いほど右に行く。
  • ただし,短大以下は25-29歳と同じく300-399万円に頂点。
  • 女性は学歴による差も目立つ一方で,どの学歴でも50-99万円の層に山が出来つつある。高校に至っては完全にそっちの方が高くなっている。



35-39歳

  • 男性はさきの年代で出始めたズレが拡大している。
  • 女性も大学卒業以上でズレは出ているが,それ以上に50-99万円の山が大きくなっている。
  • お気づきの方も多いと思うが,これはおそらく結婚して専業主婦となって夫の扶養に入っている人。


40-44歳

  • 男性はひたすらズレの拡大。
  • 女性も山の移動が極端になっている。大学卒業では50-99万円が第1位になっている。


45-49歳

  • 男性は大学院卒業者の頂点が1000-1249万円に。
  • 大学卒業者も広く分布。変わらないのはそれ以下。
  • 女性は40-44歳とほとんど変わらないが,大学,大学院卒業者は右にずれている。


まとめ

  • 男性は年齢が上がるにつれて学歴による年収差が大きくなる。
  • 中学卒業だと年収が固定される。
  • 女性も年齢が上がるにつれて学歴による年収差が大きくなるが,それ以上に結婚によると思われる要因で低年収層が増える。
  • 上記データのPDF



0

理想的な学術雑誌とは?

理研の一件で学術雑誌や査読という仕組みについてホントにいろんな意見が出ています。学術雑誌に関しては査読や編集が大変だとかいろんなことがあるんですが,それはいったん脇に置いて,1980年代にGeoffrey K. Pullumという言語学者が,理想的な学術雑誌になるための条件として13個挙げていました。簡単にそれを紹介し,私の研究室にある雑誌がどれだけ条件を満たしているかチェックしてみました。これは体裁の問題から中身の問題まで幅広く扱っていて,言語学以外でも参考になると思います。

書誌情報
Pullum, Geoffrey K. (1984) Stalking the perfect journal. Natural Language and Linguistic Theory 2, 261-267.

※2020/7/13 誤訳(単語の読み間違い)をご指摘いただいたので修正。


1. Dates of receipt and revision printed along with each article published
原稿と改訂版の受領日を印刷する。
→これはたいていやっている印象があります。
○言語研究
○日本語の研究
○音声研究
×音韻研究

2. Monthe of publication printed in each issue
各号の発行月を印刷する。
→奥付に書いてあると思います。
○言語研究
○日本語の研究
○音声研究
×音韻研究

3. Author's full mailing address published with every article
著者の連絡先を各論文に付ける。
→これもけっこうやってると思ったけどそうでもなかった。
○言語研究
×日本語の研究
×音声研究
×音韻研究

4. Contents list on cover
表紙に目次を付ける。
→方針にもよるけど,図書館で探すときにあると便利ですよね。
○言語研究
○日本語の研究
○音声研究
×音韻研究

5. Page numbers on spine of each issue
各号の背表紙に通巻でのページ情報を入れる。
→日本の雑誌だと各号で番号がリセットされるので必要ないことの方が多いですね。そもそも『音韻研究』は年1回発行ですし。
×言語研究
×日本語の研究
×音声研究
×音韻研究

6. First/last page numbers printed on first page of each article
各論文の最初のページに論文の最初と最後のページ情報を掲載する。
→これはコピーしたときにミスを見つけられるとか途中でなくなったときに気づくので,あるとホントに便利です。
×言語研究
×日本語の研究
○音声研究
×音韻研究

7. Footnotes on the page
ページ脚注にする
→脚注を見るのに論文の末尾を参照するのって面倒ですね。
○言語研究
×日本語の研究
×音声研究
×音韻研究

8. Announcements of articles to appear in forthcoming issues
次号に掲載される論文の情報を掲載する。
→楽しみだと思うけど,そもそも掲載されるか分からない状態ってことが多いかも。
×言語研究
×日本語の研究
×音声研究
×音韻研究

9. Style sheet printed in each issue
様式を各号に掲載する。
→学会のサイトを見ればいいんですけど,あると便利ではあります。
○言語研究
○日本語の研究
○音声研究
○音韻研究

10. Squibs, notes, discussion
短評や討論欄が設けられている。
→ちょっとした発見を出すところなんかあると投稿しやすいですね。
○言語研究
○日本語の研究
○音声研究
×音韻研究

11. Blind refereeing
匿名査読
→もはや必須だと思います。もちろん実際のところちょっとググってしまえば誰が書いたかだいたい推測できるのに意味があるのか,というのはありますが。
○言語研究
○日本語の研究
○音声研究
○音韻研究

12. Heterogeneity of editoral influence
つまり,多種多様な人材で雑誌を編集しているかということだと思いますが,ちょっと分からないので原文と(私による不完全な)訳を書きます。誤訳はご指摘くだるとありがたいです。

Does the journal split the editorial duties between the members of an active board that is geographically and doctrinally diverse?

訳:雑誌は編集の職務を地理的にも主義的にも多様な中心的な(active)委員によって分担しているか?

Some journals (I name no names) are clearly one-person platforms, with an editorial board whose main purpose is to fill the inside front cover with faraway places and strange-sounding names.

訳:(名前は挙げないけど)ある雑誌は明らかに,主目的が裏表紙を様々な場所にいる様々な人(注:faraway places and strange-sounding namesってこういうことかと。ちょっと飛躍しすぎ?)で満たすことが主な目的であるような編集委員会を伴った,ある人物の独壇場(one-person platforms)である。

Others genuinely share out the duties between a group who represent a collaboration between scholars with distinct areas of expertise rather than a knot of cronies.

訳:他の雑誌は仲間内なんかではなく,分かれた専門分野の研究者を代表した集団間で純粋に職務を分担している。

→これって雑誌を見ただけじゃ分からない話ですよね…
(評価できません)

13. Publication of names of accepting referees
掲載論文の査読者の名前の公開
→これやったら引き受けてくれる人が減るかもしれませんね。いや,むしろそれでこそ質が保たれるのかもしれませんが。Pullumが上げているメリットは要約すると次の3つです。

  1. より徹底的かつ丁寧な査読が行われる(more through and thoughtful refereeingと書いてあるけどmore throughってのがいまいち分からない…)
    → 解決済。more thoroughの誤りでした。ご指摘ありがとうございます。
  2. 査読という大変な仕事をした人に対して敬意を払う限られた方法である。
  3. 編集方針を公にチェックする。

×言語研究
×日本語の研究
×音声研究
×音韻研究

0

陸の孤島での情報集め(備忘録)

2月14日・15日の予定で甲府へ出張に行きました。ニュースにもなっているとおり,山梨では14日の夜に40年ぶり(でしたっけ)の大雪が降り,交通網が麻痺し,JR,道路ともに寸断し,甲府も同じように陸の孤島になりました。15日の時点では1日延びるぐらいだろうと思っていたのですが,16日の朝の時点で除雪がほとんど進んでおらずかなり悲観的になっていました。結局私は17日に甲府を脱出したのですが,そのときまでにどうやって情報を集めていたのかを備忘録としてまとめておきます。

駅での情報集め

駅には以下の掲示が出ていました。


これらの掲示を見るだけでもテレビを見ているよりは早く情報を集めることができました。ただ,当然のことながらこれだけでは足りないので,実際に駅員さんと乗客がカウンターでやりとりしてる様子を聞いたり,自分でも駅員さんにいくつか質問をしました。このときに私が心がけたのは,単に「どう?」と聞くのではなく,自分が持ってる情報に基づいて,それが正しいかどうかや,それがその後どうなっているのかを具体的に聞くということでした。

Twitterでの情報集め

それでは駅員さんに聞くための情報をどうやって集めるのか。今回はツイッター(Twitter)が一番有効に機能しました。ツイッターはアカウントを持っているならログインして通常の検索をすればいいですし,アカウントがなくてもリアルタイム検索を使えば同じようなことができると思います(アカウント無しでツイッターの検索を使えるかは分かりません)。
検索ではキーワードの選定が非常に重要です。今回は,高尾駅から甲府駅の除雪状況と同じ区間に止まっている電車が動いたかを調べたかったので,以下のように設定しました。
  • 中央本線 除雪
  • ○○駅 除雪
  • ○○駅 様子
○○駅には中央本線の高尾駅から甲府駅の間にある全ての駅名を入れました。なお,実際にはこれらだけだと,あるアカウントからの投稿をそのまま自分のフォロワー(読者)に回す機能(リツイート)や,JRの公式情報と思われるものをそのまま1時間おきに転載するアカウントの結果が引っかかり邪魔になったので,これらを外すためのキーワードも設定しました(最初のマイナスがその機能を持っています)。
  • -rt:
  • -大雪に伴う ※転載アカウントの情報にこのフレーズが常に入っていました
これによってどの駅で列車が止まっているかとか,除雪の状況について情報を仕入れることができました。以下はその一例です。

【現在の小淵沢駅の様子】上り線:1600頃に松本方面から来た除雪車両が通過、ゆっくりですが確実に甲府方面へ向かってる模様下り線:甲府方面から来ている簡易除雪車両(電気機関車)が1500頃到着しかし、小淵沢駅構内下り線で脱線、修理工具待ち状態だが、見通し立たず#中央本線

山梨市駅の踏切。当分電車は動きそうにないね。 pic.twitter.com/D5WwoAdfI8

こうやって情報を集めていき,結果を整理しました(山梨市駅の情報を間違えていますが)。

リツイートしたものや検索したものを見返すと,大月〜甲府の車両停止状況はこんな感じ(○=車両なし,×=車両あり)→○初狩駅,○笹子駅,○甲斐大和駅,?勝沼ぶどう郷駅,○山梨市駅,?春日居町駅,×石和温泉駅,×酒折駅

さてこうやって情報を集めていく過程で,電車での直接の脱出はかなり時間がかかりそうなことが予想として出てきました。甲府駅に繋がる電車には中央本線の他に身延線(みのぶせん)というのがあり,それを使えば静岡県に出られます(知りませんでした)。

幸い16日の時点で身延駅から富士駅まで運転が再開されたため,甲府駅から身延駅に出られるのではないかと思い,ルートを調べたところ,通常は国道52号線を使うが,このルートが通行止め区間があったりトラックが立ち往生していたりで時間がかかるということでした。ところが,身延線と並行して走るように県道9号というのがあり,それを使えば脱出できそう(実際に脱出した)という投稿を見つけました。この辺は上と同じように検索キーを設定していろいろと除雪や道路の状況を探していきました。
  • 国道52号 渋滞/除雪/状況
  • 県道9号 渋滞/除雪/状況/脱出
そして,実際に脱出した人とツイッターで情報を交換して,このルートが有効な可能性があるという結論に至りました。

この後,一旦はこの案はなしになったり,実際の脱出までは別のこともありちょっと時間がかかりましたが,それはまた別の話なのでここでは割愛します。いずれにせよ今回はツイッターの検索を使った情報集めは非常に有効に機能しました。

反省点

今回,一緒に脱出した方は,同じような情報を足を使って集めていました。具体的には
  • 運送業者
  • タクシー運転手
この2つが有効だったそうです。私もタクシー運転手には情報を聞いたのですが,半々ということで,これは難しいところかなとも思いますが,運送業者はその手のノウハウを持っているから有効でしょうね。

また,情報を集めた段階で私はツイッターに流していたのですが,ツイッターはログをさかのぼるには適してないメディアだと思います(そういうサービスもあるけど)。なので,途中段階での様子はまとめサイト(naverなど)を使った方がよかったかもしれません。
0

「よく遊ぶ子は賢くなる」話がよく分からなかった

「よく遊ぶ子は賢くなる」調査まとまるというニュースが出ました。長いですが一部を引用します。

いわゆる「難関大学」に合格するなどした経験がある人は、そうでない人に比べて、小学校に入学する前に思い切り遊んだり好きなことに集中したりしていた割合が高い

この元データとなる調査結果が見つかりました(「20歳代の社会人の子どもを持つ親1,000人に聞いた 子育てに関する実態調査」)。まだ概要しか出てないのですが,いくつか疑問などがあったのでまとめておきます。

0. 背景について

まずいきなりですが,

昨年末に、OECDによる生徒の学習到達度調査(PISA)2012年の結果が発表され、日本は、前回の09年調査から順位を上げ、「脱ゆとり教育」の成果がみられました。

このニュースが出たときに同じ文脈で語られているニュースが多かったのですが,2012年にテストを受けた層はいわゆるゆとり教育の最後の世代だったと思います。

結果の概要で「大学受験や資格試験などの難関を突破する力や夢を実現する力と、就学前の遊ばせ方には相関関係がある」としているのは慎重な物言いだと思います。これは因果関係ではなく相関関係なので。ところが,

子どもは、五感を使うことで脳が発達するため、ちゃんと遊んでいないような子どもは『9歳の壁※』に突き当たりやすい

というまさに因果関係の物言いが直後に出てきます。正直この前の文とのつながりが不明ですし,ここでこの2つに因果関係が成り立つというのが確証されたことなのか私には分からないので何とも言えませんが,唐突な印象をぬぐえません。

また,ここと関係して
難関突破経験者の親に、子どもの集中力や意欲を育てる遊ばせ方をする『共有型』が多いのは当然の結果
としているのですが,どこがどう「当然」なのか理由がいまいち不明です。もちろんそうあってほしいという人は多いでしょうが,「当然」と言えるレベルかというと疑問です。

1. 難関突破力と「就学前の遊び」について

さて,調査の中に入っていきます。
難関突破経験(詳細はP4参照)を持つ子どもの親(以下、難関突破経験者)」は、「難関突破経験を持たない子どもの親(以下、難関突破未経験者)」に比べて、「遊び」を重視する
ということで,35.1%(突破経験者)vs.23.1%(未経験者)という数値で比較してます。はじめこの数字がよく分からなかったのですが,グラフを見ると,「就学前のお子様の子育てとして,どのようなことを意識して取り組んでいましたか」という質問に対して「とても意欲的に取り組んでいた」とありました。つまり,5件法かなんかで聞いて最高点を付けた人の割合ということです。

まず聞かれる立場として考えると,もう15年以上前のことをどこまで正確に覚えているのかという点で疑問です。また,「突破経験者」は突破させた経験がある以上,いろいろなことをさせたという自負があり,その時点でバイアスがかなりかかってるんじゃないかという気がします(あくまで気がするのレベル)。さらに,この調査方法だと,特に何を優先したのかは分かりません。最低限,このほかにどういう選択肢があったのかという情報は必要でしょう。

これは「遊びに対する子どもの自発性を大事にした」が高いというのにも言えて,やっぱり結果論として経験者が自信ついてそう答えたって見えます。

2. 難関突破力と遊ばせ方について

さてここでこの事業で核になってるであろう子育ての理論が出てきます。それについて。

内田伸子先生が長年にわたり研究してきた「子育てスタイル」で分類したところ、難関突破経験者の3人に2人が、子ども自身が考える余地を与えるような援助的なサポートをする「共有型」であり、逆に難関突破未経験者の半分以上が大人目線で介入し子どもに指示を与えてしまう「強制型」の子育てスタイルであることがわかりました。

この「子育てスタイル」については引用元を読んでもらいたいのですが,この調査では子育ての方法と子供の難関突破度に因果関係がある(タイトルでは因果関係になってます)と言うのだから,考えるべきは3人に1人の「強制型で難関突破経験者」や,半分に満たない「共有型で難関突破未経験者」がどうして生まれたのかということじゃないでしょうか?

3. 小学校就学前の遊びの効能について

次の項目に行くと,「就学前の遊びを通じて身につけた力」として「集中力」「想像力」「解決力」「応用力」「論理力」がどれも経験者>未経験者になっていますが,上にも書いたように,成功した人は高いと答えるでしょうね。なんだってそれが効いたと考えがちでしょうから。

また,「「学生時代(小学校、中学校、高校時代)、勉強以外のクラブ活動にどのくらい一生懸命取り組んでいましたか」という設問に対しても、難関突破経験者は「とても一生懸命」率が高く(図8)、逆に難関突破未経験者は高校で大きく減少」していて,これを「就学前の熱中体験が、子どもの意欲やがんばりぬく姿勢を育み、難関突破につながったのではないか」と考察しています。でもこの「熱中体験」と「難関突破」にはどこにもつながりがないんですよね。考察というよりは当てずっぽといってもいいかもしれません。

だいたい勉強で成功経験があると他のことでも要領よくなって成功経験が作りやすくなり,その結果,熱中しやすくなるなんてストーリーも考えられますし。要はなんとでも言えちゃうんです。

調査方法ってこれでいいの?

最後に調査の方法についてまとめられています。

母集団は「20歳代の社会人の子どもを持つ親1,040名(難関突破経験者の親316名、難関突破未経験者の親724名)」です

母集団が1000人なんでてっきり500人ずつかと思ったら違いましたが,これはいいでしょう。私のバイアスですから。

見てみると,難関突破の難関って大学だけじゃないんですね。

弁護士資格取得/司法書士資格取得/公認会計士資格取得/医師免許取得/1級建築士免許取得/博士号取得/その他(他の難関資格を取得した)/パイロット・CAになった/芸能人(タレント・モデル・声優など)になった/プロスポーツ選手になった/実業団所属のスポーツ選手になった/その他(他の難関資格を取得したり、憧れの職業についた)/スポーツ分野で県大会または全国大会上位入賞した/スポーツ分野で国際大会上位入賞した/文化・芸術分野で県大会または全国大会上位入賞した/文化・芸術分野で国際コンクール、国際アワード上位入賞した/その他(左記以外の形で文化・芸術分野で活躍、実績を上げた) など。

うーん,ちょっとこれは幅が広いんじゃないでしょうか?弁護士とCAでは難易度はだいぶ違いますし,大学に入れるために気をつけることと,たとえばスポーツ選手にさせるために気をつけることは違うでしょう。この辺は詳細を見る必要があるかなと思います。

総括すると

調査の仕方が全体的に雑に見えるんでこれを見て一喜一憂してもしょうがないかなと思います。やはりどうしても成功者は全てをいいように見てしまいますし,そうでない人はそうでない人なりに。少なくとも大学に入るかどうかと資格やコンクール,職業の話は分けるべきです。また,印象で答えるようなものではなく,事実レベルで何をさせたかをもっと抜き出せるような調査がいいんじゃないでしょうか。
0

レファレンスとリファレンス

どちらもreferenceをカタカナにしただけなのですが,どっちを使ったらいいのか分からないことがあるので実態を調べてみました。

※「レファレンス」を「レフェレンス」と誤記しているところを改めました。

年代の変化

結論から言うとありません。朝日新聞DBで80年代から10年代の比較をしたのですが,レファレンスが優勢です。

00年代からレファレンスの使用がかなり多くなっています。何かの用語として登場したのでしょうか?

分野による違い

書かれた文書の分野によって違うのかなと思い,現代日本語書き言葉均衡コーパス「少納言」を使って調べました。この2つの単語を調べると,現れるのには「技術・工学」と「総記」に偏っていました。また,「技術・工学」では「リファレンス」が,「総記」では「レファレンス」が優勢でした。


さらに,CiNiiを使って論文での使われ方を見てみました。まずこれら2つの単語が論文タイトルに使われている数を調べると,「レファレンス」が1209件,「リファレンス」が404件と「レファレンス」が優勢でした。ただしこの件数の違いには別の要因も入っています。CiNiiの検索結果に出てくる「関連刊行物」というのを見ると,「レファレンス」の結果には文字通り『レファレンス』という雑誌が出てきます。

「レファレンス」の関連刊行物


少しややこしいのですが,「レファレンス」というタイトルが『レファレンス』という雑誌に使われていたのが54件あるので,それを引く必要があり,そうすると「レファレンス」は1155件ということになります。それでも「リファレンス」より多いのですが。

さて,分野による違いを見るのに,この関連刊行物はけっこう便利そうで,「リファレンス」の結果を見ると工学系が多いのが分かります。

「リファレンス」の関連刊行物


そこで,これら2つの単語に1つ別の単語を加えて検索した結果を示します。

レファレンスが優勢なケース

レファレンスが優勢だったケースとしては「図書館」「文学」「教育」「医療」がありました。特に「図書館」でのヒット数の多さが特徴的で,分野・領域として定着しているのでしょう。また,他の結果を見ても図書館がらみのものが多いという印象を持ちました。


リファレンスが優勢なケース

リファレンスが優勢なケースとしては「情報」「通信」「物理」がありました。やはり工学系が多いです。


均衡しているケース

最後に2つの単語のどちらにも見られるケースとしては「建築」と「技術」がありました。

なぜこの2つの単語がそうなのかは分かりませんが(「建築」はヒット数が少ないだけの可能性が高いです),年代ごとにみたらまた何かあるのかもしれません。
0

対談記事を読んで(特に大学)教育に関するアレコレを考えてみた

地方からの教育イノベーション(浅羽祐樹×斉藤淳×飯田泰之)というちょっと長めの対談の書き起こし記事を読んで,ハゲドウ!と思ったところとモヤモヤが残るところがそれなりにあったので備忘録的にメモしていきます。なんか書いていて討論番組見ながらぼやいてるおっさんみたいになってしまった感はあるんですが。

斉藤 確かに東京の子どもたちは数ある選択肢の一つに「海外」があるようですが、地方の場合は、まず東京があり、その先に海外があるというイメージを持っている気がします。
これは僕も感じるところです。僕は海外で教育を受けた経験ってないのだけど,地方に住んでいるとまずその地方の帝大がある中心都市。その次が東京。これで上がりって感じ。みんながみんな外に出る必要があるとは思ってないのだけど,その選択肢や可能性を持った状態で地方にいるというのと,それがないで世界が閉じてしまうのは違うと思うんです。聞きかじりだけど,スラムの子供は大人になってもスラムにいるという話があります。それはなぜか。スラムの子供はスラム以外を知らないから。外の世界(選択肢)があることを知ることによって,人生が変わってくるというのはあると思います。

飯田 新書は選択の幅も広がっていて、かつての論壇誌の役割をいま担っているところがあると思います。すると大学生のみならずが、ひとまずは新書を読むという習慣を身に付けることにはとても大きな意味があると思いますね。
僕もひとまずは新書を読むという習慣は意味があると思います。ただ,もっと悲観的(?)になっていて,新書以前に,そもそも本を手に取ることを習慣づけることから始める必要があるなと感じています。来年度は読書マラソン的なものを授業に取り入れる予定です。これについては別エントリーに試案を出したいと思います。

飯田 経済学の場合はケインジアンとかマネタリストとかいろいろ考え方に違いがあるのですが、それなり幅広く先生方を集めて、録画した授業をネットで配信すれば、現在全国の各大学で数え切れない数行われている大教室での授業ってあまり必要ないんじゃないかな、と
たとえば言語学概論なんかも結構事情は近くて,多くの場合,教える項目も言語記号の恣意性や生産性,各論に入ると最小対や弁別素性,形態素,主要部と補部などそれほど差がないでしょう。だから僕なんかも放送大学の授業を視聴して,テストだけやったら?と思ったりもするんです。だけど,ネット配信して勉強してね!と言っても勉強するかどうか,どれだけ理解できているか,どこでつまずいたかには差があり,それを毎回講義していく中で補っていく方が結果としては身につくんじゃないかなとも思います。ちなみにこういうときに「視聴しないのは自己責任!(ドヤァ」とかしちゃうのは,学生の悪い意味での自主性にだけ依存していき,結果としてカリキュラムの崩壊までつながるので得策じゃないでしょう。

浅羽 まさにそこにポートフォリオ戦略が問われているわけですよ。例えば学部長や学科長の場合は、学務を5、教育と社会貢献はそれぞれ2で、研究は1にするとか、若手の場合は、研究の比重を上げるといったようにそれぞれに応じて配分させて、教員組織全体としてパフォーマンスが最適になるようなインセンティブ構造にすればいいと思うんです。
うんうん,こういう個々の能力とか立場に応じた配分はぜひともお願いしたいところです。なんというか,働ける人のところにすべての仕事が行って,その人のリソースをもったいないところで使い切っちゃうというところがありますし。

飯田 国際教養大学は、「巨大な語学大学でしかない」という批判をときどき耳にします。そのことがなぜ問題になるのかぼくにはわかりません。大学って、「こうあるべきだ」というモデルが強い気がします。とくに旧帝大系のモデルと早稲田大学のようなモデルが強い。地方にこうしたモデルのミニチュア版を作っても、なかなかうまくいきません。新幹線の通っている地方の駅に降りると、たいがい人のいないミニ東京になってしまっているような地方の町づくりと一緒です。
地方のミニ東京化はとても強く感じます。専門科目のカリキュラムを見ると,あれもこれもという感じで配置して,全体をまんべんなく学ぶというスタイルになっているところが多いと思います。体系的と言えばそうなのかもしれないけど,これが本当にそこの大学の実情に合っているのか?たとえば体系的に学ぶ知的体力を入学生が持っているのか?というのをどこまで考えてるのかなと疑問に思うこともあります。それよりは,一点集中型(たとえば,言語学の講座なら,音声に関することだけをやる。他はともかく音声なら負けないという体制にするとか)の方が実は高いレベルの専門教育ができたりしないんですかね。

浅羽 ただ、規模が一定程度を下回ると、学生の組み合わせが一気に少なくなっちゃうんですよね。/ちょっと変わった学生が50人に1人くらいいるとして、ある程度の規模の大学だと、5~6名にはなり、大学院進学を目指した勉強会や、原著を読む読書会を開いたりできます。私は立命館大学国際関係学部の出身ですが、そんな学生の一人でした。でも小規模校になると、勉強したい学生が一人ぼっちになってしまうんですよね。しかも周りがほとんど女子だと、「○○ちゃん、そんなに勉強ばかりしていたら女子力下がるよ!」みたいなことを言われて、ずるずる引きずられてしまうんですね。
周りに流されるというのは大学に限らずあると思います。僕が塾の講師をしていたとき,「下手に偏差値の高いところに行って下位になるより,低いところへ行って1番になる方が得じゃない?」と話していたことがあります。実際にはその子は偏差値に見合ったところへ行ったのだけど,偏差値の低いところで勉強をし続けるというのは実は厳しかったりするんですよね。大学の場合でもネガティブな空気が蔓延しちゃったりすると,中で一人気を吐いて勉強し続けるのは結構大変だと思います。僕の場合,「しょせん大東」なんて言葉を聞いたりしたけど幸いにして周りの理解がある&僕がさらに無神経だったおかげで勉強が続けられたところがありますね。

斉藤 外国語を勉強すると自分の好きなことがもっと広げられるんだということをある程度わかるようにしないとは思いますね。
単純に勉強をする意味ってこういうことにあるんだよなあって思います。世界が広がるというと大げさなのかもしれないけど,勉強することで見えてくるものは勉強しないで見えているものより広く,そして深いと信じています。

飯田 話は変わりますが、大学生に限らず大人になってもレポートと感想文、論文とエッセイの区別がついていない人はたくさんいます。/作文や手紙が書けなくなった理由として、型がなくなったことがよくあげられます。
これは僕のような人の教育能力の低さが一員だと思います。一応,大学初年次でレポートの書き方の授業を受けた学生の数というのは増えていると思うんですよ。でも,専門教育で書いて直されてなんてトレーニングを受ける機会が少ないんじゃないかなというのも思います。文章の書き方は,こういう型があって,それを使うと実は内容も深まるよなんてのを教えることはできるんです。でもこれは一回教わっておしまいなんじゃなくて,繰り返しのトレーニングがあってこそ身につくんです。その意味では体育と非常に近いと思います。100mを速く走る方法を教わっても練習しない人は永遠に速くならないでしょ?(ただこの比喩で言うと,100m走るキモチが大事だとか,自分らしく走ることが大事だとかトンデモな言説がいまだまかり通っているのが現状なんですが)。

斉藤 受験というインセンティブがあるなかで、日本語の書き方を学ぶことにどれだけ生徒が真剣に考えるかという問題がありますよね。/英語に関しては、アメリカで大学院、そして教壇に立った身からすると、日本で習った和文英訳は、まったく役に立ちませんでした。
僕は留学経験がないので役に立つたたないの話については判断できません。でも,反対にこういう意見があります。

@gorotaku
受験英語をやった後に、何か別の英語学習法をやったら英語力がガッと伸びた!みたいな話って、(1)受験英語で培った下地があったおかげ、(2)受験の時とはモチベーションが違っていたおかげ、みたいな当たり前の可能性をスルーしまくるよね

まず,受験勉強でやる英語が読解や文法主体なのは,アメリカの大学院に行って論文書いて大学の教壇に立つなんてことを主目的においていないからだと思います。それよりも英語の文章を読めるようにしようということの方に重点を置いています。そして多くの人にとって,この方が合理的であると思います。

斉藤 中学、高校でやる長文読解も、細切れのパラグラフを2つ、3つ集めて読ませている程度で到底長文とはいえない。
これは入試問題の話?でないと,僕が高校で読んだ数ページにわたって書かれた英語の文章(もちろん10個とかそれ以上のパラグラフでできてる)というのはいったい何だったのか?

斉藤 だとしたらもっとアウトプットを前提とした勉強を小さい頃からした方がいいと思うんですよ。これは英語に限らず、ですが。そうした訓練を積んでいれば、東大であれ京大であれ、難なく突破できるくらいの実力はつく気がしてなりません。
アウトプット重視で東大・京大を突破というのは「気がしてなりません」とあるようにまだ推測の域を出ていないので,そこは注意が必要だなと。少なくとも第二言語習得ではインプットの量こそが重要と言われていますよね。

飯田 日本はいまだに英語を間接法、つまり日本語を使って教えていますが、日本語教育の世界で、現地の言葉にあわせて教えているところなんてほとんど聞いたことがありません。日本語を使って日本語を教えるという直接法を取っている。語学教育は直接法が適しているということは随分前に決着がついたと思うんですけど、いまだに間接法で英語を教えてしまっている。
まず,ずいぶん前に日本語教授法という授業で外国語教授法一般については勉強したのだけれど,そこでは直接法の方が適しているという結論ではなかった(間接法が優れているわけでもない)と思うんだけど。気になって調べてみたところ,たとえば,荒川洋平『もしも...あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』pp.52-53を見ても,決着が付いているというような記述はありませんね。日本語教育の世界で直接法が多いのは,教えるのに日本語母語話者が多いからで,英語教育の世界で日本語による間接法が多いのは,教えるのにやはり日本語母語話者が多いからじゃないの?

斉藤 日本の語学教育の病理に、原典を読ませないことがあると思います。アメリカでは中学校から、古典を読んで議論をするというプロセスを繰り返している。日本でも自主的な読書会や勉強会が開かれているようですが、大学の授業でそういった作業を丁寧に行っているという話はほとんど聞きません。灘高の国語の先生が一冊の本を丁寧に読むという授業をやっていると聞きましたが、それでも甘っちょろい。そんなの当たり前なんですよ。
単純に「当たり前」にやられていることなのか,また,それが「どこの話」なのか分かりません。アメリカのエリート層ならそうだろうなと思いますが,公教育一般でやられている,たとえば,ニューヨークの高層ビルのオフィスで働く年収十数万ドルのような人も,同じビルの清掃業務に従事している非正規雇用の人もそういう教育を受けていると言えて「当たり前」なんだと思うけど(極端すぎますかね)。それともこれは斉藤さんがアメリカだろうが日本だろうがジンバブエだろうが初中等教育で原典を読むのは当たり前であるべきだという意見なのかしら。

飯田 国語の教科書も典型ですけど、例えば夏目漱石の『こころ』を10ページ分切り出して載せても何の意味もないですよね(笑)。
日本の高校までの国語っていろんなタイプの文献を読む経験を積ませる場なのかなと今は思っていますが,その辺の弊害についてはいろいろ言われてますね。僕の場合,問題は何を読ませるかより,どう読ませるかという方法論の欠如じゃないかなと思います。三森ゆりかさんのようにドイツで行われている言語技術のアプローチを取り入れるのもひとつの方法じゃないかと思いますし,福嶋隆史さんが言うように書く方をもっと重視すべきというのも想だと思います。

浅羽 国際関係論であれマクロ経済学であれ、われわれ教員が直接法の教授法の学習を怠っていて、ぶっちゃけ楽チンだから、間接法で教えすぎているのかもしれません。学生が理解できるレベルまでこちらから先に下りて翻訳・通訳をある意味巧みに行っているんですよ。その結果、学生に「いま持っているスケールでも通じるんだ」、「ボキャブラリーやスキルのボリュームを増やすだけで足りるんだ」と勘違いさせているのかもしれません。
これは僕の中に矛盾する意見が合って,高みを見せて「うわーわかんねー!」という経験も大事だし,理想的にはスタート地点を高くするよりも,いかにして低いスタート地点からでも目標としていたところにたどり着かせるかじゃないかなとも思います。スタートが低くて東大レベルのゴール(=どの分野でも全部分かる)を設定できないなら,特定の分野だけでも分かる状態にするとかでもいいと思うんですよ。

飯田 いまの規模を活かしきるためにも、せめて単位互換を緩くしてほしいですよね。東京や京阪圏の大学は協定が結ばれていてわりと自由になっていますけど、地方の大学はあまりないしあっても利用されていない気がするんですよね。
身の回り半径5mの範囲でしか言えないんだけど,活用されているとは思いませんね。教授会で単位互換の学生の認定なんかをするんだけど,多いなあって思うことはないですね。もっともうちは札幌の中でも比較的端っこの方にある(それでも中心部である札幌駅から30分弱,大通から15分程度で来れるんですけどね)ってのが大きいかもしれません(たとえば札幌学院大と北翔大はキャンパスが道を隔てて隣にあるけど,単位互換の学生は多いのかな?)。

飯田 例えばマクロ経済学の単位を互換するくらいなら、ゼミを互換すればいい。
ああこれは面白そう。学科単位でゼミの互換(や他学科からの参加)は認めません!(キリッなんて言ってるところが大半だけど,それこそどんどん公開したらいいのにね。で,どうしても俺は自分の学科の学生しかいらないぞって人はどうぞどうぞってやってさ。

飯田 いまの教員養成系の大学に限らない話かもしれませんが、教育実習の期間がいま3週間になっています。6月に3週間も教育実習に時間をとられてしまうということは、大企業への就職活動を諦めろと言っているに等しいんですよね。民間企業に勤める気があるかないか、踏み絵を踏ませてしまっているんですよ。/本来であれば、サラリーマンをやって、28歳くらいで教員になる人がいてもいいと思います。もちろん最初から教員を選ぶ人をいてもいい。そういういろいろなルートを確保すればいいのにと思いますね。
同じロジックで,4年次のかなりたくさんの時間を就職活動に割かなきゃいけないってのは勉強したいやつは企業に来るなと言ってるに等しいんですよね(特に内定式を平日にやる企業とか!)。28歳まで働いてから教職に就くというオプションがあるのはいいと思うのだけど,そもそも22歳(浪人・留年なし)で大学を出たらすぐに仕事に就かないとそのあとに大きく響くようなシステムというのは本当に問題だよなあ。

まとめ
単位互換にしろ,オンライン授業の導入にしろ,大学の教育はもっと自由度を高くするというのはとてもいいと思います。そのために中からやるべきは,ミニ東大状態を脱するように仕掛けていくことかもしれません。
0

Rのplotで困ったこととその解決策


7月13日にSappoR.R#2のLTセッションで発表をしてきました。タイトルは「やはり俺のR使用法はまちがっている。」です。このタイトルは「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」というラノベ/アニメからいただいた(パクった)のですが,中身はほとんど関係なく,原作も見ていないで出したものでした。

さて,このLTで何を話したのかというと,簡単に言えば,私がRを使ってて分からないことがあるから誰か教えてってことです。はい,ヤフー知恵袋的な使い方ですね。今回,以下の2つのことを聴いて,見事に解決したのでお礼も込めてここに報告します。@kosugittiさん,@daihikoさん,どうもありがとうございました。

1. boxplotのX軸にある項目を並べ替える方法
2. 抽出したデータだけを使ってplotするときに不必要な項目が出るのを抑える方法

データ
以下のようなテーブルデータを用意しました。
  
IDgakubusexjpmatheng
12001男性9520
12002男性12818
12003女性11418
12004男性14620
12005女性12519
12006女性16720
12008女性12520
12009男性181018

1. boxplotのX軸にある項目を並べ替える方法

現象
まずデータを読み込みます。
x <- read.table("SapR_yearman.csv",header=T,sep=",")

次にこのうちjpの学部別結果を箱ひげ図で出します。
boxplot(jp~gakubu,data=x)

その結果がこれです。

X軸を見ると,経,社,文,理という順に並んでいるのですが,これをたとえば文→経→理→社にするならどうすればいいのかが分かりませんでした。

解決法
factorという関数を使うといいようです。
x$gakubu <- factor(x$gakubu, levels=c("文","経","社","理"))


2. 抽出したデータだけを使ってplotするときに不必要な項目が出るのを抑える方法

現象
xの中から"文,"社","理"だけを抽出します。

bunsyari <- x[x$gakubu=="文" |x$gakubu=="社" |x$gakubu=="理",]

※要は「経以外」なのでbunsyari <- subset(x, x$gakubu!="経")とでも書いた方が美しいですね。

これをboxplotで図にすると

となり,不要な「経」の情報が残ってしまいます。

解決法
bunsyari$gakubu <- droplevels(bunsyari$gakubu)
というようにdroplevelsという関数を使うと解決します。このほかにも
bunsyari$gakubu<-factor(bunsyari$gakubu) 
と,bunsyariのgakubuをfactorにする。

おわりに
今回,実はfactorという関数を初めて目にしました。ググってみましたが,ちゃんと勉強する必要がありそう。あとRjpWikiに答えがあるということだったので,ここを使いこなせるようにしたいところです。
0

どう失敗させればいいのか。または質問魔になったあなたへ

これら2つに共通するのは「失敗できる場所を作ったうえで,そこで試行錯誤する/させることは重要だ」ということ。それ自体は私も同意します。私は質問魔とまでは言われないにしろ,学会や研究会ではたいてい手を挙げていますし,けっこう強く追求することもあります。最近はあまり攻撃的にならないようにしようと意識して心がけていますが,dlitさんの分類で行けば「「失敗しても良い場所なので全力でぶつかる/叩く」ような人」なのです。もちろん私が意地悪をしているのかと言われるならばそれは心外ですが,そういう人間としては,上のエントリーを受けて何に気をつければいいのかを考える必要がありそうだと思いまとめてみました。言わば以下のエントリーの上級編なのかもしれません。
自分が質問魔で,学生や話し手を追い詰めることがあるかなという方,ちょっと考えるきっかけにしてみて下さい。また,発表がとてもプレッシャーな方は,質問する人が何を考えているのかを知るきっかけにしてくれると幸いです。

(1) 励ます/やる気をそがせない
dlitさんも言われているように「「厳しく接する」ことと、「discourageする」ことをうまく区別できる」ことは重要だと思います。学内ならば特にそうです。もちろん人によっては厳しく言っていくことで,次にいいものを仕上げてくる人もいるのですが,たとえば攻め続けていってその人がしょげていって外で発表できないとかいう自体になったら元も子もありませんから。ひとまず,どんなにキツい質問であっても,どうすればその研究がよくなるかは考えるようにするのは大切だと思います。

(2) ポイントを絞る
どうもたたみかけてどんどん追求するよりも,いくつかポイントを絞った方が効果的なようです。そのためにどうしたのかというと,とりあえず最初に質問するのをやめて,他の人が質問する間に特に重要なポイントに絞ることにしました。それは一応効果あったようで,僕としても言いたいことや言い方をじっくり考えられるようになったのでよかったかなと思います。

(3) 段階を踏んで質問する
これは初級編(5)に書いたことと似ているのですが,僕の方から「これこれはこうで,そうするこうで,それでこれだからダメなのでは?」と言ってもいいのでしょうけど,それよりも「これは○○ってことですか?」「じゃあ△△ってことになりますが,それでいいですか?」「でもそれだと××で問題が生じませんか?」と何段階かに分けた方が発表のどこに問題があったか分かりますし,こちらの勘違いにも気づきやすいです。ただこれをやると追い詰められた感が出るそうなのでちょっと注意が必要かもしれません。

上に書いたのは対院生ぐらいのことなので,教員の立場として指導する学生にどう接するかというのは難しいところはあります(私の場合,ゼミ生がいないので場数も踏んでませんし)。これについてはもうちょっと何か得られたら書きたいと思います。

補遺:いかにして質問魔になり,そこから変わっていったか

そもそもなぜ私がよく質問をしているのかというと,院生時代の育てられ方をしたかが影響しています。実を言うと私は大学院で指導教員からすると初めての指導院生でした。これが意味するのは,同じ専門(音韻論,音声学)の先輩というのはいないということです。しかもその年の新入院生は私一人。つまり,音韻論,音声学を扱う院生は私一人だったのです。ところがそのことを考えなかった私は,授業や勉強会で話すときに多くのジャーゴン(一定の場でしか通じない言葉)を含めていました。周りにいたのは専門は違えど素朴なそして鋭い質問をしてくれる先輩方。当然ながら先輩方は「その意味は何?」とか「それってどういうこと?」とかいう質問から始まり最終的には「ああ,〜って前提があるのね。で,それってなんで正しいの?」という話になりました。そのたびに私は冷や汗を流しながら答え,たいていうまく行かず後で落ち込んでいました。

そう,つまりここで多くの「失敗」を重ねていたんですね。

そうやって多くの指摘や質問を受ける過程で,私がロジックとして間違っていることや暗に前提にしていたことがいかに多いのかが分かりました。そのおかげで対象を考えて話すということを意識できるようになったのだと思います。こういうことがあり,私自身も後輩に(先輩にも)どんどん疑問を言っていき,納得できないことは突っ込んでいくようになりました。当時よく言っていたのは,「僕は全力で当たりに行く(質問する)ので,皆さんも僕が発表するときには全力で当たりに来て(質問して)ね」ということです。また,僕としては自分の所属している研究室の人間が僕が気づくレベルの間違いを犯して外で低く評価されることは避けたかったというのもあります。それもあって,特に院生の発表に対しては全力で当たっていきました(ちなみにここに書いたのはある種同じ所属の後輩に対する教育的な理由で,外部で質問するときは私自身のため,つまり,質問を通して学ぶことが多いからです)。

ところがあるとき,相手が変に萎縮しているのに気づきました。はじめのうちはそんなことは気にせずにどんどん質問していたのですが,またあるとき「いい質問してると思うんだけど,もっとencourageするような質問にしないと発表者のためにならないよ」という旨のことを言われました。どうも僕が厳しい質問を重ねていくなかで手応えがないとき,質問された側というのは「もうこのテーマを続けてもしょうがない」とまで考えていたりしてたようなのです。もちろん見込みのないテーマなら捨ててしまった方がいいこともありますが,そうでもないことが多かったですし,上でも述べたように何より外で発表することに萎縮されてしまっては意味がありません。

それからはどの程度攻めていくか,どう伝えるかを考えていくようになり表向きは穏やかになったのではないでしょうか?(評価はお任せします)
0

「地元」の語義の変化を調べようとしたけどうまく行かなかった件

先日,中学の同級生がSNSで「地元にテレビ撮影が来ていた」と書いていました。へえと思ったのですが,どうも調べてみると彼が言う「地元」は彼(と私)が元々住んでいた土地ではなく,彼が3年ほど前に引っ越した今の居住地のことを指しているみたいでした。私にとって地元は大学を出るまで住んでいた地域のことで,今住んでいる札幌やその前に9年住んでいた福岡を指すことはありません。それで国語辞典を見てみたのですが,彼の使い方(以下,居住地用法と呼びます)だけが記載されていました。

じ‐もと〔ヂ‐〕【地元】
1 そのことに直接関係ある土地。「―の意見を聞く」
2 その人が居住している土地。また、その人の勢力範囲である土地。「―の候補者」

たしかに新聞で見るような「地元」の使い方,特に政治関係の話,を考えても居住地用法が多いような気がしますので,これだけなら単に僕の使い方が間違ってるとかそういう話になるのですが,実際には「太郎は高校を出てすぐ就職のために都会へ出たが,40歳を過ぎて親の仕事を継ぐために地元に帰った」などの用法(以下,郷里用法と呼びます)もあり,私の方が単に間違っているとも言えなさそうです。そこで,2つの用法がどのように現れるのかを調べてみたのですが,これが思いの外うまく行かずに終わりました。

調査には例によって朝日新聞のデータベース聞蔵IIを使用しました。まず「地元」という言葉の現れる記事を検索したところ,1年で2万件以上あるので調べきれません。そもそも郷里用法は「地元に帰る」という表現が典型なので(実際,この表現に限っていくつかの記事を読むと郷里用法と居住地用法で8対2ぐらいです),この表現の変化を調べました。

以下の図表は80年代,90年代,2000年代,2010年代の変化の様子です。ちなみに「地元に帰る」は「政治家が地元に帰る」という用法が多いため,「選挙」,「議員」,「首相」,「自民」を含まない記事に限っています。


これを見ると2009年までは14%台で推移していたのが,2010年以降25%になっているため1年ごとの変化の様子を見たら何か分かるかもしれないと思い,2000年から1年ごとに使用記事数を調べました。その結果が以下の図表です。


徐々に増えたと思いきや,2011年に急激に増えています。なぜか。2011年には東日本大震災があり,その関係で「地元に帰りたいと願う」のような使い方をしている記事が多いのです。実際,「震災」を含まない記事に限定すると,2011年の76件から28件と例年並み(むしろ少ない)に減ります。これらから,「地元に帰る」という表現は増えてはおらず,(少なくとも80年代から)一定の割合で使われ続けている用法であると言えそうです。

もっと根性があれば「地元」の使われている記事を一つ一つ見ていって調べられるのでしょうが,それはまたいつか…
0

主張には賛同できても根拠がまずいという話

このようなインタビュー記事を見つけました。

年収100万円台も珍しくない 非常勤講師「使い捨て」の悲惨


年収1000万クラスの教授に対し、非常勤講師は300万円以下、100万円台も珍しくない。そんな「格差」が大学内に存在している。こうした高学歴ワーキングプアの放置は「大学の荒廃につながる」と指摘する首都圏大学非常勤講師組合の松村比奈子委員長(憲法学)に話を聞いた。

簡単に述べれば,低収入の非常勤講師が増えてきているので,その状況を改善せよという内容です。

私も院生時代から大学等の非常勤講師で食べていた時代がそれなりにあるので,非常勤講師の給料だけで食べていくことが苦しいというのはよく分かりますし,改善してほしいと思います。しかし,このインタビューはロジックに甘いところがあり,そこを突かれたらかえって自分たちの首を絞めかねません。どういう点がまずいのか,見ていきたいと思います。

繰り返しますが,私は非常勤講師の待遇を改善せよという主旨に賛同しています。しかし,根拠がまずいという話です。

インタビューの始めの方にこのような発言があります。

大学教員は週5コマ程度担当するのが標準的で、そうすると非常勤講師での収入は年150万円。ところが、同じ程度のコマを担当している専任の教授になると年収1000万円が普通と言われています。非常勤は大学運営の仕事はしないので、「全く同じ仕事」とは言いませんが、格差が有りすぎです。

非常勤講師と専任の教授で収入格差がありすぎるという話ですが,ここで3点まずいところがあります。

まず,非常勤講師と専任の教授は年齢的に比較する対象にはならないことです。このすぐ後に非常勤講師の平均年齢は45.3歳と出てきます。一方,国立大学職員日記「平成22年度 国立大学教員年齢別「平均年収」一覧」によれば,教授の平均年齢は54.5歳で,10歳ほど差があります。日本の多くの雇用体系では,年齢に比例して収入が増えます。それを考えると,10歳違うところに収入格差があると言っても,そりゃ年上なんだからの一言で済まされます。同じ年齢で比較するなら,准教授や専任講師の方が適当でしょう。

実際,同じページに年齢別の収入一覧があり,それを見ると45.3歳の該当する45〜48歳は700万円台後半から800万円代中盤が多いようなので,そこでも十分に比較できそうです。

次に,「非常勤講師での収入は年150万円」と言ってるのに,すぐあとで自分らの調査結果を出して,「45.3歳で年収306万円,4割ほどが250万円未満です。100万円台もかなりいます」と違う結果を出しています。これではどの結果を信頼していいのか分かりません。前者は話を分かりやすくするためのものでしょうが,都合のいいように数字を出したとも言えないでしょうか。

そして,ちょっと内部矛盾をはらんでいるのが,松村さんの「非常勤は大学運営の仕事はしないので、「全く同じ仕事」とは言いません」という発言です。同じページに以下の発言があります。

非常勤講師が存在する以上、「同一労働は同一賃金」と主張し、専任と非常勤の格差解消を訴えていきます。近年、派遣労働の問題で「同一労働は同一賃金であるべきだ」とテレビで主張している教授を見ることがあります。自分のお膝元の大学で同じ問題が起きている。そちらはどう考えているのか、是非きいてみたいものです。

この2つを見ると,結局非常勤講師と専任教員の仕事は同じと考えてるの?違うと考えてるの?というのが分からなくなります。この点,私は違うものと考えています。私も専任教員になるまで,各種委員会,教育関連プロジェクト,入試業務,学生支援,学科運営など,授業以外の仕事がこんなにもあるのかというのは想像もしていませんでした(もちろん中には教員ではない人にやらせた方が合理的じゃないのか?という仕事もありますが)。これらの仕事での拘束時間を考えると,今の収入はそれほど問題にならないのではと思います。また,これまで専任教員の給与のうち,授業に関するものの割合がいくらだという話は聞いたことがありません(そんなの分けられないと思いますが)。もしかしたら,授業に関するものはそれこそ年間150万円程度などと言われてしまうかもしれません。

このように,このインタビュー,主旨は賛同できるものなのに,論理や話の展開に無理があり,結果として説得力を落としてしまっており,非常に残念です。これは啓蒙するためのものだから多少論理が荒くてもインパクトある方がいいという判断であるとしても,かえって反対の結果を招きかねず,やはり不満の残るものになります。
0

「ベット」はBett?

Twitterで以下の投稿がありました。

日本語は本来、促音の後に濁音が来ないので、外来語が「ビック」「ドック」「バック」となります(ただし「ビックカメラ」はbigではなくBIC CAMERA)。「ベット」はドイツ語のBettから来たのかもしれないと音声学の先生がおっしゃっていました。医学関係と考えれば、さもありなん。

日本語では促音+濁音という連続が忌避されるというのは,標準語(東京方言)ではかなり一般的です(方言ではそうでもないという話は高山倫明『日本語音韻史の研究』にあるまとめで確かめることができます)。なお,なぜ無声化が起こるのかについては川原繁人さんが盛んに成果を出していますのでそちらをご覧ください。

さてここで問題にしたいのは「ベット」が無声化の例ではなく,ドイツ語のBettから入ったのではないかという説についてです。たしかに医学用語は明治時代に多くドイツから入ってきたのでありえそうな説です。しかし,本当にそうなのか今ひとつ確信が持てません。そこでコーパスを用いて調べてみました。

語源を探るのは得意ではないのですが,外来語ならば多くは明治以降でコーパスも整備されつつあるので,それを使って調べていけるかと思いました。

調査方法

資料

ベッド/ベットは明治から大正にかけて入ったと推測し,その時期のデータを使用しました。詳細は以下のとおりです。
また,国立国語研究所の小木曽さんより「太陽コーパス」による検索結果をご教示いただいたので,それも後ほど紹介します。

仮説

もし語源がBettなら古い用例に「ベット」しかなく,「ベッド」が後から増えているはずです。もしbedなら古い用例でも「ベッド」と「ベット」の両方が見られる,または無声化がなく「ベッド」のみになるはずです。以上から,それぞれのコーパスを用いて「ベット」と「ベッド」の初出年および件数の変化を見ていきます。なお,当時は促音を小さく書かない「ベツド」や「ベツト」といった表記もありうるので,それらを含めた結果を示します。

結果

青空文庫

まず初出を見ていきます。青空文庫における「ベット」の最も古い例は寺田寅彦「病院の夜明けの物音」(1920年)にありました。

二つの時計 その一つは小形の置き時計で、右側の壁にくっつけた戸棚の上にある、もう一つは懐中時計でベットの頭の手すりにつるしてある


一方「ベッド」の最も古い例は徳冨健次郎,徳冨蘆花「みみずのたはこと」(1906年)にありました。

未だ初めで御座いまして、ベッドを作る事や、病人の敷布をかえる事や、器械を煮て消毒する事や、床ずれの出来ぬように患者の脊をアルコールで擦る事や

次にヒット数の変化を見ていきます。以下に示すのは「ベッド」と「ベット」の作品数です。

この表からも分かるように,ベットよりもベッドの方が例の数も安定して現れています。

雑誌コーパス

まず,明六雑誌コーパスでは「ベット」「ベッド」ともにヒットしませんでした。これは,『明六雑誌』が学術啓蒙雑誌で,文語中心なこと,それに加えて外来語が極端に少ない(近藤明日子「『明六雑誌コーパス』の語彙量」)ことが影響してるのかもしれません。

次に,近代女性雑誌コーパスでは2例ありました。どちらの用例も無声の形です。

一室十五人の割で、ベツトがつねにならび、晝
『女学世界』1909
入院させます。白いベツトの上にやすませて看護
『女学世界』1909

最後に太陽コーパス(小木曽さんより情報提供)では,フリガナの初出が1901年に見られました。確例は1909年以降とのことです。

太陽コーパスでは、振り仮名に1例ですが1901年の例が見つかりました(臥床[ベツト]太陽-1901-09一腹一生,小栗風葉)。ただし同一作品中で臥床[ベツド]も2回でてきます。確例は1909以降ですね。RT @yearman: とりあえず明六雑誌コーパスと近代女性雑誌コーパスを

考察

結果1に示した青空文庫における初出年やヒット数の変化を見ても,「ベット」のみ現れる状態というのは観察されず,「ベッド」と「ベット」が両方現れていました。一方,結果2に示した雑誌コーパスではいずれの用例も「ベット」(表記としてはベツトだが)という無声のものでした。この結果だけを見るとBett説も一考の余地があるように考えられます。しかし,結果1との整合性を考えると,近代女性雑誌コーパスが文語より口語が中心である(田中牧郎「『近代女性雑誌コーパス』の概要」)ため,話し言葉のレベルで無声化が起こったと見るのが妥当でしょう。また,小木曽さんよりご教示いただいた太陽コーパスでの初出と確例を見ると,やはりベットとベッドは表記として両立していることが分かります。

以上のことを併せて考えると,「ベット」はドイツ語Bettから入ったのではなく,英語のbedから「ベッド」の形で入り,それが無声化したものだと結論づけられます。

最後に,促音+濁音での無声化現象がこの時代にどれだけ一般的だったのかということについて言及しておきます。上でヒット作品数の変遷を提示しましたが,ベッドの場合の無声化率を見ると,多くても12.9%(4/31)でした。CSJ(日本語話し言葉コーパス)を用いた研究(Kawahara, Shigeto and Shin-ichiroo Sano (under review) "A corpus-based study of geminate devoicing in Japanese: Internal factors.",Sano, Shin-ichiroo and Shigeto Kawahara (under review) "A corpus-based study of geminate devoicing in Japanese: The role of the OCP and external factors.")によると,濁音+促音+濁音での無声化率はおおよそ40%です。また,書き言葉に近いであろう,改まった発話(学会講演)であっても20%弱ですから,これは低い数字と見ていいでしょう。

これはなぜでしょう。仮説としては,(1)明治時代では無声化を起こす人が少なかった,(2)書き言葉では無声化したものは書かれなかった,という2つが考えられます。『女性雑誌コーパス』で濁音+促音+チヂを見てみたところ,次の用例を見つけることができました。

チ/ヂ
君は、平素ペスタロツヂを欽慕し、其教育法
『女学雑誌』1894
き異郷の空のケンブリツチ大學に御留學中の兄樣
『女学世界』1909

ク/グ
御立寄りの當世紳士がバツクと繪草紙十枚の御買上
『女学世界』1909
美に裝り新形のオペラバツグ持つて大勢の召使達に
『女学世界』1909


チとヂでは15年の差がありますが,ほぼ同年代に交替が見られることから,明治時代でも無声化が一般的なものだったとは言えそうです(ただし,CSJでは無声化に世代差が見られます)。いずれにせよ,この点についてはもう少し大きいコーパスを用いて調べる必要があるでしょう。
0

「承認欲求」という言葉の広がり方

Twitterで「承認欲求」という言葉がどう一般に広がったのかが話題になっていたので少し調べてみました。

参考:「承認欲求」という言葉の歴史的起源をさぐる

調査方法

使用したDBは以下のものです。
  • 読売新聞
  • 朝日新聞社(新聞,アエラ,週刊朝日)
  • 産経新聞
  • CiNii articles(タイトル+要旨)
  • CiNii articles(全文検索ベータ版)

結果

量的な広がり

結果を以下に示します。


Togetterでまとめられているのを見ると,きっかけとして90年代に宮台真司氏の論説があるという意見があり,感覚的にもそのあたりで広がったという投稿が見受けられます。一方,非学術系DBでは,10年代に件数の増大が見られることから,一般への普及もそのあたりと見るのがよいと思えます。しかし,使った人を見ていくとそうとも言えないところがあります。

用法

「承認欲求」という言葉がどう使われているのかを見るため,。朝日新聞社のDB検索結果を詳細に見てみました。すると,00年代ではアエラのアンケート結果,ミュージシャン紹介の記事,大田肇氏の著書紹介の他に勝間和代氏による使用がありました。

 これはすなわち、「自分の専門知識を相手にわからせたい」という承認欲求の裏返しなのでしょう。
 私はこのことにうすうす気づいていましたが、自己承認欲求の裏返しだと言葉にしてもらってから、すっきりしましたし、それを自覚することで、必要以上に攻撃的になることを避けられるようになったと感じています。
2009年10月31日 
(勝間和代の人生を変えるコトバ)批判は認められたい欲求の裏返しである

勝間氏が多くのビジネス書や自己啓発書を出していることを考えると,00年代後半の普及と見るのはあり得るのかもしれません。ただし,これ以降,少なくとも朝日DBで勝間氏は登場せず,また,他の著作で使われているのかも分からないので,00年代後半と判断するのは性急かもしれません。

次に10年代の使用状況を見てみましょう。00年代では中島岳志氏による書評に3点出てきた他に萱野稔人氏(哲学者)の引用にも現れます。

「訳もわからないまま戦う舞台設定が、気がつけば就職難など社会での居場所を見いだしにくい現代の若者の感覚にあっている」と言うのは、哲学が専門の萱野稔人・津田塾大准教授だ。玄野は戦いを通じ、生き残るために仲間を束ねるリーダーに成長していく。「他人の役に立つことで、自らの存在価値の根拠となる承認欲求が満たされる」
2011年04月20日
映画「GANTZ」ヒット 存在価値探す主人公、現代の若者の姿映す

日本人は他者からの「承認欲求」が強いと萱野さんは言う。日本人は他の国に比べ、世間や他人の評価を気にする傾向がある。「神が見ている」といった規範よりも、人からどう見られているかで自分の価値を決めがちだ。20~30代はその傾向が強く、自己不全感に陥っているのではないかというのだ。
2012年06月11日
幸せな60代女、不幸せな30代男 日本人の「幸福度」男女1000人調査(アエラ)

この他にもお寺の住職なども使っていたり,facebook関連の話題でも出てくることからこの言葉の一般への普及が伺えます。

自分の話を無条件に受け止めてもらいたい承認欲求が強すぎて、みんな相手の話なんて聞きたくなく、自分の話ばかり聞いてもらいたがっている……。
2012年03月08日
(小池龍之介の心を保つお稽古)我が心の声を聞きとるべし

また、一部のFB利用者は「自己承認欲求」が強く、「いいね!」と反応してくれた相手に好意を抱きがちという。
2012年06月27日
(ニュース圏外)フェイスブック恋愛模様 いいね!で始まる男と女

ちなみに日本語書き言葉コーパスも見てみたのですが,3例しかヒットせず,それらも90年代の著作でした。書き言葉コーパスにあるウェブデータは2005年と2008年のものしかないので,それが影響しているのか,収録元がヤフー知恵袋とヤフーブログに限られているからなのかもしれません。
0

翻訳:CVの組み合わせの嗜好性に対するコンピューターシミュレーション

書誌情報
Computational simulation of CV combination preferences in babbling
Hosung Nama, Louis M. Goldsteina, Sara Giulivia, Andrea G. Levitta, D.H. Whalena

タイトル
Computational simulation of CV combination preferences in babbling
喃語におけるCV連結の嗜好性のコンピューターシミュレーション

要旨
第1文
There is a tendency for spoken consonant--vowel (CV) syllables, in babbling in particular, to show preferred combinations: labial consonants with central vowels, alveolars with front, and velars with back.
話し言葉の子音-母音(CV)音節では,喃語において特に,好まれる組み合わせを示す傾向がある。その傾向とは唇子音と中舌母音,歯茎音と前舌母音,軟口蓋音と後舌母音である。

第2文
This pattern was first described by MacNeilage and Davis, who found the evidence compatible with their “frame-then-content” (F/C) model.
このパターンはMacNeilage and Davisによって最初に記述された。彼らは"frame-then-content"(F/C)モデルに合致する証拠を発見した。

第3文
F/C postulates that CV syllables in babbling are produced with no control of the tongue (and therefore effectively random tongue positions) but systematic oscillation of the jaw.
F/Cは喃語におけるCV音節が舌を操作することなく(そしてそれゆえ事実上ランダムな舌の位置で),顎を振動することで産出されると仮定している。

第4文
Articulatory Phonology (AP; Browman and Goldstein) predicts that CV preferences will depend on the degree of synergy of tongue movements for the C and V.
調音音韻論(AP,Browman and Goldstein)はCV嗜好性が子音と母音への舌の動きの相乗効果の度合いに依存することを予測する。

第5文
We present computational modeling of both accounts using articulatory synthesis.
この論文は調音合成を用いて2つの説明のコンピューターモデリングを行う。

第6文
Simulations found better correlations between patterns in babbling and the AP account than with the F/C model.
シミュレーションでは喃語におけるパターンとAPの間にF/Cモデルよりも高い相関が見られた。

第7文
These results indicate that the underlying assumptions of the F/C model are not supported and that the AP account provides a better and account with broader coverage by showing that articulatory synergies influence all CV syllables, not just the most common ones.
これらの結果はF/Cモデルの基層にある仮定が支持されず,APによる説明がよりよく,そして調音相乗効果が最も共通するものだけでなく,全てのCV音節に影響することを示すことによって広い範囲を説明することを示している。
0

大学は多すぎるか:学校基本調査の確認

きっかけはこの記事「【eアンケート】大学は多すぎるか 淘汰を進めるべきだ89%」でした。eアンケートというのは産経新聞がウェブベースで行っているアンケートのようです。

このアンケートの前提は当時の田中真紀子文部科学大臣が,「大学が多すぎて質が下がってる」と大学新設の認可を保留したことがあります。しかし,本当に大学は多すぎるのでしょうか?大学の数に関しては学校基本調査という政府統計によって調べることができますのでその結果を確認しておきます。

大学の数は学校基本調査の年次統計でまとめて調べることができます。これを使って1952年から5年ごとの変化を見てみます。

大学の数を調べるにあたって無視できないのは短大の数です。というのも,近年新設した大学の中には短大を改組したものが多いからです(この点G先生より指摘いただきました)。さっそく結果を見てみると,大学の数は一貫して増加していますが,短大の数は1997年をピークに減少し,合計も減っています。



それでは学生数はどうでしょう。同じく学校基本調査の年次統計から学生数の項目だけを集めてみました。その結果を見ると,やはり多いのは1997年です。



では増えているのは何か?それは大学・短大の進学率(過年度生を含む)です。



これを見るとたしかに増えています。つまり,数の減った高校卒業生(以上)のうち,大学(や短大)に行く人が増えているんですね。

オマケ1:記事に対する意見
以上を踏まえた上で,紹介した記事について私がどう思っているのかを記しておきます。

そもそも大学進学率が上がるのってそんなに悪いことでしょうか?大学進学率が上がるというのは,より多くの(割合の)国民が高等教育を受ける機会を持つということです。大学を減らすべしという意見を持つ人の中には「大学の淘汰を進め、学生1人当たりの補助金を増やし、学費を安くし、研究と教育の充実を図ることが真の国力増強にもつながる」という意見を出している人もいます。たしかに大学を減らして一部の人だけが高等教育を受けられる環境を作れば,大学(卒業)生の質は上がります。しかし,それでどうして国力増強につながるのでしょうか?たとえば大学進学率を10%に減らしたとして,その10%に国力増強を託すのでしょうか?また,大学進学率を減らしたとき,現在だったら大学に進学できた人たちはどうするべきだと考えているのでしょうか?今どきの高卒の就職状況はかなり厳しいです(だからこそ大学進学が増えた)。自己責任でプー太郎になるべき?それこそ無責任では?

大学が社会においてどういう役割を果たすかは進学率によって変わるという議論があります。端的に言うと大学進学率が50%を越えた状況では,大学はエリートを育てる場と言うより幅広く高等教育を提供することが目標にあります。このような変化に目を向けないまま大学観を固定しているのが現状だと思います。もちろん大学のあるべき姿が変わるのだから私達大学教員も変化しないといけませんし,現状の日本の(中堅以下の)大学がそのような機能を果たせているのかと言われるならばノーといわなければなりません。しかし,だからといって大学を減らせば解決するということはありません。まず必要なのは大学の役割が変わったこと,そしてそれによって大学というひとつの看板に多様性がありうることを中の人も外の人も(特に大学を既に出て何年も立ってる人が)認めることなんだと思います。

オマケ2:数字データを見るときの注意点
こういう調査モノを見るときに気をつけておきたい点を書いておきます。この調査では約3000人が回答し,そのうち約9割が定員割れの大学の淘汰を進めるべきと答えています。3000人に調査をしているというのはNHKの世論調査での回答数が1000人台であることを考えると十分なように見えますが,この3000人というのは「そもそもこういう調査にわざわざ答える人」という点で偏ってます(これ「100人から電話で苦情」も同じです。わざわざ電話した人が100人で,その他は苦情出してないんです)。さらに男女比を見ると男性2839人,女性492人となっておりやはり偏りがあります。
0

翻訳: 誤りに基づく制約の序列替えのアルゴリズム

面白そうな論文が紹介されていたので要旨を訳しました。

書誌情報
Margi, Giorgio (2012/forthcoming) "Tools for the robust analysis of error-driven ranking algorithms and their implication for modeling the child language acquisition of phonotactics" to appear in the Journal of Logic and Computation
タイトル
Tools for the robust analysis of error-driven ranking algorithms and their implication for modeling the child language acquisition of phonotactics
エラー駆動序列アルゴリズムのロバスト解析とその音配列の言語獲得のモデル化への含意

要旨
第1文
Error-driven ranking algorithms (EDRAs) perform a sequence of slight re-rankings of the constraint set triggered by mistakes on the incoming stream of data.
エラー駆動序列アルゴリズム(以下EDRAs)は入ってくるデータの誤りに引き起こされる制約群の小幅な序列替えの連続を操作する。

第2文
In general, the sequence of rankings entertained by the algorithm, and in particular the final ranking entertained at convergence, depend not only on the grammar the algorithm is trained on, but also on the specific way data are sampled from that grammar and fed to the algorithm.
一般に,アルゴリズムによってもたらされる序列の連続,及び特に収束時に得られる最終的な序列はアルゴリズムが教え込む文法だけでなく,その文法からサンプルされ,アルゴリズムにもたらされる特定の方法にも依存する。
訳注
entertained:もたらされる(意訳)

第3文
The robust analysis of EDRAs pinpoints at properties of the predicted sequence of rankings that are robust, namely only depend on the target grammar, not on the way the data are sampled from it.
EDRAsのロバスト分析はロバストである序列の予測された連続の特性に的を絞る,すなわち,データがそこからサンプルされる方法ではなくターゲット文法にのみ依存する。
訳注
target grammar:用語があるようだけど,何を意味するかちょっと分からず。

第4文
Tesar and Smolensky (1998) develop a tool for the robust analysis of EDRAs that perform constraint demotion only, that is reviewed in detail.
Tesar and Smolensky (1998)は制約降格のみ行うEDRAsのロバスト分析の道具を発展させている(これは詳細にレビューする)。

第5文
The paper then develops a new tool for the robust analysis of EDRAs that perform both constraint demotion and promotion.
そこでこの論文は,制約降格と昇格の両方を行うEDRAsのロバスト分析の新しい道具を発展させる。

第6文
The latter tool is applied to the robust analysis of the EDRA model of the child early acquisition of phonotactics, through a detailed discussion of restrictiveness on three case studies from Prince and Tesar (2004), that crucially require EDRAs that perform both demotion and promotion.
降格と昇格の両方を行うEDRAsを決定的に必要とするPrince and Tesar (2004)の3つのケーススタディに関する制限の詳細な議論を通して,後者のツールを音配列の早期の獲得のEDRAモデルのロバスト分析に応用する。
0

第145回日本言語学会の感想・寸評

第145回日本言語学会(11月24-25日,於:九州大学)に参加したので,そこで聞いた発表の感想と寸評を記します。いつものように,ツイッターで書いたものに加筆・修正したものです。

関連エントリー
日本言語学会第145回大会雑感(2):研究発表とか(田川拓海さん)

加納 満「スリランカ手話における過去テンス表示」
従来テンスがないとされてきたスリランカ手話にテンス標識と呼べるものが二種類あるという指摘。1つはfinishに相当する単語が文法化したもの。もう1つは動詞サインを上に動かし顎上げをするもの。このときの顎上げはNMSのようだけど,スコープは狭いとのこと(そもそもスリランカ手話では日本手話のWH疑問文のようなスコープ表示機能はないらしい)。あと,2つのテンスがあるけど,その分布の違いを知りたいと思った。

ちなみに「手話言語類型上においても手指要素と非手指要素の組み合わせによるテンス形式は管見の限り知られていない」(p.69)とあるけど,非手指要素はある種のイントネーション的なものだとすれば,音声言語で見られるかな。たとえば,エド語(ナイジェリア)ではピッチで次のようなテンスの対立がある(斎藤純男『日本語音声学入門 改訂版』)。

ima LL 私は見せる
ima HL 私は見せている
ima LH 私は見せた

日本語でも次のようにしてテンスを表示してるように見せることができる(Haruo Kubozono "Tense and intonation in Japanese",2008年,第3回プロソディーと情報構造に関するワークショップでの発表)

HLLH 読んでよ(ー) 過去
HLLL 読んでよ(ー) 非過去

そう考えると,自然言語としてはあり得ない体系というわけでもないのかな?


原田 なをみ・高山 智恵子「日本手話の達成動詞の完了表現に関する一考察」
日本手話のアスペクト調査の報告。一部の達成動詞(落ちる)で語彙的な意味特性が状態変化を含むかどうかで完了表現に違いが出るということを指摘している。活動動詞「読む」だと,裸の形(本 読む)が可能である。達成動詞では「終わる」という完了アスペクトの形式が現れるが,「落ちる」だと落ちてどうなったか(水風船なら割れるとか,爆弾なら爆発するとか)が表示されないと容認不可になった。

この観察を元に,中国語の結果複合語と同じ構造をしているという分析を提案している。具体的には「落ちる」を含む動詞句は次のような構造をしているという。

[<落ちる> *([X state/change-of-state])

ちなみに落ちそうであるようなものを指すときはどうするんだろと思って聞いたところ,<落ちる>の動作の一部だけで示すらしい。

調査は絵を見せて,それを手話で表現してもらうってものだったので,もうちょっと違う調査方法もやってみたらいいんじゃないかと思ってる。あと,今回は「落ちる」しかそういうのが出てなかったけど,どれくらいの数があるのかってのはやっぱり気になる点かなあ。


大沼 仁美「母音に関する音韻素性間の非対称性」
依存音韻論やエレメント理論などの枠組みでは,母音は|A|,|I|,|U|という3つの素性に分解して,その組み合わせで表示する。|A|は開口度,|I|は前舌,|U|は円唇という組み合わせ(だったと記憶している)。その中で|A|は他の2つに比べて特異な振る舞いをするという指摘。たとえば,ある言語ないでの母音の対立を見ると,開口度の対立は他の対立より多く,また,開口度の対立を持たない言語はないなど。ちょっと前提に関わるところとかの説明(たとえば|A|が何かとか。上の説明は松浦が補足したもの)が省略されていたので分かりづらかった。

要するに,諸言語での母音の対立を見ると開口度での対立は前後や円唇・平唇の対立よりよく見られるというのが鍵になりそう。この観察自体はいいんだけど,どういった方向での解決を考えているのかを述べてほしいとも思った。たとえば調音上の問題なのか,それとも音響・聴覚の問題なのか。そういう点が不明で残念。


LIU Sha "The role of the "basic variant" in subsidiary stress assignment for words with variant stress patterns"


アメリカ英語の強勢を(副次強勢も入れて)予測する理論としてPositional Function Theory (PFT)というのが提案されていて,それをイギリス英語にも適用したもの。予測率は高いのかもしれないけど,メカが複雑でちょっと検証はできなかったのと,「普遍的」とされていたfunctionがどれくらいそうなのか(他言語の説明力とかの点で),また,それらがどれくらい音声に動機付けされたものなのかという点を知りたいと思った。

また,最適性理論は副次強勢を無視する点で問題という旨のことを言ってたのだけど,そういうものなのかしら。ちょっと分からない。変異研究については制約の順序づけで説明できるけど,副次強勢については知らないなあ。あと,話者ベースで見たときにどういう派生なのかというのがよく分からなかった。発表者はある語の強勢はbasic variantというのがあって,それをもとにderived variantを出すと提案していた(のだと思う)けど,そうすると話者は入力→basic variant→derived variant→出力という過程で派生させるのかな?何だか冗長なように見えるけど。


黒木邦彦「上甑瀬上方言における清濁の対立」
甑島(鹿児島)の瀬上方言での清濁がどういった対立なのかを記述の上,[n]に/d/由来と/n/由来のものがあることを提案したもの。たとえば「船」は単独では[ɸune]となるが,複合語の後部になると連濁して[-bune]となるので基底では/fune/になる。一方,「筆」も表面は[ɸune]だけど,複合語の後部に来ても連濁しないので基底では/fude/という表示になっている。

このように濁音(+/-voice)の対立だと見なせばライマンの法則(を定式化したもの)によって適切な派生を得ることはできる。しかし,この/n/自体はどちらの単語でも交替をしないので,話者視点で考えると/n/に2つあるということは獲得できないのではというところが疑問だった。

連濁の形式化についてはいろいろとあるけれど,たとえばJunko Ito and Armin Mester (2003) Japanese Morphophonemics, MIT Pressでは,「神棚」という語での連濁を説明するために/kami+R+tana/という入力を仮定している。このときのRは連濁を起こす起因となる形態素である。Ito and Mesterは複合語はこの形態素が付くと仮定していたけど,この方言では形態素が付くかどうかも語彙の習得で必要となると考えればいいのではないだろうか。少なくともそうすれば習得上の困難はなくなる。


平子 達也「石川県七尾市能登島島別所方言の句音調に関する考察」
東京式アクセントと京都式アクセントの中間段階を反映しているとされる同方言の句音調について音響音声学的な考察を加えたもの。島別所方言は,aとbという2つの式があり,ざっくり述べると,a式は原則として高く始まり,b式は原則として低く始まるという特徴を持っている(本当はもっと条件が述べられていたが割愛)。このような2つの式という特徴は関西方言的である。

東京方言では,複数のWord(文節)が1つのアクセント句に融合するという現象が見られる。

くまもと-の LHHH-H だいがく  LHHH
→くまもとのだいがくLHHHHHHHH

関西方言ではこのようなアクセント句の融合(Igarashi forthcoming,同2012では[+ multiword AP]と呼んでいる)が見られない。

この発表での報告では,島別所方言では一部の組み合わせでアクセント句の融合が見られた。融合が見られた組み合わせはa+aとb+bで,a+bやb+aの組み合わせでは融合が見られなかった,すなわち同じ式の組み合わせでのみ融合が見られ,異なる式の組み合わせでは見られなかったところが興味深かった。

ただ,今回の資料は短い単語同士の組み合わせだったので,もうちょっと長いものの組み合わせを見ないとはっきりしたことは分からないかなあとも。


平田 秀「三重県尾鷲市方言の後部3拍複合名詞アクセントについて」

尾鷲市において複合名詞では3つの式として現れるという指摘。先行研究でこの方言がどう言われているのか紹介されていなかったが,少なくとも3つという指摘はなかったみたい。3つの式というのは次のようなパターンを持つ(例は3+3の複合語)。

α式:低く始まり,アクセントのある拍で上昇し,アクセントがなければ末尾で上昇する。例:キカイ[ア]ブラ
β式:低く始まり,アクセントの直前の拍で上昇し,アクセントで下降する。例シラガアタマ
γ式:単独形では高く始まり,アクセントで下降する。アクセントがなければ末尾まで高いまま。例:マグレアタリ

発表では複合名詞がどの式になるかをいろいろと論じていた。前部要素の式や,後部要素のアクセント型からアクセントのパターンを予測しようとしていたけど,私が見る限りはっきりと傾向としてみられるのは,「後部要素単独形がα1型の場合は複合名詞はα-3型,それ以外ではβ-3型になる傾向にある」ということぐらいじゃないだろうか。それでもα型の分布についてはよく分からない。

ちなみに,β型は複合名詞でしか現れないという。そうすると,単独名詞は複合名詞の音調のパターンについても記憶してるってことなのだろうか?近いことは台湾語や厦門語であるけど,日本語ではあまり聞かない(瀬戸内海の方言にあったと思うけど)。

ちなみに先行研究について気になったので,戻ってから調べてみたところ,尾鷲市のアクセントに関する研究として次のものを見つけた。

山口 幸洋 (1970)「尾鷲周辺のアクセント」『音声学会会報』

けっこう市内でも差があるような記述だが,2拍,3拍名詞については次のようになっていた。

2拍
かぜ ○○[△
いろ [○]○△
あめ ○○△

3拍
うさぎ ○○○[△
かぶと ○[○○]△
さかい ○[○]○△
なみだ [○]○○△

これを見る限り,東京方言なんかと似て,n拍(音節?)につきn+1個のアクセントがある体系のように見える。つまり,3つの式のようには見えない。今後,この辺についてももう少し詳しく聞きたい。
1

翻訳:声調の有無は遺伝子の違いに起因する?

言語間の声調を持つか持たないかの違いが遺伝子の違いに起因するという記事を見つけました。幸い元論文を見つけることができたので,要旨を翻訳してみました。生物学や遺伝関係の用語に馴染みがない(というかそもそも英語に難がゴニョゴニョ)ので誤訳などもあると思いますがご容赦ください。以下,原文(引用)→訳という形で書きます。

書誌情報
Dan Dediu and D. Robert Ladd (2007) "Linguistic tone is related to the population frequency of the adaptive haplogroups of two brain size genes, ASPM and Microcephalin" Proceedings of The National Academy of Sciences of the USA, pp.10944-10949 (June 26, 2007 vol.104 no.26), DOI:10.1073.

【追記】
11/29 訳を一部改めました。佐々木充文さん,どうもありがとうございました。

タイトル
Linguistic tone is related to the population frequency of the adaptive haplogroups of two brain size genes, ASPM and Microcephalin
声調は2つの脳容量遺伝子,ASPM遺伝子及びマイクロセファリンの適応ハプログループの集団内頻度に関係する
訳注
haplogroupsハプログループ。カタカナでハプロタイプというのがあって,それの群。漢語なら,単一種群かな?
haplo- 単一種

要旨
第1文
The correlations between interpopulation genetic and linguistic diversities are mostly noncausal (spurious), being due to historical processes and geographical factors that shape them in similar ways.
異なる人種間の遺伝子的多様性と言語学的多様性は,ほとんどの場合因果関係を持たないとされてきており,これらは歴史的な過程や地理的要因によって形成されたものだと考えられてきていた。

第2文
Studies of such correlations usually consider allele frequencies and linguistic groupings (dialects, languages, linguistic families or phyla), sometimes controlling for geographic, topographic, or ecological factors.
遺伝子的多様性と言語学的多様性の対応に関する研究は通常,ときとして地理的,もしくは生態学的な要因を制御している対立遺伝子頻度と,方言,言語,語族,大語族といった言語学的グループについて考察してきた。
訳注
sometimes controlling for以下が対立遺伝子頻度(allele frequencies)に係っているのか不安ですが。

第3文
Here, we consider the relation between allele frequencies and linguistic typoloical features.
ここでは,対立遺伝子頻度と言語類型論的特徴の関係を考察している。

第4文
Specifically, we focus on the derived haplogroups of the brain growth and development-related genes ASPM and Microcephalin, which show signs of natural selection and a marked geographic structure, and on linguistic tone, the use of voice pitch to convey lexical or grammatical distinctions.
特に,この論文では脳発育と発達に関連する遺伝子であるASPM遺伝子及びマイクロセファリンの派生的ハプログループ(これらは自然淘汰と際だった地理的構造であることを示す)と,声調(語彙的ないしは文法的区別に関わるピッチの使用)に焦点を当てる。

第5文
We hypothesize that there is a relationship between the population frequency of these two alleles and the presence of linguistic tone and test this hypothesis relative to a large database (983 alleles and 26 linguistic features in 49 populations), showing that it is not due to the usual explanatory factors represented by geography and history.
我々はこれら2つの対立遺伝子の対立頻度と声調の存在の間に関係があると仮説を立て,この仮説を大きなデータベース(983の対立遺伝子,26の言語学的素性,29の言語)に関連させて検定する。そして,これらの関係が通常説明された要因(地理的,歴史的要因)では説明できないことを示す。
訳注
population:辞書的には「集団」だが,ここでは「言語」と考えた。

第6文
The relationship between genetic and linguistic diversity in this case may be causal: certain alleles can bias language acquisition or processing and thereby influence the trajectory of language change through iterated cultural transmission.
この場合の遺伝子的多様性と言語学的多様性の間の関係は因果関係を持つだろう。すなわち,ある種の対立遺伝子は言語獲得ないしは解析にバイアスをかけ,そのため繰り返し文化の伝達を経た言語変化の軌跡に影響しえるのである。
0

ボージョレ?ボジョレー?

内田樹さんの以下のツイートを見て気になったので調べてみた。

あの~、いつからBeaujolaisを「ボージョレ」と呼ぶのを止めて「ボジョレー」に切り替えたんですか?どっちだっていいんですけど、僕は「ボージョレ」で知ったから。大江健三郎はそう表記していてませんでした?
@levinassien
https://twitter.com/levinassien/status/269094071828619264


※2012年11月20日 長音の有無について書き足しました。

※2021年1月11日 誤記修正

方法

調査資料として次の2つを用いた。

  1. 朝日新聞データベース(聞蔵II)
  2. 日本語書き言葉コーパス(少納言)

これらのデータベース/コーパスに該当の単語を入れ,そのヒット数を記録した。ただし,日本語書き言葉コーパスでは新聞のデータも含まれるので,それは除外している。

結果

朝日新聞データベースにおける検索結果を見ると,一貫して「ボージョレ」が優勢であった。

 表記  80年代  90年代 2000年以降 
 ボージョレ  51  214  579
ボジョレー   5  20  28

次に,日本語書き言葉コーパスでの検索結果を見ると,90年代はボージョレが優勢だったのに対して,2000年以降はボジョレーが優勢であった。

 表記  80年代 90年代  2000年以降 
 ボージョレ 0 17   9
ボジョレー  36 


これは何を意味するのか。日本語書き言葉の結果をもう少し詳しく検討すると,興味深い違いがあるのが分かる。日本語書き言葉コーパスでは書籍,白書,ネットなど幅広いジャンルのテキストをデータにしている。そこで,結果をジャンル別に見てみたところ,「ボージョレ」は一貫して書籍で見られたのに対し,「ボジョレー」はほとんどがネットで見られた。

「ボージョレ」のジャンル,年代別検索結果
   書籍 ネット 
90年代 17 
2000年以降 

 

「ボジョレー」のジャンル,年代別検索結果
   書籍 ネット  雑誌 
90年代 
2000年以降  32

 

考察

「ボージョレ」と「ボジョレー」の違いについて,内田さんは年代による変化だと感じていたが,この違いは年代による違いというよりむしろテキストのジャンルによる違いであると考える方が妥当である。なぜなら,朝日新聞では一貫して「ボージョレ」が優勢だったのに対し,ネットでは「ボージョレーボジョレー」が優勢であったからだ。しかし,これは内田さんが勘違いしていたということを意味するわけではない。というのも,ネットでの書き言葉はどちらかというと話し言葉に近いということが考えられるからだ(きっと誰かやってるけど出典調べてません)。つまり,テレビなどで見聞きして,それがネットでの表記でも目立ったため,いつの間にか「ボージョレ」から「ボジョレー」になったのだと感じたのかもしれないのだ。

以上の報告では全て書き言葉に関する資料を用いたが,実際の話し言葉については何ら検討をしていない。日本語話し言葉コーパスでの結果がどうなるのかを調べることで,上の可能性についても検証することができるかもしれない。

補論:長音の分布

Facebookで「ボジョレ」という長音なしの形もあるという指摘をいただいた。たしかに,そのような表記もあるので,以下に長音なしの形について分布を見ていく。上の2つのデータベースでの出現頻度を見ると,ボジョレ(当たり前ながらボジョレーは除外している)でネットよりも書籍,新聞で出てくる傾向にある。

「ボジョレ」のメディア別出現頻度の変遷
  新聞 書籍 ネット
80年代 0 0 0
90年代 7 0 0
2000年以降 14 8 4


ちなみに,新聞や書籍では「ボージョレ」の方が現れたこととの整合性を考えると,この表記は「ボージョレ」との間での揺れだと解釈するのが無理がないだろう。

0

どうやってレポートのテーマを設定するか?

後期の授業では半期かけて1本のレポートを書かせる(プロセスライティングと呼ばれてます)というのをやっている。これは最初のテーマ設定から始まり,アウトラインの作成,執筆,発表と修正というプロセスを全て体験させるというものである。

この中で学生が苦戦するのは,実際に書いていく作業よりずっと前,最初のネタ出し,つまりテーマ設定である。この作業でどう苦戦しているのか,また,どう解決の糸口を見いだしつつあるのかを記録しておく。
レポートのテーマはこちらからキーワードを指定して,そのキーワードに沿ったものであれば何でもいい(ただし,実際にデータを集めて検討するのでそういうことができるもの)としている。そもそもテーマが浮かばないという学生もいるので,どのようにテーマを設定するかという話をして作業もさせている。そこでの方法は私も結構苦戦していて,思考マップ(マインドマップ)もどきを主に使ってきたのだけど,拡散したものからよさげなテーマを絞り込むというのがなかなかできない。しかもそもそもの話でキーワードから広がらないという学生もいる。

授業ではテーマは「~は…か」というように問いの形にしなさいと指導しているけど,これを守れていないのが1割ほど。また,これが守れても「ちょっとこれじゃあ」というテーマがまた2割ほど。そういうのは「どのように日本語は乱れたのか」とか「なぜ若者は流行の服を着たがるのか」といったテーマにしている。

でもこれは「なぜ」を問うより前に他の部分「日本語は乱れた」とか「若者は流行の服を着たがる」が真でないといけないのに,その検証はまったく考えてない。「なぜ」という問いから展開するのは『知的複眼思考法』でも書かれているとおり推奨するものだけど,その裏にある事柄の真偽を確かめないうちに「なぜ」で問いを止めてしまうのは非常に危険である(それこそ単眼思考では?)。

どうしたらいいか。そもそもキーワードから問い(テーマ)を作る方法がいけなかったのではないかと考えるようになった。上にも書いたように,これまでは思考マップ(マインドマップ)もどきを作り,単語→関連語→フレーズ→問いというように作っていった。しかし,関連語→フレーズの段階を困難に感じる学生が目立った。これってそもそもの方法が間違ってたのでは?という予感がなかったわけではないが,他の方法も考えつかず,今年ももどきをやってた。

どうも漠然と関連語を挙げるより,「類義語」「具体例」
「上位概念」「下位概念」「対比」あたりを考え,そこから感心持てそうなものを見つけるという方が良さそうである。このとき単に単語を考えるというより,文のフレーム(テンプレ)を使った方がよさそうである。たとえば,「ことばは_,_,_からできている。」や「ことばは_である一方,_は_である。」などがある(これそのものは福嶋隆史氏の著作(たとえば『「本当の国語力」が驚くほど伸びる本』など)をもとにしている。非常にいい本なのでオススメします)。また,「〜のことば」や「ことばの〜」といったフレーズを作るというのもそれなりに効果があった。来年度はこれを配布資料内でもっと言語化したいところだ。
0

同義語の使い分けがどう変化したのかをもっと調べてみた

昨日の下記エントリーの続きです。
主旨としては,時代(年代)によって呼び方の頻度が変わってくるというものでした。同様のことを他の単語でもやってみました。

方法

資料

  • 日新聞社の聞蔵IIを使用
  • 1984-1989,1990-1999,2000-2012の3段階に分けて出現頻度を調査(ただし,雑誌での頻度が低かったため,新聞と雑誌での比較は行わない)


調査項目

  • タンクトップ,ランニングシャツ
  • カフェオレ,コーヒー牛乳,コーヒーミルク

結果

タンクトップとランニングシャツ

80年代,90年代ではランニングシャツがやや多かったが,2000年以降になるとタンクトップがランニングシャツの倍ぐらいになった。



カフェオレとコーヒー牛乳とコーヒーミルク

80年代,90年代とコーヒー牛乳が多数を占めていたが,2000年以降になると,カフェオレの頻度が高くなった。コーヒーミルクは一貫して低い頻度だった。


なお,ワイシャツ(Yシャツ),カッターシャツ,ドレスシャツも同義語であるため,同様に変化を調べてみたが,こちらは一貫してワイシャツが圧倒的多数であった(どの年代もワイシャツがカッターシャツの10倍程度)。


結論

このエントリーでは同義語の使い分けが年代によってどう変化したのかについて調べた結果を報告した。


新聞データベースを使うことによって,語彙の使用数の変化を知ることができるので,このような目的ならば積極的に使用してもいいだろう。ちなみに,朝日新聞のデータベースは1945年のものから検索できるので,さらに古い年代での使い分けについて調べることもできる。

0

同義語の使い分けの時間変化:ジーパン,ジーンズ,デニムを例として

学部生の授業(1年生「文章表現」)では後期に1本のレポートをテーマ設定からアウトライン,執筆,発表までを体験的にやらせています。テーマはこちらで指定したトピック/キーワードから作らせます。手法は実証的なデータに基づくものということにしてますが,まだ1年生ということもあってなかなかうまく行きません。私としては具体的かつ時間的に可能なものであればいいんじゃないかと思いますがそのさじ加減が分からないそうです(そりゃそうですが)。そこで,こういうやり方があるよという例として,同義語の使い分けの時間変化について調べた結果を示したいと思います。

※初稿は8/31,10:44ですが,同日14:20までに数回修正を行いました。

背景

同義語というのは,音は違うけど同じ意味となる単語のことである。たとえば,「卓球」と「ピンポン」は同じものだが名称(呼び方)が異なる(後者は登録商標)。そのような同義語として,「ジーパン」「ジーンズ」「デニム」がある。この3つ同じものを指すが,私の感覚では若い人ほど「デニム」を使い,年上の人ほど「ジーパン」を使うような気がする。そうすると,文献での出てき方にも違いがあることが考えらる。そこで,新聞と雑誌の出現頻度を調べてみた。

方法

  • 資料:聞蔵II(朝日新聞社の新聞・雑誌データベース)
  • 1984-1989,1990-1999,2000-2012という区切りで,朝日新聞,アエラ,週刊朝日で「ジーパン」「ジーンズ」「デニム」の出現数を記録した。
  • ただし,週刊朝日は2000年以降のデータしかない。

結果と考察

全体の傾向

まず,年代別の変化について報告する。80年代はジーパンとジーンズはほぼ同じ頻度だったが,90年代,2000年以降となるにしたがい,ジーンズの頻度が高くなった。一方デニムは80年代,90年代では少数だったが,2000年以降は増加した。


媒体による変化

次に,新聞と雑誌での出現頻度に違いがあるかを調べた。その結果,年代を問わず,新聞に比べて雑誌の方が「ジーンズ」を好んで使う傾向が見られた。

考察

まず,全体の傾向について考察する。2000年以降に「デニム」が増加したことは,若い世代が好んで使うという直感とほぼ一致しているだろう(つまり,そういう感覚の書き手が増えた)。また,同時に「ジーパン」の割合が低くなっていったことも,この表現が比較的上の世代で使われた表現であると解釈すれば無理はない。

次に,新聞と雑誌の違いについて考察する。新聞は雑誌より保守的な傾向があるように思われる(この仮定自体,裏付けが必要だが)。そのことを考えると,「ジーパン」が新聞でより好んで使われるというのは上の世代が「ジーパン」を好んで使うことの反映だろう。ただし,「デニム」の使用率に大きな違いが見られなかった原因は分からないので,この点についてはさらなる検討を要する。

0

朝の音声学(2):音響音声学で使う概念のざっくりとした解説

音響音声学で使う概念のうちいくつかをざっくり解説しました。古い理論に基づいていたり,ざっくりしすぎてるところがあるかもしれません。ちなみに私のスペックとしては高校物理なし,微分積分ほぼなしといういわゆる文系クラス出身です。

基本的にtwitterで投稿したものを編集しなおし,いくつかの改変を加えています。

音って物理的にはただの空気の振動です。その振動は耳で周波数ごとに変換されて脳に届けられて音として知覚されます。


音響分析をするときは,耳の替わりにマイクとA/D変換器やソフトウェアでもって振動を音声波形として表示します。


波形は漢字に現れているとおり「波」です。波には3種類あります。まず始めに,単純な形が繰りかえし現れる波を正弦波といいます。これは純音(例:音叉)になります。

例:400Hzの正弦波の音声(400Hz.wav)とその音声波形


この波が繰りかえす間隔のことを周波数と言ってHz(ヘルツ)で表します。周波数は1秒間に繰りかえされる波の数なので,100Hzなら1秒間に波が100回繰りかえされることを意味します。


次に,まったく周期性の見いだせない波を非周期波と言います。これは雑音が当てはまります。言語音だと(無声)摩擦音がこの特性を持ちます。この音声ファイル(noise.wav)だと,音声波形はこんなんです。


拡大しても周期性が見えません 。


最後に,正弦波をいくつか組み合わせてできる波を複合波といいます。複合波は組み合わされる正弦波の強さ(大きさ/振幅=縦幅)と周期(周波数)によってその形が決まります。


例として,振幅が大きい(=音が大きい)400Hz(400Hz.wav)と小さい1000Hz(1000Hz.wav)を組み合わせた複合波(400Hz+1000Hz.wav)を見てみましょう。音声波形は次のとおりです。


黒い波が2つありますが,このうち,上下に大きく振れているのが400Hzの波で,小さく小刻みに触れているのが1000Hzの波です。そして赤いのが複合波です。複合波を見ると,400Hzの波に被さって1000Hzの大きさに合わせて微妙に形状が変わって,大きく2種類の波が繰りかえされているのが分かると思います。このときの赤い波の周期を基本周波数,またはF0,と言います。


言語音だと母音は複合波です。ここで重要なのは,あらゆる周期的な波は複数の正弦波に分解できるということです。これをフーリエの法則と言います。つまり,母音は複数の正弦波に分解できるし,正弦波を組み合わせれば母音が作れるのです(母音以外もできるけど,とりあえずこう言っときます)。


それで,音声波形から,どういう正弦波が組み合わせられているのかを読み取ってもいいのですが,すごい面倒なので,ソフトウェアを使います。それで表現させたのがスペクトログラムです。


スペクトログラムは縦軸が周波数,横軸が時間です。周波数のうち強く出ている(振幅が大きい)ところが黒く,弱く出ている(振幅が小さい)ところが白くなります。このとき,特に黒いところの中心を,低い波から順に第1フォルマント,第2フォルマント,第3フォルマント…と呼びます(このあたりは朝の音声学(1):日本語の母音も参照されてください)。さきほどの複合波のスペクトログラムは次のとおりです。


praatでフォルマント(の近似値)を出すことができるので,それを赤で,ピッチを青の線で合わせて表示させました(スペクトログラム,フォルマントの数値は左,ピッチの数値は右を参照)。見ると,第1フォルマントは400Hz,第2フォルマントは1000Hz近辺にあります(4000Hzあたりに。また,ピッチは200Hz近辺にあります。


まとめると,基本周波数は音の高さ,複合波の周期のこと,第1フォルマント(F1),第2フォルマント(F2)などと呼ばれるのは出されている音のうち特に強い周波数を低い順に並べたものなのです。


1

日本言語学会第144回大会の感想・寸評

日本言語学会第144回大会(6月16-17日,東京外国語大学)に参加したので,そこで聞いた発表の感想と寸評を記します。いつものように,ツイッターで書いたものに加筆・修正したものです。

大滝靖司「父称Mac-/Mc-で始まる姓の借用語における促音化:つづり字と音節構造」
英語でMacないしはMcで始まる外来語における促音の有無を複数の辞書に基づき計量調査。要因としては後続母音の有無,(英語の)音節構造,つづり字がそれぞれ関与。
一般化として3つの要因がそれぞれ関わることは分かったけど,それらが相互にどのように関わっているのかは今ひとつ分からなかった。提示されたデータを見る限り,つづり字が第一,後続母音の有無が第二かなと。この手の借用語適応の議論で素朴に疑問に思うのは,「その規則は誰が持っているの?」てこと。例えばこの発表でもOTの分析が参考資料として挙がっていたけど,そのtabelauは誰の知識の反映なのだろう?バイリンガル?翻訳者?フツーの日本語話者?借用語適応

青井隼人「宮古における「中古母音」の解釈」
琉球語宮古方言における中舌母音が音素目録として母音なのか子音なのかを考察したもの。形態音韻規則の音声的な透明性,他方言との対応という2つの点から母音と解釈するのが妥当だという分析。音韻規則に音声的な透明性が必要というのはそこまで支持されるの?
方言間の対応はそこまで重視すべき?というのが疑問。前者はBlevins 2004のevolutional phonologyに基づくもの(文献表に挙がってなかったので推測)なんだけど,Theoretical Linguistics掲載の川原繁人さんの論文に反論があるので要参照かも。あと,これは素朴に,そもそも母音と子音という区分けそのものって本当にシステムとして必要なのだろうか?[+/- consonantal]のような素性が必要かという話なんだけど,今言語においてそれが必要だとか,それがない言語はおかしい!とかそういう話が前提としてあるけど,本当にそれは正しいのかを検討する余地はあると思う。

Sugawara, Ayaka "Japanese accent is largely predictable: Evidence from given names"
名前のアクセントの大半が形態情報,音韻構造から予測可能で,それをOTで分析した論考。まず
タイトルはちょっと誤解を招くんでないかな?日本語の語彙の中でアクセントが予測しづらいのは和語で,それは辞書の中で3割程度に過ぎないとかそういう話があるならまた別だけど,名前で予測可能という話なのでここは。質問にもあったけど,一般化として新しいものはほとんどなかったと思う。koo-tarooとko'o-jirooの違いかなあ?次にOTの分析を示していたのだけど,その普遍性も今ひとつはっきりしなかった(これも会場の質疑に出てました)。
僕の疑問は3つ。まず,個々の制約について,ある種の接尾辞が付いたら,句頭上昇を起こしてはいけないという制約の妥当性。これ,koo-tarooに対してko'o-tarooを出さないようにするために仮定しているのだけど,そもそもko'o-tarooというアウトプットで第1モーラにアクセントがある単語で句頭上昇がないという前提が誤りです。音声的にはここでもわずかながらF0の上昇があります。この話でも分かるように,そもそも句頭上昇そのものはかなり音声的,連続的性質を持つもので,「有無」という2値で語ることが間違いだと思う。次に,7つの制約の序列は他の語彙のアクセントも矛盾なく出力できるのかということ。ここで提案された制約・序列として

語末の2モーラにアクセントを置くな >> 語末に近いところにアクセントを置け

というものがあることから外来語で-3型のパターンはおそらく出せるけど,いわゆるラテン語パターンは出力できない。また,複合語と非常に密接に関わる現象なのに,複合語とどう棲み分けているのかが明確ではない。OTとしての記述の精度を高めるならそういうところがあった方がいいのではないだろうか。最後に,方言差は制約の順序の違いでいけるのかな?特殊拍にアクセントが来れる方言(例:山口方言)あるんだよなあ。

Kenstowicz, Michael "Kyunsang Korean accent classes and lexical drift"
朝鮮語慶尚道方言のアクセントと19世紀中期朝鮮語のアクセント対応がどれくらい見られるか,例外にどういう特徴があるのかを記述
低頻度の語彙は通時的対応が崩れやすく,そのとき分節音や韻律情報が影響する。今回は名詞だけでやってたのだけれど,動詞や形容詞だと対応の崩れ方が変わると思う(日本語はたしかそう)。それはどうなんだろう。

ワークショップ「アクセント位置と音調素性」
アクセントに関して簡潔かつ普遍的な記述装置を模索するという狙いで3つの発表。
ワークショップの話は各自が各自の話をしていて,全体としてお互いどうなのよという話になっていなかったのが残念。その辺ってまあシンポとかでもありがちで難しいよね。

早田輝洋「アクセントの担い手となる単位」
アクセントを担う単位は通常言われているような音節やモーラそのものではなくその境界というもの。
証拠として現代朝鮮語方言や中期朝鮮語のアクセントを提示。境界にアクセントがあると仮定すればn+2通りのパターンを出せてムダはない。だけど記述装置としてのムダのなさはどこまで重要だろうか?余剰性だってありうるんじゃないだろうか。真理は単純なりとは別の話のように思う。要学習(自分が)

那須川訓也,Phillip Backley「日本語における音調素性」
アクセント位置をHではなくLの位置として記述することの妥当性を論じた。HやLの素性の内容を考えるとそれでもいいのかもしれないけど,無標アクセントをどうやって説明するんだろう?

時崎久夫「日本語における複合語と句のアクセント」
日本語の複合語アクセントや句のピッチパターンを主要部と補部で捉えなおすというもの。東京方言は句頭のLHが第1アクセントだという提案だったけど,この要素は消えやすいものだし,イントネーションレベルのものだと思うので疑問
0

英語の発音(も)苦手です

「英語が苦手です」と言うとたいてい驚かれ,信じてもらえないのですが,けっこう真剣に苦手です。

音声学・音韻論を専門にしていますが,センター試験で一番できていなかったのは発音・アクセント問題ですし,未だもってその意識は残っています。

ただそうは言っても,日本語の方言に関して海外で発表されている業績は必ずしも多いと言えず,そこをどうにかしたいという想いもあって,英語圏での発表をする機会があれば打って出て(討ち死にして)います。

この頃は『英会話・ぜったい音読 続・標準編』(國弘正雄,千田潤一)という本を使って音読筆写を中心としたトレーニングをしています。中身の英文は中3の教科書から取ってきたものなのでそれほど難易度が高いわけじゃないのですが(そのせいもあって?),自分で読んでいてその発音に違和感を覚えることが多々あります。

それで,どんな感じの発音になっているのか,お恥ずかしいのではありますが,ここに公開したいと想います。

音声ファイル→Welsh_12000.wav

元の英文は以下のとおりです。

There are about 3 million people in Wales. Only about 20 percent of them are able to speak Welsh. All the rest speak only English. Some people say that Welsh will die out in this century. They are worried about that. So schools now have Welsh classes to keep the language alive. Language is the life of the people who use it.

いかがでしょう?こちらのコメント欄でもけっこうですが,Twitter(@yearman)やFacebookなどのコメント(感想)をいただけると幸いです。また,ご自分の発音したのを公開してもらってもいいかなと。
0

朝の音声学(1):日本語の母音

魔が差して音声学について連続ツイートといくつか質疑のやりとりをしたのでここに再掲しておきます。
(一部字句を改めました)

本編

(1) おはようございます。朝の音声学の時間がやってまいりました。今日は日本語の母音です。日本語の母音はIPAだと[i, e, a, o, ɯ]と書いてあることが多いです。このウがくせもので,[ɯ]は非円唇・後舌・狭母音なのですが,実際の調音と食い違っています。

(2) そもそもなんで[u]と書かないか。日本語のウは英語や中国語なんかの[u]ほど円唇性が強くなく,それを表すために非円唇の[ɯ]を使うようになったと聞きます。それじゃあ実際の調音はどうなのか,というと,円唇の有無より舌の前後が問題になります。

(3) 私(東京方言話者)の5母音の録音を材料に検討してみましょう。聴覚印象だけだとどうにも説得力に欠けるところがあるので,音響分析します。

(4) この母音のスペクトログラムとフォルマントを見てみましょう。

上が音声波形,下がスペクトログラム(黒白)とフォルマント(赤)です。フォルマントは下から第1,第2…と続きます。そのうち母音にとって重要なのは第1と第2です。


(5) 第1フォルマントは舌の高低(≒口の開き)を反映しており,値が高い=舌が低いという関係です。そのため,イ,エ,アの順に舌が低くなるので値が高くなり,オ,ウで値が低くなっています。

(6) 第2フォルマントは舌の前後を反映しています。値が高い=舌が前という関係です。そのため,イ,エ,ア,オの順で舌が後ろに向かうので値が低くなっています。しかし,ウでは値が高く(だいたいアと同じくらい)になっています。ということは,ウは舌が後ろに行かず,中舌になっているのです。

(7) そうすると,表記としては[ɯ]より[ɨ]とか[ʉ̜]が妥当そうです。ただ,ここからは推測ですが,やっぱりウはuを使いたいよねという気持ちがあって,記号として近い[ɯ]を使ってるのかな,と思います。

(8) まとめると,日本語の母音の音声表記は,他言語との比較,音声的事実,記号の好みなどといった要因が反映されています(最後のはちょっとアレですが)。いずれにしても大切なのは[u]でも[ɯ]でも実際の音はどういう音かというのを忘れないことです。(了)

質疑など

(1)

質問です。(5)と(6)について、フォルマント周波数と舌の関係って微分方程式とかでまじめに考えるとかなり難解なんですが、どれくらいの音声学者がその説で説明をするんですか?
@ikkn
授業でそういう説明をする人は少数じゃないかと思います。私の印象では,たいていは自分の発音の内省でしょうかね。調音で説明するならX線映画(国語研) やMRI画像(ATR)を使う方がベターなんでしょうね(私も実際そうしていました)

ああ、そういう感じなんですね。今の工学系の研究会だと、フォルマント周波数という言葉が出ただけで微妙な雰囲気になったりするので、文系だとどうなのかなあと思っていました。
@ikkn
工学系だと母音の音響特徴として何を使っているのでしょう?
音響特徴量として使われるのは大抵はケプストラム系のどれかですね。あと、母音子音よりも有声無声の区別をすることが多いです。で、ケプストラムそのものの数値を議論することは滅多になく、すぐになんらかの統計的な処理をされることが多いです。
@ikkn
ケプストラム分析は,非常にざっくり言うと,音声から,声帯振動の要素と声道の形の要素を分けるのに使うものです。ググるといくつか解説がありますが,とりあえずわかりやすいものとしてアルカディアの用語解説を挙げておきます。

(2)
オはどのように考えたらよろしいのでしょうか!
@nkmr_aki

さっきの画像を見ると少なくとも後舌・半狭というのは問題ないと思います。スペクトログラムから判別するのが難しい(と僕が思う)のは円唇性です。一般的に円唇だと第1,第2フォルマントがともに低くなります。ただ,先ほどの録音でエとオの第1フォルマントを比較しても40Hz程度の差で,これが円唇性の違いによるものと判断していいのか悩みます。さきほどの @ikkn さんの質問への回答にも書いたのですが,この場合,X線やMRI画像を使って解析する方がいいです。実際にMRI画像を見ると,オのときには円唇性が出ているのが分かります。どこかに論文とかで公開しているといいんですが。
0

「ちゃんと」しない子育て

タイトルは釣りで,子育て話が3割,言葉の使い方の話が7割て感じです。

僕が心がけていることに子供に「ちゃんと」を使わないようにしています。
別に「ちゃんと」しないでいいという意味ではありません。

「ちゃんと」ってけっこう曖昧な言葉なんですよ。例えば次の例を見てください。
  • ちゃんとご飯食べなさい
このときどういう意味なんでしょ?自分や周りの人が使ってるのを聞くと,少なくとも次の2つがありました。
  1. 話したりテレビ見たりしないで食べることに集中しなさい。
  2. 少しだけ食べるんじゃなくて,出たもの全部食べなさい。
つまり,状況によって求められることが変わるんです。他の例も考えてみましょうか。
  • ちゃんと立ちなさい。
  • ちゃんと(風呂に)入りなさい。
  • ちゃんと読みなさい。
書けば書くほどあいまいです。こんなんだと言われてる側は「なんか叱られてることは分かるけど,どうすればいいの?」てなっちゃいます。それよりは
  • 前を向いてご飯食べなさい。
  • 寄りかからないで。
  • 10分湯船につかりなさい。
  • 書いてあること音読してみなさい。
この方が何をすべきか分かりますよね。その上でやらなかったらまあ叱るなりなんなりすればいいわけです。お小言するのが目的じゃなくて,できる/やるようにするのが目的ですからね。

そういうわけで,相手には何をすべきか「ちゃんと」全部言うようにしましょう,という話でした。
0

日本語のための外国語学習

山口大学で第二外国語が廃止になるというニュースが話題になってる様子。


Twitterでの反応を見る限り,大学教員は反対の人が多い印象を受けます。かく言う私も、第二外国語はあった方がいいという立場です(ただ、私自身は、大学では中国語しかやってないので、お前が言うなというツッコミはありそう) 。一方,世間的には「役に立つことだけをやるべし」という風潮が強く,第二外国語なんていらないという意見が出てきてもそれはそれで不思議ではありません。じゃあ本当に第二外国語っていらないんですかね?

実はこの廃止問題というのは,外国語を学ぶメリットというのを外国語内部にのみ求めるから出てきたんじゃないかとも思うのです。よく外国語学習の動機なりメリットなりとして出てくるのは,「コミュニケーションの幅を広げる」だとかそういうものです。でもこの発想っていうのは,外国語として学ぶ話者数も入れると,英語以外学ばなくていいという結論を招きかねません。そうまさに山口大学がそうであるように。また,コミュニケーション力を上げるなら,外国語を学ぶより日本語で言語技術を学ぶ方が先だと思います。

もうひとつ,「視野が広くなる」というのも,実は何を言ってるのかよく分からないマジカルフレーズになってると思うんですよ。おそらく,第二外国語を学ぶことによって,その言語の文化圏に対する理解が生まれるとか,もっと上級になれば,英語では読めないような文献に当たることができ,(英語だけを学ぶのにくらべて)視野が広くなるということなのだろうと思います。これも前者に関してはそもそも懐疑的ですし,後者に関しても,それこそグーグル翻訳ががんばってるところなんじゃないかと思います(史料を読み解くとかそういうのは別として)。

じゃあ大学でその後使うことないであろう外国語を学ぶメリットは何か?
むしろ、日本語にじっくりと当たることで,思考を深める機会を提供することにあるんじゃないでしょうか。分からない言語の文法,語彙を覚え,分からない文章を読み,そこにある単語、コロケーション、構文、文脈 などから、書いてあることを把握し、それを自分の持つ日本語で表現する。いわゆる訳読でもそうでないものでも,読解を通して,自分の日本語を深めていくことができると。

また,文の構造というのを最も意識するのって外国語を学習するときだと思います。私の場合,高校3年生のときのリーディングで関係節の説明に接したときでした(詳しくはいずれまた)。

ちなみに,社会人基礎力だとか話題になっているのですが,そこで言われてることってたいていこういう(古くさい)授業を通して身につけていくのが一番の近道だと思います。

もちろん,日本語のことなんだから日本語や初年次向けの修学入門的な科目で学ぶべきという反論もあると思いますし,実際,大学初年次向けに日本語関連科目を設置しているところもあります(私の担当科目がまさにそう)。でもそこで例えば自分の語彙の問題に当たることは少ないと思います。「語彙」という項目を入れていても、たいてい漢字や熟語の整理程度で,上で言うのとはだいぶ違うでしょう。

だから,外国語を通して自分の日本語を深める,そういう授業があったほうがいいんじゃないだろうかと思うのです。
0

就活で何をしてはいけないか

就活に向かう学生の投稿や相談が増えてきたので,老婆心を発揮しておきます。


就活関係の部署とかキャリアなんたらの人と違うことや矛盾することを言ってる可能性があります。その違いを単に「人それぞれ」と片付けるのは簡単ですし気持ちも楽なんですが,なんでそういうことになってるのか考えてみてもいいと思います。


(1) 自己分析はやめときましょう。

自己分析をして自分の適性にあった職業をそこから探すのは不幸への近道です。「自分の適性」なんて一生分からない。僕だって大学教員が「自分の適性」に合っているかなんて未だ分かりませんし,定年になっても分かりません,きっと(いまだ派遣でやってた家電量販店の店員の方が向いてるなんて言われます)。もうやった人,結果を見て「ふーん」と思うぐらいにしておきましょう。

 

(2) 個性的になろうとするのはやめときましょう。

個性的ってそもそもなんなんでしょう?平凡な人って具体的に誰ですか?誰もが個性はあるし,誰もが平凡なもんです。


別に就活だからといって特別なことをしていなくていいんです。そう,普通に勉強してきたならそれでいいんですよ。勉強してないという人はどうするか?今からしてください。とりあえず前期の科目8割で秀とかAを取るぐらい根性入れてみてください。世界が変わります。え?興味ない科目ばっかり?興味ないものでもやるのが勉強です。

 

(3) 1ヶ月未満のインターンはやめときましょう。

インターンに行く人が増えています(し,推奨されているでしょう)。でも1ヶ月未満なら意味がない,むしろ有害です。インターンは仕事体験,職場体験という意味合いと,いろんな世代と付き合いを持つという意味合いがあります。


前者に関して言えば,たかだか1週間やそこらで仕事の何が分かるのでしょう?それで「分かってしまう」仕事に意味はあるのでしょうか?それなら根性入れてバイトする(たとえば販売業なら正社員より高い売り上げを持つとか,塾なら受け持ちの生徒の点数を20点上げるとか,具体的かつ高めの目標を設定する)方が有益です。


後者に関して言えば,異世代との付き合いは,それこそバイトでもできることはありますし,そもそも大学ならば先生というのは今一番身近にいる異世代です。マメに先生と(授業後にでも)話してみて下さい。学生が来て嫌がる先生もそうそういませんよ。


では,就活で何をすべきなのでしょうか?そんなのは自分で考えましょう,というのも無責任なので2つ書いておきます。どちらもえ?これ?ってぐらい普通のことです。でも,くれぐれもこれだけでいいなんて思わないでください。

 

(1) 情報を集める

あまりに何も情報を持たずに,●●ナビに流されるままなんとなくES書いたりしてる人が目立ちます。どういう業界に進むにしろ,その業界について最低限の状況把握はしておきましょう。例えば地方銀行に主席で入った(新入行員代表のことばを読んだ)友人は,3年生になってから毎日日経で金融業界の記事を読み,週に一回友人同士で集まって報告とそこに関わる問題について議論をしていました。どういった業界に進むにしろ,そこの情報を新聞,雑誌を使って集め,整理するということはしておいていいと思います。(別にこれを日経でやる必要はありませんが,情報が集まっていて便利なのは確かでしょう)

 

(2) 具体的で高めの目標を設定して何かをやってみる

上にも書いたんですが,根性入れて何かをするのは●●力の類を身につけるには効果があります。勉強なら受講した科目の8割でAや秀(北星なら評定9以上)を取るというのはどうでしょう。また,バイトなら上でも書いたような目標設定をしてみてはどうでしょう。部活なら大会やコンクールで本気で優勝を狙ってみてはどうでしょう。そのためには何をしなければならないか,考えて,そして,動いてみてください。

0

長崎方言における有声重子音の音響実現

川原繁人氏の執筆している標準語の重子音の音声学に関する草稿を読む機会があり,自分の調べてきた長崎方言ではどうなっているのか気になっていた。(川原氏の草稿は出版準備中のため,引用する場合には注意されたい)

草稿の中で取り上げられているトピックのうち特に問題となるのは,「キッズ」や「ピラミッド」のような促音のあとが有声阻害音の場合である。このとき促音部分の声帯振動は前半部分のみにしか見られず後半部分は声帯振動がない,すなわち無声音で実現する。

標準語以外の方言でどうなるかはほとんど研究がない。ただ,地域によっては「鉄道」を「てっど(う)」のように発音する(西日本に多い印象)。こういった方言では促音の時間が短いとか,声帯振動が持続するなどといったことがあるのではないだろうか。

そこでこれまでの録音から該当する音声のファイルを観察してみることにした。だが,録音ファイルを探したところ,当時は持っていたSDカードの容量が小さくwavではなくmp3で録音していたのだ(涙)。MP3でもpraatで見た限り分析上の問題は見当たらないが,少なくともこのままの形で雑誌に投稿することはできないのでここに報告することにする。
録音はR-09を使いビットレートは320kbpsのmp3形式で録音した。話者は4名で,おおむね60〜70歳である(録音は2007年3月に行われた)。単語は「ピラミッド」で,キャリア文に入れた形で2回,単独で2回発話しているうち,単独発話のものを用いる。以下,音声波形とスペクトログラム・ピッチを示す。

話者1(女性・1953生)
話者1の分析結果

話者1は,1回目の発話では重子音部分での声帯振動はそれほど見られず標準語と同じように前半部分のみの振動にとどまっていたが,2回目の発話は全体にわたり振動していた。なお,閉鎖時間長は1回目0.181 sec.,2回目 0.184 sec.であった。

話者2(女性・1947生)


話者2は,2回とも声帯が全体にわたり振動していた。閉鎖時間長は1回目0.127 sec.,2回目 0.159 sec.であった。

話者3(男性・1940生)


話者3は,2回とも前半部分のみ声帯が振動していた。閉鎖時間長は1回目0.173 sec.,2回目 0.168 sec.であった。

話者4(男性・1945生)


話者4は,2回とも声帯が全体にわたり振動していた。閉鎖時間長は1回目0.122 sec.,2回目 0.115 sec.であった。

結果をまとめると下のようになる。
 話者(発話)閉鎖時間(.sec)
声帯振動
話者1 (1)
0.181
 前半のみ
話者1 (2)
0.184
全体
話者2 (1)
0.127全体
話者2 (2)
0.159全体
話者3 (1)
0.173前半のみ
話者3 (2)
0.168前半のみ
話者4 (1)
0.122全体
話者4 (2)
0.115全体

これを見ると,話者1の2回目を除いて閉鎖時間が短いと声帯振動が全体にわたるという傾向が見て取れる。単子音との比較を行っていないので何とも言えないが,閉鎖時間が短いがゆえに声帯が全体にわたり振動するということが言えそうである。

この報告は重子音のみのものであるし,録音状態も必ずしもよいものではないので,再び録音する必要があるが,一応の傾向は見て取れたと思う。また,今後は同様の計測を他の方言についても行うことが必要だろう。なお,天草・本渡方言について簡単な計測を行ったところ,声帯は全体にわたり振動していたことを記しておく。
0

日本言語学会第142回大会の感想・寸評

日本言語学会第142回大会(6月18-19日,日本大学)に参加したので,そこで聞いた発表の感想と寸評を記します。

Tamaoka et.al, "The 13th stroke boundary: Effects of visual complexity for Japanese kanji processing with high and low frequencies"

 漢字の理解において13画を境にそれより多い場合は理解が容易で,それより少ないと理解が困難になるという仮説について心理実験で検証したもの。結果としてはそれを支持する証拠はない。実験はかなり堅実なもので,頻度による影響が強く出ていた。

片岡喜代子,宮地朝子「ホカとシカの意味特質と統語条件」

 太郎しか来なかった,太郎のほか来なかった,*太郎しか花子が来た,太郎のほか花子が来た,のような対立についてホカとシカの意味特質の差を指摘したもの。一般化はほぼ納得。日本語の文構造論に言及があったけどそこに時間を掛けるなら全体の構成を考え直すべきかなあと思った。

赤楚治之・原口智子「副詞との共起性から見た日本語関係節における「が・の」交替」

 「筆で太郎が書いた手紙」と「*筆で太郎の書いた手紙」について統語的に説明したもの。そもそも例文の判断が共有できなかったのでそこにもっと説得力を持たせる必要があると思う。また,前提にしていたMiyagawaなどの議論も同じことが言える。内省による例文の判断を資料に使うなら,もっとトレーニングをして,みんなが共有できるような状態に例文を仕上げる必要があると思う。

齋藤有哉「古代ギリシア語における倚辞のトーンについて」

 古代ギリシア語の音調を語声調によって説明しようとしたもの。HLLとHLという異なったトーンの対立が何の対立なのか不明なのが問題。例えば,HLとLHならFallとnon-Fallと記述できる。派生を書けるのはいいけど,音声として何の違いかは常に意識すべき。

新永悠人ほか「奄美語湯湾方言における喉頭化共鳴子音の音響特徴」

 奄美語の湯湾方言にみられる喉頭化した共鳴音としてない共鳴音の音響的な違いを記述。単語の単独形を分析対象にしており,長さと波形の開始部分の振幅に違いが出ていた。長さが本質的な問題かどうかは,文に埋め込んだものにしたほうが喉頭化という特徴の本質的な違いが出るだろう。

Michael Kenstowich "Cantonese loanwords: Conflicting VC rime constraints"

 広東語(の固有語)に見られるVCの制限が借用においてどう実現するかを記述・分析したもの。提案していた制約が音声学的にどう裏付けられるかが不鮮明なものがあった。また,なぜそのような音配列の制限がVCの制限という環境にのみ見られるかについて説明が必要に思った。
0

日本語学会2011年度春季大会の感想・寸評

5月28-29日に神戸大学にて行われた日本語学会2011年度春季大会に参加したので,研究発表の感想と寸評を記します。

Stanko Katarzyna「主格の一人称代名詞の明示傾向をめぐって」

 「いや,私は違う」のように一人称の主格を明示するような表現がどういう条件で現れるかをドラマ等のシナリオ集のデータをもとに明らかにしようとしたもの。主格を明示したものについて,それがどういう種類の文(文脈)かは分かるけど,いつ現れてはいけないかをやらないと,収拾がつかなくなると思う。極端な話,主格を明示してないときも同じ分布だったら意味がないのだから。

岡田一祐 「明治期国語系教科書の仮名表における平仮名」

 明治期の小学校国語教科書に出てくる平仮名が本文と独立していること,楷書的なものが選ばれる傾向にあることなどを示そうというもの。黒板で具体的な字体を示していたが,(私のように)表記の話に馴染みがない人にとっては,スクリーンを使って具体的なものをもっと見たいと思った。特にイントロで論点が明示的でなかったのでそこを強く思ったかも。

林直樹「東京東北部のアクセント:「型」と「ゆれ」の観点から」

 足立・葛飾・江戸川の各区で埼玉特殊アクセントの影響が見られるという古い報告の現在の実態を明らかにしようとしたもの。データ量は豊富で,けっこう地域差が見られたのが興味深かった。
 しかし,データ処理についていくつか疑問が残る。当該地域と共通語と対比をしていたが,数的データは若年,中年,高年の各層を混ぜていて,しかも高年層が数的に多いので,その影響が大きいように感じた。純粋な現状を見たいなら年齢別の人口分布を反映させるべきだし,そうでなく,かつての形の残り具合を見たいなら年齢層別の比較を示すべきだろう。また,「ゆれ基礎統計量」という指標を使っていたが,そこで示されてた数値データが次のような形だった。
平均0.7,中央値・最小値が0.0,最大値4.0,標準偏差1.09
この分布を読み取ると,中央値と最小値が同じことから,半数(以上)が0,つまり揺れがない一方で,最大値が4.0で,平均が0.7であることから少数の話者が平均を動かしたのではないかと思う。しかも標準偏差が1.09ということは2sdは2.18だから,最大値の話者についてはもはや外れ値なのでは?という疑いがある。さらに,結果を高年層,中年層,若年層で分けて分散分析を行っていたが,その際にこのデータに正規性が見られるかを確かめてないのだけど,それが大丈夫なのか疑問が残る。
 あと,アクセントのパターンの特殊性をこの地区独自のものとしていたが,そもそも東京の他の地域の話者が共通語と同じで,ここで示していた地区と別のアクセントの分布を示すとは限らないのだから,そこを確かめるべきではないだろうか。

平子達也「ラムゼイ説再検証:京畿方言動詞テ形アクセントの通時的変化に関する考察から」

 平安時代の資料にある声点と音調の高低の対応関係について,ラムゼイの説を(再)否定するもの。この研究の背景にBoerによる研究に対する反論をすることがあったと思うんだけど,そこへの言及がなかったので,話全体の目的が見えにくくなっていたのではないだろうか。日本語学会という場だからそうしたのかもしれないが,Boerの説の紹介と反論は見たかったところ。

﨑村弘文「長崎県大村市方言音調の変容をめぐって」

 大村市の若年層で(二型から)一型化への変化を指摘したもの。疑問は2つ。まず,一型化なのかが疑問。全体的に変化は語彙的なもので,二型の体系に語彙的に共通語の高低が入っただけのように見える。発表者は類の統合云々を理由にこの説を考えてないようだが,このような変化は類の統合とかもはや関係ないだろう。
 また,短文の録音テープを流していたけど,それを注意深く聞くと,名詞+動詞でアクセント句がまとまっている(デフレージングしてる)ものが多数ある。この特徴はまさに共通語(東京方言)的だったことからも,ここで起こっているのは共通語であると思った。

佐藤髙司「群馬県方言におけるベーの動態:若年層に対する30年間の経年調査から」

 群馬県下で見られる「行グベー」のような「ベー」の形式の使用率や使用形式が若年(高校生)においてどう変化したかの報告。個別の報告事項には同意できるし,調査数が多くて変化の様子がけっこう掴めそうな報告だったのに,調査年ごとに表を分けているのでそこが分かりづらくなっていたのが残念だった。あと,「ベー」の用法とイントネーションって関係ありそうで興味深い。
0

国語研公開シンポ「N型アクセントの原理と成立」の感想・寸評

5月21日(土)に神戸大学で開催された国立国語研究所公開シンポジウム「N型アクセントの原理と成立」に参加しました。会は5つの講演とディスカッションから構成されていました。それぞれの発表題目は以下のとおりです。
  1. 上野 善道「N型アクセントとは何か」
  2. 木部 暢子「九州2型アクセントの実態:熊本県天草市方言の動詞活用のアクセントを中心に」
  3. 窪薗 晴夫「鹿児島県甑島方言のアクセント規則」
  4. 松森 晶子「隠岐島アクセントの再解釈」
  5. 新田 哲夫「福井市周辺部のN型アクセント」
各発表のざっくりとしたまとめと寸評を記しておきます。例によってツイッターで投稿したものを再編集・加筆したものです。


上野善道「N型アクセントとは何か」

 N型アクセントという用語を初めて使った上野先生によるチュートリアル的な発表。ちなみにN型は「えぬけい」と読む。ただし1型のように個々の型では「いちがた」のように言う。
 東京方言のような多型アクセント体型と比較したときのN型の典型性として,N型体型では文節を単位にアクセントが実現するという文節性が重要とのこと。これに加えてp拍の名詞にq拍の助詞類がついたアクセントは,同じ系列の(p+q)拍の名詞のアクセントと同じになるという「系列性」という概念の2つを満たしたものが重要である。
 従来の研究を見ていくと,N型と見なされる方言では,複合語アクセント規則にも前部要素が生きるという特徴があるけど,これについては例外が多く,典型性を語る上での重要性は高くはなさそう。
 なお,日本語だと一型から三型が見られ,朝鮮語方言だと四型,五型も見られる。
 文節性と系列性は日本語の方言のみならず他の言語について考えるときにもキーとなる概念のように思う。
 ちなみに,時間が無くて話のできなかったところとして語声調(早田輝洋)との異同があり,その中に語声調はアクセントと共存できないとしている旨の話が出てたけど,京都方言は語声調+アクセントと解釈していたはず(2種類の(早田定義での)アクセントが共存しないとは言ってるけど)。でも前にもどこかでこんな話があったからちょっと別の文脈なのかもしれない。

木部暢子「九州2型アクセントの実態:熊本県天草市方言の動詞活用のアクセントを中心に」

 九州地方の二型アクセント方言では,鹿児島方言や長崎方言の報告がよく出てきているが,熊本の二型アクセント方言に関する報告はないので,それを行うというもの。
 天草市方言は平山輝男の報告では無型(あいまい?)となっているが,調査してみると二型アクセント体系がしっかりと見られる。基本的な型はA型がLHL...で,B型がHH...となる。ここで,B型が低ではなく高ないしは中というところがこの方言の特徴的なところである。動詞活用については活用語尾によって動詞語幹とアクセント単位(音韻句)として独立するかが決まっていて,方言間で類似の関係を見せる。
 さて,音声形式について,B型を高または中としていたけど,むしろA型でLHとなってるときのLが極端に低いようにも見えた。ただ,これについては見かけだけで判断しても結論が出ないので,別の証拠(示し方)が必要だろう。考えられるのは,対数化したF0を抽出して,それにZ値で正規化するというもの。数式としては
Z値=(F0値−話者の平均F0)/話者の標準偏差
となる。これで0を話者の平均F0値を基準として高低を見ることができる。予測としては,MならZ値は0あたりになるはずだし,Hならもっと高くなるはず。ちなみにこれで方言間のピッチ変動を比較した研究として以下のものがある。
ShunichiIshihara (2008) “An Acoustic–Phonetic Comparative Analysis ofOsaka and Kagoshima Japanese Tonal Phenomena”. Proceedingsof 2008 Interspeech. CD-ROM
この研究では大阪方言と鹿児島方言のLトーンを比較していて,大阪方言は鹿児島方言より(有意に)低く,Hトーンと区別したLトーンでマークする必要があるのに対し,鹿児島方言の場合はそういうマークが不要かもしれないということを示唆している。
 ちなみに,発表では基本的に語例にピッチの図を付けていたのに密かに感動した。というのも日本でアクセント研究の発表を聞くと,高低を書いていてもそれがどの程度のものか示していないものが多いから。昔はF0をパソコンで処理するのは大変だったから分かるけど,今ならせめて典型的な語例については示しておけるようにすべきと思ってる。

窪薗晴夫「鹿児島県甑島方言のアクセント規則」

 二型アクセント方言の甑島方言でのピッチ実現の実態と規則による一般化を報告したもの。この方言の大きな特徴として重起伏ということがある。すなわち,A型,B型は次のように実現する。
A型:HL,LHL,HLHL,HHLHL
B型:LH,HLH,HHLH,HHHLH
ピッチ実現は重起伏で音節とモーラが両方関わり複雑になっている。また,複合語ア規則は鹿児島と同じく前部要素の型が複合語全体の型になる。
 ピッチの実現はフレーズになるとさらに複雑で,フレーズの中では2つ目のHが消える。この記述自体はいいとして,2つ目のHが消えると前のHの長さだけで型を区別する必要がある。つまり,5モーラならA型はHHLLL,B型はHHHLLとなる。これは認知(知覚)的にはしんどそうに思う。もしかしたら2つめのHはちょっと低く実現してたりして(不完全中和)。
 あと質問したけど強調したときにどうなるのかはかなり気になる。答えとしては分からないとのこと。

松森晶子「隠岐島アクセントの再解釈」

 島根県隠岐島に分布するアクセントの通時的・共時的分析。ここは有名な重起伏方言。結論として(五箇方言について)HLHが無核,LHLが第2μに核,HLLが第1μに核という体系を提案してた。
 この方言では2つ目のHが固定して折らず移動したりするので解釈の自由度が高いように感じた。例えばHLHは高起・有核,LHLは低起・有核,HLLは高起・無核の対立と書いてもいいわけで(もちろん余剰性が高いけど)。どこを決め手にすべきなのか(僕には)見えてこなかった。おそらく,複合語アで鹿児島などのような法則が守られないというのがここでキーになるような気がする。

新田哲夫「福井市周辺部のN型アクセント」

 福井市周辺部は二型説や無型説がありまとまっておらず,それを調査した報告。結果として,3型ないしは4型という結論。音声を聞いていると,高いピッチがそれほど際立ってないので,それで先行研究が無型と捉えたのかなとも感じた。もちろん話者依存の可能性があるので正規化F0などで比較することが必要だけど。
 ちなみにアクセント調査で体系がきちんと出るのは名詞より動詞ってのは初耳。でも言われるとたしかにそうで,動詞を調べた方が揺れがでにくい。

ディスカッション

 司会者(ウェイン・ローレンスさん)から素朴な疑問がいくつか出てそれに答えるのが基本形だった。質問は特に琉球との対比が中心になってた。
 これは主旨としてしょうがないのはあるけど,通言語的な中での位置付けがどうなのか不明なところがあった(逆に個別の記述としてはうなずけるものばかりだった)。もちろん個別方言の記述は重要なんだけど,個々の記述の枠組みが言語研究一般において妥当なのかというのは常に検証が必要で,その意味では日本語の中に閉じているように見えるところがあった(僕もそうなってる一人)。
 以前ある方が朝鮮語方言に比して日本語方言は世界の学会で発表をあまり見ないということを言ってたけど,その原因のひとつがこういうところにあるのかなあってぼんやり考えてた。じゃあAMやOTで書き表せばいいのかっていうとそうでもないので難しいところです。
 今回,そういう問題意識を強くさせてくれた点が特に勉強になった。日本語の方言は共通語化が強く進んでいるので本当に早いうちに記述を進めないといけない。特に知覚実験が必要なところがあると思うので,そういう方言については早めに取りかかる必要があるだろう。
0

日本言語学会第141回大会の感想・寸評

 日本言語学会第141回大会(於:東北大学)に参加しました。聞いた発表について寸評を書きます。なお,シンポジウムは飛行機の関係で途中退席したので省きます。
  • 高橋 康徳「上海語窄用式変調の音響音声学的記述」
 上海語である種の統語環境でのみ起こる変調が音韻論的なものか音声学的なものかを発話実験により明らかにしたもの。結果としては音声学的なものだというのを支持している。この結論には納得したけど,ただ音声か音韻かという問題を扱うなら,知覚実験はやはり必要だと思う。またここでは範疇的な変化を音韻的な変化として扱っているけど,不完全中和もあると思うので,この問題は一筋縄じゃ行かないよと思った。
 あと,後続音節の声調ごとに発話させたのだから,それによる差も見たかった。(発表者に後で聞いたら,ほとんど差がなかったとのこと)
  • 田中 雄「日本語の半母音と母音の共起制限:調音及び知覚音声学的説明」
 ヤ行子音とワ行子音との間で母音との共起制限に非対称性が見られるというのに対し,これには調音的な原因があると見て,それを音響実験によって示したもの。具体的には,ワ行子音は(ヤ行子音に比べて?)調音同化を受けやすいことが悪さをしているという。実験の解釈について,たしかに同化を受けやすいという結果が得られているとは思うけど,どこまで2つの音が近づいたら弁別性がなくなるのかが明示的でなかった。
 また,OT(最適性理論)による説明も与えていたけど,こっちについては歴史的な変化について説明いかないように思う。具体的には,ヤ行のエとワ行のエではア行のエとの合流の時期が異なるのだ。
ヤ行のエ→「たゐにの歌」「いろは歌」の時期には,「え」は一度だけ使われ(ヤ行のエとの)区別が失われていたのは確実といえる」(山口秋穂ほか『日本語の歴史』東京方言出版会,p.44)
ワ行のエ(ゑ)→「鎌倉時代に入るとヱとエの混同が顕著になり、13世紀に入るとヱとエは統合した。」(Wikipedia「ゑ」の項目
しかし,この発表における制約のランキングでは,ヤ行のエとワ行のエが異なる時代にア行のエと合流するようにできないと思う。
  • 米田 信子「スワヒリ語における「外の関係」の関係節」
 スワヒリ語で見られる2種類の関係節の形式について,外の関係で容認可能かを記述したもの。見事に非対称的。どうやら片方の関係節はあとから使われ始めた模様だが,古い文献(に限らず記述資料)での分布を見たいと思った。
  • 藤原 敬介「ガナン語における低声調について」
 チベット・ビルマ系のガナン語で声調と変調がどう現れるかを記述したもの。基底声調をL(低)・M(中)・H(高)の3つにしていたけど2音節語で現れるパターンを見ると,数として多いのはHL,MH,HH,MMで他のパターンは相当限定されることから考えると,僕はこの4つ,すなわちH,L,R(上昇),F(下降)の4つ,またはHとLの2つだけ,という可能性もあるんじゃないかと思う(複合語との絡みがやっかいそうなのでそこを乗り越える必要があるけど)。いずれにせよ,話者の中での弁別性がどの程度あるのかがもっと知りたいと思った。
  • 備瀬 優・坂本 勉「否定呼応違反に関する事象関連電位について:シカナイ構文の検討」
 シカ~ナイの呼応に違反した文を読ませたときのERPの現れ方から,この構文の処理が統語レベルのものか意味レベルのものかを明らかにしようとしたもの。結果は,統語的とも言えるし意味的とも言えるというもの(どちらの脳波成分も観察された)。
 この結果と考察について,質疑でだいぶ議論になった,いやむしろかみ合ってなかったけど,僕は原因は「意味」の定義にあると思う。引用している研究は形式意味論のものなので,(語用論を除けば)単語同士の意味(概念)を組み合わせたものが文の意味(命題的意味)ということになる。しかし,発表者の研究で言ってる「意味」はそういった命題レベルの意味ではなく,おそらく語と語の相性の問題(例えば「靴下を食べた」は意味的に間違っている,という使い方をする)を指している。つまり,両者は違ったものを指しているのだから,かみ合わせが悪くなるのも無理はない。だから,文理解研究で意味の処理というのが何を指すのかを明示的にすべきだったと思う。
  • 稲田俊一郎「日・英語における比較節の派生と左枝分かれ構造からの抜き出しについて」
 日英語での比較節の派生を統一的に説明しようとしたもの。すみません,あまり話がフォローできませんでした。おそらく前提となる議論(Watanabe2008?)の紹介が足りなかったと思う。 たしかにもとの議論が結構複雑なんだろうけど,聴衆を想定するなら必要だったのかなと。
  • Manami Hirayama "Vowel devoicing in Japanese and postlexical alternability of syllable structure"
 母音無声化が母音削除かどうかを音響実験により明らかにしたもの。結果は削除されてないというのを支持。フロアから統計云々という話が出たけど,僕は結果が明白ならいらないとは思いました。ただ,グラフか表はつけてもよかったと思う。
  • 西垣内 泰介・日高 俊夫「Wh構文の解釈と韻律構造:佐賀方言と東京方言の対照より」
 佐賀方言と東京方言でWh要素が埋め込まれた疑問文でWh解釈を取れるかに差があり,それを統語的な道具立てで説明しようとしたもの。統語的な説明は正直あまりフォローできなかった。
 佐賀方言の記述についてはまあそうかなと思う反面,優位性効果のところは(質問したけど)記述の詰めが足りないと思う。例えば,佐賀方言において
a. 誰が何ば持ってきたと?(誰が何を持ってきたの?)
b. *?何ば誰が持ってきたと?(何を誰が持ってきたの?)
という違いがあるとしていたけど,bは「何の本ば誰が持ってきたと?」にすれば容認可能性が上がると思う(ネイティブじゃないから分からないけど,質疑で聞いたらそうと答えていた)。そうすると,このパラダイムは本当なのかが怪しくなるのではないだろうか?
 ちなみに東京も(僕の直観では)「何色」とかのように無アクセントWhだとLong EPDにしてもWh解釈が厳しいと思う。これはかなり気になる。
  • Kan Sasaki "The morphology-prosody interaction for the syllable deletion in the Hokkaido dialect of Japanese"
北海道方言の「さ抜き」現象に対して形式的な説明を与えたもの。語幹が長い場合に見られる揺れが一話者ないでどうなっているのかが知りたいと思った。つまり,ある長さになるとダメになるのか,判断が相当ぶれるのかなど。

 発表全体を見ると,音声系に関しては理論(OT)よりも実験ものがホントに目立つようになりました。なんというか,道具(機械)が揃ってきたからもう一度基礎的な記述を見直そうってことなのかな?
0

日本語学会2010年度秋季大会の感想・寸評

日本語学会2010年度秋季大会(於:愛知大学)に参加しました。せっかくなんで聞いた発表について,感想を書いておきます。基本的にツイッターに書いたものの再掲ですが,適当に修正したりしてます。
(1)シンポジウム「イントネーション研究の現在」(五十嵐陽介・石川幸子・木部暢子・郡史郎,前田広幸(企画/司会))面白かった!特にイントネーションの統語的アプローチと音声的アプローチ(だっけ?)の違いや,アクセント連鎖モデルとの違いなんかも勉強になった。個別の発表の良さもあったのだけど,全体がよくまとまっていた。これは企画者の前田先生によるところが大きいと思う(もちろん個々の発表者の力量も大きいですよ)。

ただ,一方で,ツイッターで書いた感想に対して,次のようなやりとりがあった。

SKinsui
同感ですが、文文法に寄りすぎていたようにも思います。イントネーションはもっと談話的な現象を扱ってこそ威力を発揮するという気がする。


yearman

なるほど。ただ,談話が入ると一気にパラ言語的要素が増え混沌とするので,綺麗に類型化するにはあのやり方が適当かなと思います。一方,定延先生の仕事を見ると,入れてもある程度類型化の見込みが立つのかなとも思います。うーむ

SKinsui

確かに、談話を入れると拡散しますよね。でも倒置とか、ぜったいイントネーションを入れると綺麗に記述できると思う。

談話の要素を入れるというのは「なるほど」という感じ。日本語の場合,助詞で卓立するような音調もあったりするので,談話を入れたものを眺めるのはよいかも。

(2)内間早俊「琉球方言のハ行p音再考」
琉球諸方言のp音の分布を再構築したもの。僕が気になったのは,どちらかというと母音の変化について。琉球語はpe>pi,po>puが起こり,その過程で弁別性を保つために,pi>p?i,pu>p?u(?は喉頭音化)が起こったとしているけど(先行研究に倣ってる),そもそも体系を保つために変化するってのがどれくらいあるのかなと。英語の大母音推移のように短期間で変化したにしても,混ざらなかったのか不思議。これって,先に
pi>p?i,pu>p?uが起こって,それから空いたところに収まるようにpe>pi,po>puが起こったとは考えられないのかな?

(3)蛭沼芽衣「近代上方の/se/と/ze/の変遷について」
音声資料からシェ>セ,ジェ>ゼの変化が同時ではないという主旨。興味深いのだけど,証拠と議論のところでいくつか。まず,セ/シェ,ゼ/ジェの判定を自分の聴覚印象でやっていたのだけれど,これはもうちょっと客観的にしたいところ。例えば,複数名の話者(同じ方言)に聞いてもらって判定するとかも考えられるし,音響分析をして,雑音部分の中心周波数の平均を出すという方法も考えられる。次に,口蓋音と非口蓋音の違いの議論で,「口蓋音は非口蓋音より一般的でゆるい」という主張をしていて,その根拠に幼児の発話を挙げていたが,あれは調音運動(筋肉)に問題で,一般性とは独立した話ではないのかな?あと,/z/の基底形を摩擦音だと考えているところがあったけど,現代語では破擦音だと思う(前川先生の研究を参照)。四ツ仮名を保持していた時代の話かその後の時代かちょっと分からないので何とも言えないところなんだけど,気になった。

(4)阿部貴人「アクセントの聴き取りの違いと言語内的・言語外的要因」
鶴岡調査で調査者と発表者の間の聴き取りの違いが何によるものかの考察。単音とアクセントを比べたときにアクセントについて,共通語かどうかの判定の一致率が低くなるというデータがあった。しかもそれは「うちわ」の聴き取りが大きく足を引っ張っている(ように見えた)。たしかに差が大きく出たとあるけど,具体的に(お互いが)どう聞き取ったのかを提示してくれると 
もっと分かりやすかったと思う。あと,調査者と発表者の両方が共通語と判断したものの割合を出していた(ように見えた)けど,両者が方言形と聞いたところは分母に含めるのかがわからなかった。これを入れちゃうと一致率が下がるので心配。たぶん入れてないんだろうけど。質問にも出ていたけど,具体的な数字の出し方についてガイドがあったほうが誤解は少なかったのかなと。

(5)
原田幸一「東京若年層の日常会話における動詞「違う」の使用」
非難やからかいの回避に「違う」の変化形として「チャチャ」というのが出てくるという指摘と,その分布上や形態上の特徴を独自に集めた会話(自然談話)資料から分析したもの。手堅い印象を受けた。疑問として,この「チャ」を繰りかえすときと繰りかえさないときとで何か違いがあるのかな?というのが気になった。

(6)鑓水兼貴「『方言文法全国地図』における話者の年齢差にあらわれる文法変化」
GAJ(
方言文法全国地図)の使用語形の分布に世代差があるかを分析したもの。やっぱり文法的なものの変化はそう出にくいなあという印象。あと,発表で触れなかった世代はやっぱりうまく行かないのかなと思ったりした。 

(7)
有田節子・江口正「佐賀方言の条件節における時制の機能について」
佐賀方言の条件節に出てくる「ギ」と「ナイ」の分布を時制と絡めて調べたもの。友人の佐賀人が「そいぎー」(それじゃあ)とよく言ってて,この「ぎ」が条件節だと知ったときには驚いたものだ。結果としては意外と共通語に近いんだけど,やっぱり「ギ」の分布が分からないなあ。まあ,そもそも僕が条件節の勉強不足というのもある。 これは有田さんの条件節に関する議論が前提になっていると思うので,そこの理解が一つの鍵だったのかなと。
0

質問道(初級編)

 私は授業や演習,学会等ではよく質問をする人間だと思う。そのおかげで,懇親会やちょっとした時間に人と話すと,「よく質問しますね」とか「どうすればそんな質問できるんですか?」とか言われることがある。これは,自分の性格によるところもあるが,大学院は質問を歓迎する文化だったのもあるだろう。ただ,別に僕も初めから質問ができたわけでもないし,今でももっと良い質問ができれば!と思うことがある。

 そう,やっぱり「良い質問」と「そうでもない質問」というのは確実にあって(もちろん「悪い質問」も!),「良い質問をしたい」という想いは常に持っているのだ。では,どんな質問が「良い質問」なのだろうか,また,どうすれば良い質問ができるようになるのだろうか。機会があるたびに考えていたのだが,これにはどうもいくつかの段階があるみたいで,言うなれば「質問道」の初級から上級までというようになっているのだ。

 そこで,今回は質問道の初級編として私が考えているものを紹介したい。

(1)一番最初に手をあげる。
 印象では,初めの方に手をあげる人は少なく,また,え,これいいの?と自分で思うような質問でも受け入れられやすい印象がある。あと,時間が経つにつれ質問していいのか微妙な感じになると思うので,そういった心配をしないよう,早めに聞いておくのが良さそう。

(2)とりあえず手をあげてから考える。
 (1)を実行するためのコツと捉えてもらいたい。ただ,これについては賛否両論ある。何も考えずに話し始めると支離滅裂になり,自分でも何を言ってるか分からなくなるからだ。しかし,実はそれを回避する(しやすい)方法もある。それが(3)と(4)だ。

(3)よく分からなかったら,「よく分からない」と言う。
 たぶん発表を聞いていると,よく分からないところが1つはあると思う。しかし,それは自分の勉強不足が原因ではないので,安心してその分からないところを聞いてほしいと思う(特に大学院の演習では確実にそうだと思っていい)。ただ,いきなり何も言わず「よく分からない」というのはぶしつけなこともあるので,例えば「○○(分からないところ)について,もう一度説明してもらえますか?」と言い換えてもいい。そのとき,発表者がどういった説明をする(完全に言い換えるかどうかなど)は分からないが,この言い直しのときには自分が詰まったポイントですかさず「そこがよく分からないので,別の言い方をしてもらえますか?」と言ってみるのも手だろう。とにかく,どこが分からないのかをはっきりさせるのは非常に重要だと思う。

(4)「○○は××ってこと?」とパラフレーズしてみる。
 (3)とやや被るのだが,自分の理解が合ってるか確かめるのも,自分が発表を理解する上で重要だと思う。そこでパラフレーズの質問を入れるのが役に立つ。このとき,できるだけ自分が消化したロジックを繰りかえしてほしい。もしもロジックに飛躍や用語の誤解があれば,誰かが指摘してくれるだろう。また,逆に発表者の問題も明らかになると思う。

(5)一気に質問しようとはしない。
 質問が3つあるとしても,一気に3つ聞かず,1つ1つ聞くほうがよい。また,別の部分に関する質問ならば,いったん置いて,他の人の質問がなければ聞くようにする。私はある学会で連続して3つぐらい質問して司会者に注意されたことがある(反省)。で,実はこの1つに絞るというのは結構重要な作業で,これがうまく行くというのは質問の善し悪しが分かるということを意味する。この辺の話は次回にしたいと思うが,質問がいくつか考えついたときには,それを絞る作業をしてみることをお勧めする。
0