研究ブログ

2012年12月の記事一覧

ロマンと現実

先日、卒業生が私のオフィスにあそびに来てくれました。
別の先生に用事があって、ついでに立ち寄ってくれたそうです。
卒業後は教員として活躍されていて、仕事の状況など、いろいろ話をしました。
で、帰り際、なにか参考にしてもらえればと思い、
「数学文化」に書いた『問題提起としての「大学生数学基本調査」』の別刷を渡しました。

数学文化第18号
日本評論社(2012/09/14)
値段:¥ 1,470


きちんと読んでくれたらしく、感想をメールで送ってくれました。
現場で数学を教えるにあたって、いろいろと迷うことがあるようです。

数学に興味がなければ、あまり目には触れないと思いますが、
いま、ネット上でも、算数・数学の教え方について、いろいろな議論がなされています。
個々の話題について具体的な意見は持っていません。
ただ、単に対立を強調するだけの議論には、あまり生産性は無いかなと思っていて、
きちんと共通了解を取り出すためには、たとえば
・ そもそも数学とはどういう知の営みなのか
・ 数学の概念の意味とはどのようなものか
・ 式とはどのような言語表現なのか
・ 問題を解く/解かせることの意味はなにか
・ 数学を学ぶ/教える理由をどのように設定するのか
などについて、原理的に考える必要があると考えています。

数学を学ぶ意味については、これまで、たいてい二つの方向から答えられてきました。
ひとつは、数学のロマン性を強調するもの。
もうひとつは、大学に合格するためなどの現実的な理由。
ロマンと現実という二項対立はどこにでもあるものですが、
数学を学ぶ意味についても、この両側から答えられてきました。

数学のロマン性を知っている人は、現実社会では何かしら挫折を味わうものだと思います。
私が指導した学生さんでも、教育実習に行って現場の考え方に触れて、
絶望して帰ってくることが少なからずあります。
挫折を味わって「あれかこれか」という姿勢をとるなら、
外部に対しては「数学なんて受験が終われば忘れていい」と表明し、
数学のロマン性は自分の内に納めておけばよい、という考え方になる。
これは自然なことです。責められるべきことではない。

ただ、私自身は、もう少し別の考え方もないだろうか、とずっと思っています。
数学そのものの意味、具体的には上で挙げたような諸点について、
きちんと考えるなかから、そのヒントは得られるだろうという直観があります。
これらの「哲学的な問い」の答えを、実際の現場にどのように下ろしていくのか、
というのはまた別の問題ですが、根っこに答えがなければ方向性も決まりません。

そういう答えを、来年のうちに、ある程度の形で出してみたいと思っています。

今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
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