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2012年3月の記事一覧

秋刀魚の味、鉄コン筋クリート&GOGOモンスター、リトル・ブッダ

311日から新しい17インチMacBook Proを使っている

 

•2.5GHzクアッドコアIntel Core i7

•8GB 1333MHzDDR3 SDRAM - 4GB x 2

•750GBシリアルATAドライブ @ 7200 rpm

 

とハイスペックのものだ。今までのように古典的な分子生物学を研究するだけなら前のMacBookで十分なのだが、生態学でも生物物理学でもデータ解析やシミュレーションの計算をするようになるとMacBookでは流石に覚束無くなってくる。また前のようにBootCamp上でWindowsを走らせると大量のデータの元ではExcelが暴走したりするので、今はParallels上のWindows 7Adobe関連のソフトを使ってWindows PCからのデータに対処し、OfficeMac OS X ネイティブにしている。堅牢なUNIXベースでターミナルもあるので、MacはやはりWindowsより直感的に使いやすいと思う。

 

 

 

少し時間があったのでDVDを幾つか観た。

 

小津安二郎監督の遺作『秋刀魚の味』は、象徴論などの昔ながらの映画の表現的技法をふんだんに使った、静かでコミカルなストーリーだ。婚期を迎えた美しい娘・路子(岩下志麻)と暮らす、妻に先立たれた初老のサラリーマン(笠智衆)の姿をコメディタッチで描く(Wikipediaより)というものだ。1962年作なので、当時の初老の家庭とその次の世代の家庭がカメラ的には同じアングルで情景や会話の異なりにより対比がよく為されていた。美術的な真新しさは何もないが、静かで何も起こらないストーリーが好みなら充分観るに耐えられる。

 

 

松本大洋さんの漫画が原作の『鉄コン筋クリート』は、ストーリーは私が中学生の時分にリアルタイムで慣れ親しんだものであるにも関わらず、監督のマイケル・アリアスさんの手ですっかり洋風の詩的・美的センスのアニメーションに生まれ変わっていた。粗筋は

 

義理人情とヤクザが蔓延る町・宝街。そこに住む<ネコ>と呼ばれる少年・クロとシロは、驚異的な身体能力で街の中を飛び回ることが出来た。

そんなある日、開発と言う名の地上げやヤクザ、3人組の殺し屋、蛇という名の男性が現れる。更に、実態不明の“子供の城”建設プロジェクトが立ち上げられる事になり、町は不穏な空気に包まれる。(Wikipediaより)

 

というものだ。松本大洋さんの作品では他に『ピンポン』や『GOGOモンスター』でも御馴染みの、静かで寡黙な少年と明るく元気溌剌な少年というモチーフが現れる。彼らがお互いに支え合っているという関係が描かれるのだが、クロの影の部分であるイタチはシロのことを「偽りの魂、偽善の代表者」と形容し、それがあながち的外れでもないところに物語のポイントがある。

 

漫画『GOGOモンスター』では「目に見えない物」「耳では聞こえない音」という幻覚のようなものを感じている主人公のユキが、「こちらの世界」と「あちらの世界」、「リョウカイ」を重んじる「彼ら」とそれを統括する「スーパースター」のいる「あちらの世界」のことを周りに語っている。「こちらの世界」と「あちらの世界」の関係は「奴ら」が来てからおかしくなり、学校の窓ガラスが3日で10枚も割れるとか学校が沈没したというのだが、それは子供と大人の世界とも捉えられるかも知れないし、IQという人物の語るように外界への接触願望と閉鎖的内面を象徴しているというように抽象化も出来るし、現実の世界と理想的な世界ともとれる。「リョウカイ」とは、理想の世界のための倫理や道徳観念とも捉えられる。異世界が混ざり込んだ表面上のストーリーラインと、その奥底の哲学の存在が物語を骨太にしている。

 

 

ベルナルド・ベルトリッチ監督のオリエント三部作三作目の『リトル・ブッダ』は、ストーリーは単調だが、仏教の輪廻転生思想に従った一つの邂逅と別れを現していると言える。粗筋は

 

米国シアトルに住む9歳のジェシー・コンラッドは、父ディーンと母リサと共に暮らす典型的な現代っ子。ある日、一家の前にラマ・ノルブ(ほか4人のラマ僧が訪れた。ノルブは、ブッダの魂を受け継ぐと言われた尊師ラマ・ドルジェが9年前に他界したこと、そしてジェシーこそ、その生まれ変わりであると告げた。その夜、リサは息子にノルブから贈られた本を読んで聞かせた。それは古代インドで“世界を救う者"として生を受けたシッダールタ王子の物語だった。ノルブは、ジェシーがほかの候補者と共に試練を受け、儀式に臨むためにブータンに赴かねばならないと両親に説く。父に連れられてインド方面へ向かったジェシーは、ほかの2人、ラジュとギータと共に、ノルブからシッダールタ王子の物語を聞かされる。王子はこの世の真理を求め、苦しみの果てに悟りを開き、ブッダとなった:。肉体はラジュに、言葉はギータに、魂はジェシーに、ドルジェの3人の子供に転生していた。ノルブは子供たちの前にひざまずき、転生の儀式が済んで役割を終えた彼は、静かに息を引き取る。だが子供たちはこれが彼との永遠の別れではないことを知っており、いつか再び出会うことを信じてそれぞれの土地に帰り、ノルブの遺灰を撒いた。(goo映画より)

 

というものだ。「輪廻転生」とは端的に言えば生まれ変わり現象のことだが、仏教での動物も含めた生まれ変わりの「輪廻」では主体となるべき「我(アートマン)」、永遠普遍の魂は存在しないとする「諸法無我」の考え方に基づく。他のインドの宗教には見られない思想である。「諸法無我」の考えは、いろいろな事象が互いに関係し合う「縁起」や「諸行無常」にも関係する。後にブッダと呼ばれるシッダールタが輪廻転生や生老病死の四苦から解脱、「涅槃静寂」するための悟りを開く過程が映画では描かれている。

 

現代的な観点から見れば生きることが苦かどうかはともかく、老いも病も死も、生きている限りは避けがたいことのように思われる。

 

多細胞生物の細胞の世界に目を移してみると、細胞にも細胞老化と言って細胞が一定回数の分裂後に増殖出来なくなる現象がある。これは何のためにあるかと言うと、一つ有力な仮説として細胞のガン化を防ぐということが挙げられる。細胞の持つゲノムは複製の際にエラーを生じてどんどん変異していくので、中には周りの細胞の言うことを聞かなくなったガンのようなものが出てくる。細胞が経験した分裂回数に依存した老化と細胞分裂の停止には、ガンの発生を防ぐという意味合いがあるのではないかという仮説である。個体の生存のために細胞老化はあるというのである。

 

病も、ガン化に限ってもDNAの損傷の修復の為に一定期間細胞の分裂サイクルを停止させる細胞内機構(これをチェックポイントと言う)が存在する。生きていく過程での代謝によりDNAは損傷を受けるものなので、これも生きている限りは避けがたい現象である。

 

死に関しては、ガン化しそうな細胞を死に導く細胞死の機構もあれば、多細胞生物の発生の上で形態形成や他の細胞の支持基盤になるために犠牲が必要な時に自発的な死が誘導される。これも個体が生きていく上では必要な機構である。

 

多細胞生物に限らず、単細胞生物でもチェックポイントのような機構は当然備わっており、また細胞集団の増殖の至適化のために皆と同じような挙動を示さない細胞の締め出しのための細胞老化や細胞死はある。病は生きていることに必然的に伴う。また細胞がより大きな構造の中で協調的に働くことを保証するためにはほぼ均一な集団であることが保証される必要があるので、若々しい時の理想的な性質が保てなくなった細胞の老いや死も必要である(ただし、環境から極度のストレスを受けている時は表現型の揺らぎや有性生殖による多様性の増加、逆のベクトルも考慮されなければならなくなる)。これが個体の老化や死にも同様の論理の拡張が出来るかどうかは検証するのはさらに難しくなるが、老いや死の美学というものは各構成単位が協調的に働けるより大きなシステムの存在のためには必須ではないかというのが、最近の学説の潮流である。物理学とは異なり生物学では単純で検証可能なモデルへの落とし込みが難しいので実証するのはなかなか難しいが、シッダールタの問いかけの答えはここに来て徐々に明らかになってきていると思う。

秋刀魚の味 [DVD]
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鉄コン筋クリート (通常版) [DVD]
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GOGOモンスター
松本 大洋
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SUPER COOPERATORS

忙しくてブログを書く暇があまりない。この間はMartinA. NowakSUPER COOPERATORS』(FREE PRESS)を読んだ。『EVOLUTIONARY DYNAMICS』(Belknap Press of Harvard University)でも知られる著者が、一般の方向けに社会的協調がどのようにして生まれるのかを自身の研究の歴史に沿って説明していく読み物だ。達者とは言えないが簡潔な英語で、平易に解説されていると思う。

 

「囚人のジレンマ」というのはWikipediaより引用すると、

 

囚人のジレンマ(しゅうじんのジレンマ、英:Prisoner'sDilemma)は、ゲーム理論経済学において、個々の最適な選択が全体として最適な選択とはならない状況の例としてよく挙げられる問題。非ゼロ和ゲームの代表例でもある。この問題自体はモデル的であるが、実社会でもこれと似たような状況(値下げ競争、環境保護など)は頻繁に出現する。

1950アメリカ合衆国ランド研究所メリル・フラッド (Merrill Flood) メルビン・ドレシャー (Melvin Dresher) が考案し、顧問のアルバート・W・タッカー (A.W.Tucker) が定式化した。

 

問題

共同で犯罪を行った(と思われる)2人が捕まった。警官たちはこの犯罪の原因たる証拠などをまったく掴めていない為、この現状のままでは2人の罪は重くても2年である。そこで警官はこの2人の囚人に自白させる為に、彼らの牢屋を順に訪れ、自白した場合などの司法取引について以下の条件を伝えた。

  • もし、おまえらが2人とも黙秘したら、2人とも懲役2年だ。
  • だが、共犯者が黙秘していても、おまえだけが自白したらおまえだけは刑を1年に減刑してやろう。ただし、共犯者の方は懲役15年だ。
  • 逆に共犯者だけが自白し、おまえが黙秘したら共犯者は刑が1年になる。ただし、おまえの方は懲役15年だ。
  • ただし、おまえらが2人とも自白したら、2人とも懲役10年だ。

なお、2人は双方に同じ条件が提示されている事を知っているものとする。また、彼ら2人は別室に隔離されていて、2人の間で強制力のある合意を形成できないとする。

このとき、囚人は共犯者と協調して黙秘すべきか、それとも共犯者を裏切って自白すべきか、というのが問題である。

2人の囚人の名前をABとして表にまとめると、以下のようになる。表内の左側が囚人Aの懲役、右側が囚人Bの懲役を表す。たとえば右上の欄は、Aが懲役15年、B1年である事を意味する。

 

囚人B 協調

囚人B 裏切り

囚人A 協調

2年、2年)

15年、1年)

囚人A 裏切り

1年、15年)

10年、10年)

解説

囚人2人にとって、互いに裏切りあって10年の刑を受けるよりは互いに協調しあって2年の刑を受ける方が得である。しかし囚人達が自分の利益のみを追求している限り、互いに裏切りあうという結末を迎える。なぜなら囚人Aは以下のように考えるからだ。

  1. 囚人Bが「協調」を選んだとする。このとき、もし自分 (=A) Bと協調すれば自分は懲役2年だが、逆に自分がBを裏切れば懲役は1年ですむ。だからBを裏切ったほうが得だ。
  2. 囚人Bが「裏切り」を選んだとする。このとき、もし自分がBと協調すれば自分は懲役15年だが、逆に自分がBを裏切れば懲役は10年ですむ。だからBをやはり裏切ったほうが得だ。

以上の議論により、Bが自分との協調を選んだかどうかによらずBを裏切るのが最適な戦略(支配戦略)であるので、ABを裏切る。囚人Bも同様の考えにより、囚人Aを裏切ることになる。

よってABは(互いに裏切りあうよりは)互いに協調しあったほうが得であるにもかかわらず、互いに裏切りあって10年の刑を受ける事になる。合理的な各個人が相手の行動を所与として自分にとって「最適な選択」(裏切り)をする結果、全体としては「最適な選択」をすることが達成できないことがジレンマと言われる所以である。

なお、この場合のパレート効率的な組合せは、(協調、協調)(協調、裏切り)(裏切り、協調)3つであり、(裏切り、裏切り) ナッシュ均衡ではあってもパレート効率的ではない。(引用ここまで)

 

 

 

となる。お互いに黙ればお互いにRの利益を、自分が白状して相手が黙れば自分がTの利益を、相手がSの利益を、お互いに白状すればお互いにPの利益を得るとする。相手の一回前の行動を記憶出来るようにして様々な戦略のものを混ぜてシミュレーションを行うと最初は利己的な戦略が優占するが、次第に相手の行動を真似する物真似戦略が増え始め、最終的には相手が黙っていた場合は自分も黙り、相手が白状した場合も1-(T-R)/(R-S)(R-P)/(T-P)のどちらか小さい方の確率で次も黙って許しを与える場合もあるという戦略が勝ち残る。これは誤りを修正することの出来る効果のためと考えられる。

 

このシミュレーションに100回ごとに新しい戦略が加わるようにすると、一部許しの戦略は利他的な戦略に偶然置き換わってしまい、そこから利己的な戦略の優占にスタートするサイクルにまた入ってしまう。歴史は繰り返すということだ。この場合はTRなど自分に高い利益が得られた場合はそのまま、PSなど低い利益の場合は行動を変えるという戦略が最終的には優占する。

 

 

このようなジレンマに対して社会的協調が働く理由は主に5つあると、Nowak氏は言っている。

 

1. 互恵的相互作用

2. 評判

3. 空間の効果

4. マルチレベル選択

5. 血縁淘汰

 

である。

「互恵的相互作用」とは、「囚人のジレンマ」ではお互いに協力することを確約することで、全体としての利益を増すことだ。

「評判」とは、相手が信頼出来るかどうかの情報が当事者同士だけでなく間接的に他の個体にも伝わり、協力的な相手に有利になることだ。

「空間の効果」とは、空間的な隔離による相互作用の大小により局所的に優占する戦略が異なってくる場合もあるということだ。

「マルチレベル選択」とは、同じ戦略同士のグループが自然選択の対象になり、個々の有利性や不利性に関わってくるということだ。

「血縁淘汰」とは、自分に近縁な個体を助けて自分の血統に有利に働くようにすることだ。

 

私はこれ以外にも社会的協調を高める働きのアイデアを持っているが、ここでは挙げない。Nowak氏はこのような社会的ネットワークの一般論としてコストをc、利益をb、相互作用の次数をkとおくと、協調性の進化の条件にはb/c>kという関係があることを指摘している。これはつまり、より複雑なネットワークを構成するには利益がコストを大幅に上回らなければならないということだ。b/cが単純な比なのかそれともそれに係数が掛かってくるのかはモデルにより異なると思うが(この式はモラン過程を仮定)、複雑なシステムを構成するには大きな利益を生み出す仕組みがなければならないということだ。昨今のグローバル化の失敗のようなものを見ていると、今の社会ではb/cがまだ小さかったのではないかと思えるのである。その反対の相互作用の数が多かったからと言って必ずしもb/cが大きくなるということは言えないと思う。ただこれは多分に示唆的な記述であるということは言えると思う。


SuperCooperators: Altruism, Evolution, and Why We Need Each Other to Succeed
Martin Nowak, Roger Highfield
Free Press(2011/03/22)
値段:¥ 2,289


Evolutionary Dynamics: Exploring the Equations of Life
Martin A. Nowak
Belknap Press of Harvard University Press(2006/09/29)
値段:¥ 4,113


 

 

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ほっこり圧力鍋、告白

今週末も天気が悪く野外調査が出来なかったので、ラボと自宅で時を過ごした。野外調査には少額ながら自前の予算がつくことになったので、心を革めて取り組んでいきたい。今の時点でもあと少しの補填的サンプリングで短い論文は書けそうだが、当初の予定通りじっくりと取り組むことも出来る。エフォートを1割も割いていないのにある程度結果が出ていて有難い。

 

今日は圧力鍋なるものを使ってキャベツと肉を煮込んだものを作った。私が学生の頃から持っていた素早い料理の本は大雑把な味のする料理が多いのだが、この間母に貰った本では一工夫のあるレシピで時間がかからないのに大変上品な味のものが出来る。圧力鍋を使えば僅か8分で長時間煮込んで柔らかくしたものと同じような味が出せるので、大変有難い。私はお金やハイテクを使っていいものを手に入れるよりも、ローテクで味のあるものを手に入れる方が何だか温かい気分になっていい。家の中は煮込み料理のほっこりとした温かさと香りに満ちていた。

 

そんなほっこりとした話とは真逆のストーリーだが、今日は湊かなえさん原作の映画『告白』を観た。冒頭の粗筋は

 

市立S中学校、1B組。3学期の終業式の日、担任・森口悠子は生徒たちに、間もなく自分が教師を辞めることを告げる。原因はあのことかと生徒から質問が飛ぶ。数カ月前、学校のプールで彼女の一人娘が死んだのだ。森口は、娘は事故死と判断されたが本当はこのクラスの生徒2人に殺されたのだと、犯人である少年「A」と「B」を(匿名ではあるがクラスメイトには分かる形で)告発し、警察に言うつもりはないが、彼らには既に恐ろしい復讐を仕掛けたと宣告して去っていく。(Wikipediaより)

 

というものだ。オープニングの森口の告白が30分も続いたあとに初めてタイトルが表示されるという特殊な作りから話にぐいぐい引き込まれていく。物語には様々な「結果的には意味を成さない」伏線が張り巡らされていて、例えば森口の娘・愛美に対する殺意はあったものの実際には手を下さなかった「A・修哉」と、殺意は全くなかったものの結果的には殺してしまった「B・直樹」の差は、冒頭には描かれるものの、在り来たりの話のように最終的にそれが大きな意味を持ってきたりはしない。

 

このストーリーの良心たるべき人は愛美の父・桜宮とクラス委員長・美月なのだが、森口や修哉の行動はその良心をも裏切るような形で形成されていく。森口の後を継いで担任となった良輝=Well輝=ウェルテル(ゲーテの『若きウェルテルの悩み』より)の空回りも、このストーリーの群衆に対するゲーテのような存在の無意味さを含んだブラックジョークになっている。修哉が工作技術力の高さにより頂いたトロフィーで美月を殺害したこと、最後のシーンでまだ純朴だった頃に作った逆回りの時計が時を戻して修哉の母の姿を一瞬垣間見せたかのように現れたことも、修哉の自分の才能を人との縁で全て駄目にしてしまったことの象徴となっていた。

 

群衆劇的なカメラアングルから次第に個々人にフォーカスが当てられていくカメラワークや、スローモーションと照明・美術的コントラストの多用などの映画の技術的な面も非常に高い作品だった。最近ハリウッド映画は同じような話ばかりでどんどん面白くなくなってきていると感じているが、邦画の方はまた復活してきていると感じている。日本の漫画の漫画なりのストーリーのテンポ、日本のアニメの美術性やストーリーと映像の独自性のある一体感なども一つの文化であることは誰しも認めると思うが、ジメジメした感じの邦画も期待できるのではないかと思っている。

告白 【DVD特別価格版】 [DVD]
東宝(2011/01/28)
値段:¥ 2,940


 


 

 

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